鹿折石橋風景写真

5月6日のブログで魚町と鹿折(ししおり)の境にある〈石橋の延命地蔵〉について書きました。その時に、たしか鹿折の石橋風景がうつる写真があったはずと。それがこの写真。

鹿折石橋
『目で見る気仙沼の歴史』より(クリックで拡大)

『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年/気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた写真です。説明文を引用します。

◎鹿折の石橋
「現鹿折郵便局前。左手の海のように見えるところは、明治42年廃止された塩田のあとで、湿地帯。安永9(1781)年の鹿折風土記には、御塩煮釜12区、塩田8町4反5畝11歩とある。」引用は以上。

残念ながら、上の写真の撮影時期についての記述はありません。ただ、周囲に掲載されているほかの写真は、明治末から大正時代にかけての撮影ですから、そのあたりとみてよいでしょう。写真の左下あたりが、現在の延命地蔵の場所だと思います。石橋は、橋というより堤防の道路という感じ。この時代には、ホテル望洋の下を通る道などはもちろんありません。

鹿折の塩田跡は、私が小学校にあがる前の頃は一面の田んぼだったように記憶しています。近所の人たちとイナゴをとりにいき、母がそれを佃煮にしてくれました。こわごわ食べましたが、こうばしい味だったような気がします。

震災の年の5月に気仙沼に帰ったときに鹿折にも行きました。鹿折郵便局付近にも大きな船が何隻も打ち上げられていました。昔の石橋の写真をながめていると、鳥のさえずりしか聞こえない、その不思議な風景を思い出します。

5月6日ブログ「石橋のお地蔵さん」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 鹿折 石橋 延命地蔵

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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