全盛期の魚町風景

今月はじめに届いた気仙沼の情報誌『浜らいん』の2015年春号。特集「気仙沼 ALWAYS」の第2回〈気仙沼、港町物語〉がとても面白かった。気仙沼の漁業発展の歴史が6頁にわたってわかりやすく解説されています。まずは、はじめの2頁に掲載されていた写真を紹介しましょう。

全盛期の内湾
『浜らいん』2015年春号/Vol.27pより(クリックで拡大)

写真には〈漁業全盛期を迎えた昭和40年代始めの魚町内湾〉とのキャプションが付されています。私たちが中学か高校生のころでしょう。写真を横切る3本の線がなんなのかわかりませんが、この角度からの写真は珍しい。これぞ我々がよく知る全盛期の魚町の風景。

この写真のほか、大漁時に船主から船員たちに配られたご褒美というか記念品の変遷について、つぎの記述がありました。

「明治・大正時代、船が大漁をすると大漁旗を掲げて港に帰ってきました。寒い冬の漁には半纏(はんてん)を羽織り、漁に出ていました。その年に大漁をすると船主は記念に自分の屋号を入れた半纏を配りました。船主の看板とも言える屋号が入っている事から「大漁看板」と呼ばれ、現在、唐桑町では鮪立地区と崎浜地区の二つの保存会が当時の大漁唄い込みと共に保存活動をしています。(小田注:大漁看板は、大漁看袢のことと思います)

この大漁看板は時代と共に家具、そして白物家電、現金と移り変わっていきますが、家具が配られた時代には関東の工場から専用の貨車で気仙沼の鹿折駅まで運び、そこから日通のトラックで各家庭に運んだそうです。気仙沼の家具屋さんが名実共に東北一の販売数を誇った時代でした。そんな売上げをしていた事から岩手県の家具店が相次いで気仙沼に出店、気仙沼に家具店が多くなった由来なのです。ろくな家具がなかった昭和30年代の船員宅には今でも家具の裏に「○○丸大漁記念」と書かれた家具が残っているかも知れませんね。」引用は以上。

大漁時の船主からのご褒美が〈半纏〉から〈家具〉へと変遷し、気仙沼の家具屋さんが東北一の販売数を誇っていた時代があったとは。知らなかったし驚いた。この時代の説明文は〈多くの若者たちが夢を描いて海に出ました。漁船員が独身時代に家を建て、町を盛り上げた時代です〉と結ばれています。

〈そんな時代もあったね〉と、気分はほぼ中島みゆき。だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう(笑)。


情報誌『浜らいん』は気仙沼市内の協賛各店で無料配布されています。定期購読等については、下記のホームページをご覧ください。

『浜らいん』公式ホームページ
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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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