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鈴木實夫君の随想

1月31日の三陸新報「リレー随想」は、気仙沼高校の同年生だった鈴木實夫(じつお)君でした。唐桑中学出身の気高3年5組。


1:31随想

三陸新報1月31日記事の一部イメージ


鈴木君が大学卒業後県庁につとめ、その後は気仙沼市役所で働いていたことを昨年まで知らずにおりました。随想の冒頭にその経緯が記されており、なるほどと。

鈴木君と発掘調査との出会いは、大学で考古学を専攻したことから始まりました。そして卒業後は福島県庁へ。東北新幹線整備のための路線内遺跡発掘調査に従事したそうです。県庁に5年間勤めた後、1979(昭和54)年に気仙沼市の文化財担当職員になったとのこと。

随想の多くは、鈴木君にとって気仙沼で初めての発掘調査となった「田柄貝塚」の説明にあてられています。田柄貝塚は、気仙沼市所沢にある(あったというべきなのでしょうか)縄文時代の大規模な遺跡です。

この調査結果は、宮城県教育委員会と建設省東北地方建設局による『宮城県文化財調査報告書111:田柄貝塚』(昭和61年3月)としてまとめられています。ネット上でも公開されており、それを見ると、調査期間は、昭和54年(1979年)4月10日〜10月26日。気仙沼市教育委員会の調査員として「鈴木実夫」君の名がありました。

鈴木君は〈7年後に3分冊の厚い報告書にまとめられた〉と書いていますが、Ⅰが464頁、Ⅱが306頁、Ⅲが530頁で計1300頁にもなるまさに〈大冊〉です。

鈴木君はいま72歳。筆者紹介によれば、現在は唐桑観光ガイドの会会員で、気仙沼市文化財保護審議委員をつとめています。気仙沼市唐桑町鮪立在住。

文章のおわり近くにつぎのように記しています。

〈田柄貝塚は、気仙沼の縄文時代の暮らしを現代に伝えるタイムカプセルだった。調査員の一人として参加できたことが私の誇りであり、大きな財産である〉

誇りであり財産。45年前の発掘調査をふりかえりつづった鈴木實夫君の随想をうれしく読みました。元気でなにより。鈴木君、ありがとう。


田柄貝塚など、縄文時代の気仙沼についてはつぎのブログでも。

2013年2月26日ブログ「気仙沼の縄文人」
2023年11月16日ブログ「縄文時代の気仙沼」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鈴木實夫田柄貝塚縄文時代

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Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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