三日町の小山鼎浦

昨日の夕方、佐々木徹君(3年1組)から電話がありました。昨日19日のブログに書いた少林寺に向かう道の入口の「テラミチ」についてです。つぎのようなことでした。

〈三日町の「テラミチ」は「寺路」と書き、場所の名ではなくあの入口の小山家の屋号。小山家は小山鼎浦(おやま・ていほ)(本名:東助)の生家です。そして魚町〈カネサ〉斉藤家のお母さんの実家〉

やはりそうだったか。うろおぼえながら、そんな話を聞いてはいたのですが、曖昧すぎるので書きませんでした。私が小さかったころ、少林寺の祭に連れていってくれたのは、私の実家の隣家で一年上だった〈カネサ〉のセイちゃんだったはず。その妹さんが徹君の奥さんとなったキヨコちゃん。そんなことで、徹君がわざわざ電話で教えてくれたのです。そして私と同じく、寺路の団子や通りの提灯などの記憶を話してくれました。

そういえば、このブログで小山鼎浦について書いたことがありませんでした。

東助
小山鼎浦(東助)wikipediaより

鼎浦は、明治12年に気仙沼の三日町で生まれました。東京帝国大学を卒業後、衆議院議員をつとめながら、東京毎日新聞主筆などジャーナリストとして、また教育者としても活躍。大正4年の気仙沼の大火では生家が全焼しましたが、郷里救済のため東奔西走したとのことです。そして大正8年8月25日、39歳で亡くなっています。ずいぶん若かったのですね。遺骨は気仙沼の観音寺に埋葬されました。

松岩の落合直文、大島の水上不二についてはこのブログで紹介する機会があったものの、三日町の小山鼎浦を忘れていてはちょいと困る。また折を見て詳しく。

徹ちゃん、いつもありがとう。また9月、目黒のサンマ祭で会いましょう。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 小山東助 小山鼎浦

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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