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今年の「子弟招致」

漁船乗組員子弟を気仙沼市に招く、「かつお一本釣り漁船乗組員子弟招致事業」のことは既に皆さんご存じのことでしょう。今年は、第27源吉丸(三重県志摩市)の乗組員松本拓明さんの長女・時波(ときは)さんと母・晴子さんが招かれました。中学1年の兄・澪侍(れいじ)さん、小学2年の弟・航明(こうめい)さんも私費で同行。

7月26日に気仙沼魚市場で3か月ぶりに再会した親子の様子を伝える河北新報オンライン7月28日配信記事を紹介します。写真のキャプションには「拓明さん(右)との久しぶりの再会に笑顔を見せる時波さん(左から2人目)ら」とありました。いいね。




この乗組員子弟招致は、他港漁船の誘致を推進するため、1996年度からおこなわれ、高知、宮崎、三重3県の小学4〜6年生を輪番制で招待しているそうです。今年は24回目となりますが、新型コロナの関係で2020年から中止していたために4年ぶりの実施となったそうです。

4年前の漁船員子弟の招待を当ブログでも紹介しておりますので再掲します。


2019年7月31日ブログ再掲

◎漁船員子弟の招待

気仙沼港にカツオを水揚げする父親や祖父との再会。(2019年)7月25日に三陸新報や河北新報が、なんというか心があたたかくなる話を紹介していました。下は河北新報の配信記事画像。

招致事業

河北新報2019年7月25日配信記事の一部イメージ


宮崎県のカツオ一本釣り船で働く漁船員の子どもたち25人が(2019年)7月24日に気仙沼を訪問しました。

河北新報の記事によれば、写真にうつるのは、日南市南郷小5年の中野朱乃(しゅの)さん(10)。日南市の一本釣り船「第73真海丸」の漁労長を務める父慎三さんと3カ月ぶりに対面しました。水揚げ作業中だった慎三さんが見学に訪れた朱乃さんに駆け寄り「身長高くなったなあ」などと声を掛けると、朱乃さんは照れくさそうに笑ったとのこと。とてもいい写真です。三陸新報の記事でもこの中野さん父娘の写真を掲載していました。

市の7月18日付け記者発表資料によれば、この「かつお一本釣漁船乗組員子弟招致事業」は、他港漁船の誘致を推進するため、気仙沼市魚市場に水揚げしているかつお一本釣り漁船の乗組員の子どもたちを気仙沼市に招待しています。高知県・宮崎県・三重県の3県の小学4~6年生を輪番制で対象とし、今回は宮崎県日南市の小学生25名と引率者5名の総勢30名を招待しました。

3泊4日の滞在期間中、子どもたちは、出漁期間中に対面する機会のない乗組員と面会するとともに、魚市場・水産関連施設等の見学を通じて、かつお一本釣り船が気仙沼の産業に大きく関わっていることや水産業の現状等について理解を深めます。

この事業は平成8年度より実施し、今回が23回目となるそうです。毎年、カツオのシーズンに同様の記事を見ていた記憶がありますが、23回も続いているとは思いませんでした。

今回の招致対象となったのは、宮崎県船籍の12隻です。気仙沼港へのカツオ水揚げに感謝しながら、各船名を以下に。いつもありがとうございます。

第5萬漁丸(4人)・第5清龍丸(3人) ・第8喜與丸(2人)・81号清龍丸(3人)・第3神徳丸(1人) ・第18事代丸(1人)・第88正 丸(2人) ・竜喜丸(3人)・第73真海丸(1人) ・第78福徳丸(3人) ・第15事代丸(1人) ・8号三代丸(1人)

( )内の数字が、対象児童数です。この数字をながめていると、小学生を子や孫にもつ各船の漁船員さんの喜ぶ顔も思い浮かびます。これからも長く続けてほしい事業だなと感じました。
 
再掲内容は以上です。

前回2019年に招待されたのは小学生25名と引率者5名の総勢30名でした。そして今回は乗組員の子供と引率者(母)の2名です。なんかずいぶん少なくなっていますね。2019年が多かったのか。あるいは今年もこれから招致が続くのか。詳しいことはわかりません。

今の私の気持ちは4年前のブログの末尾と同じです。これからも長く続けてほしい事業だなと感じました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 漁船員子弟招致

岩槻のおばちゃん

7月25日の「かねふと(気仙沼市舘山)」さんのツイートを紹介します。



曽根さんは、ひとつ下の気中21回生/曽根さん。実家は旧エースポート前の鮮魚店「かねふと唐桑屋」でした。

かねふとさんの投稿は、7月25日の三陸新報に訃報が掲載されていた南町の駄菓子屋さん〈岩槻のおばちゃん〉こと岩槻れい子さんを偲ぶものでした。

その訃報広告によれば、7月24日に94歳の天寿を全うして永眠とのこと。葬儀の喪主は曽根さんの同級生/気中21回生の岩槻修さんです。

私が小学生のころに通った駄菓子屋さんは〈なべっこ屋〉。鍋屋ということなのでしょう。ですから、南町のイワツキの記憶はないのです。

しかし、南町で育った妻まゆみは〈イワツキ〉のヘビーユーザーだったらしい。その経験と記憶が、三陸新報の連載「日日是好日」のイラストに活かされました。


◎7月7日掲載「日日是好日」第78回「ぜんこ」

連載「日日是好日」は文が鼎女(ていじょ)こと加藤美貴子さん、イラストを妻まゆみ「コミマル」が担当しています。

第78回は、親戚の髭のおんちゃんから、〈なにが買ってこ〉と100円札をもらった子供の話。これは相当な豪遊だ。子どもは、「買いす−」と言って店に入ります。


7:7

三陸新報7月7日記事の一部イメージ


「ぜんこ」はお金のことですが、私の理解では「銭(ぜに)」に「こ」がついた「ぜにこ」が「ぜんこ」になったのではないかと。

コミマル/妻がいうには、このイラストは岩槻のおばちゃんとお店をイメージして描いたらしい。イラストのみ掲載しておきましょう。


ぜんこ


かねふと/曽根さんのツイートへの返信に、岩槻の近所にあったスーパーマーケット「主婦の店」の名も。これもなつかしい。付け加えれば、熊谷武敏君の実家「熊長商店」もありました。

そんな昔の懐かしいお店のことなどを思い出しながら。岩槻れい子さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌

6月22日ブログ 「日々是好日」80回
2011年5月25日ブログ「路地の記憶」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 岩槻れい子日々是好日

校名 気仙沼中学校

来年4月に気仙沼市立条南中学校と気仙沼中学校が統合することはすでに決定しています。そして両校の統合準備会が、統合後の校名を「気仙沼中学校」にすることを決めたそうです。7月26日の三陸新報が伝えています。


校名は気仙沼中学

三陸新報7月26日記事の一部イメージ


4回目となる統合準備会は7月24日に中央公民館で開かれました。記事によれば、校名は、「気仙沼中学校」、校歌は現気仙沼中のものを引き継ぎますが、校章は統合後に変更を検討します。校章の変更は検討に時間がかかるということでしょうね。(追記:この校章変更の検討というのは、変更するかどうかの検討というニュアンスかもしれませんね)

制服は新たなものにするものの、スケジュール的に来年4月には間に合わないため移行は再来年度からにするとのこと。来年度の新入生は、現行制服のままですが、気仙沼中か条南中のいずれかの制服から選択できるようにするそうです。

校名については、条南中学は気仙沼中学の学区から生まれた学校でしたから、統合後は元の名になるということであるわけですが、さまざまな意見があったことでしょう。決してたやすい議論ではなかったはずです。

余談になりますが、7月23日の三陸新報「タイムトラベル」で、20年前2003年7月23日の同紙記事が紹介されていました。そこに、気仙沼市・本吉町・唐桑町合併協議会が開かれ、合併方式を新設合併(対等合併)とすることを決めたことが記されていました。そして、住民の関心が高い新市の名称に関しては、名称候補を公募する方針が示されたと。

最終的に〈新市〉の名は「気仙沼市」となったわけですが、ことほどさように行政の手続きとしては、しっかりと踏まなければいけない手順もあって簡単なことではないということですね。

話を戻します。統合準備協議会ではこのほか、生徒の登下校手段とする市内循環バスについての意見交換もおこなわれています。

来年4月の統合に向けて、さまざまな課題があることでしょう。統合準備会関係者の皆さま、いろいろと大変だと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

4月17日ブログ「条南中の統合合意」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 条南中学校気仙沼中学校統合

港まつりの「軒花」

20年前の同日紙面を紹介する三陸新報のシリーズ記事「タイムトラベル〜20年前のあの日あの時」。きのう7月25日の記事になつかしい言葉がありました。みなとまつりの「軒花」(のきばな)です。


タイムトラベル

三陸新報7月25日記事の一部イメージ


気仙沼市の通所授産施設「松峰園」で、気仙沼みなとまつりの街頭を飾る軒花づくりに取り組んでいるという2003年7月25日の記事です。「軒花」についてはつぎのように説明しています。

〈軒花はかつて、みなとまつりのシンボルとして商店街の軒先に飾られ、ムードの盛り上げにひと役買っていたが、軒先の減少に伴い、習慣も薄れ、昭和40年代後半にはほとんど見られなくなってしまった。今回は市制施行50周年を記念して復活を——と実施。作業では「気仙沼市制施行50周年」の短冊や、ピンク色の花が所狭しと並ぶ。〉(引用は以上)

私は2018年8月3日のブログで、「軒花」をつぎのように説明しました。

〈私が小学生のころ、港まつりの時には各家の軒先には〈軒花〉(のきばな)が飾られました。周辺を赤く染めた紙の花を5つぐらい竹につけた軒花が各戸3本くらい配られたのではないでしょうか。軒先から道に突き出るようにとりつけるのですが、いつも苦労して釘をうっていた記憶があります。その軒花もいつまでの慣習だったのか〉

冒頭で紹介した記事によれば、軒花は昭和40年代後半にはすたれていたのですね。

この機会に、この5年前のブログを再掲しておきましょう。


2018年8月3日ブログ再掲

追憶 みなとまつり

いよいよ明日からは第67回 気仙沼みなとまつりということで、本日はこれまでのブログで紹介した昭和のみなとまつりの写真を再掲します。まずは昭和28年の第3回みなとまつりから。2015年〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダー7月8月に掲載されていた写真。〈旧気仙沼魚市場前をねり歩くみなと祭りの風景/昭和28年8月〉です。(画像はすべてクリックで拡大します)




この年の6月1日に気仙沼町・鹿折町・松岩村の2町1村が合併して気仙沼市が誕生しています。そのためにこの年のみなと祭は、〈市制施行記念〉として8月15日に開催されました。写真にうつる場所は、左が元の市営駐車場があったところ。旧魚市場かもしれません。魚市場が内ノ脇に移転したのは昭和31年です。右側は気仙沼漁協があったところでしょうか。

写真掲載ブログ:2015年7月3日「1953年 武者行列」


つぎも同じく昭和28年のみなとまつりです。三陸新報記事の写真は、私たちの一年上にあたる秀一さんのお母様である魚町〈ヤマジュウイチ〉佐藤八重子さんの〈とっておきこの一枚〉です。夫の市太郎さんが撮影した写真とのこと。


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写真掲載ブログ:2015年7月6日「魚町の武者勢揃い」


つぎの三陸新報の記事には2枚の写真が紹介されています。上が1958(昭和33〉年撮影とみられるカツオ一本釣りの実演をおこなう第8八千代丸。下が1955(昭和30)年ごろの「気仙沼みなとまつり」です。旧エースポート前の通りで撮影されたもの。

3_20180802162205579.jpg

この記事は、2006年9月12日の三陸新報「昭和の記憶/漁船写真展」シリーズのひとつです。この記事を紹介したときに、下の写真に関する記事の説明にある〈気仙沼音頭を踊り〉という記述は誤りで、〈たぶん花笠踊りでしょう〉と書いたのですが、きのうのブログで書いた気仙沼小唄で踊る様子だと思います。元ブログには追記しておきましたが、お詫びして訂正いたします。

写真掲載ブログ:2017年8月24日「60年前の港まつり」

私が小学生のころ、港まつりの時には各家の軒先には〈軒花〉(のきばな)が飾られました。周辺を赤く染めた紙の花を5つぐらい竹につけた軒花が各戸3本くらい配られたのではないでしょうか。軒先から道に突き出るようにとりつけるのですが、いつも苦労して釘をうっていた記憶があります。その軒花もいつまでの慣習だったのか。(追記:後で気づいたのですが、最初の武者行列の写真の右上方、大友病院の看板の左下の軒先にうつっているのが軒花です。3本1セットで3セットがうつっていますが、このように先っちょを揃えるのがなかな難しいのです。そのときの微調整の苦労も思い出しました)

そんなこんな、東京で暮らしており、今年もみなとまつりに参加できない私は、半世紀以上前の風景をなつかしく思うばかりです。どうぞ気仙沼の皆さんは8月4日5日のみなとまつりを存分に楽しまれますように。

2018年ブログ再掲内容は以上です。

「軒花」という言葉で、半世紀以上前の記憶をよみがえらせる私。これも一種の〈タイムトラベル〉かもしれません。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり軒花

「定時制」の同窓会

7月23日の三陸新報に、気仙沼高等学校定時制課程「同窓会総会」のお知らせが掲載されていました。


気高定時制課程同窓会
三陸新報7月24日掲載広告


50年以上前、私が気仙沼高校に通っていたころは、普通科4・商業科2の計6学級でしたが定時制課程はありませんでした。当時、「定時制」といえば鼎が浦高校のなかにあったのです。そのころ、どのように呼んでいたかなあ。「定時制」か「夜間」か。女子校である鼎が浦高校の定時制といっても男女共学だったはず。

その後、気仙沼高校と鼎が浦高校は平成17年4月に統合し、男女共学の新たな気仙沼高校となりました。これに伴い、「鼎が浦高等学校定時制課程」も「気仙沼高等学校定時制」と改称したのですね。

こうして現在までの経過をたどると納得できるのですが、正直に言って私は、現在の(新)気仙沼高校に定時制課程があることを知りませんでした。今回のような同窓会広告をこれまでも見ていたのかもしれませんが、意識した覚えがありません。

同校定時制課程サイトの沿革によれば、昭和24年/1949年3月に気仙沼町立第二高等学校を吸収合併して定時制課程が開校。普通科、商業科、家庭科、衛生看護科などの学科を開設とありました。そして昭和26年/1951年3月に宮城県鼎が浦高校定時制課程に改称しました。

広告にあった同窓会総会の概要を下記に。

◎気仙沼高校定時制同窓会総会

日時:8月2日(水)18:00〜19:00
場所:気仙沼高等学校 全日制北校舎1F小会議室
参加申込方法:
こちらから、あるいは下記への電話にて。

気仙沼高等学校定時制 同窓会事務局 滝沢・木村
電話 0226-22-7134

同窓会申込内容は以上です。

先日7月17日に、気仙沼中学校20回生の同年会がありました。先日のブログにも記しましたが、1967年の気中卒業時生徒数は11クラスで473人です。このうち、さまざまな事情で全日制高校ではなく定時制に進んだ同級生もいることでしょう。もっといえば、中学卒業後に進学せず就職した人もいるはず。

同年会に来てくれていたかな。どうしているかな。

そんな、いろんなことを感じさせてくれた三陸新報での「定時制」同窓会広告でした。

広告にありましたが、定時制卒業生のご家族、お知り合いの方がいらっしゃいましたら、この同窓会総会開催をお知らせいただければと。どうぞよろしくお願いいたします。

なにかと話題の木造/気仙沼市役所第2庁舎が、上述した鼎が浦高校定時制課程の教室/校舎だった話はまたあらためて。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼高校定時制

ピアノ支援の恩返し

7月20日の三陸新報に、「ピアノ支援の恩返し」との見出しがありました。豪雨被害を受けた佐賀県に支援金を届ける募金活動が気仙沼で始まったとのこと。


佐賀県への恩返し

三陸新報7月20日記事の一部イメージ


東日本大震災後の「佐賀きずなプロジェクト」による「義援金付きプレミアム商品券」の義援金総額は、9233万円にものぼりました。それによって気仙沼市内の学校や公共施設に計24台のピアノが贈られたのです。これが記事の見出しにある「ピアノ支援」です。

2022年6月4日には、松岩公民館で、「佐賀きずなプロジェクト・まほうのピアノ感謝の集い」が開かれています。今回の募金活動はこの集いの実行委員会によるものです。

実行委員会メンバーによる募金活動は昨日7月23日まででしたが、ピアノ支援を受けた各学校や施設などでは募金箱を7月末まで設置するそうです。ネット情報によれば、気仙沼市役所、気仙沼市民会館、気仙沼中央公民館、気仙沼市立病院、はまなすホール、松岩公民館、ブライダルハウス藤仙さん、おかしの花子(松岩店)さんなど。

記事に実行委員長小野寺賢さんの言葉が紹介されていました。「困ったときはお互いさま。被害に遭われた方々の力に少しでもなれれば」と。

募金に応じてくださった皆さま、そして実行委員会など関係者の皆さま、ありがとうございました。そして最後になりましたが、このたびの豪雨で被害を受けられた佐賀県の皆さまにお見舞いを申し上げます。

2016年4月22日ブログ「佐賀からのピアノ」
2022年9月1日ブログ「支援ピアノ その後」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐賀県きずなプロジェクト

7年ぶりの「同年会」

気中20回生の同年会は7月17日、無事終了しました。遅くなりましたが、当日の様子をちょっとだけ紹介しましょう。本来であれば古稀祝いとして2年前に開催予定でしたがコロナの関係で今回の同年会開催となりました。

私は開催当日、東京から東北新幹線で一ノ関へ。大船渡線への乗り換え時に一緒になった同級生は私を含めて8名でした。

お昼ごろに会場のホテル観洋に行くと、もうみんなが集まっていました。私は3年8組の受付に。聞けば、クラス委員の小野寺龍一君が寸前に新型コロナの濃厚接触者ということになり急遽欠席になったと。いろいろと準備などで骨をおってくれた同級生がこれなくなるとは。残念。龍一君、いろいろとありがとうね。

同年会参加者は130名と聞きました。参考までに付け加えておくと1967年の気中卒業時生徒数は11クラスで473人でした。おどろいたのは物故者数です。会場到着時に配られた封筒のなかに物故者名簿もあったのですが2023年6月末現在で83名と記されていました。

7年前2016年の「あれから50年同年会」のときには61名でしたから7年で22名の方が亡くなったことになります。そうしたことが紹介されたあとにみなで黙祷しました。

開会の前に記念撮影がおこなわれています。前回は3グループにわけてでしたが、今回は2グループで。撮影はいつもと同じスタジオアートさん。故熊谷孝良君の息子さんが担当してくれました。

まずは撮影前のスナップを。係がいろいろと指示をするのですが、なかなか列が整いません。それを見てまたみんなが笑います。それがなかなかいい。中学生かよ。

1スナップ

何枚か撮影しましたが、最後はVサインで。

2 1グループ

つぎは2グループ目。私も列に加わりました。菊田裕美君に撮ってもらいました。前から4列目の左端でカメラ/裕美君をみているのが私です。

3 2グループ

正式なというかちゃんとした記念写真は参加者に後日送られてくると思います。お楽しみに。

同年会の開会後は、実行委員長臼井真人君の挨拶などがあって乾杯。あとは楽しく懇談という流れです。

今回、もっとも遠方から参加してくれたのは畠山誠太郎君でした。熊本県阿蘇市からということで挨拶をいただきました。そんな感じで、司会者から壇上に呼ばれてそれぞれの挨拶が続きました。

私は東京や関東近辺からの参加者ということで壇上に。裕美君の挨拶を撮りました。左端にうつっているのは田中(富永)優子さんです。こうした同年会にはじめて参加してくれのではないかと。横浜市から。お父さんは大洋漁業(まるは)の工場長をつとめていました。その優秀さはみなさんご存じのとおりです。中学卒業以来の再会でした。

4東京

裕美君の右側に千葉憲二君もうつっていますね。このあとに一言いただきました。

5憲二

仙台近辺の皆さんも。挨拶は小山達朗君です。左端で後姿になっているのは気中時代に応援団長をつとめた西條寛君。

6仙台

このあと、宴もたけなわといった14時30分ごろに登場したのが、7年前と同様の女性グループ。たしかAKBのナンバーを2〜3曲。センターをとるのはもちろん林(奥玉)小春さんです。

7ステージ

割り箸にお札をはさんだご祝儀〈お花〉をいただいて喜ぶレディス。ご苦労さまでした。いつもありがとう。

8お花

そしてまた懇談。ほかにも、千葉憲二君に歌ってもらったり、北野都さんの演歌にあわせ輪になっておどったり、校歌も。そして閉会の挨拶があって終了です。

◎2次会はカラオケ

2次会はホテル内のラウンジ「鯱(しゃち)」にて。簡単にいっちゃうとカラオケ大会です。この日の12時にホテルに着いて受付を済ますと小山謙一君が〈お願いがあるんだけど〉。聞けば2次会の司会進行をお願いしたいと。2次会がどんな感じなのかわからないけども、謙ちゃんから頼まれたらいやとはいえないよね。了解。

なかなか歌わないから、声をかけてステージに引っ張り出す役割かと思っていたら違いました。なんていうか〈みんな結構すき〉なんだよ。次から次へと。私は曲目を紹介したり、合いの手をいれたりという感じ。そっちが忙しくてあまり写真も撮らなかったのですが、一枚ご紹介。千葉憲二君と武山美加さんのデュエットです。

9カラオケ

興がのると踊り出す人がいます。こんな具合です。私も結構おどりました。ま、きらいじゃないというか。

10ダンス

2次会は90分ということでした。あっという間。この後は11クラスそれぞれが設定したお店に移動しての3次会でした。3年8組は南町の「マンボ」へ。

マンボで解散後は憲二君から誘われていた4組が集まる新町「ムーラン」。その後はまた南町に戻って熊谷武敏君のお兄さんの店「バレンタイン」へ。

7年ぶりの気中20回生の同年会。その夜はこうして更けていきました。

◎皆さまへの御礼

同年会、本当に楽しかった。各クラス委員/実行委員会の皆さん、そして〈祝いの舞〉や踊りなどに出演してくださった方々、懐かしい映像を準備してくれた人々、皆さんに心からの御礼を申し上げます。ありがとうございました。

◎参考ブログ

7年前の同年会については先日のブログにまとめました。

7月17日ブログ「2016年の同年会」

その2016年同年会の記念誌(写真アルバム)内容はつぎのブログにて。

2016年12月23日ブログ「同年会記念誌紹介」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 同年会

あみもの講座開催

6月12日のブログで、小原木(こはらぎ)公民館での気仙沼ニッティングの編み手さんを講師とする編み物講座を紹介しました。その最終回にあたる第3回は7月18日におこなわれたはずです。

本日紹介するのは、気仙沼中央公民館を会場とする「あみもの講座」です。同公民館と気仙沼ニッティングさんの共催で、小原木と同じく同社の編み手さんが講師をつとめます。7月15日の三陸新報がこの講座を紹介していましたが、その記事によれば、講師は気仙沼ニッティングの伊藤紀子さんです。

7月13日の気仙沼市LINEでつぎのチラシ画像とともに案内がありました。



気仙沼市LINEより「あみもの講座」チラシ画像



◎開催日時:
第1回8月 8日(火)
第2回8月22日(火)
第3回8月29日(火)
いずれも午後1時30分から3時まで

◎会場:気仙沼中央公民館
◎参加費:2000円(材料代)
◎対象:気仙沼市在住・編み物経験者
◎定員:15名
◎持ち物:
棒針 5号短4本
棒針 6号短4本
お持ちでない方はご当日購入できます(2000円)
◎申込期間 7月13日(木) 〜7月28日(金)
◎お問い合わせ・お申し込み
気仙沼中央公民館 電話0226-22-6760
受付時間 平日の午前8:30〜午後5:15

この講座で編むのは、小原木での講座と同じ手袋ですね。チラシに〈このミトンを編みます〉と書かれていました。この〈三國万里子さんの手袋〉については、6月12日のブログに記しております。

いっしょに「あみもの」しませんか?。どうぞよろしく。

6月12日ブログ「小原木 編み物講座」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼ニッティング

今年のみなとまつり

今年のみなとまつりは、8月5日(土)6日(日)の2日間です。第1回「気仙沼みなとまつり」が開催されたのは、1951年(昭和26年)。多くの気中20回生と同じですね。2011年は大震災で開催はなし。今年の気仙沼みなとまつりは71回目となります。私と同じ71歳です。

今年のポスターを紹介しておきましょう。




気仙沼商工会議所/気仙沼みなとまつり公式サイトより


催事スケジュールを下記に。

8月5日(土)

◎夜の部

17:30〜18:00
オープニングセレモニー(港町臨港道路特設ステージ)
18:00〜20:00
はまらいんや踊り(港町臨港道路)
16:30〜20:00
露店コーナー(旧アベキ駐車場・岡本製氷駐車場)

8月6日(日)

◎昼の部

11:50〜12:00
みなとまつりパレード 出発式(港町臨港道路特設ステージ)
12:00〜15:00
みなとまつりパレード(港町臨港道路)
13:30〜15:30
カッター競漕大会 (内湾・船着き場付近)

◎夜の部

17:00〜17:30
夕の部セレモニー(港町臨港道路特設ステージ)
17:30〜20:30
打ちばやし大競演(港町臨港道路・海の道)
18:00〜20:30
さんま船集魚灯披露 (港町岸壁)
20:00〜20:30
海上打ち上げ花火(気仙沼湾内)
11:30〜20:30
露店コーナー(旧アベキ駐車場・岡本製氷駐車場)

◎協賛行事

8月6日(日)14:30〜20:30
YEGインドネシアフェスティバル(南町海岸公園)


カッター競漕大会は昨年に続く催し。そして昨年は残念ながらなかった打ちばやし大競演が今年やっと開催されます。

私が最後にみなとまつりを見たのはいつのころだろう。会社勤めをしていると、なかなかまつりの時期に気仙沼に帰ることはできませんでした。そうすると50年近く見ていないことになるのかなあ。ちょっと記憶が定かではありません。

気仙沼で、打ちばやし大競演を間近に見聞きしてみたいといつも思っているのですが。はまらいんや踊りも同様。

気仙沼でみなとまつりを見ることが今後あるのだろうかとも感じる今日この頃です。
 

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tag : 気仙沼みなとまつり

海開き広告の追加

きのう、気中20回生の同年会をおえて気仙沼泊。本日も気仙沼におります。市内を散策して夕方に気仙沼を離れて帰京予定です。そんなことで、本日のブログも事前予約投稿です。

7月13日のブログで、気仙沼近辺3つの海水浴場のオープン広告を紹介しました。〈近辺〉と書いたのは、気仙沼市内の小泉海水浴場、小田の浜のほか、南三陸町のサンオーレそではま(袖浜)がはいっていたからです。

気仙沼市内の大谷海岸とお伊勢浜はどうしたのかなと思っておりましたら、7月14日の三陸新報に大谷海水浴場の広告が掲載されていました。2面見開きでど〜んと。


大谷
三陸新報7月14日掲載広告


きれいな海岸線ですね。広告中の7月の7の下に「道の駅 大谷海岸」がうつっています。オープンは他の海水浴場と同じ7月15日(土)。となると、お伊勢浜はどうした。当日の広告掲載なのかなあと思っていたら、やはり。7月15日の三陸新報につぎの広告がありました。こちらも見開きで。


お伊勢浜
三陸新報7月15日掲載広告


広告の右上にある「歓迎 噴潮 岩井崎・お伊勢浜海水浴場 入口」の表示は、国道45号線からお伊勢浜方面に進入する道に設定されているゲートサインではないかなあ。魚町あたりから行くと左折するところ。なんか懐かしい。

以上のようなことで、気仙沼市内4海水浴場のオープン広告がでそろいました。どうぞ、気仙沼の美しい海岸で楽しいひとときをお楽しみくださいますように。開設期間中の水難事故がないようにと願いつつ。

7月13日ブログ「7月15日の海開き」

 

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tag : 海水浴場

2016年の同年会

「海の日」でもある本日7月17日。気仙沼のサンマリン気仙沼ホテル観洋にて気仙沼中学校第20回生の同年会が開催されます。12時が受付開始で12:30から集合写真撮影、13:00から同年会です。そんなことで、私も東京を離れ気仙沼へ。このブログも事前の投稿予約によるものです。

私たちの学年の前回同年会は、2016年9月24日の「あれから50年同年会」でした。〈あれから50年〉というのは中学卒業からということ。その後、2020年10月24日に「古稀を祝う会」の開催を計画しましたが、新型コロナ対応で延期となり、結局は〈中止〉となりました。つまり、本日の同年会は7年ぶりということになりますね。130人が参加予定と聞いています。

本日は7年前の同年会の記念写真や概略を紹介した2016年9月26日と27日のブログを再掲します。


2016年9月26日ブログ再掲

同年会の記念写真

(2016年)9月24日(土)は、気仙沼中学20回生の〈あれから50年同年会〉でした。

150名以上が参集してとても楽しい会になりました。私は当日に気仙沼に入り、昨日帰京。休みあけで仕事がばたばたしておりますので、本日は記念写真の紹介にとどめます。3グループに分かれての撮影でした。正式な記念写真とはちょっと違う記念写真撮影風景ということでご覧ください。画像クリックで拡大します。

同年会1

同年会2

記念写真4

あらためてこの写真を見ていると、本当にたくさんの同級生たちが集まったんだなあと感じます。3枚目の写真は小松亀一君(3年6組)に撮影してもらいました。亀一君はすでに自身のブログで2回にわけて同年会報告をおこなっています。こちらもご覧ください。

亀一君の同年会報告1
亀一君の同年会報告2

亀一君も書いていましたが、私たちの学年ですでにお亡くなりになった方はわかっているだけで61名です(亀一君は、弁護士らしく「判明した物故者」と書いていました)。それを考えると、ひさしぶりの同年会に元気に集まることができるというのはとても幸せなことなのでしょう。同年会についてはまたあらためて書こうと思っています。


2016年9月27日ブログ再掲

同年会の概略報告

(2016年)9月24日(土)の気中20回生〈あれから50年同年会〉。きのうは記念写真撮影の様子を紹介しました。きょうは、参加できなかった方のために当日の様子をざっとご紹介します。

会場は気仙沼ホテル観洋で午後5時開始。司会は美加さんと藤田君。開会に先立って3グループに分けて記念写真の撮影を行いました。撮影は、故 熊谷孝良君のスタジオアートを引き継いでいる奥様と息子さんです。

そして開会に先立って物故者の冥福を祈って黙祷。受付時に配られた物故者名簿には61名のお名前がありました。

開会後、まずは実行委員長 臼井真人(まこと)君の挨拶。話のなかで復興の見通しなどにも触れていました。その後は、式次第によれば〈感謝のことば〉。司会者が、同級生のための情報発信のブログがなんとかと語りはじめました。そして、〈小田さん、ご登壇ください〉と。いやあ驚きました。まさにダチョウ倶楽部の〈聞いてないよ〉状態。壇上で容子さんが、震災後のこのブログ〈気中20プラス〉などへの過分な感謝のことばを。記念品まで頂戴しました。恐縮の極みです。

そして、お待たせしましたということで乾杯。発声は、東京近辺〈気中20支援会〉会長として徳一君です。その後は、しばし歓談。

懇親時間中には、アトラクションも準備されていました。まずはフラダンス。登喜子さんがハワイの女王のような雰囲気を感じさせながら〈センター〉をつとめます。2曲目だったかな、曲が〈ブルーハワイ〉になると、〈ちばき屋&かもめ食堂〉憲二君がボーカルで参加。いつものことながらとてもうまい。三日町育ちのプレスリーです。その次は、3年2組メンバーによるピンキーとキラーズ〈恋の季節〉。はっぴを着て、例の帽子をかぶって踊ります。真人君と旧姓 森田さんがボーカル担当。

フラ ピンキラ

この後は、気仙沼市内ではなく、遠方からの参加者が壇上に呼ばれて一言ずつ。はじめは裕美君、恒四郎君、憲二君など、震災直後の同級生支援活動に尽力した東京近辺の同級生です。続いては、フランスのパリから参加した、まさえさん。ボンソワール/おばんですという感じの写真を下に。そして、仙台周辺で気中以外も含めた同年会〈KSS42〉の代表である達朗君や亀一君からも話をいただきました。その後は、2011年2月の還暦祝いに参加できずに今回は参加という方が呼ばれて一言ずつ。

まさえさん 前回欠席

この後の順番が定かではないのですが、〈はまらいんや〉をみんなで踊って、気中校歌「平和の象徴(しるし)波安の〜」を唄ったかな。

そんなこんなやっているうちに、宴もたけなわではございますが、という美加さんの声が聞こえました。最後は、実行委員会副委員長としての牧恵さんからの挨拶。

ざっとこんな感じです。なんか抜けているような気がしないでもないのですが。この後は1階のラウンジ〈鯱(しゃち)〉で2次会。それが終えた後、まだ余裕のある方は3次会ということで気仙沼の街に散らばっていきました。私は南町バレンタインへ(詳細略)。

私が頂戴した記念品ですが、楽しみにとっておいて、東京に戻ってから包みをあけました。気仙沼〈SHARKS/シャークス〉の名刺入れでした。とってもうれしい。妻は財布、私はキーホルダーを愛用中ですが素材感があって軽くとてもいいのです。記念品の中身を書くのは不調法(ぶちょうほう)かとも思ったのですが、お礼の気持ちをこめてあえて記しました。

感謝のことばもそうですが、挨拶を求めるお声がけなど、始めから終わりまで、〈ありがとう〉という気持ちに満ちた会だったように思います。

〈フラ〉や〈ピンキラ〉をはじめ、いろいろと準備が大変だったと思います。久しぶりにみんなで集まる会のためにお世話をいただいた実行委員会はじめ関係者のみなさんに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。本当に楽しかった。また会いましょう。

ブログ再掲内容は以上です。

本日は、なつかしい仲間との再会を祝いつつ、楽しい時間を過ごそうと思っています。どうぞよろしく。
 

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tag : 同年会同窓会

KDDI労働組合さん

7月11日の三陸新報が、KDDI労働組合さんによるお伊勢浜での清掃・除草ボランティア活動を紹介していました。7月8日のことだそうです。


KDDI労組

三陸新報7月11日記事の一部イメージ


記事によれば、同労組は東日本大震災の復興支援として、2012年から毎年この時期に気仙沼を訪れて清掃や除草をおこなっているとのこと。

とてもありがたいことと思い調べてみると、KDDI労働組合のFacebookに関連記述がありました。これによれば、7月7日に気仙沼でKDDI労組「第27回定期全国大会」が開催されています。同労組の全国大会を気仙沼で開催するとともに、上記のボランティア活動もということですね。

三陸新報の記事でも触れていましたが、気仙沼での全国大会開催は2012年から16年まで、そして18年、19年です。新型コロナの関係もあり、今回2023年は4年ぶりの気仙沼開催となったようです。

◎2016年7月の全国大会

平成28年/2016年7月20日付けでの気仙沼市からの記者発表資料がありました。これによれば、2016年7月23日に気仙沼市民会館でKDDI労働組合の全国大会が開催され、翌日には市内観光地(小田の浜・お伊勢浜)周辺で清掃等のボランティア活動をおこなうと。あわせて、組合員の皆さまから寄せられた50万円を観光施策充実のために贈呈とも。

この記者発表資料には同労組からのそのほかの支援活動も記されています。また、KDDI労働組合だけではなく、KDDI株式会社さんからの継続的で多大な復興支援について、その一例の記載がありました。これについてはあらためて紹介することにいたします。

気仙沼市2016年7月20日付け記者発表資料

私がおどろいたのは、記者発表資料のなかにあったKDDI労働組合の代表者についてです。1万3000人の組合員から構成される同労組中央執行委員長の後藤一宏さんが気仙沼市唐桑町出身だったのです。はじめて知りました。

さらに調べてみると、2018年/平成30年度の厚生労働省「労働政策審議会労働政策基本部会」報告書のなかに、委員として情報労連副中央執行委員長(KDDI労働組合中央執行委員長)後藤一宏さんのお名前が。さらにおどろいたことに、株式会社気仙沼ニッティング代表取締役社長として御手洗瑞子さんの名も。15名のなかに気仙沼関係が2名とはかなりすごいのでは。

後藤さんはすでに中央執行委員長を退いているようです。冒頭に紹介した7月11日の三陸新報記事では、中央執行委員長として春川徹さんのお名前がありました。

後藤一宏さん、春川委員長、そしてKDDI労働組合の皆さま、震災後の気仙沼復興のための継続的なご支援、本当にありがとうございます。出身者のひとりとして心からの御礼を申し上げます。
 

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tag : KDDI労働組合

7月15日の海開き

本日7月13日の三陸新報の4面と5面は3つの海水浴場の海開き広告でした。


海開き

三陸新報7月13日掲載広告


左側が小泉海水浴場。右側上部がサンオーレそではま(南三陸町)、下部が大島の小田の浜です。いずれも7月15日(土)がオープン日です。

昨年も海水浴場の広告を紹介したなあと思って調べてみると7月18日のブログでした。大谷、お伊勢浜、小田の浜、小泉の4つの海水浴場が7月16日にオープンしたのですが、悪天候のため当日の遊泳は禁止されました。

2022年7月18日ブログ「4つの浜の海開き」

昨年の海水浴場オープン広告を見たときにも感じましたが、多くのお店や企業の協賛を得ての大きな広告は、各地域の期待や喜びを感じて気持ちのよいものですね。

7月15日の天候はどうだろうか。天気に恵まれて多くの人が海水浴を楽しめるといいですね。お天道様、どうぞよろしく。

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tag : 海水浴場

「三陸未来」の紹介

東日本大震災から12年4か月を迎えた昨日7月11日、東日本放送が気仙沼の漁業・水産業をとりあげてくれました。特集タイトルは、漁師ら〝タッグ〟、気仙沼の魚を全国へ「おいしいもの届けて恩返し」。ヤフーでの配信を紹介します。



紹介されているのは、「株式会社さんりくみらい」です。ネット販売の「極上市場 三陸未来」を展開しています。代表は、藤田商店の藤田純一さんです。放送では二人の仲間も紹介されました。いずれも「人材育成道場 第5期経営未来塾」の同期塾生だったカネヒデ吉田商店の吉田健秀さんと、MCFの千葉豪さんです。健秀さんは気中同級生吉田久雄君(3年6組)の息子さんです。

詳しい話は是非、配信動画をご覧ください。約7分間です。

ECサイトが開店したのは2018年4月1日のことでした。つぎのブログでも紹介しました。もう5年経つのですね。

2018年5月14日ブログ「(株)さんりくみらい」

東日本放送の番組コーナータイトルに「被災地はいま 302」とありました。震災後、継続して被災地復興の様子を紹介してくださっているのでしょう。

取材映像のあとはスタジオから。気仙沼市の漁業復興の最大の課題は担い手不足であると記者は語ります。「気仙沼市の漁業経営体の数は震災前に比べ、6割ほどにまで減少し厳しい状況です。それぞれノウハウを持っている漁業者が力を合わせビジネスを行う。こうした取り組みが、気仙沼市の漁業復活の足がかりとなることが期待されています」。

東日本放送さん、そして記者として現場の取材と報告を担当した小笠原侑希さん、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ECサイト極上市場「三陸未来」
「株式会社さんりくみらい」サイト
 

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tag : 三陸未来藤田商店

気仙沼バル発起人

きのうのブログ「気仙沼バル10周年」では、「気仙沼バル」の第1回目が4カ所の仮設商店街で2013年4月20日におこなわれたことを紹介しました。本日は、その続き。気仙沼バルがどのような経緯で計画されたかについてです。

「気仙沼さ来てけらいん」の「気仙沼バル2023」特設ページに、「開催10回記念:気仙沼バルの中の人に聞く」という「note」記事紹介がありました。〈10回目の記念として、これまで気仙沼バルに関わってきた人たちに、気仙沼バルへの思いやこの10年の思いなど、お話を伺いました〉とのこと。

第1回目は、気仙沼バルの発起人のひとりである川居宗則さんの話でした。川居さんは慶応義塾大学経済学部卒業後に三井銀行(現三井住友銀行)へ。退職後は経営コンサルタントとして活躍しています。

〈気仙沼バルはどのようなきっかけで始まったのでしょうか〉という問いに、川居さんはつぎのようにこたえています。

私と小野寺亮子さん(株式会社気仙沼波止場 代表取締役)が発起人となり始めました。2012年の当時、異業種交流会をきっかけに交流のあった企業内診断士(中小企業診断士の資格を保有しながら、会社に勤める診断士)向けに気仙沼視察ツアーの説明会を都内で開催しました。説明会で気仙沼の被災状況を知ってもらい、その後2012年9月に実際に気仙沼を視察しました。

バルは、その視察の際に受け入れていただいた3つの仮設商店街への恩返しです。視察をさせていただいたので、「我々も何かできることをやりたい。できることから始めましょう。」というスタンスでした。当時、我々からは3つの提案をしており、そのうちの1つがバルでした。バルで3つの仮設商店街の賑わいに何か役に立てればということです。(引用は以上)

きのうのブログで紹介した毎日新聞記事にあった東京の中小企業診断士らで作る「気仙沼復興支援プロジェクト」というのは、この川居さんらの活動だったのですね。

毎日新聞記事の〈実家が被災した気仙沼出身者が呼びかけ、大学の同窓生らが応える形で結成し、手弁当で準備を進めてきた〉の〈気仙沼出身者〉は小野寺亮子さんのことでしょう。同窓生というのは慶應義塾同窓生。

小野寺亮子さんについては、私たちの世代であれば〈小野良の亮子さん〉としてご存じの人も多いことでしょう。お父さまは映画会社「日活」での俳優経験もあり小野良組3代目社長をつとめた小野寺良正さんです。慶応女子高から慶應義塾大学理工学部、そしてIBMへ。

亮子さんの今に至る気仙沼支援活動をみていると、お祖父さんである小野良組創業者、小野寺良助さんのことが思い浮かびます。〈小野良〉こと小野寺良助さんについてはつぎのブログにて。

2020年9月4日ブログ「小野良組100周年」
2020年9月7日ブログ 萬有流転「小野良」

◎企画書を作成した小松志大さん

3つの仮設商店街への提言にあたって、川居さんと亮子さんと一緒に幹事チームにはいったのが小松志大(もとお)さんです。

小松さんは、経済同友会が特別協力し2012年4月に始まったプロジェクト〈東北未来創造イニシアティブ〉で、富士通から気仙沼に派遣されました。4年間の長期出向でした。

note記事第3回では〈気仙沼バルの企画書を作成した小松志大さん〉として紹介されています。小松さんは、幾つかある提言の中でバルが面白そうと考えて妹さんを巻き込み2人でバルの企画書を作成したそうです。

そして、気仙沼バルのロゴについては、小松さんの気仙沼中学校時代の同級生でもあるプロのデザイナーにお願いし、無償で制作していただいたとも。これですね。ご協力、ありがとうございました。

ロゴ

小松さんは気仙沼出身者です。気仙沼高校46回生ですから、私たちの24コ下の気中44回生でしょう。現在は、気仙沼地域戦略の専務理事をつとめています。出向をおえるときの送別会について次のブログで紹介しました。

2017年3月24日ブログ「伴走者との送別会」

なんかリンクが多くなって読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。資料として(笑)。


以上のようなことで、気仙沼バル「開催10回記念:気仙沼バルの中の人に聞く」というnote記事をとても興味深く読みました。つぎの小野寺由美子さん、畠山亮さんの記事も是非ご覧ください。

第2回:小野寺由美子さん(山長 小野寺商店)
第4回:畠山亮さん(American Darts Bar A.、気仙沼バル実行委員長)

最後になりましたが、あらためて川居宗則さんや小野寺亮子さんをはじめとする「気仙沼復興支援プロジェクト」の皆さまのご支援とご尽力に御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

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気仙沼バル10周年

気仙沼市内飲食店の「はしご」を楽しめる「気仙沼バル2023」が、7月7日(金)から9日(日)の3日間にわたって開催されました。

この気仙沼バルの第1回目は、2013年4月20日におこなわれました。10年前のことになるのですね。ポスターはこんな感じでした。


気仙沼バル
第1回「気仙沼バル」(2013年4月)ポスター


同年4月19日ブログ「20日は気仙沼バル」では、ポスター画像とともに、つぎのように紹介しています。

〈「バル」は「BAR」のスペイン語読み。スペインの街角にたくさんある立ち飲み屋さんのこと。最近は、地域振興イベントとして「街バル」が各地で開催されています。

「気仙沼バル」もこの「街バル」のひとつ。立ち飲み感覚で気仙沼の復興店舗の「はしご」を楽しんでもらおうという催しです。南町紫市場、復興屋台村気仙沼横丁、気仙沼鹿折復幸マルシェの3つの商店街40店舗が参加。そして、3店舗を回ることができる1冊3枚つづりのチケットは2,300円。各店ではワンドリンク&ワンフードが提供されます。

この「気仙沼バル」については、毎日新聞の配信記事がありましたので紹介しておきましょう。これによれば、このイベントを企画したのは、東京の中小企業診断士らで作る「気仙沼復興支援プロジェクト」。実家が被災した気仙沼出身者が呼びかけ、大学の同窓生らが応える形で結成し、手弁当で準備を進めてきたとのことです。

多くの人の協力で開催されるこの「気仙沼バル」。多くの人が集まり、飲んで食べて大いに楽しんでくれればなによりと思います。〉(自ブログ引用は以上)

ブログ中で紹介している毎日新聞の配信記事はすでにリンクぎれになっていましたが、「気仙沼復興支援プロジェクト」については回をあらためて紹介します。

その後4回目となる「気仙沼バル2015春」は、2015年4月18日の開催。場所は、南町紫市場、復興屋台村気仙沼横丁、気仙沼鹿折復幸マート、福幸小町 田谷通りの4カ所でした。同年4月14日ブログで紹介しております。

このブログでは同級生が関係する店を紹介していました。南町紫市場では佐々木徹君(3年1組)が役員をつとめる〈あさひ鮨〉、そして復興屋台村気仙沼横丁では大友つき子(9組)さんの〈あたみ屋〉。復幸小町田谷通りでは斎藤(広沢)高史君(8組)の奥様みき子さんの店〈エスポアール〉です。

当時の「気仙沼バル」は仮設商店街各店の活性化策として展開されたといってよいでしょう。

そして現在2023年。〈あさひ鮨〉は南町での独立店舗、〈あたみ屋〉は内湾のスローストリート「結」(ユワエル)で、〈エスポアール〉は気仙沼図書館内でそれぞれ元気に営業中です。

こうして振り返ってみて感じることがあります。第1回気仙沼バルがおこなわれた2013年4月、各店関係者は自店の10年後の姿をどのように思い描いていたのだろうかと。10年後のことなど考える余裕がなかったというのが実際のところでしょうか。

10年前の気仙沼バルの開催、そしてその継続にはさまざまなご苦労があったことと思います。当時の発起人の方々をはじめ10年にわたるすべての関係者の皆さまに御礼を。そしてお祝いを。気仙沼バル10回目/10周年、おめでとうございます。

「気仙沼さ来てけらいん」気仙沼バル特設ページで紹介のあった「気仙沼バルの中の人に聞く」については回をあらためて。

◎参考ブログ
2018年10月9日ブログ「仮設商店街の閉店」

 

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tag : 気仙沼バル

商港から木材輸出

6月22日の三陸新報記事を読んで懐かしく思った人は私だけではないでしょう。この1面トップ記事の見出しは「気仙沼港から初の木材輸出〜全森連が県産杉を中国へ」。


商港
三陸新報6月22日記事の一部イメージ


気仙沼商港で6月21日から、中国企業が所有する運搬船「シンハイ58」への宮城県産スギ材の船積み作業がおこなわれているとの記事。全国森林組合連合会(全森連)によると気仙沼商港からの木材輸出は初めてです。また税関によれば、外国籍貿易船の入港も東日本大震災後初めてだそうです。

三陸道や、みやぎ県北高速幹線道路を利用すれば各地から陸送しやすいことなどから、気仙沼商港で船積みしたそうです。

作業に立ち会った全森連関係者によると「気仙沼港での木材貿易は、約40年前に輸入があったものの、輸出はおそらく前例がない」とのこと。

冒頭で〈懐かしく思った〉と書いた理由は、気仙沼商港にソ連船がはじめて入港したときのことを思い出したからです。2015年10月のブログに書いておりますので再掲します。

なお、三陸新報記事にある〈約40年前に輸入があったものの〉というのはなにかの勘違いでしょう。下記の記事に記したように昭和44年/1969年に外材輸入がありましたから54年前のことかと。念のため。



2015年10月27日ブログ再掲

商港岸壁のソ連船


気仙沼の〈商港岸壁〉がある朝日町。その防潮堤について書こうとおもって調べていたら、昭和44年のソ連貨物船入港の写真がありましたのでご紹介します。


商港岸壁

『目で見る気仙沼の歴史』より


〈五千トン岸壁にソ連貨物船初入港〉との見出しで『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた写真です。説明文を引用します。

「昭和44年2月2日、ソ連船ピアレス号が入港した。3,506トンの船で、北洋材を陸あげした。10月8日には、1万トンクラスの貨物船が入港した。リベリア国籍の「アジア・ラブライトネス号」11,434トンで、ニュージーランド材を陸あげ。尚、第一船は三協丸(1,600トン)で外材を陸あげした。」引用は以上。

昭和44年(1969年)2月ということは、私が気仙沼高校2年生のときということになるのですが、自分自身の記憶とは違っていました。〈商港に外国から船が来てっから小田も行ぐべし〉と友達から誘われたことはおぼえているのですが、てっきり中学生の頃と思っておりました。しかし誘われたものの、私は結局行かなかった。内ノ脇(ないのわき)のそのまた先の商港岸壁は、魚町の子にとっては結構遠かったのです。誘ってくれた友達は、外国船の船員からなにかもらったとかなんとか言っていたようにも思う。ロシアのチョコレートだったのだろうか。終戦直後であれば give me chocolate, please か(笑)。

その後の気仙沼商港の利用の状況についてはよく知りません。当初の目論見(もくろみ)通りにはいかなかったでしょう。しかし半世紀前、漁港としてだけでは気仙沼の将来はないと考えて、商港建設を決断した行政をはじめ地元商工団体の決断はなかなかのものだったと思います。

10数年前の帰省時、まだ小さかった子供と一緒に商港岸壁にも釣りにいきました。気仙沼での釣りは中学のころに大川の曙橋の近くでハゼ釣りをして以来のこと。小さなころには遠かった商港岸壁も、車を使えば実家から10数分。気仙沼で暮らしていたときには気づかなかった気仙沼の魅力を、あらためて実感したのです。

気仙沼の商港はいつできたのだろうか。そう思って『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)を調べてみましたら、次の項目が見つかりました。

昭和39年9月16日 気仙沼商港建設起工式行われる
昭和42年6月17日 商港1千トン岸壁に潮崎丸初入港

上記のソ連船が初の外国船入港だったと思いますが、昭和39年の岸壁起工から5年後のことだったのですね。

現在の商港岸壁のあたりの埋め立てや工事などに対する地元の人の反応はどうだったか。私が小学生だったころに潮干狩りにいった場所はどの辺だったのだろうか。震災後の防潮堤に関する議論と重ね合わせて思い出すきょうこのごろです。

(再掲内容は以上)

今回の商港利用の記事は木材の輸入ではなく輸出です。三陸新報の記事の最後に宮城県森林組合連合会の大内理事長の言葉が紹介されていました。「県内には伐採を控えた高齢林が多く残る。国産材として流通させることが第一だが、震災復興などによる需要が落ち着いたことを踏まえると厳しい。気仙沼港からの輸出は、今後の販路の選択肢になり得る」と。

この三陸新報6月22日の記事は、気仙沼商港の活用ということだけではなく、林業や木材産業がかかえる課題、そして震災復興需要の落ち着きといった現状なども伝えてくれました。ありがとうございます。
 

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tag : 気仙沼商港

「気仙沼小唄」投稿

6月26日ブログ「気仙沼小唄の記憶」で、2018年8月2日ブログ「気仙沼小唄の歌詞」を再掲しました。2018年当時、YouTubeで探しても「気仙沼小唄」は投稿されていなかったので紹介できませんでした。しかし今回調べてみると、3年前のレコード音声がありました。本日はこれを紹介します。還暦杉太郎さんによる投稿「早坂光枝の気仙沼小唄」です。





歌詞も記しておきましょう。以下の歌詞の表記は、以前に紹介したものではなくレコード記載の内容としております。

◎気仙沼小唄

作詩 菊池勤・作曲 栗原勉・編曲 藤本琇丈

1
気仙 気仙沼 よいよい港
かつお万両 しび万両
河岸の甚句で 又夜が明けて
ソレサ入り来る(ヨイショ)大漁船
(ヤンレ本当に大漁船 トコドッコイ ドッコイナ)
(以下唄ばやし略)

2
浜見山から 港を見れば
うらに黄金の 花が咲く
出船松前 はいるは上総
ソレサ紀州は(ヨイショ)泊り船

3
浦の港に 灯ともし頃は
かしの岬に 夕日が映えて
明日も日和か 出船の唄に
ソレサ鴎も(ヨイショ)沖で鳴く

4
気仙 気仙沼 七坂八坂
白い鴎の 飛ぶ海に
船が出て行く メリケン船の
ソレサ別れの(ヨイショ)笛がなる


歌詞は以上です。

以前に紹介した「気仙沼小唄」歌詞表記と今回表記の違いですが、「かしの岬に」の「かし」は以前は「柏」、「うらに黄金の」の「うら」は「浦」としていました。市史記述との違いによるものです。「柏」は「柏崎(かしざき)」のことでしょう。

このレコード自体は、「気仙沼音頭制作委員会」制作で昭和43年/1968年発売。この年8月の第18回みなとまつりで「気仙沼音頭」が発表されたのです。これに先だって全市をあげて踊りの練習がおこなわれたそうです。つまり、「気仙沼音頭」は今年55周年。

A面が「気仙沼音頭」でB面が「気仙沼小唄」です。「気仙沼音頭」を歌うのはもちろん三橋美智也さん。そして「気仙沼小唄」は早坂光枝さんです。

「気仙沼小唄」が決定したのは昭和26年/1951年7月。つまり今年で72周年ですね。気中20回生と同じ。

7月1日の気仙沼高校関東同窓会懇親会では、「気仙沼音頭」輪踊りがありました。私も、先頭をゆく三陸新報社代表浅倉眞理さんの動きをまねながら輪に加わりました。

今度は「気仙沼小唄」の輪踊りも。是非に。

6月26日ブログ「気仙沼小唄の記憶」
2014年8月4日ブログ「気仙沼音頭の歌詞」

 

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tag : 気仙沼小唄

祝!岡本優子さん

一昨日7月3日ブログに続き、7月1日(土)の気仙沼高校関東同窓会の話です。

向洋高校関東同窓会と合同の懇親会。そのオープニングは岡本優子さんによるピアノ演奏とボーカルでした。「ムーン・リバー」だったと思います。映画「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘップバーンが歌う曲。

その後、岡本優子さんはいったんひきあげて、来賓祝辞や乾杯のあとに再び登場してアトラクション演奏が始まりました。懇親会プログラムにはつぎのプロフィールが記されています。

岡本優子(ジャズピアニスト)
気仙沼市新町(あらまち)出身のピアニスト/作曲家。気仙沼小・中卒、宮城学院高校卒業後、バークリー音楽大学(米国)に留学。ニューヨークのカーネギーホールで自作曲を披露するなど、在学中から注目される。また、ウクライナで開催された国際ジャズフェスティバルに日本人初の出演を果たし、現地雑誌の表紙を飾るなど世界的に活躍している。ご実家は岡本製氷。(引用は以上)

演奏と歌はアンコール曲も含めて5曲だったかなあ。私は近くまでいって聞いたり写真を撮ったりしていました。演奏中の優子さんはこんな感じでした。

ピアノソロ

演奏がおわったあとの挨拶。

挨拶

ちょっと細かな前後関係を忘れましたが、たしか挨拶のおわりに司会の佐藤千晶さんが「おめでたい報告があります」というのです。そして、岡本優子さんが先日結婚し、その嫁ぎ先が気仙沼の男山本店さんだと。ええっ聞いてないよという感じ。おどろきました。

あらためて優子さんのInstagramをみると、5月25日にウェスティン仙台での写真が投稿されていました。5月21日、同ホテルで気仙沼関係の方の婚礼があったことは承知しておりましたが、岡本家・菅原家の婚礼だったのですね。知らなかった。この日は優子さんの誕生日でもあったそうです。

その後の男山本店公式Twitterの6月11日投稿は見ていたのです。


シャンパーニュの抜栓にてこずる新郎の菅原大樹(ひろき)さん。そのマグナムボトルを懸命に支える新婦が優子さんだったとは。

男山本店の専務取締役をつとめる大樹さんについては、日経産業新聞2022年3月22日配信記事がわかりやすい。北海道大学法学部出身ということは、学部も含めて三日町の中井茶舗/中井殖(しげる)君(3年8組)の後輩ですね。

大樹さんは米国留学で1年間のニューヨーク滞在経験もあるとのことで、米国ボストン/バークリー音楽大学で学んだ優子さんとの日常会話は英語でしょうか。

冗談はこの辺にして、話を同窓会懇親会に戻しましょう。

ピアノ脇での挨拶のあと、司会者の求めに応じて優子さんは壇上に。ちょうど目の前に「蒼天伝」の樽/こもかぶりがありました。それを右下にいれてのワンカットというか「蒼天伝」ワンショット。

蒼天伝

さらに、同窓会役員とともに、優子さんの結婚を祝っての「蒼天伝」鏡開きです。左端が気高関東同窓会の会長をつとめる佐藤寿浩さん(気高43回生)。右端は同窓会幹事で気中同級生高橋秀一君(3年10組)の妹、鎌田(高橋)美恵さん(鼎が浦28回生)です。

鏡開き

なんかこうして書いていると、7月1日の懇親会が岡本優子さんのご結婚を祝う会だったような気分に。この辺にしておきましょう。

以上、あえて旧姓、ステージネームで記しました。

◎ムーンリバーに込めた意味

オープニング曲「ムーンリバー」の歌詞につぎの一節がありました。

We’re after the same rainbow’s end.

ムーンリバー。それはとても大きな河。気仙沼の内湾のイメージにも重なりますね。内湾の蒼天/青空にかかる虹の根元には宝物がうまっているという伝説。それが〈蒼天伝〉。その宝物を大樹さんと二人で追い求めていきますという優子さんのメッセージなのでしょう。

というか、すべて私の勝手な妄想。あした病院に行ってきますw

岡本優子さん、菅原大樹さんとのご結婚、おめでとうございます。心からのお祝いを申し上げます。

参考情報:

22年前の2001年、岡本優子さんが「ヤマハエレクトーンフェスティバル」の宮城県大会で金賞を受賞し東北大会に出場したことや、2017年10月の仙台近辺同年会「KSS42」でおこなわれた優子さんのミニコンサートについては次のブログで紹介しております。

2021年8月17日ブログ「20年前の優子さん」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 岡本優子

県倉庫協会の会長

気仙沼高校関東同窓会懇親会での岡本優子さんの話は明日にさせていただいて、本日は臼井真人(まこと)君(3年2組)の話を。

真人君が、このたび宮城県倉庫協会の会長に就任したそうです。6月29日の三陸新報が伝えてくれました。


倉庫協会会長

三陸新報6月29日記事の一部イメージ


記事によれば、宮城県倉庫協会は県内の普通倉庫業者98社が加盟しているそうです。臼眞倉庫の臼井真人社長は、1995年から同協会の理事をそして2008年以降は副会長を務めていました。

気仙沼・本吉地区からの会長就任は初めてで、仙台圏以外の業者が就くケースは少ないとのこと。

記事には倉庫業界が抱える課題についても書かれていました。トラック運転手の時間外労働時間の規制強化に伴う「2024年問題」について、臼井会長は「物流への影響を最小限にとどめるため、運送業者と協力して対応していかなければならない」としています。

まずは、会長就任のお祝いを。おめでとうございます。多くの課題を抱えるなかでの会長就任ですね。いろいろと大変かと思いますが、真人君であればきっとその重責を果たしてくれることでしょう。業界の皆様からの期待も大きいことと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年7月27日ブログ「国交大臣表彰記事」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 臼井真人臼眞倉庫

関東同窓会の報告

7月1日(土)は、気仙沼高校の関東同窓会でした。新型コロナ対応で3年連続して開催なしだったので4年ぶりです。会場は例年どおり平河町のルポール麹町(麹町会館)。

気中20回生は、7月17日に気仙沼での同年会があることもあってか私と菊田裕美君(3年1組)の2名。気高同年生は、西城健也君と気高仙台同窓会の会長としての西村明男君でした。

午前11:30からは総会で、12:10からは気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同での懇親会。本日は懇親会での各校新・旧校歌斉唱の写真を紹介することにいたします。

気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)に。そして2018年4月に気仙沼西高校も統合しています。そんなことでの新・旧校歌ということになっています。

まずは気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)から。



続いて気仙沼西高校。

IMG_6328.jpeg

そして私の母校でもある旧・気仙沼高校。

IMG_6323.jpeg

最後は新・気仙沼高校です。どうしても人数が少ないので幹事の人も加わっているようです。

IMG_6319.jpeg

もう1枚紹介しておきましょう。たぶん、今回の同窓会で出席人数が多かったのは気中26回生/気高28回生の学年だったと思います。鼎が浦高校だと27回生です。

IMG_6306.jpeg

前列左から3人目に今回も司会を担当してくださったフリーアナウンサー佐藤千晶さんがいます。なぜかというと、お父さんの佐藤紀生(のりお)さんが同じ学年なのです。つまり同級生の娘さんということで是非一緒にと。なお、菅原茂市長も同じ学年ですが、懇親会の途中までの参加だったのでこの写真にはうつっておりません。

ご自身が司会のはじめに語っていたように、千晶さんは〈現在妊娠中〉です。初期にはつわりがきつかったようですが、いまは元気な様子でなにより。お会いできてよかった。出産は10月予定とのこと。

6月5日ブログ 千晶さんの「報告」

◎2次会「てげてげ」

2次会会場は近くの居酒屋「てげてげ」。そんなに広くない店だったせいもありますが、満員。

私のテーブルでとった写真を2枚。

まずは1枚目。右端にうつっているのが尾形(藤田)雄子さん(3年4組)の弟さんでした。そして左端の熊谷修さん(気中26回)の右が並木(鈴木)美代子さん(3年8組)の弟さん。おどろきました。ルポール麹町での懇親会でそのことがわかって、一緒に2次会にも。



そして2枚目。

IMG_6336.jpeg

右端が私の妻まゆみ。その左が関西学院(かんせいがくいん)大学教授の長峯純一さんです。私の妻と気中同級生(26回生)。わざわざ上京しての同窓会参加でした。ありがとうございます。長峯さんのお父さんは日本バプテスト気仙沼教会で牧師をつとめていた長峯英雄さんです。愛耕幼稚園に通っていた人はよくご存じでしょう。

そんなこともあって長峯純一さんは小さなころから、〈森は海の恋人〉の植樹祭などにも参加していたといいます。ビールを飲みながらそんな思い出話なども。

2021年12月10日ブログ「長峯英雄さん訃報」

同窓会のような集まりのおもしろさは、ふだんは会うことのない方といろいろとお話できることですね。上の写真で紹介した同級生の弟さんのほか、懇親会では鎌田(高橋)美恵さん(鼎が浦28回生)が気中同級生高橋秀一君(3年10組)の妹さんであると知ることができました。このブログも読んでくださっているとのことでした。ありがとうございます。

縁は異なもの味なもの。4年ぶりの同窓会は、いつにも増して思いがけない出会いがありました。関東同窓会の役員関係者の皆さま、いつもありがとうございます。心から御礼を申し上げます。

懇親会のアトラクションに登場してくれたピアニスト岡本優子さんの〈めでたい話〉については明日にでも。
 

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tag : 気仙沼高校関東同窓会

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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