気仙沼TV放送史

昨日のブログで、〈昭和40年代、魚町大通りの静かな夜景〉の写真を紹介しました。しかし本当に昭和40年代の風景だろうか。もっと前ではないかとの疑問が残りました。

11月11日ブログ「魚町の静かな夜景」

写真には〈ゼネラルテレビ〉の看板がふたつ写っています。(ゼネラル/八欧(やおう)電機を知る人も少なくなりましたね。現在の富士通ゼネラル)。気仙沼でのテレビ放送開始の歴史を調べれば、なにかわかるのではないかと思い、気仙沼市史を調べてみました。

市史テレビ
気仙沼市史第5巻 産業編(上)第8章3節「通信」の一部イメージ

以下、市史第5巻 産業編(上)の記述内容を要約します。

気仙沼市内では、昭和31(1956)年3月5日の夜、南町の佐賀無線が調整試験電波受信に初めて成功したそうです。同月15日からNHK仙台テレビが試験電波発信、22日から放送を開始しました。しかし、当時のテレビ受像器は14インチで8万5千円と高価で一般家庭にはあまり普及しませんでした。昭和31年12月には、TBS系列東北放送の気仙沼放送局が九条に開局しています。

そして昭和34年には、4月10日の皇太子と美智子さん(現 天皇皇后両陛下)の結婚パレードをテレビで見ようということで、気仙沼市内でも約400台のテレビが家庭に入ったといいます。(気中20回生が小学校2年生のとき)しかしこの当時は電波状態があまりよくなかったそうです。そのため、長ケ森山(小田注:本吉町との境にある「長の森山/ちょうのもりさん」)に中継塔が建設され、昭和37年9月1日(小5)に中継放送を開始しました。

昭和38年9月(小6)には、仙台テレビ気仙沼中継塔も完成し放送を開始しています。フジテレビ系列の仙台放送ですね。昭和39年の10月(中1)には、NHK、東北放送、仙台放送のカラー放送を気仙沼市内で受信することも可能になりました。東京オリンピックをカラーで見ることができたのです。この昭和39年当時のことを市史ではつぎのように記しています。

「1台20万円するカラーテレビ販売合戦が開始され、特に気仙沼出身の大和田智子がフェンシングに出場するというので人気は上々、全世帯の75%にカラーテレビが普及し、昭和42年にはカラーテレビがほとんど全家庭に普及した」

そして昭和47年3月(私は20歳)には、日本テレビ系列の宮城テレビの気仙沼中継局が完成します。テレビ朝日系列の東日本放送についての記述は市史にありませんでしたが、同社の沿革によれば開局は昭和50年4月です。気仙沼でも同時に視聴可能になったと思います。なお、県内最初の有線テレビ「気仙沼テレビ」(KTB)の開局は昭和58年9月1日のことです。

気仙沼でのテレビ放送の変遷をながめてみると、きのうの写真は昭和30年代のなかばではないでしょうか。昭和39年には既にカラーテレビの販売合戦があったというのですから、40年代の写真であれば〈カラーテレビ〉の文字があっていいはずです。

以上の検討により、当ブログ読者の皆様には、きのうの写真キャプションを〈昭和30年代、魚町大通りの静かな夜景〉に修正ということで、どうぞよろしく。
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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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