鹿折「発見」の日

今回の震災であらためて思ったのは、自分は鹿折地区のことをあまり知らなかったなということ。学区も違うしあまり縁がなかった。なんとなく奥まった感じがあって、津波による被害があれほどのものになろうとは考えてもみませんでした。

実家が魚町坂口の私にとっては、坂を少しのぼって下れば鹿折となるわけですが、小さなころはホテル望洋(昔は旅館の望洋館)あたりが境界で、その先に“越境”することはほとんどありませんでした。

魚町陣山の第二保育所を左にみながら細い坂をのぼっていくと小高い丘に出ます。“べいこくさん”と呼んでいました。草がはえており、ゆるやかな傾斜があるため、ごろごろころがって遊んだものです。

そんな幼いころ、かくれんぼかなにかをしていて、丘の上ぎりぎりにある低木の隙間からのぞいた風景に驚きました。そこには、これまで見たことも聞いたこともない“新世界”が広がっていました。私にとって鹿折を発見した瞬間です。

ホテル望洋の後ろ側にある小さな岩山がべいこくさんですから、私はあの崖のはじっこから鹿折をながめたわけです。その風景はたぶんタンボだったんじゃないのかな。
そのタンボには、小学生のときにイナゴをとりにいったことがあります。母に甘辛く炒ってもらい食べました。おそるおそる食べたイナゴは案外香ばしくておいしかった。

そんな鹿折地区ですが、大きくなってからは、ホーマックに行ったり、ここ10年ほどの帰省時には鹿折唐桑駅を利用したりと、ずいぶん身近になりました。それだけに5月に帰ったときに見た鹿折の風景には言葉もありませんでした。

いま、“べいこくさん” にのぼって鹿折をながめてみても、そこに広がるのはあのときの「新世界」ではなく「別世界」でしょう。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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