気仙沼と柏崎の縁

私は本日、新潟県柏崎(かしわざき)へ1泊2日の旅行です。柏崎は母が生まれ育ったところで、今も母の弟と妹が住んでいます。久しぶりに母と兄と私3人で訪れ、ゆっくりしようという趣向。そんなことで、今日と明日のブログは予約投稿です。

皆さんは、気仙沼と柏崎に江戸時代にさかのぼるちょっとした縁があるのをご存じでしょうか。それは〈柏崎〉の名。気仙沼プラザホテルなどが建つ〈柏崎(かしざき)〉は、新潟の柏崎に由来しているのです。

柏崎
昭和40年代はじめ頃の気仙沼/柏崎付近。〈浜らいん〉カレンダーより

宮城県神社庁のサイト〈紫神社〉由緒にはつぎように記されています。

「当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う」

慶長10年は西暦1605年、徳川秀忠が江戸幕府2代将軍に就任した年。柏崎の斎藤氏が気仙沼の笹が陣(気仙沼小学校や市民会館がある高台の一帯)に移住してきました。そのときにまつった紫明神と観音様の御堂はその後焼失します。しかし、気仙沼への移住から約40年後となる正保(しょうほう)(1645〜1648)年代に気仙沼湾の海辺高台に屋敷を移すとともに観音をまつり、その名を一族の出身地である柏崎にちなみ「柏崎観音」としました。というようなことです。

そして観音とともに勧請(かんじょう)した紫明神のほうは、同由緒によれば〈地続きの西風釜(ならいがま)鐙坂(あぶみざか)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う〉とのこと。これが今の〈紫神社〉。〈西風釜〉は南町の旧名です。

気仙沼の柏崎の名が、新潟の柏崎に由来することは知っていたのですが、今回くわしく調べてみて、紫神社との関係がよくわかりました。しかし、〈紫〉が柏崎から気仙沼に移り住んだ斎藤家の家紋である〈藤〉の花の色からきていたとは。知りませんでした。

今日と明日、母と兄と一緒にひさしぶりの越後柏崎を、叔父らと共に楽しもうと思っています。

2014年3月4日ブログ「昭和の気仙沼柏崎」
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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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