大正時代の八日町

みなとまつりの一週間前、7月25日に気仙沼市八日町で催された〈お日市〉は、多くの人が集まったようでなによりです。この〈お日市〉の開催にあたってのクラウドファンディングによる募金活動はこのブログでも紹介しましたが、目標20万円に対し、24万1000円のサポートがありました。

私は、そのクラウドファンディング〈Makuake(まくあけ)〉のプロジェクト紹介画面に掲載されていたつぎの写真を見て、ひとつの疑問をもちました。〈祝〉の文字や日の丸の提灯など、八日町の愛宕神社の祭礼とはちょっと違うのではないかと。

八日町2

調べてみたら、このブログで何度も紹介している商工会議所が昭和52年に発刊した『けせんぬま写真帖』に同じ写真がありました。そして同じページのつぎの写真には〈大正11年本吉物産共進会の祝賀風景〉との説明文がありました。

大正11年の八日町

こっちの写真は、撮影地点が八日町よりバックして三日町あたりから撮ったという感じですね。正面にうつっているのは横丁山。森田内科方向です。大正11年は1922年、93年前。翌年9月1日には関東大震災がありました。

『けせんぬま写真帖』では、上に紹介した写真のページに八日町〈お日市〉の説明文を記しています。そのために、本吉物産共進会の祝賀風景があたかも〈お日市〉の風景のような印象も生んでいるのです。その説明文を引用します。

「八日町・愛宕神社の例祭を「お日市」といった。旧暦の6月23日の宵まつりを皮切りに、7日もつづいた。大きな軒提灯がズラリ並び、風刺画がつるされた。着飾った人々がぞろぞろ繰り出し、当時人気の“白玉水”が大いに売れたという。呉服などの大きな店が、東京などから職人をよび、趣向をこらした山車をつくり、町々へ繰り出し、それが呼びものとなった。その、明治はもはや遠くなりにけり、である。」(引用は以上)

この説明文を読むと、明治時代の最盛期にお日市がいかに華やかな祭だったかがわかります。気仙沼の繁栄がしのばれます。それと同時に、八日町商店街の方々の、〈お日市〉の名のもとにかつての街の賑わいを取り戻したいという、切実な気持ちもしみじみと伝わってくるのです。

7月21日ブログ「八日町「お日市」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 八日町 お日市

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No title

オバンです。
2枚目の中央上部、木々の間に写ってる、建造物らしきフォルムは、火の見やぐらでしょうか?確か『ぼうろう』って、呼んでたように思いますが?とすれば、随分古くからあったんですね。

Re: No title

もとの写真でもはっきりしないのですが、たぶん大正11年に横丁山に望楼はなかったと思います。当時の警察署は麻屋の向かいあたりにあったようなのですが、そこに火の見やぐらがつくられたの写真はありました。少し調べてみようと思います。いつもありがとうございます。
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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