昭和6年の鮪大漁

気仙沼の地域情報誌「浜らいん」は2カ月ごとの発刊ですが、その中の連載写真頁〈昭和の気仙沼風情〉は大変なつかしい気仙沼の風景が紹介されており、いつも楽しみしています。7・8月号は魚町の〈ロマンス座〉でした。

本日は最新刊である9・10月号に掲載されていた写真を紹介します。見出しは「大漁! 大マグロを積んだ漁船の入港〈魚町桟橋〉〜昭和6年、魚町に入港した漁船のマグロ水揚げ」。

マグロ水揚げ昭和
「浜らいん」誌2014年9・10月号掲載写真(クリックで拡大)

説明文を引用します。
「昭和6年7月、越中宮古(注:これは陸中宮古の誤植だと思います)、北海道釧路港所属船が三陸沖で大目流網漁をしたところ、大漁の大型マグロが釣れ、気仙沼港に入港、魚町内湾の桟橋に水揚げしたことを記念して撮影された写真。200キロはある本マグロが桟橋に水揚げされている。当時はこんな小さな漁船で北海道や宮古から操業に来ていた。写真左側に見える神明崎にはまだ浮御堂が建設されておらず、右側の柏崎の下にも道路がなかった時代。ちなみに柏崎下の港町臨海道路の前身工事に着手したのが昭和5年頃からで第一次行幸修築計画から3年目の昭和8年に柏崎下の沿岸部に道路ができた。」引用は以上。

南町海岸の旧エースポートのところに気仙沼魚市場が発足したのは昭和10年4月のこと。それまでの取引について、気仙沼市史では次のように述べています。

「今迄の魚の取引場は魚町二丁目の路上で行われたが町青年会が運営し敷地料を徴収した。また各問屋等は海岸に桟橋を出し、漁船が到着するとそこに魚商、水産加工業者が集まって取引するので、同時に20カ所で個人売買をすることもあって無統制であった。」引用は以上。

この写真の提供者は、株式会社臼福本店の会長 臼井賢志さんです。詳しいことはわかりませんが、〈臼福〉さんが問屋として、このマグロの大漁を取り扱ったのでしょう。撮影地点も震災前の〈臼福〉付近のように思います。

この写真は昭和6年7月撮影ですが、昭和4年2月23日に気仙沼は、南町や魚町の約900戸を焼失する大火にみまわれています。当時の写真を見ると、魚町海岸の付近の家屋もそのほとんどが焼失しています。上の写真はその2年5カ月後の撮影となるわけですが、背後の家並みがどのようになっているのか。魚町復興の様子が気になるところです。

「浜らいん」ホームページ
スポンサーサイト

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 浜らいん 昭和の気仙沼風情

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示