「今朝沼」語源説

きのう12月15日の三陸新報に、日曜日14日に行われた〈ば!ば!ば!の場!〉の様子が紹介されていました。この催しについては、12月8日のブログでも紹介しました。

三陸・ばばばの場

2014年12月15日三陸新報記事の一部イメージ

気仙沼の古地図と現在の様子を比べながら内湾地区を巡るこのワークショップ、当初の参加者定員は15名ということでしたが、記事によれば20人が参加したとのこと。一年後輩で気中21回生のSさんは仙台からご夫婦で参加したと聞きました。その気持ち、よくわかる。三陸新報記事の写真で右上に写っているのは、「冷蔵庫発祥の地」の碑。右上に見えるのが〈磯屋水産〉さんでその後ろにちょっと見えるのが渡辺健さんの〈K-port〉でしょう。

記事で紹介された講師山内繁さんの説明のなかに、初めて知る次の話がありました。

〈ワークショップでは、気仙沼という地名の語源として、アイヌ語の「ケセ・モイ(入り江)〉が由来という説や、山城・赤岩城にあった沼の「今朝沼」(けさぬま)からとった説があることなどを説明しながら、町の移り変わりを紹介した〉引用は以上。

記事にある〈山城・赤岩城〉というのは、気仙沼の新月地区にあった山城「赤岩館」のことでしょうか。アイヌ語源や、古文書に記された「計仙麻(けせま)」の地名などについては知っておりましたが、「今朝沼」というのは初めて知りました。諸説あるのでしょうが、これもなんか面白い。

こうしたさまざまな郷土の歴史の魅力にはまるとなかなか抜け出せないかもしれません。講師・案内役の山内繁さんもそんな一人なのでしょう。

私が中学や高校生だった頃、妻の実家に集まっていた模型仲間のひとりが2年先輩の山内さん。(妻は今でも〈ヤマウチクン〉と呼びます/笑)。あれから40年以上経ちます。そんな山内さんから、なんやかやと気仙沼の歴史話を聴くことができた方々がちょっとうらやましい。そして記事は、山内さんのこんな説明も紹介しています。

〈市内には「浦田」「片浜」「浪板」など、かつてその土地が海だったことを示す地名が残っていることも示し、「東日本大震災の津波は、以前には海だった場所に海が帰ってきたとも言える」と語った〉

大きな歴史の観点からするときっとそうなのでしょうね。鹿折にしても南気仙沼地区にしても。郷土の歴史を知ることは面白いだけでなく、その未来を考えるためにもとても大事なことだなとあらためて感じました。

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 山内繁 ば!ば!ば!の場! 今朝沼

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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