浮見堂いつできた

きのうのブログで、〈昭和29年の気仙沼内湾の風景〉を紹介しました。この写真を見た妻が私にたずねました。〈浮見堂がうつってないね〉。お神明さんの木々に隠れているのだろうとは思ったものの、ちょっと自信がありません。浮見堂はいつできたのだろう。気仙沼市史の第5巻 産業編(上)にその答えがありました。以下に引用します。

◎浮見堂
気仙沼の内湾に臨む神明崎にある浮見堂は、いわば町の観光施設第一号である。前述した「日本百景気仙沼湾」の石柱を建てた気運の中で、地元魚町の青年有志の間から「百景記念に、琵琶湖にある浮御堂のようなものをつくろう」という声が高まった。浮御堂は近江八景の一つ。大津市本堅田町にある海門山満月寺で、岸から湖上へ約25メートル突き出して、阿弥陀仏一千体を安置している。気仙沼はあずま屋風で、青年有志などの労力奉仕で昭和7年6月に完成した。同10年開設の旧魚市場への出入船を目の前にした観光の目玉として、とりわけ納涼の町民で賑わった。
風波や衝突などのため改修を重ねたが、昭和63年、東北電力がみなとまつりの一週間ライトアップ。さらに平成6年3月、ヒノキ材を使って全面改装工事を行うとともに、ライトアップも8基から15基に増やしている。

引用は以上です。昭和7(1932)年6月の完成でした。旧魚市場と向かい合わせになっていたわけで、内湾の独特の風景となっていたことでしょう。なお、市史文中にある〈日本百景〉は、東京日日、大阪毎日が主催したもので、昭和2年7月に気仙沼湾も当選したのです。そして昭和5年11月、五十鈴神社境内に「日本百景気仙沼湾」の記念碑が建立されました。

こうした70年近くの時を経た浮見堂でしたが、震災の津波で全壊しました。今後の内湾地区のまちづくりの中で、どのように再建されるのかわかりませんが、内湾のシンボル的な役割を負うことは間違いないでしょう。

最後に、故千葉和夫君が撮影した被災後の浮見堂の写真を。2012年8月のブログでも紹介しました。

浮き見堂カラー3
2012年6月 千葉和夫君撮影(クリックで拡大)

2012年8月23日ブログ「浮見堂いまはなく」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 浮見堂 神明崎

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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