ラーメンあたみ屋

1月24日の三陸新報に気中同級生の大友(小野寺)つき子さん(3年9組)が紹介されていました。「今を伝える〜震災から復興へ 歩む人たち」シリーズ記事の77回目。タイトルは「私にはラーメンだけ」。

1:24あたみ屋
2015年1月24日三陸新報記事のイメージ

記事を引用します。
〈 気仙沼市階上地区の国道45号線沿いで40年近く「五右エ門ラーメン」を営んできた。60歳の誕生日を迎えた23年3月11日、大波によって、思い出が染みこんだ店舗と平穏な日常が一瞬にして奪いさられた。店舗は、基礎部分だけを残して全て流された。跡地にたたずみ、「ただぼうぜんと眺めることしかできませんでした」と当時を振り返る。

深い悲しみの中にあったが、生きていくために働かなければ——との思いを深くした。震災半年後の9月、南町に復興屋台村「気仙沼横丁」がオープンすることを聞き、「私にはラーメン屋しかない。もう一度やってみたい」と入居を決意。店名を「ラーメンあたみ屋」に改め再スタートを切った。

屋台村のグランドオープン初日、市内外から多くの客が訪れ、「あたみ屋」には長い行列ができた。あまりの客数に「とても一人では対応できない。店を開けるのは無理……」とパニックになりかけていたとき、様子を見に来ていた市内の飲食店仲間が厨房に入り、手伝ってくれた。

店が落ち着くまで毎日通ってくれた。涙が出るほどうれしかった。「調理器具やカウンターなどはすべて支援品。内装は2人の息子が手伝ってくれました。震災で、自分一人では何もできないことをあらためて思い知らされ、人の温かさをひしひしと感じました。

店名は「明るく、楽しく、未来の気仙沼」の頭文字からとった。「私に何ができるか分かりませんが、気仙沼の子供たちに明るい未来を残すため、今を精いっぱい頑張りたい」と前を向く。 〉引用は以上。

つき子さんは小学校で同じクラスになったこともありよく知っています。1年ほど前、あたみ屋を訪れた同級生が店から電話をくれてつきちゃんにも代わってくれました。携帯電話から聞こえてくる〈オダくん!?〉という声は、50年ぶりに聞く声でしたが、よく聞き知っている声のように感じられました。

三陸新報の記事にあるつき子さんの写真は、笑顔がとてもいいですね。明るく、楽しく、未来の気仙沼。ラーメンは、気仙沼横丁「あたみ屋」ということで、どうぞよろしく。

復興屋台村気仙沼横丁HP「あたみ屋」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 あたみ屋 復興屋台村気仙沼横丁

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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