気仙沼の落合直文

今日の東京は曇り空。きのうは、気仙沼大島出身の水上不二の話題でしたが、本日は気仙沼松崎片浜出身の歌人・国文学者 落合直文(おちあい・なおぶみ)についてです。

8月5日、読売新聞夕刊の1面には理研の笹井氏死去を伝える記事。52歳。そして、その下のコラム〈よみうり寸評〉の冒頭に気仙沼ゆかりの人の名がありました。

よみうり寸評

読売新聞2014年8月5日夕刊記事一部イメージ

「明治時代の歌人、落合直文が病床で詠んだ歌とされている。〈父君よ今朝はいかにと手をつきて問ふ子を見れば死なれざりけり〉/毎朝、床に手をついて病の具合を聞いてくれる子らを見ていると、死ぬわけにはいかないと思う。〈父君よ〉は、寝たきりの床で、ともすれば気弱になっていく自分への呼びかけだろう。」

この後、北朝鮮による拉致被害者・市川修一さんの父、平さんが脳梗塞のため死去したと文は続きます。99歳だったと。長男の健一さんは枕元で「頑張れ、頑張れ」と呼びかけたそうです。そして、文章はつぎのように結ばれます。

「息子は1978年に拉致され、36年も待ちながら再会できなかった。99歳は「百に「一」足りないから、白寿といわれる。〈死なれざりけり〉の「一」がこの父に訪れてくれたなら…/これほどむなしく見える「寿」を知らない。」


落合直文は、気仙沼市の松岩地区、松崎片浜の〈煙雲館〉が生家。1861年、仙台藩伊達家の重臣鮎貝家の次男として生まれました。長兄の鮎貝盛徳は、気仙沼初代町長をつとめています。

直文は、実弟の鮎貝房之進(槐園/かいえん)とともに、短歌の革新につとめたといいます。「明星」を創刊した与謝野鉄幹はその門弟です。といったことをわかった風に書いてはいるものの、いわば付け焼き刃。小学校の遠足かなにかで煙雲館を訪れたことが1度あるだけで、その後も、気仙沼出身の著名な歌人としてその名を少し知るだけでした。

以前、このブログで直文の「波蘭(ポーランド)懐古」の話を書いたときにも思いましたが、気仙沼出身者として、落合直文や水上不二のことをもう少し詳しく知っておくべきだったなとあらためて感じています。

お盆のせいか、線香の香りがするような話になってしまいました。本日はこれにて。

2012年12月25日ブログ「ポーランド懐古」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 落合直文 煙雲館

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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