FC2ブログ

小々汐仁屋の記憶

きのうの昼、事務所のポストに川島秀一さんからの郵送物が。さっそく開封すると、冊子『小々汐仁屋の年中行事』が入っていました。

小々汐仁屋
『小々汐仁屋の年中行事』(B5判・全56頁)

川島秀一さんは気仙沼市魚町出身で、私たちの1学年下 気中21回生。昨年4月からは東北大学災害科学国際研究所の教授として活動しています。そしてこの冊子は、東北芸術工科大学東北文化研究センターが文部科学省の助成を受けた研究プロジェクトの一環として発行されたもの。川島さんは、このプロジェクトに平成24年度から共同研究員としてかかわっています。プロジェクト名は「環境動態を視点とした地域社会と集落形成に関する総合的研究」(平成24~28)。

私は先日の三陸新報でこの冊子のことを知り、東北芸術工科大学に送付を依頼したばかりでした。それだけに川島さんから届いたこの〈プレゼント〉には本当に驚きました。

気仙沼市小々汐(こごしお)は、商港岸壁の対岸にあたるところ。藩政時代より続く漁村地区でした。そして〈仁屋(にんや)〉尾形家はこの地区の旧家です。川島さんは、1983年にはじめて「仁屋のおじいさん」尾形栄七翁に会って以来、およそ10年にわたり仁屋に通い続けます。冊子には、そのときに撮影した写真が解説付きで56頁にわたって紹介されています。

正月から12月までの小々汐そして尾形家の年中行事の内容も大変興味深いものですが、秀一さんのあとがきにも感ずるものがありました。少し長くなりますが、引用します。

(前略)「その仁屋があった小々汐という集落は、2011年3月11日の東日本大震災による大津波で、ほとんどが失われた。私が仁屋に通い続けていたころ、この行事は代が変わっても、永遠に続いていくだろうと誤解をしていた。

 栄七翁は、1997年の2月に他界した。2005年の9月には、孫の交功君が第18漁栄丸から突風に煽られて海に飛ばされ、甲板にいた父親の賢治さんの目の前で海に沈んでしまい行方不明になった。翌月、おばあさんの、はる子さんが後を追うように亡くなった。そして、震災による津波は、賢治さんを漁栄丸ともども呑み込んだ。翌年、夫を亡くしたサダ子さんも病気で他界された。仁屋は少なくとも漁業という生業は継承できなくなっている。小々汐は少しずつ養殖などが復活しているが、漁船を用いた漁業は難しい状況である。

 私は、どんなにあの時代を懐かしみ、それらを壊滅させた津波に対して悔しい思いをしたとしても、大きな自然の営みのなかでは無力であることを知った。それでも、私の家の外に置いてあったために残った写真と、複写されたフィールド・ノートから、かろうじて粗々でも、当時の仁屋の年中行事を確かなものに定めておきたいと願わずにはいられなかった。もしかしたら私は、この永遠に消えてしまった事柄を残すために、ただただ通っていたのではないかとさえ思うことがある。」(後略)

引用は以上です。
このあとがきを読んで、時の移ろいによる小々汐地区そして尾形家の暮らしの変遷と、大津波によって流出した川島秀一さんの研究資料のイメージが重なりあいました。失われたものの大きさをあらためて感じたのです。


なお、本日確認したところ、配布用冊子の残部があるようです。ご興味がある方は、下記までお問い合わせください。無料ですが、郵送料分の切手負担となります。

東北芸術工科大学 東北文化研究センター
FAX (023)627-2155 TEL (023)627-2168
スポンサーサイト

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 川島秀一 小々汐仁屋の年中行事 東北文化研究センター

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示