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昭和27年の内湾

今朝の気仙沼は昨日からの積雪の影響で、広範囲での停電や断水が起きたり、唐桑トンネル付近の倒木による国道45号線の通行止めや規制などがなされていたようです。早く復旧してくれるとよいのですが。心配しています。

さて、1月28日のブログで、地域情報誌「浜らいん」の「昭和の気仙沼風情」カレンダーを紹介しました。その中の、内湾の写真について〈私たちが生まれた昭和26、27年ごろかもしれませんね〉と書いたのですが、やはり昭和27(1952)年の写真だったようです。昭和52年発行の『けせんぬま写真帖』(編集・発行:気仙沼商工会議所)に同じ写真が掲載されており、そこに〈昭和27年〉と記されていたのです。

昭和27年内湾
『けせんぬま写真帖』p47掲載写真(クリックで拡大)

この撮影年の記載が下の写真だけなのか、上も含んだものなのかは微妙なのですが、この見開き頁に掲載されている魚市場がまだない頃の写真に昭和10年という記載があることから考えて、どちらも昭和27年撮影と考えるのが自然でしょう。私の生まれた年。

下の写真は、柏崎から撮ったものでしょうね。旧魚市場前の建物にはまさに昭和の風情を感じさせるものがあります。右端には〈男山〉の建物も見えています。

上の写真について、説明文には〈通称“ハモニカ長屋”が見える。これは昭和4年の大火のあとできたものだ〉と記されています。1月のブログでは、ここに平塚一信君(3年1組)や斎藤恒四郎君(6組)の家もあったと記しましたが、その後に、菅谷茂広君(9組)の家もあったと教えてもらいました。菅谷君は、冠婚葬祭会社のアーバンに勤めていたものの早くに亡くなったとのこと。知らずにおり失礼いたしました。

しかし、こうして写真を見ると、旧魚市場はさほどの大きさではありませんね。それだけに、この写真撮影の4年後昭和31(1956)年に新しい魚市場が現在地にできた時、〈東洋一〉とその規模を誇った漁業関係者の気持ちがよくわかります。

漁業や水産加工業の発展によって変貌していった気仙沼の内湾風景。今後は防潮堤をはじめとする新しいまちづくり計画によって、大きく変わることになります。その新たな風景が、気仙沼の多くの人が誇れるようなものであって欲しいと願っています。

1月28日ブログ「昭和の気仙沼風情」
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 昭和の気仙沼風情 昭和の気仙沼風情

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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