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大谷翔平と気仙沼

スポーツ雑誌「ナンバー」に日本ハムの大谷翔平選手と気仙沼の縁が紹介されていました。「大谷翔平とプロ野球新時代。」と題して大谷選手を特集した同誌7月16日号。現在発売中のものの前号となります。

大谷翔平
雑誌「ナンバー」881/7月16日号記事の一部イメージ

〈「バッター大谷」天才少年伝説。〉というタイトルで書かれた記事の冒頭を引用します。

打球が柵の奥で弾むたび、観客席からは「はぁー」というため息交じりの感嘆の声が上がった。「あれはもはや芸術品でしたね」
岩手・水沢リトルリーグの創設者であり、元事務局長の浅利昭治は言った。水沢リトルリーグは日本ハムの大谷翔平が小学2年から中学1年生まで所属した硬式野球チームである。

2006年秋、場所は気仙沼市営野球場だった。東北地区6チームが集まって開催された大会で、決勝戦前に「ホームラン競争」が開かれた。リーグの取り決めで、外野に設置された70mの柵を越えればホームランだ。各チーム1人ずつ出場し、15スイング中の本塁打数を競った。

他の5チームはすべて中学1年生が選ばれたが、水沢リトルは小学6年生の大谷が出場することになった。その頃の大谷の身長はまだ170cmに到達しておらず、体重も50kgあるかないか。ひょろひょろの体型で、ユニフォームにも大きなシワが何本も寄っていた。

他チームの強打者たちは、緩いボールを力一杯振った。そのためラインドライブがかかり、飛距離が出ない。他の5名は15スイングして、柵を越えたのは1本か2本だった。そんな中、大谷の打ち方だけは異彩を放っていた。浅利が思い出す。「フルスイングしないんですよ。引きつけて、軽くバットに乗せる感じなんです」

ふわりと上がった打球は、はかったかのように右中間の柵を越える。大谷は11本塁打を記録し、ダントツで優勝した。(引用は以上)

これは気仙沼では有名な話なのでしょうか。私は息子に教えられてこの記事を知りました。なんか、大谷翔平選手が一気に身近な存在に感じられてくるような、そんな気がしてきました。

表紙の特集タイトルの副題には〈パワー+スピード+頭脳〉とあります。2006年秋に気仙沼市営野球場のグラウンドに立った大谷翔平選手。そのさらなる活躍を期待しております。

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tag : 気仙沼気中20気仙沼中学気仙沼高校大谷翔平

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

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