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「水道山」の浄水場

3月19日の三陸新報1面コラム「萬有流転」になつかしい言葉がありました。「水道山」。浄水場のある舘山(たてやま)の愛称です。


万有流転

三陸新報3月19日記事の一部イメージ


市サイトにある令和4年度水道事業年報によれば、本吉郡気仙沼町の水道事業が申請(届出)されたのは大正15年6月のこと。舘山の浄水場は、1928(昭和3)年6月に着工し1931(昭和6)年3月に完成しています。給水開始は竣工前におこなわれたようで、1930(昭和5)年1月です。

取水は、大川からの伏流水の集水と表流水の取水、そして松川水源からの地下水を水中ポンプで取水しています。伏流水とは、河床や河川敷の下を流れている水、表流水とは河の表面を流れている水とのこと。

「水道山」という名がなつかしいと記しましたが、舘山の浄水場そのものや近くに行った記憶はありません。もしかすると見学したことを忘れているのかもしれません。

萬有流転の筆者が記しているのは、断水したときに実感する水のありがたさです。1992(平成4)年3月には、大川上流にタンクローリーが転落してA重油ドラム缶55本分が流出した事故で、市内は5日間にわたり断水したそうです。そして東日本大震災のときのことはあらためていうまでもなし。

能登半島地震の被災地では今も断水が続いている地区が多いようです。萬有流転は「大川の恩恵を常に理解し、節水を肝に銘じたい」と結ばれていました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 水道山舘山

応援歌「条南旋風」

4月に気仙沼中学と統合する条南中学校の閉校式が3月23日におこなわれました。式の当日、菅原市長がつぎのように投稿していました。


この投稿に「校長先生も気中に異動です」とあったのを読んで、よかったなと思いました。4月から気中の校長になるのは尾形浩明さんですね。統合に際しての生徒の心情に配慮した人事異動ではないかと。

市長の投稿に、閉校記念のてぬぐいが紹介されていました。ここに、条南中学の応援歌「条南旋風」の歌詞が記されています。


条南中学校応援歌
「条南旋風」

作詞者 久保田郁夫
作曲者 後藤正章

若く たくましい
われらが友よ
条南健児の 意気高く
吹くぞ条南
条南旋風!
勝利の栄冠
今 ここに


歌詞引用は以上です。改行等は上記の閉校記念配布物によりました。

「条南旋風」は「じょうなんせんぷう」と読んでいいのかどうか、ちょっと不安があります。また引用した歌詞に加えて、2番とか3番があるのかどうか。

3月20日の三陸新報によれば、応援歌「条南旋風」は1992年3月に制定されました。校歌「世紀を拓く」は1982年10月に発表されています。

閉校記念の配布物に応援歌が記されていることからも「条南旋風」がとても愛されていたことがわかります。

条南中学OBは、同窓会や同級会などでこの応援歌を歌うのでしょう。旧気仙沼高校の応援歌「時は流れて」のように。

学校そのものは閉じてしまいましたが、「条南旋風」が歌い継がれていくことでしょう。
 

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tag : 条南中学応援歌

目黒川の桜まつり

本日は東京近辺の皆さんへの催事お知らせです。目黒のさんま祭と同じく、田道広場公園を会場とする「目黒川の桜まつり」が3月30日と31日の2日間にわたって開催されます。昨年までは「目黒イーストエリア桜まつり」でしたが名称が変更されたようです。

桜祭りタイトル-1

3月30日(土)〜31日(日)
会場:田道広場公園
目黒区目黒1-25-8(目黒区民センター横)

目黒イーストエリア桜まつりは毎年4月に開催されてきましが、2020年、21年、22年と3年続けて新型コロナ対応のために開催されませんでした。昨年が4年ぶりの開催でした。

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

マップ

 会場マップを紹介します。食事処(テーブル)の脇が「気仙沼物産展」のテントになっています。目黒のさんま祭と同様の〈特別待遇〉となっています。

第17回桜祭り_2024_ページ_2-1

私は3月30日(土)のお昼12時ごろに菊田裕美君(3年1組)と会場で待ち合わせることにしました。ご都合のつくかたはご一緒に。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 目黒川の桜まつり

学校再編に関心を

2月20日の三陸新報「論説」の見出しは、「学校再編に関心を」でした。気仙沼市立小・中学校の新たな統合計画づくりに向けた「気仙沼市立小・中学再編検討準備会」(以下、準備会)の最終会合が2月9日におこなわれたことを受けてのものでしょう。


学校再編 論説

三陸新報2月20日論説記事の一部イメージ


準備会の初会合は昨年11月29日におこなわれました。年度末まで3回の会議が予定されているとのことでしたから、2月9日の会合が3回目/最終回です。

2月12日の三陸新報が最終会合をつぎのように伝えていました。

準備会

三陸新報2月12日記事の一部イメージ


記事によれば、5月にもたちあがる再編検討委員会についてつぎのようなことが確認されたとのことです。記事を引用します。

〈再編検討委のスケジュールについては、新たな統合校の組み合わせや統合時期を固めた具体案を中間報告で市民に示し、保護者や地域から意見を聞くこととした。前計画の義務教育環境整備計画では、組み合わせや統合時期が中間報告ではなく、完成した計画が地域説明会で示され、合意形成に時間を要した要因の一つになったことを考慮した。

 中間報告までの議論では、地域、保護者だけでなく中高生や20代など若い世代への説明や意見交換のほか、会議は全て公開とし、協議内容や統合理由、人口推移などを示す周知体制の整備も求められた。〉(引用は以上)

中間報告で新たな再編案が示されて、その後の意見を集約していくという計画ですね。中間報告は早ければ年内に、そして最終案は早ければ年度内の決定が見込まれているとのことです。

検討委員会のメンバーは準備会委員11名がスライドすることが了承されたそうです。参考まで準備会委員を下記に。

委員長/本図愛実(宮城教育大学教職大学院教授・県立高校将来構想審議会長)、副委員長/今野享(前気仙沼中学校長)、委員/田端健人(宮城教育大学教職大学院教授、春日敏春(気仙沼市体育協会長)、畠山拓男(唐桑地域自治会連絡協議会長)、小野寺克浩(本吉夢プロジェクト委員長)、芳賀周太(津谷小PTA会長)、石原祥子(新月中PTA会長、廣野香苗(就学前保護者代表)、尾形浩明(条南中学校長)、小野寺貴子(気仙沼小学校校長) (敬称略)


◎三陸新報3月7日記事

3月7日の三陸新報は、3月6日の市議会で新年度に始まる小中学校再編検討委員会の設置条例案を可決したという記事を掲載していました。これによれば、再編検討委員会は、5月以降に11回程度開催し、小中学生や高校生、保護者、住民とも意見交換を重ねながら12月に学校配置や再編時期などを盛り込んだ中間報告、その後にパブリックコメント(意見公募)などを経て、来年3月に答申する予定とのことです。

新たな学校再編の組み合わせ/配置のたたき台について市教委は、5月からの協議の場で提示して議論の参考にしてもらう考えとのこと。

◎2月20日論説

話を三陸新報2月20日論説に戻します。

この論説ではまず、中間報告で再編案を示して意見を聞く手法は評価したいとしています。そして、タイムスケジュールのスピード感も求められると。また、いじめや不登校への対応などや、低年令時(これは低年令児でしょう)もいる小学校は、統合によって通学距離が遠くなることにも配慮しなければならず単純にはいかないとも。

この論説の筆者/論説子は、小中学校再編議論の難しさをよく知っているのでしょう。今後の検討方針を評価したあとに、2度も〈ただ、〉で始まる文章がつづくあたりにその実感がうかがわれます。

なかなかに難しい課題であるからこそ、市民にも関心をもってもらいたいという筆者の願いだったのではないかと。

◎市サイトの教育委員会関連ページ

ひとつ気仙沼出身者としてお願いがあります。気仙沼市公式サイト中の「教育委員会」関連ページを改善してほしい。これまでも何度かこのブログに書いたことがあります。


「教育・文化・スポーツ」のカテゴリーのなかに、「教育委員会」と「学校教育」のサブカテゴリーがあり、小中学校再編・統合などは「学校教育」で扱っているようです。そして、平成28年/2016年5月付けの小中学校統合に関する「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」は、その下の階層「義務教育環境整備」のなかにあります。

一方、「教育委員会」のページを見てみると、教育委員会の定例会の議案や議事録が令和3年度までしか掲載されていないし、上記の「学校教育」カテゴリーのすみわけがよくわかりません。

今後の再編検討委員会の議論や中間報告は、市サイトを利用して開示されていくと思います。市のサイト構造は簡単に変えることできないでしょうし、私も細かなことはっよくわかりませんが、是非わかりやすいコミュニケーションがなされるようになればなあと(ナマイキ言ってごめんなさい)。

このブログ記事の前半は2月下旬に作成していたのですが、その後の新聞記事や3月11日関連のことなどもあって本日の掲載となりました。先週ブログで紹介した気仙沼市立小・中学校の閉校関連ということでお読みいただければと。

2023年12月6日ブログ「新計画策定準備会」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 学校再編教育委員会

気仙沼の歴史入門

3月3日の三陸新報に懐かしいお名前がありました。山内繁さん。気仙沼市民憲章推進協議会の市民憲章推進事業「郷土・けせんぬま探究講演会」で講師をつとめたとのこと。記事には開催日が記されていませんでしたが2月25日です。


山内さん講演会

三陸新報3月3日記事の一部イメージ


山内繁さんは、記事によれば気仙沼市文化財保護審議委員会の前委員長で赤岩城・築館・中館整備保存委員会顧問をつとめています。

山内さんが2014年12月の「ば!ば!ば!の場!」の「気仙沼、古地図の旅。」の講師をつとめたとき、つぎのように紹介したことがあります。〈私たちより2コ上の気中18回、気高20回生。山形大学を卒業して市役所に勤務し、市民生活部長をつとめた後、2010年の春に退職。その後も郷土史の研究や文化財保護の仕事を続けているようです〉と。

今回の講演会のテーマは、「気仙沼の歴史入門〜赤岩城から気仙沼を紐解く〜」でした。

山内さんは、中世から近世(江戸時代)前半までの気仙沼の地勢やなりわいの変遷を解説したそうです。記事にそのあらましが紹介されていましたので引用します。

〈中世までは、八瀬(やっせ)などを中心に砂鉄生成(これは「砂鉄精製」でしょうね)、絹(蚕)の生産などが盛んだったが、近世に入ると階上や鹿折、内の脇で製塩が始まり、漁業や海運業の発展につながるなど、「山から海へ開けていった歴史」を紹介した。

金や鉄を求める山伏などよそからの人、技術の移入、外部との交易などで気仙沼が反映していったことを踏まえ、「気仙沼の人たちには外向きの気質と進取の気性がある」と強調。今後のまちづくりでも、「三陸道をうまく利用し、他地域と交流していくことが発展の鍵を握る」などと語った。〉(引用は以上)

実際の話がどうだったのかはわかりませんが、〈山から海へ開けていった歴史〉や〈金や鉄を求める山伏〉の登場、そして〈三陸道をうまく利用し〉といった具体的な話がなかなか興味深いところです。

三陸新報の記事には、赤岩城についての話がありませんでしたが、山内さんが整備保存委員会の顧問をつとめる赤岩城・築館・中館など、気仙沼の館(城)についての解説もなされたことでしょう。

山内さん、ご講演ご苦労さまでした。

◎気仙沼市民憲章

この講演は、気仙沼市民憲章推進協議会の市民憲章推進事業として開催されました。以前も紹介しましたが、参考まで市民憲章の内容を以下に。

気仙沼市民憲章

わたくしたちの気仙沼市は、豊かな海や山の恵みと、先人のたゆまぬ努力により栄えてきました。

わたくしたちは、このふるさとを大切にし、人と自然が輝き、活力に満ちたまちの実現をめざし、市民憲章をさだめます。

・ 自然を愛し、海と緑の美しいまちをつくります。
・ 心とからだを鍛え、健康で明るいまちをつくります。
・ 働くことを喜び、産業の盛んなまちをつくります。
・ いたわり、助けあい、きまりを守って安全安心なまちをつくります。
・ 学ぶ心を大切にし、文化の香り高いまちをつくります。

この市民憲章は、唐桑町と合併した1年後2007年3月7日に制定されました。新生気仙沼の目標として定めたのだと思います。

本日はこれにて。
 

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tag : 山内繁

条南中学校の閉校

気仙沼市立条南中学校が3月末で閉校し、4月に気仙沼中学校と統合します。閉校式は3月23日に同校体育館にて。3月20日の三陸新報が特集記事を掲載していました。


条南中

三陸新報3月20日記事の一部イメージ


見出しに〈気中から分離、再び統合〉とあります。記事によれば、条南中学校は、1978年(昭和53)年、国内有数のマンモス校だった気仙沼中学から分離独立して開校しました。

◎46年の歩み(抜粋)

1978年4月の開校から46年間。記事にあった「46年の歩み」から主要事項を抜粋して紹介します。

1976年3月
気仙沼第2中学校の建設が市議会で決定
1978年4月
条南中学校開校。在籍353人。
1981年4月
公立気仙沼総合病院内に病院内学級
2011年3月
東日本大震災 自衛隊駐留(7月まで)
校庭に応急仮設住宅建設
2018年2月
校庭応急仮設住宅撤去、校庭整備
2021年9月
神山川横断歩道架設工事完了
2024年3月末
閉校

◎条南中学校の校章

記事には、条南中学校の校章も紹介されていました。
校章
〈外側には校木のイチョウをかたどり、三つの葉は学校教育が目指す「知育」「徳育」「体育」を象徴している。「条南」の文字を囲む中央の円は、融和、協力、団結を表し、中学校の「中」をデザインした〉とのことです。

◎学校分離時の生徒の心境

記事にもありましたが、条南中1回生と気仙沼中32回生は、2校分離までは同級生/同年生でした。条南中開校/分離当時、気中32回生だった気仙沼商会高橋正樹社長の心境をつづった寄稿文をつぎのブログで紹介しております。

2023年8月25日ブログ 寄稿「二つの校章」

大きな流れのなかでは、〈気中から分離、再び統合〉とある意味でシンプルですが、統合決定までにはさまざまな議論がありました。その経緯のあらましはつぎのブログにも記しております。

2023年4月17日ブログ「条南中の統合合意」

◎4月には新たな気仙沼中学に

三陸新報記事のリード部には、「今年3月を含めてこれまで4827人が卒業した。
1、2年生108人は、4月から統合先の気仙沼中学で新たな歴史を刻む」とありました。

条南中の応援歌は「条南旋風」です。気中の歴史に条南の新しい風を。どうぞよろしく。

末尾になりましたが、条南中と気仙沼中の両校統合にあたり、多様な課題、複雑な問題の解決に努力された多くの関係者の皆さまに、気中OBのひとりとして敬意を表します。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 条南中学校

県立高校再編議論

2月29日の三陸新報「論説」の見出しは、「高校の再編議論加速か」でした。本吉地区(気仙沼市・南三陸町)の公立高校入試出願の全体倍率が3年連続で0.6倍と大きく定員を割っているとのこと。そして〈急速に進む少子化が要因で今後、学級減、統廃合の議論が加速しそうだ〉と。記事では〈公立〉としていますが、すべて〈県立〉。つまり、宮城県の教育行政がかかえる課題です。

高校再編

三陸新報2月29日記事の一部イメージ


特に定員割れが目立つのは、南三陸高校と本吉響高校だといいます。南三陸高校は、2023年に志津川高校から校名変更。本吉響高校は、1973年に津谷農林高校から津谷高校に、そして1999年に本吉響高校に校名変更しています。

南三陸高校は、2023年の校名変更と同時に全国募集を開始するなどの新たな試みもおこなっているとのこと。論説記事では「深刻なのは本吉響」としています。2024年度は定員120人に対して出願者は32人の0.27倍。記事では「再編議論は避けられない状況にある」と。

記事によれば、宮城県教育委員会はこのほど、2019年2月に策定した第3期県立高校将来構想(2019〜2028年度)の見直しを、県立高校将来構想審議会に諮問したそうです。2015年5月までに答申中間案をまとめ、パブリックや意見聴取会を開くなどして同年10月にも答申を固める方針です。

気仙沼市での市立小中学校再編に加え、さらに広く本吉地区でみると県立高校の再編も大きな課題となっているのですね。

参考までに、宮城県公式サイトの「第3期県立高校将来構想」のリンクを下記に。

宮城県「第3期県立高校将来構想」

 

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tag : 高校再編

中井小学校の閉校

きのうは小泉小学校の閉校を紹介しましたが、気仙沼市立中井小学校も唐桑小学校との統合のため3月末で閉校となります。3月17日には閉校式がおこなわれました。


3月17日の三陸新報に特集記事が掲載されていました。

3:17中井小

三陸新報3月17日記事の一部イメージ


中井小の歴史は、1901(明治34)年に唐桑尋常小学校松圃(まつばたけ)分教場として創設されたことに始まっています。そこから数えると122年、1949年の独立開校からは74年。その歴史に幕がおろされました。

中井小学校のこれまでの児童数は、本年度分を合わせて計3739人。これまでの最多在籍数は1959年度の575人でしたが、本年度は全校で52人とのことです。

◎中井小学校沿革(抜粋)

記事に掲載されていた同校沿革(概要)から主要事項を抜粋して紹介します。

1901(明治34)年
唐桑尋常小学校松圃分教場創設
1922
中井分教場と改称
1949
村立中井小学校として独立
1955
町制施行により唐桑町立中井小学校に改称、改築新築校舎落成式
1958
新校舎が全焼、再建校舎落成式
2006
市町合併で気仙沼市立中井小学校に改称
2022
唐桑小学校との学校統合が正式決定
2024年3月末
閉校

◎市史での記述

『気仙沼市史』第6刊「教育・文化編」では、明治9年刊行『文部省第四年報』での気仙沼地域における小学校の創立について紹介しています。

これによれば、中井小学校創立は明治6年、教員1、児童数(市史では生徒数)男63/女10となっています。同年に創立した同じ唐桑村で同年に創立したほかの小学校児童数を見てみると、紫微浦(現在の鮪立、鮪浦でしょうね)は36/7、諏訪は32/1。つまり唐桑地域では中井小の規模が一番大きかったようです。

なお、この時点では唐桑村と小原木(こはらぎ)村は別村で、小原木小学校の児童数は47/0(あるいは不明)です。唐桑村と小原木村が合併して本吉郡唐桑村となるのは1889(明治22)年4月1日です。

この気仙沼市史での記述内容については、つぎのブログで紹介しております。

2023年3月30日ブログ「明治初期の小学校」

◎中井小学校の校章

三陸新報記事には、中井小の校章も紹介されていました。

校章

唐桑町の町名にちなんだ3枚の桑の葉は、子供、教師、親を表し、三者一体の学校をシンボル化。葉の間の曲線は荒波を模しているそうです。


3月19日の三陸新報は、3月17日におこなわれた閉校式の様子を伝えていました。記事のなかに、櫻井美佐子校長のお話に「統合後も中井小出身の誇りを持ち、新たな仲間と友情を深めてほしい」とありました。

同感です。唐桑小学校の新しい歴史が、中井小学校からの新たな仲間を得て、しっかりときざまれていくことでしょう。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 中井小学校唐桑小学校

小泉小学校の閉校

気仙沼市立小泉小学校が3月末で閉校し、津谷小学校と統合します。3月16日には閉校式がおこなわれました。

3月16日の三陸新報が特集記事を掲載していました。見出しには「少子化で津谷と統合」と。ピーク時に400人いた児童は少子化の影響で36人まで減少したそうです。


3:16小泉小

三陸新報3月16日記事の一部イメージ


記事によれば小泉小学校の前身である泉小学校と今朝磯(けさいそ)小学校は、1873(明治6)年に創設されています。泉小学校の校舎は蕨野(わらびの)地内の民家を借りたもので、児童約50人で始まりました。

記事に掲載されていた同校沿革(概要)から主要事項を抜粋して紹介します。

◎学校の沿革(抜粋)

1873(明治6)年
民家を借りて泉小学校として創立、浜区に今朝磯(けさいそ)小学校設置
1876
泉沢に新校舎を建設。惜陰小学校と改称
1887
小泉高等尋常小学校と称す
1889
小泉尋常小学校と称す
1896
明治三陸地震津波で被害を受ける
1933
昭和三陸地震津波で被害を受ける
1937
現在地に新校舎落成
1941
小泉国民学校と改称
1947
小泉村立小泉小学校と改称
1955
町村合併により本吉町立小泉小学校に改称
1970
今朝磯分校閉校。本校に統合
2002
木造旧校舎解体。新校舎落成
2009
気仙沼市に合併で気仙沼市立小泉小学校と改称
2024年3月末
閉校

1955(昭和30)年の町村合併ですが、これは小泉村が津谷町・大谷村と合併して本吉町になったことです。

◎小泉小学校の校章

校章は、校旗とともに、1938年に制定されました。記事の説明文では〈中央に「泉」の文字を置き、地域を代表する作物の稲で囲む。実った稲穂は、調和のとれた豊かな人間性の象徴でもある〉としています。

校章

「泉」の文字は、創立当時の「泉」小学校にちなむものだと思います。1938年時点での校名は「小泉尋常小学校」でしたから、創立からの伝統を重んじたのではないかと。

なお、校歌は1939年に制定されました。及川義亮作詞、海軍軍楽隊作曲です。歌詞にある「国の花と咲き出でん」「やがてみ国の柱なれ」「み国のためにつくすべき」などの歌詞は、1939年(昭和14年)という時代を感じさせます。「み国」は「御国」かと。

泉小学校創立、今朝磯小学校設立から数えて150年。多くの人が小泉小学校の閉校を惜しみつつ、児童の皆さんの津谷小学校、津谷中学校での活躍を願っていることでしょう。
 

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tag : 小泉小学校津谷小学校

高等看護学校閉校

気仙沼市医師会附属高等看護学校が3月末で閉校になります。3月16日には昨年度末で閉校した準看護学校と合わせた閉校式典がおこなわれました。

3月13日の三陸新報に特集記事と協賛広告が掲載されていましたので紹介します。


3:13三陸

三陸新報3月13日記事の一部イメージ


同記事の沿革を拡大して。准看護学校と高等看護学校それぞれの初期の学校長として、私もよく知る市内病院の先生方のお名前がならんでいます。

沿革

三陸新報3月13日記事より


この沿革をもとに、気仙沼市医師会附属准看護学校と高等看護学校の閉校までの概略を以下にまとめました。

◎准看護学校

1953年
気仙沼医師会附属准看護婦養成所として開校(笹が陣)
1959年
准看護人共学実施
1961年
校舎移転(町裏)
1963年
気仙沼准看護学院に名称変更
1968年
気仙沼市医師会附属准看護学校に名称変更
1972年
新校舎完成・移転(四反田)
2023年
閉校

◎高等看護学校

1974年
気仙沼医師会附属高等看護学校 開校
2024年3月
閉校

高等看護学校は、准看護師資格所有者が正看護師を目指すための学校として1974年に新設されました。記事には、夜間の3年制カリキュラムで、学生たちは日中に准看護しとして働き、在学中から地域医療の下支えにも貢献してきたとありました。

上記の三陸新報記事に、気仙沼市医師会森田潔会長の両校閉校に寄せての挨拶文が掲載されていました。そのなかには、〈地域において急速に進行する少子化および都市部での看護大学等の相次ぐ開学により両校の入学生数は年々減少の一途をたどり〉と。そして、〈看護師養成に欠かせない専任教員の確保も困難を極めており〉とも。

閉校までの卒業生は、准看護学校が225人、高等看護学校が1236人とのことです。

准看護学校および高等看護学校の卒業生は、いまも保健・医療・福祉の現場で活躍しています。市医師会をはじめ、両校関係者の皆さまに感謝を。ありがとうございました。

◎最後の卒業式

3月7日には、高等看護学校の卒業式がありました。同日、気仙沼市の菅原市長がつぎのように投稿しています。


最後の卒業生は13名とのこと。ご卒業おめでとうございます。

なお、このたびの気仙沼市医師会附属高等看護学校の閉校により、気仙沼市での看護士養成学校は、気仙沼市立病院附属看護専門学校のみとなりました。同校は、1968年9月に公立気仙沼高等看護学校・進学コースとして設立されています。ご参考まで。
 

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「ほぼ日」と気仙沼

そうしようと考えていたわけではないのですが、結果として今週のブログはすべて東日本大震災関連の話になってしまいました。

本日紹介するのは、バンブーカット代表竹内順平さんの3月12日リポストです。竹内さんは、気仙沼漁師カレンダー2作目から最終章10作目までのプロデューサーをつとめてくださいました。


上記画像クリックでほぼ日サイトにジャンプ

これは、「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)さんの東日本大震災にまつわるコンテンツ紹介です。数えてみるとなんと132タイトル。あらためておどろかされました。〈圧倒的〉といってもよいでしょう。竹内さんが〈積み重ねって本当にすごい。13年。いろんな記憶と感情が蘇ります〉というのもよくわかります。まさに同感。順平さん、ありがとうございました。教えていただかなければ見逃すところでした。

◎気仙沼と「ほぼ日」

上の画像をクリックしてみてください。ご覧いただければわかるように、132タイトルのなかには気仙沼に関するコンテンツがとても多いのです。その背景には「気仙沼のほぼ日」の存在がありますね。2011年11月1日から2019年11月1日までの8年間、気仙沼市内にありました。

「気仙沼のほぼ日」ができて1年後の2012年11月1日、ほぼ日を率いる糸井重里さんは〈ほぼ日/今日のダーリン〉でつぎのように記しています。

「今日、11月1日は、『気仙沼のほぼ日』ができた日です。なにをするか、あんまり大きなことは言えないけれど、居場所があれば、「忘れない」ということだけはできる。そのくらいの気持ちで、はじまったことです。とにかく、「二年はいる」と約束しましたが、もう一年経っていました。あと一年は‥‥ちょっと短いかなぁ‥‥。二年という時間を、それなりにちゃんとした長さとして決めたつもりでしたが、想像以上に短いものですね」(引用は以上)

〈あと1年〉とか〈「忘れない」ということだけは〉どころか、震災から数えると〈もう13年〉となりました。

2024年3月のいま、あらためて糸井さんをはじめ「ほぼ日」関係者の皆さまに心からの御礼を申し上げたく。2011年からいまにいたるまで、本当にありがとうございました。

わが故郷気仙沼とのおつきあいを、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

参考:「気仙沼のほぼ日」の開設までの経緯についてはつぎの2011年ブログに記しております。

2011年10月28日ブログ「ほぼ日in気仙沼」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 東日本大震災ほぼ日

3/11の「時事公論」

3月12日午後2時過ぎのNHK「時事公論」で気仙沼の内湾地区復興が紹介されていました。定時ニュースの流れで偶然みることになったのですが、前日3月11日放送内容の再放送でした。

テーマは「東日本大震災13年 復興まちづくりの教訓を能登へ」です。お気づきのことと思いますが、昨日のブログで紹介したNHKニュース7の特集とテーマが重なっています。

3月12日ブログ 震災13年の「教訓」

それもそのはず、ニュース7と同じくNHK仙台放送局の取材をベースにした内容でした。解説者はNHK仙台放送局災害担当、広池健大解説委員です。

放送内容の詳細は、NHKサイト「解説委員室」のなかで解説記事となっていますので、詳細内容の紹介は略します。

NHK「解説委員室」3/11解説記事

私がこうしてNHKのニュース7や時事公論の放送内容を紹介することには理由があります。気仙沼の外側、メディア(今回はNHK)から、被災地気仙沼の復興がどのように見られているかがよくわかると思ったのです。

テレビ放送で紹介される気仙沼と現地気仙沼の間にはギャップというか違いもあるでしょうね。一定のにぎわいを取り戻しているといっても、それは限られた地区のことであって、ここはまだ、あそこもなかなかという声があがることを容易に想像できます。平日の町の人通りの少なさを知っていますかとか。

しかし外からみると結構うまくやっているようにも見えるのです。いろいろと課題をかかえていても、ほかの被災地に比べればということで、つぎの画像をご覧ください。「復興で活気取り戻した例〜気仙沼」です。

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そして、内湾地区復興まちづくり協議会(当時)の会長、菅原昭彦さんはつぎのように。

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菅原さんの話について、NHKサイト「解説委員室」記事から引用します。

〈気仙沼が、どのように復興協議を進めたかについて、当時、まちづくり協議会の会長を務めた菅原昭彦さんは「まちづくり協議を行政やコンサルタント任せにせず、住民主体で決めたこと」だと分析しています。

きっかけとなったのが、行政が示した防潮堤計画への反対でした。この地域は、過去に何度も津波被害を経験していたので、行政は安全優先のまちづくりを提案しましたが、「海と生きてきた」地元から受け入れられませんでした。その後、住民たちは自分たちにとって住み続けたい町について徹底的に議論を重ねました。特に中心になったメンバーが、このエリアで商売したり、仕事を持ったりしている現役世代でした。

結局、復興事業の完了までに9年かかりましたが、菅原さんは「十分に議論したことで安全性を備え、住民が納得するかたちの復興につながった」と考えています。〉(引用は以上)

「成功事例」という言葉は使われていませんが、ニュース7も時事公論も、気仙沼の内湾地区の取り組みを、他地域のまちづくりの参考、教訓とできる事例としてとらえているのです。

また長くなるので、ここまでにしておきましょう。

なお、気仙沼内湾ウォーターフロントのまちづくりは、これまでも高い評価を得てきました。グッドデザイン賞、都市計画学会賞、土木学会デザイン賞/優秀賞などの受賞をつぎのブログで紹介しております。お手すきのときにでも。

2019年10月11日ブログ「グッドデザイン賞」
2020年5月29日ブログ「都市計画学会賞!」
2023年2月1日ブログ「内湾デザイン 受賞」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 東日本大震災内湾地区

震災13年の「教訓」

3月11日午後7時からのNHKニュース7は1時間の拡大版。その冒頭は気仙沼の内湾に面した商業施設「迎/ムカエル」や「創/ウマレル」(PIER7)前からの中継で始まりました。現地にはアナウンサーの今井翔馬さん。

特集テーマは「震災13年 積み重ねた教訓 いまも残る教訓は」でした。東日本大震災後、13兆円以上が投じられて各自治体が〈創造的復興〉をめざしてきましたが、今後の「まちづくり」についての教訓として学べることはなにかということについてです。

くらし/まちづくり/SNSという3つの切り口が設定されていたのですが、「まちづくり」で、気仙沼の内湾地区の復興が成功事例的にとりあげられていました。見逃した方もいると思いますので、そのポイントを紹介します。〈 〉でくくった部分は和久田キャスターのナレーション内容です。

◎陸前高田市

「過疎地の復興」から見えた教訓を探ります、ということでの最初の話は、昨年まで陸前高田市の市長をつとめた戸羽太さんでした。「一生懸命一生懸命やってきたつもりですけど。できたこともあるし、できなかったこともあるし」と。

ナレーション〈あの日から12年間、市長として復興のため多くの決断を重ねてきました。(中略)最大の決断は、市中心部の10m以上のかさあげ。いわばゼロから町をつくりあげる工事は完了まで9年を要しました。新しい町に戻る人は少なく、空き地も目立ちますが、やむを得なかったと(戸羽さんは)考えています〉

◎石巻市雄勝町

次の話は、「〝思い描いた復興が…〟後悔抱く人も」ということで、石巻市雄勝町(おがつちょう)出身で、現在は宮城大学で災害後のまちづくりを研究する阿部晃成さんです。

雄勝町の人口は現在、震災前の4分の1の1000程度だとのこと。阿部さんは「はっきり言って、震災前の状況よりも悪くなっている」と語ります。

その理由を阿部さんは、住民の意見集約が不十分だった結果、地域のつながりが薄れたからだと感じています。「震災前からあった地域のつながりを住民側も行政側も意識してやっていれば、少なくともこのような状態にはならなかったのではないかなと」。

◎気仙沼市 内湾地区

そして3つめの事例として気仙沼の内湾地区が紹介されます。

〈住民の思いを集めてまちづくりに反映させてにぎわいを取り戻しつつある被災地もあります〉

〈商業施設などが相次いでオープン。震災前と比べて人口は減ったものの、移住してくる住民などで新たなにぎわいが生まれつつあります〉

ここで震災後のまちづくり協議会で会長をつとめた菅原昭彦さんが登場。

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〈この地区で酒蔵を営む菅原昭彦さんは震災後のまちづくりの責任者を担ってきました〉(和久田さんは「しゅぞう」と語っていましたが、「酒蔵」(さかぐら)だと思います)

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〈地区を離れた住民にも声をかけ、年100回以上の議論をかさねたといいます。(菅原さん)「時間がかかるかもしれないですけれど(住民同士で)根気強く対話を続けること。また、住民自身もいろんなことを勉強していかないと行政となかなか話し合いができない。そういう環境づくりも大事だと思います」〉

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◎にぎわいを生み出すための鍵

取材映像が終了して、気仙沼からの中継に切り替わります。

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取材を通して、町のにぎわいを生み出すための鍵はなんだったと感じていますかと問われたNHK仙台の北見晃太郎記者はタブレットを使って答えます。

まず「さまざまな要素があると思います」と前置きし、そのうちのひとつとして「意見集約の進め方があると思います」としてつぎのように。

気仙沼市内湾地区は、ほかの地域に避難した人や専門家も議論・協議に参加した
→ 方針がまとまるまで3年かかり、ほかの地域に移った人もいて人口は減少したが、いま一定のにぎわいを取り戻している。

一方、石巻市雄勝町では、市が見通しを早く示そうと、スピードを重視した復興を進めた
→ 住民が各地に避難していたため、短期間で意見を集めるのは難しかった。阿部さんは、「意見が反映されていない」と感じた人が戻りにくくなってしまったと指摘していたそうです。

◎住民の声をどう活かしたか

意見の集約について、気仙沼の内湾地区では住民の声をどう活かしたかという問いに、北見記者はつぎのように。

「地域住民が要望したことのひとつは、海が見えることとして、気仙沼の海が見えるということでした。この施設は、実は防潮堤の上に建てられています。

(この建物の)海側に面する方は一面ガラスばりになっていて、住民も観光客も、気仙沼のシンボルである海をゆっくりとながめられるようになっています」と。

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◎能登の被災地復興のために

最後に、能登半島地震の被災地復興の参考になることはと問われた北見記者は、

「震災からの復興はいまも様々な面で続いています。たとえば気仙沼市では活力を外部との交流で生み出そうと、外から応援してもらうファンクラブ制度を設けています。

雄勝町では移住者が中心となって廃校になった校舎で子供たちに宿泊型の体験学習をおこなうなど震災前にはなかった取り組みもなされています」

そして、

「一連の取材を通じて、復興の進め方に明確な正解はないというふうに感じました。能登の被災地ではこれからのまちづくりに向けて本格的な議論がはじまっていますが、それぞれが十分な対話を重ねて復興への道筋をたどるなかで、この13年の教訓が活かされてほしいと思います」と。

以上で、気仙沼からの中継は終了しました。

◎雑感

気仙沼の内湾地区の事例が好意的にとりあげられるのは、この地区で育った出身者としてうれしいというかちょっとホッとしました。一方で、雄勝町の紹介は、出身者/関係者ひとりの見方に寄りすぎているのではないかとも。いろんな課題を感じながらもいま雄勝町に暮らしている人の思いはどんなだろうかと。

陸前高田市の取り上げも、大規模なかさ上げ工事の映像と「空き地も目立ち」との説明で現状の厳しさをイメージとして感じつつも、前市長の述懐だけではちょっと物足りなさも感じました。しかし、拡大版とはいえ午後7時のニュース枠ではいたしかたなしといったところでしょう。

はじめは要点のみと思っていたのですが、NHKプラスの見逃し配信を見ながら、誤解を生まないようにと思っているうちに長くなってしまいました。見逃し配信は3月18日午後8時まで。

北見晃太郎記者、今井翔馬アナウンサーはじめ、NHKニュース7関係者の皆様、気仙沼での取材とご紹介、ありがとうございました。

「3/11NHKニュース7」見逃し配信

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 東日本大震災

三陸新報12日紙面

本日は3月12日。3月11日がきのうのことになりましたね。当然のことですが。

本日3月12日の三陸新報1面は、気仙沼市中央公民館でおこなわれた「追悼と防災のつどい」をはじめ、追悼行事などを紹介しています。見出しなどのイメージがわかる程度にして以下に。


三陸

三陸新報3月12日記事のイメージ


市内陣山にある気仙沼市復興祈念公園の様子も紹介されていました。ちょっとホッとしました。というのも、昨年は3月11日の祈念公園の様子があまりわからずにいたからです。昨年もこの場所での行事は特に計画されていなかったようで、ちょっとさびしい思いもあったのです。

記事には静かに黙祷する人たちの写真がありました。静かな祈りの場となったようでなによりです。この復興祈念公園は2021年3月11日に開園しましたから今年で3年となります。今年は、5基目の伝承彫刻として「三月」が新たに設置され、3月3日には除幕式がおこなわれました。

この「三月」は市の記者発表資料によれば、「幸せ」をイメージする母子の抱擁の姿を描いており、あの日、一瞬にして全てを失った「絶望」をも表現しているとのことです。

今朝、ツイッター(X)の投稿をながめていると、気仙沼の方の〈14年目の1日目〉という言葉がいくつか目にとまりました。

3月11日という特別な日がおわり、またいつもの日常が始まりました。普通であることのありがたさを感じながら、ということかもしれません。
 

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tag : 東日本大震災

鎮魂と追悼のヒカリ

本日で東日本大震災から13年。

気仙沼市によれば、この震災による気仙沼市の人的被害(住民登録ベース)は1356人(直接死1033人、関連死111人、行方不明者212人)にのぼります(2023年9月12日現在)です。気仙沼中学20回生の同級生では及川保則君(3年5組)と鷺(庄司)良子さん(3年8組)のお二人を失いました。そして気仙沼の多くの人が親族をはじめ大切な人を亡くしています。

◎3月11日からのヒカリ

今年も、「3月11日からのヒカリ」2017年版ポスター画像を掲げます。同プロジェクトの実行委員会代表をつとめた斉藤道有さんの承諾を得ております。


3月11日からのヒカリ
「3月11日からのヒカリ」2017年版ポスター(写真撮影:斉藤道有さん)



「3月11日からのヒカリ」は2012年から18年まで連続7回おこなわれました。3月11日に気仙沼の内湾〈鼎ヶ浦〉の3カ所から天に向けて3本の光を放射するプロジェクトでした。私たちも気仙沼中学20回生支援会として毎回協賛させていただきました。

今年も3本の光を静かに、心のなかでともします。鎮魂と追悼のヒカリとして。
 

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tag : 東日本大震災3月11日からのヒカリ

震災関連番組情報

3月11日で東日本大震災から13年となります。本日は明日以降の気仙沼に関連するテレビ番組を紹介しますが、その前にひとつお知らせを。

今年も、気仙沼港町の「かもめ食堂」が、3月11日にラーメン無償提供をおこないます。本日3月8日の三陸新報に広告が掲載されていました。

かもめ食堂
三陸新報3月8日掲載広告


「かもめ食堂」は、東京などでラーメンの名店として知られる「ちばき屋」や銀座「まかない 㐂いち」を営む千葉憲二君が、震災復興の一助になればと2015年11月19日に復活開店させました。

毎年3月11日のラーメン無償提供は、震災直後に何度もおこなった気仙沼での炊き出しの延長上にあるものと私は思っています。憲二君、いつもありがとう。

3月11日(月)午前11時〜午後5時です。どうぞお出かけください。


ここからが本題。テレビ番組情報です。

①NHKスペシャル          

3月10日のNHKスペシャルでは、気仙沼市職員の体験も紹介されるそうです。




NHKスペシャル
語れなかったあの日 自治体職員たちの3・11
NHK総合テレビ
3月10日(日)午後9:00~9:54

〈震災で自分や家族も被災しながら、過酷な現場の第一線に立ち、住民の命や生活を守る要となる人たちがいる。被災自治体の職員たちだ。

宮城県庁や気仙沼市で、合わせて職員1000人以上に行われてきた壮絶な体験の聞き取り調査がまとめられた。これまで表だって語られてこなかった震災の知られざる現実が、今も消えない生々しい記憶として綴られた貴重な記録だ。〉(番組サイトからの引用は以上)

「これまで表だって語られてこなかった震災の知られざる現実」。これは必見。

②ありがとうを3.11に伝えよう委員会 

2021年3月にはじまった「ありがとうを3.11に伝えよう委員会」が今年も放送されます。4回目となります。

ありがとうを3.11に伝えよう委員会2024
NHK総合テレビ
3月9日(土)午後5:00〜5:59

番組サイトから紹介文を引用します。「3月11日を感謝の言葉であふれる日にしたい」。東日本大震災から10年を前に、宮城・気仙沼の人々が立ち上げた“ありがとう”の思いを感謝状に込めて手渡す「ありがとう委員会」。第4回となる今年は、お世話になった方々を招き、“ありがとうの集い”を開催!今年は能登半島地震もあり、今も苦しい状況の人を思いながら、震災から今日までの13年の歩みを“ありがとう”とともに振り返る。涙と笑顔の感動ドキュメント。(引用は以上)

昨年2023年の「ありがとうを〜」では、台湾の皆さんへの感謝も紹介されました。つぎのブログで紹介しております。

2023年3月17日ブログ「台湾の皆様に感謝」

③帰れマンデー見っけ隊!!     

サンドウィッチマンのお二人と、ずん飯尾さんらが気仙沼と陸前高田を訪れます。


帰れマンデー見っけ隊!!
テレビ朝日系(気仙沼は東日本放送)
3月11日(月)午後7:00~9:54

④「Kesennuma,Voices.7」     

テレビ放送ではありませんが、「Kesennuma,Voices.7」の上映会が3月7日の三陸新報に紹介されていました。

Kesennuma,Voices.7上映会
3月9日(土)午後1時〜
気仙沼市南町「拓(ヒラケル)」イベントホール
入場無料

上映後に、同作品の企画・構成・監督をつとめた堤幸彦監督と生島ヒロシさんのトークショーがあるとのことです。生島博さんは、気仙沼小・中・高校の1年先輩です。

上映されるのはドキュメンタリードラマ「Kesennuma,Voices.7 東日本大震災復興特別企画〜2017 堤 幸彦の記録〜」。この作品シリーズは、CS TBSチャンネル2013年3月放送の「Kesennuma,Voices.1」から今回上映の「Voices.7/2017」まで制作されてきました。

三陸新報の記事に、地元の子供たちが出演した舞台の様子なども収められているとありました。これは総合演出が堤幸彦監督、演出が生島ヒロシさんの長男である生島勇輝さん、次男の翔さんが振付を担当したミュージカル『デンマークとさんま十勇士』です。2018年3月3日に気仙沼ホテル観洋で上演されました。設定は1962年。

翔さんのブログによれば、〈父・生島ヒロシの少年時代昭和30年代のお話〉とのことで、
〈家の食堂を手伝いながらも、クラスのマドンナ・ようこちゃんの気をひくため、ヒロシは友達10人とNHK合唱コンクールを目指すことに〉といったあらすじ。

「デンマーク」とは、気仙沼中学校の音楽担当、小野寺正子先生のことでしょう。気中歌唱班の指導もしていました。マドンナ〈ようこちゃん〉も見当がつきますが、ここまでにしておきましょう。


このほか、東日本大震災に関連して気仙沼がとりあげられる番組も多い思います。本日はわかる範囲での紹介です。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 東日本大震災

佐々木一等機関士

鹿児島県串木野市の遠洋マグロはえ縄船「第8福栄丸」が伊豆諸島の神津島北西で座礁したというニュースが流れたのは3月4日のことでした。第3管区海上保安本部がヘリコプターで乗組員25人のうち24人を救助しましたが、残る1名が近くの海岸に漂着し死亡が確認されたと。

亡くなった方は気仙沼の佐々木正一さんであったと報じられています。3月5日の三陸新報はつぎのように。


佐々木さん

三陸新報3月5日記事の一部イメージ


佐々木正一さんは67歳とのこと。私たち気中20回生は3月末でみな72歳になりますから、学年でいうと5つぐらい下。高齢の漁船員といってよいでしょう。

3月5日のFNNプライムオンラインは、この座礁に関する「めざまし8」のニュース映像を配信しています。その見出しを見ておどろきました。亡くなった佐々木さんは「転覆回避のため荷物を移動か?」と。


このニュースの多くは、厳しい条件下での救助活動だったことについてです。そして最後に佐々木さんについて。

〈海に流され亡くなった一等機関士の佐々木正一さん。救助活動が始まる約1時間前の午前4時45分頃、船外で荷物を移動させようとした際、船から海に投げ出されたといいます。〉

〈佐々木さんが担当する一等機関士とは、船を動かす機械を管理し、常に良好な運転を維持する役割。そんな佐々木さんが、危険な状況の中でも荷物を移動させようとしていたのは、「転覆を防ぐためだった可能性がある」と専門家は指摘します〉

専門家の指摘とは日本水難救済会遠山純司理事長のつぎのコメントです。「今回想像されるのは、転覆が想定される状況下で重い荷物が片方に移動しないよう、措置しようとしたのではないかなと」。

25人が乗っていた船を転覆させないための行動が佐々木さんの死につながったとすれば、本当にせつないものがあります。

第8福栄丸が静岡県清水港を出港したのは3月3日午前11時。南米沖に向け1年航海の予定だったそうです。乗組員は25人。日本人5人、インドネシア人20人です。救助された24人の方々はなによりのことでした。

一等機関士佐々木正一さんのご冥福をお祈りいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 座礁佐々木正一

「まるき」のサラメシ

ランチをのぞけば 人生が見えてくる 働くオトナの昼ごはん それが「サラメシ」。明日3月7日(木)のサラメシに、気仙沼の「中華そば まるき」さんが登場します。番組サイトの紹介文には「東日本大震災の5か月後、気仙沼で営業を始めたラーメン店。たっぷりの煮干しを使ったスープは、体にしみわたり、安らぎと元気をくれる味」とありました。

3月2日、まるきの熊谷一政さんがつぎのように投稿していました。


NHK総合「サラメシ」
3月7日(木)
午後7:30〜7:57
関西地方(大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀)を除く全国放送です。
関西地方は、3月10日(日)午前8:00〜8:23放送。
再放送:
3月14日(木)午後0:20〜0:45

〈東日本大震災の5か月後、気仙沼で営業を始めたラーメン店〉というのはちょっと誤解を生みそうですね。震災後5カ月での営業「再開」ということです。

私がまるきさんのラーメンを食したのは1度だけ。昨年7月に気仙沼中学20回生の同年会(3年遅れの古稀祝い)で気仙沼に帰ったときのこと。つぎのブログで熊谷さんとの写真とともに紹介しました。

2023年9月25日ブログ「ラーメンが結ぶ縁」

まるきさんでの収録は2月7日と8日でした。知っている方が登場しないかなあ。それもちょっと楽しみです。

皆さんも是非ご覧ください。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : まるきサラメシ

佐々木写真館閉幕

佐々木写真館(同店の正式表記は「寫真館」)が2月29日で気仙沼での営業を終了することはつぎのブログで紹介しました。

1月23日ブログ「佐々木写真館広告」

そして、その営業最終日となった2月29日の三陸新報には、つぎの記事が。見出しは「大正 昭和 平成 令和 気仙沼の100年見つめ続け 佐々木寫真館きょう営業に幕」。


佐々木写真館

三陸新報2月29日記事の一部イメージ


オンラインでも記事が配信されています。なお、このオンライン記事の見出しは文章が乱れています。

三陸新報オンライン2月29日配信記事

記事では同写真館の3代目となる佐々木健夫さんの話が紹介されていました。

初代の佐々木浩さんが南町で創業したのは1922年(大正11年)です。健夫さんは〈開業当時はまだ南町海岸に魚市場があった時代。料亭で行われた大漁祝い、大漁祈願の宴会での撮影需要が多かったみたいです〉と。

そして〈昭和に入り、戦時中には気仙沼から出征する兵士と家族の写真撮影が増加。「武運長久を祈りながらも、これが『最後』の写真になるのではとの思いもあったでしょう」〉と祖父の浩さんの悲しみを想像して語ります。

1964年に浩さんが亡くなり2代目となったのが健夫さんの父である浩一さんです。健夫さんは日本大学芸術学部写真学科を卒業して帰郷。1973年には神山に店舗を増やしました。私は南町から神山に移転したと思っていましたが、震災までは2店舗だったのですね。

健夫さんの話は、つぎのように続きます。〈戦後の第1次ベビーブームの頃から、誕生祝いや七五三、成人式、結婚式など、一般家庭からの注文が急増。昭和40、50年代になると、「多い日で1日8~9件の結婚式を掛け持つこともあった」〉。

◎東日本大震災

震災では、南町、神山の両店舗が被災したそうです。神山のみ復旧し、これを機に健夫さんが3代目となりました。

震災直後の遺影の作成について、記事にはつぎのように。〈アーバンの協力店会として、遺影の作成も業務としてきたが、つらかったのは震災直後。「1日20~30人の遺影を作る作業が1カ月続いた」〉と。記事の後半には、「喜び悲しみに寄り添い」という見出しも。

記事の最後に健夫さんの言葉が紹介されていました。「まちの記録、家族の記録を美しく残す、それが写真屋の役割。お客さんに『立派だね』と喜んでもらえた時に一番のやりがいを感じた。感謝しかない」。

2代目浩一さんの時代から「佐々木寫真館」さんには家族ぐるみで大変お世話になりました。健夫さん、ありがとうございました。仙台でもどうぞお元気で。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 佐々木写真館佐々木健夫

宏幹先生の「望郷」

気仙沼出身で駒澤大学名誉教授の佐々木宏幹さんが2月26日にお亡くなりになりました。29日の夜に知り、調べてみると新聞各紙での訃報記事がありました。そのひとつ産経新聞の2月28日配信記事にはつぎのように。

〈佐々木宏幹氏(ささき・こうかん=宗教人類学者、駒沢大名誉教授、本名・宏幹=ひろもと)26日、老衰のため死去、93歳。葬儀・告別式は3月4日午前10時、東京都港区高輪2の11の1、泉岳寺で。喪主は友人、藤木隆宣(ふじき・たかのり)氏。
シャーマニズム研究の第一人者として知られ、日本の仏教文化やアジアの宗教文化を比較研究した。日本宗教学会常務理事、日本民族学会理事などを歴任した。著書に「シャーマニズム」「仏と霊の人類学」「仏教人類学の諸相」など。〉(引用は以上)

「東京自由大学」さんは2月26日に、佐々木先生の写真も掲げてつぎのように。


佐々木宏幹さんが気仙沼市三日町の少林寺に生まれ、市内河原崎(新城)の宝鏡寺で育ったことは昨年11月17日のブログで既に紹介しております。旧制気仙沼中学に入学して新制気仙沼高校第1回生として卒業しました。

2001年から2012年までは「みなと気仙沼大使」もつとめていましたが、2012年以降は高齢を理由に辞退されたそうです。

著書『仏教人類学の諸相』の刊行を準備していた教え子のお一人から旧制気仙沼中学の校歌についての問い合わせを受けたことは11月のブログにも記しました。同書は、佐々木先生が昨年5月に93歳の誕生日を迎えるにあたり、先生の教えを受けた方々が記念としての発刊を準備していたそうです。

問い合わせに関するメールのやりとりのなかで、先生が昨年9月ごろから2カ月ほど入院し、退院後はそれまでの一人暮らしは難しく介護施設に入居していたと知りました。

メールには、佐々木先生はもう何十年も気仙沼に帰省しておらず、これからの帰省も叶わないでしょうとあり、〈そのためか、無性に気仙沼のことが想い出されて仕方ないようです〉とも。

望郷の念。著書にも記されていた幼いころの思い出をはじめ、生まれ育った気仙沼のあれこれが脳裏をめぐっていたのでしょう。

佐々木宏幹さんのご冥福をお祈りいたします。合掌

2023年11月17日ブログ「宏幹先生と気仙沼」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐々木宏幹

昭和9年の草競馬

2月16日のブログで、現在は気仙沼高校の敷地となっている場所での草競馬写真を紹介しました。『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた写真で、撮影は大正5年(1916年)。

2月16日ブログ「中納言原の草競馬」

このブログ投稿の直後、『目で見る気仙沼の歴史』に別の競馬会写真があることに気づきました。本日はその紹介を。

まずは「九条住宅入口の草競馬」の写真から。


草競馬
『目で見る気仙沼の歴史』より


説明文を引用します。「気高の校庭とは別に、九条住宅入口の小山正明(前原)、かやの実保育所、放送局の中継所にかこまれた一画で、昭和初期、さかんに草競馬が開催された。昭和9年。」(引用は以上)

昭和9年(1934年)ということは「中納言原の草競馬」写真の18年後ということですね。〈前原〉とあるのは屋号でしょうか。この写真は『気仙沼市史』にも掲載されています。

もう一枚の写真はこれです。「賞品席」。


賞品席
『目で見る気仙沼の歴史』より


説明文は、「賞品席にいるのは、右から木田豊吉前気仙沼漁協組合長、小野寺良助元小野良組社長」。

この2枚の写真は同じ競馬会のものとみてよいでしょう。市史の記述を参考にすると、昭和9年(1934年)4月28・29日開催の競馬会と思われます。

小野寺良助さんの名前が登場しましたね。

◎気仙沼競馬会/小野寺良助会長

市史によれば小野寺良助さんは、気仙沼競馬会の会長として、中納言原(現・気仙沼高校敷地)が使えなくなった後の競馬場用地の確保にあたったとのことです。なお、昭和9年の競馬は、場所が変わっているものの、「中納言競馬」という通称は残ったようです。ちょっとまぎらわしい。

もうひとつまぎらわしい話を記しておきましょう。気仙沼市史の競馬に関する記述では複数箇所で「小野寺良助」ではなく「小野寺良亮」となっているのです。「亮」は「すけ」とも読みますね。別表記があったのかもしれません。そうした市史における競馬の記述は後日に。

小野寺良助さんは明治22年生まれです。上の写真にうつる「小野良」さんは45歳ぐらいということでしょう。

小野良組の初代社長である小野寺良助さんについてはつぎのブログに記しております。お手すきのときにでもお読みいただければと。

2020年9月4日ブログ「小野良組100周年」
2020年9月7日ブログ 萬有流転「小野良」

小野寺良助さんの息子さんで小野良組の3代目社長をつとめた小野寺良正さんが、岩手県水沢競馬のヒーローともいわれた「メイセイオペラ」の馬主だった話はまた別の機会に。「メイセイオペラ」は、地方競馬所属ながらJRA/中央競馬GIレースで勝利した唯一の競走馬です。

今週はこれにて。
 

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tag : 草競馬小野寺良助

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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