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天旗まつりポスター

5月28日の第34回「天旗(てんばた)まつり」は無事終了したようでよかったです。4年ぶりの開催だったとのこと。このイベントについて、気仙沼さ来てけらいんWEBさんが5月25日、つぎのようにツイートしていました。


「ポスターの絵 よく見ると面白いです!」と書いています。これはホント同感。以前のブログでもそのことを書いたなあと思い調べてみると2019年6月4日の記事でした。ただし、今回のポスターと4年前のポスターとではちょっと違っているようです。よくみると画像下部に「令和5年修正」との記述がありました。

以前のポスターと比較するために、2019年開催の第32回天旗まつりのポスターを紹介したブログ記事を再掲します。


2019年6月4日ブログ再掲
気仙沼天旗浮世絵

(2019年)5月26日、気仙沼の岩井崎園地で「気仙沼天旗(てんばた)まつり」が開催されました。昨年は9月に予定されていましたが台風24号の接近が予想されために中止となり、今回は2年ぶりの開催となりました。

5月24日の三陸新報にこの天旗まつりの案内広告が掲載されていたのですが、そこにつぎの凧あげの浮世絵が掲げられていました。公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」内のチラシ画像にも同じものがありました。「気仙沼天旗空之水族館」です。


天旗まつり

気仙沼観光コンベンション協会のチラシ画像より


気仙沼伝統の日の出凧をあしらいながら、空にはカツオやサンマなどの凧もあがっています。ホヤぼーやは空だけでなく陸にも。すでにある凧揚げの浮世絵/錦絵を素材として気仙沼の絵柄を組み込んでいるわけですが、無理がなく自然な感じで素晴らしい。

絵の下につぎの引用説明がありました。「この浮世絵は、『東京名所四十八景』「筋違御門うち凧あそひ」昇斎一景 画と、『子供遊び凧の戯』 一交斎小芳盛 画より引用し作成しました」と。なるほど。原画を知りたくなりました。調べてみたらつぎの2点です。


まずは『東京名所四十八景』「筋違御門うち凧あそひ」昇斎一景 画を。出典

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つぎに『子供遊び凧の戯』部分 一交斎小芳盛 画を。出典

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上の絵を背景にして、下の絵にある子供たちを組み込み、空を水族館に見立てて魚を配したというわけですね。うまいよねえ。画像処理ソフトを使って、切り抜いて貼り付けるということでしょうが、口でいうほど簡単ではないでしょう。消したり足したり重ねたり、そしてなじませたり。

凧揚げの浮世絵を使って気仙沼の天旗風景を再構成しようというアイデア。それを実際に形とするテクニック。両方がそろって見事な〈作品〉ができあがりました。

この浮世絵イラストは昨年2018年の天旗まつりポスター/チラシでも使われていました。この年の催事そのものは残念ながら中止となりましたが、この〈浮世絵〉は評判がよくて今年もといったところでしょうか。どなたがつくったものかわかりませんが、本当に感心しました。ご存じの方がいらっしゃれば是非そのようにお伝えいただければと。

昨年の天旗まつりに際しては、三陸新報に掲載された、角星さん、プラザホテルさん、ホテル観洋さんの屋号凧をうまく使った広告のことをブログに記しました。これも遊びがあってとてもよかった。

天旗まつり関係者のなかになかなかの趣味人、才人がいらっしゃるのかもしれませんね。おかげでこうして楽しませてもらいました。

2018年10月1日ブログ「天旗まつりの広告」

(再掲内容は以上)

今年のポスターをあらためてながめてみると、ホヤぼーやが会場を前とは違うところを走り回っているようすもなかなかですね。あっちこっちにというイメージ。

ポスターの制作者をはじめ、天旗まつり関係者の皆さま、ご苦労さまでした。回を重ねるごとに気仙沼の伝統行事としての価値が高まっている感じがいたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
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tag : 天旗まつり

新海誠監督に感謝

きのうに続いて、5月28日の「すずめの戸締まり」気仙沼プレミアム上映会の話です。当日、新海誠監督は気仙沼に宿泊されました。一泊二日。

そしてきのう5月29日の午後3時半にはつぎのツイートを。JR一ノ関駅での新幹線乗車前という感じでしょうか。


ホヤぼーやをフィーチャーしての画像。ありがたし。ツイートの文章を引用させてもらいます。

〈気仙沼での舞台挨拶後、昨夜は三陸のお酒をたくさん呑み、地元の方に12年前の話をたくさん聞きました。僕は今まであの日のことを勝手に考えながら勝手に映画を作り続けてきて、今日になってやっと、『すずめ』を作れて良かったと今までよりは大きな声で言えそうです。上映会、本当にありがとうございました。〉(引用は以上)

この投稿文の随所に新海誠監督の配慮がうかがわれます。たとえば気仙沼の酒ではなく〈三陸のお酒〉。〈今までよりは大きな声で〉。さらに〈上映会、本当にありがとうございました〉と。

今回の気仙沼での上映会は、通常の劇場公開とは異なり、一関市のオカダプランニングさんが主催し、それを「気仙沼の文化を支えるホタルの会」が〈特別協力〉するという形で企画、開催されました。そうした開催にあたっての関係者への感謝がこのツイートに込められています。こうした配慮、なかなかできることではないなと。

◎東北放送ニュース記事

きのうの午後4時には、Yahoo!ニュースでtbc東北放送のニュース記事が配信されました。


記事のなかに、新海誠監督の舞台挨拶の内容が詳しく紹介されていました。一定期間後に配信終了となりますので、ここに引用させてもらいます。

ホタルの会の佐藤光一会長からの手紙の話を受けて、新海監督はつぎのように語ったそうです。

〈 新海誠監督: 「本当にお呼びいただきありがとうございました」

新海誠監督: 「会長(佐藤さん)から頂いた手紙に『私たちは被災者だけれども、あの時地震を見て、自分たちに手を差し伸べてくれた人や何かを祈ってくれた人、心を痛めた人、全てが被災者と言えるのではないでしょうか』とお手紙に書いてくださっていて、その時はじめて自分が被災者とは言えないが、ずっと地震にとらわれ続けきたということを認めて頂けた気がして、是非お邪魔したいとその手紙を読んで思った。こんな素敵な機会を頂いてありがとうございました」

会場で語ったのは、震災当時の葛藤です。

「震災が起きた時に自分はほかに何の仕事も出来なくてこの仕事でいいのだろうかと悩んでいた時期があって、でも悩んでいても仕方がないのでアニメーションを作ろうとアニメーションを作り続けてきた。アニメでしかできないような災害への向き合い方のようなものがどこかにないかと思いここ何年か手探りのようにやって来たのが『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締まり』という映画だった。制作のきっかけは12年前の東日本大震災だったような気がする」 〉(引用は以上)

きのうは朝日新聞デジタルの記事も配信されましたし、本日の三陸新報でも1面に大きな記事が出ていましたね。

当日の市民会館で『すずめの戸締まり』を見た多くの人たちの気持ちは、冒頭に紹介した新海監督ツイートの言葉と同じでしょう。

〈上映会、本当にありがとうございました〉

新海誠監督に心からの御礼を申し上げます。

5月3日ブログ「すずめの戸締まり」
5月25日ブログ「佐藤光一会長投稿」
5月29日ブログ「プレミアムな上映会」

 

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プレミアムな上映会

きのう5月28日の気仙沼市民会館における『すずめの戸締まり』上映会は大成功だったようですね。当初、上映は1回でその終了後に新海誠監督の舞台挨拶という予定でした。しかし、大勢のお客さまが来場したため、急遽2回目の上映もおこなうことになったとのこと。新海監督の挨拶も、1回目上映後と2回目上映前の2度おこなわれたようです。

新海監督は、上映会後の午後6時過ぎにつぎのようにツイートしていました。



そして本日5月29日の河北新報オンラインでもこの上映会と新海監督の舞台挨拶の紹介記事を配信してくれました。




記事から、新海監督の言葉に関する部分を引用します。

〈新海監督は震災をエンターテインメントにすることへの葛藤を明かしつつ、「世界で4000万人が見た。やらないよりやった方がよかった。海外の人にも震災を知ってもらえた」と実感を込めた。

監督は震災を機に、作品を通じ災害と向き合ってきた。被災していない自分が何を描けるか。自問自答を重ね、「(主人公の)鈴芽(すずめ)の感情や発する言葉にうそが交じらないように、自分が鈴芽の立場だったらと考えて描こう」と製作に取り組んだ。〉

写真のキャプションには、気仙沼訪問はロケハン以来2年ぶりのこととありました。

本作品の劇場上映は5月27日で終了しており、28日の気仙沼における上映会はまさに〈プレミアム〉な催しになったようです。

新海誠監督、いろいろとご配慮をいただき、ありがとうございました。そして上映会の主催者であるオカダプランニングさん、特別協力の気仙沼の文化を支えるホタルの会の皆様、ご苦労さまでした。御礼を申し上げます。

なお、新海監督のツイート写真にもある舞台にかかげられた「『すずめの戸締まり』新海誠監督ようこそ気仙沼へ」という書は、ホタルの会メンバーのひとりでもある気中20同級生武山櫻子さん(3年9組)によるものです。ご参考まで。(5/30追記:武山さんからは、9メートルの看板(バナー)を2枚書いたと聞いておりました。あと一枚はどこかなと思っていたのですが、本日の三陸新報記事の写真で会場後方にしっかりと掲げてありました。舞台上の新海監督にもしっかりと見えたことでしょう)

5月3日ブログ「すずめの戸締まり」
5月25日ブログ「佐藤光一会長投稿」
 

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再び唐桑の七福神

5月27日(土)の早朝5時27分からのNHKBSプレミアム「よみがえる新日本紀行」で、「唐桑の七福神」が放送されます。昨日、つぎのようにツイートしました。


◎「よみがえる新日本紀行」
NHKBSプレミアム
5月27日(土)午前5:27〜6:05

昭和48年(1973年)のNHK「新日本紀行」で「唐桑の七福神」が放送されたそうです。調べてみると1973年6月4日のことらしい。なんか見たような気もするのです。しかし50年前の確固たる記憶はありません。2011年12月にNHKアーカイブスの番組でも放送されているようなので、それを見たのかもしれません。

今回は、当時の放送内容を最新のデジタル技術で鮮やかによみがえらせるとともに、番組の舞台となった唐桑をふたたび訪れてのミニ紀行も放送されるとのこと。

なお、50年前の唐桑は宮城県本吉郡唐桑町です。気仙沼市と合併したのは、今から17年前の2006年3月31日。

番組サイトから案内文を引用します。

〈昭和48年、宮城県唐桑町を訪ねた新日本紀行を再び! 祝い事で披露される七福神の舞い。メンバーの女性たちの日常を通じて漁に出た夫の帰りを待つ思いが描かれている。 新日本紀行から50年。漁業が暮らしを支える唐桑を再訪した。

遠洋マグロ漁は今も行われ女性たちが出漁中の留守を守っている。郷土芸能・七福神舞は昭和53年、町の無形文化財に指定され漁師の妻たちが受け継いできた。東日本大震災の際は津波で家を失ったメンバーもいたが8か月後には舞台を再開し地元の人たちを励ました。海の安全と豊漁を祈り、助け合いの尊さを語りかける舞いにたくましく心優しい唐桑の女性の姿が重なり合う。〉(引用は以上)

この「七福神舞」は唐桑町小鯖(こさば)の神止(かどまり)地区で誕生した郷土芸能ですね。小鯖神止り七福神舞。

2019年に唐桑小学校体育館で上演された、郷土芸能劇「茶畑劇場~神止の女達(かどまりのおなごたち)」は、この「神止り七福神」の誕生秘話や、旗揚げに携わった人たちの人間模様を喜劇として描いたそうです。つぎのブログで紹介しております。

2019年12月13日ブログ 唐桑「神止の女達」

私は東日本大震災の年、2011年11月15日に銀座でこの七福神の舞を見ています。正確にはお二人による二福神。こんな感じでした。


七福神


この日、銀座TSビルで気仙沼アンテナショップ「銀座いきなり市場」のオープニングイベントがおこなわれ、そこに大谷地区大漁唄い込みの皆さんらと登場してくれたのです。つぎのブログで紹介しました。

2011年11月16日ブログ「15日の銀座報告」

その後、この銀座TSビルは解体されて新たな建物ができ、2016年3月に「東急プラザ銀座」として開業しています。

上の写真にうつる神止の女性おふた方。銀座での舞をきっとおぼえていることでしょう。12年前のことになりました。

5月27日早朝の「よみがえる新日本紀行」。必見ですね。もちろん私は録画予約済みです。
 

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tag : 七福神新日本紀行唐桑

佐藤光一会長投稿

5月28日に気仙沼市民会館でおこなわれる「すずめの戸締まり」上映会で、監督の新海誠さんが舞台挨拶をしてくださるということは5月3日のブログで紹介しました。

5月3日ブログ「すずめの戸締まり」

このブログのなかでも紹介した「気仙沼の文化を支えるホタルの会」の会長をつとめる佐藤光一さんの投稿「すずめの戸締まり」上映会へのお誘い」が5月16日の三陸新報に掲載されていました。本日はその内容を紹介させてもらいます。


佐藤会長投稿

三陸新報5月16日掲載投稿の一部イメージ


佐藤会長は、映画を鑑賞し、そのすごさに心を揺さぶられたといいます。〈これがアニメーションの世界なのか、日常と非日常、しかも非現実でありながら現実に思え、その世界に引き込まれていく〉と。

そして、気仙沼の被災とつぎのように重ね合わせます。

〈 気仙沼は、12年前の東日本大震災では、地震、津波、海陸火災で大き過ぎる被害を受けました。
 想定外、未曾有の災害と言われますが、この地域は過去にチリ地震津波、明治三陸大津波、それ以前から平均で40年に1度ほどの割合で津波が襲ってきている津波常襲地帯です。決して想定外ではないのです。
 あの時、誰もが泣き叫び、逃げました。消防は津波火災の中へ命をかけて出動しました。海が燃える、まちが燃える。陸に船が流され、車が、漁具が建物の屋上にある。鉄道のレールがジェットコースターのように折れ曲がり、まちの中は「被災物」のみです。誰もが想像もできない現実の惨状でした。みんな自己が壊れる寸前でした。
 映画の後半、すずめが遭遇し戦うこととなる邪悪な震災の様相が重なる場面です。〉(引用は以上)

この映画で描かれた世界と東日本大震災との関係については、見る人によってさまざまでしょう。しかし、気仙沼の多くの人は、佐藤さんと同様に〈あの時〉のことを思い起こすのではないかと。

震災を経験した気仙沼の皆さんは、上映後の新海誠監督のお話を聴くことによって、この作品をさらに深く理解することができるのではないかと。そんなことを思いながら、佐藤さんの投稿を紹介させていただきました。


なお、この気仙沼での上映会については、河北新報が5月22日に記事を配信しています。こちらもご覧いただければと。

河北新報オンライン5月22日配信記事


◎「すずめの戸締まり」上映会概要

オカダプランニングさんの上映会案内から概要を記しておきます。

5月28日(日)気仙沼市民会館にて。
上映は13:30から。新海監督の舞台挨拶は上映後となります。
開場は13:00予定ですが、場内への案内が早まる可能性があるとのことです。
料金は大人1700円、大学・高校生1400円、中学生以下1000円、60歳以上1100円(証明書提示)。現金のみでの販売です。

なお、10:10〜12:00は「ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)」の上映会。入れ替え制です。「すずめの戸締まり」上映会にお並びの方は11:30以降の来場をお願いしますとのこと。

「オカダプランニング」サイト/上映会案内

主催・問い合わせ先/オカダプランニング(電話0225-23-1888)
特別協力:気仙沼の文化を支えるホタルの会
 

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tag : 新海誠すずめの戸締まり

三浦夫妻と教行君

5月19日の菅原市長のツイートを見ておどろきました。ちょっとしたきっかけがあってその名を知ったお二人が写真にうつっていたからです。


三浦永年さんとティニ・ミウラさん夫妻。三浦永年さんはマーブルペーパーの制作者であると同時に、その蒐集家、研究家として知られています。そしてティニさんは製本装幀家です。

マーブルペーパーは多色の墨流しといえばわかってもらえるでしょうか。同じものを何枚も制作できるわけではなく、基本的には一回性のものです。私家版の製本装幀において、表紙と本文頁を接合させるための「見返し」などに使われます。

そしてティニ・ミウラさんが手掛ける製本装幀も、大部数の書籍の装幀ではなく、いわば特装本として手作りされる工芸品的な世界です。ヨーロッパの文化といってよいでしょう。仏語で「ルリュール」とも。

◎『ティニ・ミウラの手造り豪華本』

冒頭に〈ちょっとしたきっかけ〉と記したのはつぎのようなことです。6〜7年前になるのかな、イオンモールの社長、会長をつとめた村上教行(のりゆき)君が、〈こうした分野は君のほうが詳しいと思って〉と立派な本を送ってきたのです。教行君は唐桑中学出身で、気仙沼高校の同年生です。

その本は『ティニ・ミウラの手造り豪華本』。ティニさんの作品集です。そのなかには、川端康成が受賞したノーベル文学賞の賞状も紹介されていたと思います。賞状を収める革製ホルダーやそれを収納するケースなどのワンセットですね。これ自体が工芸品的な価値をもつもの。

この本と一緒に、三浦永年さんの出身地である宮城県登米市にある「宮城芸術文化館」の案内パンフレットも送られてきました。それらを見たり読んだりすることで、三浦永年さんやティニさんのことをはじめて知ったのです。

登米市の宮城芸術文化館の開館にあたって、教行君が支援というかなにかお手伝いをしたのだと思います。イオングループとしてか、個人としてかなど、詳細については思い出せず。しばらく手元におかせてもらって、教行君に郵送で返却しました。

菅原市長のツイートに「お二人は気仙沼に移住、近い将来、小さな展示施設を設ける計画です」とありました。すでに移住しているのか、これからなのか。あらためて、新聞報道などもあることでしょう。

三浦永年さんとティニさんについては、登米市にある宮城芸術文化館のサイトに詳しく記されています。三浦永年さんは、1944年(昭和19年)宮城県登米市三日町生まれ。登米高校出身、早稲田大学政経学部、ロンドン大学大学院で学んでいます。

「宮城芸術文化館」公式サイト

以上のようなことで、三浦永年さんとティニさんについて私が知るきっかけをつくってくれた村上教行君でしたが、2021年6月9日に亡くなりました。その訃報について、つぎのブログに記しております。もうすぐ2年。三回忌です。

2021年6月24日ブログ「村上教行君の訃報」

 

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tag : 三浦永年ティニ

恵比寿像3代略記

気仙沼市の菅原茂市長が5月16日につぎのツイートを。


1枚目の写真は神明崎の3代目恵比寿像です。2枚目は同日の気仙沼漁業協同組合による「浦まつり」です。海上安全・大漁祈願祭とともにおこなわれました。5月17日の三陸新報によれば、神事では51船主の所有する78隻の船名が読み上げられたそうです。

この「浦まつり」は、旧暦3月27日に行われる気仙沼港の伝統行事とのこと。4月におこなわれることが多いそうですが、今年は2月に閏(うるう)月があったことなどがあり5月16日になったということです。

私が着目したのは3枚目の写真です。東日本大震災の津波により流失し、その後みつかった2代目恵比寿像です。いまは、五十鈴神社の境内社である猪狩(いがり)神社の脇に安置されていることは知っておりましたが、これだけ鮮明な写真ははじめて見ました。猪狩神社は、気仙沼に海苔養殖と製塩を伝えた猪狩新兵衛さんをまつっています。市内八日町の横田屋さんの先祖にあたります。

◎恵比寿像3代の略歴

この機会に3代にわたる恵比寿像の歴史をブログ記事の紹介をまじえ、簡単にまとめておきましょう。

まず、初代の恵比寿像は1932(昭和7)年11月の「えびす講」に建立されました。しかし、太平洋戦争中の金属回収に応じて供出されてしまったのです。その後、像の復元を求める人たちが、1988(昭和63)年12月に2代目を建立しました。しかし、その2代目恵比寿像も震災の津波で流出しました。

そんなことで3代目の建立が計画されました。次のブログでその概略を紹介しています。

2017年9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」

そして3代目恵比寿像の制作が進行するなか、2019年11月25日に、浮見堂と遊歩道の整備工事のために水中で作業していたダイバーが海底に横たわる恵比寿像を発見したのです。

2019年12月23日ブログ「恵比寿像みつかる」

そんなこんながありましたが、現在の3代目恵比寿像は、2020年6月2日に奉納式がおこなわれています。めでたし。

2020年6月2日ブログ「新恵比寿像の奉納」

以上が神明崎の恵比寿像3代略記です。

◎竜宮丸と大海津見神

市長投稿2枚目の写真にうつる小舟は「竜宮丸」。そこに書かれている神名は、海の神様である「大海津見神」です。

五十鈴神社の主祭神は天照皇大神(あまてらすおおかみ)ですが、大海津見神(おおわたつみのかみ)と素盞嗚神(すさのおのみこと)が配祀神とのこと。

三陸新報記事によれば、当日はこの竜宮丸をコの字岸壁から御座船に乗せて湾内をはらい清めながら航行し、松崎前浜沖で海に流したそうです。

最後になりましたが、各船の航海安全と大漁を願っております。
 

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タクシードライバー

「タクシードライバー」といえば、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デニーロ主演のあの映画を思い出します。1976年公開ということは、47年前の映画なのですね。

ここからが本題です。気仙沼「タクシードライバー」。NHKで本日5月22日(月)14:05から、「気仙沼タクシードライバー 2023春を走る」が放送されます。私は20日、つぎのようにツイートしました。


投稿に書いたように、この番組は4月15日に東北ローカルで放送されたようです。東北6県なのか、宮城県内のみなのかは確認できませんでした。いずれにしても仙台放送局制作でしょう。

「東北ココから」の番組サイトから案内文を引用します。

春が近づく気仙沼。地元出身タクシードライバーたちの車にカメラを据え、車窓からの景色や常連客との会話をみつめるドキュメンタリー。変わり続ける、でも変わらない、ふるさと。東日本大震災から12年を迎えた3月の日常。▽港町のバブルも被災もコロナ禍も受け入れて走るベテランの言葉▽ドライバー歴12年、“明るい”被災地ガイドに込める思い▽乗客との出会いを待ちわびる新米72歳の手作り絵はがき▽ナレーションYOU(引用は以上)

1分半の紹介映像もなかなかいいですね。冒頭に森進一さんの「港町ブルース」が流れます。うつってはいませんが、映像開始直後の左側には津波で被災した港町ブルースの歌碑が移設されています。

そして社内でかわされる会話がまるで三陸新報連載の「日日是好日」という感じです(笑)。

本日午後2時5分からの放送。是非ご覧ください。
 

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徳仙丈山への地図

先週の水曜日5月10日の三陸新報に、「徳仙丈のつつじ」の連合広告が掲載されていました。


徳仙丈広告

三陸新報5月10日掲載広告


徳仙丈山の登山口は気仙沼側と本吉側の2つがあります。ここで〈本吉〉というのは、気仙沼市本吉町のこと。平成21年9月1日に本吉町は気仙沼市に編入されて、新しい気仙沼市がスタートしています。

広告内容をみていて気づいたことがありました。同じ気仙沼市内とはいえ、本吉町の森林組合はまだ統合していないのですね。観光協会も同様です。

唐桑町観光協会と気仙沼大島観光協会は、気仙沼観光コンベンション協会と統合して2022年4月1日に気仙沼市観光協会が発足。本年2023年4月1日には気仙沼市階上観光協会もこの統合に参加しました。しかし、本吉町観光協会については、2022年4月の統合は見送り、協議を継続するということでいまに至っています。

◎つつじバス

広告には徳仙丈山「つつじバス」の発着時刻表も掲載されていました。つぎの運航は5月20日(土)22日(日)の両日です。

つつじバス

◎徳仙丈山散策マップ

地図も掲載されていました。一見したときに、いつもの地図かと思ったのですが違いました。脳内で180度回転させようとしたのですが、なんか私の頭脳力では処理できず。ちょっと異音を感じました。無理は禁物。


散策マップ


この地図は、どうして北を下方向にしたのでしょう。一般的に北は上方ですし、これまでの徳仙丈山マップもほとんどがその基本にそっていたと思うのですが。なにか理由があるのかもしれませんが、ちょっと疑問を感じました。

◎徳仙丈つつじ地図

以前にも徳仙丈の地図の話をブログで書いたなあと思って調べたら、5年前2018年の5月でした。〈気仙沼市街から徳仙丈へ車で向かう道というのはちょっとわかりにくいように思います〉と記しています。

2018年5月11日ブログ「徳仙丈つつじ地図」

今はカーナビが充実しているので大丈夫ということもあるのでしょうが、そのナビゲーション情報への疑問の声も聞きました。まずは確かな地図情報を頭にいれておいたほうがよいかもしれません。

観光案内というのはいろいろと大変でしょうね。ネットでの検索も意識しなければいけないでしょうから。こうしてブログを書いていても、徳仙丈/徳仙丈山のどっちにするかとか、つつじ/ツツジなどの表記についてもちょっと悩みます。結果として表記がゆれっぱなしです。

明日からの徳仙丈のツツジ、天気に恵まれるといいですね。東京暮らしの私は脳内でつつじを満開にいたします。今週はこれにて。よい週末をおむかえください。


最新の徳仙丈山つつじ情報は気仙沼の公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」をご覧ください。
 

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旧制気仙沼中校歌

このブログ「気中20プラス」は、震災後2011年4月から始めました。開始間もなく、土日をのぞいて休祝日関係なく週5回の更新というか投稿を続けて12年間。本日で3202回となりました。

それなりに長くなったこともあるのでしょうか、ブログ内のメールフォームを利用した問い合わせをいただくことがあります。

先日いただいた連絡はこんなことでした。詳細は略しますが、(鼎が浦高校と統合前の)気仙沼高校の校歌は、旧制気仙沼中学校の校歌を踏襲したのかどうかについてです。

気仙沼高校の校歌のなかには「我が気仙沼高校の〜」という歌詞がありますから、同じでないことは明らかなのですが、考えてみると旧制気仙沼中学の校歌としてなにか別の歌詞を見たおぼえもありません。調べてみて、つぎのようにお伝えしました。要点のみ記します。

〈私もよく知らなかったので調べてみましたら、昭和42年(1967)10月12日に気仙沼高校が発行した「創立40周年記念 40年の歩み」に記載がありました。それによれば、(旧制)気仙沼中学校「校歌」は、昭和5(1930)年6月22日の新校舎落成式で「始唱」されたそうです。開校が昭和2年4月ですからその3年後のこと。

作詞は文学博士五十嵐力氏、作曲は音楽学校教授澤崎定之氏です。Wikipediaで澤崎定之を調べたところ、音楽学校とあるのは東京音楽学校のことのようです。

歌詞については、1番の「わが高校」が「我が中学」、2番の「我が気仙沼高校」が「我が気仙沼中学校」でした。〉

返信内容は以上です。

この機会に創立40周年記念「40年の歩み」の該当頁画像を紹介しましょう。まずは見開きで。中央上部に歌詞の写真が掲載されています。


見開き
「創立40周年記念 40年の歩み」(1967年10月12日気仙沼高校発行)より


拡大してみます。中央のいわゆる「のど」部分にかかっているので一部見えにくいのですがなんとか読めると思います。下記の気仙沼高校の歌詞も参照してください。


校歌


2005年に気仙沼高校は鼎が浦高校と統合して新気仙沼高校となりました。校歌も新しくなりました。作詞は熊谷龍子さん、作曲は加古隆さんです。ここでは統合前の旧・気仙沼高校の校歌を掲げておくことにします。

◎旧・気仙沼高等学校/校歌

1.遠くは雲居の室根山
  高さを学べと聳えたり
  近くは蒼波の鼎浦
  清さを習えとたたえたり
  うまし自然を海山を
  四方にあつめて中納言
  香久留ケ原に聳え立つ
  我が高校に栄えあれや

2.我が気仙沼高校の
  学生我等のモットーは
  至誠勤勉質実と
  剛健協同この五つ
  五つの標語に導かれ
  海山自然をのりとして
  久遠の光仰ぎつつ
  雄々しく進まんいざ進め

鼎が浦高校と新・気仙沼高校の校歌についてはつぎのブログで記しております。

2015年7月10日ブログ「気仙沼高校 校歌」

 

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tag : 旧制気仙沼中学気仙沼高校校歌

気高の関東同窓会

本日も同窓会の話。きょうは気仙沼高校の関東同窓会です。新型コロナ対応で3回続けて開催なしだったので4年ぶりの同窓会となります。昨日、案内が届いていました。


案内状


◎気仙沼高校関東同窓会/総会・懇親会

◎日 時:2023年7月1日(土)
◎総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
◎懇親会:12:10〜(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:ルポール麹町(麹町会館)2Fロイヤルクリスタル
東京都千代田区平河町2-4-3 03-3265-5361

◎会 費:
年会費 :1000円
懇親会費:(年会費1000円含む):
 〜平成13年3月卒:8,000円
 平成 14年〜23年3月卒:5,000円
 平成24年〜31年3月卒:3,000円
 令和4年・令和5年卒:無料
◎お振込
郵便振替口座
(口座番号)00130-6-615097
(口座名)宮城県気仙沼高等学校関東同窓会
◎お申込:
下記の関東同窓会サイトのお申込フォームからご登録ください。
申込締切:6月23日(金)

◎お問合せはメールにて
kantou@khs-doso.com
FAX:03-5367-5863
詳細やお申込みは次のサイトにて。

気仙沼高校関東同窓会サイト

なお、申込フォームには任意ですが卒業年の記入欄があります。いつもここで戸惑っておりました。私たち気仙沼高校22回生は昭和45年(1970年)3月1日卒業です。ご参考まで。

これまでと同様に、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同しておこなわれます。なお、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)に。そして2018年4月に気仙沼西高校も統合しています。

また、気仙沼高校および鼎が浦高校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校の同窓会も新気仙沼高校の同窓会に統合されています。

前回/2019年の同窓会の様子はつぎのブログにて。

2019年7月15日ブログ「関東同窓会の報告」

 

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tag : 気仙沼高校関東同窓会

気中20の「同年会」

先週末、本年7月17日に開催される気仙沼中学校第20回生「同年会」の案内が、実行委員会から届きました。日程については、以前に聞いていましたが、会の名称は結局シンプルな「同年会」に落ちついたのですね。


案内状


実行委員長をつとめる臼井真人(まこと)君(3年2組)の挨拶文にあるように、一昨年には「古稀を祝う会」の開催が予定されていました。しかしコロナ禍により延期。そして翌年、つまり昨年もコロナ対応が続いたことにより古稀祝いはさらに延期ということではなく、中止となったのです。そんなことで本年はシンプル「同年会」です。年齢でいうと71〜72歳の会。

同年会の概要はつぎのとおりです。

1:日時:
  令和5年7月17日(月・祝)海の日
  受付開始    12時
  集合写真撮影 12時30分
  同年会      13時
2:場所:
  サンマリン気仙沼ホテル観洋
  気仙沼市港町4-19 (電話0226-24-1200)
3:会費:
  10,000円(同年会、集合写真代)

  会費は、各クラス会計宛てに振込
  参加申込(返信用ハガキ)および、会費振込の締め切りは6月25日です。


前回の同年会は平成28年9月24日の「あれから50年同年会」でした。つぎのブログでも紹介しました。

2016年9月26日ブログ「同年会の記念写真」
2016年9月27日ブログ「同年会の概略報告」

〈挨拶文のなかに、フェンシングの西條恵治君、野球の小野寺龍平君など、親しい同年生の訃報に接することが多くなってきており〉との一文がありました。

西條恵治君については、このブログでもお知らせしましたが、小野寺龍平君についてははじめて知ったという方も多いのではないかと。私は、たしか今年の2月中旬ごろに聞いてはおりましたが、訃報広告の掲載があったわけでもなく、詳細が不明でしたのでブログでの紹介は控えておりました。機会をみて、あらためて記すことができればと。

私は7月17日の同年会に参加を予定しています。同月1日には気仙沼高校の関東同窓会もあるとのことなので、なんか忙しい7月になりそうです。
 

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気仙沼の「奥入瀬」

徳仙丈山のツツジが見頃を迎えているそうですね。先週末からネットにきれいな画像が投稿されています。そして今朝は、気仙沼港への今季初となる生鮮カツオ水揚げのニュースもありました。

話は一旦、11日前のことに戻ります。気仙沼市の菅原市長5月4日のツイートです。


奥入瀬(おいらせ)渓流は、十和田湖から14kmにわたって流れる奥入瀬川の渓流なのですね。市長投稿の映像を見ると、渓流という言葉から私が連想するイメージとは異なり、結構な勢いです。14kmもありますから、四季折々のさまざまな表情をみせてくれるのでしょう。

気仙沼にも「奥入瀬」があります。ツツジで知られる徳仙丈山(とくせんじょうさん)近くある「徳仙奥入瀬」です。徳仙丈山への入山ルートは、気仙沼側からと本吉側からの2方向ありますが、気仙沼側登山口の近く。この徳仙奥入瀬については、2020年8月20日のブログで紹介していますので、以下に再掲します。


2020年8月20日ブログ再掲

徳仙丈の「奥入瀬」

(2020年)8月13日の三陸新報1面に、涼しげな渓流の写真が紹介されていました。見出しは、「緑映え涼やかに 徳仙丈の渓流」。

日本最大級のツツジの群生で知られる徳仙丈山(とくせんじょうさん)近くの「徳仙奥入瀬」(とくせんおいらせ)です。


8:13奥入瀬
三陸新報(2020年)8月13日記事より


徳仙奥入瀬は、ツツジの群生で知られる徳仙丈山の北東側、羽田神社との中間あたりにあるようです。

2018年5月11日ブログ「徳仙丈つつじ地図」で、同年の〈徳仙丈山つつじ祭り〉の広告にあった地図を紹介しました。その地図上部に、「徳仙奥入瀬」として「せせらぎ渓流」や「渓流の滝」の表示がありましたので再掲します。


奥入瀬

2018年5月11日ブログ「徳仙丈つつじ地図」


三陸新報記事によれば、現在は道路工事中のために水梨側は通行止めで、落合側からしか入れないとのこと。これは、水梨小学校や羽田神社からは行けず、新月駅や落合小学校方面からの通行のみということかと。

ネットで調べてみると、この渓流「徳仙奥入瀬」は市民にも案外知られていないとの声も。その素晴らしさも、あまり人が来ないがゆえのことかもしれません。

写真もとてもよかった。まさに一服の清涼剤。三陸新報さん、ありがとうございました。酷暑の東京に気仙沼から徳仙奥入瀬の涼気がとどきました。
 
 
再掲内容は以上です。

2018年夏の時点では、道路工事中のために水梨側は通行止めで、落合側からしか入れないということでした。あくまで工事のためでしたから現在は通れるのではないかと推測しています。

以上、「気仙沼の奥入瀬」紹介ということで。どうぞよろしく。


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村上弘明さんの句

TBS系で毎週木曜日放送の「プレバト!!」は、いつも録画して楽しんでいます。ただし、夏井いつきさんが登場するコーナー/俳句ランキングのみ。

4月20日放送回には俳優の村上弘明さんが出演していました。村上さんは岩手県陸前高田市の出身ですが、高校は地元の高田高校ではなく気仙沼高校に進んでいます。気高27回生ですから私の5学年下になりますね。

この日のお題は「水筒」。そして最初に「凡人」第2位と発表されたのが村上弘明さんでした。

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村上弘明さんの句。

わかめ狩り 水筒ころがす 親父の船

季語は「わかめ」です。夏井先生の評価は67点。70点に3点足らず。70点以上であれば〈才能あり〉で、40〜69点が〈凡人〉です。

村上さんはつぎのように語ります。

〈学生時代の休みのとき。わかめ狩りは春休みの時期なんです。にぎり飯と水筒をもっていくわけですね。そうすると、波で水筒のころがり具合が違うわけです。それを思い出しまして〉

梅沢富美男さんは、〈いい俳句なんですけどね〉と惜しがります。〈五七五にまとめてくれればよかった。中七が中八になっちゃった〉と。

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夏井先生さんも〈いいところに目をつけましたね〉と。〈しかも、お父さんのワカメ狩りの船であると。そこにリアリティがものすごくありましたね。本当に惜しい〉と続けました。

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〈あとはリズム、韻律を整えていく〉と語り、いつものように添削していきます。

まずは、「水筒」の後に「を」を入れます。〈ここで最初の5音ができる〉と。「水筒をころがす」。そして「ころがす」を「ころがし」としました。

つぎは「親父」の語。〈親父と言いたい気持ちもわかる〉としながらも「親」を削って「父」とします。〈父だと韻律が整う〉と。

そして、〈この季語(わかめ)をこっちにもってきます〉。続けて〈「若布船」というのが季語としてある〉といいながら、上五の「わかめ狩り」を削りました。

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添削後の句がこれ。

水筒をころがし父の若布船

比較のために元句を再掲。

わかめ狩り水筒ころがす親父の船

なるほどねえ。ぐっとよくなりました。夏井さんは〈こうしたなら、まちがいなく70点以上〉だったと。

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◎汽車通(訂正あり)の村上弘明さん

〈親父の船〉というからには、村上さんのお父さんは陸前高田/広田湾でワカメの養殖をしていたのか。真偽はよくわかりませんが、Wikipediaにつぎの記述がありました。〈父親は自転車店と三陸海岸でのワカメ養殖業を兼営しており、弘明も家業を手伝っていた〉。

村上さんが学生のときと語っているのは大学時代のことでしょう。Wikipediaには上記の記述に続けて〈進学校・気仙沼高校に越境入学して卒業。医学部を目指して浪人中、映画館に入り浸って3浪した末に「東京の大学に行って教職課程を履修し故郷に帰って教師になる」と両親に言って法政大学法学部に進学〉とありました。

小中学校とは違って定められた学区があるわけではないので〈越境入学〉ということでもないと思います。私が気高に通っていたときにも、陸前高田からの〈汽車通(学)〉生徒が何人もいました。みな優秀でしたね。

(5/12追記:村上さんは汽車通ではなく、気仙沼市内の家庭に下宿していたとの貴重な情報提供を受けました。下宿先などの詳細は略します。私たちの学年でも、佐々木徹君(気中3年1組)の家に岩手県からの北君が下宿しており、一緒に通学していたことを思い出しました。北君については、本稿末尾に2017年の関連ブログを記しておきます)

私たちの学年では応援団長をつとめた高橋泰君もそのひとり。宮城教育大学を卒業し、仙台で中学校の教員に。仙台市立五橋(いつつばし)中学校の校長もつとめました。

2012年1月31日ブログ「陸前高田の泰君」

この2012年ブログ記事には、陸前高田市の東日本大震災における死者・行方不明者が1800人以上であると記していました。

そうした陸前高田の震災被害を念頭において村上弘明さんの元句や添削後の句をよむと、またちょっと違った印象がわいてくるような気もします。

水筒をころがし父の若布船。いい句ですね。父子同舟。広田湾のあの風景が心にうかびます。

2017年3月31日ブログ「赤坂7丁目の散策」

 

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tag : 村上弘明プレバト

写真家「広川泰士」

きのう5月10日の三陸新報に「思い出に1枚いかがですか」という囲み記事が掲載されていました。4年ぶりで催されるファミリーフォトプロジェクトの紹介です。


広川泰士さん
三陸新報5月10日記事より


〈東京都内在住の写真家〉〈東日本大震災後、気仙沼で流出した写真の洗浄ボランティアに携わった写真家〉。ここまではごく普通に読んでいたのですが、写真家の名を見ておどろきました。広川泰士(ひろかわ・たいし)さん。マジかよ。

広川泰士さんは、1950年神奈川県茅ヶ崎生まれ。東京工芸大学芸術学部教授。講談社出版文化賞やニューヨークADC賞をはじめとする多数の受賞歴もある写真家です。

広告写真の仕事も多く、広川事務所サイトに掲載されているクライアントワーク/ポートレートを見てもらうだけでも、いかにすごい仕事をされているかがわかるでしょう。


私は広川さんの作品集を2冊もっています。まずは「BABEL ORDINARY LANDSCAPES」(2015年/赤々舎)。上記サイトの紹介文には「未来につなぐべき大切なものとは? 人間の存在を問うライフワークの集大成」とありました。


BABEL.jpg

2冊目は、「sonomama sonomama」(そのまま そのまま)(1987年/流行通信社)。



この写真集は、広川さんには申し訳ないのですが仕事場近くの図書館リサイクル本コーナーで入手。いわゆる「除籍本」ですね。広川さんの最初期の写真集で、ほぼA3判の大型本です。(画像のラベル部は一部加工)

これはトップブランドの服を身につけた普通の人々の写真集。上のカバー写真の男性が着ているのはメンズビギです。福島県「農夫の夫婦」。普通ではない人の写真もまぎれこませてあります。写真家の植田正治さんがコムデギャルソンを着てうつっている鳥取県で撮影の写真、タイトルは「砂漠の写真家」。面白いねえ。なかにはイッセイミヤケを着た茨城県の漁師写真もありました。広川事務所のサイトでも一部が紹介されています。

広川事務所サイト「sonomama sonomama」

◎プロジェクト概要

こうした〈すんごい〉写真家である広川泰士さんが写真を撮ってくださるのです。そしてプリントも。しかも無償とは。

撮影場所など、今回の気仙沼ファミリーフォトプロジェクトの概要を記事内容をもとにまとめておきましょう。

場所:
南町紫神社前商店街内「cadocco(かどっこ)」
日時:
5月14日(日)午前10時〜正午、午後1時〜4時
対象:
気仙沼市内近隣に住む家族と個人、友人同士50組程度

広川さんが撮影した写真は後日に郵送するとのこと。
事前予約は不要です。
問い合わせは事務局へ。
メール:kikuta322@gmail.com


広川さんは、記事にもあったように震災で流出した写真の洗浄ボランティアの活動もおこなってくださいました。そして、このファミリーフォトプロジェクトは2011年9月にスタートしたそうです。2019年まで気仙沼を毎年訪れてくださいましたが、コロナ禍に。今回は4年ぶりのこととなります。

このプロジェクトのことは今までも記事などで目にしていたはずなのですが、広川さんの名を見落としていたようです。今回はじめて気づきました。

こうした広川さんらの気仙沼における継続的な支援活動にあらためて御礼を申し上げます。広川さん、本当にありがとうございます。5月14日の撮影もどうぞよろしくお願いいたします。

5月14日。写真家「広川泰士」さんの写真。「思い出に1枚いかがですか」。
 

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tag : 広川泰士

中井小学校の校歌

4月27日の三陸新報に、来年4月に統合する気仙沼市立中井小学校と唐桑小学校の校名や校歌についての記事が掲載されていました。


4:27中井小校歌

三陸新報4月27日記事の一部イメージ


4月25日に開催された3回目の統合準備会では、統合後の校名を「唐桑小学校」とし、校歌、校章ともに現在の唐桑小のものを引き継ぐことに決定したそうです。


中井小学校の卒業生らは、慣れ親しんだ校歌がなくなるというか、校歌として歌われなくなってしまうことをさびしく感じることでしょう。

どんな校歌なのでしょうか。調べてみました。まずは中井小学校サイト「沿革」から同小の創設から校歌発表までを下記に。


明治34年4月 唐桑尋常小学校松圃(まつばたけ)分教場創設
大正11年1月 中井分教場と改称
昭和24年9月 (唐桑)村立中井小学校として独立
昭和27年3月 校歌発表会

つぎに昭和27年(1952年)3月に発表された校歌の歌詞を。

◎中井小学校 校歌

作詞 小山 孝平
作曲 横山 宏


眺めは広き太平洋 上る光を身に受けて
心は清く明らかに 平和を高くいだきつつ
あしたに学ばんたゆみなく
我等が学舎 名はこれ中井
中井の文化 こぞりてあげん

二 
岩打つ波は音高く 流るる潮風身に浴びて
からだは強くおおらかに 民主の使命はたしつつ
夕べに励まんおのおのに
我等が学舎 名はこれ中井
中井の文化 こぞりてあげん


統合後の校歌ともなる唐桑小学校の現校歌も紹介しましょう。昭和27年11月30日制定です。

◎唐桑小学校 校歌

梶原しげよ 作詞
海峰 義美 作曲


希望の光 輝ける
青空たかく 目(ま)のあたり
そびえて立てる 老杉(すぎ)のもと
尊き歴史 築きつつ
日毎(ひごと) 伸びゆく
ああ われら学舎(まなびや)


仰げばゆかし 早馬山(はやまやま)
心すめとや 松風の
うたも清(すず)しく 香るなり
塵(ちり)なき里に 緑映え
日毎 美(うる)わし
ああ われら学舎


望めば 遙か 広田湾
はた半造に 砕け散る
波濤(なみ)もものかわ 鍛(きと)うなり
いそしむ苑(その)に 陽は笑みて
永遠(とわ)に 栄(はえ)あれ
ああ われら学舎


作詞の梶原しげよさんは詩人。唐桑の早馬(はやま)神社32代宮司、梶原重義さんの妹さんです。現在の33代梶原忠利宮司の叔母さんにあたります。つぎのブログで紹介しております。

2017年9月8日ブログ「詩人 梶原しげよ」

作詞の海鋒義美さんは、河北新報の記事によれば、仙台を拠点に教育、作曲活動を続けられた方で、東北6県の小中高校などの校歌約400曲を作曲されたそうです。

中井小の校歌発表が昭和27年/1952年3月。私と同じ生年月。つまり発表後71年。唐桑小の校歌も制定が同年11月となっています。

◎「民主の使命」

中井小の校歌に「民主の使命」という言葉がありました。ちょっと硬い語感のある言葉です。この校歌の歌詞がつくられたころはどんな時代だったのでしょうか。

校歌発表の前年、昭和26年/1951年9月8日にはサンフランシスコ平和条約(サンフランシスコ講和条約)が締結されています。発効は1952年4月28日。この条約発効により、連合国による占領が終わって日本の主権が回復されたのです。

私たち気中20回生は1951年4月〜1952年3月生まれです。ということは、私たちが生まれたときは、日本がまだ連合国(つまりは米国)によって占領されていた時代だったのですね。

中井小校歌の「民主の使命」という歌詞は、こうした時代背景のなかで生まれたのではないかと思います。

ここまで書いて、そういえばわが気仙沼中学校の校歌は「平和の象徴(しるし)」で始まっていたなあと思い出しました。そのあとには「あたらしき時代(よ)の礎と」も。

それぞれが時代の象徴ということでしょう。本日はこれにて。

2011年7月15日ブログ「へいわのしるし」

 

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tag : 中井小学校唐桑小学校校歌

梶原さん映像講座

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の演出陣のおひとり、梶原登城(とき)さんが、気仙沼市民向けの映像スキルアップ講座の講師をつとめてくださるそうです。5月7日の三陸新報はつぎのように伝えています。


映像講座
三陸新報 5月7日記事より


この講座については、5月2日に市から発表されました。市のLINEでは3日に。正式な講座名は「クオリティが劇的に上がる!プロから学ぶ映像制作スキルアップ講座」です。ちょっと長い。

発表資料によれば、気仙沼市の魅力を動画で発信していくことを目的としているようです。NHK のディレクションノウハウをベースとしたカリキュラムで、PRビデオ制作などの実践講座を通して、企画から撮影、編集のコツをプロがレクチャーするとのこと。

市の募集内容から主要内容を紹介します。詳しくはつぎの市サイトをご覧ください。

気仙沼市サイト/募集内容

開催日時:
令和5年6月から令和6年3月まで。毎月第3土曜日(計10回・うち5回は土日開催)
場所:リアス・アーク美術館 3階
内容:企画方法、撮影・編集の基本的操作、演出指導など
講師:NHK第3制作センターエキスパート 梶原登城さん
地元講師:リアス・アーク美術館館長 山内宏泰さん
応募方法:googleフォームに必要事項を入力のうえ、ご応募ください。
こちらをクリック(外部サイトにリンクします)
募集人数:最大14名(先着順)
応募多数の場合、応募内容による選考があります。あらかじめご了承ください。

以下の条件にすべて該当・ご了承いただいたうえでご応募ください。

・市内在住であること
・年齢が15歳から60歳であること(令和5年4月1日現在)
・原則として全講座に出席可能であること
・動画撮影に適したカメラおよび動画編集のできるノートパソコン(PC)の持参が可能であること
・編集ソフトをお持ちでない場合は、当方で指定する無料ソフトをインストールすること

カメラおよびPCの性能基準については上記googleフォームに掲載しています

問い合わせ先:気仙沼市産業部 観光課 観光係
電話番号:0226-22-3438

(募集内容は以上)

梶原登城さんは昨年11月3日に、トークイベント「教えて!梶原監督〜ドラマはこうして作られる」にも登場してくださいました。参加申込が多数となって、当初予定にはなかったオンラインでの試聴も可能に。おかげで私も梶原さんの話を聴くことができたのです。その内容などはつぎのブログで紹介しました。

2022年12月16日ブログ「梶原登城さんの話」

募集人数は最大14名とのことで先着順とはしてありますが、応募多数の場合は応募内容により選考があるとのことです。〈プロ中のプロ〉梶原登城さんから映像制作のテクニックを学ぶことができるというまたとない機会です。機材ほか条件を満たし、〈本気を出せる〉かたは応募してみてはいかがでしょう。

最後になりましたが、梶原さんをはじめNHKさんほか関係者の皆さまのご厚意に御礼を申し上げます。本当にいつもありがとうございます。

梶原登城さん、またお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。
 

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内湾の「メモリーズ」

ゴールデンウィークもおわって、普通のウィークがはじまりましたね。この連休中、気仙沼には多くの人が訪れてくれたことでしょう。

本日紹介するのは、気仙沼ニッティングさんの5月6日のツイートです。内湾そして空と雲。美しい。今日の東京は早朝までは雨。そしてちょっと寒いのですが、気持ちは晴れ晴れということで。



気仙沼ニッティングさんは折にふれて、こうした内湾の風景を投稿してくれます。私がうれしさと同時になつかしさを感じるのは、そこに我が家の跡地というか〈空白〉がうつっているからです。魚町坂口の家は、震災の津波は床面までで済んだのですが、とても住める状態ではなく、一人暮らししていた母は兄の住む仙台に移ったのです。

この写真にうつる風景が〈懐かしい〉というのは厳密にいうとちょっと違いますね。18歳まで気仙沼にいましたが、気仙沼ニッティングのあるこの場所/柏崎から内湾をながめたことはほとんどありませんでした。

つまり、私にとっては物理的というか光学的な意味で、新しい〈視点〉での内湾風景なのです。大好きな風景。自宅には、以前に頂戴した内湾写真のポストカードも飾ってあります。

気仙沼ニッティングさんの内湾写真と18年間の気仙沼での暮らしの記憶をまぜあわせ/ちょっとしゃれていえばマッシュアップすると、私的な気仙沼内湾イメージが脳内で再構築されるのでしょう。

気仙沼ニッティングさん、内湾のすばらしい写真、いつもありがとうございます。私にとってのこれら写真のシリーズ名は「メモリーズ」です。
 

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tag : 気仙沼ニッティング内湾

Inspire! 落合直文

本日紹介するのは3月26日に放送されたエフエム仙台の特別番組「Inspire-落合直文×熊谷育美」です。育美さんは放送の予告としてつぎのようにツイートしていました。


データFMさんはつぎのように。


この特別番組、落合直文の生家である煙雲館を育美さんが訪れて、現館主の鮎貝文子さんと語り合いました。ナレーターは志田淳(あつし)さん。

この放送はradiko(ラジコ)でも聴けましたが、私は東京ですので有料のラジコプレミアム/エリアフリーにて。

とても面白かった。なんか、このまま聴きっぱなしにするのももったいない。ということで、本日は放送内容を少し補足しながら紹介しようと思います。

いろいろ調べているうちに、ちょっと長くなってしまいましたが、まあいいか。金曜日だし、っていうか連休だし(笑)。

◎鮎貝文子さんと落合直文の関係

育美さんが〈気仙沼でも名家として有名〉という鮎貝家。鮎貝文子さんと落合直文の関係について、文子さんはつぎのように説明しています。「主人の曾祖父さんの弟です」。文子さんご自身は岩手県生まれとのこと。

曾祖父は、鮎貝家13代目の鮎貝盛徳(号は松園)です。気仙沼町の初代町長や松岩村長などもつとめています。その次弟が鮎貝盛光/その後の落合直文です。末弟が鮎貝房之進(号は槐園/かいえん)。

以前にこのブログでも紹介した伊藤文隆さんの『定本落合直文総合歌集』(以下『綜合歌集』)に「鮎貝家近代略系譜」が掲載されていましたので、その記述をもとに少し詳しく紹介しましょう。

まず、14代が鮎貝盛成です。その末弟として鮎貝正六の名がありました。その後に気仙沼市本町の観音寺貫首/大僧正となる鮎貝真観さんです。そして15代が鮎貝盛益、16代が鮎貝宗一で、この方が文子さんのご主人でしょう。宗一さんの弟さんに画家の鮎貝周三さんのお名前がありました。そして17代目が宗一さんと文子さんの息子さんである鮎貝宗房さんです。

なお、『綜合歌集』の略系譜には、各代当主に数字が付されているのですが、それと市史における鮎貝家関連記述における代目の数とが一致していません。たとえば、13代目の鮎貝盛徳に市史では15と記されていました。その数え方の根拠などは不明ですが、念のため。

鮎貝家についてはつぎのブログでも。

2021年1月25日ブログ「鮎貝盛徳 屏風半双」

◎『ことばの泉』『日本文学全書』

文子さんは、落合直文の『ことばの泉』も紹介していました。直文は国語辞典『ことばの泉』を明治31年(1898)から和装5冊、洋装1冊として刊行します。

私が調べていて驚いたのは、『ことばの泉』が小学館の「国語大辞典『言泉』」につながっていたことです。妻の上司から結婚記念にいただいて書架にありましたが、整理して今はなし。同書は『日本国語大辞典』(初版)を基礎として編集したとのこと。『ことばの泉』だから『言泉』だったのかと。今回はじめて知りました。なんかうれしい。

『日本文学全書』も紹介されました。これは博文館から明治23年(1890年)〜25年に出版されました。文子さんは全36巻と語っていましたが、国立国会図書館のデータによると全24巻のようです。

文子さんが例に引いた「源氏物語」はもちろんのこと、「竹取物語」にはじまる日本文学の古典を当時の現代語に訳してまとめた功績はとても大きいと思います。文子さんは〈日本ではじめて〉と紹介しています。

文子さんは〈歌人としてよりも教育者としてのほうが大きかったのではないかという印象をもつ人も多いようです〉と語っていました。

◎『落合直文の恋文』

育美さんは、気仙沼の図書館で『落合直文の恋文』という本を読んだそうです。許嫁(いいなづけ)の松野さんに送られた手紙がまとめてある本だったと。そして〈いろんなことを想像しながら読ませてもらった〉といいます。

私は放送を聴いたときには〈落合直文の『恋文』という本〉と聞き取り、そんな著書があったかなと思ったのですが、『落合直文の恋文』でした。1998年刊。副題は「許嫁者松野への書簡」です。編者は気仙沼で出版社を営みながら地域史をはじめとする著述活動をおこなってきた西田耕三さんです。

◎思ふ心を語り明かさむ

育美さんがこの『落合直文の恋文』について、〈会えたら語りあかそうってという短歌も書いてあったり〉と語っていたのは、つぎの歌でしょう。『綜合歌集』p19より。

めぐりあふときをばまちてもろともにおもふこころをかたりあかさむ

読みやすく漢字まじりにするとこんな感じかな。

巡り逢ふ時をば待ちて諸共に 思ふ心を語り明かさむ

『綜合歌集』には、「義父など身内宛の書翰」中の歌として松野宛8首が収録されているのですが、そのなかの1首。明治14年(1881年)20歳の時の歌とされています。

育美さんは〈会いたいけれど会えないせつなさ〉とか〈会えないふたりを会わせてあげたい〉と語っていました。

志田さんのナレーションはつぎのように。

〈亀次郎と名乗っていた14歳のころの許嫁、落合松野。手紙には遠く離れており会えない松野への気遣いにあふれています。しかし二人は結ばれることなく、数年後、松野は若くしてこの世を去りました。〉

◎「恋人の歌」の恋人はだれか

さて、落合直文の「砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず」の歌(以下、「恋人の歌」と略します)は、明治33年(1900)4月発行の『明星』創刊号に掲載されています。亡くなる3年前のこと。

この歌に詠まれた「恋人」とはだれのことなのでしょう。

育美さんは、許嫁の松野さんへおくった恋文が残っていることから、松野さんのことを思って、亡くなるまえに書かれたのではないか〉とも。そして、いろんな想像がふくらんだと。文子さんは〈それも考えられるわね〉と受けながら、森鴎外が海外にいっていたことの影響もあるのではないかと、ちらっと述べていました。

伊藤文隆さんも『綜合歌集』のなかで、鴎外の『舞姫』に描かれた恋人エリスと重ね合わせたのではないかとの推測を記しています。〈小倉逼塞(ひっそく)中の鴎外に向けた応援歌なのだと、ふと思い遣る〉と。また、〈「舞姫」は鴎外の初稿に直文の入念な手が加わって、名作となった〉とも。(『綜合歌集』P345)

◎落合直文略年譜

『綜合歌集』の「落合直文略年譜」から関連すると思われる記述を抜粋して以下に示します。

文久元年(1861)1歳
11月5日(旧暦)陸奥国本吉郡北方松崎片浜(現宮城県気仙沼市字松崎片浜197番地)鮎貝家「煙雲館」に生れる。父盛房(もりふさ)、母俊(とし)の次男、戸籍名亀次郎(亀二郎とも書く)、幼名盛光(もりみつ)と称し後年(明治19年)直文と改める。

明治7年(1874)14歳
仙台中教院統督 落合直亮に才能を愛され養子となり、長女松野の許婚となる。

明治15年(1882)23歳
8月、両親と熊本に行く途次、大阪で許婚松野病没す。

明治16年(1883)22歳
養父直亮の次女 竹路(たけじ)と結婚、夏、熊本を訪れる。

明治24年(1891)31歳
4月、2年前から不治の病の竹路と離婚。(中略)6月、浅草薬研堀の神主 菊川流雪の次女 操(小田注:本文では操子との記載もあり)(明治9年11月14日生・15歳)と結婚。6月21日入籍す。

明治36年(1903)43歳(満年齢42歳)
(前略)12月16日、午前8時20分逝去。先輩、故旧、同学、門下生壱千余人、葬儀に参列。青山霊園墓地に埋葬される。

年譜抜粋引用は以上です。

こうして年譜の記述を追ってみると、「恋人の歌」が松野さんのことを思って詠まれたとするのはちょっと無理があるかもしれません。「恋人の歌」が『明星』に掲載されたのは亡くなる3年前のこと。

『綜合歌集』での伊藤文隆さんの解説文中には、〈中ツ森に嫁いだ竹路が家に戻りたがっている〉〈東京近郊の婚家先から竹路が亀次郎のもとを訪れて、兄様をずうっと慕っていたのだと打ち明ける〉といった記述もありました。なんというか結構なまなましい。

◎「Love of my life」

しかし、この「恋人の歌」に〈恋人に会いたいけれど会えないせつなさ〉を感じ取る、あるいは重ね合わせるのはごく自然なことだと思います。それがアーチストとしての感性というもの。

育美さんは、あくまで想像の世界と前置きしながら、直文がずっと松野さんのことを思っていたのではないかと語ります。そして、その印象から強くインスパイアされてつくった楽曲が、「Love of my life」です。〈人生、最愛のひと〉という思いをこめたそうです。放送の最後に、育美さんがピアノの弾き語りでデモ音源的に録音したこの曲が紹介されました。

番組内でも案内がありましたが、4月23日に煙雲館でおこなわれたライブでもこの曲がお披露目されたはずです

直文から許婚である松野にあてた手紙に記された短歌。それは直文の古典への深い理解を背景にしてのレトリカルな(修辞的な)歌であったようです。

それと同じように、熊谷育美さんの「Love of my life」は、直文から松野にあてた手紙や短歌と、明治33年の「恋人の歌」の世界をレトリカルに構成した作品であるように思います。そして、オマージュというかリスペクトというか、レトリカル&インスパイアみたいな。

それはまさに短歌/歌/詩歌の世界ではないかと思いあたりました。落合直文から熊谷育美へ。明治から令和へ。2重にも3重にも。あるいは2周してさらに3周目を回る「Love of my life」ということかもしれません。

以上のようなことを調べたり書いていると、ホントきりがない。インスパイアされすぎです。ということで今回はここまで。また機会をみて記すことにいたします(またかよw)。

最後になりましたが、熊谷育美さん、鮎貝文子さん、志田淳さん、そしてエフエム仙台さんに御礼を。こうして落合直文のことをさらに詳しく知ることができました。ありがとうございました。

エフエム仙台プレスリリース
2021年2月5日ブログ「鮎貝家の落合直文」
2021年10月19日ブログ「直文綜合歌集紹介」

 

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熊山を「緑の山」に

4月23日の三陸新報「論説」は「地道に続く熊山植樹」。気仙沼市の山岳会「彼峰の会」が20年以上にわたって続けてきた植樹活動について紹介し、その継続を願う内容でした。「熊山」は「くまやま」でしょうね。

熊山植樹

三陸新報4月23日記事の一部イメージ


記事のなかに懐かしい地名がありました。「太田高原」。ちょっと記憶があいまいなのですが、私が気仙沼で暮らしていたころにはよく聞いたような気がしますが、すっかり忘れていました。半世紀ぶりに思い出しました(笑)。

論説では、藤村さんという方の言葉を引用してつぎのように紹介しています。

〈市民の森などとともに、市の西側に位置する熊山(標高655m)。藤村さんによるとかつては「カラマツの美しい森林地帯で絶好のハイキングコースだった」と話す。この山周辺が太田高原と呼ばれ、当地方の登山者のメッカ的な存在だったと懐かしむ。〉

しかし、この熊山は放置された結果、クマザサなどが生い茂る荒れ地になってしまったそうです。藤村さんは、山岳会の仲間に声を掛けて2002年から植樹を始めました。

論説では〈全国的に知られている「海は森の恋人」植樹活動の陰に隠れて目立たないが20年以上も継続しているのは、山の魅力、楽しさを知っている山岳会だからだろう〉。

今年の熊山への植樹は4月23日。震災や新型コロナの関係で休んだこともあり、今年で19回目。来年以降は新たな植樹を行わず、補植などが中心になるそうです。植樹中心から市民の憩いの場づくりへと、活動は第2ステージに移るとのこと。

この論説記事に登場する藤村さんは「彼峰の会」の会長です。4月25日の三陸新報でも、23日の「彼峰の会」の植樹会について伝えていましたが、その中に「彼峰の会」(藤村起夫会長)が、ナラ、クヌギなどの苗木160本を植樹したとありました。

◎彼峰の会

「彼峰の会」はなんと読むのだろう。その答えが4月28日の三陸新報「タイムトラベル」のなかに。この連載は20年前の同日記事を紹介するもの。なかなか面白い企画です。


タイムトラベル

三陸新報4月28日記事の一部イメージ


気仙沼市の登山愛好者グループ「彼峰(あほう)の会」と記してあります。2003年4月28日の記事ですから2回目の植樹会です。〈熊山を「緑の山」に〉というのは当時の記事の見出しでしょうね。

気仙沼における植樹活動というと、「森は海の恋人」活動における畠山重篤さん、徳仙丈山のツツジ植樹での佐々木梅吉さんなど、そのきっかけをつくった方の名が頭にうかびます。

藤村起夫さんをはじめとする登山愛好者の皆さんの熊山での植樹も、これらの方々の活動と同様に意義のある活動だと思います。

◎山男の歌

彼方の峰「熊山」を緑の山にするというのは、阿呆(あほう)でもなければやらないことという自虐ネタでしょうか。違っていたらごめんなさい。

私は、〈山男にゃ惚れるなよ〉という「山男の歌」を思い出しました。

ダークダックスさんによる「山男の歌」の歌詞がネットにありました。7番からなるこの曲の1番には、「娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家(わかごけ)さんだよ」と。品を重んずる当ブログとしてはちょっと戸惑いを覚える歌詞。

そして7番には〈娘さんよく聞けよと〉して、こうありました。「山男の心はよ 山できたえたよ 男意気だよ」。

「彼峰(あほう)の会」の皆さんの山を守り育てる活動は、〈山できたえた男意気〉に支えられているのでしょう。

藤村さんをはじめ彼峰の会の皆さま、そして毎年の植樹活動に参加、協力してくださった皆さま、ありがとうございます。これからも多くの皆さんの協力を得ながら、熊山が緑の山となることを願っております。
 

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すずめの戸締まり

4月28日、アニメーション映画「すずめの戸締まり」の新海誠監督がつぎのようにツイートしていました。5月28日に気仙沼でおこなわれる同映画の上映会で舞台挨拶をしてくださるというのです。本当におどろいた。



「すずめの戸締まり」に、主人公らの雨宿り場所として気仙沼「道の駅大谷(おおや)」が登場することは皆さんすでにご存じのこと。「気仙沼さ来てけらいん」の2022年11月の記事で詳しく紹介されています。

新海監督のツイートでは、気仙沼を訪れる理由を〈映画館のない気仙沼市で上映を行なっている「気仙沼の文化を支えるホタルの会」から熱心なお手紙をいただき〉と記しています。その手紙の抜粋内容も紹介されていました。引用させてもらいます。(改行を省略しました。)

〈 この映画は、気仙沼などで被災された方が見るのと、ほかの方が見るのとでは思いが違うと思います。それは、自分のこととして思うことと、作品として見ることの違いかもしれません。老若男女でも相当違うでしょう。ただ、思うことは、ここで被災された直接の被災者がいて、親戚、仲間、知人に被災者がいて、テレビ等で流れた映像、情報の後、すぐにこの地に駆けつけてくれた多くの人がいて、物心を届け、遠くからひたすら被災者、被災地のために涙し、祈りを捧げてくれた日本、世界の人々がいる。このすべての人々もまた、心を痛めた被災者だと思えるのです。新海監督もそのお一人であると思います。〉(引用は以上)

この〈熱心な〉、つまり熱い気持ちが新海監督の気持ちを動かしたのですね。

◎ホタルの会とは

今回の上映会の主催は、石巻市の「オカダプランニング」さんです。同社サイトによれば、160年続く芝居小屋(昭和23年より映画館)を経営していましたが、東日本大震災で跡形もなく流されてしまったとのことです。その映画館の名が「岡田劇場」なのでしょう。

上映会の特別協力クレジットに「気仙沼の文化を支えるホタルの会」の名がありました。このブログではこれまで2度、ホタルの会が企画した上映会を紹介しております。そこで紹介した内容を総合して同会の概要を以下に。

「気仙沼の文化を支えるホタルの会」は、(2013年のブログで12年前と紹介していますのでたぶん)2001年に市民有志で結成されました。その後も、「映画館のない街に、映画文化を提供する機会を与え、 気仙沼市民に映画を通して安らぎ・夢・希望を提供することにより、 明るい街づくりと気仙沼地区の文化の向上に寄与すること」を目的に、映画の上映会や講演会を行ってきました。

会長は、2018年6月に「北の桜守」の上映会を開催したときにお名前のある菊田清一さんだと思います。(5/4追記:5月3日の三陸新報の記事によれば、現会長は佐藤光一さんでした。上記の手紙も佐藤会長によるものとのことです)

この〈ホタルの会〉では気中20回生がいろいろと活躍しています。以前に事務局として名前があった昆野牧恵さん(3年11組)をはじめ、小山(斉藤)容子さん(5組)、武山美加(櫻子)さん(9組)などもメンバーです。

なぜ「ホタルの会」なのか。それは、牧恵さんが気仙沼市民会館の館長をつとめていたときに企画した同会初の上映会が、高倉健さん主演の映画「ホタル」だったからなのです。実行組織名が〈「ホタル」を見る会〉。短くすると「ホタルの会」というわけです。

◎新海誠監督メッセージ

新海監督のツイートで〈終映したはずの翌日〉と書いているのは、本作は昨年11月11日に公開され、5月27日に劇場公開の終映を迎えるからです。同作公式サイトによれば、4月26日までの公開167日間で、観客動員1095万人、興行収入145億円を突破したそうです。すごい。

「すずめの戸締まり」公式サイト

公式サイトでの新海監督のメッセージ「終映にあたって」中につぎの言葉がありました。

〈この映画の制作中は、「震災から12年後」も「コロナ後の世界」も、それが確かに訪れるとは確信が持てない遠い未来でした。それでも日々の生活は逞しくもしつこくも続き、すずめも(我々も)今も光の中をなんとか生きています。得難い奇跡です。〉

この言葉を知ると、「すずめの戸締まり」PRでのコンセプトワードなっている〈過去と現在と未来をつなぐ、“戸締まり”の物語〉という言葉の深みがさらに増すような気がします。

その新海監督が気仙沼を訪れての本作上映会、これもまさに得がたい奇跡といえるでしょう。

新海誠監督、ありがとうございます。5月28日、どうぞよろしくお願いいたします。

気仙沼には映画館もないのかと思われる方のために、映画館がたくさんあった時代の話を以下のブログにて。

2014年7月18日ブログ「気仙沼の映画館史」

 

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tag : すずめの戸締まり新海誠ホタルの会

奈良美智さん投稿

美術家の奈良美智(なら よしとも)さんの昨日5月1日ツイートに驚かされました。


4月29日から30日まで宮城県の柴田郡川崎町みちのく公園で開催されたロックフェスティバル「ARABAKI ROCK FEST.23」での気仙沼「ホヤぼーや」です。奈良さんは、このロックフェスに両日ともにDJとして出演していました。

うれしいですね。ホヤぼーやの〈手のひらの角度がイイ〉とほめてもらいました。連続する投稿で〈ホヤ、子供の頃から大好きで、いろんなとこで食べたけど、三陸産のホヤが世界一美味しい〉とも。ありがとうございます。

奈良さんといえば、最近のニュースでもとりあげられていましたね。大阪のIR(統合型リゾート)施設計画の広報資料に、青森県立美術館に設置/展示されている奈良さんの作品『あおもり犬』に酷似した作品イメージが使用されていたと。ひどい話です。

◎4月28日の奈良さん投稿

奈良さんの最近のツイートで驚いたことがもうひとつありました。4月28日の投稿。


奈良さんは青森県立弘前高校の出身です。左写真にうつる数学のノートは積分の数式。なんというか、その優秀さがうかがえますね。

積分は数Ⅲ(すうさん)の教科だったはずですから、奈良さんは弘前高校の理科系クラスだったのかな。私も理科系クラス気高3年6組だったので、数Ⅲを〈しっかり〉勉強したはずなのですが〈すっかり〉忘れてしまいました。

右写真の右頁は英語。筆記体で書かれた英文は丁寧な印象。左頁の落書き中にちょっとだけ英文が書かれています。なんて書いてあるのだろうと思って読んでみてびっくり。

I've been to holly-wood
I crossed(the)ocean for(a)heart of Gold

1行目はアイブビーントゥハリウッド。ギターを弾きながらさんざん歌った曲なのですぐわかりました。ハリウッドのつぎの歌詞はレッドウッドだったはず。これはニールヤングの「孤独の旅路」ですね。原題は「Heart of Gold」。アルバム「Harvest」中の1曲というか代表曲でしょう。

4月28日に投稿を見たときはこれが「孤独の旅路」の歌詞の一部であることに気づかなかったのです。このブログで紹介しようと思い画像を拡大しての〈発見〉でした。

ホヤぼーやのおかげで、高校生だった奈良美智さんのリトルワード「Heart of Gold」を発掘することができました。ちょっとしたことなのですが、とてもうれしい。

奈良さん、「ホヤぼーや」の写真投稿、ありがとうございました。ウィーンのアルベルティーナ美術館における個展「ALL MY LITTLE WORDS」は5月10日からなのですね。すばらしい展覧会となりますように。
 

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同級生に春の叙勲

4月29日の三陸新報が、気仙沼・本吉地方における春の叙勲受章者8氏を紹介していました。そのなかに、気仙沼高校同級生2人/気高22回生が含まれていたので紹介します。

齋藤一(はじめ)君は教育功労で瑞宝双光章を受章しました。


齋藤君

三陸新報4月29日記事の一部イメージ


記事には、気仙沼中学校長を務めていたときに東日本大震災が発生とありました。当時、気仙沼小学校の校長だったのが斎藤益男君です。両君とも松岩中学出身。つぎのブログでも紹介しました。

2011年8月29日ブログ「同窓の校長たち」

齋藤君とは気高2年生で同級だったような気がします。上記ブログにも書きましたが、学業優秀であるのはもちろんのこと、誠実な人柄を思い出します。記事には志津川自然の家所長をはじめ、生涯学習分野にも長く携わるとありました。適任でしよう。


そして、梶原理(おさむ)君は統計調査功労で瑞宝単光章を受賞。

梶原君

三陸新報4月29日記事の一部イメージ


菊田裕美君(気中3年1組)から、梶原君の旧姓は「男乕」(おのとら)と教えてもらわなかったら気づかなかったかも。気高3年3組、唐桑中学出身です。

統計調査員は1974年から務めてきたと記事にありました。23歳からです。たずさわった調査は計124回とのこと。これはすごいですね。それゆえのこのたびの受章でしょう。「地域の人とのつながりに助けられた。忙しい中、協力してくれた対象者の皆さんに感謝している」という理君の言葉が紹介されていました。

齋藤一君、梶原理君、このたびの受章、おめでとうございます。元気な様子がうかがえてなによりでした。ますますのご活躍を願っております。


なお、上で紹介した斎藤益男君は、昨年秋の叙勲で瑞宝双光章を受章しています。つぎのブログにて。

2022年11月14日ブログ「齋藤益男君の受章」

 

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プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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