田園歌人熊谷武雄

10月6日のブログで、首相夫人安倍昭恵さんが、米国ニューヨークでおこなった講演の内容を紹介しました。

安倍昭恵さん講演
産経ニュースサイトからのイメージ画像

10月6日ブログ「昭恵さんスピーチ」

昭恵さんは、「森は海の恋人」の活動を紹介しながら、その活動名が、熊谷龍子(りゅうこ)さんの歌「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの 愛紡ぎゆく」から名付けられていることを語っています。熊谷龍子さんは、昭和18年生まれで熊谷武雄のお孫さんです。

熊谷武雄は、気仙沼市久保(旧 新月村)の手長山の麓に生まれた歌人です。市の広報誌によれば、手長山の麓には廿一(二十一/にじゅういち)川が流れ、廿一の集落を形成していました。明治の中頃まで近郷きってのにぎわいを見せていたとのこと。

熊谷武雄は生涯をこの地で過ごしながら、前田夕暮(ゆうぐれ)が主宰する「白日社」同人となり、その歌誌「詩歌」に作品を発表します。そして大正4年に第一歌集『野火』を発行し、田園歌人として全国にその名を知られるようになりました。大正10年には、推されて新月村の村会議員にもなりました。昭和11年に54歳で亡くなっています。そして、武雄の孫 熊谷龍子さんは、前田夕暮の長男で「詩歌」を引き継いだ歌人 前田透に師事しています。

畠山重篤さんが代表をつとめていた「牡蠣の森を慕う会」は1994年、朝日新聞社が創設した「朝日森林文化賞」を受賞しました。そして重篤さんは、同年7月25日に受賞者代表として皇居に招かれ天皇皇后両陛下に接見する機会を得るのです。著書『日本〈汽水〉紀行』(文系春秋刊)によれば、その際に、つぎのように述べたといいます。

〈気仙沼地方はとても短歌の盛んな土地柄です。落合直文の生誕の地でもあり、毎年、落合直文全国短歌大会が盛大に開かれております。(中略)「森は海の恋人」というフレーズは、前田透の秘蔵っ子である熊谷龍子の「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」という歌から生まれました。(中略)「森は海の恋人」という宝石のような言葉は、落合直文から連なる百年の系譜のなかから生まれました〉

歌をよくする両陛下は、短歌革新で知られる落合直文はもちろんのこと、〈歌会始〉の選者もつとめた前田透についてもよくご存じのはずです。重篤さんは、上記の話の後、熊谷武雄の歌を紹介するなどしたそうです。その話はまた次の機会に紹介しましょう。

重篤さんは、『日本〈汽水〉紀行』の最終章で、武雄の孫 熊谷龍子さんの歌集について語りながら、つぎのように書いています。

〈熊谷家は気仙沼湾に注ぐ大川支流の二十一川を渡り、樹齢八百年といわれる桂の大木を見下ろす高台にある。祖父は落葉広葉樹の森を愛し、クヌギを植えた。歳月は流れ、いまや樹齢八十年を超える木々となり、四季折々の姿を見せる〉

とても深い印象を残す一節です。各章の冒頭に畠山重篤さんの短歌が記されているこの著書は、短歌のもつ情緒にあふれており、2004年には第52回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しました。

それにしても、〈「森は海の恋人」という宝石のような言葉は、落合直文から連なる百年の系譜のなかから生まれました〉という言葉はとてもいい。私はしびれました。

なお、ネットに廿一出身者による故郷紹介ホームページがありました。こちらも是非ご覧ください。

故郷案内 廿一村

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 廿一 新月 熊谷武雄 熊谷龍子 森は海の恋人

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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