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フィッシャーズ優勝

気仙沼の野球チーム「気仙沼フイッシャーズ」が、第15回北日本古希軟式野球大会で優勝しました。宮城代表の2年連続9回目の出場で初めての優勝とのこと。快挙です。

この優勝については臼井真人君から聞いており、菅原市長も8月23日のX投稿で伝えてくれました。三陸新報さんでの紹介はいつかなと思っていたら、やっときのう8月30日に掲載されました。


ファイッシャーズ

三陸新報8月30日記事の一部イメージ


この北日本古希軟式野球大会は山形県の山形市や天童市などを会場にして開催され、北海道と東北6県から32チームが出場。ファイッシャーズは、8月19日から21日までの3日間で5試合を勝ち抜きました。

気中20回生では臼井真人君(3年2組)と齋藤康雄君(9組)がメンバーです。チームのなかでは〈若手〉です。記事の写真に真人君がいないなと思い聞いてみると、最終日は市役所関係の仕事があって参加できなかったとのこと。市議会議員だから仕方なし。優勝カップの後で賞状を持っているのが康雄君です。
(9/2追記:齊藤康雄君を熊谷康雄君と誤記しておりました。吉田浩君からの指摘で誤りに気づき、修正いたしました。齊藤康雄君には7月の同年会で久しぶりに会って話したばかりでしたが、痛恨のミス。大変失礼いたしました。吉田君、ありがとう。)

参考までに付け加えると、後列右から5人目で少し髪が白くうつっているのが、熊谷猛郎さん。1962年8月、気仙沼高校が夏の甲子園に初出場したときのエースでした。現在はフィッシャーズのスコアラーとつとめているそうです。

三陸新報の記事にメンバーが記されていました。


メンバー

三陸新報8月30日記事より


真人君や康雄君は〈若手〉と書きましたが、気仙沼フイッシャーズの監督をつとめる斉藤勝一さんはなんと85歳とのこと。おどろいた。

2014年のブログで気仙沼フィッシャーズのことを紹介したことがあります。宮城県還暦軟式野球春季大会で2位に入り、翌年10月の全日本選手権大会に出場することになったという話。9年ぶりのことだったそうです。

2014年7月22日ブログ「還暦野球メンバー」

気仙沼は古くから野球が盛んな土地柄です。そうした地域の歴史を背負ったチームであると思います。ますますの活躍を願っております。

気仙沼フィッシャーズさんの第15回北日本古希軟式野球大会優勝、おめでとうございます。

真人君、康雄君、お疲れさまでした。

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tag : フィッシャーズ野球

港町の小さな新聞

井坪美喜乃さんの8月25日X(旧Twitter)投稿。9月1日(金)のNHK総合で「三陸新報」が紹介されるとのこと。三陸新報は、気仙沼市と南三陸町を主な購読地域とする新聞で、三陸新報社が発行しています。


これは必見と思ったのですが、残念ながら東京での放送はありません。宮城県を含む東北6県ではつぎの放送予定となっています。

◎NHK総合テレビ
東北ココから
「みなとまちの小さな新聞」

9月1日(金)午後7:30〜7:57
9月2日(土)午前10:30〜11:00(再放送)
青森県だけは9月2日の再放送はありません。

放送案内サイト

放送案内サイトから紹介文を引用します。

日本有数の漁港がある、気仙沼や南三陸の出来事を伝える新聞「三陸新報」。発行部数2万部。地域紙の廃刊が相次ぐ中、今も7割の世帯が読む。「小さな新聞だけど、すごい力がある」と地元の人たちが言うこの新聞。記者の多くは地元出身。地域くまなく足を運び、大小さまざまなニュースを見つけ、見出し1つ、写真1枚にもこだわって紙面が作られている。「伝える」ってなんだろう?港町の小さな新聞社に密着した。語り:上野樹里(引用は以上)

番組サイトのギャラリーでは、5つの画像が紹介されていました。その4枚目は市内の喫茶店。写真のコーヒーカップを見ると、南町の「ヴァンガード」ですかね。広げている三陸新報には「カツオ水揚げ本格化」の見出し。これは7月6日の1面記事でした。

そして5枚目の画像にうつっているのは5か月前3月17日の三陸新報です。気仙沼市の復旧・復興事業に尽力してきた県外自治体らの派遣職員の受け入れが本年度(2022年度)で終了することを伝える記事でした。どのような流れでこの紙面が登場するのでしょうか。

派遣職員の受け入れ終了については次のブログでも紹介しております。

4月4日ブログ「派遣職員受入終了」

東北ココから「みなとまちの小さな新聞」を東京で見られないことがとても残念です。どうぞ気仙沼をはじめ、東北6県にお住まいの方はお見逃しなきように。
 

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tag : 三陸新報

気仙沼文化史年表

三陸新報の「タイムトラベル〜20年前のあの日あの時」は、20年前の同日に掲載した記事を紹介する連載。8月24日には、『気仙沼文化史年表』づくりに取り組む荒木英夫さんの紹介記事がとりあげられていました。


年表

三陸新報8月24日記事の一部イメージ


荒木英夫さんは、『気仙沼文化史年表』著者略歴によれば1978年から92年まで気仙沼市図書館長をつとめています。前館長は菅野青顔さん。荒木さんは化石の研究でも知られていますね。建て替え前の気仙沼図書館ロビーには、化石の展示ケースがあったことを覚えています。

『気仙沼文化史年表』は20年前、平成15年/2003年12月1日に発行されました。上記の記事はその3か月ほど前のもの。

発行所が別に記されているわけではありませんので、いわゆる自費出版ということでしょう。いくらだったのか、書物自体に販売価格や頒価の記載はありません。

私は同書の発刊を三陸新報で知り、実家に購入を依頼したのだと思います。母が文信堂あたりで買ったのでしょう。276頁からなる荒木英夫さんの著書『気仙沼文化史年表』はこれです。


表紙


巻頭に「刊行の辞」が掲げられています。



一部を引用します。

〈宮城県においては、すでに県図書館長菊池勝之助によって『宮城県郷土史年表』が作成されているが、気仙沼地方の項目が少ない。従って郷土の先達の遺志を継ぎ、詳細な郷土史年表を編纂するのは筆者に課せられた仕事ではないかと思ったのである。現職の時から地元新聞、郷土出版物について資料を集め、退職後も市図書館に通って調べたが、個人としては中々大きな仕事となった。

(中略)

これは言わば、密森の中に一本細道を付けたに過ぎない。もし多くの市民、団体が追加や訂正を行って、さらに完全な年表を作成出来るならば、これ以上の喜びはない。〉(引用は以上)

次頁には、三陸新報社の社長である浅倉真理さんの「発刊に寄せて」が掲載されています。

IMG_6522.jpg

これからも一部を引用。

〈思えば、気の遠くなるようなこの大事業に荒木先生は一人で立ち向かい、この度ついにその刊行を見るに至った。

誰かが手をつけ、まとめなければならないものではあった。しかし、その膨大な作業と費やした時間を思うとき、成し遂げた荒木先生の情熱と忍耐、真摯な姿勢に脱帽するのみである。

(中略)

荒木先生の労を多とし、本書が郷土のために活用され、その真価を発揮することを、切に願っている。〉(引用は以上)


私のブログ「気中20プラス」で、気仙沼の歴史に触れるときに必ず参照するのがこの荒木さんの『気仙沼文化史年表』です。同書からの引用の多さは、お読みいただいている方はすでにご存じのことでしょう。

浅倉真理さんが記しているとおり、同書の編纂は〈気の遠くなるような大事業〉だったと思います。

これをよい機会として、荒木さんにお電話をさしあげ、日頃大変お世話になっていることの御礼を申し上げようかとも思っているところです。

それはそれとして。まずはこの場を借りての御礼を一言。荒木さんの年表のおかげで、気仙沼の歴史に親しく触れることができております。『気仙沼文化史年表』の編纂と発行に心からの感謝と御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

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ALPS処理水のこと

東京電力・福島第一原発のALPS(アルプス)処理水の放出が8月24日に開始されました。正確にいえば、ALPS処理水をさらに海水で相当に薄めての海洋放出開始です。

処理水放出をめぐっては、それによる風評被害の懸念などから反対する意見もありました。今もあります。しかし、現実に放出が始まったことで、その局面/フェーズが大きく変わったと思います。

これまでは、風評被害についての予想から放出に反対という人もいたことでしょう。科学的にみて安全であることはわかったが、風評による被害が予想されるので反対だと。しかし、いま必要なのは、風評被害を〈予想〉することではなく〈予防〉することではないかと思うのです。

そんなことで本日は、私なりに風評被害の予防を目的にALPS処理水のことをまとめることにいたしました。

◎経済産業省のサイト

ALPS処理水のことについて、私がわかりやすいと感じたのは、経済産業省の「みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと」(以下、「ALPS処理水のこと」サイトと略称)の5つの動画です。このサイトは2022年12月1日に公開されています。

同サイトでの記述内容からALPS処理水についての基本的な情報を以下に。「ALPS処理水」の定義といってもよいでしょう。

◎ALPSとは

Advanced Liquid Processing Systemの略で、様々な放射性物質を取り除いて浄化する「多核種除去設備」のことです。

◎ALP処理水とは

・東京電力福島第一原子力発電所の建屋内にある放射性物質を含む水について、トリチウム以外の放射性物質を、安全基準を満たすまで浄化した水のことです。

・トリチウムについても安全基準を十分に満たすよう、処分する前に海水で大幅に薄めます。

・薄めた後のトリチウムの濃度は、国の定めた安全基準の40分の1(WHO飲料水基準の約7分の1)未満になります。

・安全基準を満たした上で、放出する総量も管理して処分するので、環境や人体への影響は考えられません。

◎5つの動画解説

「ALPS処理水のこと」サイトでは「知ってほしい5つのこと」として、つぎの5つのテーマを掲げています。

1:ALPS処理水って何?本当に安全なの?
2:トリチウムって何?
3:なぜALPS処理水を処分しなければならないの?
4:本当に海洋放出しても大丈夫なの?
5:近海でとれた魚は大丈夫なの?

5つのテーマそれぞれについての動画解説はYouTubeでも公開されています。各回とも1分から1分半程度の長さです。













「ALPS処理水のこと」サイトでは、動画以外にも各種の図解や解説が掲載されています。マスメディアのアンケート結果をみると〈(処理水に関する)説明が不十分〉という反応が結構多いのですが、説明を知らないだけでしょう。あるいは知ろうとしていないか。

政府のいうこと、経産省のいうことなどは信用できないという人もいることでしょう。しかし、そんな方々にとってもこれらの動画は、政府や経産省がどのように説明しているのかをコンパクトに知るよい材料になるのではないかと。

どこまで信用できるのか、全部なのでしょうか。全部ではないとすれば、信用できないのはどこなのか。その信用できない理由の根拠が示されれば、建設的な議論になるかもしれませんね。

経産省の〈ALPS処理水のこと〉は、反対意見をもつ人にとっても便利なサイトであると思います。その観点からもぜひ多くの人にお勧めいただければと。

多かれ少なかれ風評被害もあるでしょう。しかしそれを最小限のものにしたい。そういう気持ちで本日のブログをまとめました。皆さんのさまざまな判断の参考にしていただければ幸いです。まずはここから。どうぞよろしく。
 
経済産業省「ALPS処理水のこと」サイト

 

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tag : ALPS処理水

寄稿「二つの校章」

気仙沼市立条南中学校と気仙沼中学校の来年4月の統合については、両校の統合準備会などでさまざまな課題についての検討が進められています。

条南中学校が創立、開校したのは、45年前の昭和53年/1978年4月のことでした。前年度までは同じ気仙沼中学に通学していた生徒が、昭和53年度には学区が分割され、気中と条南中の二つの学校に〈別れ別れ〉となってしまったのです。

この昭和53年4月当時に気仙沼中学校3年生だったひとりが、気仙沼商会の高橋正樹社長です。正樹さんは気中32回生ですから私たちの12コ下の学年ですね。

私の手元に、平成8年/1996年11月発行の「気仙沼中学校 創立五十周年記念誌」があります。この記念誌には気中1回生から49回生までの卒業生と51〜52回の在校生各1名の「回想と思い出」が掲載されているのですが、その中の気中32回生としての寄稿が正樹さんによるものなのです。気中20回生分は私が依頼されて寄稿しております。

高橋正樹さんの寄稿掲載ページはこんな感じ。タイトルは「二つの校章」です。


二つの校章

「気仙沼中学校 創立五十周年記念誌」より


正樹さんは、この気中と条南中の分割について、〈一度に約百人の友人が転校してしまうという大事件〉と記しています。そしてつぎのように。

〈昭和53年4月。新学期も始まらない母校の校庭では、新3年生と新2年生がそれぞれ二つのグループになり向かい合い、お別れの式が行われておりました。「条南中学校」が新設されることは半年以上前から分かっていたこととはいえ、多くの友達を見送る私たちの心境は、「お別れ」というよりはむしろ「引き裂かれる」と表現したほうが、適切であったかと思われます。〉

後半にはつぎの文章も。

〈昨年(平成7年)の正月。女性の厄払い年祝い同年会を開催致しました。卒業以来、4度目の同年会でしたが、初めてアルバムも作成しました。そして、そのアルバムの表紙には、以前作った卒業十年の名簿もそうであったように、二つの校章が並んでおります。一つは我が母校のものであり、そしてもう一つは、もちろん条南中学校の校章であります。〉

そして、文章の最後に次の画像が。

校章


この寄稿文「二つの校章」は、45年前の気中生の心境、心情を記した貴重な回想であると思い紹介させていただきました。高橋正樹さん、ご寄稿ありがとうございました。

56年前、昭和42年/1967年4月1日には、気仙沼小学校の「第2小学校」として計画された南気仙沼小学校が開校しました。この開校にあたっても、気仙沼小学校では多くの児童の〈転校〉つまり〈別れ〉があったことでしょう。同校は、2012年3月31日に気仙沼小学校と統合し閉校しています。

「気仙沼中学校 創立五十周年記念誌」についてはつぎのブログにて。

2021年4月29日ブログ 気仙沼中「新校舎」


◎統合後の校章について

条南中学校と気仙沼中学校の統合後の校名については、両校の統合準備会が7月24日「気仙沼中学校」とすることを決めています。つぎのブログで三陸新報の記事を紹介しました。

7月27日ブログ「校名 気仙沼中学校」

7月26日の三陸新報記事には、「校歌は現気仙沼中学のものを引き継ぐが、校章は統合後に変更を検討する」とありました。なにか、変更することを前提にしているようなニュアンスも感じるのですが、私は〈変更するかどうかの検討というニュアンスかもしれませんね〉と追記しておきました。

私は、校名が「気仙沼中学」のままということであれば、校章も変更すべきではないと考えています。

今後の検討のなかでは、条南中の校章デザインの一部をとりこめないかという意見が出るかもしれませんが、それは難しい。上に紹介した二つの校章を見てもらえば、その困難さがわかるでしょう。

現行の気中校章にこだわらず、新しいデザインにしたらどうかいう意見もあるかもしれません。しかし、反対意見も多く出てまとまらないでしょう。

五十周年記念誌記載の沿革によれば、現在の気中校章は創立年である昭和22年/1947年の6月18日に制定されています。「校章(帽章)制定」とありました。

あくまで、気仙沼を離れ東京で暮らす気中OBの一意見としてですが、76年間にわたって継承してきたという事実は相当に重いのではないかと。

どうぞよろしく。
 

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tag : 条南中学気仙沼中学校章

今年の早稲谷鹿踊

気仙沼市唐桑町の御崎神社さんの7月30日のX(旧Twitter)投稿を紹介します。今年の早稲谷鹿踊(わせやししおどり)に関する話です。


投稿者がはっきりとはしませんが、過去の投稿を読むと、気仙沼市唐桑の御崎(おさき)神社さんに嫁がれた方のようです。禰宜(ねぎ)の奥様でしょうか。神職を補佐する巫女(みこ)ということかもしれません。〈私も神楽(かぐら)を学ぶ身として、地元の根っこみたいなものを感じる事が出来ました〉とのこと。

なお、上記につづく投稿(スレッド)によれば、〈地元の〉というのは、〈唐桑の〉いうことではなく〈実家の地元〉ということのようです。早稲谷近辺から唐桑に嫁がれた方ということでしょうか。

早稲谷鹿踊(わせやししおどり)は、宮城県指定無形民俗文化財で、地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典で奉納されます。2016年8月のブログにちょっと詳しく紹介しましたので、以下に再掲します。


2016年8月26日ブログ再掲

早稲谷鹿踊の伝承

(2016)8月2日の三陸新報に、気仙沼市早稲谷(わせや)の鹿踊(ししおどり)の記事が掲載されていました。

三陸8,2早稲谷3

三陸新報2016年8月2日記事の一部イメージ


記事の一部を引用します。

「気仙沼市早稲谷地区の甘酒地蔵尊祭典が(2016年7月)31日、現地で行われた。県指定無形民俗文化財の早稲谷鹿踊が奉納され、地域の繁栄を願って厄災、疫病をはらうとともに、祖先の霊を供養した。地蔵尊は、飢饉や疫病などで亡くなった幼子を供養するために建立された。早稲谷鹿踊が伝わってからは毎年、旧暦6月24日の前後に奉納されている。」(引用は以上)

宮城県の指定文化財のウェブサイトにはつぎの説明がありました。

「早稲谷地区に伝わる8頭の鹿踊りである。記録には文政10年(1827)、岩手県大原山口の喜左衛門より月立八瀬の林蔵に伝承されたものという。毎年旧暦6月24日に地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典に奉納し、災厄や疫病をはらう魔除けの踊りといわれるが、本来は祖先の霊を供養するものである。背中に竹を削って結束した3m以上のササラを立て、腰太鼓をさげ、唄いながら踊り跳ねる。政宗から「仰山なり」と賞詞されたといういい伝えにちなみ「仰山(ぎょうざん)流」と称する。」

また、甘酒地蔵尊は、天明の大飢饉(約230年前)で亡くなった乳児や幼児を供養するために建立されたそうです。甘酒は母乳に見立てたものといいます。源義経の一行が平泉に向かう途中、猿がお地蔵様に姿を変え、甘酒で迎えたとの言い伝えもあるようです。

私が驚いたのは、気仙沼ニッティングさんのフェイスブック7月31日の記事でこの鹿踊りがつぎのように紹介されていたこと。代表の御手洗さんによるものでしょう。

〈昨日は、気仙沼の山の方の、早稲谷という集落で「鹿踊り」がありました。この1年にこの集落で亡くなった方々のために、お地蔵さまの前で鹿たちが祈りを捧げるのだそうです。気仙沼でもほとんど告知されないため、気仙沼在住でも見たことがある人は少ないかもしれません。この集落の人たちが、静かに行うお祭りです。空と山を背景にした舞台で、鹿たちが角に見立てた長い「ささら」を振り回して踊る様子は圧巻でした。この踊りのあとは、新しいお位牌の前で鹿たちがお祈りをします。亡くなったあと、こうして村のみんなに祈ってもらえるというのは、なんとあたたかな文化だろうと思います。続いていきますように。〉

17分間の動画も紹介されているのですが、これを見ると〈本物の奉納の踊り〉の雰囲気が伝わってきます。私は〈宮澤賢治〉や〈遠野物語〉を連想しました。早稲谷の鹿踊も岩手県一関を経由して伝えられたもののようですので、さほどずれた印象ではないと思います。

御手洗さんの〈圧巻〉の印象は、気仙沼の人があまり気づいていない地域文化の価値を外の人に教えてもらうという、よくあるパターンのひとつかもしれません。

2014年の目黒のさんま祭では、気仙沼市落合地区の廿一(二十一)田植踊りが披露されました。廿一の現場ではなく、あくまで東京のイベント会場での演舞ではあったものの、その素晴らしさに驚きました。気仙沼市で県の無形民俗文化財指定は3件あるのですが、早稲谷鹿踊とならんでこれもそのひとつ。残る一つは〈新城の田植踊〉です。

50年以上前の気仙沼みなとまつり。魚町坂口の実家前で鹿折(ししおり)方面から連なって進む祭の行列を見ていました。鹿踊りや田植踊り、そしていろんな地区の太鼓もあったように思います。それを〈いつものだしもの〉としか見ていませんでした。またかよ、と。それから半世紀。そのひとつが、地域の人によってしっかりとひっそりと伝承されていることを知り、うれしく思ったのです。また、長くなってしまいました。今週はこれにて。

気仙沼ニッティング/facebook映像(約17分)

再掲内容は以上です。

冒頭に紹介した投稿文のなかにあった〈地元の根っこみたいなもの〉という印象がとてもいいですよね。信仰の根本、奉納ということの意味や意義といったことも連想されました。

御崎神社さん、本年の早稲谷鹿踊の動画紹介、ありがとうございました。御礼申し上げます。
 

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クレーン船「富士」

8月9日、気仙沼の「みらい造船」で、上架(陸揚げ)中の巻き網船が横転するという事故がありました。みらい造船では、船舶の上下架作業に最新鋭のシップリフト方式を導入しています。それだけに、今回の事故には大変おどろきました。なぜだろうと。

昨日8月22日、その横転した漁船「第二大師丸」を元の台座に戻す作業がおこなわれました。仙台放送が動画も含めてつぎのように配信しています。



TBC東北放送も22日に記事(動画なし)を配信していましたが、そのなかで、クレーン船のことをつぎのように紹介していました。〈作業にあたった大型クレーン船「富士」は、東日本大震災で被災した船舶を撤去したほか、気仙沼大島大橋を架ける工事にあたりました。〉

この船「富士」は深田サルベージ建設の3000トンクレーン船です。東日本大震災での被災船舶の撤去や気仙沼大島大橋のほか、気仙沼湾横断橋の工事にも参加したはず。

つまり深田サルベージさんや同社の「富士」は、気仙沼の人にはおなじみというか、大変お世話になっている会社であり船なのです。

2022年8月1日ブログ「モンスタークレーン」のなかで、2017年の気仙沼大島大橋の架橋工事に参加している「富士」の画像を紹介しました。NHK「有吉のお金発見!突撃カネオくん」2022年7月23日放送画面です。

大島大橋

228m.jpg


「富士」の乗組員の皆さんもひさしぶりの気仙沼作業ではないかと。本日23日も修復作業の工事があるようです。工事の安全を願っております。

「富士」の皆さま、そして深田サルベージさん、今回もお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年8月1日ブログ「モンスタークレーン」
 
 

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tag : 深田サルベージ富士

東北一ふるさと納税

2022年度の「ふるさと納税」において、東北6県で寄付金額が最も多かったのが気仙沼市であったとのニュースは、日本経済新聞の8月2日配信記事で知りました。「フカヒレやイクラといった海産物の返礼品のほか、22年度に新たに追加した牛タンが人気を集め、21年度の3.5倍となる49億3900万円が集まった」と。

同記事ではつぎの表が掲載されていました。

表

注)百万円未満は切り捨て、単位は億円。カッコ内は前年度比増加率
出所:総務省「ふるさと納税に関する現況調査」


◎三陸新報記事

そして8月5日には三陸新報もつぎの記事を。


8:5ふるさと納税
三陸新報8月5日記事の一部イメージ


全国では27番目で、「前年度の127位から大きくジャンプアップし、前年度東北1位だった岩手県花巻市を追い抜いた」と。

前年度の東北地方順位は17位だったそうです。躍進した要因としては、返礼品の充実と窓口となるポータルサイトを増やしたのが大きいとしています。

返礼品は前年から100品多い800品に増えて、ポータルサイトは17とのこと。

返礼品でもっとも人気があったのはカニだそうです。ちょっと意外な感じがしました。次いでイクラやふかひれなどの魚介類、加工品も好調で、年度途中から加わった牛タンは好調を維持とのことです。

◎新室長に臼倉拓志さん

ふるさと納税や人口減少対策などを担当しているのは、市の震災復興・企画部震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室です。総務省から気仙沼市に出向し2020年7月から室長をつとめていた赤坂勇磨さんは本年3月末で退任し、総務省に帰任しました。

赤坂さんの後継として新室長となったのは臼倉拓志さんです。7月21日付けで着任しました。7月22日の三陸新報が伝えています。


臼倉さん

三陸新報7月22日記事の一部イメージ


総務省から市への出向職員は臼倉さんで4人目とのことです。前年度/2022年度が東北1位ということで、これを引き継ぐのもなかなか大変ですね。

記事によれば、本年度は部署内にふるさと納税係を創設して体制を強化しており、昨年度を上回るペースで寄付が寄せられているとのことです。

一方、最近はふるさと納税に対して見直しの声があがってきました。現在のある種の過熱というかブームに対する逆風が感じられます。

臼倉室長はじめ、けせんぬま創生戦略室の皆さんは、その辺の風向きを慎重に見極めて舵取りをしていくことでしょう。どうぞよろしくお願いいたします。

最後にひとつ付け加えておくと、7月1日の気仙沼高校と気仙沼向洋高校の関東同窓会合同懇親会で挨拶にたった菅原市長がふるさと納税について語っていました。

気仙沼市の好調の背景には、関係者の細かな努力があるとの話。たしかイクラを例にして、写真の撮り方ひとつで反応が違い、その経験を生かして様々な工夫がこらされているのだと。事業者や制作関係者の皆さんの努力に対する感謝の言葉でした。そんな話を東京の皆さんにしていましたよという報告ということで。

4月14日ブログ「ふるさと納税49億」
3月28日ブログ「エクセレントジョブ!」
 

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tag : ふるさと納税

「ステレオ」の記事

前回8月18日のブログ「甲子園の土を踏む」で、気高の校歌や応援歌が収録された約60年前のソノシートが見つかったという三陸新報の記事を紹介しました。その記事のなかに、再生を依頼されたのがオーディオショップを営む鈴木敦雄さんであると記されていました。

本日の話は、その鈴木さんの営むオーディオショップについてです。

オーディオ専門誌「ステレオ」7月号に鈴木敦雄さんが営むお店が紹介されていました。このブログでも何度か紹介させてもらった「ミュージック・クラブ&真空管」さんです。

この7月号の特集は「オーディオを巡る旅」。特集中の「ビンテージ奥の細道」で東北地方の5つのオーディオショップが紹介されているのですが、5番目が「ミュージック・クラブ&真空管」。3ページにわたっての紹介です。

つぎの画像の左頁から始まります。リードは、〈震災を乗り越えて新店舗で復活したユニークなショップ。ショップは小さいが独自の世界観で音楽の楽しみを追求〉。


IMG_6503.jpg

つぎの見開き2頁。




鈴木さんが最初のお店を開業したのは1983年です。これは鈴木さんの実家である八日町の鈴木金物店の2階でしたね。

私は夏休みの帰省時にこの店を知りのぞいたことがあります。鈴木金物屋の2階に世界に名だたるオーディオ機器がならんでいるのを見てとても驚きました。

その後、同じ八日町の横田屋さんの向かいあたりに移転。私は震災の前の年に寄ることができました。模型エンジンもならんでいました。

そして東日本大震災。現在の場所、南町3丁目で営業を再開したのは2021年9月のこと。鈴木さん曰く、在庫の他藩が津波の犠牲にあってしまったため、当時の店舗と比較すると約10分の1の規模になってしまったといいます。

写真の左上にうつっているのは、レコードプレーヤーの最高峰といわれる「THORENS(トーレンス)」の「Reference(リファレンス)」です。私は写真でしか見たことがありません。

記事には、鈴木さんが被災した機材の中でどうしても直したかったのが、この1980年代にトーレンスより発売された「リファレンス」であると。

このリファレンスは2階の視聴室に設置。ここでは〈45分間5千円にて誰でも自信が所有するレコード、CDを持参して流すことができるサービス〉をおこなっているそうです。また持参せずとも、鈴木さんおすすめの名盤をかけてくれるので安心とのこと。

2階の視聴室は誰でも気軽にという感じではないかもしれません。しかし、1階のアンプやスピーカー、そしてレコードなどをながめに一度のぞいてみるのも楽しいのではないかと。どうぞよろしく。

2021年9月13日ブログ「鈴木敦雄さんの店」

ミュージック・クラブ&真空管

気仙沼市南町3-2-8
TEL 0226-22-5566
FAX 0226-22-5567
ウェブサイト


 

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tag : ミュージッククラブ&真空管鈴木敦雄

甲子園の土を踏む

全国高校野球/夏の甲子園大会が開催されています。きのうは宮城県代表の仙台育英が勝ち、ベスト8進出を決めました。いい試合でしたね。そんなことで、本日は甲子園の話。

気仙沼高校が甲子園初出場を果たしたのは、1962年/昭和37年8月のことでした。なお、気仙沼高校(男子校)は2005年に旧鼎が浦高校(女子校)と統合して新・気仙沼高校となっています。そういうことで、甲子園に出場したのは旧気仙沼高校のことです。

この気仙沼高校の甲子園初出場を機につくられたレコード(ソノシート)が見つかったという話が7月8日の三陸新報で紹介されていました。


7:8気高応援歌
三陸新報7月8日記事の一部イメージ


このソノシートを所有していたのは古町の吉田勝さんです。気高34回生。

記事によれば、ソノシートには旧気仙沼高校の校歌と応援歌「三陸の王者」、さらに甲子園出場を記念して作られた「甲子園の土を踏む」が収録されています。3曲とも男性コーラス。

そして、〈調べたところ、気高同窓会50年誌「時は流れて」にレコードが作られた経緯が記録されており、62年の甲子園初出場後、同窓生が千枚を自主制作したことを表す記述があった〉とのこと。

この「時は流れて」は私の手元にもあるので、その内容を紹介します。ただし本日は、3曲中の「甲子園の土を踏む」に関してのみ。「三陸の王者」についても色々と興味深い話があるのですが、ちょっと長い話になるのでまたあらためてということに。

◎甲子園の土を踏む

気高同窓会50年誌「時は流れて」のなかに、「甲子園出場をめぐって」という文章が掲載されています。寄稿者は、泉欣七郎さんです。泉さんは旧制気仙沼中学13回生(昭和19年3月卒)で日本情報センターという出版社を経営し、著書もありました。Amazonを検索するとその概要がわかります。平成16年度版の同窓会名簿には〈逝去〉の文字が。

三陸新報の記事のなかにあったソノシート千枚を自主制作した同窓生というのはこの泉欣七郎さんです。当時、在京気高同窓会(現在の気仙沼高校関東同窓会)の幹事をつとめていました。私の気高在校時に、泉さんの講演を聴いたおぼえがあります。また、関東同窓会の関係者であれば直接お目にかかった方も多いのではないかと。

泉さんによる「甲子園出場をめぐって」の記述によれば、昭和38年10月に甲子園出場記念として野球応援歌「甲子園の土を踏む」が生まれました。「生まれた」との記述がなんの年月を示すのかはわからず。

そして、「校歌」、「三陸の王者」、「甲子園の土を踏む」の3曲をレコードとして泉欣七郎さんが1000枚制作したところ、一ヶ月で完売したほどの人気だったそうです。発売年月はわからず。

文章の最後に「甲子園の土を踏む」の歌詞がつぎのように記されていました。


「甲子園出場記念野球応援歌」

作詞 泉 欣七郎
作曲 グランプリレコード文芸部

甲子園の土を踏む


ああ甲子園の 土を踏む
われに闘志と ねばり合い
みよ精鋭の このつどい
光輝にみてる わが素顔
おお三陸の王者
気高健児


ああ甲子園の 土を踏む
王者の旗を 先頭に
球にまみれし 勝いくさ
われも踏まん 甲子園
おお三陸の王者
気高健児

(甲子園出場記念元歌)

あゝ甲子園の 土を踏む
東北大会 四度出て
ついに築きし 栄光の
甲子園の 土を踏む
おゝ三陸の王者
気高健児

歌詞は以上。

疑問に思う人もいると思うので記しておきますが、上記歌詞中の「ねばり合い」は「ねばりあり」かもしれません。また「光輝にみてる」は「光輝にみちる」かも。また「甲子園出場記念元歌」というのが、なんなのかについてもわかりません。泉さんが応援歌歌詞とする前につくった詩文的なものかもしれません。

(8/22追記:「31回生 3年11組20番」さんからのコメントでは、「教わった時は 粘りあり だったし、光輝にみてる だったように記憶してます」とのこと。「ねばり合い」は「ねばりあり」ですかね。「光輝にみてる」は、慶應義塾の応援歌「若き血」に「若き血に燃ゆる者 光輝みてる我等」とあるので、「みちる」ではなくて「みてる」なのかもしれません。気高応援歌「三陸の王者」も慶應の「陸の王者」を連想させます。)

私が気仙沼高校に入学したのは、甲子園出場から5年後の1967(昭和42)年4月。当時は入学早々に応援団が主催する応援歌練習会がありました。配られた資料には校歌はもちろんのこと5〜6曲の歌詞が記されていたように思います。そのなかに「三陸の王者」や「甲子園の土を踏む」もあったのです。

◎甲子園出場から61年

気高の甲子園出場から61年経ちました。対戦相手は春の選抜で優勝した作新学院。延長11回の接戦となりましたが1-2で敗れました。つぎのブログでもこの対戦に関するエピソードを紹介しております。

2018年8月20日ブログ「気高 甲子園名勝負」

この夏の甲子園、準々決勝。仙台育英の対戦相手は岩手県代表の花巻東です。よりによって東北同士の戦いになるとは。いい試合になりそうです。育英、がんばれ!

◎週末テレビ番組情報

今度の日曜日「鉄腕DASH」で、気仙沼大島の「郷土メシ」が紹介されます。「あざら」も登場とのこと。必見です。

8月20日(日)19:00〜19:58
日本テレビ系列(気仙沼は宮城テレビ)
「ザ!鉄腕!DASH!!」
 

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パン工房 クラファン

本日は、「クリームサンド」でおなじみの気仙沼パン工房さんのクラウドファンディング(クラファン)を紹介します。

8月4日のブログに気仙沼出身で広島在住の宮田さんという方からコメントをいただきました。公開コメントなのでご覧になった方もいるでしょう。以下に引用します。

「初めてコメント致します。 いつもブログ拝見させていただいています。ありがとうございます。私は、広島在住、気仙沼出身者で、こちらのブログで、なかなか帰省できない故郷の情報を得て心癒やされています。

さて、お願いがあります。気仙沼パン工房さんが、障害者雇用の場を広げようと、新しくお店を立ち上げます。その資金の一部をクラウドファンディングで募っております。

是非、こちらのブログでご紹介いただきたいのです。SNSとかで広くシェアできたらいいのですが、不慣れで^^; よろしくお願いいたします。」(引用は以上)

調べてみると、気仙沼パン工房さんが8月9日にX(旧ツイッター)でつぎのように投稿していました。



今回のクラウドファンディングサイト「READYFOR」での紹介文からプロジェクトの概要を紹介します。

気仙沼パン工房さんでは、地元の支援学校や障がい者施設から子どもたちの実習の受け入れを依頼されることがあったそうです。そして、実習に来て一生懸命に働く子どもたちの姿を見て、障がいのある子どもたちが働きたくても働く場所がないという現状に対して何かできることはないかと思うようになり、今回のプロジェクトを立ち上げました。

今回のクラウドファンディングでご支援いただいた資金は、その販売所の開業資金に充てるとのこと。

すでに、国や気仙沼市などの協力も得て、三陸沿岸道路本吉パーキングエリア内の無料休憩所を借りることができたそうです。その無料休憩所で自社製品やコーヒーを中心とした飲食物の販売、地元気仙沼の製品の販売を行います。

そして、商品の陳列、販売などは障がい者5名を雇用し、1日4~6時間のシフト制で担当してもらうことを考えているそうです。

プロジェクト実行責任者として気仙沼パン工房/鈴木秀子さんのお名前がありました。クラウドファンディングのプロジェクト紹介も鈴木社長が書いているのでしょう。詳細はREADYFORサイトをご覧いただきますが、紹介文の結びを引用します。

「私も今回のプロジェクトは、初めて試みで多くの不安を抱えております。しかし、やってみないことには変わらないと思いますし、目の前にある問題を解決したいというその一心です。

障がい者雇用の現状が少しでも改善され、一人でも多くの子どもたちに労働の機会と喜びを味わってほしいという本プロジェクトの趣旨にたくさんの方が賛同していただければと願っております。」(引用は以上)

気仙沼パン工房さんのクラウドファンディング目標金額は150万円。募集期間は9月6日まで。どうぞよろしく。

「READYFOR」プロジェクト紹介ページ

◎参考:奥玉屋のクリームサンド

私が小さなころの「クリームサンド」は、林(奥玉)小春さん(3年2組)の実家「奧玉屋」の製品でした。元祖クリームサンドですね。魚町の近所では佐々木徹君(1組)のお店でも扱っていました。

以前、小春ちゃんにクリームサンド製造元の変遷を聞いたことがあるのですが、詳細を忘れてしまいました。また聞いてみることにします。

冒頭で紹介した広島在住の宮田さんのメールアドレスなどがわからず直接の連絡ができずにおりました。遅くなってすみません。本日のブログ掲載で返信に代えさせていただきます。
 

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「打ちばやし」御礼

気仙沼みなとまつりは、8月5日(土)6日(日)の2日間にわたっておこなわれました。8月7日付けの気仙沼市記者発表資料には、両日の来場者数が87,000人と記してありました。内訳は、5日36,000人、5日昼の部14,000人,夕の部37,000人 です。

5日夕の部の「打ちばやし大競演」には26 団体が参加、太鼓は500 基とのこと。主催は「打ちばやし大競演幹事会」です。

8月8日の三陸新報には、みなとまつりに参加した各種団体の御礼広告が多数掲載されていました。そのうちのひとつ「打ちばやし大競演」の広告を紹介します。


御礼

三陸新報8月8日掲載広告より


「御礼」のことばのなかに、「市民の皆さまから絶大なるご声援をいただき、又多大なるご芳志を賜り誠にありがとうございました」とありました。そして「紙上ではございますが、厚く御礼申し上げます」と。

広告に名があるのは23団体です。市の発表資料にある26団体と広告にある団体数とのずれについてはよくわかりません。

いつも感じるのですが、これだけの打ちばやし/太鼓団体がまさにうちそろっての競演/共演というのは全国的にみても珍しいのではないかと。

みなとまつりは、3年間にわたる新型コロナ対応のために、プログラムを縮小しての開催を余儀なくされてきました。しかし、今回は4年ぶりの土日曜日のフル開催とすることができました。

「打ちばやし大競演」も4年ぶりです。前回は2019年。このときの御礼広告もブログで紹介しました。

2019年8月12日ブログ「打ちばやしの御礼」

現在の心境は4年前と変わらず。

私は〈打ちばやし大競演〉をみたことがありません。「それだけに、これだけの太鼓の競演を一度でいいから見てみたい思っているのですが、なかなか果たせず。そんな思いを毎年ブログに記しています。」

「打ちばやし大競演」関係者の皆さま、4年ぶりのみなとまつり、本当によかったですね。お疲れさまでした。ありがとうございました。
 

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気仙沼の「迎え火」

きょうは8月15日。旧盆の中日ですね。なにか、お盆らしい話ということで思い出したのが、NHK「おかえりモネ」のワンシーンでした。2年前、2021年6月1日放送回で、〈迎え火〉の場面です。

もう2年前のことになるのですね。とても印象に残るシーンでしたし、このドラマのテーマを考えると、とても重要な放送回だったように思います。これについて書いた2年前のブログを以下に再掲します。


2021年6月18日ブログ再掲

モネの「ラッツォク」

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の第12回(2021年6月1日放送)では、気仙沼の「迎え火」の場面がありました。

登米から亀島(つまりは気仙沼大島)に帰省したモネが、祖母の初盆の準備を手伝います。そして幼なじみ4人と久しぶりに会い、一緒に迎え火を。そして、モネたちは言葉を唱えながら片足を火にかざします。迎え火と足を火にかざす場面はこんな感じ。




IMG_4806_202106181146391f8.jpg


なお、2枚目の画像にうつっているのは、永瀬廉さんが演じる〈りょーちん〉の左足です。

このときにみんなが唱えている言葉が話題になりました。

「ヘ~ビ〜、ムガデにかれねぇよ〜に、ど~ごもいでどこね~よ~に〜」

これは〈蛇やムカデに食われないように、どこも痛いところないように〉という意味。私はこの朝ドラではじめて知りましたが、ツイッターなどでは気仙沼の人からの〈なつかしい〉という声もあれば、私と同様に知らなかったという方も。

そこで、気仙沼市史に収録されているかもしれないなと思い調べてみました。


◎気仙沼市史の記述

第7巻 民俗・宗教編の第3章「むらの生活」p209〜211にかけて「盆行事」という見出しでの記載がありました。該当頁の画像を掲載しておきましょう。第3章の執筆者は川島秀一さんです。




IMG_4811_20210618120251da3.jpg

画像はすべて気仙沼市市史 第7巻 民俗・宗教編より


この中の「④盆火」の記述を引用します。

④盆火

盆火をたく日は、13日・14日・16日・20日・31日である。家の前で火を焚くが、その盆火を越えてはいけないとか、水で消してはいけないといわれた。

また、15日の晩や二十盆・晦日盆に、麻殻の先端に硫黄を付けたラッツォクというものを買って、家の回りやトノグチ(玄関前)や盆棚前の庭でそれを燃やした。そのときに、頭や足などを煙に当てながら、「蛇、ムカデに食(か)れないように。頭痛くないように腹病まないように」と唱える。昔は、オガミの盆棚の前で、下に灰皿を置き、線香花火をした。(引用は以上)

なお、上記引用中の「〜31日である。家の前で火を焚くが〜」の原文は「〜31日である家の前で火を焚くが〜」ですが、「。」の脱落と判断して当方が修正しております。


◎盆棚

④「盆火」の前には③「盆棚」の記述があり、〈口絵参照〉との注釈がありました。その口絵写真を以下に。

盆棚2

気仙沼市市史 第7巻 民俗・宗教編 口絵写真


この写真は小々汐(こごしお)での撮影とされています。これは川島秀一さんが長く取材を続けてきた小々汐の尾形家の盆棚だと思います。小々汐の〈仁屋(にんや)〉尾形家についてはつぎのブログにて。

2014年4月11日ブログ「小々汐仁屋の記憶」

「おかえりモネ」の迎え火や盆棚づくりのシーンは、関連資料を参照したうえで設定されたものと思います。気仙沼大島だけでなく、小々汐や唐桑など諸地域での習俗を総合しているのではないかと。


◎熊谷達也「ラッツォクの灯」

「おかえりモネ」のドラマづくりでは東日本大震災が強く意識されていることはまちがいありません。そして、「迎え火」でたかれるラッツォク。私は、熊谷達也さんの短編集「希望の海 仙河海叙景」のなかの小説『ラッツォクの灯(ひ)』を思い出しました。

この小説についてはつぎのブログで詳しく記しております。

2018年7月20日ブログ 「ラッツォクの灯」

祖母の初盆の日。そこにいる人、いない人。いないけれど、あたかもいるように思える人。モネたちが囲んだ迎え火の背景に『ラッツォクの灯』を感じるのは、同小説の読者にとっては自然なことであるように思えます。

『ラッツォクの灯』。それはとても悲しく、そしてとても美しい物語です。

再掲内容は以上です。

本日8月15日は、戦没者を追悼し平和を祈念する「終戦の日」。気仙沼が初めて米軍機の空襲を受けたのはこの終戦の年7月14日のことでした。つぎのブログで記しております。本日はこれにて。


2017年6月21日ブログ「気仙沼空襲の記録」

 

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「ファイト新聞」再読

本日は、気仙沼のリアス・アーク美術館で開催中の展覧会を紹介します。「あれから12年~再読~ファイト新聞展」です。

この展覧会の趣旨について、同美術館の山内宏泰館長が8月5日のX(旧Twitter)でつぎのように投稿していました。


続けて、つぎの投稿も。

〈本展会場に掲示している「おわりに(ファイト新聞元編集長)」という文章パネル。ぜひ読んでみてください。本展の趣旨を全て理解していただけると思います。 特に、被災地支援などに関わっている方、メディア関係者、必読です。会場でお読みください。〉

8月9日にはつぎの投稿。ファイト新聞元編集長の「おわりに」という文章パネルも動画中で紹介されます。5日の投稿では〈会場でお読みください〉と書いたものの、より多くの人に読んでほしいと思い直したのでしょうね。おかげで私も読むことができました。読めてよかった。約13分の動画中7:50から。


同美術館サイトの展覧会紹介文の一部を引用します。

〈本展ではリアス・アーク美術館が収蔵する「ファイト新聞」のオリジナル原稿の一部と、成功に再現されたレプリカ55点とその他関連資料、解説パネル等の展示を通して、東日本大震災の被災を経験した子供たちが日々感じていた様々な想い、「ファイト新聞」という一つの表現活動が全国的な注目を浴びることで生じた様々な出来事など、その二面性も含め再検証するものです。〉(引用は以上)

以上の内容で、この「あれから12年~再読~ファイト新聞展」が単なる回顧におわるものではないことをご理解いただけるでしょう。

冒頭に紹介した山内館長の8月5日投稿のなかにあった言葉をあらためて。「被災地児童に向けられた善意が、子供たちの心に残した負の記憶」。

本展は7章から構成されています。はじめに/誕生/成長/寵児/卒業/伝播/最後に。4章が「寵児」(ちょうじ)。〈時代の寵児〉といった形で使われることが多い言葉ですね。〈マスコミの寵児〉とか。時流に乗って、もてはやされる人といった意味でしょう。

ファイト新聞元編集長が記した「おわりに」は、震災から12年を経たからこそ吐露できた言葉ではないかと。(展覧会を見ずに動画だけで語るのもなんですが)7章構成のなかのとても重要な〈展示〉になっているような気がします。

このブログでも東日本大震災の年2011年8月に「ファイト新聞」を紹介しました。

2011年8月30日ブログ「ファイト新聞」

このブログを再読すると、4月4日の第17号を最後に四反田のおじいちゃんのところに移っていった初代編集長は小学2年生だったんですね。

12年前のブログはつぎの文章でおわっています。「8月24日現在の気仙沼小学校体育館の避難者数27人、同じく気中体育館は93人。まだあの体育館での生活が続いています。」

「あれから12年~再読~ファイト新聞展」は、リアス・アーク美術館と一般社団法人ファイト新聞社による共同開催展です。8月27日(日)まで。同美術館2Fの圏域ギャラリーにて。観覧無料です。是非に。

リアス・アーク美術館/同展紹介ページ

 

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人の世は不思議だ

菊田裕美君(3年1組)の朝は早い。8月5日土曜日の午前8時、気仙沼出身者の同年会「けせもい会」のLINEにつぎのお知らせと記事の画像が。〈今日の三陸新報のコラム「萬有流転」で、小田君夫妻のことが書かれていましたので読んでみてください〉。

そして読んでみると、確かに私たちのことが書かれていました。すぐに返信。〈まだ読んでいなかった。驚いた。ありがとう。〉


萬有流転

三陸新報8月5日コラム記事の一部イメージ


コラムの冒頭を引用させてもらいます。

〈同級生の友人とメールのやり取りをした。小紙の方言欄「日日是好日」の「イラストを描いているのは私のいとこ」とあった。その従姉妹の姉も筆者の同級生だ。イラスト子のコミマルさんは、東京在住▼方言の文章を書いている作者とコミマルさんが、同級生ということからイラストを担当することになったという。「文章は早く送ってくれるが、私のイラストが遅れ気味」とコミマルさん。ご主人は今なお、気仙沼の情報をネット配信し続けているとも聞いた。〉(引用は以上)

わざわざ言うまでもないのですが、〈今なお、気仙沼の情報をネット配信し続けている〉ご主人というのは私のこと。ネット配信というのはこの気中20ブログです。ちょっとはずかしい。

コラム筆者の同級生の友人/私の妻の従姉妹というのは、魚町の同じ地区育ちの〈洋子ちゃん〉。いっこ上の気中19回生で陣山の保育所でも一緒でした。私とも、そんな〈糸のつながり〉があったのです。

話を戻します。この日の萬有流転のテーマは、上に引用した文章の続きの一文にあるといってよいでしょう。「一つの糸がつながると、あれよあれよとつながるから、人の世は不思議だ。」

そのあとの文章では、〈東日本大震災以来、全国各地に友人、知人が増えた人は少なくない〉と。そして、気仙沼みなとまつりも、〈つながった人たちが、来市するきっかけにもなっている〉とも。

8月5日と6日の気仙沼みなとまつり。4年ぶりの本格開催となりました。多くの人があつまり、糸がつながり、みな楽しい時を過ごしたことでしょう。

最後になりましたが萬有流転8月5日の筆者/コラム子に御礼を。ご紹介ありがとうございました。

6月22日ブログ 「日日是好日」80回

 

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かもめまつりの継承

8月6日の三陸新報に気仙沼市鹿折(ししおり)地区のイベントが紹介されていました。祝日「山の日」8月11日の「鹿折復興盆踊り大会」です。


鹿折復興盆踊り

三陸新報8月6日記事の一部イメージ


記事によれば、この盆踊り大会は、震災前に恒例だった「かもめまつり」を継承し、2016年にスタート。コロナ禍の関係で4年ぶりの開催となるそうです。

2016年の初開催については2016年8月17日ブログ「鹿折の復興MAP」でも紹介しました。

ブログに記しておりますが、この年2016年の7月29日には、災害公営住宅全8棟のうち完成した2棟への入居が始まりました。そして、8月11日には、災害公営住宅や水産加工団地などが完成したことをうけての〈まちびらき式〉がおこなわれました。これに連続するかたちで開催されたのが〈鹿折復興盆踊り大会〜鹿折復幸マートさよならフェスティバル〉でした。

2014年10月にオープンした復幸マートは2016年8月末で営業を終了。ブログでは、「入居店舗19軒のうち、4軒は同地区内に新設されるかもめ通り商店街に移るものの、再建が未定の店舗も多いとのことです」と記しました。そして「〈まちびらき〉と〈さよなら〉というふたつの言葉が交錯する、様々な思いに満ちた盆踊りになったようです」とも。

◎第6回鹿折復興盆踊り大会

鹿折まちづくり競技会のFacebookに今回のイベントポスターが紹介されていました。





ポスターと三陸新報記事をベースにプログラムを以下に紹介。

第6回鹿折復興盆踊り大会
日時:8月11日(金・祝)15:00〜20:00
会場:市営鹿折南住宅・市民福祉センターやすらぎ

3:00 開会式オープニング・ポスター表彰式
3:40 祝いの舞
4:00 吹奏楽演奏(鹿折中学校吹奏楽部)
4:30 太極拳演舞(鹿折太極拳同好会)
4:45 キッズダンス(レクタスKJアスリートクラブ)
5:00 熊谷育美ミニコンサート
5:45 お菓子まき(子ども)、餅まき
6:00 打ちばやし共演(浪板虎舞保存会、中才打囃保存会)
6:30 盆踊り
7:45 綱引き・くじ券配布
8:00 閉会挨拶

三陸新報記事によれば、綱引きはかもめまつりでも目玉だった企画で、震災で流されたものの地区内で発見された綱を使用するとのことです。

育美さんのコンサートや浪板の虎舞、中才のうちばやしなどもあります。是非おでかけください。

2013年8月15日に「かもめまつり」が3年ぶりに復活開催されたことがあります。つぎのブログで当時の河北新報記事を紹介しています。震災で亡くなった鹿折〈みよし〉〈STREEM〉高橋(藤代)雅巳(まさし)君の思い出なども。

2013年8月27日ブログ「かもめまつり復活」

 

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tag : 鹿折復興盆踊り大会

臼井真人君の投稿

本日は、7月17日におこなわれた気仙沼中学20回生の同年会についてです。その概要はすでにこのブログでも紹介しております。

本日紹介するのは、先週金曜日8月4日の三陸新報掲載記事。同年会の実行委員長をつとめた臼井真人(まこと)君(3年2組)の投稿で、タイトルは「3年遅れの古稀の集い」です。


投稿

三陸新報8月4日投稿記事より


投稿記事のなかに、物故者に関する追加情報がありました。同年会の配布物で物故者は83人とされていたのですが、当日にさらに4人が逝去されていたことを知ったというのです。473人の卒業生のうち少なくとも87人か。

真人君はこの投稿で、実行委員会の準備から当日の様子まで詳しく紹介してくれました。2次会については〈小田明紀君の司会でカラオケ大会、歌って踊ってあっという間の90分〉とも。ただ、私があれっと思ったことがありました。同年会の〈事務局〉小山謙一君(3年9組)の名がそこになかったのです。

同年会の2日後だったでしょうか、真人君と電話で話したとき、さかんに謙一君の名を口にしていました。自分が実行委員長というものの、委員会の準備、資料、予算、会場手配からなにから、謙ちゃんが全部やってくれたと。

その肝心の謙一君の名前が抜けてしまいましたね。暑さのせいか(笑)。

でもね、それもなんていうか〈謙一君らしい〉というか。いつも笑顔でいろいろとやってくれるまさに〈縁の下の力持ち〉なんですよね。

そうした謙一君をはじめ、実行委員会の各クラス有志の皆さんにあらためてお礼を申し上げます。おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。真人君もね。いろいろとありがとう。

つぎは77歳、喜寿の祝いか。2次会はまたカラオケで。歌って踊って。どうぞよろしく。

7月21日ブログ 7年ぶりの「同年会」

7年前の同年会に関する臼井真人君の投稿記事についてはつぎのブログで。

2016年11月28日ブログ「同年会の報告投稿」
 

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「みなとまつり」動画

本日も「気仙沼みなとまつり」について。私がX(旧Twitter)でリポスト(旧リツイート)したなかから、いくつかを(なんかXになってからややこしい)。

まずは井坪美喜乃さんが投稿してくれた1日目8月5日(土)の夕景。翌日朝の投稿です。午後6時から港町臨港道路で始まった「はまらいんや踊り」。空の具合をみると始まったばかりでしょうか。


遠景、陣山にちょっと光って見えるのは復興祈念公園の「祈りの帆(セイル)」です。安波山(あんばさん)がシルエットになって、手前にはプラザホテル。その左の「小野寺鐵工所」の文字も、みなとまつりが港町に帰ってきた感を強めています。

念のために記しておくと、この「港町(みなとまち)」は、魚町や南町と同じく気仙沼市の行政区名です。港町気仙沼の中の「港町」ということ。

気仙沼魚市場の屋上からの映像ですが、停泊している漁船ごしに聞こえてくる「海潮音(みしおね)」がとてもいい(追記:失礼しました。これは海潮音ではないですね。なんて呼んでいいのかわからないのですが「はまらいんや」です)。始まったばかりなのに、なんというか余韻みたいなものを感じます。

気仙沼プラザホテルさんの投稿もよかった。これも5日の「はまらいんや踊り」。


同ホテルからの撮影でしょう。東日本大震災後の「はまらいんや踊り」は、田中前での開催となっていました。

そして2日目。8月6日のまつりのフィナーレは花火。プログラム名としては「海上打ち上げ花火」です。私の小さなころは「水中花火」と呼んでいたような気もします。これは缶詰でおなじみの「ミヤカン」さんの投稿動画がすばらしかった。


毎年、こうしたネット情報を使いながら私の脳内で「オレのみなとまつり」を再構成するわけですが、2023年版も味わい深いものがありました。

最後はミヤカンさん投稿の引用で。

まつりに携わった全ての皆さま、改めてお疲れさまでした!また来年!
 

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tag : みなとまつり

「みなとまつり」終了

一昨日と昨日、8月5日6日に開催された第71回「気仙沼みなとまつり」は無事終了したようですね。関係者の皆さま、お疲れさまでした。

本日は月曜日で三陸新報の休刊日ですが、8月5日の初日にはつぎのような記事と広告が掲載されていました。あくまでイメージとして。


見開き
三陸新報8月5日記事より


記事のなかに、カッター競漕の予選レース組み合わせ表が掲載されていました。


予選組み合わせ
三陸新報8月5日記事より

記事によれば、カッター競漕は昨年、12年ぶりの復活となりました。今回は通算18回目になるとのこと。15チームがエントリーし、8チームが初参加ということです。

このうち、「鉄人28回生」は、気仙沼高校28回生らのチームですね。昨年も参加しています。気中生だと26回生です。菅原市長もチームの一員。

そして、レース結果ですが、1位は昨年も優勝した〈「大島」火消しの椿〉チームだったようです。そして、「鉄人28回生」チームはなんと予選上位3チームで競う決勝に進出しました。2位なのか3位なのかはわかりませんでした。しかし大健闘ですね。菅原市長は昨日、つぎのようにX(旧ツイッター)投稿していました。2枚目の写真。(追記:8月7日付けの市記者発表資料によれば3位でした。準優勝はく「マカシークラブ」。前回も準優勝でした)


投稿を読むと、年齢ハンデポイントがあるのですね。これはいいですね。ハンデのウェイト付けをどうするかは別にして、これにより多くの年齢層から参加しやすくなるでしょう。なお、鉄人28回生たちは年齢が65〜66歳です。15チーム中で最年長。

きのう私は、ラヂオ気仙沼でカッター競漕の様子がわかるだろうとネットのlistenradioを使って〈みなとまつり特番〉を聴きました。しかし、目の前の内湾でおこなわれているカッター競漕の様子をさっぱり伝えてくれません。断片的な情報はありましたが、残念。

そんなことで私は書店に行くため外出。決勝の結果は上記の市長投稿にて。

昨年は、現場での実況をラヂオ気仙沼も伝えてくれて、東京にいる私も雰囲気をちょっとは楽しむことができたのですが。さらにいえば、〈さいがいエフエム〉の時代には現場からの中継もあったことをおぼえています。

話を戻して。4年ぶりの本格開催となった第71回気仙沼みなとまつり。無事の終了、なによりでしたね。

カッター競漕はじめ、さまざまなプログラムに参加された方々、そしてまつりの企画や準備、運営に携わった関係者の皆さま、本当にお疲れさまでした。

昨年のカッター競漕についてはつぎのブログにて。

2022年8月8日ブログ 「鉄人28回生」の夏

 

テーマ : 気仙沼
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tag : みなとまつりカッター競漕

港まつり記念写真

気仙沼みなとまつりは、8月5・6日の開催。いよいよですね。

24歳で就職してからの私は、みなとまつりの時期に帰省することはなかったと思います。東京から気仙沼に帰るのはいつもお盆のころ。JRにしても車にしても、混雑、渋滞するのがわかっていてもしかたなし。仕事の関係などもあってお盆の休みがとれなかったこともありました。

そんなことで、少なくとも47年間はみなとまつりを見ていないことになります。それでも妻と息子は何度かみなとまつりの頃に帰って楽しい時を過ごしました。

本日紹介するのは、1992年8月1日。31年前の写真です。


みなとまつり


カメラを孫に向けているのは南町のじいじ。私の義父です。妻によれば、じいじが行先を言わぬままどこかに出かけていったなと思っていたら、子供用の法被(はっぴ)/祭半纏を買ってきました。主婦の店の2階あたりでかなとも。

それを孫に着せて写真を一枚。その様子を見て娘もまたカメラのシャッターを。

息子はまだまだ幼い感じ。じいじは、自分が若かったころのみなとまつりの時、息子や娘に法被を着せて写真を撮ったことを思い出していたのではないかなあ。

義父は18年前2005年7月に82歳で亡くなりました。この写真を撮ったころはまだまだ元気だった。計算してみると、69歳ぐらいか。現在71歳の私より若い。

気仙沼に帰ったときの息子は魚町と南町それぞれのじじ、ばばの家をいったりきたりするわけです。それはそれで大変だったでしょう。なかなかに忙しい。仲町の七夕まつりで魚町と南町のふたりのばあばに手をつながれた写真もありました。

みんな若かったなあ。そんなこんな、いろんなことを思い出させてくれる、みなとまつりの「記念写真」です。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり

ステフィーの「御礼」

8月1日の三陸新報にステファニー・ウォルマンさんの投稿が掲載されていました。「気仙沼市民のみなさん ありがとう」。


投稿

三陸新報8月1日記事の一部イメージ


投稿記事によればステファニーさんは、気仙沼市の英語指導助手として、新城小学校、月立小学校、新月小学校に5年間勤務したそうです。そしてこの8月で転職するとのこと。

英語指導助手は、Assistant Language TeacherでALTと略称されることも多いですね。

投稿の冒頭にあった自己紹介部分を要約すると、ステファニーさんはアメリカ出身で、お父さんとお祖父さんはオーストリア出身。アメリカのバージニア州にあるホーリンズ大学で演劇を専攻したそうです。大阪で半年の短期留学経験も。

私が驚いたことがあります。彼女は、気仙沼のアイドルユニットである産地直送気仙沼少女隊 「SCK GIRLS」のメンバーでもあったのです。SCK GIRLSの紹介画像や動画に外国人女性が登場しているのをみてどんな人なのだろうと思っておりました。ステファニーさんだったのですね。ステージネームは「ステフィー」。

調べてみると8月1日、「SCK GIRLS」のYouTubeチャンネルに「ステフィーからのお知らせ」が投稿されていました。





この動画によれば、ステフィーはみなとまつりが終わったら東京に引っ越すそうですが、「SCK GIRLS」をやめたわけではなく、活動の頻度は少なくなると思いますがメンバーとしての活動を続けていくそうです。

ステファニーさんは投稿記事のなかで〈気仙沼は、私の第2のふるさとです〉と語っていました。そして投稿文をつぎの文章で結んでいます。

〈私は、東京に行き、ミュージカルに挑戦します。また、声優や歌手などの芸能の道を探しています。日本での生活の第2章東京編がこれから始まります。いつの日か、またどこかで、会えることを祈って、お別れのあいさつにいたします。さようなら。〉(引用は以上)

〈芸能の道を探しています〉というあたりが翻訳調でほほえましい。

ステファニーさんの東京での活躍を願っています。いろいろとありがとうございました。

Thank you so much, Steffie.
 

テーマ : 気仙沼
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tag : ステファニー・ウォルマンSCKGIRLS

観光振興の補助金

本日は、気仙沼市のLINEで案内のあった「広報けせんぬま」8月号のなかにあった補助金交付の話。「観光魅力創造補助金」活用団体の募集についてです。

まずは「広報けせんぬま」の記事を画像で紹介します。


補助金募集
「広報けせんぬま」2023年8月号より


具体的な募集内容は、つぎの市サイトページに記されています。

気仙沼市サイト8月1日更新内容

この「観光魅力創造補助金」については以前に紹介したおぼえがあるなと思い自ブログ検索してみると4年前の記事が見つかりました。

2019年9月2日ブログ「観光魅力創造事業」

「観光魅力創造事業」はいつ始まったのだろうか。調べてみると、2015年度(平成27年度)に開始されたようです。この年度は1000万円の予算でした。1回目の募集ではまだ予算枠に余裕があったようで、同年度内で2回目の募集もありました。その後は少し減額されたようです。2018年と2019年の予算は800万円。

今年度2023年度はたぶん9年目の募集となりますね。気仙沼の観光を支える施策として定着しているのでしょう。予算額はわかりませんでした。

市サイトの募集要項をみると、対象事業の審査は「市観光課が設置する審査委員会」とありました。その委員については観光関係団体、有識者等で構成されるとのこと。事業開始当初は、「リアス観光創造プラットフォーム」に委託されていたと思います。そして現在は、2017年4月24日に気仙沼版DMOの中枢として発足した「気仙沼観光推進機構」の事務局として設立された一般社団法人「気仙沼地域戦略」などが担っているのではないかと。

ちょっと細かな話になってしまいましたが、この市の補助金制度をぜひ活用していただきたいと思います。多くの応募があり、その評価検討のなかで補助対象が選択されるという形がいいですよね。ある種の企画〈競争〉。

多くの魅力的な企画が寄せられれば、次年度での予算増加といったこともあるのではないかと。

この観光魅力創造補助金のことを記しながら感じたことがあります。「気仙沼版DMO」の名のもとに、「気仙沼観光推進機構」そして「気仙沼地域戦略」が設立されてからもう6年も経つのかと。

その6年のなかには新型コロナの3年間もありましたね。気仙沼の観光関係者の皆さんの苦渋、ご苦労をあらためて感じております。
 

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tag : 観光魅力創造補助金

サンマ船 花火支援

今年の気仙沼みなとまつりは、8月5日(土)6日(日)です。6日の夜には海上打ち上げ花火がおこなわれます。

7月28日、大型サンマ棒受け網船「第81豊清丸」の中舘漁労長が、サンマ船団の皆さんからの打ち上げ花火のための協賛金43万円を届けてくださいました。毎年本当にありがとうございます。

これを伝える菅原市長7月28日のX(ツイッター)投稿を紹介します。


7月29日の三陸新報によれば、中舘捷夫(なかだてかつお)漁労長の協賛金募金よびかけに、宮城、根室、福島各船団の大型船38隻などが応じてくれたそうです。

写真の左が中舘漁労長、中央がみなとまつり委員会会長をつとめる菅原市長、右がみなとまつり実行委員長の気仙沼商工会議所菅原昭彦会頭です。

市長の投稿にもありましたが、第81豊清丸さんには毎年、みなとまつりの「さんま船集魚灯披露」でもご協力をいただいていますね。

菅原市長は、7月30日につぎのように投稿しています。


文中に〈超ベテランの中舘船頭〉とありましたが、中舘さんは81歳です。ご高齢でありながらの現役漁労長/船頭さんをつとめる中舘さんについては昨年8月のブログでも紹介しております。

2022年8月17日ブログ「豊清丸中舘漁労長」

中舘船頭をはじめ、みなとまつりの花火へのご支援をいただいたサンマ船団の皆さまに心からの御礼を。毎年毎年、本当にありがとうございます。今年の花火も多くの人が楽しんでくれることでしょう。今期サンマ漁の航海安全と大漁を願っております。

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tag : みなとまつり中舘捷夫

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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