千田さん創業の時

きのうに続いて、宮城三菱自動車販売の千田満穂会長の創業50周年記念誌『不倒五十年 つぶれずに……』の紹介です。

社史表紙
記念誌の表紙と裏表紙。

記念誌の冒頭、千田会長は〈ご挨拶〉をつぎのように始めています。

「私が初めて気仙沼の地に足を踏み入れたのが、昭和25年3月25日、12歳の年でした。最終の巡航船に乗り遅れて、真っ暗な山道を歩き続け、これからお世話になる唐桑の御崎にある家に着いたのが夜11時を過ぎた頃でした。まだ12歳になったばかりの手を震わせ、寂しさで涙が止まりませんでした。この時はまだ、ここが私の生涯の地になろうとは夢にも思わなかったわけです。(後略)」

この挨拶文の後に、気仙沼三日町に千田自動車センターを開業した当時の写真が掲載されています。左頁の写真で店の前にうつっているのが26歳の千田さんです。右頁では、千田さんと苦楽を共にし、いまは宮脇書店気仙沼の社長もつとめる奥様 紘子さんとご一緒に。

創業時写真
左頁は昭和39年6月8日千田自動車センター開業時写真(クリックで拡大)

創業時の写真の下に記されている文章を全文引用します。

「昭和13年に岩手県釜石市に生まれ、唐桑町で幼少期を過ごした後、大東町に移りました。中学を出た昭和28年4月、岩手県南バス(現在の岩手交通)に車掌として採用されました。これが私と車の出会いになりました。当時のボンネットは田舎のデコボコ道を顔馴染みの村人を乗せ、真っ黒になって、毎日、毎日、ひたすら走り続けたものでした。

26歳の私が初めて気仙沼三日町に千田自動車センターを開店したのが昭和39年6月8日でした。期待と不安が入り混じる中、これから始まる新たな人生に自信を持ってがんばろうと奮起して、妻と二人で未来の希望に胸をときめかせながらスタートしたものでした。

ちっぽけな千田自動車センターは昭和30年後半から始まる高度経済成長の波に乗り、少しずつ業績を伸ばす事が出来ました。独立したばかりで資金繰りも大変でしたが、朝6時から10時過ぎまで年中無休で若さだけを頼りにがむしゃらに働きました。休みもなく大変でしたがそれでもあの頃は毎日がとても楽しかったような気がします。

この度、お陰様で創業50年を迎える事が出来ました。今日まで自動車一筋に歩んで来れたのはお客様のご支援の賜と思っております。心から御礼を申し上げる次第です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 」引用は以上です。

千田さんは現在、宮城三菱自動車販売(株)、岩手三菱自動車販売(株)、盛岡三菱自動車販売(株)、そして宮脇書店気仙沼の代表取締役会長をつとめています。いまや気仙沼にとどまらず、宮城・岩手にまたがって事業を展開する企業人として知られる千田さんですが、記念誌のタイトル『不倒五十年 つぶれずに……』には、創業後50年間の様々な思いが込められているのでしょう。

そして、12歳の時にはじめて唐桑の地を踏んだときの千田さんの寂しさを知った後、全100頁からなる記念誌をあらためてながめていくと、気仙沼の発展と共にあった千田満穂さんの喜びと感謝の気持ちが、より深く感じられてきたのです。

最後になりましたが、この記念誌をご恵贈くださった、千田満穂会長のご長男で宮城三菱自動車販売(株)千田茂穂社長に御礼を申し上げます。ありがとうございました。


千田満穂さんの震災前後の活動については、〈ほぼ日〉の糸井重里さんによるインタビュー記事(全5回)で詳しく知ることができます。こちらも是非ご覧ください。

「ほぼ日」東北の仕事論/千田満穂さんインタビュー
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 千田満穂 不倒五十年

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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