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懐かしの完全給食

23日のブログで、気仙沼小学校1年生のときの給食風景を紹介しました。当時のことを気小6学年下の妻と話していて笑われたのが〈完全給食〉という言葉。なにそれ?

〈完全給食〉とは、ご飯かパンにミルクとおかずがついたもの。私の記憶では、小学6年生のときにちょっとだけこの〈完全給食〉を体験したのです。

この機会にと調べてみたら、手元の気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』(1978年2月発行)に関係する記述がありました。

30年のあゆみ
気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』表紙

当時の気仙沼市では、気小九条分校の独立による学校建設の費用など、市の予算による完全給食化は難しい状況だったそうです。そこでPTAが寄付などによって300〜400万円の費用を捻出し、気小創立90周年記念事業として〈完全給食〉が実施されたのです。1963(昭和38)年12月のことです。

〈PTA便り〉の記事が紹介されているページがあるのですが、その中に〈完全給食開始 見事実を結ぶ!〉という記事がありました。引用します。

「待望の完全給食は、遂に12月9日よりその輝かしい歴史の第一歩を力強くふみ出しました。今、七名の従業員達は毎日毎日、休む暇もなく快調に燃え続ける重油バーナーの騒音と、七個の平釜、二つのミルク二重釜よりたち昇る、もうもうたる油煙との中で、時間までには味のよい飲みよいミルクを、毎日の献立表に基づく栄養充分な副食を、間違いなく配膳しようと懸命に活動しています」(昭和38年12月・第55号)

なんかすごいよね。まるで製鉄所の開業を伝える戦前の新聞記事みたい。

そして〈三十年のあゆみ〉という年表の昭和38年度の〈主なできごと〉にも、〈9月13日/給食室上棟式、12月9日/完全給食を開始〉との記述がありました。当時のPTA会長は昆野良正さん。牧恵さん(3年11組)のお父さんですね。

最後に、私の〈完全給食〉開始のときの記憶を記しておきます。気小6年生の冬のとき、給食トレーにのっかった金色か銀色のホイルに包まれたバター(かマーガリン)に私は、なんていったらいいんだろう、〈近代的〉というか〈アメリカ〉を感じたのです。その話を気小入学時から給食が〈完全〉だった妻にしたら、また笑われました(笑)。

5月23日ブログ「1958年給食風景」
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Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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