美代子先生の訃報

4月19日付けの三陸新報、一面下のコラム〈万有流転〉に、ひとりの女性の訃報が記されていました。鼎が浦高校(現 気仙沼高校)の体育の先生だった佐藤美代子さんが4月16日(木)に亡くなったというのです。

万有流転
三陸新報「万有流転」の一部イメージ

先生は〈美代子ばっぱ〉という愛称で呼ばれていたと聞いたことがあります。記事にも書かれていますが、美代子先生が鼎が浦高校でフェンシング同好会を始めなければ、いまの気仙沼におけるフェンシングの隆盛はなかったはず。本吉町長もつとめた千葉卓朗さんをコーチに迎えたのも功績のひとつでしょう。

私は、千田健太選手、菅原智恵子選手がロンドンオリンピックに出場したとき、気仙沼のフェンシングの源流ともいうべき佐藤美代子さんと千葉卓朗さんの名を紹介するメディアが少ないなと感じました。気仙沼でなぜフェンシングが盛んなのかという疑問を持っている人も多いと思うのですが。

私なりに調べた内容はあらためて紹介することにして、本日は〈万有流転〉の記事を引用しておきます。

「旧鼎が浦高校で、昭和27年にフェンシング同好会を創設、28年に創部し、県高校総体を制覇、第1回インターハイで団体優勝に導いた。「鼎が浦高校にフェンシングあり」と全国に名を轟かせた立役者、佐藤美代子先生が16日、幽冥境(ゆうめいさかい)を異(こと)にした◎ 美代子先生は現役時代、体育の教諭として鼎生を指導。先生の授業で、どうしても通らなければならない道があった。「創作ダンス」である。曲に合わせながら、自分のイメージでダンスを創作、発表するというものだった◎ 先生の教えが加わって創作すると、かなり激しくインパクトの強い踊りに出来上がった。友人、知人の中にはその授業が苦痛で、最終授業後に体操着を脱ぎ捨てたという人もいる。生徒指導も厳しく、抜き打ち検査にはいつもドキドキさせられた◎ しかし、そういうことがあったお陰で高校を離れても、誰にとっても忘れられない先生の一人となった。同級生が集まり高校時代の話になると、真っ先に美代子先生の思い出話に花が咲いたものだ◎ 大人になり結婚して子供を持って初めて、厳しい先生の指導がいかに大切だったかを噛みしめる。多くのご指導に感謝しご冥福を祈りたい。あす20日、葬儀が営まれる。」引用は以上

私はお会いしたことはないのですが、気仙沼におけるフェンシングの歴史において、忘れてはならない方でしょう。そう思い、あえて全文を引用させていただきました。佐藤美代子先生のご冥福を祈ります。
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 鼎が浦高校 佐藤美代子 フェンシング

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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