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阪急メンズの映像

大阪梅田の「阪急メンズ大阪」4階で、気仙沼をテーマにしたイベントが10月25日から開催されています。KESENNUMA PRIDE × Hankyu MENS OSAKA。

気仙沼プライド


このイベントのために制作、公開された映像を紹介します。「LOCAL PRIDE -KESENNUMA 気仙沼- 2023」と題された約12分間の映像です。




「阪急メンズ」公式サイト

公式サイトから紹介文を引用します。

〈阪急メンズ大阪のバイヤーが訪れた宮城県気仙沼。地域の自然環境や伝統文化を守り育む「スローシティ」に認定されたこの地に暮らしながら、モノづくりに情熱を注いでチャレンジをし続ける人々をご紹介。

現地の方々と直接触れ合い、目で見て、手で触れてバイヤー自身が感じた気仙沼をファッションで盛り上げます。〉(引用は以上)

そしてYouTubeでは、映像のあとにつぎの文章がありました。

〈リアスの海と緑豊かな山や川の恵みを享受し、命の源である自然を大切に守る。地域ならではの食文化と生活を育む取り組みを継続して続けています。

一方で、幾度となく津波に襲われながらも、気仙沼の人々は海とともに生きてきました。
新しいものを受け入れ、多様性を尊重すること。自然を敬い、ともに生きること。このまちの自然との向き合い方は、モノづくりに表れています。〉(引用は以上)


映像の冒頭、大船渡線で気仙沼に向かう阪急メンズバイヤー岸田さんがうつるシーンもいいですね。岸田さんは約1年ぶりの気仙沼再訪とのことです。

この映像で紹介されるのは、つぎの4名の方々です。

◎気仙沼ニッティング
御手洗瑞子(みたらい・たまこ)さん
◎シャークス
熊谷牧子さん
◎インディゴ気仙沼
藤村さやかさん
◎高前田乾隆窯
斎藤乾一(さいとう・けんいち)さん
◎MAST HANP
宍戸正利さん
◎BLACK TIDE BREWING
丹治和也さん

気中20/気仙沼中学20回生の同級生に関連する方がお二人。まずは、シャークス/熊谷牧子さんは3年5組渡辺まさ子さんの妹さん。そして、インディゴ気仙沼さんが活動拠点としている平野本店は、3年3組平野秀明君の実家です。あの懐かしい店舗建物に向かって右側にある住宅棟(主屋)で平野君は育ちました。つぎのブログでも紹介しております。

2018年11月21日ブログ文化財「平野本店」

◎KESENNUMA PRIDEとは

阪急メンズのオンラインサイトでのキャンペーン名は「KESENNUMA PRIDE × Hankyu MENS OSAKA」です。気仙沼の山や海を背景に「KESENNUMA PRIDE」のロゴが印象的に配された画像が使われていました。このブログ冒頭に紹介した画像です。

つまり、阪急メンズ大阪と「KESENNUMA PRIDE」のコラボレーションというイメージなのですが、「KESENNUMA PRIDE」とは何か。

「KESENNUMA PRIDE」のロゴは、2021年10月29日に公開されたWEBサイト「KESENNUMA PRIDE」で初めて使用されたと思います。公開当時は、〈おかえりモネの舞台・宮城県気仙沼市に住む人々の誇りを伝えるwebサイト〉だと。つぎのブログで紹介しております。

2021年11月5日ブログ 気仙沼の「PRIDE」

このブログで私は、「KESENNUMA PRIDE」の映像制作主体、情報出所が明確になされればさらによかったのにという印象を記しました。当時の気仙沼市記者発表資料によれば、「連続テレビ小説『おかえりモネ』気仙沼プロジェクト実行委員会」によるシティプロモーションということなのですが、「おかえりモネ」というドラマ名の扱いなどで難しいところがあるのかもしれませんね。

最後になりましたが阪急メンズさんに御礼を。「KESENNUMA PRIDE」のコンセプトに共鳴いただいたことを、気仙沼出身者としてとてもうれしく思っております。素敵な映像もありがとうございました。バイヤーの岸田さんにも感謝を。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : KESENNUMAPRIDE阪急メンズ

CHOPPERの皆さま

8月20日に、気仙沼市波路上(はじかみ)のJFみやぎわかめ流通センター脇を会場として、WANTED BIKER TOURING in宮城が催されました。チャリティーツーリング&ライブ 東北ウォンテッドバイカーツーリング #12。

8月22日の三陸新報がつぎのように伝えていました。全国各地からハーレーダビッドソンなどの大型バイク約400台が集結。音楽ライブもおこなわれたと。


チョッパー

三陸新報8月22日記事の一部イメージ


ロックバンド「COOLS」の佐藤秀光さんを中心に、2012年から宮城、岩手、福島でおこなっているツーリングと音楽ライブをあわせたイベントとのこと。チケット収益の一部や会場での募金を開催自治体に寄付してきたそうです。気仙沼では2020年に予定したいたそうですが、新型コロナの関係で延期されていました。

「COOLS」というと、結成メンバーの舘ひろしさんの名がうかびますね。佐藤秀光さんはドラム。8月のライブにはシャネルズやラッツ&スターのメンバーだった田代まさしさんも出演していたそうです。その活躍がなによりです。

そして10月27日には、菅原市長がつぎの投稿を。


主催団体であるCHOPPER東北の荒井供実代表が、気仙沼市役所を訪れて、寄付金を贈ってくださいました。市長の右側が荒井さんでしょう。
YouTubeで当日のツーリング映像をみることができましたが、なかなかの迫力ですね。3輪バイクを「トライク」と呼ぶことをはじめて知りました。BI(2)ではなくTRI(3)ということですね。

WANTED BIKER TOURING関係者の皆さま、ありがとうございました。また気仙沼にいらっしゃってください。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : CHOPPER東北COOLS

「太田」地区の歴史

10月24日ブログ「太田再興をめざす」の続きです。「太田地区の再生に思うこと」と題する10月7日の三陸新報「論説」を、とても興味深く読みました。


論説

三陸新報10月7日記事の一部イメージ


本日はこの論説に記された「太田」地区の歴史についてです。

まずは冒頭の文章を引用します。

〈往時を知る人は「花街」と呼ぶ。飲食店の数は多い時で200軒にも及び、気仙沼湾奥に係留する漁船員の憩いの場となっていた。安全航海と大漁を見守る安波山の麓の太田(おおた)地区である。〉

気仙沼の太田地区は私が育った魚町と隣接していますからよく知っています。何人もの同級生の顔がうかびます。

昔は田んぼが広がっていたそうです。「安波山の豊かな水を恵みとする棚田が営みの場だった」と。そして、国鉄(現JR)大船渡線の敷設を機に宅地が進み、踏切から海岸方面の一帯は飲食店が立ち並ぶようになったと。田んぼが多かったので「太田」という地名になったという話を聞いたこともあります。

太田に大船渡線の線路が敷設されたのはいつだろう。Wikipediaにはつぎのように。

1932年(昭和7年)3月19日
気仙沼駅 - 上鹿折駅間 (7.5 km) を延伸開業。鹿折駅、上鹿折駅を新設。

1932年以降に宅地化が進んだということなのですね。飲食店が立ち並ぶようになった時期がいつ頃だったのかはわかりません。

◎東北一のダンスホール

踏切から鹿折(ししおり)地区に向かう三坂(さんさか)の頂(いただき)には、東北一とうたわれたダンスホールがあったそうです。「花街」に箔をつけたとも。このダンスホールの名を知りたいですね。いつ頃なのだろうか。

「ダンスホールからは、トンネルから出てくる白煙の列車が見えた。ある銀行のテレビCMに採用されたこともある」というのですが、これはダンスホールとは関係なく、付近にあったトンネルからの列車映像ということでしょうか。

◎保健所や交番

小高い場所にあった保健所での〈その筋の〉検査日には、〈「花街」で働く女性の長蛇の列ができたと〉いいます。かなり踏み込んだ記述です。

そして「昭和40年代後半、華やかなキャバレーに押されるように、小さな飲食店は淘汰され、空き家や空き店舗が目立つようになった」。

これはわかるなあ。なんか、派手なサインの「ミニキャバレー」的な店が増えてきて、同窓会だったかなにかの3次会でいった記憶があります。

「花街」の入り口から、100m入った左手の道路沿いに交番があったといいます。そういえばあったような気がする。ただし、「13人の署員が交代で勤務に就くほど、エネルギーに溢れていた」というような大きな交番だったかどうか。

◎「気仙沼市史」での記述

たしか気仙沼市史で、太田地区に関する記述があったなと思い調べてみました。『気仙沼市史』第4巻 近代・現代編のつぎの記述が見つかりましたので引用します。


昭和32年(1957年)4月
売春防止法公布。太田花街の灯が消えることとなる。昭和6年秋に丙種料理店、7年10月、特殊飲食店として認可されたが戦後ふえ、サンマ・ラッシュに湧いた24−5年頃には20軒ほどとなり、全盛期には300余の女性が従事する歓楽街となった。(引用は以上)

わずかな文章量ですが、貴重な情報であると思います。

気になったことがあります。「丙種料理店」とありますが、「乙種料理店」のことであるように思います。甲乙丙丁(こうおつへいてい)の乙。甲種料理店はいわゆる料亭とのことです。また、昭和32年4月に売春防止法公布としていますが、これは施行です。公布は前年の昭和31年(1956年)5月。

◎気仙沼文化史年表の記述

荒木英夫さんの「気仙沼文化史年表」にはつぎの記述がありました。

昭和32年4月1日「売春防止法施行 太田花街の灯消える」

たぶん市史の記述を典拠としているでしょう。公布ではなく正しく施行としています。なお、荒木英夫さんは太田在住ですから、この地域の歴史にも相当詳しいはずです。

◎大杉神社、金比羅神社、夢幻洞なども

論説の後半には、安波山中腹の大杉神社や太田地区にあった酒造工場の話も。酒造工場は角星さんの工場ですね。旧白山小学校の元校舎に移転しました。

また、金比羅神社境内の句碑や、気仙沼図書館の館長をつとめた菅野青顔さんの自宅の話なども。青顔さんは自宅を「夢幻洞」(むげんどう)と称していましたが、論説では「夢幻堂」となっていました。誤記でしょう。

◎論説の筆者は

この10月7日の「論説」筆者はどなたなのでしょう。三陸新報社の現役記者や幹部の方か。太田地区の歴史に詳しいことからみて年配の方と思うのですが。

私が三陸新報で太田に詳しい方として連想するのは、同社で編集局長もつとめた三浦博光さんです。三浦さんは太田在住のはず。ただし、すでに同社を退職しています。

三浦さんが以前に三陸新報で連載した「野球交友録」は、とても面白く読ませてもらいました。この連載は同社から「余談あり…スポーツ記者の野球交友録」として発刊されました。


長くなりました。話を戻して、三陸新報「論説」の結びを引用します。

「まちなかエリア」のにぎわいを取り戻す。その周辺部への着想と実行力が頼もしい。若い視点はさらに新しい魅力を発見していくことだろう。(引用は以上)

三陸新報さんでの、さらなる太田地区歴史話を期待しております。どうぞよろしく。


10月24日ブログ「太田再興をめざす」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 太田

漁師暦の「最終章」

気仙沼つばき会による「気仙沼漁師カレンダー」2024年版が大安吉日の9月7日に発売されたことはすでに紹介しております。2024年版の写真は瀧本幹也さん。その瀧本さんが10月24日につぎの投稿を。


瀧本さんは9月7日の発売日にも制作会社BambooCutの竹内順平さんの投稿を紹介するかたちで〈ぜひご覧ください〉と記していました。


そして10月25日の三陸新報でも。見出しは、惜しまれつつ「最終章」。


三陸新報

三陸新報10月25日記事の一部イメージ


記事では〈このほど完成〉としています。三陸新報での同カレンダー2024年版紹介がまだだったのですね。これをきっかけにしての販促活動をあらたにといったところでしょうか。カレンダーを手にしているのは、気仙沼つばき会の事務局長をつとめる小柳朋子さんです。

実をいうと私は、この2024年版をまだ購入しておりません。2022年版も2023年版も、都内のトークイベント時に購入し、それぞれ市橋織江さん、公文健太郎さんのサインをいただきました。今回2024年版も藤井さんのイベントがあればなあと期待しているのですが。どうなんだろう。

漁師カレンダー公式サイト

なお、9月の発売直後、つぎのブログで2024年版や瀧本幹也さんの話を紹介しております。お手すきのときにでも。

9月12日ブログ「2024年は瀧本さん」
9月13日ブログ「漁師カレンダー序章」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 漁師カレンダー瀧本幹也

10/16の河北春秋

河北新報が、千葉周作の気仙沼市生誕説を紹介してくれました。河北新報のコラム「河北春秋」です。同紙オンラインで10月16日に配信されました。


河北春秋

画像クリックで河北オンラインにジャンプ


記事冒頭の「セキレイの尾のごとく切っ先を動かして攻めの機会をうかがう」というのは、剣豪千葉周作が創始した剣術「北辰一刀流」の極意とのこと。そして〈漫画『赤胴鈴之助』で主人公の師匠として描かれたことを覚えている方もいよう〉とも記しています。

記事では、著名な割に千葉周作の詳しい生誕地は判然とせず、長く論争が続いてきたといいます。そして、これまで生誕地として可能性が高いとされた3地域を紹介。栗原市花山、大崎市古川荒谷、陸前高田市気仙町です。

1991年にはそれぞれの信憑性を検証した郷土史家が陸前高田説に軍配を上げる本が出版されたそうです。記事はつぎのように続きます。

〈論争も幕かと思いきや、さにあらず。現在は新たに気仙沼市を生誕地とする説が浮かんでいる。周作の弟定吉が1853年に鳥取藩に提出した身上書に、「生国 陸奥気仙郡気仙沼村」とある。気仙沼村は当時の「本吉郡気仙沼本郷」、現在の気仙沼市中心部に当たるという〉

このあとに、千葉富夫さんが9月21日に松岩公民館でおこなった講演が紹介されます。講演では気仙沼市を生誕地とする論拠を示したと。そして気仙沼市では改めて千葉周作との縁を探る市民グループの活動も始まったとも。

記事の筆者が4地域のどこが生誕地として有力と考えているかは記されていません。その結びの文章を引用させてもらいます。

〈坂本龍馬らそうそうたる顔触れが門弟に名を連ねた。どこが生誕地だろうと東北の誇りであることに変わりはない。地域間の綱引きではなく、共に手を携えて歴史ロマンを盛り上げたい。〉

ハッピーエンド。東北6県のブロック紙「河北新報」としては穏当(おんとう)な結びです。気仙沼出身者の一人としては、気仙沼が生誕地であって欲しいと思っているのですが、ほかの4地域の人々も同じ気持ちでしょう。私も〈共に手を携えて歴史ロマンを盛り上げたい〉と思うことにいたします。どうぞよろしく。

最後になりましたが、河北新報さん、ありがとうございました。また千葉周作生誕地についての話を是非に。

10月12日ブログ 「気仙沼説」の解説
9月14日ブログ「千葉周作の生誕地」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 千葉周作

太田再興をめざす

10月6日の三陸新報に、「太田に再びにぎわいを」という見出しがありました。リードには〈かつて歓楽街として栄えた気仙沼市太田(おおた)地区の再興を目ざす取り組みが始まっている〉と。


太田地区

三陸新報10月6日記事の一部イメージ


この記事は、オンラインでも配信されています。

三陸新報オンライン10月6日配信記事

記事によるとこの取り組みは、市役所庁舎移転後の跡地周辺や内湾エリアの将来計画「気仙沼まちなかエリアビジョン」の一環とのこと。

官民連携組織「まちなかエリアプラットフォーム」内にエリアリノベーションの部会を設け、空き家再生の専門家などを招いて一昨年から検討を重ねているそうです。

リードでは〈市内の若手有志やまちづくり組織が遊休不動産を活用し、再びにぎわいを取り戻そうーと汗を流している〉とも。

対象の空き家はいまのところ市道沿いの7軒ですが、部会リーダーでデザイナーとして活動する志田淳さんが、その再生第1弾となるプロジェクトに着手したそうです。

志田さんはスナックとして使われていた2階建ての建物を取得し、オフィスやギャラリーにするため改装します。記事では、〈これから1年ほどかけて完成させ、プロジェクトの先導役を担う〉と。

◎志田淳さんの投稿

志田さんは、この〈太田の物件〉について、9月21日と25日に次のようにX(旧Twitter)投稿していました。まずは9月21日ポスト。


そして9月25日には前日24日のお披露目について。


志田さんがいう〈気仙沼が気仙沼たる文化を作った太田エリア〉。なんかわかるようなわからないような。その微妙な感じはわかります。

太田地区については、ちょっと説明が必要かもしれません。私たち世代にとっては不要なのですが。

三陸新報の記事リードでは〈かつて歓楽街として栄えた〉と。そして本文では、〈太田地区はかつて、飲食店や商店などが林立していた。東北沿岸の港町で有数の繁華街として知られたが、現在は閑散としている。高齢化も進んでおり、空き家問題は長年の課題だ〉としています。

こうした課題への新たな取り組みを、かげながら応援したいと思います。

◎三陸新報10月7日「論説」

10月6日の記事を受けてのことだと思うのですが、10月7日の同紙「論説」のタイトルは「太田地区の再生に思うこと」。とても興味深く読みました。

これについてはちょっと長くなるので、回をあらためて記すことにいたします。
  

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 太田地区志田淳

朝日のサンマ記事

10月20日の朝、東京近辺の気仙沼出身同年会「けせもい会」のLINEで、佐々木(金野)真紀さん(気中3年6組)が、「昨日の朝日新聞夕刊に、目黒のさんま祭と千葉憲二君(3年4組)の話がのっていました」と教えてくれました。見出しは「やっぱりサンマは気仙沼に限る」。


朝日新聞
朝日新聞10月19日記事の一部イメージ


◎目黒のさんま祭

はじめは、10月8日におこなわれた「目黒のさんま祭」の話です。9月末から気仙沼漁港へのサンマ水揚げが止まっており、実行委員会は冷凍サンマを出すことも検討したといいます。冷凍ものは過去1回、2017年に使っただけだったそうです。

悲劇的な見方が広がるなか、漁師の意地を見せたのが、大型サンマ船第81豊清丸で漁労長を長年務める中舘捷夫(なかだて・かつお)さんでした。

中舘さんは北海道沖の近海で10月4日夜に小さな魚群を見つけます。漁獲量は約3トン。燃料費に見合わない少量で「赤字覚悟」でしたが、「祭りなのに、水揚げできていないのが気になって。目黒と気仙沼のつながりのためよ」と中舘さん。そのサンマが目黒に運ばれました。

◎気仙沼「かもめ食堂」

続いて、千葉憲二君の話。

〈同じ8日、新横浜ラーメン博物館では、気仙沼から期間限定で出店中の「かもめ食堂」に列ができていた。店主の千葉憲二さん(72)は気仙沼出身。名物の塩ラーメンの味を引き立てているのが、地元産のサンマを使った自家製の香油だ〉

記事では、憲二君の少年時代の旧魚市場前にあった「かもめ食堂」が紹介されます。同店は後継者難で2006年に閉店。そして〈千葉さんは復興のともしびにと店の再興を企画したが、被災地直後で用地がない。手を差し伸べたのが同博物館だった。震災1年後から約3年間、博物館内に店を構えた〉と。

私たち世代には懐かしいサンマの季節の風景も紹介されていました。

〈サンマ香油の原点には少年時代の記憶がある。魚市場からの凸凹道。車の荷台から少しばかりサンマが落ちても、大量だから運ぶ方は気にしない。それが千葉さん宅の食卓に並んだ。〉

少しばかりとは限りませんね。未舗装の道で結構な量がばらまかれることもありました。

この記事の見出しを目にしたときには、かもめ食堂とサンマがどのようにつながるだろうと思ったのですが、サンマの香油でしたね。うまくつなげてくれました。なかなかに香ばしい。

このふたつの気仙沼関連記事の筆者は朝日新聞の山浦正敬さん。今年5月から気仙沼勤務となっています。

山浦さん、ありがとうございます。最近は気仙沼発の朝日新聞記事が多く、うれしく思っておりました。今後ともどうぞよろしくお願いたします。

なお、この記事は10月19日に朝日新聞デジタルで配信されました(有料記事)。

9月29日ブログ「かもめ食堂の帰郷」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 千葉憲二中舘捷夫さんま祭

梶原さんの「大河」

NHK大河ドラマ「どうする家康」を毎回見ています。10月15日放送の第39回は「太閤、くたばる」では、ムロツヨシさん演ずる豊臣秀吉がついに倒れます。

本日紹介する話は10月8日放送の第38回「唐入り」についてです。茶々/北川景子さんの底知れぬ感じがとてもよかった。


タイトル

2画像とも10月15日放送画面より


この放送回で驚いたことがありました。演出が梶原登城(かじわらとき)さんだったのです。これまでの回で梶原さんのお名前を見た記憶がありません。


演出


梶原さんは、NHK朝ドラ「おかえりモネ」の演出陣のおひとりでした。同ドラマ放送終了後も、気仙沼でのトークイベントに登場してくださるなど、気仙沼がなにかとお世話になっている方です。

そして本年6月からは、来年3月までの計10回にわたるリアス・アーク美術館での映像制作スキルアップ講座の講師もつとめてくださっています。

10月14日の第5回講座について、リアス・アーク美術館の山内宏泰館長がつぎのように投稿していました。


9月18日の第4回講座に関しても、山内さんの投稿がありましたが、そこには〈大河ドラマ撮影のため、梶原先生はリモートでの講義となりました〉とありました。


今から考えると、第38回「唐入り」のために「気仙沼入り」できなかったということでしょう。

冗談はさておき。

梶原監督の「唐入り」演出は、とても正統的な印象を受けました。安心してじっくり見られたというか。話もよかった。またの梶原監督演出回を楽しみとすることにいたしましょう。

梶原さん、こうして多忙をきわめるなかでの気仙沼講座のご支援、本当にありがとうございます。御礼を申し上げます。

2022年12月16日ブログ「梶原登城さんの話」

 

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tag : 梶原登城どうする家康

第37回産業まつり

気仙沼市の「産業まつり」が10月22日に気仙沼魚市場で開催されます。今回が37回目となります。


産業まつり


2020年と2021年の産業まつりは、新型コロナ対応で中止となりました。昨年2022年は3年ぶりに開催されましたが、コロナ対応で各ブースでの試食販売をなしにするなど出展内容が制限されていました。しかし今回は、コロナ前の規模で物産販売がおこなわれるとのことです。やっとフツーの産業まつりとなりますね。

そして今回は「市場で朝めし。」も同時開催されます。こちらは4年ぶり。前回は2019年でした。鰹のハラス焼き・ホタテ焼きなどのおかずと炊きたての新米ごはん、味噌汁のセットが提供されます。チケットは 1000円で。


市場で朝めし


この「市場で朝めし。」の第1回目は〈気仙沼つばき会〉さんが企画して〈さんま寄席〉の日2013年9月29日に開催。第29回産業まつりとの同時開催でした。その後は市場で朝めし実行委員会の主催となっています。

先週末ごろから気仙沼魚市場は、カツオもサンマも好調な水揚げが続いて活況を呈しているとのこと。カツオもサンマも漁場が気仙沼に近くなっているといいます。

そうした活気に満ちている気仙沼魚市場での産業まつり、そして市場で朝めし。多くの人でにぎわい、楽しい催しになるよう願っています。

2018年10月26日ブログ「産業まつりの沿革」

 

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tag : 産業まつり市場で朝めし

10周年記念朝食会

渡辺謙さんが気仙沼市港町につくったカフェ「K-port」が11月で開店10周年となるそうです。これを記念しての朝食会が10月1日におこなわれました。tbc東北放送が取材映像をYouTubeでも配信されています。



Yahoo!ニュースによるテキスト記事配信はこちらから。


10分間近い映像を見て、渡辺謙さんの気取りのない話ぶりをとてもうれしく感じました。

今回の朝食会は、謙さんとは40年近いつきあいというフランス料理シェフ三國清美(みくに きよみ)さんを招いておこなわれました。

渡辺謙さん自身も10月1日当日、つぎのようにX投稿しています。


映像のなかで謙さんも語っていますが、今回はたまたま、三國さんが気仙沼に来るタイミングがあったそうです。それでスペシャルゲストとして料理をつくってもらうことになったと。

この〈タイミング〉というのは、9月30日に気仙沼魚市場内のクッキングスタジオでおこなわれた「プチシェフコンテストin気仙沼」です。三國さんは審査委員長。そして謙さんも特別審査員として加わってくださったとのこと。


「プチシェフコンテスト」は、2002年に始まって、今年で20回目となりました。三國さんは、長くこのコンテストの審査委員長をつとめてくださっています。以前から気仙沼とご縁のあったソムリエの木村克己さんの紹介によるものだったと思います。

渡辺謙さん、そして三國清美さん、長年の気仙沼に対するご支援、ありがとうございます。心からの御礼を申し上げます。

「プチシェフコンテスト」と三國さんの関わりについてはつぎのブログでも紹介しております。

2019年11月20日ブログ「三國さん 木村さん」

 

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tag : 渡辺謙三國清美

山田大名行列映像

気仙沼市の無形民俗文化財に指定されている本吉町「山田大名行列」が10月14日と15日におこなわれました。開催に先立って10月13日の三陸新報にはつぎのような広告が掲載されていました。


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三陸新報10月13日掲載広告より


この広告に掲載されている写真は、5年前2018年開催時の様子。そして10月15日の三陸新報には、14日の大名行列が紹介されていました。

三陸記事

三陸新報10月15日記事の一部イメージ


記事によればこの山田大名行列は3年に1度おこなってきましたが、新型コロナの影響で延期が続き、今年が5年ぶりの記念演技となったそうです。

10月15日の演技は天候不良のために、本吉総合体育館での公開演技となりました。その様子を気仙沼市の菅原市長が投稿しています。



「山田大名行列」については2018年にも紹介しました。

2018年10月19日ブログ「山田大名行列」

このブログで記したように、山田大名行列は現在の気仙沼市本吉町山田地区で文政4年(1821)に疫病が流行したとき,御嶽神社(みたけじんじゃ/本吉町津谷舘岡)に平穏を祈願したところ疫病がおさまり、住民がその御礼として大名行列をつくり神社に奉納したのが始まりとのこと。

また、通常は3年に1度の開催ですが、2007年のつぎは翌年2008年にも開催されています。これは観光キャンペーン/仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)の一環として特別に開催されたようです。そしてその2008年の3年後であれば2011年開催となるはずでしたが、東日本大震災のために中止となり、一年遅れて2012年に。その次は2015年、そして前回2018年の開催となりました。

創始200年ということでは2021年ということになりますが、それがコロナ対応で挙行できずに今年に。関係者の皆さんにとっては〈やっと〉という思いだったことでしょう。

創始200年記念「山田大名行列」の挙行、おめでとうございます。200年にわたる地域の皆様の奉納行事継承に敬意を表します。

参考情報:昨日10月16日の夕方、Yahoo!ニュースで東日本放送の映像が配信されていました。15日の本吉総合体育館における演技が紹介されています。

東日本放送10月16日配信映像・記事

 

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tag : 山田大名行列

91年前の鹿折駅

10月11日のブログ「気仙沼駅の駅名標」で、「鹿折唐桑」(ししおりからくわ)駅の沿革を紹介しました。1932年(昭和7年)3月19日に鹿折駅として開業しました。

本日紹介するのは、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた、開業当時の鹿折駅写真です。同書の見出しは「開通当時の鹿折駅」(昭和7年)としています。


鹿折駅

『目で見る気仙沼の歴史』(P148-149)より


1932年ですから91年前。私が生まれる20年前の鹿折風景です。私が幼いころの記憶と同じく、田んぼが広がっています。

この写真が掲載されている『目で見る気仙沼の歴史』のページでは、「開通式当日の気仙沼駅」ということで、昭和4年7月31日の気仙沼駅周辺の写真を紹介しています。

この写真については、つぎのブログで詳しく紹介しました。大船渡線の「開通」や気仙沼駅の「開業」について、ちょっと面倒くさい話を書いておりますので、お時間のあるときにでもお読みいただければと。

2020年2月14日ブログ「気仙沼駅の開業日」

話を戻します。この気仙沼駅開業から3年後に鹿折駅ができたというわけですね。

なお、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)には、昭和7年3月19日「鹿折駅開業」とありました。典拠資料は鹿折唐桑駅碑文です。同日に上鹿折駅も開業しています。

この91年前の鹿折風景を見ていると、東日本大震災での津波被害地域との重なりを連想してしまいます。鹿折唐桑駅に設置されていた「碑」はいまどうなっているのだろうか。そんなことやあんなことがいろいろと。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 鹿折駅大船渡線

鈴木敏夫 『歳月』

スタジオジブリ代表、鈴木敏夫さんの著書『歳月』(岩波書店刊)を読みました。〈その人生の道ゆきで巡りあった人々との鮮烈な思い出を振り返る〉86のエピソード。

気仙沼出身の尾形英夫さんのことが書かれているのでないかという期待とともに、まずは目次から。ありました。やっぱり。85人目のエピソードです。


歳月

『歳月』(岩波書店刊)p254-255の一部イメージ


このエピソードのタイトルは「自分で自分を束縛しない人が新しい時代を作る」。

大学を卒業して徳間書店への就職が決まった鈴木さんは、生まれて初めて、同社の週刊「アサヒ芸能」を買ったそうです。ページを繰るうちに驚いたのは、連載陣の中に、大好きだった寺山修司と前衛漫画家で知られた真崎守の名があったこと。おまけに対談ページのホストは吉行淳之介でした。

どんな人が企画を立て、ページを作っているのか。同誌に配属が決まった鈴木さんの想像がふくらみます。例えてみれば、インテリやくざ、それこそ吉行淳之介とか太宰治を想像したといいます。

しかし、実際の尾形英夫さんはまるで逆の人でした。〈見た目は、昔の日活映画に登場するチンピラたちの兄貴分風だった。なにしろ、その出で立ちは、上下白のスーツに白いエナメルの靴だった〉。

尾形さんの最大の特徴は、枠を作らないことだと鈴木さんはいいます。そして「こういう、自分で自分を束縛しない人が新しい時代を作る」と。

末尾の文章を引用させてもらいます。

〈 そして、この人が、アニメーションの世界に革命を起こす。本人に自覚は無いが、今日に至る日本のアニメーションの隆盛は、尾形さんの功績によるものだとぼくは考えている。

 手始めは月刊「アニメージュ」の創刊、そして、「『風の谷のナウシカ』を映画にしよう!」と最初に口走ったのもこの人だった。

 尾形さんは、2007年1月に亡くなった。高畑勲も宮崎駿も、そしてぼくも、みんなで駆けつけた。享年73歳。ぼくは、いま、74歳になった。 〉(引用は以上です。漢数字を洋数字としました)

結びの余韻が、書名『歳月』と重なってきます。

今週はこれにて。よい週末をお迎えください。

2021年2月12日ブログ「尾形英夫さんの話」





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ジャンル : 地域情報

tag : 鈴木敏夫尾形英夫

「気仙沼説」の解説

気仙沼市八日町出身で千葉周作について研究している千葉富夫さんについては何度か紹介しています。9月21日に松岩公民館で開催された歴史講座「剣豪・千葉周作に学ぶ市民の集い〜幕末の英雄、その生涯と生誕地の謎に迫る」についても紹介しました。

この歴史講座の様子を9月26日の三陸新報が伝えてくれました。


千葉さん
三陸新報9月26日記事の一部イメージ


この催しは事前申込不要とのことで、当日どれだけの方が聴きにきてくれるかちょっと不安に思っておりましたが杞憂だったようです。三陸新報記事には〈50人の聴衆を前に講演〉とありました。関心をもってくださった方が多くてなによりです。

記事から、当日の千葉さんの話を少し紹介しましょう。


千葉周作の生誕地「気仙沼説」 の根拠について、千葉富夫さんは、周作の弟である定吉が鳥取藩に仕官したときに提出した身上書だといいます。そこには「生国 陸奥 気仙郡気仙沼村」と書かれているそうです。(三陸新報の記事には、「鳥取藩士官に提出した身上書」とありましたが誤記でしょう。士官ではなく仕官)

千葉さんは、生誕地としてこれまで有力とされてきた3説と比較・検討した結果を説明したとのこと。有力3説とは、「陸前高田市気仙町中井」「大崎市古川荒谷」「栗原市花山」の3カ所です。

そして、「大崎市古川荒谷」については別人、「栗原市花山」は人為的なミスとしています。さらに「陸前高田市気仙町中井」については、気仙村ができたのは明治8(1875)年で、身上書が書かれた当時(1853年)に、気仙村は存在しない」などと語ったそうです。

9月21日の講座では、いろいろと詳しい話が聞けたと思います。歴史好きの皆さんにとっては興味深い話の連続だったことでしょう。

本日は2コ下の気中22回生千葉富夫さんによる歴史講座が無事終了ということの報告ということで。聴講くださいました皆様、ありがとうございました。

9月14日ブログ「千葉周作の生誕地」

 

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tag : 千葉周作千葉富夫

気仙沼駅の駅名標

10月4日の三陸新報に掲載された「車屋」さんの広告。そこに、古美術・骨董とはちょっと(というか、かなり)毛色の違った品物が紹介されていました。

車屋広告1004
三陸新報10月4日掲載広告より


右側の象嵌(ぞうがん)壺の作者福田憲二さんは気仙沼高校美術で一年先輩でした。2月3日のブログでも紹介しました。

本日はその左の品について。JRあるいは旧「国鉄」気仙沼駅の駅名標です。拡大してみましょう。


拡大


右に新月(にいつき)、左に鹿折唐桑(ししおりからくわ)。大船渡線ですね。山側を背にして見える4番線ホームに掲示されていたものでしょう。左/鹿折唐桑方向に行くと跨線橋がありました。

新月(にいつき)駅は利用したことがないのですが、唐桑鹿折駅は大船渡線で一関に向かうときによく使いました。魚町坂口からは気仙沼駅にいくよりも近かったのです。

私はいまだに「鹿折」駅という名になじみを覚えます。駅名が「鹿折」駅から「鹿折唐桑」駅に変わったのはいつのことだったのか。Wikipediaの同駅の歴史記述から抜粋して紹介しましょう。


1932年(昭和7年)3月19日
鹿折駅として開業
1972年(昭和47年)
駅員無配置駅となる
1986年(昭和61年)11月1日
鹿折唐桑駅に改称
2011年(平成23年)3月11日
東日本大震災により営業休止
2013年(平成25年)3月2日
BRTにより仮復旧
2020年(令和2年)4月1日
気仙沼駅 - 盛駅間の鉄道事業廃止により、鉄道駅としては廃駅となる


1986年11月に改称ということは37年前のこと。「鹿折唐桑」とはじめて聞いたときには、唐桑までの距離を考えるとなんか無理があるなあと感じたものでした。

駅員無配置駅、いわゆる無人駅となったのは1972年だったのですね。私が20歳のときか。ずいぶん前のことになります。

気仙沼から帰京するときなど、近所の五十鈴タクシーの車に乗って鹿折駅へ。5分ぐらいだったかな。無人駅のホームでディーゼル車の到着を待っていると、チンチン(カンカンだったかな)と踏切からの音が聞こえてきます。そしてもうすこしたつと2両あるいは3両編成の車両の先頭部分が見えてくるのです。山側からはチチッチチッと小鳥のさえずりも。

車屋さんの広告のおかげで、なつかしい鹿折唐桑駅の風景を思い出すことができました。

福田憲二さんについてはつぎのブログにて。

2月3日ブログ 福田憲二の「象嵌」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鹿折唐桑駅

今年の「さんま祭」

一昨日10月8日(日)は目黒のさんま祭でした。気仙沼市の菅原市長がつぎのように投稿していました。


〈中舘船頭さんの心意気で生のさんまを振舞うことが出来ました〉とありましたね。中舘船頭さんというのは、大型サンマ棒受け網船「第81豊清丸」の中舘(なかだて)漁労長です。毎年の気仙沼みなとまつりでは、サンマ船団の皆さんをまとめて打ち上げ花火のための協賛金を届けてくださったり、集魚灯ライトアップへの協力など、気仙沼のためにいろいろとお骨折りいただいていることは皆さんご存知のとおりです。

今回も中舘さんや第81豊清丸の船主さんら関係者の皆さんのご厚意があったのでしょう。お礼を申し上げます。いつもありがとうございます。

当日、会場で一緒になった気中同級生や「けせもい会」メンバーの写真を紹介します。私は夫婦で行ったので妻の撮影。

集合

気仙沼物産販売ブースでは、今年も荒木容子さんが(3年10組)販売を手伝っていました。コロナ前であればサンマのつみれ汁担当ということだったと思いますが、昨年に続いて今年もつみれ汁は販売なしとなりました。残念。

荒木さん

私はコヤマ菓子店の新製品「さんまパイ」を購入。気仙沼で親しまれていた土産菓子「さんまパイ」をリニュアルしたものとのこと。故小山隆市君の息子さん裕隆さんが頑張っています。こんな感じ。

さんまパイ


帰り際に中井君と一緒に再度気仙沼ブースへ。

これまではさんま祭の気仙沼実行委員長として上京していた松井敏郎さんは腰の具合がよくないということで参加できず。奥さんの恵美子さんと一緒に写真を。

ブース

中井君の実家は三日町の「中井茶舗」。商売そのものはすでにやめており、お母さんが一人で暮らしています。その向かいが松井家ですから、ご近所同士です。

そして恵美子さんの実家は魚町の船舶用の電機会社「小野寺電気」(電機だったかな?)で私のご近所でした。そんなこともあっての〈記念写真〉です。奥には荒木さんもうつっています。さらに奥には、東京での同窓会関係などでいろいろと世話役をひきうけてくれている武山健自さんも。実家は魚町の武山米店です。

抽選であたってさんま焼をいただくところと、私たちのように物産コーナー利用のスペースは分離されていましたが、立ち飲みではあったものの、ゆっくりとビールやつまみをいただくことができました。

気仙沼そして目黒区のさんま祭関係者の皆さんにお礼を申し上げます。おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

8月1日ブログ「サンマ船 花火支援」

 

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tag : 目黒のさんま祭

浦島小学校の校歌

前回/10月6日ブログでは、気仙沼市立鹿折(ししおり)小学校の校歌を紹介しました。作詞は巽聖歌さんで作曲は海鋒義美さんです。ブログの末尾に、浦島小学校の校歌もこのお二人の作詞、作曲であることを記しました。本日は、その浦島小学校校歌の歌詞を紹介します。

宮城県復興応援ブログ「ココロプレス2013年3月29日記事「さよなら母校、浦島小学校〜浦島小学校閉校式〜」のなかに、歌詞の画像がありました。これを拝借させていただきます。「ココロプレス」は、2016年7月に更新を終了しています。


校歌

「ココロプレス」2013年3月29日記事より



浦島小学校校歌

作詞 巽聖歌
作曲 海鋒義美


朝日かがやく 四つの浜
いつも亀山 前にして
ぽんぽん ぽーん
ぽんぽん ぽーん

発動機船に 夜が明ける
これぞ浦島 わが母校
高みにあるのが うれしいな


太平洋の 潮の香に
晴れれば見える 金華山
ぽんぽん ぽーん
ぽんぽん ぽーん
いつかあの海 乗り切るぞ
これぞ浦島 わが母校
希望のあるのが うれしいな


かきの筏に のりのしび
浜はいつでも にぎやかい
ぽんぽん ぽーん
ぽんぽん ぽーん
校舎の窓にも ひびいてる
これぞ浦島 わが母校
ここで学ぶが うれしいな


「ぽんぽん ぽーん」というのは、発動機船が発する音でしょう。焼玉(やきだま)エンジンを使った「焼玉船」は、「ポンポン船」とも呼ばれました。その音が校舎の窓にもひびき、児童は〈いつかはあの海に〉との思いを胸にいだくというイメージ。

「四つの浜」は「よつのはま」と読みます。これは4つの浜/港があるということなのでしょうか。浦島小学校の住所は気仙沼市二ノ浜(にのはま)です。

「にぎやかい」は「賑やかである」という意味だと思いますが、ネットには三河や尾張などの方言という情報もありました。気仙沼地方で使う言葉なのかどうかはわかりません。作詞の巽聖歌さんは岩手県紫波郡紫波町の生まれです。


上記「ココロプレス」の記事から、浦島小学校の沿革を紹介しておきます。

浦島小学校は、昭和25年(1950年)4月に全校生徒216名で独立開校しました。昭和26年4月、町制施行に伴い「宮城県本吉郡鹿折町立浦島小学校」と改称し、さらに昭和28年6月には気仙沼市制施行に伴い「気仙沼市立浦島小学校」と改称しています。

そして平成25年(2013年)3月23日、鹿折小学校との統合により独立開校から63年の歴史に幕を下ろしたのです。

参考まで記しておくと、63年の歴史というのは鹿折小学校の分校だった浦島小が独立・開校してからの年数です。1873年に浪板浦島の千葉保宅を借用して「浦島小学校」が開校した時から数えると140年の歴史ということになります。

浦島小学校の校歌は、その沿革とともに石碑に刻まれ、旧校庭の一角に設置されているそうです。閉校の記念碑ということでしょう。

10月6日ブログ「鹿折小学校の校歌」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

鹿折小学校の校歌

今日の東京はとても気持ちいい天気。秋晴れですかね。本日は9月28日ブログ「鹿折小開校150年」の続きです。同校の校歌について。

鹿折(ししおり)小学校の開校150周年に関する9月21日の三陸新報記事には、同校の校歌が紹介されていました。


校歌

三陸新報9月21日掲載記事より


鹿折小学校公式サイトの沿革によれば、この校歌は昭和28年(1953年)に制定されています。この年には、白山小学校が独立・開校。また同年6月1日には、鹿折町と気仙沼町、松岩村が合併して気仙沼市となりました。これにより、校名は鹿折町立鹿折小学校から気仙沼市立鹿折小学校となったのです。

校歌の作曲は海鋒義美さん、作詞は巽聖歌さんです。お二方とも知らない方々でしたので、これを機に少し調べてみました。

◎海鋒義美さん

河北新報オンライン2022年4月16日配信記事によれば、海鋒義美(かいほこ・よしみ)さん(1905〜97)は、天童市出身。東京音楽学校(現東京藝術大学)卒業後、熊本県教員を経て1933年、仙台市立学校の音楽指導員に就任しました。以来、仙台を拠点に教育、作曲活動を続けた。東北6県に広がる小中高校などの校歌の数は約400といわれています。

9月23日の三陸新報には、9月22日におこなわれた開校150周年記念式典の様子が紹介されていました。記事によれば、式典では校歌を作曲した故海鋒義美さんの孫で音楽家の海鋒美由紀さんらによる音楽ユニット「mi-no-ri」の記念コンサートもあり、児童たちが、鹿折小、浦島小、白山小の校歌を歌ったそうです。

そして海鋒美由紀さんは、祖父が400校以上の校歌を手がけ、学校を訪問してインスピレーションで作曲していたことを紹介し、「3校の校歌を歌える人はなかなかいない。大人になっても忘れないでほしい」と呼びかけたとのこと。

◎巽聖歌さん

巽聖歌(たつみ・せいか)さんは、Wikipediaによれば、1905年(明治38年)に岩手県紫波郡日詰町(現在の紫波町)で生まれています。本名は野村七藏。20歳でプロテスタントのクリスチャンとなり、ペンネームにある「聖歌」もキリスト教に由来するものです。

童謡「たきび」の作詞者としても知られ、出身地である岩手県紫波町立日詰小学校の校歌をはじめ、全国的に多くの校歌の作詞をしているそうです。

童謡「たきび」の歌詞はみなさんご存じでしょう。はじめはつぎのように。

かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜぴいぷう ふいている

北風は、「ぴゅうぴゅう」ではなく「ぴいぷう」と吹いていたのですね。

なお、調べてみたら、浦島小学校の校歌も海鋒さんの作曲、巽さんの作詞でした。白山小校歌はすでに紹介しましたので、浦島小学校の校歌も回をあらためて記すことにいたします。どうぞよろしく。

9月28日ブログ「鹿折小開校150年」
9月11日ブログ「白山小学校の校歌」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鹿折小学校校歌

日野敏子さん訃報

気仙沼中学3年11組だった日野(荒木)敏子さんが10月2日に亡くなったとのこと。10月3日の三陸新報に訃報広告が掲載されていました。


日野敏子さん訃報
三陸新報10月4日掲載広告



実はこの訃報広告を見たとき、それが旧姓荒木敏子さんのこととは気づかなかったのですが、敏子さんと同じ11組だった吉田浩君が電話で教えてくれました。

「日野屋」さんは鹿折地区東中才の酒店とのこと。ご主人をすでに亡くしており、喪主は息子さんです。

同じクラスになったことはなかったように思います。しかし中学時代の実家は市内太田でしたから、魚町から歩く私とは同じ通学ルートでしたね。

私たち気中20回生が、7月17日に気仙沼で同年会を開催したことはすでに紹介しました。3年遅れの古稀の集いでしたが、敏子さんは病を得ており参加は叶わず。同じように、病気のためにやむなく欠席という同級生もいたことでしょう。

杜甫の詩に「人生七十古来稀(じんせいしちじゅうこらいまれなり)」と。元気に70歳を迎えることは決して容易なことではないなあ。そんなことをあらためて感じております。

日野敏子さんのご冥福を心からお祈りいたします。
 

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tag : 日野敏子訃報

第83佐賀明神丸

9月30日放送のNHK総合「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」に気仙沼が登場していました。この回のテーマは〈豪快一本釣り!今が旬!カツオのお金の秘密〉。

1_20231002182114130.jpg

画像はすべて、9月30日放送画面より


この放送に、第83佐賀明神丸とその漁労長である明神学武(みょうじん・まなぶ)さんが登場しました。気仙沼の漁業関係者であれば、明神さんも明神丸もよくご存じのことでしょう。

そんなことで、はじめに再放送予定をお伝えしておきましょう。

◎再放送日時
10月7日(土)午前9:00〜9:30
NHK総合テレビ

番組サイト


番組サイトから放送回の案内文を引用します。

〈秋は脂がのった「もどり鰹」が美味のカツオ!日本一の漁獲量を誇る一本釣り漁船を大調査!総額11億円!?ハイテク漁船の舞台裏を特別に公開!なんと2秒に1匹釣り上げる職人技の漁師さんたち。太平洋でカツオの大群を追って、年中過酷な船上生活、食事は○○が基本!その驚きの内容とは?さらに、かつお節工場にも潜入!美食の国フランスでも大人気のかつお節!最高級品はルビー色に輝く、その伝統の製造の秘密にも迫る!〉(引用は以上)

番組の冒頭、カネオくん(声は千鳥のノブ)は気仙沼港をおとずれます。

2_20231002182114add.jpg

〈誰かカツオ漁に詳しい漁師さんはおらんかのう?〉

3_20231002182111b9a.jpg

すると、〈お〜い!こっちこっち〉と手を振る人がいました。明神学武さん(49歳)でした。

4_202310021821113c5.jpg

明神学武さんは、〈カツオ漁師のあいだで知らない人はいないという伝説の男〉そして〈明神さんの船は、これまで通算10度もカツオの一本釣り漁で、年間漁獲高日本一にかがやいているのです〉

この、通算10度の年間漁獲高日本一を誇る一本釣り漁船は、高知県の黒磯町土佐佐賀漁港の「第83佐賀明神丸」です。

5_20231002182108ea8.jpg

なぜ高知の漁師が気仙沼にいるのかという問いに対して、カツオをおいかけてここまで(気仙沼)までやってきたといいます。〈今の時期はちょうど気仙沼あたりにいるからね〉

6_20231002182105c8e.jpg

そしてこの後は、ハイテク装備の船内や一本釣りの現場などが紹介されます。とても興味深い内容でした。

「突撃!カネオくん」に気仙沼が登場することを知らずにおり、事前の番組紹介ができませんでしたが、今度の土曜日午前9時からの再放送を是非ご覧ください。

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tag : 佐賀明神丸明神学武

10/8の「さんま祭」

目黒区民まつり(目黒のSUNまつり)の恒例行事「目黒のさんま祭」が10月8日(日)に、いつもの田道広場公園で開催されます。


区民まつり

第47回 目黒区民まつりポスター


◎目黒のさんま祭

日時:10月8日(日)10:00~15:30
会場:田道(でんどう)広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会

今年も目黒区の友好都市である気仙沼から贈られたさんまが、気仙沼からのボランティアによるさんま焼き隊によって炭火で焼かれ無料で供されます。

さんまの提供については、今年も不漁が続いているために、昨年に引き続き目黒区民を対象にした事前申込制となりました。申込は8月27日に終了しています。

(追記:10月3日の気仙沼市の記者会見資料によれば、混雑回避の観点から今年は1500尾の提供となるそうです。昨年は100尾だったとのこと。新型コロナ前は5000尾の提供だったそうです。サンマすり身汁の販売は今年も見送りとなりました。)

また、「ふるさと物産展」では、目黒区の友好都市である宮城県の気仙沼市、角田市、石川県の金沢市などからの出展があります。もちろん目黒区の特産品もいろいろと。

2020年と21年は新型コロナ対応で中止となりましたが、昨年はなんとか開催されました。ただし、コロナ感染拡大防止の観点から、さんま焼き・提供スペースと物産展会場とは自由に行き来できないようになっていたり、関係者の苦労がうかがわれる形となっていました。そのあたり、今年はゆるくなっていると思います。

なお、品川区のJR目黒駅東口で開かれている「目黒のさんま祭り」は今年も開催されません。中止は4年連続とのこと。こちらの「さんま祭り」(目黒区は「祭」、品川区側は「祭り」には岩手県宮古市からさんまが提供されていました。ご参考まで。

さんま祭の会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

私は今年も菊田裕美君(3年1組)らと午前中は会場に。どうぞ皆さんもお出かけください。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 目黒のさんま祭

衆議院予算委員長

きょうの東京はとても気持ちのいい天気。秋の訪れを感じます。

9月30日の三陸新報に、地元である宮城旧6区選出(現宮城5区)の小野寺五典衆院議員に関する記事が掲載されていました。見出しは「衆院予算委員長に内定」。9月29日に開かれた自民党の総務会で、小野寺議員の衆議院予算委員長就任が内定したとのこと。


衆院予算委員長
三陸新報9月30日記事の一部イメージ



記事によれば、小野寺議員は衆議院選挙での当選8回。外務副大臣などを経て、2012年12月から2014年9月、2017年8月から2018年10月までの2度にわたり防衛大臣をつとめました。

また2021年11月からは情報監視審査会会長、自民党の安全保障調査会会長、農業基本政策検討委員会委員長などをつとめているとのことです。

以上はあくまで内定ということで、正式な決定は、10月20日召集予定の臨時国会でということになります。

衆議院の予算委員長というのは、相当な重責ですね。国会のなかでも最重要のポストのひとつでしょう。地元選出の議員が、こうして高く評価されていることをうれしく思います。

1960年5月5日生まれということなので、現在62歳ですね。気仙沼中学29回生ですから、私たちの9コ下。気仙沼高校31回生です。

小野寺五典さんの益々のご活躍を期待しています。

小野寺議員公式サイト

 

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tag : 小野寺五典

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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