気仙沼/剣の源流

気仙沼でフェンシングが盛んなのはなぜなのか。その理由や背景について書こうと思いながら、さぼっておりました。しかし、来週月曜の5月25日には、千田健太選手の後援会も設立されることだしと思い、まずは取り急ぎ。はじめに、『気仙沼市史』の中のフェンシングに関する記述を紹介します。

鼎フェンシング部
『気仙沼市史 補遺編/スポーツ・芸術編』より
左端は佐藤美代子先生、右端はコーチをつとめていた千田健一さんでしょう。(追記2017年7月10日:この写真当時、美代子先生はすでに引退され、千田先生はコーチではなく監督であったとのご指摘がありました)

『気仙沼市史 補遺編/スポーツ・芸術編』p202

◎フェンシング競技

・競技の発足
 気仙沼市における初めてのフェンシング競技は、昭和27年11月1日、宮城県フェンシング協会会員6名が、元気仙沼公民館(現市役所の地)で開催した公開競技である。もっとも宮城県鼎が浦高校教諭の佐藤美代子が同年4月同校へ着任し、昭和27年の国民体育大会(宮城、福島、山形共催)フェンシング競技女子フルーレの出場選手として同校体育館で、一人で練習をしているのを生徒達が不思議そうな顔で見ていたのだ。
 その頃の同校体育館は天井が低く、普通教室三つ続けた大きさ広さ、床は力強く踏んだら今にも抜けそうな感じ、実際に生徒が床を抜いたこともある位であった。また校庭は、バスケット1面しかとれない広さ、バスケット班とバレー班が交互に使用している状態であり、その当時の県知事が視察に来られて、これが県立高校かと驚いて帰られたとか。その後、何とか生徒達に広い校庭、校舎をと建設の問題が出るのであるが、それは別の問題として、この狭隘(きょうあい)な校地、校舎で、生徒達が「井の中の蛙」にならぬようと願わないものはなかった。そこで一人ででも、少し狭くとも練習が出来、市外、県外も見聞きできるスポーツとして県フェンシング協会副会長の中島英一と相談し、前述の公開競技開催となったのである。
 このエキジビジョン以来、生徒達の同好会ができ、毎日、7、8人ずつ集まって練習が始まったが、用具はマスク一箇、剣一本、グローブ一箇と言うことで、県協会創設の時と同じように竹を剣のように平に削って代用し、フットワークから始めた。女の子が長いものを振り廻すということで父兄からも苦情が出ることもあったが、生徒達は剣を布や風呂敷に包み、見えないようにして街を歩いたことも、今は昔の物語りである。生徒達の熱心な練習により、県内での新人戦に出場し、3年千葉淑子優勝、同 佐藤司子2位等の成績があがると、生徒達も自信を持つようになり、昭和28年の松山国民体育大会に千葉淑子が出場することとなった。(引用は以上)

市史の記述の最後に、〈鼎が浦高校フェンシング班の沿革と戦績〉が年表形式でまとめられています。初期の要点のみ抜粋します。

昭和27年11月1日 フェンシング公開試合 同年12月 フェンシングクラブとして同好者が集まり練習を開始 昭和28年5月 生徒会の正式な班として発足 同年8月 夏季強化合宿に明大フェンシング部員千葉卓朗氏をコーチに依頼 昭和30年4月 明大卒業生の千葉氏を正式なコーチとして依頼(抜粋要約は以上)

ここで登場した千葉卓朗さんは、旧・本吉町津谷で古くから〈カネセン〉印の味噌醤油醸造を行っている〈徳田屋〉さんの長男。ネットで調べてみると、進学した仙台一高では、昭和25年秋にフェンシング同好会を創立しています。その後の明治大学でもフェンシング部に所属しました。明大フェンシング部の戦績に、昭和30年全日本選手権エペで3位の成績があります。その後、昭和33(1958)年には、全日本フェンシング選手権・男子個人フルーレで優勝を果たしていますが、これは上述した鼎が浦高校のコーチに就任した後のことだと思います。

卓朗さんが津谷に帰郷したのは、父親が亡くなったためとのことですが、たぶん同じ津谷に育った佐藤美代子先生がその話を聞き、同郷のよしみでコーチを依頼したのでしょう。昭和42年4月には、千葉卓朗さんを会長とする気仙沼フェンシング協会が創立されています。美代子先生は副会長のひとり。こうして卓朗さんは、家業やフェンシングをはじめとするスポーツ振興に尽力するとともに、昭和54年からは4期16年にわたり本吉町長もつとめました。しかし震災の年、2011年5月31日に逝去。心筋梗塞だったそうです。享年七十七。

気仙沼市史の気仙沼フェンシング協会に関する記述の中に、千田健太さんの父、千田健一さんの名もありました。気仙沼市南町、当時の気仙沼警察署にあった武道館でフェンシングの練習が行われていましたが、その中にいた一人が小学5年生だった千田健一さん。実に練習熱心で、試合が近づくと鼎が浦高校に行って千葉コーチに稽古をつけてもらっていたとのことです。

これくらいにしておきましょう。ちょっと長くなってしまいましたが、気仙沼でなぜフェンシングが盛んなのか、その背景はご理解いただけたと思います。千田健太選手の活躍をはじめ、今に至る〈気仙沼フェンシング〉の源流とも言うべき佐藤美代子さんと千葉卓朗さんの名を、気仙沼の多くの人の記憶にとどめていただければと思いこの一文としました。お二人のご冥福をあらためてお祈りいたします。


千葉卓朗氏(気仙沼市ホームページより)

4月22日ブログ「美代子先生の訃報」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 鼎が浦高校 佐藤美代子 千葉卓朗

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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