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しらすよござりすか

三陸新報の連載「気仙沼弁『日日是好日』」が、6月21日で80回目を迎えたことは6月22日のブログでも紹介しました。

6月22日ブログ 「日日是好日」80回

その80回目の記事「よござりすか」はこんな感じでした。


しらす
三陸新報6月21日記事より


シラスの行商のおばさんが「シラスよござりすか?」と婆ちゃんに声をかけます。そのあとの掛け合いはつぎのように。記事にある「シラス売り」「婆ちゃん」表示は略します。

「あれえ、待ってだや。こっつさ入(はい)らい」
「どうもねえ。今年(こどす)も来たでば」
「どれどれ、早速(さっそぐ)見せらい」
「はいはい、味こみでけらい」
「なんと、立派なシラスだや。ホコホカって。あら、うんめいごど」

鼎女/加藤美貴子さんによる気仙沼弁の文章を読むと、懐かしい風景が脳内にひろがっていきます。「今年も来たでば。味こみでけらい」「あら、うんめいごど」。ホントうまい。

この掲載回で残念だったのはイラストがモノクロ/白黒だったこと。コミマル/小田まゆみ(私の妻)による原画はすべてカラーなのですが、掲載頁の関係でモノクロになることがあります。原画はこんな感じでした。


しらすよござりすか
画像:コミマル提供



◎2012年3月28日ブログ

気仙沼の各家をたずね行商していた浪板方面からのシラス売りの話を以前に書きました。その2012年3月のブログを以下に再掲します。


2012年3月28日ブログ再掲

私のしらす物語


今日の東京は暖かく、いよいよ春の訪れを感じさせます。

気仙沼の春の味。そのひとつが〈しらす〉です。

私たちが小さなころの魚町の朝。家の外から〈しらす、よござりすか~〉という声が聞こえてきます。これは、「しらすの用はございませんか」という意味ではないかと勝手に思っていますがどうでしょう。〈ござりす〉というのは、〈ございます〉という意味の丁寧な言い方。気仙沼の言葉には、あらっぽい言葉も多いのですが、こうしたきれいな響きを持った丁寧語も多いのです。

このしらす売り、気仙沼の鹿折地区浪板(なみいた)でとれたしらすを朝早く釜揚げしての行商です。

声をかけるとしたら、なんて言ったんだろう。「しらす、けらい(ください)」か「しらす、もらうがら」あるいは「しらす、もらえっぺが(もらえますか)」か。なじみの家にはガラッと戸をあけての訪問販売かも。「おくさん、しらす、どうだべ」母「んで、もらうがな(それでは、もらいましょうか)」的な(笑)。

すると浪板のおばちゃんは、背負った荷から升(ます)でしらすを計ります。家のどんぶりかなにかに入れてもらったのでしょう。

私の記憶があいまいだったので、震災後は仙台で暮らす母に聞いてみました。

「値段は、結構したよ。でも、美味しいからね。うちで買っていたおばちゃんは、なにかゆで方に秘訣があるといって〈おらいのが、いぢばんうまいがら〉って自慢しながら、箸を使って一合升にフワッと空気をまぜるようにいれるんだよ。買うほうからすると、もう少し押し込んでもいいのになと思ったりして。そんなこともいまは懐かしいねえ(笑)」

〈浪板〉というのは、ホテル観洋とか気仙沼プラザホテルの対岸に見える地域です。その浪板のしらす売りの声もずいぶん前に聞かなくなったと母は言います。私も、2年ぐらい前になるでしょうか、実家から送ってもらっていた三陸新報で、浪板地区小々汐(こごしお)でしらす漁を続けていた最後の一軒が漁をやめたという記事を読みました。そこには、浪板地区で釜揚げしたしらすを朝に売りに出たのはたしか50~60年ぐらい前のことと書かれており、そんなに古い話ではないのだと驚いた記憶があります。

(2012年3月)25日の「さんま寄席」の打ち上げは、2カ所で行われました。市民会館では八幡太鼓、アーバンでは浪板の虎舞が披露されたとのこと。その浪板は、気仙沼の春の〈しらす漁〉でも知られる地域だったのです。

浪板のしらすの思い出をなんやかやと話す母。最後は〈私のしらす物語はこれでおしまい〉といって笑いました。

春が近づいています。

(再掲内容は以上)


鼎女/加藤さんの文章は、それが気仙沼弁をテーマにした連載であることを超えて、私もよく知る気仙沼の暮らしの風景を思い出させてくれます。まさに懐かしい日日是好日(ひびこれこうじつ)。いつもありがとうございます。

私の母は2017年10月に亡くなりました。〈しらすよござりすか〉と声をかける行商のおばちゃんを手招きしているのが、若いころの母のようにも見えてきます。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 日々是好日しらすよござりすか

野見山さんの訃報

画家の野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)さんが6月22日に亡くなったとの報道を6月26日に目にしました。102歳だったそうです。Tokyo Art Beatの投稿を紹介します。2021年に撮影したアトリエでの野見山さんの写真がとてもいい。〈100歳を超えて制作を続けた〉と。



野見山さんは、東日本大震災直後の2011年6月に気仙沼を訪れています。その様子は、2014年NHK「日曜美術館」で紹介されました。つぎのブログで紹介しておりますので再掲します。


2014年11月26日ブログ再掲

画家の野見山さん

(2014年)11月3日文化の日、7名の受章者に文化勲章が授与されました。そのうちの一人、洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんが気仙沼を訪れたことがあるのをご存じでしょうか。私は、今年3月に放送されたNHK「日曜美術館」の〈行き暮れてひとり~画家 野見山暁治のアトリエ日記〉で、野見山さんが気仙沼の鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸をスケッチする姿を見て驚きました。あの野見山さんが気仙沼に!

共徳丸

スケッチ

ある歳月

近影
以上、NHK「日曜美術館」放送画面より


野見山暁治さんは93歳。日曜美術館の言葉を借りれば〈75年にも及ぶ画業の中で身近な自然や風景を描きながらその本質を見極めようとする不思議な造形はいつも新鮮なエネルギーに満ち、多くの人々の心を捉えている〉アーチストです。

気仙沼をはじめ、東北の被災地に向かったのは2011年6月のこと。女川や福島も訪れたようです。そしてその心象は「ある歳月」という作品となりました。

アトリエに閉じこもり、評価の定まった画風のなかにおさまりかえるそんじょそこらの画家とは大違い。ジーンズをはいてキャンバスに向かう姿はとても93歳には見えません。そしてその言葉も、飄々(ひょうひょう)というか淡々と語っているようで、力を感じさせるものでした。

野見山さんはエッセイもお書きになり名文家として知られています。文芸評論家の福田和也さんは、週刊新潮の連載エッセイで〈正直なところ、私は野見山さんの絵よりも文章のほうが好き〉と書いていました。著書「四百字のデッサン」は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。

福田さんによれば、野見山さんは、女性に実によくもてるとのこと。おふたりの夫人に先立たれていますが、周りにはいつも世話をしてくれる女性がいらっしゃるらしい。「どうして、そんなにもてるのですか?」と聞いたところ、「私が頼まなくても、女の人が勝手にお世話をしてくださるんです」と、淡々とおっしゃっていたそうです。

この話、本題には関係ないのですが、93歳にして野見山さんのこのエネルギー、我々もあやかることができればと(笑)。

来週は早くも12月。遅くなりましたが、文化の日関連の時事ネタということで、本日はこれまで。今日の東京は冷たい雨が降っていますが、明日は晴れて暖かくなるそうです。


(再掲内容は以上)


野見山さんの訃報は多くのメディアで伝えられました。そのなかで読売新聞オンラインの6月27日配信記事が印象に残りました。

その記事によれば、野見山さんは旧制の福岡県立嘉穂中学(現嘉穂高校)の出身ですが、嘉穂高校付属中学における2021年9月の特別授業で「絵で何かを説明してはいけない。憧れ、恐れをそのまま描くんだ」と力説したそうです。いいね。

そして、上に紹介した「日曜美術館」4枚目画面にある「人間に限らず生物というものは はかないもの」という言葉。はかないものだけれど、そこに内在する生のエナジーの表出というイメージがわいてきます。いずれの言葉も、なんというか静かで深い。

◎野見山暁治さんと高山登さん

6月16日ブログ「もの派と坂本龍一」で、気仙沼とご縁のあった美術家 高山登さんの訃報をお伝えしました。その記事を書いているときに知ったのですが、高山さんは東京藝術大学で油画を専攻し、同大の大学院修士課程に進んだのですが、そこで属したのが野見山暁治研究室だったそうです。細かなことですが、ご参考まで。

6月16日ブログ「もの派と坂本龍一」

野見山暁治さんの冥福を祈りつつ。合掌
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 野見山暁治

6回目のワクチン

新型コロナワクチン6回目の接種をおえました。接種履歴をみると、1回目が2021年5月でした。2年前のことになるんですね。接種年月をおってみるとこんな感じ。日付情報は削除しております。


接種履歴


5回目までは集団接種会場でおこないましたが、今回はいつもの会場での実施がなかったので近所のクリニックで予約接種しました。これも気楽でいいですね。

本日6月28日の三陸新報1面トップは、気仙沼市の新型コロナワクチン春夏集団接種に関する記事でした。〈65歳以上3割と低調〉との見出し。


集団接種

三陸新報6月28日記事の一部イメージ


気仙沼市のサイトをみてみると、6月27日現在で「65歳以上の方、12~64歳の方で、基礎疾患がある方等、医療従事者・高齢者施設等の従事者を対象に令和5年春夏接種を、集団接種及び個別接種にて実施」していますね。詳しくはこちらから。春夏集団接種は7月14日で終了します。

私の場合でいうと、7月1日には東京で気仙沼高校関東同窓会が、7月17日には気仙沼にて気仙沼中学20回生の同年会があり、いずれにも出席予定です。そんなこともあってのワクチン接種でした。

気仙沼での新型コロナ感染状況はどんなぐあいでしょうか。東京で私は、仕事場と自宅の往復で電車を利用しますが、車内でのマスク着用は半分弱(私たち世代だと女優の范文雀さんを思い出しますね)という感じかな。私は車内ではマスクをつけて、歩行時にははずしています。暑いからね。

ワクチン接種に対しては今もさまざまな意見があります。私の場合には、特段のマイナス条件もないので安心のために接種。リスクよりベネフィットが上回るだろうという判断です。

皆さんに接種をよびかけるということでもなく、同級生のみんなへの〈オレはうったよと〉という単なる報告です。どうぞよろしく。

2022年11月2日ブログ「5回目のワクチン」

 

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tag : 新型コロナワクチン

絵本「皆鶴姫」原画

6月25日の三陸新報に、絵本「皆鶴姫」の原画展が紹介されていました。気仙沼市田谷の「旬彩屋KEN」さんで、原画2枚と絵本の全16頁を公開しているとのことです。展示期間は〈当面の間〉とのことなのでしばらくは観覧できるでしょう。午前10時から午後5時だそうですが、飲食の営業時間中も観覧可とのこと。6月25日はお休みです。


皆鶴姫

三陸新報6月25日記事の一部イメージ



絵本「皆鶴姫」は、1977年(昭和52)年に気仙沼民俗資料館建設運動促進委員会によって発刊されました。2006年に復刊されていますが、その背景には前年のNHK大河ドラマ「源義経」放送があったようです。

絵本の絵は、画家の相澤一夫さんが、文と編集は宮本人生(故人・本名は藤田賢治)さんが担当したそうです。当時、委員長だった小野寺次徳さん(76)は「若き日の義経と皆鶴姫の悲しく切ない恋物語を見て、ロマンを感じてもらいたい」と話しているそうです。

この気仙沼民俗資料館建設運動促進委員会について、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)で調べてみると、昭和50/1975年5月13日「三浦徳治らが気仙沼民俗博物館建設運動促進委員会を結成」との記述がありました。また同年5月25日には同委員会が「気仙沼民俗資料展を開く」とも。結成当時は、「民俗資料館」ではなく「民俗博物館」としていたようです。

気仙沼の「皆鶴姫伝説」については、上掲記事にも骨子が紹介されていますが、このブログでも「義経伝説」とあわせて紹介したことがあるので再掲します。


2022年5月20日ブログ再掲

気仙沼の義経伝説

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、ますます面白くなってきましたね。源義経の活躍というか〈天才軍略家〉としての破天荒な振る舞いには驚かされます。義経ってこんなだったのか。オレは聞いてないよ、みたいな。そして5月15日放送回。兄弟の思いのすれちがい。なんかせつなかったですね。明後日はどう展開するのか。

ということで本日は、気仙沼の〈義経伝説〉を紹介しましょう。まずは1月15日の三陸新報「論説」から。見出しは「鎌倉ストーリーと皆鶴姫伝説」です。

三陸論説

三陸新報1月15日記事の一部イメージ


この記事では、気仙沼の〈義経伝説〉と〈皆鶴姫伝説〉の概要を手際よく紹介しています。両伝説とも〈諸説あり〉ということで、それらを詳しく紹介していくとちょっと分かりづらくなってしまうのです。

記事の伝説紹介部分を引用させてもらいます。

〈気仙沼市には悲劇の英雄・源義経に関する伝説がいくつか残っている。代表的なのは皆鶴姫伝説だろう。義経は兵法を学ぶため、京都・鞍馬山の鬼一法眼(きいちほうげん)のもとに預けられ、和尚の娘の皆鶴姫(みなづるひめ)と恋仲になる。

皆鶴姫は義経のために、和尚が大切にしていた兵法書を盗み出し、義経は奥州・平泉に向かう。激怒した和尚は、木をくりぬいた「うつろ舟」に、皆鶴姫を乗せて九十九里浜から海に流した。

母親が忍ばせた一体の観音像と姫を乗せた「うつろ舟」は、風に乗って北へ北へと流され、気仙沼沖から満潮に乗って「一ケ島」(現・一景島)に流れ着く。島の南側にある母体田(もたいだ)の人たちが舟を見つけ、姫を手厚く介抱したが、息をひきとってしまう。
姫が気仙沼に漂着した夢を見た義経は、馬(太夫黒)を走らせて駆けつけ、亡きがらのそばから取り出した観音像を気仙沼の観音寺に祭る。母体田の高台には観音堂が建立され、一景島神社には皆鶴姫漂着の地の案内板がある。〉(引用は以上)

どうでしょうか、大体のストーリーをご理解いただけましたでしょうか。一景島や観音寺も登場します。また記事の末尾にはつぎの記述もありました。〈鹿折金山(上鹿折)には「源氏の滝」があり、義経の愛馬・太夫黒(たゆうぐろ)のひづめ跡とされるくぼみもある〉と。

つぎに紹介するのは、私がまとめた〈皆鶴姫伝説〉です。伝説部分のみをとも思いましたが、全文を再掲します。お手すきのときにでもお読みいただければ幸いです。


2018年8月8日ブログ再掲
◎気仙沼 皆鶴姫

昨日のブログで8月9日におこなわれる観音寺の観音像ご開帳について紹介しました。その観音像が気仙沼に伝わる〈皆鶴姫(みなづるひめ)伝説〉ゆかりの仏像ではないかと記したわけですが、本日はその伝説を紹介します。とはいっても、これがその伝説内容ですと明確に示すことも難しいのです。〈皆鶴姫伝説〉は気仙沼のほかにも室根山近辺や会津地方などにもありますし、気仙沼に伝えられる話にもいろいろと細部の違いがあるようです。まさに〈諸説あります〉状態。そこで、ネットで見つけた情報を気仙沼にまつわる話を都合よくつぎはぎしてみると、つぎのような内容になりました。仮案ということで。

◎気仙沼の皆鶴姫伝説(仮)

源義経(当時は牛若丸)は、京都鞍馬寺の鬼一方眼(きいちほうがん)のもとで文武の修行をしていたとき、方眼が持っていた中国伝来の兵法書を見たいと望みましたがかないませんでした。そのため義経は、恋人となっていた方眼の娘「皆鶴姫」に頼んだところ、姫は父に内緒で兵法書を義経に渡しました。義経はこれを持って奥州平泉へと旅立ちます。兵法書を盗まれたことに気づいた方眼は激怒し、皆鶴姫を器舟(うつぼ舟)に乗せて九十九里浜から流します。

姫は、気仙沼(松岩の阿弥陀ヶ鼻/松崎前浜)の母体田(もたいだ)海岸に流れ着き、地元のおじいさんとおばあさんの世話により元気を取り戻します(はじめに漂着したのは一景島で、その後に母体田へとの説も)。しばらくして、皆鶴姫は男の子(つまり義経の子)を出産しましたが、産後の日だちが悪く、日に日に弱っていきます。

その頃、平泉にいた義経はそうした状態にある皆鶴姫の夢を見ます。これを正夢と信じた義経は馬を走らせ母体田の浜に向かいましたが、たどり着いた時に皆鶴姫は息を引き取っていたのです。義経は、忘れ形見の子の世話をおじいさんとおばあさんに頼み、平泉に戻ります。後に義経は気仙沼と平泉の中間地(室根村でしょうか)に観音寺を建立し、姫の守り本尊だった観音像をまつり皆鶴姫を弔いました。その観音寺はその後、気仙沼に移りました。それが現在の気仙沼市本町の観音寺です。


以上が伝説のまとめ仮案。観音寺には、姫を乗せて漂着した舟の残骸や義経が背負ったという「笈(おい)」のほか、弁慶が袈裟を掛けたという「袈裟がけの岩」などがあります。また母体田の高台にも観音堂があるとのことです。

気仙沼市弁天町の一景嶋神社/一景島公園には、2004年3月に気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板がありました。津波で被災しましたが、関係者の努力で復旧したようです。案内板の画像がネット上にありましたので、その内容を書き起こしておきます。

案内板2

2013年撮影と思われる案内板


◎案内板内容:「皆鶴姫」漂着の地

義経伝説に登場する、義経の恋人の皆鶴姫は、陰陽師・鬼一法眼の娘として、古くから歌舞伎などで演じられ、親しまれてきたヒロインです。 気仙沼市本町の天台宗観音寺には、寛政2年(1790)に作成された「当山観世音縁起」という寺社縁起が所蔵されており、そこには、義経が頼朝の憤りを受けて平泉にいたころに、皆鶴姫が義経を慕って東国に至り、病死したことが書かれてあります。 皆鶴姫の守り本尊と共に遺骨が流れ着いたところが、この一景島公園にあたる「一ヶ嶋」でした。その後、義経は皆鶴姫と平家一門の供養をするために、姫の守り本尊であった観音像を安置し、そのことが観音寺の始まりと伝えられております。 皆鶴姫伝説は、後生には、松岩の阿弥陀ヶ鼻(気仙沼市字松崎前浜)にうつぼ舟に乗って漂着したと伝えられ、気仙沼地方の著名な伝説の一つとして、人々にくりかえし語られてきました。

・観音寺に伝わる源義経の笈(写真)
・皆鶴姫が乗ってきた「うつぼ舟」の船板(写真)


案内板内容は以上です。この気仙沼の皆鶴姫伝説については、1977年(昭和52)に「絵本 気仙沼の伝説 皆鶴姫」として発刊されたことがあります。発行は編纂委員会と気仙沼市民俗資料館建設運動促進委員会。そして、2006年に復刊されましたが、これは前年のNHK大河ドラマ「源義経」放送による義経ブームが背景にあったようです。気仙沼ジャンさんによるブログ「気仙沼産の神奈川県人!」に詳しく紹介されていました。同ブログに紹介されていた「絵本 気仙沼の伝説 皆鶴姫」の画像を紹介します。

皆鶴姫


気仙沼コンベンション協会の会長などもつとめたホテル一景閣の斎藤徹社長(現会長)は、この皆鶴姫伝説をいかした地域おこし活動に熱心でした。上述したように、九十九里浜から流され漂着したのが、いまホテル一景閣がある一景島(一ヶ嶋)との伝説もあるわけですから、それも当然のことでしょう。2007年には同ホテルで皆鶴姫の浮世絵展なども開催しています。現在もホテル内のギャラリーにその一部を展示しているようです。また、同ホテル内にはスナック皆鶴姫もありました。斉藤社長の熱心な取り組みがよくわかります。しかし、そうした当時の機運も、今の気仙沼ではちょっとしぼんでしまったかのようで残念です。

気仙沼市史 第7巻 民俗・宗教編(P371〜374)には、「義経と皆鶴姫伝説」の項があります。そこには、上記の案内板にも記されていた観音寺に伝わる寛政2年(1790)の「當山観世音略縁起」の内容も掲載されており、観音寺の観世音菩薩の義経や皆鶴姫にまつわる由来を知ることができます。

また、この市史記述のなかには、義経が気仙沼大島に入婿(いりむこ)になった伝説があり、宮城県教育会(教育委員会のことか)編の『郷土の伝承』第2輯に報告されているとの話もありました。面白すぎる(笑)。この市史の関連頁は、皆様の伝説研究の一助としていただくために、明日のブログでページ画像を掲載しようと思っています。

かなり簡略にしたつもりでも伝説紹介がこれだけの長さになってしまいました。どうでしょう、8月9日(木)の観音寺「秘佛聖観世音菩薩御開扉法要」にお参りしてみようと思っていただけましたでしょうか。そうであればとてもうれしいです。

なお、昨日の気仙沼中央公民館の公式Facebookが、観音像ご開帳を紹介していました。こちらもご覧ください。

中央公民館Facebook


再掲内容は以上です。

2018年のブログでは、岩手・宮城県際広域観光推進研究会と宮城県観光連盟のサイトに皆鶴姫関連情報が紹介されていたのですが、現在は〈Not Found〉とのこと。もったいないと思うのですが、観光サイトということで仕方なし。

ものは試しということで「皆鶴姫伝説 気仙沼」「義経伝説 気仙沼」でGoogle検索してみました。結果は、いずれも上で紹介した私のブログがトップ。

いいようなわるいような、うれしいようなかなしいような。複雑な心境のまま本日はこれにて。

2018年8月9日ブログ「當山観世音略縁起」
 
 
再掲内容は以上です。

ちょっと長文になりましたが、参考資料として掲載いたしました。ご理解いただければと。

 

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tag : 皆鶴姫義経伝説

気仙沼小唄の記憶

6月17日、本ブログのコメント投稿欄でアカウント名「かねふと」さんから質問がありました。「小田先輩、ご無沙汰しております。気仙沼の曽根です。「気仙、気仙沼、良い良い港 鰹万両、シビ万 万両 浜の甚句でまた夜が明ける」この音頭の名前や謂われは分かりませんか?]

公開コメントなのでご覧になった方もいるかと。そして、私はつぎのように返信。「曽根さん、元気なご様子でなによりです。昭和27年/1952年発表と思われる「気仙沼小唄」ですね。つぎのブログで紹介しております。私は同年3月生まれですが、気中21回生の曽根さんもこの年だったのでは」

返信に記したように曽根さんは一年下の気中21回生です。実家は以前のエースポート向かいの鮮魚店「かねふと唐桑屋」。つまり魚町や南町の同じ風景を見て育った同じ世代です。

曽根さんへの返信に記した「つぎのブログ」を再掲します。


2018年8月2日ブログ再掲

気仙沼小唄の歌詞

(2018年)7月21日に川村さんという方からブログへのコメントをいただきました。「ラッツォクの灯」 のページへの投稿になっていましたが、その内容に関することではなく「気仙沼音頭」についてつぎのように書かれていました。

〈 初めてお便りします。私は気仙沼出身で団塊の世代ですが、子供の頃踊った盆踊りは「気仙沼小唄」だと思います。作詞は同級生栗原さんのお父さんだと聞いています。♪ 気仙 気仙沼 良い良い港 かつお万漁 しび万 万漁 ……。しっとりした良い唄でした。無くなって残念です。ネットに動画がありました。ブログこれからも楽しみにしています〉(投稿引用は以上)

これを読んで、三橋美智也さんの「気仙沼音頭」はこのブログでも紹介したけれど「気仙沼小唄」のことをすっかり忘れていたことに気づきました。そんなことで、本日は「気仙沼小唄」の歌詞を紹介します。みなとまつりも近いことだし。

以前に「気仙沼音頭」を調べたときに知ったネット情報に、レコードに付された歌詞画像がありました。レコードA面が気仙沼音頭でB面が気仙沼小唄。そして気仙沼市史にも「気仙沼小唄」に関する次の記載があります。(「気仙沼市史」補遺編/スポーツ・芸術 p335)

〈昭和26年(1951)5月に気仙沼観光協会が商工会議所の後援で歌詞と作曲を募集。鼎が浦高校定時制教諭 菊地勤の作詞が入選、作曲は栗原勤(この市史の記述は誤りで正しくは栗原勉だと思います)である。この振り付けを舞踊家石井漠に依頼、7月16~17日、公民館で発表会がおこなわれた。〉(引用は以上)

発表会が7月16~17日と記されていますが、この10日後の7月26日には第1回みなと祭りが開催されています。気仙沼文化史年表には、「気仙沼小唄」の決定は7月4日と記してありましたので、7月16~17日は発表会を兼ねた練習会だったのかもしれません。

市史の本文記述の後に歌詞が紹介されているのですが、1番から3番までで4番はないなど、レコード付属の歌詞との違いがありました。ここでは、レコードでの記載内容をベースに歌詞を紹介します。


◎気仙沼小唄

1
気仙 気仙沼 よいよい港
かつお万両 しび万両
河岸の甚句で 又夜が明けて
ソレサ入り来る(ヨイショ)大漁船
(ヤンレホントに大漁船
トコドッコイ ドッコイナ)
(以下唄ばやし略)

2
浜見山から 港を見れば
浦に黄金の 花が咲く
出船松前 はいるは上総
ソレサ紀州は(ヨイショ)泊り船

3
浦の港に 灯ともし頃は
柏の岬に 夕日が映えて
明日も日和か 出船の唄に
ソレサかもめも(ヨイショ)沖で鳴く

4
気仙 気仙沼 七坂八坂
白い鴎の 飛ぶ海に
船が出て行く メリケン船の
ソレサ別れの(ヨイショ)笛がなる


歌詞は以上です。〈柏の岬〉は柏崎(かしざき)のことでしょうか。きれいな語感。レコードの歌詞で〈しび万両〉としている部分を市史では〈しび万々両〉としています。川村さんの歌詞の記憶も〈しび万々両〉でしたね。念のために申し添えれば、〈しび〉は鮪(まぐろ)。唐桑地区鮪立(しびたち)の鮪です。

ネット上にレコード音声だけというのは見当たりませんでしたので、コメントにもあった動画を紹介しておきましょう。震災の翌年 2012年の目黒のさんま祭で収録された映像だと思います。気仙沼出身の日本舞踊家 花柳寿々菊(すずぎく)さんがちらっとうつっているところをみると、その社中や気仙沼出身者のみなさんのご協力があったのだと思います。編集されている関係で、歌詞の順番は上記歌詞と異なっています。





気仙沼音頭とはまたちょっと違った静かな趣を感じますね。この唄を聞いていると私が小さな頃の港まつりで婦人会のみなさんが踊っていた風景を思い出します。みなさんも「気仙沼小唄」「気仙沼音頭」のメドレーで昭和のみなとまつり気分を味わってみてはいかがでしょうか。三橋美智也さんの「気仙沼音頭」は下のリンクにて。



気仙沼音頭/三橋美智也(YouTube)



2014年8月4日ブログ「気仙沼音頭の歌詞」


再掲内容は以上です。


曽根さんにはTwitterのダイレクトメッセージでも返信しました。それに対しての曽根さんの返信に「気仙沼小唄でしたか。幼少期から散々聞かされてきたので頭にこびりついています」とありました。

〈頭にこびりついている〉という感覚はよくわかります。催眠術師に「気仙沼音頭」や「気仙沼小唄」を流されて、〈あなたは~いま~、昭和の時代の気仙沼にいま~す〉などと術をかけられたら、一発でタイムトラベルというか、トリップ状態(これは今や死語かな)におちいることでしょう。

今年の気仙沼みなとまつりは第71回目。8月5・6日の開催です。「気仙沼小唄」や「気仙沼音頭」も流れてほしいですね。

かねふと/曽根さん、おかげで「気仙沼小唄」を思い出すことができました。ありがとうございます。先日のチリ地震津波に関するツイートはあらためて紹介させてもらいます。そんなこんな、すべてが懐かしい。
 

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tag : 気仙沼小唄気仙沼音頭

気仙沼ラーメン物語

三陸新報の「タイムトラベル〜20年前のあの日あの時」は、20年前の同日紙面を紹介するシリーズ記事です。6月17日の記事に同級生/気中20回生が登場していました。


タイムトラベル

三陸新報6月17日記事の一部イメージ


「仮称・気仙沼ラーメン研究会」の立ち上げに千葉憲二君(3年4組)が協力したという話。もう20年経つのですね。記事を引用します。

〈気仙沼コンベンションビューロー協議会が、地場産品を生かしたラーメン作りに取り組む「仮称・気仙沼ラーメン研究会」を創設するため、メンバーを募集する。気仙沼出身で、人気ラーメン店「ちばき屋」店主の千葉憲二さんがアドバイザーとして加わり、半年かけて究極のラーメン開発を目指し、気仙沼特産のフカヒレをはじめ、マツモやカキ、サンマ、ワカメ、ホヤ等の活用法を模索。同協議会では「研究会を創設し、オリジナルラーメン作りを目指したい」と期待を話す。〉(引用は以上)

私は震災後、三陸新報デジタル版を購読していますが、20年前は気仙沼の両親が読みおえた2週間分ぐらいの三陸新報を送ってもらっていたのです。そのため、この研究会創設のことも知っていました。たしか、いろいろと試行錯誤し、複数の店舗で「気仙沼ラーメン」が提供されたように記憶しています。しかし、その後は「気仙沼ラーメン」名での同一レシピメニューの提供はなくなっていったのではなかったかと。もちろん、現在でも各店独自の気仙沼ラーメン提供はあると思いますが。

◎ラーメン博物館での気仙沼ラーメン

現地気仙沼とは別に「気仙沼ラーメン」が提供されたことがあります。「新横浜ラーメン博物館」で千葉憲二君が「かもめ食堂」を出店し、そのメニューのひとつが気仙沼ラーメンだったのです。次のブログで紹介しました。

2013年7月10日ブログ「憲二のかもめ食堂」

このラーメン博物館での「かもめ食堂」が、いま気仙沼市港町で営業中の「かもめ食堂」につながっているのは皆さんご承知のとおりです。正確に記せば、震災後の気仙沼復興の一助にと「かもめ食堂」復活を計画し、そのプレ企画として2012年2月から2015年4月までラーメン博物館に出店したのです。

◎気仙沼ラーメンの炊き出し

震災の翌年2012年10月3日、「気仙沼ラーメン」1000食が気仙沼で提供されたこともありました。千葉憲二君らが気仙沼市民会館でおこなった炊き出しです。つぎのブログで紹介しております。

2012年10月10日ブログ「かもめの炊き出し」

記事中でつぎの三陸新報2012年10月5日記事を紹介しています。


気仙沼ラーメン

三陸新報2012年10月5日記事


この三陸新報の記事のなかに、炊き出しには〈人気ラーメン店「一風堂」「五福星」のスタッフも応援に駆け付け、「気仙沼かもめ食堂」で人気の気仙沼ラーメンを1000人分調理し、熱々を提供した〉とありました。

記事にはスタッフとありますが、一風堂の河原成美さんや五福星の早坂雅晶さんもこの場にいたのではないかと。当時、憲二君は日本ラーメン協会の初代理事長でした。

◎「まるき」の熊谷さん

「ほぼ日」さんの2019年11月1日「お世話になった気仙沼の、あの人。」第4回のなかで、「まるき」の熊谷一政さんが、このラーメンの炊き出しについて語っていました。インタビュアーは、当時「気仙沼のほぼ日」のサユミさんです。

このなかで、まるきさんが震災前の「まるき食堂」からラーメン専門店の「まるき」に変化していったきっかけについて、〈「日本ラーメン協会」が震災後に気仙沼で行った炊き出しを見て〉と語っています。話のなかに、「五福星の親方」も登場します。

憲二君の気仙沼での炊き出しは4~5回おこなわれているはずで、まるき熊谷さんの話に登場する炊き出しがいつのものかはっきりしません。しかし、〈ラーメン協会の〉ということから上記2012年10月3日の炊き出しだろうと推測しております。(6/26追記:まるき熊谷さんと「五福星」早坂さんとの出会いは、ご本人によれば2011年4月9日の市民会館での炊き出しだったそうです。この震災から1か月後の炊き出しについては、同年4月28日ブログで紹介しております )

参考まで記しておくと、憲二君の気仙沼「かもめ食堂」では毎年3月11日に〈かもめラーメン〉の無償提供をおこなっていますが、これは震災後の炊き出しが原点になっていると思います。

◎「気仙沼ラーメン」20周年

いま気仙沼にはおいしいラーメンを提供する人気店がたくさんあるようですね。大友(小野寺)つき子さん(3年9組)が内湾のスローストリート「結」(ユワエル)で営む「あたみ屋」もそのひとつです。気仙沼のラーメンは、この20年で大きな進化をとげたのでしょう。

20年前の研究会がめざしたのは、オリジナルラーメンの開発でした。その気仙沼コンベンションビューロー協議会の皆さんの構想は、いま形をかえ多彩な「気仙沼ラーメン」として実現しているように感じます。

なお、気仙沼コンベンションビューロー協議会は、その後の気仙沼観光コンベンション協会だと思います。同協会は2022年4月1日に、唐桑町観光協会、気仙沼大島観光協会と統合して気仙沼市観光協会となっています。当時の「気仙沼ラーメン研究会」関係者の皆さまに御礼を。皆さんのまいた種がいま果実となっていますね。

こうして、三陸新報さんの「タイムトラベル」のおかげで、今年が「気仙沼ラーメン」20周年であることに気づくことができました。ありがとうございます。

以上、「気仙沼ラーメン」にまつわる物語ということで。どうぞよろしく。今週はこれにて。
 

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「日日是好日」80回

本日は内輪話。6月16日の三陸新報1面コラム「萬有流転」(ばんゆうるてん)にびっくり。私の妻の名がそこにありました。筆名「コミマル」。


萬有流転

三陸新報6月16日記事の一部イメージ


三陸新報の連載「気仙沼弁『日日是好日』」への読者の感想を紹介してくれました。好評のようでなによりです。同欄での紹介は、昨年9月に続いて2度目ですね。

連載開始のときに、執筆とイラストを担当する二人が紹介されましたが、この萬有流転でも再度つぎのように。いずれも私よりも6学年下の気中26回生です。

〈執筆の「鼎女」(ていじょ)さんは、長年小学校の教員をした加藤美貴子さん=気仙沼市田谷=、イラストの「コミマル」さんは加藤さんの同級生で同市南町出身の小田まゆみ=東京都世田谷区在住=。〉

連載開始は昨年7月1日でした。6月16日の萬有流転では「まもなく80回」と書いていましたが、本日6月22日掲載の「しったぐる」で81回となりました。50回目を迎えたときにつぎのように紹介しております。

2月10日ブログ 「日々是好日」50回

鼎女/加藤さんの文章のうまさにはいつもおどろかされます。毎回、キーワードとなる気仙沼弁が一語設定されているのですが、単なる辞書的な解説ではなく、その言葉が使われる場面が鮮やかに描かれます。その気仙沼〈あるある〉シーン再現のなかで使われる気仙沼弁の展開も実に達者です。

これまでの気仙沼弁80語のうち半分以上は私の知らない言葉(父母が新潟の新発田と柏崎だからしょうがなし)。そんなときはいつも妻に教えてもらいます。しかし、たまに妻も知らない言葉が登場するようです。たぶん、気仙沼の読者でも知らないという言葉があるのではないかと。

つまり、ひとつの定まった気仙沼弁の世界があるのではなく、話者の暮らす地域、その両親の生まれ育った場所などの影響によって、さまざまに派生というか分派があるのでしょう。ローカル言語のさらなるローカライズです。

6月16日の萬有流転には、〈友人からは「本にする予定は」と、しばしば聞かれる。それだけ楽しみにしている読者がいる証しであり、掲載する側としてはうれしい限りだ〉とも。

私もうれしい。本としてまとめてくれるともっとうれしいです(笑)。

コミマルのイラストについても書こうと思っておりましたが、長くなりそうなのでこの辺で。内輪ぼめはやめておきましょう。

2022年9月23日ブログ 連載「日日是好日」

 

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勝川先生の「意見」

気仙沼の人ならば、三陸新報5月30日のつぎの記事におぼえがあるでしょう。5月29日の気仙沼魚市場で、ビン長マグロ978トンやカツオ154トンなど、市場全体で1日当たり5億8053万円の水揚げになったというのです。これにより、41年ぶりに気仙沼魚市場の水揚げ最高金額を更新したとも。


5:30日

三陸新報5月30日記事の一部イメージ


私は、この今期水揚げ好調のニュースに触れて本当によかったなと感じました。昨年がひどかったですからね。

テレビ朝日系列の「グッド!モーニング」も、6月9日にこのビンチョウマグロ大漁のニュースを取り上げ、同日のテレ朝NEWSが配信してくれました。見出しは〈ビンチョウマグロ 41年ぶり大漁 漁師笑顔「3日で3500万円」〉です。これは気仙沼魚市場の6月7日水揚げのこと。

この報道の仕方に疑問をなげかけたのが気仙沼もいろいろとお世話になっている勝川俊雄先生でした。東京海洋大学准教授。6月9日につぎのようにツイートしています。


このツイートに続けてつぎの投稿も。引用させてもらいます。

〈「とり放題」を喜ぶ、生産者、流通業者、消費者と、それをポジティブに伝えるマスメディア。持続可能性を無視した、薄利多売ビジネスの縮図がここにある。〉

〈補足すると、ビンチョウは資源的に余裕があり、かつ、日本は分布の北限なので、日本で頑張って獲っても、すぐに影響が出るとは考えづらい。日本周辺の資源がことごとく悪い中で、たまたま多く回遊してきたビンチョウを獲ること自体を非難するつもりはありません。〉

〈ただ、「とり放題で良いのかな?」と疑問を持ってほしいのです。もし、ビンチョウが日本近海に定住する資源だったら、直線的に減少している日本の漁獲量と同じような状況になっていたでしょう。つまり、とり放題漁業には未来がないのです。〉

〈とり放題を続ける限り、定住性の水産資源は減少し、希に回遊してきた資源に依存せざるを得なくなります。そういう漁業には、先細りの未来しかありません。状況を変えるには、定住性の資源から安定した漁獲が得られるように、とり放題をやめて、漁獲規制を導入する必要があります。〉(引用は以上)


このような指摘、問題提起はとても大事ですね。

勝川先生と同じ問題意識をもっている人は気仙沼の漁業・水産関係者のなかにも沢山いると思いますよ。問題意識をこえて危機感といってもよいかもしれません。ただ、そうした意見を、豊漁にわくこの時に語れるかどうか。地元紙も同様でしょう。

それだけに、勝川先生の指摘が貴重だと思うのです。これに対しての意見もいろいろとあるでしょうが、議論すればいいだけの話。

◎勝川先生と糸井重里さんの対談

2014年6月、「ほぼ日」さんで勝川先生と糸井重里さんの対談が連載されたことがあります。全8回シリーズでテーマタイトルは〈日本の魚は「世界一」じゃない!? 〉。この当時の勝川先生は三重大学生物資源学部准教授でした。

つぎのブログで紹介しておりますが9年前のことになるのですね。

2014年6月27日ブログ「気仙沼の魚の未来」

◎81号由丸の守山船頭

ANNのニュースで、「2、3日で3500万円」と語っていたのは、宮崎県のカツオ船「由丸」の守山佳洋船頭です。あれっ、この守山船頭さんのことは以前にブログで紹介したなと思って調べたらやはりそうでした。勝川先生が、YouTubeで「カツオ一本釣り漁船(81号由丸)の見学」を公開していたのです。

2022年11月24日ブログ「船頭さんの胸の内」

勝川先生と守山船頭は知り合いだったのです。「グッド!モーニング」の取材を受けている守山船頭をみて勝川先生もおどろいたでしょうね。上で紹介した先生のツイートで〈たまたま多く回遊してきたビンチョウを獲ること自体を非難するつもりはありません〉とあるのは、その勝川先生の複雑な気持ち、思いが反映されているかもしれません(考えすぎかな)。

◎勝川先生への感謝

ちょっと長くなってしまいました。要は、豊漁を喜ぶだけではなく、将来の漁業・水産業のことも考えなくちゃねということ。その大事さを否定する人はあまりいないと思いますが、この短期と長期の視点を両立させるのがなかなか難しい。それだけに、今回の勝川先生の「意見」をありがたく感じました。

勝川先生、いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

◎参考:
なつかしい写真でちょっと頭を休めましょう。勝川先生が昨年3月に気仙沼魚市場の臨港線におけるDE10型ディーゼル機関車を紹介してくださいました。つぎのブログにて。

2022年4月8日ブログ 気仙沼の「臨港線」

 

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気仙沼「日越友好」

本日紹介するのは気仙沼市菅原市長の6月16日ツイートです。


在日ベトナム仏教信者会さんには大震災後の気仙沼へのご支援をいただいていたのですね。遅ればせながら御礼を申し上げます。ありがとうございます。

市長が手にしている書軸には、日本とベトナムの友好関係を願う「日越友好」の文字がありました。

◎気仙沼市のベトナム人

市長の投稿に、気仙沼市には現在95人のベトナム人がおり、このうち86人が技能実習・特定技能の資格で主に水産加工会社で働いているとありました。

こうした市としての外国人の居住者や技能実習生の人数が示されることは案外すくないと思います。4年前、つぎのブログで市議会での気仙沼市の在住外国人に関する市長回答を紹介しました。

2019年3月1日ブログ「外国人技能実習生」

このブログに記した2018年11月末現在での気仙沼市在住外国人の概況などを再掲します。

◎気仙沼市在住外国人の概況

気仙沼市に住民登録をしている外国人は2018年11月末現在で19国籍、555人。国籍はインドネシア173人、中国127人、フィリピン90人、ベトナム64人など。震災前の平成23年2月では16国籍、464人。中国295人、フィリピン76人、インドネシア34人など。震災後、一旦は総数で減少したものの、現在は国籍の変化を伴いながら増加傾向にある。

◎技能実習などの在留資格

在留資格については、技能実習に関するもの333人、永住者123人、婚姻等に関するもの30人。市内に在住する技能実習生333人についての国籍別ではインドネシア171人、ベトナム63人、中国54人など。

再掲内容は以上です。

数値ベースの詳細がわからないので単純な比較はできませんが、2018年11月時点よりも現在のほうがベトナムの皆さんの在留人数は増えているようです。

ベトナムからの技能実習生に対する処遇に関しては、いろいろといやなニュースに触れることがあります。そのたびに、気仙沼でそんなことがないようにといつも思うのです。

6月16日の菅原市長のツイートは、そうした心配を払拭とはいわないまでも、緩和させてくれるものでした。ありがとうございます。

移民政策や外国人技能実習生制度といったことは国レベルのまた別の話。気仙沼においては、現状の法律や施策のなかで、なんとかうまくやりくりして欲しいなあというのが私の正直な気持ちです。そのことをお伝えしたく。

最後に。細かな話ですが、市長投稿にあった「最高人民裁判官官長」という呼称が気になりました。なんか変ですよね。これは、私が調べたかぎりでは「最高人民裁判所長官」のことかと。つまり、気仙沼市を訪れてくださったのは、グエン・ホア・ビン最高人民裁判所長官の夫人ではないでしょうか。ご参考まで。

(6/20追記:本日の三陸新報記事に、「ベトナム最高人民裁判官長夫人のグエン・ホア・ビンさん」とありましたが、これは誤記でしょう。来市されたのは、グエン・ホア・ビンさんの妻/奥様だと思います)
  

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土木学会「田中賞」

2021年3月6日に開通/供用を開始した気仙沼湾横断橋が、土木学会の2022年度「田中賞」を受賞しました。6月17日の三陸新報でも記事が掲載されていましたが、ここで紹介するのは、「施工の神様」サイトの記事を紹介した井坪美喜乃さんの6月14日ツイートです。写真がとてもいいですね。


「田中賞」は土木学会賞のひとつとして1966年に設けられました。橋梁・鋼構造工学での優れた業績に対してのもの。関東大震災後の首都復興に際し、帝都復興院初代橋梁課長として、隅田川にかかる永代橋や清洲橋といった数々の名橋を生み出した、田中豊博士に由来するそうです。

田中賞は業績部門、論文部門、作品部門(新設・既設)、技術部門から構成されており、気仙沼湾横断橋は作品部門(新設)受賞3作品のひとつです。上のツイートでは既設1件をあわせて4件受賞としています。

土木学会サイトの受賞作品紹介に関係事務所・企業名が記されていましたので紹介します。

企業者: 国土交通省東北地方整備局仙台河川国道事務所
設計者: (斜張橋部)大日本コンサルタント(株) (高架橋部)(株)長大
施工者: (下部工)鹿島建設(株)、東亜建設工業(株)、(株)不動テトラ (斜張橋部上部工1)エム・エム ブリッジ(株)、宮地エンジニアリング(株)、川田工業(株) (斜張橋部上部工2)JFE エンジニアリング(株)、(株)IHI インフラシステム、日本ファブテック(株) (高架橋部上部工)高田機工(株)、(株)横河ブリッジ、佐田建設(株)

紹介したツイートの記事に、どのような点が評価されたかという記述がありました。気仙沼湾横断橋に関して前半部分を引用します。

「東日本大震災からの復興を目指すリーディングプロジェクトとして進められた。東日本大震災の被害を踏まえた危機耐性と維持管理のしやすさを追求し、地域の発展と復興を支える美しい形態を目指し設計した。計画〜設計〜施工に至るまで関係者が連携して進めることで滞留期間をなくし、事業化からわずか9年4か月で開通を迎えた。

技術的には、海中の鋼管矢板基礎は支保工トラス化による工期短縮と、井筒内橋脚の高品質化が図られた。海上主塔は、3000t吊起重機船を用いて側面建て起こしによる大ブロック架設が行われ、航路影響を最小化。また、主桁は直下吊りバランシング架設による工期短縮と、ケーブル架設では、橋面上から押込み設備により緊張することで主桁下面の開口を無くして耐久性向上が図られている。

航空写真から見れば、スパンの長大化も一望できるが、今後の長大橋建設に寄与するものと期待されている。」(引用は以上)

事業化からわずか9年4か月で開通というのは、やはり相当にすごいことだったようです。

◎1929年の浅野総一郎来町

上掲の施工会社のなかに、私が15年ほど前に社史(100年史)編集ですこしだけ関わった企業名がありました。同社の創業者は浅野セメントをはじめとする浅野財閥の総帥、浅野総一郎です。彼は気仙沼とちょっとした関わりがあるのです。

浅野総一郎が気仙沼(当時は気仙沼町)を訪れたのは「気仙沼文化史年表」によれば昭和4年/1929年7月5日のこと。亡くなる前年のことです。たしか気仙沼/陣山の石灰石がめあてだったはずですが、事業化はされませんでした。

浅野翁の気仙沼訪問から92年後の2021年3月、彼が創業した会社が施工に関わった気仙沼湾横断橋が開通しました。これもなにかのご縁といってよいのでしょう。

話を戻します。

気仙沼湾横断橋の計画・設計・施工関係者の皆様、このたびの2020年度土木学会「田中賞」受賞おめでとうございます。心からのお祝いを申し上げます。ありがとうございました。

◎参考:

「気仙沼内湾ウォーターフロント」が土木学会の景観・デザイン委員会が主催する「土木学会デザイン賞2022」の優秀賞を受賞しています。本年1月21日に授賞式がおこなわれました。つぎのブログで紹介しております。ご参考まで。

2月1日ブログ「内湾デザイン 受賞」

 

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tag : 気仙沼湾横断橋土木学会賞

もの派と坂本龍一

リアス・アーク美術館の館長、山内宏泰さんの5月4日ツイートはとても興味深いものでした。1月8日に永眠された美術家、高山登さんの主要な作品を形成してきた大量の枕木などをリアス・アーク美術館で保管しているというのです。


これは高山さんご本人から託されたもの。部材の取扱いについては同館に一任するとの言葉をいただいているそうです。将来的には、高山さんと親交の深かった作家に協力をあおぎ、これら部材を使ったオマージュ作品を制作し、屋外に常設展示したいと考えているとのこと。

現在は、リアス・アーク美術館の正面中庭に高山さんの作品「神々のゲンコツ」が設置されています。2000年には同館で「高山登」展が開催されました。

このように、リアス・アーク美術館と高山登さんとは深い縁がありました。そして山内宏泰さんは、宮城教育大学での高山登さんの教え子のひとりです。つぎのブログにまとめております。

1月12日ブログ「高山登の教え子達」

このブログでは、雑誌『美術手帖』(2015年)6月号の美術批評家椹木野衣(さわらぎ・のい)さんの連載『後美術論』を紹介しました。そのなかで椹木さんは、2010年に宮城県美術館で開催された高山登展「300本の枕木―呼吸する空間」の展示とリアス・アーク美術館に展示されている被災物のイメージを重ね合わせています。

リアス・アーク美術館に保管されている枕木と2010年の宮城県美術館での展示物とはなにか関係がありそうですね。


◎「もの派」と坂本龍一

高山登さんは「もの派」を代表する美術家のひとりとされます(私自身は、表現作品を「〜派」と呼んで分類することに抵抗をおぼえますし、高山さんもそうした呼称に対して否定的だったそうですが)。

ここからは、「もの派」と坂本龍一について。

雑誌『芸術新潮』5月号は、「追悼|総力特集 坂本龍一」でした。この特集は昨年10月に企画をスタートさせ、編集作業が大詰めに差しかかっていた4月2日坂本さんの訃報が流れたと。

○李禹煥さんからの手紙

4章からなる特集のなかに「坂本さんへ、12人からの手紙」が配されており、その1番目が李禹煥(リ・ウファン)さんの手紙でした。特集のプロローグ的な扱い。坂本さんが亡くなるまえの2月21日の談話書き起こしです。そのなかにつぎの一節がありました。

〈坂本さんが、ぼくの作品にインスピレーションを受けて、音楽で「もの派」を体現したい、と語っている文章はぼくも目にしました。〉

李さんについて、編集部によるプロフィールには〈60年代末から「もの派」を牽引した作家として知られている。2019年、ポンピドゥー・センター・メッスでの個展では、坂本龍一が会場のサウンドを担当。坂本の最新アルバム『12』のジェケットへは、李がドローイングを提供した〉とあります。

○浅田彰さんの解析

この李さんからの手紙に続いて、浅田彰さんの文章がありました。タイトルは〈「ポストモダン・ミュージック」から「音楽そのもの」へ〉。記事のリードは〈『async』『12』へと到達した坂本の音楽宇宙を浅田彰が解析する〉。

5頁にわたる文章なのですが、〈音楽の「もの派」〉という小見出しをたてています。その一節を引用します。

〈話を戻せば、こういうわけで、坂本さんはもちろん李さんのことを知っていたわけですが、『レヴェナント』や『async』の段階であらためて「もの派」のアーチストである李禹煥と出会い、自分も「もの派」の音楽家なのだ、という時間を持ったんですね。ノイズを排したサウンドをきれいに構造化する音楽ではない、ノイズとサウンドの区別がない世界の響き自体を「もの」として捉え、それらを時空に配置するだけでできる音楽を考える——李禹煥が、人間による意味づけや感情移入と無関係にごろっと転がっている石や木をそのままアートにするように。『レヴェナント』と「設置音楽展」を通じて坂本さんと李さんが出会い、二人の関係が深まっていったのは、運命的な感じがします。〉(引用は以上)

この記事も談話の書き起こしで、聞き手は雑誌『新潮』編集長の矢野優さんです。

タイトルの〈「ポストモダン・ミュージック」から「音楽そのもの」へ〉というのは、編集部が付したものではないかなあ。なかなか難しいのですが「音楽そのもの」というのがちょっと気になるのです。

つぎの文章中にある「単なる音楽」という言葉のほうがしっくりとします。

〈 (前略) しかし、『async』『12』では、坂本龍一は、仮面をつけて舞台に立つのではなく、素顔で吹きっさらしの野外に立っている。ポストモダンからモダンに回帰した? いや、「単なる音楽」に戻り、初めて素顔の音楽家、生身の音楽家として歩み始めたのだ、それはCODA(集結部)ではなく新しい始まりなのだ、と思います。〉(引用は以上)

坂本龍一が表現しようとした世界は、「音楽」と「音」との相互関係、というか往復運動のなかにあるのか。いや、往復というよりも、〈円環〉とか〈循環〉のイメージがふさわしいかもしれません。さらにそれが螺旋を描いて天にのぼるイメージか。

ここまでにしておきましょう。音や音楽のことを語るのに、雑誌記事の文章を引用して長々とつづるのは野暮でしょう。

あらためて、高山さんと坂本さんのご冥福をお祈りいたします。

今週はこれにて。


 

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新庁舎「基本設計」

旧気仙沼市立病院跡に建設される気仙沼市新庁舎の「基本設計」がまとまりました。6月10日の三陸新報は、つぎのように伝えています。


市役所

三陸新報6月10日記事の一部イメージ


この基本設計は、6月9日に市役所で開かれた市議会新庁舎建設調査特別委員会で市当局が示したそうです。

6月13日にはtbc東北放送のニュースをYahoo!ニュースが配信していました。


三陸新報も東北放送も、建設資材の高騰で事業費がふくらむことを伝えています。

三陸新報の記事によれば、「市当局は、基本設計を踏まえた概算事業費が99億8千万円と説明。設計途中の昨年10月時点では、物価上昇に伴う建設資材の高騰で、基本計画策定時(83億9千万円)より約10億円膨らむと試算していたが、さらに増えるとの見通しを示した」そうです。そして、事業費の抑制が課題になっていると。

◎6月14日付け気仙沼市発表

気仙沼市公式サイトでの発表がないなと思っていましたら、きのう6月14日付けでなされました。資料としてリンクをはっておきます。2つめの2023年4月付けの「基本設計説明書(概要版)」で、具体的な設計内容を知ることができます。

気仙沼市サイト「新庁舎建設基本設計」
基本設計説明書(概要版)2023年4月

◎「涼風にはためく旗」のイメージ

三陸新報や東北放送ニュースでも、南東方向からの外観イメージを紹介しています。ガラスばりによる大開口と曲面屋根が特徴的なデザインですが、この外観イメージは遠近感というかパースがききすぎて、実際よりも曲がりかたが強く感じられます。ほかの立面図をみると、ここまでのそりかたではないように思います。

この曲面屋根は、気仙沼の新しい「しるし」となるよう「涼風にはためく旗」をイメージしたそうです。パース図では、その〈はためく感じ〉を表現したかったのかもしれませんね。

◎設計業務の委託先

この新庁舎の設計を担当しているのは、久米設計・国際航業の共同事業体です。公募型プロポーザル方式で募集・審査され2022年3月に選定結果が発表されました。いずれも、建築設計と設計コンサルタントとして多くの実績をもつ著名会社です。

山口文象、岡田新一、石山修武、伊東豊雄といった著名建築家・事務所と気仙沼との関わりについてはつぎのブログで紹介しております。久米設計の仕事もここにならぶことになりますね。

2019年4月17日ブログ「気仙沼交流プラザ」

◎建設地発表は2020年1月28日

新庁舎の建設地を旧市立病院跡地とすることが発表されたのは2020年1月28日のことでした。八日町の現市役所の建て替えを望む声もあって、あっさりとは決まりませんでしたね。

2020年1月29日ブログ「市役所建設地発表」

今年になっても、市議会において計画に対しての異論などもあり、進行への影響が懸念されていました。まずはなんとか、基本計画の発表までこぎつけることができてなによりでした。

旧市立病院の解体工事は現在進行中。きのう6月14日の三陸新報によれば、先月末時点で7割の進捗状況とのこと。来年1月末完了予定です。

新庁舎については、2024年6月末までに実施設計業務を進めた後、2024年度後半に庁舎建設工事に着手します。業務開始は2027年度前半を予定しているとのことです。

資材費高騰など課題も多いこととは思いますが、解体も設計も建設も、安全に順調に進行することを願っております。どうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 気仙沼市役所新庁舎

2023年6月の「鰹」

6月1日の三陸新報に車屋さんの広告が掲載されていました。気仙沼市在住だった日本画家、本田鼎雪さんの「鰹」です。


6:1鼎雪 鰹
三陸新報6月1日掲載広告


このカツオは以前に紹介したことがあるなと思い調べてみると、2020年5月につぎのブログを書いていました。再掲します。


2020年5月25日ブログ再掲

鼎雪の「渾身の鰹」

本田鼎雪さんの作品が、(2020年)5月21日の三陸新報に掲載されていました。気仙沼市古町の古美術骨董店「車屋」さんの広告です。

本田鼎雪
三陸新報(2020年)5月21日掲載広告より


「車屋」さんの広告に登場した本田鼎雪さんの「鰹」という作品を紹介したことがあります。2016年12月5日のブログです。そして、その記事を読んでくださった三重県の「くらげ」さんという方からご連絡をいただいた話を翌年2月に「カツオがつなぐ縁」として紹介させてもらいました。

そうした記事のなかで記した本田鼎雪さんについて、ざっとおさらいしておきましょう。

本田鼎雪(ほんだ ていせつ)さんは、気仙沼で多くの絵を残した日本画家です。私たち気中20回生にとっては同級生の洋子さん(3年3組)のお父様。魚を画題とした絵も得意としていました。気仙沼市史第6巻「教育・文化編」の紹介文を以下に引用します。

◎本田 鼎雪(1910~1982)

 本名禎太郎。明治43年1月14日生まれ。昭和7年第1回東北美術展(河北美術展の前身)に「神濤」を出品し入選。昭和14から16年まで盛岡市および東北各地に居住し、この間、岩手県護国神社の壁画を作製した。帰郷して第6回、第8回海洋美術展に「蒼浪」「魚河岸」を出品入選したが、戦時中、資材入手困難のため一時画業を中断した。
 太平洋戦争後、美術界に復帰し、昭和24年、岩手美術連盟日本画幹事、宮城県美術連盟結成委員となり、第1回岩手県芸術祭美術展に当選、森口多里賞を受けた。昭和30年、日本芸術会会員の中村岳陵の指導を受け、仏画の研究に専念する。同43年には第29回日本画院展に「桜島黎明」を出品して入選し、以後連続して入選した。
 昭和52年、本田画塾水墨画教室を開設し、後進の指導にも当たり、日本画院に所属し、宮城県芸術協会会員、市文化財保護委員も務めた。
 鰹をはじめ、水産物の画も多く、その画風は静岡・高知・鹿児島にも名が知られ、後援会や展覧会が持たれた。
 昭和57年10月2日72歳で没。代表作には記述のほか、「叢竹」「忿怒群像」「立葵」「端午」がある。(引用は以上)

今回の広告の絵「渾身の鰹」は、タイトルからすると海中を渾身(こんしん)の力でおよぐカツオということでしょうか。2016年のブログのなかで気仙沼小学校の作法室に飾ってあった鼎雪さんの鰹の絵のことを書きました。その絵がちょうどこれと同じような感じだったような気がするのですが、なにせ60年以上前の記憶なのであてになりません。

郷土の画家の作品をその地元の人が大切にしているというのはとてもいい。そしてそれを手放すことがあっても、またほかの誰かがそれを受け継いでいければなによりのことです。

絵のサイズは「12号」と記してあります。たぶんP12号/606 X 455 mmだと思います。ご自宅のリビングあるいは書斎の壁にいかがでしょうか。

いったい価格はいくらぐらいなのか。私にはまったくわかりませんが、どうぞ関心のある方は車屋/菅原さんにお問い合わせください。どうぞよろしく。

2016年12月5日ブログ「日本画家 本田鼎雪」
2017年2月1日ブログ「カツオがつなぐ縁」
2018年月26日ブログ「車屋の菅原さん」
  

再掲内容は以上です。

ここからが本題です。はじめは同じ絵かと思ったのですが、微妙に違いますね。タイトルも今回は「鰹」、前回は「渾身の鰹」と異なっています。

鼎雪さんは魚を得意な画題としていましたが、なかでもカツオはよく描いたはずです。似たような構図の絵がいろいろとあるのでしょう。

2020年の広告に掲載された「渾身の鰹」はたぶんどなたかが購入されたのでしょうね。今回の「鰹」は〈新入荷〉かもしれません。

2023年6月の「鰹」、いかがでしょうか。
 

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tag : 本田鼎雪

食彩の王国 気仙沼

6月10日の朝、テレビ朝日「食彩の王国」。最後の次週予告に、最近なにかと話題のレストラン「sio」のシェフ戸羽周作さんの顔が。と思ったら違いました。気仙沼「臼福本店」社長の臼井壯太郎さんでした。その後には出船送りのシーンなども。

次週の「食彩の王国」は、「世界が認めた!美味“気仙沼のクロマグロ"〜食の未来は」です。





◎食彩の王国
テレビ朝日
6月17日(土) 9:30〜9:55

気仙沼の皆さんはテレビ朝日系列の東日本放送で見られるかなと思いましたが、同番組は放送されていないようですね。残念。

番組公式サイト

番組サイトの次回紹介文から、気仙沼関連部分を引用します。

◎「持続可能な気仙沼のクロマグロ

140年ほど前からマグロ中心の漁業をしてきた臼福本店の5代目・臼井壯太朗さん。将来も持続可能なマグロ漁を行っており“海の豊かさを守る”として「MSC海のエコラベル」を取得しています。

そんな臼井さんのマグロは観光地・松島にある、松島さかな市場でも大人気。クロマグロやミナミマグロ、さらに地元の海鮮と合わせた極上海鮮丼に、ニンニクの香りが食欲をそそるマグロステーキ重として楽しまれています。

◎未来へ繋げ!食を守るための苦労物語

今では持続可能なクロマグロの漁をしている臼井さんですが、それまでには様々な苦労が…。

2011年3月の東日本大震災で会社や倉庫などが壊滅的な被害を受け、最初の頃は1日1個のおにぎりで生活していました。その時「生きていく上で食べ物は欠かせないもの。持続可能なマグロ漁にするべきだ」と漁法や管理システムを見直したのです。

使う釣り針も海鳥などの混獲を防ぐ工夫を凝らしました。また、マグロは船に揚げたら迅速に処理。大きさや重さを測定し、記録してタグを付け、漁獲した数量を管理したのです。

さらに、子を持ったマグロが揚がった時は、人工授精させて洋上放流するなど、様々な取り組みをしました。その結果、クロマグロで世界初の「MSC海のエコラベル」を取得することができたのです。(引用は以上)

このあと、認証を受けたクロマグロを世界で初めて使用しているパークハイアット東京が紹介されます。ホテル内にあるレストラン「ジランドール」の料理長・堤耕次郎シェフが臼福さんのクロマグロを使ってのフレンチの一皿に。

臼井壯太朗さんが、その〈渾身の一皿〉を味わうことになるのでしょう。

どのように放送になるのか。楽しみです。

参考:
「食彩の王国」の気仙沼関連放送を本ブログで2度紹介しております。2016年はメカジキ、2019年は「森は海の恋人」です。ご参考まで。

2016年28日ブログ「食彩の王国:メカ」
2019年6月12日ブログ「三河湾の海の復活」
 

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小原木 編み物講座

7月に気仙沼市唐桑町の小原木(こはらぎ)公民館で気仙沼ニッティングさんによる「編み物講座」が開催されるそうです。気仙沼ニッティングと小原木公民館の共催。気仙沼市のLINEで知りました。


編み物講座


気仙沼ニッティングの編み手さんが教えてくれる3回シリーズの編み物講座。今回は、冬に向けての手袋を編むとのこと。

◎開催日時:
第1回 7月4日(火)
第2回 7月11 日(火)
第3回 7月18 日(火)
いずれも午後1時30分から3時まで

◎会場:小原木公民館(気仙沼市唐桑町舘68番地)
◎講師:気仙沼ニッティング
◎参加費:2000円(材料代)
◎持ち物等:
編み針を 2 セット使用します(5号短4本棒針・6号短4本棒針)
無い方にはご用意できます(2000円)
◎募集人数:15名
◎申込締切 6月23日(金)午後5時まで
◎申 込 先 小原木公民館 0226-34-3261


これはとてもよい催しですね。

気仙沼ニッティングさんのサイトにある「海とセーター」には、ある編み手さんの話が紹介されています。「父は、カツオ船の漁師でした。一度漁に出ると何ヶ月も家に戻りません。そんな父は、船の上で時間をみつけては、セーターを編んでいたらしいのです。ロープワークや漁網の補修に慣れていたので、当時の漁師は、編み物が得意でした」と。

そしてこのページでは、ふたつの映像イメージが重なりあいます。漁網を修理する漁師さんと気仙沼ニッティングの編み手さんの手の動きが同期/シンクロしているのです。

こうした気仙沼の漁師、漁船員と編み物とのつながりというか親和性が、気仙沼ニッティング創業の背景にありますし、そのブランドストーリーの一部になっているようにも思います。漁師や漁師町の文化から生まれた気仙沼ニッティングというような。

そして今回の編み物講座。これは編み手さんが小原木の皆さんに手ほどきするわけですね。つまり、気仙沼ニッティング誕生の経緯とは、ある意味で逆方向の動きかと。それがとてもいい。自分たちを果実となるまで育ててくれた豊かな土壌に、新たな種が蒔かれるイメージを感じます。

◎三國万里子さんの手袋

今回編まれる手袋は、2012年8月25日と26日に「気仙沼のほぼ日」でおこなわれたワークショップで編まれたものと同じだと思います。2012年の講師は、気仙沼ニッティングの商品デザインを担当してくださっている三國万里子さんでした。つぎのほぼ日さんの記事にも紹介されています。

ほぼ日/いいものを編む会社。——気仙沼ニッティング物語

気仙沼ニッティングにとって、そして気仙沼にとってもシンボリックな意味をもつ手袋ですね。

7月4日から3回、毎週火曜日の開催です。どうぞご参加ください。

2015年8月21日ブログ「種をまく仕事」

 

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tag : 気仙沼ニッティング

黒山島『茲山魚譜』

三陸新報での川島秀一さんによる不定期連載「島わたりの記」137回目は「黒山島(フクサンド)(韓国)」でした。記事タイトルは〈「茲山魚譜(チャサンオボ)」が生まれた島〉。6月2日と3日の上下2回にわけて掲載されました。

◎発酵食品「ホンオフェ」の印象

6月2日の記事(上)では、2016年8月の韓国訪問の様子が紹介されます。川島さんは金浦空港から木浦(モッポ)に行って泊まり、翌朝に船で黒山島に向かいました。

黒山島の名物は「ガンギエイ」です。日本では一般に「カスベ」と呼ばれる魚種とのこと。そしてガンギエイ料理「ホンオフェ」が紹介されます。エイを20日くらい低温で発酵させたもの。川島さんはその印象をつぎのように記しています。「口の中で便所が爆発して鼻から抜けるような感じ」だったと。川島さんの文章には、静かなユーモアを感じることがありますが、これもそのひとつでしょう。

◎古文献『茲山魚譜』

6月3日の記事(下)では、同島における捕鯨の歴史に関する話のあと、古文献『茲山魚譜』(チャサンオボ)が紹介されます。


6:3鮎貝房之進

三陸新報6月3日記事の一部イメージ


『茲山魚譜』に関する文章を引用します。

〈 この黒山島は、朝鮮の水産関係の古文献のなかでは一級資料とされる『茲山魚譜』が創られた島である。朝鮮時代の丁若銓(チョンヤックジョン)が、1801年の天主教弾圧事件により、黒山島で16年間、配流生活をしていたときに、近海の水産物について調査研究し、それを体系的にまとめた博物誌である。

この『茲山魚譜』を、1977年に初めて日本語に訳し出版したのは鄭文基(チョンムンギ)(1898〜1995)である。鄭が日本での留学を終え、朝鮮総督府水産課に勤務時代に、この文献を見せ、持ち帰って研究するようにと指導したのは、当時、ソウル南山(ナムサン)の麓に住んでいた、気仙沼出身の鮎貝房之進であった。その後、鄭は日本に渡り、渋沢敬三などとの交流を続けながら、ようやく戦後になって出版までこぎつけたわけである。〉(引用は以上)

「茲山(チャサン)」とは、黒山島のこと。鄭文基の『茲山魚譜』研究のきっかけをつくったのが鮎貝房之進だったのです。

◎落合直文の弟 鮎貝房之進

気仙沼の多くの人が知っていることとは思いますが、この鮎貝房之進(号は槐園/かいえん)は落合直文(鮎貝盛光)の弟です。古代朝鮮の歴史・民俗の研究で知られており、歌人でもありました。長兄は気仙沼町の初代町長や松岩村長などもつとめた鮎貝家13代目の鮎貝盛徳(号は松園)です。

私はこれまで、長男が鮎貝盛徳、次弟が落合直文(鮎貝盛光)、末弟が鮎貝房之進であるとブログに記してきました。実際のところ、そのように紹介されることが多いのです。しかし、『定本落合直文綜合歌集』(伊藤文隆編著)掲載の略系譜をみると、3兄弟の順番はあっているのですが、次弟や末弟の表現はちょっと違うかもしれません。盛徳と直文の間に鶴次郎がいますし、房之進のあとには3人の弟も。男女含めて10人兄弟姉妹なのです。このあたりの話はまたあらためて。

この『茲山魚譜』日本語訳本の出版に鮎貝房之進が関わっていたという話は、魚と縁の深い気仙沼出身者としてうれしいですね。秀一さんも同様でしょう。

◎映画『茲山魚譜 チャサンオボ』

『茲山魚譜』については、2021年にイ・ジュニク監督による同名の映画が公開されています。川島さんは、新宿と仙台で2度見たとのこと。名画だったと。

Amazonでの紹介記事には、つぎのように。「最果ての海には、幸せがあった 生きる意味を追い求めた二人の絆を、実話を基に描いた感動の物語」。

ほかのネット記事には、天才学者である丁若銓(チョンヤックジョン/チョン・ヤクチョン)と向学心旺盛な若き漁師チャンデの師弟関係を描いたドラマであるとも。





川島さんは上下2回の記事を、『茲山魚譜』に関するつぎの説明で結んでいます。

「黒山島へ島流しになった学者、丁若銓が、16年間をかけて、若き漁師の昌大から、聞き書き調査を行った集大成の書であった。」

読んでいて、丁若銓と民俗学者川島秀一のイメージが重なりました。

今週はこれにて。


1月19日ブログ「河北文化賞贈呈式」

 

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tag : 川島秀一

統合計画 説明不足

6月2日の三陸新報に、気仙沼市立条南中学校と気仙沼中学校の統合準備会が5月31日に始まったとの記事が掲載されていました。その後、どうしたかなと思っておりましたので、まずはよかった。

〈その後〉というのは、5月9日の気仙沼市議会における両校統合に関する条例改正案可決の後という意味合いです。この市議会の議決については、5月10日の三陸新報がつぎのように伝えていました。

5:10

三陸新報5月10日記事の一部イメージ


この記事のなかに気になる記述がありました。4月12日の条南中学校区の地区懇談会で統合への了承が得られた後に、条南中学の一部生徒から統合反対の署名が気仙沼市教育委員会などに出されたというのです。

私は、ちょっと面倒なことになったなと感じました。話がこじれなければよいがと。そんなことで、部外者である私は意見を控えておりました。一部生徒からの署名というのも詳細がわからないだけになんとも微妙な印象。これ以上はさわるべきではないのでしょうね。

上掲の記事の翌日5月11日の三陸新報では、阿部容典さんの署名記事が掲載されました。

5:11

三陸新報5月11日記事の一部イメージ


阿部記者は、2022年8月28日の三陸新報「ニュースを追って」で、「支援ピアノのその後」を伝えてくれました。学校関係を詳しく取材されているのでしょう。このブログでも記事を紹介しました。

5月11日の記事は、条南中と気仙沼中の統合問題の現状と課題をわかりやすく説明していると思います。そのなかに、市教育委員会の考えが紹介されていました。「これまでの統合議論は、保護者、地域住民が主体だった。子供を議論に巻き込むことは、子供同士の分断を招きかねず、配慮しなければならないとの思いが市教委には強くあった」と。

子供を議論に巻き込むことはしないという考えは理解できます。私は、統合に対する意見を生徒にたずねる調査などもすべきではないと思っています。たとえば、結果公表をするしないは別として、単純な賛否が51:49になったことを想像してみれば、その扱いの難しさを理解していただけるでしょう。

結局、生徒に対しての説明が不足していたということなのでしょうね。

しかし、説明が不足しているのは生徒に対してだけでしょうか。統合計画に関する市民に対しての教育行政側からのコミュニケーションが決定的に不足しています。

小中学校統合に関する「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」の日付は2016年5月。7年も経つのに、そのわかりやすい説明が市のサイト上になぜないのか。大人の市民に向けた説明がしっかりとなされていれば、それを小学生向け、中学生向けにわかりやすい内容とすることもできるはずです。

5月11日の三陸新報記事には「教育委員会が条南中の全校生徒に対する説明会を開き、教育長が不安を抱かせたことを謝罪するという異例の事態となった」とありました。

教育委員会の条南中生徒に対する説明会では、気中との統合目的や意義も〈中学生向け〉にわかりやすく話されたことでしょう。その内容を広く市民にも伝えたらどうでしょうか。〈大人向け〉に書き直す必要もないでしょう。

皮肉ではなく、本当にそう思っています。

2022年12月13日ブログ「条南中の統合問題」
4月17日ブログ「条南中の統合合意」

◎河北新報の記事

この条南中と気仙沼中の統合計画については、5月27日の河北新報オンラインでも記事を配信していました。〈リポートみやぎ〉というニュース枠で有料記事(登録すれば1日1本までは無料)ですので、地元紙とは違った視点を期待したのですが、正直ものたりなかった。記事の後半部分を引用します。

〈 残る再編計画も難航している。当初2017年4月までの統合を目指した月立小と新城小、21年度までを目指した大島小と鹿折小、大谷中と階上中の計画は凍結状態にある。関係者によると「地域の象徴が失われる」といった声が根強く、市教委は本年度、再編の進め方を再検討する方針だ。
 ある市議は「人口減少を考えれば統合はやむを得ないが、既存の地域コミュニティーを壊すことがないよう配慮してほしい」とくぎを刺す。〉(引用は以上)

地元の学校が統合によって閉校されることに対して「地域の象徴が失われる」という声があるのは当然でしょう。その気持ちはよくわかります。しかし、そうした地元の声も十分にわかったうえで定めたのが2016年5月の「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」だったと思います。

この藤井かをり記者の署名記事からは、統合やむなしとしなければならない地元の苦渋が十分には伝わってこないような。また、末尾をある市議の話を引いて〈くぎを刺す〉としたのも残念。教育行政に対しての〈くぎ〉であると思うのですが、複雑な課題、問題に対しての刺さり方がなんとも浅いというのが率直な印象でした。

取材を受けた市議も小中学校の統合がなかなかに難しい課題であることは承知のはず。そのうえで、今後の地域コミュニティの存続についての方策など、どのような意見をもっているのかを知りたかった。

なんか話がしつこくなってごめんなさい。藤井記者には、是非この統合計画に関する取材をさらに進めて、河北新報らしい記事の執筆、掲載を期待しております。どうぞよろしくお願いいたします。

4月25日ブログ「河北新報 藤井記者」

 

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tag : 条南中学統合問題

ゴールデンウィーク

今日はもう6月7日。一か月前はゴールデンウィーク最終日でした。大型連休ということでしたが、私たち夫婦は特に旅行に出かけることもなく、都内での展覧会をゆっくりと。

5月3日は、駒場の日本民藝館「美しき漆 日本と朝鮮の漆工芸」へ。民藝館は何度も訪れている大好きな場所です。仕事場からはサイクリングコースですが、井の頭線「駒場東大前」から歩くとまた別の趣があります。帰りは近くの日本近代文学館「島崎藤村の世紀」も。

5日には東京・丸の内へ。KITTE(キッテ)丸の内「インターメディアテク」での特別展示「東京エフェメラ」に。「エフェメラ」とは、一時的な筆記物や印刷物のことだそうです。役割を終えたら捨てられる類のものを指す言葉であるとWikipediaにありました。古書店でいうところの〈紙もの〉的なヤツかな。

展示会場の入口近くの陳列品をみておどろきました。雑誌『新宿プレイマップ』が並べられていたのです。写真撮影可がうれしい。




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同誌は1969年創刊で、〈タウン誌の元祖〉と称されることも。私は仙台で浪人していたときに読み始めたと思います。発行は「新宿PR委員会」で、発行者として新宿の紀伊国屋書店社長だった田辺茂一さんの名があったはず。編集長は本間健彦さんです。本間さんは雑誌「話の特集」の編集者だったこともありました。

上の2枚の写真、左下2冊と左上1冊はは横尾忠則さんのデザイン。ほかの号は湯村輝彦さんのイラストレーションが多いですね。写真にうつっている号はみな持っていましたが、すでに古本屋へ。

KITTE丸の内は、東京駅丸の内南口前のJPタワーにある商業施設。旧東京中央郵便局舎の一部が保存・再生されています。「KITTE」は切手から、「JP」はJapan Post(日本郵便)からですね。

さて、今日のブログには気仙沼の話がはいっていないよねと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

Don’t worry, 安心してください。はいってますよ(これからだけど)。

KITTE丸の内をあとにした私たちは有楽町まで歩きました。JRで一駅分。そして交通会館の地下1階へ。ここには昨年7月10日にオープンした気仙沼・久慈・福島 情報ステーション「おかえり館」がテナントしてはいっているのです。もう少しで開設1周年ですね。

そして「おかえり館」で私たちが購入した気仙沼産品は、横田屋本店さんの海苔と冷凍の刺身ホヤ、そして大菊(だいきく)さんの炭火手焼ふりかけです。

「おかえり館」公式サイト

インターメディアテクでは、東京大学の学術標本の常設展示を無料で見ることができます。上で紹介したような特別展も同様。こんなに充実した内容を無料で拝見していいのだろうかと思うほどの質と量を感じます。気仙沼からの東京出張時に時間があればぜひに。一度といわずに何度でも。ある種の〈穴場 あなば〉かと。

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以上、報告が遅くなりましたが、無理矢理に気仙沼を入れ込んだ私のゴールデンウィークレポートということで、本日は失礼いたします。
 

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tag : おかえり館

2019年のパプリカ

『すずめの戸締まり』上映会での新海誠監督の舞台挨拶については、6月1日ブログ「うしろめたさの感情」でも紹介しました。

この新海監督の挨拶内容は、三陸新報が5月31日から3回にわたって連載記事で紹介してくれました。1回目の記事はこんな感じ。


5:31三陸新報

三陸新報5月31日記事の一部イメージ


このなかに新海監督のつぎの言葉が紹介されていました。〈娘が「フーリン」というグループでパプリカという曲を歌っていた2019年、気仙沼小体育館のイベントで踊ったこともあり、気仙沼に対しては何となく、身近な雰囲気を勝手に味わっていました〉。

娘さんがFoorin(フーリン)のメンバーだったというのです。驚いた。調べてみると、お名前は「新津ちせ」さん。最近は、木村佳乃さんと一緒にKUMON(公文)のCMにも出演しています。あの子が新海監督の娘さんだったんだ。

FoorinがNHK「明日へ in 気仙沼」企画のひとつとして、気仙沼小学校で「パプリカ」を歌ってくれたのは、2019年12月1日のこと。イベント名は「Foorinとパプリカをおどろう!」です。番組は2020年1月に放送されました。このブログでも紹介したので再掲します。画像の右端にうつっているのが新津ちせさんです。


2020年1月13日ブログ再掲

パプリカ in 気仙沼

子どもたちに大人気の「パプリカ」。先日のNHK紅白歌合戦の冒頭でも、多くの出演者も参加してダンスを踊っていました。

この「パプリカ」は米津玄師(よねづけんし)さんの作詞・作曲で、小学生5人組のFoorin(フーリン)が歌います。

このFoorinが、気仙沼で80人近くの子どもたちと一緒に歌って踊ってくれました。このブログでも紹介したNHK「明日へ in 気仙沼」企画のひとつです。

その昨年(2019年)12月1日の収録内容が5分の番組に編集され既に1月4日に放送されています。そして本日1月13日の昼と夜に再放送されますのでご紹介します。5分間の番組です。

パプリカ

◎明日へつなげよう × パプリカ in 気仙沼

(2020年)1月13日(月・祝)
NHK総合テレビ
①午後0:40~0:45②午後6:40~6:45

「パプリカ」は、NHK2020応援ソングプロジェクトの曲として、一昨年7月に発表されました。そしてNHK「みんなのうた」2018年8月・9月の曲にも。さらに米津玄師さんのセルフカバーは2019年8月・9月の曲でした。1年半にもわたるまさに大ヒット。昨年末には日本レコード大賞も受賞しています。

2020応援ソングプロジェクトは、「あしたにたねをまこう!」とのメッセージをかかげ、2020年とその先の未来に向けて頑張っているすべての人を応援していくプロジェクトとのこと。東京オリンピックの直接的な応援ソングということではないようですが、同プロジェクトは東京2020公認プログラムとして認証されています。

営利目的での販売ができないことから、ソニーミュージックレコーズのCD販売収益や米津さんへの印税(著作権使用料)などは「スポーツ振興基金」へ寄付され、次世代アスリートの育成などに使われるそうです。

最後に、NHKがYouTubeに公開した映像をあげておこうと思ったのですが、うまく埋め込みができません。こちらからどうぞ。

なかなかいい曲ですよね。視聴回数はなんと1億6千万回近くになっています。

ほんではオレも、ラジオ体操がわりにちょっと踊ってみっぺが。あんだもやってみらいん(笑)

なお、米津玄師さんのパプリカ/ミュージックビデオについては、いろいろと感ずることが多く、明日あらためて。

(再掲内容は以上)

再掲記事末尾に記した、「パプリカ」を作詞・作曲した米津玄師(よねづけんし)さんに関する話はつぎのブログにて。

2020年1月14日ブログ「米津玄師 パプリカ」


ひさしぶりに「パプリカ」の動画をみてみると、最年少メンバーだった新津ちせさん(ちせちゃんといったほうがいいかな)にまだ幼さがのこっておりとても可愛い。2019年収録だとして約4年前ですものね。

なお、2020年1月時点で1億6千万回近くと紹介したYouTubeでの動画再生回数は本日2023年6月6日時点で2億4千万回になっていました。おどろいた。

新海誠監督が語ってくれた気仙沼と娘さんの関わりに関するちょっとしたエピソード。気仙沼とのご縁がさらに深まったような感じがして、とてもうれしいです。ありがとうございました。
 

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tag : すずめの戸締まり新海誠パプリカ

千晶さんの「報告」

新たな1週間のはじまりです。明るい話題というかうれしい話を紹介させてください。本日6月5日の佐藤千晶さんのツイートです。千晶さんは気仙沼出身のアナウンサー。


千晶さんとは、昨年10月16日に浅草「梅と星」で開催された公文健太郎さんのトークイベントでお会いしました。公文さんは、気仙沼漁師カレンダー2023の写真を撮影してくださいました。

しかし今年3月ごろから千晶さんのTwitter投稿がほとんどなく、Lucky FM茨城放送「ダイバーシティニュース」の火曜日キャスターも休んでいます。どうしたのかなと思っておりました。そして、〈もしかすると〉などとも。あたりでしたね。

私と同じように千晶さんはどうしているかなと思っている方も多かったのではないかと。そんなことで、千晶さんも体調が落ちついてきたこの時期の報告ツイートにしたのでしょう。

千晶さんは、気仙沼高校関東同窓会の懇親会では何年にもわたって司会をつとめてくださっています。来月7月1日に、4年ぶりとなる同窓会が開催されることを以前に紹介しました。しかし、千晶さんの司会はさすがにないでしょう。お会いできないことは残念ですが、また別の機会にぜひ。

千晶さん、どうぞ無理をせずに体を大切にしてお過ごしください。秋が深まったころ、大きな喜びに満ちた日を迎えられるよう願っております。

2020年10月12日ブログ「千晶&順平の結婚」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 佐藤千晶

祝!高崎卓馬さん

カンヌ国際映画祭で、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』で主演した役所広司さんが男優賞を受賞しました。役所さん、おめでとうございます。

この受賞に関して、ヴィム・ヴェンダース監督を〈ドイツの巨匠〉とする記事が多かったように思います。いま77歳とのこと。彼の作品『パリ、テキサス』は1984年作品ということなので38歳のころだったと知っておどろきました。

私は同作品のカンヌ出品を高崎卓馬さんの5月26日ツイートではじめて知りました。高崎さんと気仙沼の関係は後述します。


高崎さんは映画祭の公式ツイートを引用して〈ついにここまで辿り着きました〉と。2枚目と3枚目の写真の左端が高崎さんです。

高崎卓馬さんはこの作品のプロデューサーのひとりで、ヴィム・ヴェンダース監督とともに脚本も担当しました。

私は高崎さんについて9年前2014年5月のブログでは、(株)電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターで、日本広告業協会の「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」を2010年と2013年に受賞している方と紹介しました。

現在はどうなのか、調べてみると電通グループの組織体制も大きく変わっています。そして高崎さんはいま、電通ジャパンネットワーク(事業ブランドはdetsu Japan)のグロース・オフィサー。この役職は、同社グループの日本事業における成功事例の創出を先導する役職として昨年1月に設置されたとのことです。電通グループのクリエイティブを統括する役割に変わりはないでしょう。この映画と電通グループとの関係などの詳細については略します。

◎高崎卓馬さんと気仙沼

前置きが長くなりましたが、高崎卓馬さんと気仙沼との関わりを紹介しましょう。

まず、2012年に気仙沼の酒造会社「角星(かくぼし)」の斉藤嘉一郎社長が、低アルコール純米吟醸酒のリニュアルを「ほぼ日」さんに相談します。そして、高崎卓馬さんに話がつながり、全体のコンセプトとネーミングを担当してくださいました。パッケージデザインはデザインオフィス「KIGI(キギ)」の植原亮輔さんと渡邉良重さん。いずれもボランティアでのお手伝いでした。

詳しい話はつぎのブログで紹介しましたので再掲します。


2014年5月12日ブログ再掲

高崎卓馬さんの話

(2014年5月)6日に小山修司君(3年5組)の〈亀洋丸〉の話を書いていたときに、思いだしたことがあります。〈高崎卓馬さんの話〉をブログで書くのを忘れていた!

昨年の11月に紹介した、修司君の妻 容子さん(5組)の実家〈角星〉が発売した日本酒〈NAMI〉と〈UMI〉にまつわること。

なみとうみ
角星オンラインショップの〈NAMIとUMI〉画像


角星さんが〈まなみ〉という低アルコール純米吟醸酒のリニュアルを〈ほぼ日〉さんに相談したところ、高崎卓馬さんに話がつながります。そして高崎さんからKIGIへとつながり、ボランティアでのものすごいプロジェクトチームができあがったという話です。

その高崎卓馬さんが、本年3月に、日本広告業協会の〈2013年クリエイター・オブ・ザ・イヤー〉を受賞しました。2010年次に続く2度目の受賞です。

高崎さんは、(株)電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター(ECD)、CMプランナーとして活躍しています。ECDは、広告などの表現や制作に関しての責任者といってよいでしょう。

〈2020年オリンピック・パラリンピック東京招致〉を実現するためにさまざまな施策を立案・実施し、最終プレゼンテーションの映像を含めた東京招致に関る作業をトータルに手がけたこの歴史的な功績に加え、「“すべての仕事が日本代表”というにふさわしく、数多くの記憶に残るクリエーティブワークで人々を魅了した」ことによる受賞とのこと。

高崎さんは2010年にも同賞に選出されています。その発表は、2011年3月28日のことでした。今回2013年次の受賞にあたって、高崎さんは次のように語っています。

「前回この賞をいただいたのは震災の直後でした。この賞の力を借りて、自分にできることを精一杯やってきました。今回またいただいたということは、まだまだやりなさいと言われているのだと思います。この賞がくれる力をきちんと、正しく使うようにしたいと思います。がんばります。」

高崎さんは今年もJR東日本の〈いくぜ、東北。〉のCMをてがけています。高崎さんの受賞にあたっての言葉を読むと、気仙沼〈角星〉のお手伝いも、震災後の〈自分にできることを精一杯やってきた〉ことのひとつなのだなあと感じます。本当にありがたい。

前回のブログと同じく、最後に〈NAMI〉と〈UMI〉について高崎卓馬さんが書いたコピーを紹介します。

ここ気仙沼は、
それでも海と生きていく。
それでも波と生きていく。
なにひとつ忘れずに、
乗り越えていく。
このお酒がその証になりますように。
ナミとウミ。
美しい姉妹の物語をもった
新しくて飲みやすい
低アルコール日本酒を
どうぞよろしくお願いします。

このコピーには、高崎さんの〈海と生きていく気仙沼を、どうぞよろしくお願いします〉という強い応援のメッセージを感じます。

遅ればせながら、高崎卓馬さんの〈2013年クリエイター・オブ・ザ・イヤー〉受賞をお祝い申し上げます。今後とも、気仙沼をどうぞよろしくお願いいたします。

2013年11月26日ブログ「NAMIとUMI」
ほぼ日「NAMIとUMIの物語。」


再掲内容は以上です。


ブログの末尾にリンクをはってあるほぼ日「NAMIとUMIの物語。」を読むと、2012年8月に高崎さんやKIGIの皆さんが気仙沼を訪れています。11年前のことになりました。

◎ふたつのカンヌ・フェスティバル

広告の世界で「カンヌ」といえば、カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルのこと。2011年までは「カンヌ国際広告祭」という名称でした。高崎さんがカンヌ国際広告祭にはじめて行ったのは20代後半のことだったようです。その後、制作に関わった広告が何度も受賞しているはず。

そんなことで、高崎さんにとってカンヌは、勝手知ったる場所だと思うのです。しかし、今回は〈広告〉ではなく〈映画〉。

そのカンヌ国際映画祭で、あのヴィム・ヴェンダース監督とともにRed Steps/レッドカーペットの上に立ったときの気持ち。それが、5月26日ツイートの〈ついにここまで辿り着きました〉ということだったのではないでしょうか。

その感慨、喜びを思うと、本当によかったなと。高崎卓馬さんのカンヌ「パーフェクト・デイズ」にお祝いを申し上げます。祝!高崎卓馬さん。おめでとうございます。


参考:2015年には、JR東日本 東北新幹線「行くぜ、東北。」がカンヌライオンズ/デザイン部門ゴールド(金賞)を受賞しています。東日本大震災による被災地復興がキャンペーンの大きなテーマでした。「行くぜ、東北。」についてはつぎのブログでも。千葉和夫君(3年11組)の思い出なども。

2014年7月3日ブログ 「行くぜ、東北」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 高崎卓馬

うしろめたさの感情

5月24日に気仙沼市民会館でおこなわれた『すずめの戸締まり』上映会では新海誠監督の舞台挨拶がありました。どんなことを話してくださったのだろう。そう思って、私が気づいた範囲での配信記事などをこのブログでも紹介しております。

そしてきのう5月31日の三陸新報には、新海監督の挨拶要旨を紹介する連載記事が掲載されていました。昨日と本日そして明日の3回連載でしょう。

この連載記事にもとても興味深い話がたくさんありますが、本日は、きのうYahoo!ニュースが配信してくれた毎日新聞の記事を紹介します。


見出しに〈監督の「うしろめたさ」〉とありました。〈舞台あいさつに訪れた新海監督は、作品の根底にある「被災地へのうしろめたさ」と「東日本大震災にとらわれ続けてきた」胸の内を語った〉と。

詳しくは記事を読んでいただきますが、新海監督はつぎのように語ったそうです。

〈12年前の地震発生時、東京でアニメを作っていたという新海監督は「どうして自分たちでなく東北だったんだろう、といううしろめたさがずっとあった」。もしも自分が被災者と入れ替わったら、と考えて16年に「君の名は。」を製作し、19年には震災が基底にある「天気の子」を作ったが、その思いは消えずにいたという。〉(引用は以上)

◎「おかえりモネ」の連想

この東日本大震災をめぐる新海監督の「うしろめたさ」の気持ちを知って私が連想したのはNHK「おかえりモネ」のことでした。

主人公であるモネが、〈あの時に、ここにいなかった〉ということから生じる複雑な感情。それは、このドラマの脚本を担当した安達奈緒子さんの気持ちとも重なっているのではないかと思います。

2022年11月3日に気仙沼のPIER7でおこなわれた同ドラマ演出陣のおひとり梶原登城さんのトークイベントがありました。その内容を紹介した三陸新報の記事に、〈梶原さんは脚本家の安達奈緒子さんがドラマ中盤まで「震災」という言葉を使えなかったことに触れ、「安達さんは、震災を経験していないことに引け目を感じ、軽々しく使用できずにいた」〉とありました。このことについては、つぎのブログで記しております。

2022年12月16日ブログ「梶原登城さんの話」

「うしろめたさ」の感情というのは、気仙沼で大震災を経験したひとたちとも無縁ではないでしょう。それだけに上映会後の新海誠さんの気持ちの吐露は多くの人の心にしみいったと思います。

新海誠監督の『すずめの戸締まり』は、NHKドラマ『おかえりモネ』と同じく、気仙沼にとってとても大事な作品となりましたね。本日はそのことをお伝えしたく。


なお、毎日新聞記事の写真には会場後部壁面にはられた横断幕がはっきりうつっていてうれしかった。「すずめの戸締まり」新海誠監督 ようこそ気仙沼へ。

舞台上部にも掲げられた横9メートルのウェルカムバナーは、ホタルの会のメンバーのひとりで書家の武山櫻子さん(3年9組)が揮毫しました。櫻子さん(というか同級生にとっては美加(みゆき)ちゃんだけど)によれば、上映会後、新海監督からのご所望があり、2枚とも会のメンバーで梱包して送ったとのことです。〈ようこそ気仙沼へ〉という皆さんの気持ちが監督にしっかりと届いたようです。

5月30日ブログ「新海誠監督に感謝」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : すずめの戸締まり新海誠おかえりモネ

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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