気仙沼の大谷鉱山

12月14日の三陸新報に興味をそそる記事が掲載されていました。気仙沼の大谷鉱山で働いていた元従業員が石碑を建立したという話です。

大谷鉱山

三陸新報2014年12月14日記事の一部イメージ

記事を引用します。

〈古くは奥州藤原氏の黄金文化を支えたとされ、昭和初期には日本屈指の金産出量を誇った気仙沼市の大谷鉱山。昭和51年に閉山して以降、高齢化などで徐々に歴史を知る人が少なくなる中、元従業員有志が沿革を記した石碑を制作した〉

そして記事は、鉱山の歴史をつぎのように紹介しています。大谷鉱山は、明治38年に試掘工区に設定されて開発が進み、昭和4年に日本鉱業が経営に当たっていました。同13年には岩尻、赤牛などの各鉱を含めて従業員1303人を抱え、坑道延長55km、立坑深さ450m、年間1トン余の産金量を誇っていたそうです。鉱山の周囲には、社宅や出稼ぎ者用の合宿所、幼稚園などもあり多くの人でにぎわいました。昭和37年には大谷鉱山株式会社が鉱業権を継承しましたが、次第に埋蔵鉱量が枯渇していき、昭和51年5月に全面閉鎖されました。

従業員が1303人もいたというので驚きました。その家族も含めると、鉱山周辺のにぎわいというのも相当なものだったでしょう。

気仙沼で金山といえば、すぐに鹿折金山が頭にうかびます。「目で見る気仙沼の歴史」には、日露戦争の軍需景気にのって鹿折金山の最盛期には作業員300名と記してありました。同書では他にも、新月鉱山や岩倉鉱山(階上、松岩)などの金山が紹介されています。

12月12日のブログで、熊谷武雄が暮らした新月の廿一(二十一)集落が、明治の中頃まで近郷きってのにぎわいを見せていたと紹介しましたが、この地区も、廿一川での砂金とりや新月鉱山で働く人たちが多かったのでしょう。

大谷だけでなく、気仙沼の金鉱について、もう少し調べてみたくなりました。この話、またあらためて。

なお、大谷鉱山の石碑は高瀬ケ森の同鉱山歴史資料館前に設置とのこと。本日17日に、現地で除幕式が行われるそうです。
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 大谷鉱山 新月鉱山 鹿折金山

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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