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チリ地震津波写真

きのうのブログで、54年前 1960(昭和35)年5月24日のチリ地震津波の被災写真を紹介しました。本日はその続き、『目で見る気仙沼の歴史』(1972年 気仙沼ライオンズクラブ発行)からの3枚です。写真をクリックすると拡大します。

南映

1枚目は、〈港町第二東映(現カンダ用品店)付近〉。〈歩けない病人を背中にオンブして〉とのキャプションが付されています。右側に映画館〈第二東映〉、左後方に〈南映〉の側面がうつっています。

谷村

2枚目は、〈南町気小校登り口(谷村菓子店)付近〉。気仙沼小学校にあがっていく〈紫さん〉の坂を背にして〈男山〉方向を撮影。〈谷村〉の店はうつっていませんが、右端が工場と自宅でしょう。左は〈藤崎〉。

魚市場前

3枚目は、〈旧魚市場前〉。〈右側の海面は埋め立てられ、市営駐車場となった。人の肩あたりまで浸水したので、家々がその部分から下は、黒ずんでいる〉とのキャプション。

津波の被災写真ではあるのですが、54年前の家並みは懐かしい風景に感じられます。この日は火曜日だったようですが、学校が休みになったかどうか。長靴を履いて通学したような気もするのですが、翌日のことだったかもしれません。

魚町にあった私の実家は、坂を少しのぼったところにありましたから、この津波での被害はなにもありませんでした。母は〈この家が津波でやられるようだったら、魚町は全滅だ〉とよく笑いながら話していました。チリ地震津波の51年後にあれほど大きな津波が襲ってくることなど、当時、誰も想像していなかったのです。

6月3日ブログ「チリ地震津波の時」
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 チリ地震津波 目で見る気仙沼の歴史

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No title

小田先輩、いつも気仙沼の懐かしい写真の掲載、有難うございます。
今回は私が幼少から中学時代まで育った実家の魚屋「唐桑屋」が写っていたので感激です。
3枚目の旧魚市場前の写真ですが、ヤンマージーゼルから右に移動して、まるやさん(足利商店)、そして次が唐桑屋でした。家の角には電信柱が建っていて、夜な夜な2階から番頭さんたちがこの電信柱を伝わって飲みに出かけたものだと、成人してから聞かされました。
なおわが実家は後に喫茶店「亜紀」になり、隣のまるやさんはパチンコ店「ダイシン」になりました。

Re: No title

唐桑屋さんがうつっていてなによりでした。あの写真はキャプション内容から市営駐車場前あたりと思っていましたが、むしろレストハウス(旧呼称/笑)前あたりだったのですね。私も、津波もさることながら、あの家並みが懐かしいのです。
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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