懐かしい子供の頃

気仙沼のローカル紙「三陸新報」の〈リレー随想〉は、筆者を指名してつないでいくシリーズ企画で、いわば三陸版〈友達の輪〉。これまで、私たちの同級生も何度か登場しています。7月9日に掲載された912人目の筆者は吉田久子さん。65歳とのことですので、私たちより2〜3歳上となる方です。

リレー随想一部
7月9日付三陸新報の記事イメージ

〈懐かしい子供の頃〉と題された吉田さんの文章は、私が幼かったころの記憶と重なるところも多く、なにか心の奥にしみとおってくるような気がいたしました。一カ月近くも経ってしまいましたが、本日紹介させていただきます。

吉田さんは、〈東日本大震災の津波と火事で跡形もなくなってしまった鹿折の町〉で生まれ育ちました。その後の松岩での暮らしが38年になるそうです。そして、〈年をとったせいか、子供の頃が懐かしく思い出されてなりません〉と、文章をつぎのように続けます。

「 私が子供の頃、家の前の方には大きな川があり、上流から材木が運ばれ、道を通る馬がパカパカと足音を立てて通っていました。浜の方にはアワビの貝殻などが積まれ、周りは白っぽい砂浜みたいでした。川べりにあった小舟で、近所の子供たちと遊んでいて、舟の下になってしまい大声で泣いたこともありました。信金鹿折支店のあたりだったと思います。

母子家庭に育ち、母は魚の行商をして、10歳上の兄と私を育ててくれました。兄が上京してからは、母が朝早く行商に行くため、一人で留守番をしたものです。その頃の私のたった一つの夢は、お母さんになったら「お帰りなさい」と子供に言ってあげることでした。

ご飯をかまどで炊くのは大変だろうと、たき付けの杉の葉を屋根の上に重ねておいたこと、陣山で遊んだときに見た、気仙沼湾の素晴らしい景色と鹿折の町並みは、子供心にも美しいなあと感じたものです。夕方、家々の煙突から煙が見えると、夕飯の支度が始まったから帰ろうと思ったこと、石橋のお地蔵さんのところでノビルを採っておかずにしたこと。サンマの季節になると、道路がでこぼこだったので、トラックがサンマを落として走り、バケツを持って拾ったこと。おやつは、梅干しのつゆをつけたタケノコの葉、スカンポの塩漬け、桑の実を食べて口の辺りを赤くして、すまして帰ったことなど、思い出すと、とても懐かしくなります。

震災後、鹿折の町があったところは、通るたびに変わり、どこに何があったのかさえ分からなくなりましたが、脳裏に浮かぶ思い出は、いつまでも鮮明に残っています。」

そして、6人の子や孫の話などの後、「子供の頃に、いろんな思いをし、大人になってからもいろんな事があったけれど、今が一番いい。これから年を重ねても『今が一番いい』と言って暮らしていけたらなあと思います」と続けています。

〈いろんな事があったけれど、今が一番いい〉。おだやかさの中に万感が込められた言葉だと感じました。

2011年8月2日ブログ「鹿折「発見」の日」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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