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気仙沼直実会設立

埼玉県熊谷(くまがや)市民による気仙沼市への支援交流事業「花の嫁入り」植樹祭が、3月14日に気仙沼市の古谷館(こやだて)八幡神社でおこなわれました。3月16日の三陸新報によれば、東日本大震災からの早期復興などを願って続いた交流は、10回の節目となる今回で最後となり、これまでに届けられた早咲きの八重桜「熊谷桜」は千本となったそうです。

植樹祭当日3月14日に菅原市長がつぎのように投稿していました。


市長投稿にもあるように、源氏の武将として知られる熊谷直実(なおざね)の孫である熊谷直宗(なおむね)と気仙沼との縁は800年前にさかのぼります。直宗は、貞応2(1223)年、現在の気仙沼市松川地区に赤岩館(赤岩城)を築き、気仙沼熊谷氏(気仙沼熊谷党)の始祖となりました。

◎気仙沼直実会

こうした縁のある気仙沼市と埼玉県熊谷市の市民交流促進を目的とした「気仙沼直実会」が3月23日に設立されました。3月24日の三陸新報がつぎのように伝えています。


3:24直実会設立
三陸新報3月24日記事の一部イメージ


記事によれば、古谷館コミュニティーセンターで開かれた設立総会には有志ら約40人が出席し、発起人を代表して、「赤岩城・月館・中館整備保存会」の熊谷博児会長が「関係者の理解と協力のおかげで設立にこぎつけた。気仙沼と熊谷の縁を末永く大切にしよう」とあいさつしたそうです。その後の役員選出では会長に上記の熊谷博児さんが選出されました。

◎熊谷直実と気仙沼

熊谷直実や直宗と気仙沼との関係については、これまでも埼玉県熊谷市の皆さんとの交流活動や新聞記事などを通じてある程度は知っておりました。しかし、あくまでも概略です。この機会に簡単にまとめておくことにしました。

なお、この内容は後述する古谷館八幡神社のサイトやネット上の情報をやりくりしたものですので、いろいろと不足があると思います。あくまで私自身の覚書として。

熊谷直実(なおざね)は平安末期から鎌倉時代初期に武蔵国熊谷郷(現・熊谷市)で活躍した武将です。源頼朝の御家人となり、頼朝から「日ノ本一の剛の者」と讃えられたといいます。ひのもといち、つまり日本一の剛の者。源平合戦のひとつ「一ノ谷の戦い」では源義経による奇襲作戦「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」にも参加しています。

気仙沼との縁は、熊谷直実の長男である熊谷直家(なおいえ)が、奥州合戦の戦功により陸奥国の本吉郡・桃生郡内の数ヶ村を領地として与えられたことに始まります。その領地のひとつが気仙沼です。しかし、直家は当地に下ることなく芸州(広島県)豊田郡におもむきます。

その奥州の所領を相続したのが直家の三男である直宗でした。1221年の承久の乱の後1223年(貞応2年)、気仙沼に赤岩館(赤岩城)を築き、気仙沼熊谷氏(気仙沼熊谷党)の始祖となりました。

その後、葛西氏との争いが続きましたが、6代の熊谷直政の時代に降伏し、一族の多くは葛西氏の臣下となったそうです。

その葛西氏も17代にあたる葛西晴信のときに豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったことをとがめられての「奥州仕置」により改易となり、晴信の死去によって大名としての葛西氏は滅亡することになります。これにより家臣である熊谷一族の城館も落城したとのことです。

古谷館八幡神社サイト
・気仙沼熊谷党と八幡神社

◎古谷館八幡神社

気仙沼市の松岩地区/松崎にある古谷館八幡神社と熊谷氏とに縁については多くの人がご存じのことと思います。

古谷館八幡神社は同神社サイトの由緒によれば、平安末期の永承6(1051)年に源頼義が前九年の役に望み戦勝祈願のために勧請創建したことに始まるそうです。その後、熊谷直宗を祖とする気仙沼熊谷の枝族、松崎城古谷館熊谷の氏神になりました。これによって後に「古谷館八幡」と称されるようになったとのこと。

上述したように気仙沼熊谷は主家の葛西氏と共に滅亡し、松崎城古谷館も落城しますが、八幡神社は同じ葛西家臣である最知の末永館の八幡様を合祀して残りました。

そして江戸時代には、伊達家御一家筆頭鮎貝越中守宗讀が松崎村に所替えになり、八幡神社は延宝7(1679)年に鮎貝家祈願所、同家家中は大照院(八幡神社別当)の祈願檀家となります。

源氏から熊谷氏、その後は伊達家/鮎貝家の崇敬を受けてきたということでしょう。

なお、気仙沼熊谷氏が築城したのが「小屋館城」です。ネット上の写真などを見ると、古谷館八幡神社の境内入口には「小屋館城跡」(こやだてじょうあと)の表示が見てとれます。つまり、「松崎城古谷館」が「小屋館城」だと思うのですが、古谷館/小屋館の表記の違いがどこからきているのかよくわかりません。というかちょっとややこしい。

こうした細かなことも含め、気仙沼の歴史と気仙沼熊谷氏との関係が「気仙沼直実会」設立によって、さらに周知されていくことでしょう。楽しみにしております。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 熊谷直実熊谷直宗古谷館八幡神社

広川泰士 写真展

写真家広川泰士(ひろかわ・たいし)さんの写真展が、本日4月18日から21日まで気仙沼中央公民館で開催されます。

広川さんは、講談社出版文化賞やニューヨークADC賞をはじめとする多数の受賞歴をもつ著名な写真家。2011年からは東京工芸大学芸術学部写真学科教授、2015年からは同大学院の教授をつとめています。

その広川さんが、東日本大震災後に気仙沼を訪れて流出写真の洗浄ボランティアをおこなったり、家族写真を撮ったりしていると知ったときには本当におどろきました。つぎのブログでもそのことを紹介しております。

2023年5月11日ブログ 写真家「広川泰士」

気仙沼市公式LINEから同展覧会のチラシを紹介します。


広川泰士写真展


このチラシにある防潮堤の写真は、2023年4月に気仙沼市で撮影されたものとのことです。これを見て広川さんの写真集「BABEL」(2015年 赤々舎)の表紙や写真群を連想する方もいるでしょう。「BABEL」には、2014年に撮影された気仙沼の防潮堤の写真も収録されていました。

展覧会のチラシから紹介文を引用します。

〈写真家広川泰士氏が、東日本大震災後、気仙沼などの被災地を12年に渡り「定点記録」してきた風景の変遷や、無償で開催を続けてきた家族写真撮影会の家族のポートレートを展示します。また、広川泰士氏による無償の家族写真撮影会を実施します。〉

写真展と家族写真撮影会の開催内容はつぎのとおり。

◎広川泰士写真展
2023-2011あれから

4月18日(木)〜4月21日(日)
9:00〜17:00
気仙沼中央公民館 体育館

◎家族写真撮影会

4月21日(日)
気仙沼中央公民館 スタジオ2-1・2-2にて
午前の部10:00〜12:00
午後の部13:30〜16:30
参加費無料・予約不要
気仙沼市または近隣在住の方50組程度 対象
写真家広川泰士氏がご家族または個人の写真を撮影
写真は後日郵送

主催:気仙沼ファミリーフォトプロジェクト・気仙沼中央公民館(共催)
問い合わせ先:
気仙沼中央公民館0226-22-6760

◎2023年の展覧会

今回はじめて知ったのですが、この「広川泰士写真展2023-2011あれから」は、昨年2023年9月22日から10月12日まで、東京・六本木の富士フイルムフォトサロンで開催されていました。知っていれば訪れていたでしょうし、お知らせもしたのですが。残念。

2023年展覧会案内公式サイト

この2023年写真展の案内文の一部を以下に引用します。

〈本展は、2011年から現在まで、東日本大震災の被災各地の風景とそこに暮らす家族のポートレートという2本の軸で続けている広川氏の定点観測を初めて展示します。2011年の東日本大震災発生時、想像を絶する津波の被害の様子を知り、「何ができるかを考えていたが、気づくと体が動いていた」広川氏は、目的地も決めぬまま支援物資を積んだ車を北へと走らせていました。まだ水の引かない被災地には、水の中に浮かぶアルバムや写真、かつて家があった場所で家族の写真を探す多くの人たちの姿があり、広川氏の記憶に深く刻まれることになります。2011年10月地元での縁がつながり気仙沼市役所の一角で、撮影を希望する被災した家族の撮影会を無償で開催。以来、新型コロナウイルスの感染拡大で自粛を余儀なくされた期間を除き、現在に至るまで毎年、撮影会を継続しています。〉(引用は以上)

紹介文のなかには、〈8×10インチサイズのネガカラーフィルムで「定点記録」〉ともありました。8×10(エイトバイテン)のフィルムサイズは約20×25cm。いわゆる35mmフィルムと比べて、面積で60倍ちかくもあります。この大型カメラで気仙沼をはじめとする被災地を撮影したのですね。

話を気仙沼での写真展に戻します。

写真展はもちろんのことですが、4月21日(日)の写真撮影会にもどうぞおでかけください。家族だけでなく個人でも構わないとのことです。気中20回生も是非に。72歳あるいは73歳の定点記録 by 広川泰士さんということでいかがでしょう。


最後になりましたが、広川泰士さんに御礼を。震災から現在にいたるまでの長期の御支援、本当にありがとうございます。広川さんと気仙沼のこうしたご縁を本当にありがたく感じております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 広川泰士

運転免許証の更新

昨年に警視庁から運転免許証更新のお知らせが届きました。その内容を見てはじめて知ったのですが、70歳から74歳の高齢者は更新手続前に自動車教習所などで実車講習を含む高齢者講習を受ける必要があるとのこと。

更新


年があけてから教習所にネット予約をしたのですが、結構混んでいて空いているのが2カ月後。その予約日が先週だったので行ってきました。二子玉川のドライビングスクールです。

◎高齢者講習

講習内容は警視庁サイトでは座学・運転適性検査が60分、実車が60分とのこと。私は7〜8年前に自動車を廃車にしてから車を運転していません。久しぶりの乗車は少し不安があるもののちょっと楽しみでもありました。

しかし、がっかり。実車体験は10分程度だったのです。8人に対して2人の指導員が順番に対応するので待ち時間が結構あるのです。
実感としては実車が10分、座学が20分、視力や視野の3種検査が5分。あとは待ち時間という感じでした。その費用が8000円。勘を取り戻すためにもう少し運転したかった。

◎免許証更新

一昨日は免許証更新手続きのために三軒茶屋近くの世田谷警察署に。3年前とはかなり違っていました。書類記入ではなくディスプレイ上での処理をおえて2500円の料金支払い、視力検査、写真撮影をほとんど待つことなくおこなえました。10分ぐらいかな。ビデオを見たり話を聞く講習は、すでに高齢者講習をおえているので必要ありません。

3年前には講習会の開始を待つ時間や講習そのものの退屈な内容に飽き飽きしたものですが、今回は実にシンプルに終わることができました。

なお、東京都/警視庁管内において、非高齢者で講習を受ける人については本年2月1日から完全予約制となっています。ご注意ください。自治体によっては、オンライン講習をおこなっているところもあるようですね。

◎75歳以上は認知機能検査も

つぎの免許証更新は3年後。そのとき私は75歳です。今回受けた高齢者講習に加えて「認知機能検査」を受ける必要があるそうです。

還暦祝いなどと言っていたのはつい先日のことのようにも思うのですが、いつのまにか古稀もすぎ、「認知機能検査」の文字が視野に入ってくる年齢となりました。

というか、3年後には認知機能検査を受けることなく、免許証返納なども選択肢のひとつになっているかもしれませんね。

新しい運転免許証をながめながらそんなことを思う昼下がりです。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 運転免許

66年前の日食騒ぎ

先週の月曜日4月8日、北米地域で観測された皆既日食はまさに大騒ぎになっていましたね。まずは国立天文台の4月8日投稿から。2007年3月29日の皆既日食映像ですが、日食の現象がわかりやすく示されています。




今回の皆既日食に関するニュースを見ていて、小学生のときに気仙沼で日食を見たことを思い出しました。あれはいつのことだったのか。

調べてみると1958年4月19日だったようです。東京都八丈島では、太陽の縁が金冠のように輝く「金環食」が観測されていますが、気仙沼では「部分食」でした。

気仙沼での日食データは見つかりませんでしたが、仙台ではお昼前11:37に始まり14:57に終了。最大の欠け(食分)は13:22時点での0.82です。直径の8割程度が欠けたわけですから結構な日食だったことでしょう。

私は気仙沼小学校に入学したての1年生です。もう少し年上だったような記憶があるのですが、6歳になったばかり。ひとつ上の鼈甲屋のフジオちゃんとかカネサのセイちゃんらと、ガラスのかけらをろうそくの炎であぶって観測用のフィルターを準備しました。この観測方法はいまでは危険とされていますね。

日食当日の記憶としては、気仙沼小学校の校庭が徐々に暗くなってきて、一番暗くなったときには濃いオレンジ色のような感じになりました。昼間なのに夕焼けみたいな。とても不思議な感じ。なんか、手をひろげて走り回った記憶もあるのです。実に幼い(笑)。

この日食の日、小学校の授業はどうだったのだろうと思い、この日の曜日を調べてみると土曜日です。日食は午前11時半ごろに始まっていますから、授業をほぼ終えてみんなで校庭に出たのでしょうね。担任は髙宮冨士子先生でした。

以上、66年前1958年4月19日に気小校庭でみた日食の思い出話です。
 

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tag : 日食

「もったいない」施設

本日も三陸新報1面コラム「萬有流転」の記事についてです。4月13日(金)の萬有流転は、3月31日の三陸新報「記者席」記事についてでした。その「記者席」では、気仙沼魚市場「水産情報発信施設」のことが記されていたのです。「萬有流転」筆者は、それをきっかけに足を運んでみたとのこと。


4:13萬有流転

三陸新報4月13日記事の一部イメージ


この萬有流転を目にしたとき、私は〈先をこされてしまったな〉と思いました。というのも、3月31日の「記者席」を読んでおもしろいと思い、すでに「もったいない施設」と題してのブログ記事を準備していたからです。今から修正するのもややこしいので、本日そのまま紹介することにしました。


◎「記者席」3月31日の記事について

三陸新報コラム「記者席」3月31日の記事を紹介します。気仙沼魚市場2階の「水産情報発信施設」について。「せっかくの施設なのにもったいない」と。

3:31記者席

三陸新報3月31日記事より


この日の「記者席」筆者は、〈記者になってまだ1カ月足らず〉の(菊)さんです。気仙沼で20年以上暮らしているそうですが、こんな施設があることを記者になるまで知らなかったとのこと。

記事にも記してありますが、この気仙沼魚市場「水産情報発信施設」は、東日本大震災の復興交付金を活用して約1億円を投じて整備され、2019年4月にプレオープンしています。

2022年9月26日のブログで、プレオープン後の経過について紹介していますので、以下に再掲します。


2022年9月26日ブログ再掲

今も「プレオープン」

気仙沼魚市場内に2019年に整備された気仙沼市水産情報等発信施設が今もプレオープンの状態だとのこと。(2022年)9月13日の三陸新報が伝えています。


魚市場施設愛称

三陸新報2022年9月13日記事の一部イメージ


記事によれば、この施設は東日本大震災の復興交付金を活用して約1億円を投じて新魚市場2階に整備されました。

市は2019年4月のプレオープン後、2020年度に愛称を決めてグランドオープンさせる計画だったそうですが、新型コロナの関係で計画の先送りを余儀なくされたとのこと。

愛称公募は2021年6月から7月にかけておこなわれ、185点の案が寄せられたそうです。市としては同年8月のみなとまつりに合わせて選定し、セレモニーを開いて発表する予定でしたが祭りが中止。そして同年11月の産業まつりも中止。

そんなことで2022年度となりました。気仙沼市水産課としては〈感染症の動向を見極めながら発表の在り方を再度検討して、慎重に判断していきたい〉と理解をもとめているそうです。

私は市の担当者というか関係者に同情しますね。今となってみればああすればよかった、こうすればよかったということがあるかもしれません。しかし、新型コロナの感染状況の変化がよめないなかで、人をあつめるセレモニーの計画をたてるのはなかなか難しい。

私がよくわからなかったのは、いまこの施設は〈プレ〉かどうかは別としてオープンしているのかどうかということ。記事のなかに〈一時閉鎖〉とあったのは一時的なことだったとは思うのですが。

気仙沼市魚市場公式サイトの「水産情報等発信施設」を見ると、なかなかに充実した内容です。パンフレットもPDFで見ることができます。

いろいろと大変でしょうが、新型コロナが少し落ちつきをみせてきた今、この魚市場の施設愛称が決まりグランドオープンできる日が早くくるようにと願っております。

なお、2020年8月にも三陸新報が「いまだプレオープン」という見出しでの記事を掲載していました。つぎのブログで紹介しております。

2020年8月25日ブログ「水産情報発信施設」

 
再掲内容は以上です。

この施設に関する気仙沼市の担当は産業部水産課であるようです。しかし、同課は必ずしもPRなどコミュニケーション計画に慣れた部署とはいいがたいでしょう。

ここはひとつ、水産情報等発信施設を観光施設として捉え直し、産業部観光課や気仙沼市観光協会などの協力を得て、その活用策を検討してみてはいかがでしょうか。2022年4月には、気仙沼の公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」でも体験&見学おすすめスポットとして紹介されてはいるのですが、その後がなかなか続かないようです。この記事は2020年12月15日ブログ「気分は漁師!体験」でも紹介しました。

以前であれば、気仙沼ビジネスサポートセンター(気仙沼ビズ)に相談してみてはいかがと書いたかもしれませんが、2023年4月以降はセンター長常駐体制ではなくなっています。こっちはこっちで活性化が課題になっているのかもしれません。

東日本大震災の復興交付金を活用し約1億円を投じて整備された水産情報等発信施設。私も「せっかくの施設なのにもったいない」と思います。

三陸新報さんには、「記者席」での「菊」さんの発信にとどめず、同施設の現状と課題についての続報記事掲載をお願いしたく。どうぞよろしくお願いいたします。
 

以上が、当初準備していたブログ内容です。三陸新報さんに続報記事をどうぞよろしくと記していたわけですが、ブログ掲載よりも先に続報的な「萬有流転」が4月13日掲載されたというわけです。


13日の萬有流転を読んで私が驚いたのは、筆者が〈知人から何度か、「見る価値がある」と話されながら、足を運ばずにいた〉と記していたことです。

筆者がいうところの〈新米記者〉の記事をきっかけにして、「水産情報等発信施設」のPRが促進されるとことになればなによりのことです。そしてもし可能であれば、三陸新報さんには、同施設の市民への周知に役立つ〈先輩記者〉による記事の掲載もお願いできればと。どうぞよろしく。
 

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tag : 水産情報等発信施設気仙沼魚市場

光太郎の「気仙沼」

4月2日の三陸新報1面コラム「萬有流転」は、高村光太郎「道程」の冒頭部引用で始まりました。「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」。この日4月2日は、高村光太郎の命日で、「連翹(れんぎょう)忌」と呼ばれているそうです。


4:2萬有流転
三陸新報4月2日記事の一部イメージ


「萬有流転」筆者は、文中で〈気仙沼とも縁のある光太郎〉とし、つぎのように続けています。

〈1931(昭和6)年8月、2年前の大火からの復興途上だった気仙沼の姿を目にし、「驚き」と表現している▼短編作品の中で、近代的な街並みはまるで東京のようだ——とし、シネマや銀座まがいのカフェにも感動したことを記す。〉

これを読んで、あれっと思いました。光太郎が気仙沼について記したこの文章は以前に読んだことがあるのですが、私の印象はちょっと違ったものだったからです。〈驚き〉があったことは事実でしょうが、それは〈感動〉などではなく〈落胆〉ではなかったかと。


◎高村光太郎『三陸廻り』

光太郎の「気仙沼」と題する文章は、当時の日刊紙「時事新報」に10回にわたって掲載された随筆の一篇です。光太郎は、時事新報社からの依頼で、石巻〜金華山〜気仙沼〜釜石〜宮古を約1カ月かけて旅行し、「三陸廻り」と題する紀行文を執筆したそうです。「三陸廻り」は「さんりくめぐり」と読むのではないかと。

光太郎は、女川から船で気仙沼に向かいます。午後七時半に入港。その様子をつぎのように記しています。

「船から見た気仙沼町の花やかな灯火に驚き、上陸して更にその遺憾なく近代的なお為着せを着てゐる街の東京ぶりに驚く。」

〈近代的なお為着せ(おしきせ)を着ている街の東京ぶり〉に光太郎は驚いたわけですが、それは期待を裏切られた驚きでした。〈気仙沼に来ればもうそろそろ、(中略)私等の細胞の中にしか今は無いやうな何かしらがまだ生きてゐるかも知れないなどと思つてゐた〉というのです。

(柳田國男先生の「雪国の春」という書物をかねて愛読していた)光太郎は、気仙沼に、なにか〈おしきせ〉ではない、近代化の波に洗われていないなにかがあるのではないかという期待をいだいていたのでしょう。しかし実際に来てみれば、それは粗忽千万な期待だったと。

私がこのブログ冒頭で、光太郎の気持ちを〈落胆〉ではなかったかと書いたのは以上のようなことからでした。


◎高村光太郎『気仙沼』原文抜粋


高村光太郎の『気仙沼』原文は、インターネット上の電子図書館「青空文庫」でも読むことができます。約1500字です。

青空文庫:高村光太郎『気仙沼』

高村光太郎が気仙沼を訪れたのは、昭和4(1929)年2月23日「昭和の気仙沼大火」から2年半を経過した昭和6年8月のことです。この紀行文「気仙沼」の後半には、大火後の気仙沼の復興の姿が記されています。とても興味深い内容ですので、上に紹介した〈柳田國男先生の「雪国の春」〜〉以降の原文を引用します。

(前略)
 柳田國男先生の「雪国の春」といふ書物をかねて愛読してゐた私は粗忽千万にも気仙沼あたりに来ればもうそろそろ「金のベココ」式な遠い日本の、私等の細胞の中にしか今は無いやうな何かしらがまだ生きてゐるかも知れないなどと思つてゐた。気仙沼には近年大火があつたといふ。大火はほんとに業をする。
 翌日は朝からがんがん暑い此新時代の町を歩き廻る。社会施設の神経がひどく目につく。さういふ事に余程熱心な自治体らしい。古刹観音寺にゆけば婦人会の隣保事業があり、少林寺の焼あとにゆけば託児所で子供が鳩ぽつぽを踊つて居り、天満宮の山に登れば山上に公衆用水道栓があり、海の見晴らしにゆけば日本百景当選の巨大な花崗石の記念碑があり、あらゆる道路に街灯が並び、大きな新築の警察署があり、宏壮な小学校にはテニスの競技があり、学術講演会があり、一景嶋近辺へゆけば塩田何々町歩を耕地に整理して水田の何々町歩を得たといふ立札が立つて居り、夜になれば鼎座に浪華節(なにはぶし)があり、シネマがあり、公娼が居なくて御蒲焼があり、銀座裏まがひのカフエ街には尖端カフエ世界、銀の星、丸善がある。
 私は忽ち海が恋しくなつて其夜十時、遂に気仙沼の新調の洋服を見ただけで、釜石行の船に乗る。(引用は以上)


文章の結び、〈私はたちまち海が恋しくなって〉〈ついに気仙沼の新調の洋服を見ただけで、釜石行の船に乗る〉というのも痛烈ですね。

高村光太郎にとって当時の気仙沼の姿は、近代的なおしきせで決して身の丈にあっていない〈新調の洋服〉のように見えたかもしれませんが、私には大火後2年半での復興の様子に光太郎とは別の〈驚き〉も感じます。ちょっと長くなってしまいましたが、そのことをお伝えできればと。

2014年9月15日ブログ「昭和の気仙沼大火」

 

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tag : 高村光太郎

ふるさと納税95億

気仙沼市に寄せられたふるさと納税の寄付金額が昨年度(2023年度)1年間で94億8600万円となり、過去最高額を更新したそうです。

4月9日には、仙台放送がニュースを配信していました。


そして4月10日の三陸新報は1面トップでこれを。


ふるさと納税
三陸新報4月10日記事の一部イメージ


記事によれば、昨年度の寄付件数は約67万件で前年度の2.3倍、寄付額は約94億8600万円で1.9倍に増加したそうです。

2023年度の寄付額が90億円に達する見通しと三陸新報が報じたのは2カ月前2月6日のことでした。当初の目標額は70億円でしたが、昨年12月にはその目標額に間もなく達するとのことでした。そして年があけ本年1月には86億円を突破、2月には目標も90億円に上方修正されたのです。

三陸新報の記事には次のグラフが掲載されていました。最近3年間の寄付金額の上昇ぶりには驚かされます。

グラフ

このグラフでは、2014年から2017年までの推移が省略されていますので、参考まで2023年1月16日の三陸新報記事に掲載されていたグラフを紹介します。

グラフ

三陸新報2023年1月16日記事より


2019年度あたりまでは微増傾向という感じですね。

◎2016年度目標は1億8千万円でした

このブログでふるさと納税のことをはじめて紹介したのは2016年10月10日のことです。気仙沼市はふるさと納税の内容をリニューアルし、2016年度の寄付金目標額を1億8千万円(1万2千件)と設定しました。そして規模拡大に対応するため、業務をJTB西日本に委託したのです。それまでは市の職員だけで対応していたとのこと。

2016年10月10日ブログ「新・ふるさと納税」

◎ふるさと納税寄付金の使途

ふるさと納税寄付金約95億円全部が市の収入になるわけではありません。約半分が市の収入となり、「ふるさと応援基金」に積み立てられることになります。三陸新報記事ではつぎのように説明しています。〈ふるさと納税は、寄付額の3割以下の返礼品を受け取れるほか、2千円を超える部分が税額控除される制度。自治体には返礼品代と経費を除いた全体の半分が収入として入る〉。

ふるさと納税の寄付金を活用した人口減少対策パッケージや教育パッケージなどの施策については、つぎのブログでも紹介しておりますのでご覧いただければと。

2月13日ブログ「ふるさと納税90億」

上記の仙台放送ニュース冒頭に、気仙沼市の菅原市長のお礼の言葉が紹介されていました。「全国の皆さんから多くの寄付をいただいたことに、心から感謝申し上げますありがとうございました」と。

出身者のひとりとして私からも御礼を。ありがとうございました。
 

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tag : ふるさと納税

悲願の「モノレール」

遅くなりましたが、気仙沼大島の亀山に計画されているモノレールについて1週間前4月3日に配信された東北放送のニュースを紹介します。10年以上費やした〝悲願のモノレール計画〟です。



ニュース映像後半に、1967年開業当時の亀山リフト映像がありました。なつかしいですね。

◎市の実質負担額

私がちょっと気になったのは、気仙沼市の実質負担額についてです。東北放送ではつぎのように「市独自の負担はおよそ6億円の見込み」としています。

・東北放送4月4日配信ニュース

〈一方で、課題もあります。当初9億9000万円だった事業費は、資材高騰や軟弱地盤対策工事のため16億9000万円に増えました。加えて山頂の整備に3億5000万円がかかります。市は事業費全体の7割程度を国からの交付金で賄う方針ですが市独自の負担はおよそ6億円の見込みです。〉(引用は以上)

・三陸新報3月30日掲載記事

4月4日ブログで、3月30日の三陸新報記事を紹介しました。そこでは、当初事業費からの増加費用額は東北放送と同様ですが、下記のように市の実質負担額は概算で4億7千万円としています。

〈事業費の半分は市の持ち出しとなり、雨水対策など補助対象外の工事費(2億6400万円)と合わせて、市は7割が国から交付税措置される過疎債などを充てる方針。市の実質負担額は「概算で4億7千万円」(市観光課)の見込みという。〉(引用は以上)

6億円と4億7千万円との違いは、たぶんベースとしている数字の違いなどがあるのでしょう。

事業費増額分の財源には、内閣府の「デジタル田園都市国家構想交付金」が充てられるなど、かなりアクロバティックなやりくりにも見えるだけに、今後の市の広報や報道などでわかりやすい解説がなされることを期待しています。

4月4日ブログ「モノレールの財源」

 

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少子化と学校統合

気仙沼市立条南中と気仙沼中の統合式が4月7日におこなわれました。新しい「気仙沼中学校」のスタートです。当日、菅原市長がつぎのように投稿していました。


そして昨日4月8日には、気仙沼市立唐桑小と中井小、おなじく津谷小と小泉小の統合式が。


この統合内容をあらためて説明しておくと、唐桑小+中井小=新「唐桑小」、津谷小+小泉小=新「津谷小」です。


◎小中学校児童・生徒数見込み

4月7日の三陸新報には、気仙沼市・南三陸町の小中学校児童・生徒数見込みに関する記事が掲載されていました。見出しは「(気仙沼)市内の新入児童300人切る」。そして気仙沼市の小学校新入児童数が5年前に比べ710人減少とのこと。

掲載されていた数表を紹介します。4月1日現在の数字です。

小学校

中学校

両数表とも三陸新報4月7日記事より


記事によれば、ひとつの学年だけでは学級編制ができない「複式学級」となるのは、気仙沼市では月立小の全学年と大島小の1、2年生です。全校児童数は月立小13人、大島小41人です。

気仙沼市の小中学校の統合/再編計画の実施にあたって、統合反対の立場からの〈小規模学校には小規模学校の良さもある〉との意見が紹介されたことがありました。たしかに良さもあるでしょう。しかし、まず考慮すべきは少人数であることで生じる教育上のデメリットではないのかと思います。

当初の統合/再編計画の実行が遅れた結果、いまはその計画の見直しが始まっていることは皆さんご存じのとおりです。

「待ったなし」という少子化の現実の中にあっても求められる、多様な意見をくみとっての丁寧な議論。その実行の難しさを計画見直しの関係者はひしひしと感じていることでしょう。

3月26日ブログ「学校再編に関心を」

 

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tag : 学校再編

旧エースポート広場

3月29日の三陸新報コラム「記者席」は、つぎのように始まっていました。〈「迎」「創」「拓」「結」。この文字が名称の施設を、気仙沼市民はどれだけ知っているだろうか〉。


3:29

三陸新報3月29日記事より

私は、気仙沼の地元の人もやはりそう感じているのかと思いました。内湾地区にある4つの観光商業施設「ないわん」がグランドオープンしたのは2020年7月29日のことでした。同年7月20日のブログでは、三陸新報の記事をもとにして4つの施設をつぎのように説明しています。

迎(ムカエル):観光集客施設
結(ユワエル):内湾スローストリート商業施設
拓(ヒラケル):気仙沼アムウェイハウス
創(ウマレル):気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ


拡大図

三陸新報2020年7月18日掲載広告より


2020年7月20日ブログ「ないわん商業施設」

4施設の総称が「ないわん」というのもどれだけ周知されているか疑問があります。音声的には地区名である「内湾」との違いがわかりづらいようにも。

この内湾商業施設のロゴマークと愛称については、次のブログに記したことがあります。いろいろと問題を感じながらも、愛称募集があったので、私は「エースポート」(ACEPORT)で応募しましたが落選。採用案は「NAIWAN(ないわん)」でした。

2018年6月13日ブログ「内湾商業施設ロゴ」

迎・結・拓の3つは気仙沼地域開発などが開発した商業的な施設ですが、創は、以前の気仙沼市観光物産センター(エースポート)と気仙沼市勤労青少年ホーム(サン・パル)を合築再建した市の施設です。「創」を〈ウマレル〉と読んでもらおうという無理に加え。「pier7(ピアセブン)」という名称もあることが、問題を複雑にしているように思います。

◎南町海岸の広場愛称

「記者席」記事中に〈市はこれらの施設の海側にある、南町海岸の広場に愛称をつけるという〉との記述がありました。正直にいって、なんか新たな愛称設定によって問題がさらに複雑になるのではないかと心配です。

気仙沼湾横断橋の「愛称」が「かなえおおはし」となったときの落胆感を思い出します。私は英文名称と重ね合わせての「気仙沼ベイブリッジ」案を推していたのですが。

記事には「広場の愛称」とありましたが、遊覧船発着所の統一名称との関係も考慮する必要がありますね。私は、「内湾船着場」(ないわんふなつきば)でよいと思っているのですが。広場は「エースポート広場」で。

「エースポート」は元々は施設名ではあるのですが、その施設前の広場名称として親しまれてきたという歴史があります。「南町エースポート公園」という名称もあったようです。さらにさかのぼれば、「レストハウス」前の広場です。このあたりの話はつぎのブログにて。

2021年11月26日ブログ「レストハウス広場」


三陸新報3月29日「記者席」の筆者は「阿」さんでした。阿さんには、このテーマのフォローを是非に。どうぞよろしく。
 

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tag : エースポート

鮎貝盛徳六曲一隻

4月2日の三陸新報に掲載されていた古美術骨董店「車屋」さんの広告を紹介します。初代気仙沼町長の鮎貝盛徳の書。六曲一隻(ろっきょくいっせき)の屏風にしたてられています。


鮎貝盛徳

三陸新報4月2日掲載広告より



広告に「煙雲館松園」としてあるのは、書の落款にそう記してあるからでしょう。

鮎貝盛徳の同じような書を紹介したことがあるなあと思い調べてみると、2021年1月25日のブログでした。そして、そのときに紹介した書/屏風は、今回の六曲一隻屏風の一部であったのです。そんなことで、以前のブログ記事を以下に再掲します。年次を一部追加しております。



2021年1月25日ブログ再掲

鮎貝盛徳 屏風半双


(2021年)1月13日の三陸新報に掲載された、気仙沼市古町の古美術骨董店「車屋」さんの広告で「鮎貝盛徳 初代気仙沼町長(松園)の屏風半双」が紹介されていました。

鮎貝盛徳
三陸新報2021年1月13日掲載広告より


鮎貝盛徳については、つぎのブログで紹介したことがあります。

2017年11月20日ブログ「鮎貝家煙雲館庭園」

このブログ内容をベースに、鮎貝盛徳さんがどのような人だったのかをまとめておきましょう。

◎鮎貝家系譜

松岩地区にある煙雲館は仙台藩上級家臣、鮎貝氏の旧居館です。鮎貝盛徳の父は鮎貝(太郎平)盛房。盛房は戊辰戦争において新政府軍との戦いにも参加しました。そして盛房の長男が、鮎貝盛徳(号は松園)です。上述したように気仙沼町の初代町長で、2代目の松岩村長もつとめています。初代松岩村長は父である盛房です。

盛房の二男で盛徳の次弟が、明治時代の国文学者で歌人としても知られる落合直文(なおぶみ)です。直文は、国学者・落合直亮の養子となったことにより落合姓となりました。

そして盛房の三男が、古代朝鮮の歴史や民俗の研究でも知られた歌人 鮎貝房之進(号は槐園/かいえん)です。

長男である鮎貝盛徳は鮎貝家13代目。気仙沼市史第3巻に掲載されている系図によれば、14代が鮎貝盛成、15代が鮎貝盛益です。盛益さんは、松岩村長、宮城県会議員、宮城県会議長をつとめました。

前置きが長くなりましたが、本題は鮎貝盛徳さんの書。私としては、その巧拙ではなく、以上に紹介した系譜を念頭に、直文や槐園のお兄さん、そして〈実家〉当主の書としてながめると興趣がわいてくるような気がいたします。

書に記されている字を見ると、霞、水、桃、樹、山、月、雲、梅、香、薫などが目につきます。煙雲館からながめた風景について記したのでしょうか。左下に落款(らっかん)として記されている署名は「煙雲館松園 書」でしょうか。

◎屏風の数え方

車屋さんの広告に「屏風半双」とありました。これは屏風(びょうぶ)の数え方で、二曲、つまり2枚の書からなる屏風1セットのことのようです。同様の二曲屏風がもしあれば、2セット全体としては屏風一双。

屏風の数え方はなかなか難しい。基本としては2セットということなのでしょう。

なお、広告の写真を見ると、2枚のそれぞれに落款としての署名と印がありますね。これをみると、はじめから屏風の書としたものではなく、単独の書としてあった2枚を二曲屏風にしたてたということかもしれません。

以上、ややこしい話ですみません。まるで〈なんでも鑑定団〉。番組であればそろそろ〈オープン・ザ・プライス〉というところですが、本日はここまで。どうぞ、車屋さんにおたずねくださいますように。本日はこれまで。

2018年1月26日ブログ「車屋」の菅原さん


ブログ再掲内容は以上です。

2021年の広告にあった「屏風半双」と今回の「六曲一隻」がどのような関係なのかはよくわかりません。しかし、そんな謎めいた感じも私には楽しく感じられます。

なお、2021年1月のブログの末尾には、気仙沼市民4名の新規コロナ感染者の発表を記していました。市内の累計感染は42例だと。3年前のことになりました。

今週はこれにて。
 

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tag : 鮎貝盛徳車屋

モノレールの財源

きのう4月3日の三陸新報「タイムトラベル/20年前のあの日あの時」は、2004年4月3日記事の紹介でした。そのなかにつぎの記事がありました。


タイムカプセル

三陸新報4月3日記事の一部イメージ


「さあ観光シーズン 亀山リフトが開業」とありました。20年前のことだったのかと一瞬思ってしまいましたが、そんなわけもなし。これはあくまで冬期などの休業をおえての再開業ということですね。

亀山リフトは「気仙沼市文化史年表」(荒木英夫著)によれば、57年前の1967/昭和42年5月5日に開業しました。私が気仙沼高校1年生のとき。東日本大震災で被災しましたが、国の災害復旧の対象施設とはなりませんでした。市は、山頂へのアクセス手段となるモノレール整備を計画するも、その財源確保が課題となっていたのです。

しかし2022年に、モノレールやレストハウス改修などの全体事業費9億9千万円のうち、半分に内閣府の地方創生拠点整備交付金が充てられるめどがつくなど、計画は大きく前進しました。

2022年6月6日ブログ「亀山モノレール前進」

◎ふくらむ事業費

しかしその後も大きな課題がありました。資材高騰や新たに工事が必要になったことなどによりモノレール整備の事業費が当初より7億円増えて16億9千万円になったというのです。つぎのブログでそのあたりの話を紹介しました。

2月14日ブログ「亀山モノレール概要」

◎2025年完成にめど

そして懸案となっていた工事費増額分の予算が国から認められたようです。これにより2025年度完成にめどが立ったと3月30日の三陸新報がつぎのように伝えています。


3:30

三陸新報3月30日記事の一部イメージ

市は、昨年11月、内閣府に3億7100万円の追加予算措置を要望していたそうですが、国の新年度予算成立を受けて、3月28日に増額分の交付金採択の内示があったそうです。

事業費の半分は市の持ち出しとなりますが、雨水対策など補助対象外の工事費(2億6400万円)と合わせて、市は7割が国から交付税措置される過疎債などを充てる方針です。これにより、市の実質負担額は市観光課によると概算で4億7千万円の見込みとのこと。

当初は事業費9億9千万円(市の実質的な負担額は1億5千万円)ということではじまった計画でしたが、現時点では16億9千万円(同4億7千万円)の予定。

なお、記事によれば公設民営で整備するモノレール(片道409m・20人乗りの2両編成)は2024年度の早い時期に着工し、基礎工事や車両の整備などをおこなうとのこと。民営事業の候補者は「海の市」の運営主体でもある株式会社気仙沼産業センターです。

一時はどうなることかと心配した財源予算措置でしたが、なんとかめどがついてよかったです。市長をはじめ、関係者の皆さんもホッとしたことでしょう。
 

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tag : モノレール亀山

松岩保育所の閉所

3月25日、気仙沼市立松岩保育所の閉所式がおこなわれました。当日、菅原市長がつぎのように投稿しています。


26日の三陸新報も閉所式の様子を伝えていました。〈1956年の開所以来、1600人以上の子供たちを育んできた67年の長い歴史に幕を下ろした〉と。市長投稿での1800人が三陸新報では1600人となっていました。

同記事によれば、今回の閉園は葦の芽星谷幼稚園が4月から保育所機能をもつ認定こども園に移行することや老朽化に伴うこととしています。1〜4歳児21人は、牧沢きぼう、新月両保育所、葦の芽星谷幼稚園の認定こども園など6カ所に通うとのことです。

私は陣山の第二保育所(通称は「田谷」の保育所)に通いました。今回の松岩保育所の閉所を知り、まだちゃんとあるのかどうか心配になって調べてみました。ありました(笑)。

この機会に気仙沼市内の保育所状況をまとめておきましょう。

◎認可保育所

市立はつぎの8箇所です。名称中の「保育所」は略。

内の脇(南が丘)・かやの実(九条)・牧沢きぼう(松崎柳沢)・崎浜(駒形)・階上(長磯船原)・新月(河原崎)・唐桑(唐桑町只越)・津谷(本吉町津谷舘岡)

私立はつぎの3箇所。

気仙沼第二保育所(陣山)・新生保育園(東新城)・けせんぬまおひさま保育園(茗荷沢)

◎認定こども園

市立
鹿折こども園(東中才)

私立
葦の芽星谷幼稚園(岩月星谷)


認定こども園とは、教育・保育を一体的に行う施設で、いわば幼稚園と保育所の両方の良さを併せ持っている施設とのことですが、詳細は略します。

◎第二保育所の開所

第二保育所はいつできたのだろう。調べてみると「気仙沼文化史年表」に、1956(昭和31)年2月25日「田谷(陣山)に第二保育所落成」とありました。松岩保育所と同じ1956年開所ですね。この時期に各地域の保育所が設置されたのかもしれません。

私の家は商売をしているわけでもなかったので、はじめはカトリック幼稚園を見に行ったりしたそうですが、私がいやがって田谷の保育所へ。たぶんひとつ上で仲良しの隣家カネサのセイちゃんと同じところに通いたかったのでしょう。

松岩保育所の閉所を知り、田谷の保育所のことを懐かしく思いだす今日この頃です。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 松岩保育所第二保育所

白石隆一と気仙沼

3月28日の三陸新報1面コラム「萬有流転」が、千厩町(せんまやちょう)出身の洋画家白石隆一を紹介していました。


白石隆一

三陸新報3月28日記事の一部イメージ


記事の冒頭に〈「魚の画家」と呼ばれた白石隆一、一関市千厩町(旧仙台藩領東山南方〉の、大庄屋を代々務めた家の跡継ぎに生まれた〉とありました。「大庄屋」の跡継ぎというあたりに経済的に恵まれた環境だったことがうかがえます。この白石家の屋号は「横井屋」です。

白石隆一は、魚の絵を沢山描いています。記事では〈気仙沼から魚を取り寄せていたそうだ〉と。私は、2019年のブログで、気仙沼との縁についてつぎのように記しました。

〈白石隆一と気仙沼にはどのような縁があったのだろう。その答が、盛岡タイムズ2007年3月1日の記事(現在はサイト閉鎖)のなかにありました。〈魚をモチーフの中心に据えるきっかけとなったのは戦前、妹の嫁ぎ先の気仙沼で、三陸の魚に出合ったこと〉であったと。妹さんは気仙沼のどこに嫁いだのかはわかりませんが、「気仙沼港」や「めぬけ」を描いた背景がわかりました。なお、上記の一関博物館の記述では出生地の記述はありませんでしたが、盛岡タイムズの記事に北上市生まれとの記述がありました。母親の実家とかそんなことでしょうか。〉

2019年6月21日ブログ「千厩町の白石隆一」

千厩出身で気仙沼とも縁のある画家としては熊谷登久平がいますね。白石隆一の3年先輩にあたります。詳細は略しますがつぎのブログをご覧いただければと。

2022年10月6日ブログ「千厩の熊谷登久平」

話を白石隆一に戻します。萬有流転が紹介した展覧会は「せんまや街角資料館」が会場でした。この国登録有形文化財の建物は、旧「専売局千厩煙草専売所」。旧東磐井郡、気仙郡の葉煙草栽培の歴史を目にすることが出来る唯一の産業遺構とのこと。

「魚の画家・白石隆一展」はこの千厩の歴史を色濃く残した会場に、白石隆一の町内の個人が所蔵する作品を中心に展示したそうです。記事には〈親しみ深い小さな展覧会場だ〉と。

白石隆一と熊谷登久平。このふたりの著名洋画家を生み出した千厩町の文化の背景には葉たばこや養蚕による豊かな経済といったこともあったのではないか。そんなことを感じさせる本日の「萬有流転」でした。
 

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tag : 白石隆一熊谷登久平

東北放送配信記事

今日から4月。ほんと早いですね。先日の土曜日には目黒川の桜まつりに行こうと思っていたのですが、風邪でとりやめました。残念。

先週月曜日から左肩がいわゆる五十肩のようなことになりました(実際の年齢は50代ではなく、先々週に72歳となりましたが)。火曜日に整形外科にいって鎮痛剤と湿布をもらっての対症療法。そうこうしているうちにのどが痛くなって熱も出てきました。そのあたりには妻にも同様の風邪の症状が。きょうあたりは大分いいのですが、今年の風邪は長くかかるようです。どうぞお気をつけください。

本日紹介するのは、tbc東北放送の3月30日配信記事です。放送がこの日なのか前日なのかはわかりません。

東日本大震災で、気仙沼中央公民館に避難した446人が、ロンドンからのツイッター投稿をきっかけにして全員が救助された話。まずYouTube映像から。約12分です。




ヤフーニュースでも配信されました、


この気仙沼中央公民館からの446人の避難については、71人の園児を率いて避難したのが一景島保育所の所長だった林(奥玉)小春さん(3年2組)だったこともあり、何度もこのブログで紹介してきました。

当時0歳から5歳だった一景島保育所の園児はいま13歳から18歳ということになりますね。13年経ったことを実感します。

この中央公民館からの救出についてのニュース特集をひさしぶりのことと感じました。そして、いまあらためて「446人」という人数の多さにおどろいています。

3月11日近辺のあれから13年番組ではなく、3月末に目にしたことで、13年前のことをあらためて強く思い出すことになりました。東北放送さん、ありがとうございました。

2021年3月10日ブログ 猪瀬さんの『救出』

 

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tag : 東日本大震災猪瀬直樹

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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