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かもめ食堂の帰郷

新横浜ラーメン博物館で2012年2月から2015年4月まで出店していた千葉憲二君(3年4組)の気仙沼「かもめ食堂」が、同館の「あの銘店をもう一度"銘店シリーズ"」第23弾として1カ月間だけ新横浜ラーメン博物館に帰ってきます。


◎新横浜ラーメン博物館
あの銘店をもう一度"銘店シリーズ"
第23弾「かもめ食堂」
期間:10月3日(火)〜10月30日(月)
出店場所:新横浜ラーメン博物館 地下1階
横浜市港北区新横浜2-14-21

◎始まりは2012年2月2日

「かもめ食堂」は、気仙沼の内湾に面した旧エースポート向かいにあったお店です。小さな食堂でしたが、私たち世代にはなつかしいお店。2006年に閉店しました。

東日本大震災後、千葉憲二君は、気仙沼復興の一助になればと、この「かもめ食堂」復活を計画しました。しかし、震災直後ということもあって、その実現は容易なことではありませんでした。そんななか、新横浜ラーメン博物館(ラー博)の岩岡洋志館長が、同館での「かもめ食堂」復活を提案してくださったのです。

そしてラー博で気仙沼「かもめ食堂」が復活オープンしたのは2012年2月2日のことでした。

◎「かもめ食堂」これまでの歩み

新横浜ラーメン博物館さんの公式noteに、かもめ食堂のこれまでの歩みが紹介されていましたので引用します。

2011年3月- 8月 気仙沼にて救援物資支援、炊き出しを実施
2011年8月 千葉氏が気仙沼「かもめ食堂」復活を決断
2011年11月 建築制限により、気仙沼での復活を断念
2011年11月 新横浜ラーメン博物館が首都圏で復活することを提案
2012年2月2日 気仙沼「かもめ食堂」が新横浜ラーメン博物館に復活
2012年3月10日 現役大学生による特別展示「私たちの考える復興」を開催
2012年10月3日 気仙沼市民会館にて「かもめ食堂」のラーメンを提供
2013年11月 気仙沼帰郷出店場所の調査開始(幾度となく気仙沼を訪問)
2015年3月6日 気仙沼の笑顔ウィークを新横浜ラーメン博物館にて開催
2015年4月5日 気仙沼「かもめ食堂」が新横浜ラーメン博物館を卒業

上記の歩みにも記載がある〈気仙沼の笑顔ウィーク〉には私たちも行ってきました。2015年3月15日、気中20&けせもい会の同年生12人で。

気仙沼の笑顔ウィークでは「気仙沼酒場」コーナーも開設されていました。憲二君を囲んでの写真など、この日の様子はつぎのブログにて。

2015年3月16日ブログ「気仙沼酒場に集合」

このブログで紹介した写真の中から憲二君を囲んでの1枚。

気仙沼酒場

◎気仙沼での復活は2015年11月19日

そして、7カ月後の2015年11月19日、気仙沼の内湾をながめることのできる港町に「かもめ食堂」が〈帰郷〉し、復活オープンしたのです。〈東京在住 けせもい会一同より〉として贈った花輪などの写真はつぎのブログで。

2015年11月25日ブログ「かもめ食堂さん江」

2015年、新横浜ラーメン博物館を卒業して気仙沼で出店することは〈帰郷〉と呼ばれました。そして2023年。同館に「かもめ食堂」が帰ってきます。

「かもめ食堂」の復活がラー博から始まったことを考えれば、これも〈帰郷〉といってよいかもしれません

岩岡洋志館長はじめ関係者の皆さま、長期にわたるご支援、本当にありがとうございます。あらためて御礼を申し上げます。
 
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テーマ : 気仙沼
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tag : かもめ食堂千葉憲二ラーメン博物館

鹿折小開校150年

気仙沼市立鹿折(ししおり)小学校が、本年2023年で開校150周年を迎えたそうです。9月21日の三陸新報が、翌日22日におこなわれる開校記念式典に関する記事を掲載していました。

この記事を読んでおどろいたことがありました。鹿折小学校は、150年前に浦島小学校として開校していたのです。記事を引用します。

〈鹿折小学校は1873(明治6)年に浪板・千葉宅に開校した浦島小学校が前身。市制施行に伴い、1953(昭和28)年に現在の気仙沼市立鹿折小学校となった。平成に入り、少子化により浦島、白山と統合したが、これまで合わせて1万478人の卒業生を輩出した。〉

記事には、つぎの「150年のあゆみ」が掲載されていました。


歩み
三陸新報9月21日記事より


開校時からの主要事項を抜粋して紹介します。


1873年(明治6年)
浪板・千葉宅に浦島小学校を開校
1883年(明治16年)
浦島小学校を鹿折初等中等小学校と改称し鹿折中央部に移転
浦島小学校、白山小学校を分校とする
1989年(明治22年)
現在地に移転し鹿折村立鹿折尋常小学校と改称

1941年(昭和16年)
鹿折国民学校と改称
1947年(昭和22年)
学生改革により鹿折村立鹿折小学校と改称
1950年(昭和25年)
浦島小学校が独立・開校(6学級)
1953年(昭和28年)
白山分校校舎落成(1月)、白山小学校が独立・開校(6学級)(4月)
市制施行により気仙沼市立鹿折小学校と改称

2013年(平成25年)
浦島小学校と統合
2015年(平成27年)
白山小学校と統合


念のために『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編の記述を補足として記しておきます。

まず、1973年(明治6年)には、浦島小学校だけではなく白山小学校も開校しています。1883年の白山小学校の分校化が年表にありますので、この開校についても記述して欲しかったところです。男生徒は浦島72 白山33、女生徒は浦島のみ8。教員はいずれも1名。また、年表での「浪板・千葉宅」について、市史では「浪板浦島」および「千葉保宅を借用」と記しています。

以上、現在の鹿折小学校、そしてこれに連なる浦島小学校、白山小学校の歴史ということで。鹿折小学校の校歌については、回をあらためて紹介します。

最後になりましたが、鹿折小学校開校150周年、おめでとうございます。


なお、つぎのブログにも記しましたが、鹿折小学校(浦島小学校)をはじめ、現在の市立小学校のほとんどが、大元をたどると明治6年に創設されています。たとえば気仙沼小学校も鼎浦(ていほ)小学校として同年の創立で、今年で150周年となります。

3月30日ブログ「明治初期の小学校」
3月6日ブログ「津谷小創立150年」
 

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tag : 鹿折小学校

7回目のワクチン

先週末、7回目の新型コロナワクチン接種をおこないました。今回は、オミクロン株(XBB.1系統の成分を含む)対応の1価ワクチンです。前回同様に自宅近くのクリニックにて。


ワクチン

QRコードほか個別情報加工済み


記録をみると1回目は2021年5月でした。各回接種を振り返ってみるとつぎのような具合です。なんか、しょっちゅうというか、かなりの頻度ですね。

1:2021年5月
2:2021年6月
3:2022年1月
4:2022年7月
5:2022年10月
6:2023年6月
7:2023年9月

私は71歳で、特段の持病もありません。そんなことで、接種は躊躇することなく早期の対応ということです。これまで、副反応も特に気にするほどのことはありませんでした。

ちょうど昨日、友人から〈とうとうコロナにかかりました〉とのLINEが。幸い軽症のようでした。なんかじわりと感染が増えているようです。過剰な対応はしないにしても、新型コロナを甘くみてはいけないと。

新型コロナワクチンについては、否定的な意見もあることを承知しています。あくまで、私は打ちましたという報告ということで。
 

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tag : 新型コロナワクチン

鎌倉ビール「断念」

気仙沼市本吉町の小泉地区にクラフトビール製造工場の建設を予定していた鎌倉ビール醸造が、進出を断念したそうです。9月23日の三陸新報が伝えています。


鎌倉ビール

三陸新報9月23日記事の一部イメージ


記事によれば、鎌倉ビール醸造は当初、昨年12月に工場建設に着工し、今年10月の稼働を予定していたそうです。その後延期し、着工を今春頃としていたものの進んでいなかったとのこと。

同社の小泉地区に進出意向を示していることが報じられたのは2020年11月のことでした。私のブログで経過を追ってみます。

2020年12月8日ブログ「鎌倉ビールの進出」

その後、2022年6月8日には、気仙沼市と同社とでで、工場立地に関する協定が締結されています。詳しくはつぎのブログで。

2022年6月28日ブログ「鎌倉ビールの工場」

鎌倉ビール醸造の工場建設は、市はもちろん、地元小泉地区の皆さんも期待していたでしょうから残念。ただ、同社としても断念せざるを得ない事情、状況の変化があったということなのでしょう。

なお、9月29日には同社の對島社長が地元振興会の会長らに説明するとのことです。
 

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ラーメンが結ぶ縁

本日紹介するのは、三陸新報の9月13日「タイムトラベル」です。このシリーズ記事は、20年前の同紙の記事を紹介するもの。つまり、2003年9月13日の同紙記事からのピックアップです。


タイムトラベル

三陸新報9月13日記事より


見出しは「おいしいラーメン早く〜研究会活動が本格化」。

この年/2003年に結成された気仙沼ラーメン研究会の活動が本格化してきたという話です。〈会議室から厨房に会場を移してスープを試作するなど、その熱意が表れ始めている〉とも。

この記事は、三陸新報2003年6月17日記事の続報ですね。6月の記事では、気仙沼コンベンションビューロー協議会が、地場産品を生かしたラーメン作りに取り組む「仮称・気仙沼ラーメン研究会」を創設することを紹介していました。気仙沼出身で、人気ラーメン店「ちばき屋」店主の千葉憲二さんがアドバイザーとして加わることなども。つぎのブログで紹介しました

6月23日ブログ「気仙沼ラーメン物語」

◎まるきの熊谷一政さん

気仙沼「中華そば まるき」の熊谷一政さんも、ラーメン研究会メンバーの一人でした。

6月23日のブログ更新を伝える私のツイート内容を引用して、熊谷さんがつぎのように投稿してくれました。

〈ちょうど20年。 2003年「ラーメン 座談会」があり、その後「気仙沼ラーメン研究会」発足。ラーメンの道に入るきっかけとなりました。 五福星早坂さんとの出会いは2011年4月9日、市民会館での炊き出しでした。ラーメンが人に与えるチカラを教えていただきました。 先人の蒔いた種が今実っています〉

7月17日にホテル観洋で気仙沼中学20回生の同年会が開かれたことはすでにお伝えしました。3年遅れの古稀祝い。

その翌日18日には、仙台で暮らす兄が車で気仙沼に来てくれました。そして2つの新しい橋や復興祈念公園をはじめ、市内をいろいろと回ってもらったのですが、その行き先のひとつが「まるき」さんです。

念願のまるきのラーメン。私は細麺の煮干し、兄は太麺。これがあのまるきのラーメンか。大満足でした。仙台で、早坂雅晶さんの五福星(うーふーしん)にも行くこともあるという兄も感心しておりました。

ちょうどよいタイミングがあって、厨房の熊谷さんに声をかけるとわざわざ出てきてくださって話をすることができました。そして写真も。

まるきにて


熊谷さんに気中20回生の同年会が前日にあったことを伝えると、千葉憲二さんも気中の同じ学年ですよねと。そして、〈千葉さんによろしくお伝えください〉と。上記のラーメン研究会などでの指導を踏まえてのことでしょう。なんか、とてもうれしかった。

もちろん帰京後に憲二君にLINEで伝言を伝えました。憲二君からの返信には「ありがとう!!」と。

熊谷さん、7月18日の煮干しラーメン、とってもおいしかった。ごちそうさまでした。
 

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同年会の記念写真

3年遅れの古稀の集いとして「気仙沼中学校第20回生同年会」がおこなわれたのは7月17日でした。あれからもう2か月以上が経つのですね。まさにあっという間。

同年会では、開会前に記念写真の撮影がおこなわれました。その様子は7月21日ブログでもお伝えしました。

本日は、その記念写真を紹介します。8月中頃には手元に届いておりましたが、費用を負担して参加者に配られたものですので、すぐの紹介は控えておりました。撮影は故熊谷孝良君のスタジオアートさんです。息子さんが撮ってくれました。

写真には、8月12日付けの実行委員長臼井真人君の挨拶状が同封されていました。それによれば、参加者は129名、2次会は93名だったとのことです。

それでは記念写真。まずは3年1組から5組。

1_20230921134234248.jpg

続いて6組から11組です。

2_20230921134236ec3.jpg


この記念写真には、氏名の対照表が同封されていました。これはありがたい。これを作成するのはなかなか大変だったと思いますよ。個人情報ということで紹介は略しますが、労作です。クラス担当の皆さん、ご苦労さまでした。


◎喜寿の会でまた

8月12日付けの実行委員長臼井真人君の写真送付挨拶状はつぎのように結ばれていました。

〈まだまだ暑い日が続くと思われますので、くれぐれも健康には十分ご留意され、「喜寿のお祝い」には、また皆がそろって笑顔で再会できることを楽しみにしております。〉

喜寿って、数え77歳だよね。どう数えるのかよくわかりませんが、5年後ということになりますかね。なんかあっという間に喜寿を迎えそうな気もします。

「喜寿のお祝い」の2次会はまたカラオケ大会かな。司会進行はまた、わたくし小田におまかせください(笑)。ということで、どうぞよろしく。

7月21日ブログ 7年ぶりの「同年会」
8月9日ブログ「臼井真人君の投稿」
 

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tag : 同年会

東陵が育英に勝利

秋季高校野球大会。その宮城県大会の準々決勝で、気仙沼の東陵高校が、夏の甲子園で優勝した仙台育英に勝利しました。

気仙沼市の菅原市長もつぎのように投稿。

この東陵と仙台育英のゲームセットの様子は、T-Aさんの投稿で。

準決勝で東陵高校は古川学園と戦います。9月23日(土)午前10時より。なお、もうひとつの準決勝は仙台一高と聖和学園です。午後12時半から。

来年の春の甲子園/2023年センバツに向けて、東陵がんばれ!


2014年春のセンバツでの東陵高校出場についてはつぎのブログにて。

2014年3月19日ブログ「頑張れ!東陵高校」
 
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 東陵高校甲子園

9代横綱「秀ノ山」

小学館の雑誌『和楽』(わらく)6・7月号の特集は、〈くらべてみるとこんなに楽しい!「マティスと日本美術」〉でした。たしかに楽しかったし面白かったのですが、日本美術との比較がちょっと〈むりくり〉だったかな。

そんなナマイキな感想をもちながらページをめくると、つぎのテーマが「相撲の美学」でした。リードには〈海外の文化人までもその独自の世界に魅せられた。格式の高さと美しさを兼備した日本の粋がここに!〉と。

マティスのつぎは相撲か、なかなかだねと余裕かまして開いたつぎのページで驚かされました。そこに「気仙沼」の3文字があったのです。

〈江戸庶民を熱狂させた人気力士5〉というなかに、陸奥国/むつのくに(宮城県気仙沼市)出身の9代横綱として「秀ノ山」が紹介されていました。誌面はこんな感じ。


和楽

雑誌『和楽』2023年6・7月号より


「人気力士5」の筆頭は、4代横綱の谷風(たにかぜ)です。仙台出身ですね。そして、谷風の人気を受け継いで相撲を発展させた名横綱として4人をあげています。9代秀ノ山(ひでのやま)、10代雲龍(うんりゅう)、11代不知火(しらぬい)、13代鬼面山(きめんざん)。

秀ノ山の説明文を引用します。

小柄ながら気迫と怪力で頂点に立つ
◎秀ノ山
陸奥国(宮城県気仙沼市)出身の9代横綱。海上運輸を担う家の長男で、元力士の荷揚げ人に相撲を習う。力士を目ざして江戸へ上るも、背の低さから相撲部屋に入門できず、努力を重ねて力士となる。怪力と闘志で頭角を現し、横綱となる。(引用は以上)

画像のキャプションは「香蝶楼豊国『秀ノ山雷五郎 横綱土俵入之図』錦絵 江戸時代・19世紀」。

秀ノ山雷五郎が気仙沼の階上(はしかみ)出身であることは皆さんご存じのこと。当地の岩井崎にはその銅像があります。しかし、秀ノ山が『和楽』で紹介される時代がくるとは。ご本人もおどろいていることでしょう。

雑誌『和楽』をどのように紹介したらよいのだろうと思いネットで調べていたら、「和楽web」があることを知りました。そのなかに、9月6日配信記事として、この相撲特集記事が掲載されていました。

「和楽web」9月6日配信記事

和楽webは、雑誌本体と同じく、とても贅沢なグラフィカルな編集となっていますね。秀ノ山の錦絵画像も大サイズで楽しめます。

マティスの世界に触れようと開いた「和楽」で、秀ノ山雷五郎さんに出会うとは思ってもみませんでした。その驚きをお伝えしたく。報告は以上です。



 
 

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tag : 秀ノ山和楽

気高の仙台同窓会

一昨日9月17日、気仙沼高校仙台同窓会の総会・交流会が仙台サンプラザで開催されました。同日、菅原市茂長がつぎのように伝えてくれました。市長も同窓生(気高28回生)です。


本日この投稿を紹介するのは、1枚目の写真に気高の同級生がうつっていたからです。仙台同窓会の会長をつとめる西村明男君。気仙沼高校3年の理科系クラス3年6組の同級生でした。松岩中学出身。

大学では建築を学び、建築設計事務所の(株)佐藤総合計画に。優秀だったのでしょう、同社では取締役もつとめ、現在は常任顧問です。7月1日に東京で開催された関東同窓会にも来賓として出席していました。

この仙台同窓会については、本日9月19日の三陸新報も伝えていました。


仙台同窓会
三陸新報9月19日記事の一部イメージ


記事によれば、約60人が参加とのこと。そして仙台同窓会と関東同窓会からは、気仙沼高校に支援金が贈られました。この日、気仙沼高校からは荒木順校長が出席されていました。

菅原市長の投稿にもありましたが、交流会では気仙沼出身の岡本優子さんのピアノ演奏があったそうです。関東同窓会でもピアノとボーカルを聴かせてくれました。参加者の皆さんも喜んだことでしょう。

なお、何度も記しておりますが、旧気仙沼高校(男子校)は2005年に旧鼎が浦高校(女子校)と統合して新しい気仙沼高校(新気高)になりました。さらに2018年4月に気仙沼西高校も統合しています。これに伴い、気仙沼高校仙台同窓会もこれら3校の卒業生によって構成されています。

仙台同窓会の開催も、関東同窓会と同じく4年ぶりのことだったそうです。会長としての西村君もやっとというかホッとしたことでしょう。ご苦労さまでした。そして岡本優子さんも、ありがとうございました。

7月3日ブログ「関東同窓会の報告」

 

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tag : 仙台同窓会西村明男

三浦永年さん夫妻

マーブルペーパーの制作者であると同時に、その蒐集家、研究家として知られる三浦永年さんと、その奥様で製本装幀家のティニ・ミウラさんについて紹介したのは、本年5月のブログでした。

5月24日ブログ「三浦夫妻と教行君」

このブログで紹介した気仙沼市の菅原市長の投稿に、「お二人は気仙沼に移住、近い将来、小さな展示施設を設ける計画です」とありました。

私は、〈すでに移住しているのか、これからなのか。あらためて、新聞報道などもあることでしょう〉とブログに記したのですが、9月24日の三陸新報が詳しく伝えてくれました。見出しは、「世界的アーティスト三浦さん夫妻が気仙沼に芸術文化館開館予定」。


三浦夫妻

三陸新報9月14日記事の一部イメージ


この記事は三陸新報オンラインでも配信されていました。

マーブルペーパーや三浦夫妻については5月のブログをお読みいただくことして、本日は市内南郷にオープンするというギャラリーについて紹介します。

三陸新報の記事によれば、気仙沼での文化館オープンは、永年さんの父親が気仙沼市本吉町出身だったことがきっかけだったそうです。昨年末に登米市から気仙沼への移住を決めたそうです。

雑誌「Kappo 仙台闊歩」サイトに、同誌2023年5月号に紹介されたお二人の記事が掲載されていました。

「Kappo 仙台闊歩」

この記事によれば、三浦夫妻は同誌5月号の取材時点ですでに気仙沼に移住していたようです。〈二人の背世界的なアーティストがいま宮城県気仙沼市で暮らしている〉と。

市内南郷に開設するギャラリーの建物は、かつて材木倉庫として使われていたそうですが、東日本大震災で被災。その後、海外のキリスト系支援団体の宿泊所として延べ500人以上が寝泊まりし、民家再生などの動拠点だったとのこと。

これは、キリスト教NGOのボランティア施設「気仙沼ホープセンター」のことのようです。その後は、「ブリッジエイドステージ」として音楽イベントなどに使われました。

そして今度は、三浦さん夫妻による「宮城芸術文化館」のオープンです。楽しみですね。三陸新報記事にあった利用案内情報を記しておきましょう。一般公開は9月25日からです。

開館時間:午前10時〜午後5時
不定休
入館料:高校生以下200円、大人300円

なお、2017年に開館した登米市の「宮城芸術文化館」サイトは、まだ更新されていませんが、いずれは気仙沼のギャラリー展示内容が掲載されることでしょう。
 

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小田式自動販売機

本日のブログは、9月のはじめ、小中学校の夏休みが終わったころに投稿しようと思っていた内容です。夏休みの工作に関する思い出話。

58年前、私が気仙沼中学2年のときの夏休みの工作でつくったガムの自動販売機が三陸新報のコラム「いそ風」で紹介されました。


いそ風

三陸新報1965年8月29日記事の一部イメージ


記事を引用します。

〈 気仙沼中学2年の小田明紀君が、夏休みの作品として「自動販売機」を製作、文化祭作品展示を前に学校で評判になっている。同君は1年のときも自動販売機を作ったが、ことしは新小田式と云って、工夫がこらされている。

十円銅貨を入れるとモーターが回り、品物を前へ落とすという簡単な構造で制作費は約350円。昨年つくったのは、お金を入れる部分に一つ、板を回転させるのに1つと、計2つのモーターを付けていたが、それを1つのモーターだけで動かせるようにしたもの。乾電池を使ったトラックなど理科を応用した作品もいくつかあったが、小田君の創作に先生方も感心している。 【写真】新小田式自動販売機 〉

引用は以上です。


このガムの自動販売機は気中1年のときにもつくりました。それが「小田式自動販売機」。そして2年のときにつくったのが改良型の「新小田式自動販売機」です。

◎自動販売機の仕組み

仕組みを簡単に説明しておきましょう。

10円玉の受け皿には2片の銅板による接点を設けておきます。導電性のある銅貨がここに入ると、ガムを落とすためのモーターのスイッチがはいるのです。しかしそれだけでは、繰り返し利用ができません。そのため、受け皿を回転させて10円玉を落としつつ、それによってスイッチがきれないように、別の接点を設けておいて1回転したら止まる仕組みとしてあります。

基本の考え方は同じなのですが、2年生の「新小田式」では、ガムを落とす回転軸と1回転して止まるための回転スイッチを同軸にしたのです。これにより1個のモーター使用ですんだのです。モーターは「マブチ」です。〈15〉だとちょっとパワー不足なので〈25〉あたりを使ったかな。

1年生のときの回転スイッチには、父が吸っていた缶入りピースの空き缶を使いました。まだ甘い香りが残っていましたね。これに接点がオフとなるビニールテープを貼ったのです。

雑誌などの製作記事を見てつくるわけではないので、まさに試行錯誤の連続。10円玉を受けてのスイッチの仕組みについても苦労しました。シーソー状態の受け皿が下がるとすき間から10円玉はすべり落ちるものの、電磁石のスイッチが入ってシーソーが下がったままになるという方式も考えましたが、接点の接触不良でブザー状態なって失敗。

こうしたいろんなアイデアを空き缶の金属版を使って半田付けしたりしてつくるわけです。いわゆる〈バラック〉ですね。

このときに考えた、電磁石を利用しての〈スイッチが入るとスイッチが切れる〉仕組みは、あとから「リレー」(継電器)の仕組みであることを知りました。

◎理科室での展示会

新聞記事では〈文化祭〉と書いてありましたが、理科室で展示会がおこなわれたのを覚えています。記事でいうほどの話題にもならなかったように思います。ただ、村上良君(3年7組)が、説明書きのタイトル「メカニズム」をほめてくれたのがうれしかった。

説明書きは、少し大きな厚紙にA4ぐらいの解説を貼りました。〈動作の仕組み〉とか〈回路図〉などを記載したと思います。

それと、ベニヤ板でつくったボックス側面に電源端子をつけて、(鉄道模型HO用パワーパックを用いての)「外部電源利用可能」であることも特長のひとつ。内部に豆電球をしこんで「夜間の使用も可」と書いたかも。

この2年生の新小田式自動販売機には〈型番〉もつけました。「AO-680」。AOは氏名のイニシャル、680は当時の自宅電話番号です(念のため電話をかけてみたら、現在つかわれておりませんとのことでそのまま記しました)。

3年生のときにも新型の販売機を構想していました。複数のガムから選択購買できるというもの。ジュークボックスの動きを見ていて思いついた方式があったのです。ガムを落とす装置部がレール上を移動する仕組みを考えたのですが、製作せずにおわりました。

中1のときも中2のときも、夏休みは自動販売機のアイデアを考えていたのでしょう。そして作ってみると理屈どおりにはならない失敗の連続も、今はとてもなつかしい。

この新小田式自動販売機は、袋をかぶせて実家の物置に保管しておいたのですが、いつのまにかなくなっていました。母に聞くと〈捨てた〉と。断捨離か。そんなことも、今はとてもなつかしい(笑)。

今週はこれにて。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 自動販売機いそ風

千葉周作の生誕地

9月8日の三陸新報に千葉富夫さんの投稿が掲載されていました。タイトルは。「英雄 千葉周作の謎に迫る」です。千葉富夫さんは、気仙沼出身で神奈川県在住の千葉富夫さん。私たちより2コ下の気中22回生で実家は気仙沼市八日町です。


9:8

三陸新報9月8日記事の一部イメージ


投稿にもあるように、幕末の剣豪千葉周作は、私たち世代には懐かしい漫画「赤胴鈴之助」にも登場します。少年剣士の鈴之助は千葉周作道場に通っていたという設定でした。投稿の冒頭部にはつぎのようなことが記されています。

千葉周作の生誕地について、これまでは陸前高田説が有力でした。しかし、千葉富夫さんによれば、ネット上ではいま、気仙沼生誕説が主流になっているといいます。これは、最近、周作の弟である定吉が鳥取藩に仕官したときの身上書が発見されたことがきっかけになっているようです。そこには、定吉の生国は「陸奥の国気仙郡気仙沼村」と書かれていたそうです。

投稿の末尾に、松岩公民館で千葉富夫さんが講師をつとめる歴史講座が開催されることの紹介がありました。

◎剣豪・千葉周作に学ぶ市民の集い
〜幕末の英雄、その生涯と生誕地の謎に迫る
日時:9月21日(木)午後1時30分〜
会場:気仙沼市立松岩公民館 研修室
講師:千葉富夫氏
予約不要・参加費無料
(連絡先)戸羽芳文さん(090-4045-0732)

松岩公民館Facebook

千葉富夫さんは、本年2月22日にも唐桑公民館で一般成人講座「剣豪千葉周作を生み出した背景〜千葉周作の生誕地の謎に迫る」の講師をつとめています。今回の松岩公民館での講座はいわば2回目ということになりますね。

◎寛政三陸地震津波

投稿文には、周作が気仙沼を離れた理由に関する話も記されています。〈周作は1793年の「寛政の大津波」の年に生まれ、壊滅的な被害により幼少期にこの地を離れざるを得なかったようです〉と。

千葉さんの千葉周作に関する投稿は、2022年11月22日の三陸新報にも掲載されました。そのときにはこの津波について、〈千葉周作は「寛政の地震・大津波」の年(1793年)に気仙沼本郷(現八日町ワンテンビル付近)で生まれたとされています〉と書いています。

なお、Wikipediaでの千葉周作に関する説明の「気仙沼市本郷で生まれ」という記述は、「気仙沼本郷で生まれ」とすべきでしょうね。現在の住所表示「気仙沼市本郷」とはまったく違います。「気仙沼本郷」はいってみればその後の「気仙沼村」の中心部といってよいでしょう。

「寛政の大津波」についてよく知らなかったので、少し調べてみました。これは1793年2月17日(寛政5年1月7日)に仙台沖で発生した「寛政地震」による津波で「寛政三陸地震津波」と呼ばれているようです。

『気仙沼市史』第3巻近世編では、本文中の記述はありませんでしたが、「藩政期領内の災害」表中(p454)に、災害の種別を「地震」として「圧死12人、馬13頭、壊屋1060余り」とありました。

ネット上にあった、東北大学災害科学国際研究所安田容子氏の論文にも関連記述がありました。そこでは、伝聞として気仙沼で300軒が津波によって流出したとの記録があるとしています。また『唐桑町史』所収の小原木市唐桑町の肝入(きもいり)伊藤家の代々にわたる記録『永代手鏡』によれば、唐桑においては人家への浸水はなかったようであるとも。


千葉周作が気仙沼を離れた理由が、寛政5年の地震と津波の被害にあったのかどうか、さらに検討が必要だと感じました。

このあたりの話も含め、9月21日の松岩公民館での講座では千葉周作生誕の地に関する興味深い話が聞けることでしょう。

昨年の唐桑公民館での講座参加者はもちろんのこと、多くの人が参加されることを願っております。どうぞよろしく。

2022年12月6日ブログ「気仙沼の千葉周作」

 

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漁師カレンダー序章

きのうのブログでは、気仙沼漁師カレンダー1作目の写真家藤井保さんと最終章となる10作目2024年版の瀧本幹也さんの師弟関係についてでした。

本日は、瀧本さんが藤井さんのアシスタントになることを決めたきっかけについてです。それは、藤井さんが気仙沼で撮影した一枚の写真だったのです。

2021年に、藤井さんと瀧本さんのふたり展「藤井保 瀧本幹也 往復書簡 その先へ」が開催されました。その展覧会に関する2つの記事を紹介します。

◎「marie claire」2021年配信記事

「marie claire」(マリ・クレール)サイトの2021年11月5日配信記事で、藤井さんと瀧本さんの展覧会のことが紹介されています。筆者は雑誌『マリ・クレール』副編集長の高橋直彦さん。

この記事に〈写真家の人生を変えた一枚の写真〉という見出しでつぎの文章がありました。

〈そんな瀧本の師匠筋に当たるのが藤井保だ。藤井が1949年生まれ。瀧本が74年生まれ。年の差25と親子ほどの隔たりがある。藤井が92年に発表したJR東日本の広告キャンペーン「その先の日本へ。」の写真に感じ入り、18歳だった瀧本は藤井のアシスタントになる。宮城県気仙沼市のJR駅長が煙る海を見つめるという幻想的な写真。人と海しか写っていないが、じっと見つめていると様々なことを語りかけてくる。もっとも、饒舌ではなく、訥々と。東北弁によるポリフォニーが聞こえてくるようだ。〉(引用は以上)

瀧本さんが感じ入った藤井さんの一枚の写真。そこにうつっているのは、当気仙沼市のJR駅長とのこと。気仙沼駅の駅長さんでしょうね。


記事にはその写真の画像も掲載されていました。2021年11月6日に、瀧本さんご自身がこの記事の写真をX投稿しています。


すばらしい写真ですね。なお、「その先の日本へ。」は秋山晶さんによるコピーです。

◎「美術手帖」2021年配信記事

「美術手帖」サイトの2021年10月30日配信記事には、「往復書簡 その先へ」展に関する藤井保さんと瀧本幹也さんのインタビューが掲載されていました。筆者は中島良平さん。

藤井さんの一枚の写真に関する問いと、それに対する瀧本さんの受け答えを引用します。

〈──会場に入ると、入口右手のところにすぐ、1992年に藤井さんがJR東日本の仕事として撮影した「その先の日本へ。」が展示されています。瀧本さんはこの広告写真をご覧になって、藤井さんの事務所の門を叩かれたんですよね。

瀧本 心惹かれるものがあったんですね。まだバブルが終わる前の華やかな時代で、煌びやかで、いろいろなことが過多な時代でしたが、その時代に発表された広告写真としては時代に逆行していると感じました。見たことのない景色だけど、何故か懐かしい。まだ17〜18歳の自分にも懐かしく感じられるというのが衝撃で、この感覚はなんだろうと強烈な印象を持ちました。なぜ自分が心を打たれたのか、撮影した藤井さんはどういう思想を持っている人間だろうという思いで、藤井さんに師事したいと思ったんです。〉(引用は以上)

記事には、この写真を前にして話すお二人の写真が掲載されています。キャプションのなかには〈「駅長の後ろ姿に藤井さんを見ていたのかもしれません」と話す瀧本〉とも。

気仙沼で撮影されたこの写真は、「往復書簡 その先へ」展におけるシンボリックな一枚といってよいでしょう。

なんか、引用が多く、また長くなってしまいました。藤井さんの気仙沼における撮影エピソードなどは別の機会に紹介することにいたします。

ちょっとまとめておきましょう。気仙沼漁師カレンダーの1作目/第1章が藤井保さんでした。そして10作目/終章が瀧本幹也さん。その師弟関係によるリンケージがとてもきれいです。すばらしい。

さらに、そのお二人をつなぐきっかけとなったのが藤井保さんによる気仙沼の海と駅長さんの写真だったことにおどろかされました。それは気仙沼漁師カレンダーの序章/プロローグだったのかもしれません。

9月12日ブログ「2024年は瀧本さん」

カレンダーの購入など、詳細はつぎの公式サイトにて。

気仙沼漁師カレンダー公式サイト

 

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2024年は瀧本さん

2024年版の気仙沼漁師カレンダーが9月7日に発売されました。2024年版の撮影を担当してくださった写真家は、なんと瀧本幹也さんです。

PRTIMES配信によるバンブーカットのプレスリリースがとても詳しいので紹介します。バンブーカットさんは、2016年版から今にいたるまで漁師カレンダーの制作を担当してくださっています。代表は皆さんご存じの竹内順平さんです。


まずは、プレスリリース掲載の写真家プロフィールから。

◎瀧本幹也 | MIKIYA TAKIMOTO

写真家。1974年愛知県生まれ。藤井保氏に師事の後、1998年瀧本幹也写真事務所設立。広告写真やCM映像をはじめ国内外での作品発表や出版など幅広く活動を続けている。豊富な経験と表現者としての視点に、是枝裕和監督から映画撮影を任され、2013年カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した映画『そして父になる』や『海街diary』『三度目の殺人』の撮影監督を担当。東京ADC賞、CANNES LIONS GOLDなど、国内外での受賞歴多数。(以下略)

広告写真やCMだけではなく、是枝裕和監督の映画『そして父になる』や『海街diary』などの撮影も担当しています。上記の実績紹介が物足りないと感じるほど活躍ぶりです。

ひとつ付け加えておくと、気仙沼がなにかとお世話になっている矢野顕子さんが野口聡一さんとコラボしたアルバム「君に会いたいんだ、とても」のジャケットやアーチスト写真も瀧本さんの撮影です。

◎師匠の写真家 藤井保さん

瀧本さんのプロフィールには、以前から〈藤井保氏に師事〉という記載があります。藤井保(たもつ)さんというお名前を覚えている方もいらっしゃるでしょう。そうです、気仙沼漁師カレンダーの第1作目/2014年版の撮影を担当してくださいました。

2014年版が発売された当時、広告関係者からは〈あの藤井保さんが撮影を担当とは〉という驚きの声もあったのです。藤井さんは、それぐらいすごい写真家。

私はそうした藤井さんと瀧本さんの師弟関係を知っていましたから、漁師カレンダーの節目となる10作目は、もしかすると瀧本幹也さんかも、という予想というか期待もちょっとありました。しかしその一方で、まさかなあとも。そのハードルの高さを思っていたのです。

しかし結果はその〈まさか〉。藤井保さんではじまった気仙沼漁師カレンダーは、瀧本幹也さんによって最終章を迎えることになったのです。

◎雑紙「デザインノート」(2006年)の記事

瀧本さんが藤井さんに師事、いいかえれば〈弟子入り〉するときの経緯が雑紙「デザインノート」No.5(2006年)に紹介されています。この号の特集は〈アートディレクターが魅せる「写真」ディレクション〉でした。

11事例のうちの一人として瀧本さんが紹介されているのですが、その記事のなかに「魂が逃げていく」という小見出しが付されたつぎの文章がありました。引用します。

〈 写真と対峙する時の姿勢は、藤井保氏から多くを学んだと、瀧本は振り返る。

「スタジオで働いている時に藤井保さんのJR東日本とメルセデスベンツの仕事に出会った。この人につきたいなあと思ったけれど、いきなり行っても断られるから準備をはじめたんです」

自分の作品のbookをつくって半年後に藤井氏に見てもらうことを計画するのだ。そのために自分の部屋に暗室を作り、コツコツとプリントを焼いていった。半年経ってbookを持っていこうと決めていた日に電話をするが、あっさりと断られてしまった。

しかし瀧本は簡単にはあきらめなかった。5分後には気を取り直してbookだけでも見てもらえるよう再度チャレンジした。それがきっかけとなり藤井氏のアシスタントとして働くことになったのだ。

「技術的なことはもちろん、精神的なこともたくさん教わりました。写真は気持ちを込めないと魂が逃げるという『気』のようなものが映らないと。確かにデジタルの数字では表せない何かがあると思いますからね」 〉(引用は以上)

藤井さんの助手をつとめるにあたっては、こうした経緯があったのですね。

本日はこれくらいにしておきましょう。今回は、1作目の藤井保さんと今回10作目の瀧本幹也さんの師弟関係についてでした。

明日は、瀧本さんが藤井さんへの師事、つまり助手になることを決めたきっかけについて。なんとそれは、藤井さんが気仙沼で撮影した写真だったのです。


カレンダーの購入など、詳細はつぎの公式サイトにて。

気仙沼漁師カレンダー公式サイト

 

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白山小学校の校歌

気仙沼の酒造会社「角星」さんの8月28日X投稿に、旧・白山小学校の校歌が刻まれた記念碑の写真がありました。


角星(かくぼし)さんは、鹿折小学校への統合で2015年3月末に閉校した気仙沼市立白山(はくさん)小学校の旧校舎や体育館を活用して、新たな醸造工場「白山製造場」を設けました。投稿は元プールも含め、この製造場の写真です。

白山製造場は2021年2月に着工し、同年11月からの醸造開始を目指すとしていましたから、もう2年が経ちますね。つぎのブログでも紹介しました。

2021年2月9日ブログ「角星の白山製造場」

よい機会なので、記念碑に刻まれている白山小学校校歌の歌詞を紹介しましょう。投稿画像を基本として、2015年3月22日の三陸新報記事を参考にしております。大島出身の詩人・童話作家 水上不二(みずかみ・ふじ)が作詞しました。


白山小学校 校歌

高判形の峯は
わたくしたちとうたう
谷をわたる朝風
遠くひびく山びこ
いつもあかるくのびのびと
みんなすなおにすくすくと
白山小学校よ
ゆりの咲く道よ

太平洋の雲は
わたくしたちをまねく
まどに光る青空
人につくすまごころ
いつもあかるくのびのびと
みんなすなおにすくすくと
白山小学校よ
うつくしい旗よ

鹿折川の水に
わたくしたちはそだつ
金の脉よかがやけ
源氏滝よあふれよ
いつもあかるくのびのびと
みんなすなおにすくすくと
白山小学校よ
あすを呼ぶ星よ


高判形は「たかはんぎょう」。山の名だと思いますが、高判形山(たかはんぎょうやま)という住所表示にもなっています。

「金の脉」はどう読むのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃれば教えていただければと。「脉」は音読みは「みゃく」、訓読みは「すじ」です。金の脉は〈金脈〉つまり鹿折鉱山の金脈/鉱脈のことかと。

水上不二直筆の校歌歌詞を刻んだこの記念碑は、2015年3月22日の三陸新報記事によれば、校庭西側に建立され、同日の閉校式終了後に除幕式がおこなわれました。学区内の全戸(190戸)と教職員が2千円ずつ出し合って地元の石材店が製作したそうです。

校歌は、昭和32年に校旗とともに制定されました。作詞した水上不二は、初代校長の熊谷正志さんの級友であったそうです。作曲は長谷川良夫氏。

◎校歌等収録のCD

白山製造場の皆さんがこの校歌を歌えないというのは仕方がないことかと。しかし、これを機会に校歌を聴いてみてはいかがでしょうか。

白山小学校の校歌が収録されたCDがあるのです。2015年3月13日の三陸新報によれば、同年5月31日に録音されたもの。児童と地域住民約50人が参加しての収録だったようです。




2015年3月13日記事の一部イメージ(生徒部分を加工処理)


演奏は仙台市を拠点に活動している弦楽合奏「Göggero Solisten(ゲッゲロ ゾリステン)」。合奏団代表の原新太郎さんが以前同行の教頭をつとめていたご縁がありました。

CDには、校歌と校歌のカラオケ、やまびこ児童会の歌、白山小唄の4曲が収録されています。全戸に配布されたほか、閉校式典の出席者にも配られたそうです。

角星の白山製造場に、このCDの備えがないようであれば、旧白山小学校関係者に声をかければすぐに入手できるでしょう。

これを機会に白山小学校142年の歴史に触れてみるのもよいのではないかと。


なお、2015年3月31日には、白山小学校だけではなく、小原木(こはらぎ)小学校も唐桑中学校に統合し閉校しています。ご参考まで。

2020年5月19日ブログ「水上不二の解説板」
 

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日日是好日「がふ」

9月1日(金)のNHK総合/東北ココから「みなとまちの小さな新聞」はとてもよかったですね。気仙沼市や南三陸町を主な購読エリアとしている「三陸新報」を発行する三陸新報社に密着取材した番組でした。東京での放送はなかったのですが、NHKプラスで見ることができました。

妻と一緒に見たのですが、冒頭のつぎのシーンで共におどろきました。


がふ画面

9月1日配信画面より


冒頭のシーンで女性が見ているのは三陸新報の連載記事「日日是好日」。この連載は、文を加藤美貴子さん(筆名:鼎女)が、イラストを妻 小田まゆみ(筆名:コミマル)が担当しています。

女性がつぎのように語ります。ふたりの声がまざっています。

〈だがら、おじゃっこのみ(お茶こ飲み)の朝はね、わだし(私)かならず新聞をうしろがら(後から)読むのっさ。ああ、今日、いいごどかがってるなあ(良いこと書いてあるなあ)と思うのね。靴が大きいのを「がふ」って言うのね。うん、懐かしい言葉だからねえ。気仙沼弁〉

ここにうつっている「日日是好日」は3月17日掲載回です。この回の気仙沼弁は「がふ」でした。靴などが〈ゆるい〉ことをこのように言います。


がふ

三陸新報3月17日掲載記事より


〈いいごどかがってるなあ〉という気仙沼の女性に対しての私の感想は、〈いいごどかだってるなあ〉です。

東北ココから「みなとまちの小さな新聞」は、とても情報量の多い放送でした。また回をあらためて紹介しようと思います。本日はこれにて。

6月22日ブログ 「日日是好日」80回

 

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tag : 日日是好日東北ココから

第61回けせもい展

リアス・アーク美術館で9月6日から9月10日まで、「けせもい展」が開催されています。同館の山内館長がつぎのようにX(Twitter)投稿していました。


「けせもい展」はとてもなつかしい。私は気仙沼高校で美術部に属していたのですが、当時のけせもい展は、気仙沼高校(男子校)と鼎が浦高校(女子校)の2校による展覧会でした。

その気仙沼高校と鼎が浦高校も2005年4月に統合し、いまの気仙沼高校となっています。現在のけせもい展は、その気仙沼高校と、本吉響高校、南三陸高校、東陵高校の4校が参加しての開催です。

山内館長の投稿映像をみると、力作がならんでいますね。こうして、気仙沼市や南三陸町の高校生が、絵画やデザインなどの表現に懸命にとりくんでいることをとてもうれしく思います。とてもいい。

是非、多くの人に地元高校生の作品を見ていただければと。特に同世代の若い人たちにとって、よい刺激になるのではないでしょうか。

◎第61回「けせもい展」
会場:リアス・アーク美術館 2F 圏域ギャラリー
会期:9月6日(水)〜9月10日(日)まで
時間:午前9:30〜17:00(最終日は14:00まで)
観覧無料

2019年9月13日ブログ「第57回けせもい展」


私が気高3年生のときの「けせもい展」に、小学生のころから通っていた広野画塾の広野重雄先生がきてくださいました。そして、私の絵をほめてくれた話はつぎのブログにて。

2011年7月28日ブログ「画塾の広野先生」

 

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tag : けせもい展

菅原コーチの近況

夏の甲子園における決勝戦。両校の監督は、慶應義塾が森林貴彦さん、仙台育英が須江航さんでした。そのお二人が日頃の指導で選手にかける言葉が大きな話題になりましたね。そして、バスケットボール男子日本代表のトム・ホーバス監督も。

最近のスポーツ界をみていると、コーチングの考え方が昔というか以前とは大きく変化していると感じます。

8月15日の三陸新報のコラム「記者席」に、気仙沼出身のコーチの話が紹介されていました。


記者席

三陸新報8月15日記事の一部イメージ


7月29日、イタリアのミラノで開催されたフェンシング世界選手権の女子フルーレ団体で日本チームが同メダルを獲得しました。女子フルーレ団体での世界選手権メダル獲得は16年ぶりとのこと。

その快挙の裏に、2007年の世界選手権フルーレ団体で、日本初となる銅メダルをもたらした菅原智恵子さんの存在があったというのです。

菅原さんは、気仙沼市立条南中学から鼎が浦高校(現 気仙沼高校)へ。大学は日本体育大学に進んでいます。鼎が浦高校でフェンシングを始めましたが、そのときに指導したのが、現在は日本フェンシング協会の会長をつとめる千田健一さんです。

記事によれば菅原さんは、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンと、オリンピック3大会に出場しました。現在は日本フェンシング協会のコーチとして選手強化を担当するとともに協会の理事もつとめています。

「記者席」記事の最後に菅原智恵子さんのコメントが紹介されていました。「五輪選考対象の有無にかかわらず国内外で大会が続く。今回の結果を自信に、五輪でのメダル獲得を目指したい」。

菅原コーチは、フィジカルなことはもちろんのこと、メンタル面も含めて選手の指導をする一方で、最新のコーチング理論なども研究しているのではないかと思います。選手だけでなく、コーチにおいても世界レベルでの〈競争〉があるのでしょう。菅原さん、大変な役割を負っていますが、どうぞよろしくお願いいたします。

今回の「記者席」は、フェンシング世界選手権というグローバルな話と地元気仙沼出身のコーチの近況とが重ね合わされたコラムでした。筆者は略称〈玲〉さん。熊谷玲央さんでしょうね。熊谷さん、ありがとうございました。


菅原智恵子さんについてはつぎのブログでも記しております。本ブログでのフェンシング関連記事リンクもあわせてご覧いただければと。

2016年8月10日ブログ「菅原智恵子コーチ」
2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」
 

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tag : 菅原智恵子

9/6解体キングダム

本日もテレビ番組紹介です。9月6日(水)のNHK総合「解体キングダム」では、気仙沼を母港としていた水産庁の漁業取締船「たつまい」の解体が紹介されます。全国放送です。


◎NHK総合テレビ
解体キングダム
「復興のシンボル 漁業取締船 涙の解体」
9月6日(水)午後7:57〜8:41

番組サイト

番組サイトから紹介文を引用します。

密漁船から貴重な魚介類を守るため、日本の海域を長年、監視してきた漁業取締船「たつまい」がこの夏、静かに解体された。巨大なアタッチメントで船体が切られていく様子を見つめる船員たちの目には、なぜか大粒の涙が。実は「たつまい」には、東日本大震災で炎に包まれた壮絶な過去があるのだ。そこから奇跡の復活を遂げ、復興のシンボルとして船員たちを支え続けてきた「たつまい」の、“涙の解体”に伊野尾慧が密着する!

◎市営汽船「たつまい」

「たつまい」という船名を聞いて、私をはじめ気中同級生の多くが思い出すのは、取締船ではなく大島巡航船の「たつまい」でしょう。

2016年1月29日ブログ「大島巡航船の軌跡」でも紹介しましたが、「たつまい」は私が気仙沼中学1年生だった1964年7月に進水。気仙沼の市営汽船として内湾の船着場と大島/浦の浜とを往復しました。大島航路は、大島汽船の巡航船が主力だったと思いますが、市営の汽船が運航していた時代もあったのです。

2016年1月のブログでは気仙沼周辺の地域情報誌「浜らいん」2016年新年号の特集〈大島汽船110年の航跡を辿る〉に掲載されていたつぎの写真を紹介しています。気仙沼市営汽船「たつまい」です。


たつまい

市営汽船「たつまい」:「浜らいん」2016年新年号より


「気仙沼文化史年表」にはつぎのように記されています。

昭和39年7月1日
鋼鉄旅客船「たつまい」進水、気仙沼〜浦の浜間運行

〈鋼鉄旅客船〉というのが当時の私の印象と重なります。「たつまい」はそれまでの小さな木造巡航船に比べて大きく、とても〈立派〉な感じがしたのです。「たつまい」の名は、大島の龍舞崎(たつまいざき)からの命名でしょうね。

話を戻しましょう。9月6日(水)午後7:57からの「解体キングダム」。お見逃しなく。

2016年1月29日ブログ「大島巡航船の軌跡」

 

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tag : たつまい解体キングダム

9/5の東北ココから

9月1日のNHK「東北ココから」の〈みなとまちの小さな新聞〉をご覧になりましたでしょうか。東北6県のみで、東京での放送はありませんでした。しかし、NHKプラスでの見逃し配信があり、私も見ることができました。これについてはまたあらためて。

本日お知らせするのは、9月5日にほぼ全国で放送される「東北ココから」です。気仙沼のフリースペース「つなぎ」(中村みちよ代表)が紹介されます。東北6県での初回放送は6月16日でしたが、これも東京では見ることができず。今回の放送は気仙沼の人にとっては再放送ということになりますね。


放送番組のテーマ名は「自分らしい世界は少しずつだけど広がっていく」。番組サイトから紹介文を引用します。

〈気仙沼にあるフリースクール「つなぎ」で日常を過ごす、小学生から20代の若者たち。不登校やひきこもりを経験し、自分らしい居場所を求めてここに来た。つなぎでは、多様な職業の大人たちの生き方に触れる時間や、主体的にものごとを決める過程を大切にしている。学校では出会えなかった仲間を見つけたり、就職を機に動けなくなった自分と向き合ったり。それぞれのペースで、自分らしい世界を少しずつ広げていく姿をみつめる。〉(引用は以上)

◎NHK総合テレビ
東北ココから
「自分らしい世界は少しずつだけど広がっていく」
9月5日(火)午後2:10〜2:38
一部の県などで放送がないようですが、東京も含めほぼ全国で視聴できます。各地域での放送予定をご確認ください。

番組サイト

一般社団法人「フリースペースつなぎ」は、2013年2月に任意団体として発足。今年2月26日には気仙沼中央公民館で10周年記念祭を開催しました。「東北ココから」でもその様子が紹介されるようです。2月28日の三陸新報は、この10周年祭をつぎのように伝えています。


つなぎ

三陸新報2月28日記事の一部イメージ

記事の写真は、中村みちよ代表理事と文部科学省初等中等局/清重隆信さんの対談の様子です。

「フリースペースつなぎ」については、団体名は知っていましたが、その活動の詳細を知らずにおりました。この放送で、その一端に触れることができればと思っております。皆さまも予約録画などして是非に。

「フリースペースつなぎ」公式サイト

 

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市役所の第二庁舎

7月14日に「江戸むらさき特急」などの作品でおなじみの漫画家ほりのぶゆきさんが、X(旧Twitter)で気仙沼市役所第二庁舎の写真を投稿しました。JR大船渡線BRT停留所側からの撮影です。木造の建屋におどろいたのでしょう。〈これ市役所なのか、現役の。味があるとかのレベルじゃない。尊敬する。〉


この投稿が大反響をよびます。つまり、バズりました。

ほりさんの投稿に対しては、これが気仙沼市役所の本庁舎と誤解しての反応なども含めて、多くのコメントが寄せられています。

そして8月28日には、仙台放送がこの話題をとりあげてくれました。同日の放送だったのでしょう。〈SNSで話題「タイムスリップ?」築100年超の木造市役所〉




放送のなかで、この建物が114年前の明治42年/1909年に小学校の校舎として建築されたと説明されます。この小学校は気仙沼小学校です。放送画面ではつぎの写真が紹介されました。撮影年は不明。

校舎写真

仙台放送8月28日配信映像より

そしてテロップで、校舎利用の歴史がつぎのように。

1943年 気仙沼高等女学校
1948年 気仙沼女子高校
1951年 鼎が浦高校
1969年 気仙沼市役所 第二庁舎

この内容でまちがいはないのですが、ちょっと付け加えておきたいことがあります。

実は、市役所第二庁舎の歴史について、このブログも紹介しようと思い準備を進めておりました。ただ、気仙沼小学校や旧鼎が浦高校の移転なども重なりあって想像以上に情報量が多いのです。そんなことで、詳しい話はあらためてということにいたします。

とはいうものの、つぎの事項だけは紹介しておきましょう。「気仙沼文化史年表」からの情報です。

1923年(大正12年)4月 気仙沼実科高等女学校が気仙沼小学校校舎に併設開校

ここから同校舎での女子校の歴史が始まります。気仙沼市史ではこの開校を大正12年ではなく大正13年としていますが、前後の記述から誤記か誤植と思われます。

そして男子校の歴史もつぎのように。

昭和2年(1927年)4月 県立(旧制)気仙沼中学校が旧気仙沼小学校を仮校舎として開校

つまり現在の気仙沼高校は、この建物から始まっているのです。面白いですね。

ほりのぶゆきさんの投稿がなければ、こうした第二庁舎の歴史を調べることもなかったことでしょう。とても面白かった。

おかげで勉強になりました。ほりのぶゆきさん、ありがとうございました。
 

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プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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