五十年前の田中前

4月13日のブログで、〈昭和26年の四反田、田谷地区〉がうつる気仙沼小学校の花見遠足の写真を紹介しました。あの写真は、『目で見る気仙沼の歴史』に掲載されていたものですが、同書では、同じ田中前(たなかまえ)地区を撮ったつぎの写真も紹介しています。

昔の45号線
『目で見る気仙沼の歴史』掲載写真(クリックで拡大)

上の写真は〈昭和36年ころのゴボー土堤〉。つぎの説明があります。「左側で、エントツから煙を出しているのが、ゴミ焼却場。橋は気仙沼線の鉄橋。中央に昭和36年1月23日、“構内を汽車が走る”旧校舎から移転の鼎校。右手に不動の沢駅が写っている」。引用は以上

この写真の中央に太く白く見えるのが本町橋で、その先が4本に分岐しています。時計の11時方向が国道45号線。2時方向が気仙沼高校に向かう道で不動の沢駅がうつっています。ゴボー土堤(土手)というのは私もその名を聞いたことがあるものの、どこを指すのかよくわかりません。大川沿いの土手のことでしょうか(追記:45号線のことだそうです。別名ゴンボ土手)。いずれにしても、50年ほど前の田中前の風景はこんな感じ。なお、説明文中の〈構内を汽車が走る〉というのは、八日町に校舎があったとき、すぐ近くに国鉄大船渡線の線路があったことを指しているのでしょう。

下の写真は〈昭和41年6月の東浜街道〉。説明文を引用します。「右の丘の上(砥石鼻)に、総事業費3億3千万、県北最大の総合病院、公立気仙沼総合病院。左手に亀山と内の脇の工場地帯が写っているが、一面の田んぼで、国道45号線も舗装されていない。4〜5年後、ここに自動車工場、警察署、ボーリング場、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、統計事務所、アパートが密集するとは思わなかった。30年以降の魚市場前とならんで変化の激しいのはこの場所ではないだろうか。」引用は以上。

『目で見る気仙沼の歴史』は昭和47年に気仙沼ライオンズクラブが発行したもの。それからさらに43年が経過しました。あとは余計な説明など必要ないでしょう。この写真をながめていると、この一帯の変貌に、今さらながら驚くばかりです。

4月13日ブログ「64年前の花見遠足」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 目で見る気仙沼の歴史

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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