チリ地震津波の時

5月25日の三陸新報に、〈静かに黙とう〜南三陸町 チリ地震津波54年〉という見出しの記事がありました。当時、南三陸町志津川では県内最多の41人が犠牲になったとのこと。

チリ地震津波は、1960(昭和35)年5月24日の午前3時前ごろ、三陸地方に襲来しました。私たち気中20回生が小学校3年生のちょうど今頃の季節。最大6メートルの津波で国内での死者行方不明者は142人にのぼったといいます。

ネットで調べたところ、つぎの写真がありました。いずれも気仙沼市魚町海岸の被災風景。気仙沼市が平成22年度防災教育支援事業の一環として作成したウェブサイト〈津波フィールドミュージアム〉に掲載されていた20枚中の2枚です。

チリ津波左 チリ右
「津波フィールドミュージアム」掲載写真(クリックで拡大します)

気仙沼「津波フィールドミュージアム」

左の写真は、引き波状態のときでしょうか。懐かしい家屋が並んでいます。左端が〈臼福〉さん。右の写真は逆方向からの撮影。右端が〈斉富商店〉さん。

津波がまだ道路上にあがっていた朝方、一年下の〈鼈甲屋のタカオちゃん〉こと昆野隆男君が、この斉富さんの前でジャブジャブと海の方に歩いていったあげく、ストンと海にはまってしまいました。道路と海の境がわからないのが面白かったのでしょう。禁じられた遊び(笑)。すぐ近所の人に助けてもらいましたが、あぶないところでした。

そんなことをいま懐かしく思い出すように、気仙沼のチリ地震津波の被害は東日本大震災の大津波にくらべれば、さほどのものではなかったとの記憶。しかし、『目で見る気仙沼の歴史』(気仙沼ライオンズクラブ発行)には、当時の気仙沼市内の死者は2名、5億1千万円の損害と記しています。

〈3.11〉は決して忘れないだろうと思うのですが、〈5.24〉はすっかり忘れておりました。あれから54年が経ちました。東日本大震災から54年後の2065年3月11日、その時代の人々はどのようにあの日をふりかえるのでしょうか。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 チリ地震津波 津波フィールドミュージアム

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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