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松川水源開発事業

3月28日に気仙沼市の菅原市長が、水源開発事業について、つぎのようにツイートしていました。



この松川水源開発について、市の記者発表資料をみてみようと思ったのですが見当たらず。しかし3月30日の三陸新報が、この安全祈願祭を伝えていましたので、その内容をもとに紹介します。

記事によれば、松川水源は、宮城県が地元の反対を受けて、2000年に建設を中止した新月(にいつき)ダムの代替水源として、気仙沼市が同年度に開発に着手しました。総事業費は48億円で、松川地内5カ所に1日最大6千トンの取水が可能な井戸、導水ポンプ場などを整備したそうです。旧市内(八瀬、廿一、上鹿折を除く)の取水体制はこれまでどおり大川の原水がメインで、松川水源は1日当たり130〜150トンを取水します。渇水期や大雨などの災害時などには、取水量を増やして供給するとのこと。

私の理解では、メイン水源である大川の原水は、舘山(たてやま)取水口から舘山浄水場に導かれて処理され市内に供給されます。松川水源は補完的な位置づけということだと思います。

市長の投稿写真にうつっているのは、市営松川住宅に隣接する敷地内の取水槽とのことです。

投稿冒頭に、平成12年/2000年に新月ダム計画が中止となり、代替水源が必要になったと記されています。この「新月ダム計画中止」については、2013年9月のブログで記しておりますので以下に再掲します。このブログの冒頭は、NHK朝ドラ「あまちゃん」のオープニング映像の話。もう10年経ったのですね。


2013年9月19日ブログ再掲
◎新月ダム反対運動

NHKドラマ〈あまちゃん〉のオープニング映像。私はあの中の小川の水面をなめるように撮影した映像を見るたびに、気仙沼の新月(にいつき)の風景を思い出します。

JR大船渡線で一ノ関から行くと、気仙沼に着く20分ぐらい前にきれいな川の流れを見ることができます。1分ぐらいでおわってしまいますが、私はあの風景が大好きです。いつもディーゼル車の窓から見るだけで足を踏み入れたことはないのですが、あの奥に新月渓谷の素晴らしい風景があるのでしょう。


新月渓谷。ブログ「スローな食に、スローな家。」より拝借


約40年前、あの美しい新月渓谷にダム建設の計画がもちあがりました。しかし反対運動によってその計画は中止になったのです。私は実家から送ってもらっていた三陸新報でその経緯をかろうじて知っておりました。あれはいつ頃のことだったのだろう。昨日と同じく、〈気仙沼文化史年表〉(荒木英夫編)で調べてみました。その内容はつぎの通りです。

1974(昭和49)年2月20日
新月ダム建設に関する説明会が行われる
1974(昭和49)年3月2日
新月ダム建設反対期成同盟会結成される
1975(昭和50)年3月29日
新月ダム建設反対期成総決起大会が新月ダム計画絶対反対を決議
1984(昭和59)年12月22日
新月ダム対策協議会設立(会長 昆野辛治郎)
1988(昭和63)年5月30日
県と市が新月ダム建設工事の基本協定書に調印
1997(平成9)年8月21日1997
県は新月ダム建設計画の休止を決める
2000(平成12)年7月17日
気仙沼新月ダム期成同盟会解散

1974年にダム建設の説明会が行われ、すぐに反対運動が始まったのですね。その14年後1988年の建設工事の基本協定というのはなんだろう。一度は工事開始直前までいったのでしょうか。そして宮城県がダム建設計画の〈休止〉を決めたのは1997年、説明会から23年後のことでした。

ネット/ウィキペディアの「中止したダム事業」説明に、つぎの記述がありました。
「宮城県の新月ダム(大川)は、下流の気仙沼市等の漁業関係者からカキ養殖に重大な影響を及ぼすとして反対運動が起こり、その後水需要の減少なども重なり計画が中止された。既得権益、特に漁業権絡みの反対運動は環境保護の立場からの反対運動と軌を一にすることが多い」

なるほど。計画通りダムが建設されていれば、新月渓谷の姿は大きく変わっていたことでしょう。最近の気仙沼での防潮堤建設をめぐる議論に際し、この新月ダムの建設計画と反対運動を思い出している人も多いのではないでしょうか。〈歴史はくりかえす〉か。

ブログ再掲内容は以上です。

◎今川悟さんサイトの記事

なお、この新月ダム計画の中止とその後の経過については気仙沼市議会議員の今川悟さんの活動報告サイトに詳しく紹介されています。

2019年10月8日「新月ダム物語のその後。計画中止から19年」

今川さんは、この中でつぎのように記しています。〈漁師が山に植樹する「森は海の恋人運動」もダム計画の反対運動の中から生まれ、今では山川海のつながりはとても大切なものであるという認識が広まっています〉。そして〈新月ダム計画が公表されてから約50年後に、新たな水源開発施設が稼働します。ようやく、新月ダム計画に本当の意味で終止符が打たれるのです。先人が守った新月の自然に目に向け、気仙沼市のアイデンティを確認したいです〉とも。

水源の確保のために新月地区にダムを計画した宮城県とそれに対する地元の反対運動といった単純な構図でとらえてはいけないと思います。双方の主張にはそれぞれ得られるものと失われるものがあったはず。なかなかに難しい課題だったでしょう。

県のダム計画発表から50年経ちました。そして計画中止後に気仙沼市が新たに開発したのが地下水を利用する松川水源でした。その貯水槽への注水弁が3月28日にあけられたのです。

松川地区の皆様のご協力、ありがとうございました。また、 ダム計画に反対した方々も含め、50年にもわたるこの問題というか課題の解決にあたった多くの関係者の皆さまのご努力にも敬意を表します。開発に20年以上もかかった松川水源のこのたびの稼働、おめでとうございます。
 
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明治初期の小学校

3月24日のブログ「粧坂小学校の歴史」で、明治6年の気仙沼村域における鼎浦小学校と粧坂小学校の開校を紹介しました。その中で、気仙沼市史の画像を掲載したのですが、本日はその市史内容をもう少し詳しく紹介します。

市史によれば、宮城県の小学校の創立を記した記録としては「官下小学校開業調」というものがあるそうです。しかし、気仙沼地域の小学校については、当時のこの地域は水沢県に所属していたために開業調での記述はありません。

本吉郡の小学校については、明治9年刊行の『文部省第四年報』に記述があり、その内容が表として紹介されていました。枠線は当方が追加。


表
『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編(p34より)


気仙沼村としては鼎浦小学校と粧坂小学校の2校が記されています。唐桑については、紫微浦・中井・諏訪の3校です。この「紫微浦」については、気仙沼市教育委員会の学校沿革史では「紫微」としています。現在の鮪立(しびたち)の「しび」でしょう。「松巌」は現在の松岩ですね。

新月村の3校をのぞいてはみな明治6年の創立です。ここに津谷小学校の前身「舘岡小学校」が含まれていないのは、この気仙沼市市史第6巻が刊行されたのは、平成4年2月で、津谷地区がある本吉町はまだ気仙沼市ではなかったからです。合併したのは2009年/平成21年9月1日。

◎気仙沼文化史年表の記述

『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)での関係記述を以下に。はじめの2項目は前回の紹介と同じです。

明治6年1月26日
気仙沼小学校の前身鼎ケ浦小学校八日町御代官屋敷に開校《気仙沼小要覧》
明治6年1月
観音寺に化粧坂小学校開校 本町・内ノ脇・九条の学童を通学させる
明治6年8月5日
波路上・長磯・最知・岩月の4小学校開校《階上小百年》
明治6年
松崎村松岩寺に松崎小学校 赤岩村並木に老松小学校開校、二本松・水梨子に支所をおく 《水梨小要覧》

明治7年3月15日
新城村宝鏡寺に新城月立小学校開校 上八瀬・下八瀬・落合に出張場を置き鍋島一郎が教師(校長)となる《新城小百年》
明治7年10月
新城月立小学校が河原崎小学校、落合・下八瀬小学校が独立[新月村誌]


明治6年は1873年。津谷小学校だけでなく前身の小学校創立から数えると多くの小学校が120周年を迎えました。そういう意味では気仙沼(だけではないけれど)「小学校120周年」ということかもしれません。

◎現在の児童数は明治初期と同様

おどろいたことがあります。令和5年度/2023年度の気仙沼小学校児童数の見込みは、3月23日ブログ「児童生徒数見込み」で紹介したように227名です。そして、明治6年/1873年の気仙沼小学校の前身である鼎浦小学校の男生徒177名、女生徒42名で計219名となっています。ほぼ同じになっていたのです。

鼎浦小学校の生徒数に粧坂小学校の分を加えて比較してみれば、明治初期よりも現在のほうが少なくなっているでしょう。120年を経過してのこの現状にとてもおどろきました。長くなってしまいましたが、本日はそのおどろきを皆さんにお伝えしたく。

◎参考資料:市史の該当頁画像

紹介した市史の該当頁画像を下記に。『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編から教育編第2章「明治時代の教育」第2節「小学校の創立」中の第1項「小学校の開校」です。



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3月24日ブログ「粧坂小学校の歴史」
 

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徳仙丈山の野焼き

3月15日の三陸新報「論説」に徳仙丈山のツツジのことが書かれていました。見出しは「徳仙丈山ツツジ群 官民一体で知名度向上」。


3:15論説

三陸新報3月15日記事の一部イメージ


私の目を引いたのは、論説記事の冒頭です。引用します。

〈気仙沼市と旧本吉町の境にそびえる徳仙丈山(標高711m)には、大正初期から昭和25(1950)年まで銅を採掘した「徳仙鉱山」があった。

鉱山での火入れや山火事などで燃えた跡は屋根ふきの材料である萱(かや)の刈り場や牧草地として利用された。登山道の一部の「火防線」は明治時代に造成されたという。〉(引用は以上)

この内容は、公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」の「ツツジの徳仙丈山〜人ものがたり」でも紹介されています。なにか案内掲示板かなにかに紹介されている内容なのでしょうか。


◎徳仙鉱山とは

銅を産出したという「徳仙鉱山」とはどんな鉱山だったのだろう。そう思って「気仙沼市史」第5巻産業編(上)第5章「鉱業」を調べてみたのですが、「徳仙鉱山」の名は見当たりません。近くには「羽田鉱山」があるのですが。

ただ、新月鉱山に関する記述のなかに「徳仙丈」の名がありました。新月鉱山は、明治年間から金・銀・銅などの金属鉱石とともに亜砒酸の原料として硫砒鉄鉱の採取がおこなわれていました。そして昭和8年には、日本砒素鉱業株式会社が上鹿折官代沢に精錬所をつくります。

そして戦後の昭和22年には東北農業化学株式会社の経営となり(その後、東北砒素鉱業株式会社と改称)、松岩・徳仙丈(本吉町)・大鷲(岩手県住田町大股)の3鉱山からの鉱石を原料として亜砒酸を製造したとのこと。

徳仙鉱山では銅のほかに、亜砒酸(あひさん)の原料となる硫砒鉄鉱も産出したのでしょうか。

◎鉱山での火入れ

私が論説記事の「鉱山での火入れ」という言葉を読んだときに連想したのは、鉱石を採取して精錬するときの熱源として徳仙丈の樹木を利用したとか、精錬に用いる炭の原料としての樹木利用でした。

しかし、どうも違うようですね。ここでの「火入れ」は「野焼き」ではないかと。そうだとすれば、「鉱山での火入れ」の「鉱山」は不要かも。徳仙丈山の火入れということですから。つまり、火入れ(野焼き)や山火事で燃えた跡は牧草地として利用されたということではないでしょうか。

細かなことはここまでにしておきますが、徳仙丈のツツジの素晴らしさをさらに多くの人に知っていただくためにも、この山の歴史に関しての基本的な情報を整備しておきたいところです。

「徳仙鉱山」そして「徳仙鉱山の野焼き」については、詳しいことを知っている方がいらっしゃると思います。是非お教えいただければと。

季節の話題としてだけでなく、地元紙でのこうした取り上げもいいですね。三陸新報さん、ありがとうございました。

2022年5月16日ブログ 徳仙丈山の「物語」
 
 

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エクセレントジョブ!

3月23日の菅原市長のツイートは、「Kesennuma Excellent Job Award 2022」の紹介でした。


市の3月23日付け記者発表資料によれば、このアワードは市の事務・事業の中で顕著な功績があった部署や職員を表彰するもので、2020年度に創設されました。そして2022年の受賞事業は「まちづくり応援寄附金推進事業」でした。事業実施者は「震災復興・企画部震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室」です。資料から事業内容を引用します。これが授賞理由ということでしょう。

事業内容:2021 年の同賞を受賞した事業であるが、クラウドファンディングの仕組みの活用や、ゼロから新たな返礼品を生み出すなど、前年度までの取り組みをさらに工夫することで昨年度の3倍超となる寄附額(令和5年1月末現在で約46億9千万円)を実現し、寄附を財源とした「人口減少対策パッケージ」という付加価値を創出するなど、今年度だけにとどまらない将来までの波及効果を生み出した成果から、2度目の受賞を決定した。 (引用は以上)

そして市長のツイートで「グッドジョブ」としているのは、「Good Job 2022」のこと。エクセレントに次ぐグッドという位置づけ。つぎの3事業に授与されました。

・スマホアプリを利用したデジタル商品券「ホヤチケX(トランスファー)」 (産業部産業戦略課) ・ホヤぼーや生誕150周年記念各種事業(産業部観光課) ・気仙沼学びの産官学コンソーシアム(教育部学校教育課)


◎赤坂勇磨室長の退任

この震災復興・企画部震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室で室長をつとめてきたのが、総務省から気仙沼市に出向していた赤坂勇磨さんです。着任は2020年7月。

その赤坂室長が3月末で退任し、総務省に帰任するとのことです。3月27日の三陸新報がつぎのように伝えていました。


赤坂室長

三陸新報3月27日記事の一部イメージ

記事では、ふるさと納税のほか、お試し移住やふるさとワーキングホリデーなどによる移住・定住者拡大などでの貢献も紹介。また、国の交付金獲得努力によって、大島のモノレール建設、気仙沼ビズの立ち上げ、人材育成塾の運営など、重要施策につながったとも。

記事は赤坂さんの言葉を引用し、つぎのように結ばれていました。〈3歳の長女とともに、「気仙沼がお家(うち)」と感じており、「気仙沼は離れるがこれからも関わっていく。学んだことや縁を大切に、応援し続けていきたい」と話した。〉

赤坂勇磨さん、ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


中央省庁から気仙沼市に出向してくださった方々の退任についてはつぎのブログでも。ご参考まで。

2022年6月27日ブログ「留守副市長の退任」
2018年7月6日ブログ「菅沼副市長の退任」
 

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tag : 赤坂勇磨

萬有流転 武山櫻子

3月23日の三陸新報1面コラム「萬有流転」に書家・武山櫻子(美加)さん(3年9組)のことが書かれていました。


萬有流転

三陸新報3月23日記事の一部イメージ


書道芸術院展と現代女流書100人展(三陸新報記事では女流100人展と略称していました)への出品作についてなのですが、これらについては2月23日のブログでも紹介しました。

2月23日ブログ「現代女流書100人」

萬有流転でとりあげている書の歌と句をあらためて紹介します。

◎書道芸術院展出品作

細き枝の先まで雪は花のごと積もりて眩し朝の庭園 鮎貝文子の歌

雪の字は旧字(本字)「䨮」で書かれています。鮎貝文子さんは、落合直文の生家「煙雲館」館主。

櫻子さん提供の写真も再度。作品の右側にうつっているのはお孫さんです。


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◎現代女流書100人展出品作

飛んでいったか仏壇のうぐいす餅 山口茂の句

萬有流転では以上の2作品の歌・句を紹介したあと、つぎのように。

〈櫻子さんを知る人は、父である櫻光さんの後を継いだ時に、「一心不乱に紙に向き合い、毎日、書を書き続けていた」と語る。事実、櫻子さんも「頬が下がるのではと思うほど、下を向いていた」と。努力の人である〉

書道芸術院展出品作は、今年の市民文化祭に展示されるようです。例年10月から11月にかけての開催かと。そのときにはまた紹介することにいたしましょう。

こうして気中同級生のことを好意的に書いていただいてありがたい。三陸新報さん、ありがとうございます。
 

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tag : 武山櫻子

粧坂小学校の歴史

3月6日ブログ「津谷小創立150年」で、市立小学校のほとんどが、その大元をたどると明治6年に創設されていると記しました。そして気仙沼小学校も明治6年1月26日に「鼎浦(ていほ)小学校」として創設されたと。これに続けてつぎのように記しました。〈明治6年に気仙沼で開校したのは鼎浦小学校だけではなく2校です。もうひとつは「粧坂(しょうはん)小学校」。その場所など詳しいことは日をあらためて〉。

ということで本日は「粧坂小学校」について。まずは気仙沼市史における記述を引用します。

◎気仙沼市史の記述

『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編から教育編第2章「明治時代の教育」第2節「小学校の創立」から関係記述を引用します。

〈 気仙沼町には、鼎浦(ていほ)小学校の外に明治6年開校で教員数2名の粧坂(しょうはん)小学校も創立されていた。粧坂小学校の位置は観音寺付近であろうと推測されるだけで詳細な記録が残っていない。神山真清(安政2年生)の「学業履歴書」に「同(明治)九年一月磐井県ヨリ六等訓蒙ニ補セラレ同郡気仙沼村粧坂小学校在勤申付ラル」とある。神山家所蔵の明治10年出版『小学国語読本』、同年出版『小学問答集』等に粧坂小学校の校印ある教科書が残されているので明治10年以降も存在したものと思われる。

明治12年(1879)は学制公布以来最初の学制改革の年であった。9月に「学制」を廃し「教育令」を公布したが、宮城県に於いても1月に小学校名称を地域名あるいは町村名に改称すべき旨を布達したり、8月、「宮城県小学校規則」の制定などの動きがあった。粧坂小学校と鼎浦小学校の合併がこの時期に行われたものと考えられる。

気仙沼小学校と名称を変更した時期も明確ではないが、前記神山真清の履歴書に「同10年10月同郡同村気仙沼小学校ニ転務」とあるので10年代には公式には気仙沼小学校と称したと思われる。しかし「気仙沼小学校沿革誌」には明治22年まで「鼎浦」の記載が見えるが、これは創立当初の名称を通称していたもので、公式校印や記録は気仙沼小学校となっている。〉引用は以上。

気仙沼市史の引用部分画像を下に示します。


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『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編より


◎気仙沼文化史年表の記述

つぎに、『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)から関係記述を拾ってみました。

明治6年1月26日
気仙沼小学校の前身鼎ケ浦小学校八日町御代官屋敷に開校《気仙沼小要覧》
明治6年1月
観音寺に化粧坂小学校開校 本町・内ノ脇・九条の学童を通学させる

上記の明治6年1月26日の記述で学校名を「鼎ケ浦小学校」としていますが、市史では「鼎浦(ていほ)小学校」です。気仙沼小学校サイトの学校沿革でも「鼎浦小学校」創設としていますので、「鼎浦小学校」が正しいのでしょう。ただし、この「鼎浦小学校」を「鼎ケ浦小学校」と読む人は多いのではないかと思います。

また、典拠が明らかではありませんが、明治6年1月の「本町・内ノ脇・九条の学童を通学させる」というところも気になりました。当時、「内ノ脇」という地名があったのかどうか。なんというか現行の地区名称を意識しすぎているような感じもします。

◎「化粧坂」との関係

私は「粧坂(しょうはん)小学校」という校名を目にしてすぐに連想したのは観音寺近くにある坂「化粧坂」(けしょうざか)です。あの化粧坂のある近辺が「粧坂」と呼ばれていたのではないかなと。

このあたり、気仙沼の地名に詳しい方にお教えいただきたいところですね。「化粧坂」という名称の由来が、羽田(はた)神社の神輿のお飾りを〈化粧直し〉することからきているとの説はつぎのブログで紹介しました。

2022年10月31日ブログ 「化粧坂」地名由来

粧坂小学校の場所は観観音寺付近だったのかそれとも観音寺内であったのか。そして、「粧坂」と「化粧坂」の関係は。ふたつの謎が残りました。今週はこれにて。
 

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児童生徒数見込み

3月22日の三陸新報に気仙沼市と南三陸町の2023年度小中学校、児童・生徒数見込みが紹介されていました。気仙沼市は3月7日現在、南三陸町は3月1日現在の数字です。

記事によれば、気仙沼市の小中学校児童・生徒の見込み数は3398人で、10年前から1637人(33%)減ったとのこと。10年前の約7割ということでしょうね。

以下、小学校と中学校それぞれの数字を見てみましょう。


◎小学校

小学校

三陸新報3月22日記事より


気仙沼市の小学校数は統合が進んだことで10年前より5校少ない14校。全学年で2クラスとなるのは本年度同様に松岩小のみとのこと。気仙沼小学校の全校児童数は227人となっています。何度も書いていますが、私が通っていたころは3000人以上でした。

参考まで記しておくと「、南気仙沼小学校が気仙沼小学校との統合によって閉校したのは、2012年3月のこと。1967年4月に気仙沼小学校から分離する形で開校した南小45年の歴史に幕を降ろしました。

◎中学校

中学校

三陸新報3月22日記事より


気仙沼市の中学校数は10年前より3校少ない10校となっています。統合計画のある気仙沼中と条南中については、気仙沼中が122人、条南中が162人です。

以上が気仙沼市の2023年度小中学校、児童・生徒数見込みの紹介でした。これまで何度も各年度の見込み数を紹介してきましたが、3年前2020年度の数字を参考までに。つぎのブログをご覧ください。

2020年4月23日ブログ「(2020年度)児童生徒数見込み」

この児童・生徒見込み数は毎年発表されています。はじめは小中学生の少なさに驚いたものですが、いまでは少子化の確実な進行を確認するのみという感じです。

以上、参考資料としてご覧いただければと。

2017年6月22日ブログ「77年前の気小校庭」

 

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tag : 児童生徒数少子化

おかえり寄席 御礼

WBC、日本優勝!すばらしかった。ありがとう!

ここからが本題。3月18日と19日の「おかえり寄席気仙沼 志の輔独演会」が無事に終了したとのこと。きのう3月21日の三陸新報がつぎのように伝えていました。


3:21三陸

三陸新報3月21日記事の一部イメージ


記事には、会場の気仙沼中央公民館は2日間合わせて約660人でいずれも満員だったと。そしてつぎのように記されていました。〈志の輔さんは、初めて落語会が開かれた11年前を「ついこの前のことのよう」と振り返りながら、気仙沼との縁に感謝。「また来年もやらせていただきたい」と再会を約束すると、ひときわ大きな拍手に包まれた〉。

この〈来年も〉との言葉は3月19日の菅原市長のツイートでも紹介されていました。


この「おかえり寄席気仙沼」は気仙沼つばき会の皆さんが中心となって企画、開催されたもの。3月21日の三陸新報には、同会からの御礼広告が掲載されていました。

御礼広告

三陸新報3月21日掲載広告


〈おかげさまで会場が一体感のある大きな笑いに包まれ、心温まる素敵な時間となりました〉という文章を読みながら、〈御礼〉を申し上げたいのはこちらのほうとも。

志の輔師匠、今回もありがとうございました。気仙沼との縁がさらに深まったようでとてもうれしいです。

そして気仙沼つばき会さんはじめ関係者の皆さま。今回もご苦労さまでした。来年開催への期待も大きいようですね。ご苦労も多いことかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

1月27日ブログ「おかえり寄席2023」

 

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女優「小野寺ずる」

本日紹介するのはNHK大河ドラマ「どうする家康」に出演している気仙沼出身の女優、小野寺ずるさんです。演じている役は、松平家の侍女(じじょ)お杉。毎回登場するわけではありません。初回登場は2月19日放送回「わしの家」、そして3月12日放送回「側室をどうする!」にも。

3月12日の放送後、ずるさん自身がつぎのようにツイートしていました。左がずるさん。


小野寺ずるさんの実家というかご両親について、気仙沼では多くの人がご存じのことでしょう。お母様は私の妻と鼎が浦高校で同級生。細かなことは控えますが、歌手としてコンサートなども。ずるさんは、そうした表現の世界を身近に感じながら育ったのでしょうね。大学は東京の女子美術大学へ。

ずるさんのツイッターのアカウント情報にはつぎのように記されています。

脚本演出/お役者/糞詩人/ド腐れ漫画家。 気仙沼出身。 @zurulabo所長【漫画連載】日刊SPA!『#小野寺ずるのド腐れ漫画帝国』【取材連載】えんぶ『#小野寺ずるの女の平和』 

なんかすごいですよね。役者だけでなく、脚本も詩も漫画も。実に多彩な活動そして才能です。

ずるさんは、「ZURULABO」というツイッターアカウントをもっています。こちらは、ずるさんが、漫画/ポエム/絵/演劇など自身が作成したもろもろを溜め込み公開する場所とのこと。3月11日には4周年ということでつぎの投稿を。


このツイート画像の背景は気仙沼の海ですね。〈心もすっぴん〉。いいなあ。

私たち夫婦も含め、多くの気仙沼の人が応援していることでしょう。

これだけ多彩な活動をしているずるさんに大河ドラマ頑張ってくださいという応援の言葉もちょっと陳腐に感じます。そんなことでとりあえず、ZURULABO4周年、おめでとうございます!ということで。よろしくお願いいたします。

スポーツ報知 2021年3月9日配信記事

 

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気中屋体落成記念

藤田正敏君(3年5組)が、日本体操協会から功労賞を受賞したことを2月16日のブログで紹介しました。そのなかで、三陸新報記事にあった「東京五輪で活躍した遠藤幸雄選手らによる気仙沼での演技を見て感動し、気仙沼高校時代に体操を始めた」ということも記しました。

記事を正確に引用しておくと「藤田さんは、小中学生の頃に東京五輪で活躍した遠藤幸雄選手らによる気仙沼での演技を見て感動し、気仙沼高校時代に体操を始めた」です。私は、これを読んだときに、気仙沼中学の屋体でおこなわれた演技を見たのだろうと思いました。

そして藤田君と電話で話したときにそのことを聞いてみたところ、「そうだよ」と。遠藤幸雄(ゆきお)選手だけでなく小野喬(たかし)選手も来てくれたと。

この体操実演技は、昭和34年/1959年9月に気仙沼中学校の屋内体育館(屋体)の落成を記念しておこなわれた「体操実技模範演技」だったのです。当時、藤田君も私も気仙沼小学校の2年生でした。私はあまり覚えていないのですが、藤田君によれば気小児童もみなこの演技会をみたとのことです。

なぜ私がこの体操演技の年月など詳しいことを知っているかといえば、『創立五十周年記念誌』(市立気仙沼中学校1996年11月発行)の「沿革の概要」につぎの写真とともに記されていたからです。


屋体

画像は『創立五十周年記念誌』より


この記念誌には「体育館落成」が昭和34年/1959年9月26日と書いてあるのですが、『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)には、落成を昭和34年/1959年9月11日としています。

左上の写真は「屋内体操場の竣工式」としてありますね。これを見ると、竣工式/落成式と体操演技は別の日におこなわれ、それが上の日付の違いに関係しているのかもしれません。

なお、三陸新報の記事に「東京五輪で活躍した遠藤幸雄選手ら」とありますが、気中屋体での模範演技がおこなわれた時点では東京オリンピックは開催されていません。屋体落成の翌年1960年がローマオリンピック、そして1964年が東京オリンピックです。東京五輪のときは気中1年生でした。

真ん中の写真、脚前挙(きゃくぜんきょ)をおこなっている選手は遠藤選手か小野選手か。2選手の得意競技を調べてみると遠藤幸雄であると思うのですが。

◎文藝春秋文化講演会

紹介した画像の左下写真のキャプションは右上と同じ「体育館全景」となっていますが誤記ですね。「講演会」です。写真をよく見てみると舞台側面に「漫画読本」「オール読物」の文字。その右は「文藝春秋」でしょう。左上には「天然色文士劇映画上映」ともあることから、これは文藝春秋の文化講演会です。

『気仙沼文化史年表』に記載がありました。昭和34年9月11日「文芸春秋文化講演会 五味康祐 源氏鶏太 桶谷繁夫来市」。「柳生武芸帳」の五味さん、サラリーマン小説などで知られる源氏鶏太さん。桶谷(おけたに)さんは金属学者で評論家としても知られていた方です。「文士劇」の映画も面白そう。天然色だし。

話がいろいろと広がってしまいましたね。以上のようなことで、藤田君の功労賞受賞は、気仙沼中学の屋体落成当時のことを知るよいきっかけになりました。正敏君、ありがとう。

なお、気仙沼中学校「創立50周年記念誌」についてはつぎのブログで紹介しております。

2021年4月29日ブログ 気仙沼中「新校舎」

 

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台湾の皆様に感謝

3月11日のNHK「ありがとうを3.11に伝えよう委員会2023」をご覧になりましたでしょうか。3月9日のブログでも紹介しましたが、2021年、2022年と続き今回が3回目となりました。

今回は、気仙沼ホテル観洋のホールにお世話になった方をお招きして「ありがとうの集い」を開催し、震災後の12年をみんなでふりかえりました。

集いの会場には、1月15日で11年間の営業を終了した「気仙沼さかなの駅」協同組合長をつとめた平塚一信君(3年1組)をはじめ、見知った顔がたくさん。そんなことで、話はいろいろとあるのですが、本日はオノデラコーポレーションの小野寺紀子さんの〈ありがとう〉を紹介いたします。

紀子さんがありがとうを伝えたい人は、慈済(ツーチー)基金会の皆さま、そして台湾の皆さまでした。

慈済基金会は、台湾の仏教系慈善団体です。同会は、東日本大震災で被災した東北の約10万世帯に総額50億円を超える見舞金(紀子さんは、40何億円と語っていました)を配布し、気仙沼市でのその金額は4億円以上にものぼります。


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画像はすべて番組放送画面より


この台湾関連の放送冒頭では、慈済基金会の関係者を気仙沼での集いにお招きするため、「ありがとう委員会」副委員長をつとめる南町紫神社前商店街の坂本正人さんが東京・新宿の慈済基金会日本分室を訪ねたときの様子が紹介されました。

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出迎えてくださったのは、震災後の気仙沼を訪れたメンバーのおひとりである陳量達(タンリョンタツ)さんです。本吉町での支援活動の手伝いに来てくれた紀子さんがうつる写真なども見せてくれました。その後、陳さんと紀子さんが会う機会はなかったとのこと。

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そして迎えた気仙沼での集い。紀子さんから陳さんへの感謝状を。

紀子さんは「慈済基金会の皆さま、そして台湾の皆さま」と語りかけたあとは言葉につまります。そしてつぎのようにつづけました。「おかげさまで、元気にわらって暮らせてます。あの時の支援に心から感謝してます。日台友好を永遠に願います。小野寺紀子より」

これに対して陳さんは「当時、39カ国のボランティアが募金してくれて、そのおかげでこうした活動ができました。皆さんのお気持ち、皆さんの元気な姿を是非、この番組で、39カ国のメンバーにも見てもらいたいなと考えております」と。

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紀子さんらの台湾への恩返し活動も紹介されました。2021年3月に中国が台湾産パイナップルの輸入を停止した影響で売り先がなく困っていることを知った紀子さんらは、10年前のご支援に感謝する「ありがとう台湾!パイナップル支援プロジェクト」をたちあげたのです。

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つぎのブログでも紹介しました。

2021年5月7日ブログ「謝謝台湾 台湾加油」

陳さんはこのプロジェクトのことはご存じなかったようです。会場には気仙沼での支援活動にも参加した陳金發(チンジンファ)さんという方が台湾から招かれていました。陳さんはそのパイナップル支援を呼びかけるパンフレットを台湾に持ち帰って皆さんに伝えたいとのことでした。

紀子さんは、皆さんからの支援をすごく受けたのに、その感謝を伝えることができないでいることが気になっていたようです。しかし、〈今回、ほんとにすごくいい機会を与えていただいて〉と語っていました。

坂本さんは、自分も慈済基金会さんからお金をもらったけれど、今でも使えないでいると語って、涙ぐんでしまいました。言葉にならない。当時の配布物を手にして現金が入ったままだというのです。そして言葉を絞り出すようにして、本当にありがとうございましたと。

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紀子さんも坂本さんも震災当時のことやその後の12年のことがいろいろとこみあげてくるのでしょう。それを見ているとこちらまで。


◎12年前の慈済基金会訪問

放送のなかで、新宿にある慈済基金会日本分室がうつったのを見て驚きました。そして陳量達さんが登場したことにさらにびっくり。私は、鈴木徳一君(3年3組)と斎藤恒四郎君(3年6組)とともに、2011年11月18日に慈済基金会を訪れて陳さんにお会いしていたからです。

気仙沼へのご支援に対する感謝を伝えるために慈済基金会を訪ねたときの様子はつぎのブログで紹介しております。

2011年11月19日ブログ「慈済基金会訪問」

そして2016年2月19日にも、2月6日に起こった台湾南部地震のお見舞いを申し上げるために日本分室へ。つぎのブログでその様子を。

2016年2月19日ブログ「再び慈済基金会へ」

この2016年2月のブログのなかで、気仙沼出身者首都圏同年会「けせもい会」としてのお見舞いの言葉を紹介しています。そのなかにつぎの一節がありました。

〈復興途上にある気仙沼からの台湾被災地に対する支援には自ずと限りがあると思いますが、現地気仙沼の人たちの気持ちが私たちにはよくわかります。「あの時に大変お世話になった台湾の人たちに、こういう時にこそお返しをしなければ」。多くの人がいまもそう思っていることでしょう。本日は、その多くの人の気持ちを直接お伝えしたく、ここにまいりました。〉

この訪問は、慈済基金会が運営する台湾のテレビ局「大愛電視(大愛テレビ)」で紹介され、今も同会サイトで公開されています。恥ずかしながら私がお礼とお見舞いを語る姿も。

そのお礼とお見舞いの言葉の中国語テロップはつぎのとおり。

不忘五年前恩情
東洋之愛渡海來
大家心中非常的感謝

1行目の「不忘五年前恩情」を「不忘十二年前恩情」と換えて台湾の皆様に。小野寺紀子さんや坂本正人さん、そして気仙沼の多くの人もきっと同じ気持ちでいることでしょう。

慈済基金会の皆さま、そして台湾の皆さま、ありがとうございました。あらためて心からの御礼を申し上げます。

2019年4月26日ブログ 「不忘五年前恩情」

 

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tag : 慈済基金会台湾小野寺紀子

「センター長」の交代

「気仙沼ビジネスサポートセンター(気仙沼ビズ)」のセンター長が交代となるそうです。3月7日の三陸新報がつぎのように報じています。


気仙沼ビズ

三陸新報3月7日記事の一部イメージ


気仙沼ビズがオープンしたのは2021年5月29日のことでした。初代センター長の吉澤貴幸(よしざわ・たかゆき)さんは2020年10月からの全国公募に応募した113人から選ばれました。

2021年6月3日ブログ 「気仙沼ビズ」開所

センター長交代の理由について市当局は、「評価委員会で、得意分野の相談対応には事業者の満足が高いとの評価だった」とする一方、「相談者の強みを見いだし、新たな商品やサービスをつくり出す本来のビズモデルの再現ができなかったということだった」と説明しているそうです。

後任の人選は求人サイトでの応募を踏まえ、今月下旬に書類選考を実施、今月下旬に最終面接をおこなったうえで決定するそうです。

〈本来のビズモデルの再現〉というのがちょっとわかりにくいのですが、求めていることと提供されることとのレベルの違いやギャップがあったのでしょうか。このあたりは、後任の選考にあたっても丁寧に調整してほしいところですね。

私は気仙沼ビズのブログや相談事例紹介を見ていて、熱心にいろいろと対応してくださっているなという印象を受けていました。そんなことで評価委員会の〈得意分野の相談対応には事業者の満足が高い〉という評価はまさにそうだったのでしょう。

吉澤さん、2年間お疲れさまです。ご支援、ご指導に感謝している相談者がたくさんいることと思います。気仙沼での2年間の経験をあらたな仕事のなかで活かしていただければなによりです。ありがとうございました。

なお、吉澤さんの2022年7月6日の三陸新報「リレー随想」寄稿文をつぎのブログで紹介しております。

2022年7月7日ブログ 「子に押された背中」

 

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津谷小小泉小統合

気仙沼市立津谷小学校と小泉小学校の来年4月1日統合が正式に決定したとのこと。3月8日の市議会本会議で統合に伴う条例改正議案が可決されました。ブログタイトルがわかりにくいと思いますが、「津谷小・小泉小の統合」の意。8文字に収める自主基準のため。


統合

三陸新報3月9日記事の一部イメージ


この記事では、両校が対等な立場で協議できる場を求める保護者の意見が紹介されています。このあたりは実に微妙な問題ですね。私もこのブログを書くときにいつも悩むところ。

記事でも両校の統合について、〈小泉小を津谷小に統合させるための条例案〉とか〈学童保育も津谷小に統合させる考え〉などと、小泉小学校が津谷小に〈統合される〉表現が散見されます。記事後半には〈小泉小の閉校記念事業補助に126万円〉の予算措置ともありました。閉校するのは小泉小学校、統合先が津谷小学校ということでしょう。

このあたりの閉校扱いされる学校の保護者や卒業生など関係者の心情というものが学校統合の議論を複雑なものにしているのだと思います。

◎気仙沼中と条南中の統合懇談会

この記事の左下には、3月7日におこなわれた気仙沼中と条南中の統合懇談会の様子を伝える記事が。


懇談会

三陸新報3月9日記事の一部イメージ


懇談会は今回で6回目。前回までと同じ質疑が繰り返されたそうです。一部出席者から「子供のための議論」でなくなっていることへの不満の声も聞かれたと。また〈懇談会では統合先を気仙沼中とすることへの不満など、これまで出た質問が繰り返され、途中退席する保護者の姿があった〉とも。

記事はつぎのように結ばれています。〈40代の女性は「子供のやりたいことをかなえるための統合ではないのか。子供のための議論ではなくなっている印象で、少し残念だった」と話した〉。

気仙沼市立小中校の3段階にわけての統合計画を示した「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」は平成28年/2016年5月の日付が付されています。一定の手続きを経て市の計画とされています。それから7年。いまは第3段階。この「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」のP1「はじめに」には「第3段階については、整備計画見直しの観点にそって、実情を把握し、必要な場合は再検討します」との記述がありました。

この記述をもとに統合を急ぐべきではないとの意見があるかもしれませんが、少子化や人口数の減少スピードといった実情を把握すれば、まずは現在の統合計画推進を急ぐべきという結論が導かれるような気がします。新たな統合などの新義務教育環境整備計画はそれからのことかと。

以上、あくまで気仙沼出身者ではあるものの現在は東京に在住する〈個人の感想〉です。

前回2月9日の懇談会についてはつぎのブログで紹介しております。ご参考まで。

3月3日ブログ「小中学校論説」

 

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ラグビーのシンポ

3月26日(日)、気仙沼中央公民館で「気仙沼スポーツシンポジウム」が開催されます。大川さくら総合公園多目的グラウンド完成記念事業とのこと。

この催しについては、3月9日の三陸新報も小さな記事でしたが紹介していました。まだ先のことと思っていたのですが、参加申込の締め切りが3月12日となっていました。つまり紹介するのが遅れてしまったわけですが、座談会に登場するメンバーが、なんというか役者がそろったという感じなので紹介させてもらいます。

ラグビー

画像は気仙沼市3月9日付けLINEより


◎気仙沼スポーツシンポジウム
日時:3月26日(日) 午後6時から
場所:気仙沼中央公民館 ホール
入場料無料
チラシ利用の申込み締め切りは3月12日17時

座談会に登場するのは、元ラグビー日本代表の畠山健介さん、スポーツジャーナリストの生島淳さん、スポーツライターの大友信彦さんです。

皆さん気仙沼出身者。細かいことをいうと、畠山さんと大友さんが松岩中、生島さんが気仙沼中。高校は畠山さんが仙台育英でほかのお二人は気仙沼高校。大学はみな早稲田大学です。

この催しのテーマは「スポーツを通じたまちづくり」という観点から市内のスポーツの現状や課題を考えよう」となっていますが、ラグビー色の強いメンバーです。進行は、気仙沼ラグビー協会相談役で宮城県議会議員でもある守屋守武さん。

そして主催団体は気仙沼市教育委員会と気仙沼ラグビーフットボール協会。後援が気仙沼市体育協会、気仙沼高校ラグビー部OB会、気仙沼向洋高校ラグビー部OB会、鹿折ラグビースクールとなっています。

気仙沼市の3月9日付けLINEには定員(300名)になり次第締め切りとありました。締め切りの12日を過ぎていますが、念のため申込フォームを記しておきます。

(3/14午後10時追記:問い合わせ先に確認したところ、チラシ利用の締め切りは3月12日ですが、チラシのQRコードや下記に紹介するネット申込みは催し前日3月25日まで稼働しているそうです。また、当日の来場者についても、会場にて申込用紙にご記入いただければ入場は可能とのこと。いずれにしても、定員300名に達するまでとなります)

申込フォーム

なお、冒頭に紹介した画像で、生島淳さん紹介文中の著書に『箱根駅』とあるのはもちろん『箱根駅伝』 (幻冬舎新書) です。『箱根駅』という書名だと、小説家生島淳の新刊小説のような感じ。雪国の小さな駅で、駅長さあん、駅長さあんと言いながらタスキを渡してくれた踊り子の甘くせつない物語みたいな(笑)

お三方のことを紹介しているブログを参考まで以下に。

2022年5月25日ブログ「畠山健介選手引退」
2019年9月4日ブログ「生島さんの新刊本」
2019年8月28日ブログ「大友信彦さん新刊」
 

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3.11三陸新報紙面

きょうの東京は雨が降ってちょっと肌寒い感じも。本日紹介するのは三陸新報の3月11日の第1面です。見出しが読める程度の解像度にしております。


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三陸新報3月11日記事より


トップ記事の見出しに「東日本大震災十三回忌」とあったことが印象に残りました。そして〈苦難の12年 地域再生へ道険し〉と。

左の記事は、土地区画整理事業を実施した4地区における未活用地についてです。記事本文で詳しく扱っているわけではないのですが写真は片浜地区。キャプションで「土地活用は難航している」と、

紹介したのは1面のみですが、ほかの面で、気仙沼市と南三陸町における復興への12年を年表形式で紹介するなどしています。

3月12日の紙面では、気仙沼市の「追悼と防災のつどい」や気仙沼市復興祈念公園の4基目の彫刻「水をくみに」の序幕式の様子を伝えていました。本日13日は月曜日で休刊日ですので、12日の気仙沼仏教会による「東日本大震災被災物故者十三回忌 慰霊法要」については明日の記事で紹介されることでしょう。

3月11日を過ぎて、いつもの日常というか暮らしのリズムがもどってきたような気がするものの、まだなんか気持ちが中途半端な感じもしています。

3月11日放送のNHK「ありがとうを3.11に伝えよう委員会」については日をあらためて。本日はこれにて。
 

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鎮魂と追悼のヒカリ

本日3月11日で東日本大震災から12年。いつもであればブログをお休みしている土曜日ですが、やはり〈特別な日〉。本日14時46分の投稿といたしました。

気仙沼市によれば、この震災による気仙沼市の人的被害(住民登録ベース)は1355人(直接死1033人、関連死110人、行方不明者212人)にのぼります(2022年3月31日現在)です。気仙沼中学20回生の同級生では及川保則君(3年5組)と鷺(庄司)良子さん(3年8組)のお二人を失いました。そして気仙沼の多くの人が親族をはじめ大切な人を亡くしています。

◎3月11日からのヒカリ

「3月11日からのヒカリ」プロジェクトは2012年から18年まで連続7回おこなわれました。3月11日に気仙沼の内湾〈鼎ヶ浦〉の3カ所から天に向けて3本の光を放射するプロジェクトです。私たちも気仙沼中学20回生支援会として毎回協賛させていただきました。

今年も、プロジェクトの実行委員会代表をつとめた斉藤道有さんの承諾を得て2017年版ポスター画像を掲げます。


3月11日からのヒカリ
「3月11日からのヒカリ」2017年版ポスター(写真撮影:斉藤道有さん)


3本の光を静かに、心のなかでともしたく。鎮魂と追悼のヒカリとして。
 


 

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tag : 東日本大震災3月11日からのヒカリ

十三回忌慰霊法要

もうすぐ3月11日。今年は東日本大震災から12年ということになります。2011年に亡くなった皆様の仏教における年忌法要はこれまで一周忌、三回忌、七回忌。そして今年は十三回忌です。

「東日本大震災被災物故者十三回忌 慰霊法要」が3月12日(日)に気仙沼市民会館で開催されます。3月7日の三陸新報に広告が掲載されていました。


慰霊法要
三陸新報3月7日掲載広告より


◎東日本大震災被災物故者十三回忌 慰霊法要
会場:気仙沼市民会館 大ホール
日時:3月12日(日)
 開場 13:00〜
 第1部 法要 13:30〜
 第2部 講演 14:30〜

第1部は法要、第2部は気仙沼仏教会設立5周年記念企画仏教講演会です。講師は、東北福祉大学学長・曹洞宗法林寺住職の千葉公慈先生。宗旨や宗派にかかわらず、どなたでも参拝・拝聴できるとのこと。入場無料です。

この催しは市内寺院23ヶ寺・企業9社からなる気仙沼仏教会が主催します。同仏教会は2017年3月22日に設立されました。つぎのブログでも紹介しております。

2018年8月14日ブログ「気仙沼仏教会23寺」

ちょっと気になったのは、講演会を気仙沼仏教会設立5周年記念としていたことです。「周年」の数え方や扱い方はちょっとややこしいところがあるのですが、2017年3月の設立ですから2023年3月の講演会は設立6周年記念としても違和感がないように思うのですが。5周年としたことに、なにか理由があるのかもしれません。細かなことで申し訳ないのですが気になったもので。

協賛はコンポジュウム気仙沼実行委員会です。慰霊法要のモニュメントとして、加川広重画伯の巨大水彩画「共徳丸と海」が展示されるようです。また、市民会館ロビー2階にて「加川広重画伯とコンポジュウム気仙沼展」も開催されます。

今回の広告では「コンポジウム」ではなく「コンポジュウム」という表記にしていますが(これも細かなことですみません)、震災復興イベント「コンポジウム気仙沼2018」が2018年11月18日に市民会館で開催されています。つぎのブログで紹介しました。

2018年11月15日ブログ「コンポジウム2018」

参考までに気仙沼仏教会の23寺を記しておきましょう。

海蔵寺・観音寺・興福寺・光明寺・洪龍寺・地福寺(唐桑)・地福寺(階上)・松岩寺・淨勝寺・浄福寺・浄念寺・少林寺・清護寺・清泉寺・青龍寺・清涼院・仙翁寺・長命寺・寶鏡寺・法玄寺・峯仙寺・補陀寺・満福寺

◎気仙沼仏教会事務局
八日町 青龍寺(0226-22-2045)
階上 地福寺(0226-44-3305)
本吉町 淨勝寺(0226-42-2515)

2月23日には、薬師寺まほろば塾/気仙沼塾が2月23日に気仙沼中央公民館で開催され、東日本大震災十三回忌追悼・復興祈願法要もとりおこなわれました。震災から12年となる今年の3月11日は、十三回忌ということでのひとつの区切りを感じるものとなりそうです。

気仙沼仏教会はじめ関係者の皆さま、ありがとうございます。3月12日、どうぞよろしくお願いいたします。

2月28日ブログ「気仙沼 まほろば塾」


◎気仙沼市東日本大震災 追悼と防災のつどい  

気仙沼市としての催しは昨年につづいて「気仙沼市東日本大震災 追悼と防災のつどい」が気仙沼中央公民館で。10時から19時まで館内アリーナには献花台が設置され、どなたでも自由に献花できます。献花用のお花は会場でお渡しするとのこと。





ホールでの防災のつどいなど詳細はこちらから。


◎ほぼ日さんのテキスト中継    

今年も本日3月10日から11日まで「ほぼ日」さんのテキスト中継がおこなわれます。「12年目の気仙沼をめぐる。」

テキスト中継

ほぼ日「12年目の気仙沼をめぐる。」

糸井重里さんと永田さんはクルマで、稲崎さんは自転車でとのこと。毎年、ありがとうございます。今年も、リアルな気仙沼の様子を知ることができることをうれしく思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 気仙沼仏教会

3.11かもめラーメン

もうすぐ3月11日。今年も気仙沼「かもめ食堂」で、かもめラーメンの無料提供がおこなわれます。かもめ食堂の「心温まるラーメン」です。


かもめ食堂
三陸新報3月8日掲載広告


かもめ食堂と千葉憲二君については、このブログで何度も紹介してきました。くりかえしになりますが、今回も説明しておきましょう。

「かもめ食堂」は、東京などでラーメンの名店として知られる「ちばき屋」や銀座「まかない 㐂いち」を営む千葉憲二君(3年4組)が、震災復興の一助になればと2015年11月19日に復活開店させました。

憲二君は、震災の年の4月9日など数度にわたって気仙沼で炊き出しをおこなってくれました。憲二君は当時、日本ラーメン協会の初代会長をつとめていたこともあり、炊き出しにあたって著名ラーメン店の店主、経営者らも協力してくださいました。4月9日の炊き出しでは13店舗のご協力があったと当時のブログで記しています。

この時点でもすでに気仙沼に「かもめ食堂」(当時はまだ仮称)をオープンさせたいとの構想をもっていましたが、被災直後ということもあって土地の手当てなどいろいろと苦労があったようです。

そんな経緯のなかで生まれた〈かもめ食堂〉ですから、憲二君にとっての3月11日のラーメン無償提供は特別な意味をもっているのです。

憲二君に〈当日は気仙沼に行くのか〉と聞いてみたところ、〈3月11日は私にとって特別な日ではありますが、どうしても抜けられない用事ができて気仙沼に行けなくなりました〉とのことでした。気仙沼の同級生が残念がるかもしれませんが、かもめラーメンを食して憲二君の気持ちを受け取ってください。

どうぞ皆様も3月11日には港町〈かもめ食堂〉で、一杯の〈心温まるラーメン〉を。今年も是非に。

2015年11月6日ブログ「かもめ食堂の憲二」
2015年11月9日ブログ「憲二君の炊き出し」
2015年11月25日ブログ「かもめ食堂さん江」


◎3月11日テレビ番組情報     

2021年、2021年と続いてきたNHK総合テレビ「ありがとうを3.11に伝えよう委員会」が今年も放送されます。

「ありがとうを3.11に伝えよう委員会2023」
NHK総合テレビ
3月11日(土)16:45〜18:00

昨年3月12日の第2回放送では、同級生の大友(小野寺)つき子さん(3年9組)が登場していました。

NHK番組サイトから番組紹介を引用します。

「3.11を感謝の言葉であふれる日にしたい」。2022年、震災から10年を前に、宮城・気仙沼の人々が立ち上げた「ありがとう委員会」。”ありがとう”の思いを感謝状に手書きでしたため、手渡すという取り組みです。 第3回となる今年は、お世話になった方々をお招きし、”ありがとうの集い”を開催!ついに、ありがとうの輪が「世界」にまで広がりました。感謝状に綴られた”ありがとう”とともに振り返る、それぞれの東日本大震災からの12年。涙と笑顔の感動ドキュメント!」

昨年のつきちゃん登場シーンをまた見ることができるかも。録画予約しておきましょう。どうぞよろしく。

2022年3月29日ブログ「3.11のありがとう」
 
 

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tag : かもめ食堂千葉憲二

昭和三陸津波記事

きのう3月7日のブログで、昭和8年3月3日の「昭和三陸津波」のことを紹介しました。記事を書いたあとで、『目で見る気仙沼の歴史』にも昭和三陸津波のことが紹介されていたと思い出しました。

本日はその内容を紹介します。まずは掲載頁の画像から。


大気新聞

『目で見る気仙沼の歴史』(気仙沼ライオンズクラブ 昭和47年発行)



右側が「大気新聞」昭和8年3月4日付けの津波に関する記事です。「三陸沿岸全線に大津浪しふ來」「惨また惨 津浪地獄の唐桑」「小鯖全滅」などの見出しが。津浪は津波、「しふ來」は「襲来」でしょう。

左上は、キリスト教(プロテスタント)の団体「救世軍」救護隊の写真です。三日町通りでの撮影。写真の左端に「三陸災害救護本部 救世軍本営」という看板がうつっています。

左下の写真は、各地からの慰問品を日光消毒している様子。「旧魚市場付近埋立地(現県漁連気仙沼支所のあたり)」との説明が記されています。後ろ側に当時の魚市場がうつっています。また右側の遠景に2本の樹木のようなものがうつっています。これは復興祈念公園のある陣山ですね。

「大気新聞」は大正15(1926)年創刊の気仙沼の地元紙です。気仙沼図書館の初代専任館長である菅野青顔さんが在籍したこともあります。昭和4年には大気新聞の文芸部長になったとの記述が「気仙沼文化史年表」にありました。

この大気新聞の記事画像は、気仙沼市史の記述とは異なる視点から津波被害の大きさ、悲惨さを伝えているように思います。

大気新聞を調べたついでに「三陸新報」の創刊を文化史年表で調べてみると、なんと昭和三陸津波と同じ昭和8年2月11日のことでした。つまり、創刊後20日ほどして大津波が三陸沿岸をおそったのです。その後、三陸新報はいったん休刊し、昭和21年10月に復刊して現在に至っています。今年は昭和三陸大津波から90年であるとともに、三陸新報創刊90年でもあったのですね。

そしてもうひとつ、『目で見る気仙沼の歴史』をながめていて気づいたことがあります。「昭和三陸津波」の4年前、1929/昭和4年2月23日には、「昭和の気仙沼大火」が気仙沼の南町や魚町一帯を焼き尽くしました。

私は津波のことに気をとられて大火のことを忘れていたのです。災害は忘れたころにやってくる。あらためて教訓といたしたく。どうぞよろしく。


3月7日ブログ「昭和の三陸大津波」
2019年2月25日ブログ「昭和の気仙沼大火」
 

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tag : 昭和三陸津波目で見る気仙沼の歴史

昭和の三陸大津波

昭和8年/1933年の「昭和三陸津波」から3月3日で90年経ちました。同日の三陸新報は「論説」でつぎのように伝えていました。


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三陸新報3月3日掲載記事の一部イメージ


昭和三陸津波は、昭和8年/1933年3月3日の午前2時31分過ぎの強震後30分前後して三陸沿岸に到達したそうです。

記事の冒頭は、気仙沼市史からの引用になっています。これを機会に、『気仙沼市史』の「昭和三陸津波」記述を読んでみましょう。市史の第4巻 近代・現代編のp414から6頁にわたって記載がありました。





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各画像とも『気仙沼市史』第4巻 近代・現代編(平成5年3月発行)より


被害について市史は、宮城県発行『宮城県震嘯誌』と、東京大学出版会『資料・日本被害地震総覧』の記載内容を紹介しています。死者数などの被害について、2資料の数字には違いもあるのですが、市史の記載を引用しておきます。

『資料・日本被害地震総覧』による県別死者数は、宮城県307名、岩手県2658名、青森県30名です。

『宮城県震嘯誌』での死者数は、宮城県内315名でそのうち本吉郡182名。本吉郡町村別の溺死者は歌津84名、唐桑58名、小泉15名、十三浜12名、鹿折4名、大島2名、戸倉・大谷各1名(志津川、大谷、松岩なし)となっています。この括弧内の記述では大谷はなしとされていますが、戸倉・大谷各1名という記述と矛盾しますので誤記でしょう。気仙沼町については高潮程度で死者はなかったようです。

なお、『宮城県震嘯誌』の「震嘯」は「しんしょう」と読みます。地震による津波のことでしょう。「海嘯」(かいしょう)は津波や海鳴りのこと。

あらためて驚かされるのは、この「昭和三陸津波」が、明治29年/1896年6月15日の「明治三陸津波」から37年後であることです。この2つの大津波を経験した人もいたのではないかと。

そして昭和三陸津波から78年後の2011年3月11日、大津波が三陸沿岸をおそいます。

東日本大震災からもうすぐ12年。津波の経験や教訓について、世代を越えて伝えていくことはとても大事なことですが、決してたやすいことではありません。その意味からも3月3日が「昭和三陸津波」の日であることを伝える三陸新報論説は、意義のあることと感じました。

注:
昭和三陸津波については、昭和三陸大津波、昭和三陸地震津波など他の呼称もあります。同じく明治三陸津波も、明治三陸大津波、明治三陸地震津波など。本稿では、とりあえず「昭和三陸津波」「明治三陸津波」といたしました。
 

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津谷小創立150年

3月2日の三陸新報に気仙沼市立津谷小学校の開校150周年協賛広告が掲載されていました。


津谷小学校

三陸新報3月2日掲載広告の一部イメージ

津谷小学校がある本吉町が気仙沼市に編入したのは2009年9月1日です。そのために、気仙沼市史には津谷小学校に関する詳しい記述がありません。そうしたこともあり、広告中の「御挨拶」に記されていた同校の歴史を興味深く読みました。本日はその内容を紹介させてもらいます。

「御挨拶」から歴史に関する部分を引用します。

〈開校当時この地区は水澤県下であったことから、第七大学区水澤懸下第廿番中学区「第廿一番小学区舘岡小学校」「第廿番小学区河内小学校」「第四十番小学区山田小学校」として開設されており、平成二十九年に統合した馬籠小学校も「第四十一番小学区馬籠(旗岡)小学校」として開設されています。水澤県が宮城・岩手の両県に分割編入された明治十年にはそれぞれ、考槃小・九如小・清植小と校名を嘉名に変更し、その後、校名を地名に変更、川内分校・山田分校を設置・統合など幾多の変遷を経て現在に至っております。〉(引用は以上)

上の文章中にある水澤(水沢)県について補足しておくと、明治8年(1875年)11月に水沢県は磐井県に改称されます。そしてその磐井県下の津谷や気仙沼の属す本吉郡が宮城県に編入されたのは明治9年(1876年)4月18日のことです。それまでは磐井県だったことになります。

このあたりの変遷はかなりややこしいですね。上記の挨拶文で「水沢県が宮城・岩手の両県に分割編入された明治10年」というのは、県名と編入年に関して私の理解とは違っています。詳しい方にお教えいただきたいところです。あくまで校名変更が明治10年ということかもしれません。

◎津谷小150年のあゆみ

「150年のあゆみ」から主要部を抜粋し西暦を付すなど整理します。

明治6(1873)年3月
創立 舘岡小学校と称す
明治25(1892)年
馬籠分教場独立
大正5(1926)年
校歌制定
昭和45(1970)年3月
山田、川内分教室閉校式
平成21(2009)年9月
市町合併に伴い「気仙沼市立津谷小学校」となる
平成29(2017)年4月
津谷小・馬籠小統合

大正5年に制定された校歌は、作詞が巌谷小波、作曲が山本壽です。巌谷小波(いわや・さざなみ)は著名な児童文学者で多くのお伽噺(おとぎばなし)でも知られています。山本壽(寿)は、広島高等師範学校の教授をつとめ、わらべうたや学校唱歌などで知られる方のようです。

◎気仙沼小学校も150周年

ちょっと不思議に思ったことがあります。今回なぜ津谷小学校150周年広告が掲載されたのかなあと。市立小学校のほとんどが、その大元をたどると明治6年に創設されているからです。

たとえば、わが母校である気仙沼小学校も同校サイトの沿革によれば明治6年1月26日に、第7大学区第22番中学区第1番鼎浦小学校として創設されています。なお校名中の「鼎浦」の読み方は、「かなえがうら」と記している例もあるのですが市史では「ていほ」としています。

なお、明治6年に気仙沼で開校したのは鼎浦小学校だけではなく2校です。もうひとつは「粧坂(しょうはん)小学校」。その場所など詳しいことは日をあらためてということで。

話をもどします。

広告や3月2日におこなわれた創立150年記念式の様子を伝えた三陸新報の記事を拝見し、地域の皆さんの津谷小に対する気持ちが伝わってきました。3月10日まで「はまなすの館」で記念パネル展がおこなわれているとのこと。どうぞお出かけください。

津谷小学校創立150年、おめでとうございます。
 

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tag : 津谷小学校

小中学校統合論説

2月21日の三陸新報「論説」にはちょっと驚きました。気仙沼市の小中学校統合問題に関する話なのですが、はじめに見出しをちらっと見たときは「急ぐべきではないだろう」だと思ったのです。違いました。「急ぐべきではないだろうか」。つまり、どちらかといえば急ぐべきだということ。


論説

三陸新報2月21日記事の一部イメージ


記事によれば市内で今、説明会が開かれるなどして議論されているのは、中井小と唐桑小、条南中と気仙沼中、小泉小と津谷小の統合についてです。いずれも2024年4月の統合を目標にしているとのこと。

中井小と唐桑小については、保護者や地区の合意を得たそうです。そして小泉小と津谷小、および条南中と気仙沼中については、いずれも保護者から統合への賛意が示されているものの、一部に慎重論や反対意見があるとのこと。

論説記事では、慎重論をつぎの3つに大別しています。

①通学距離が長くなるための「足」と安全の確保への不安と子供の負担増 ②学校がなくなることへの寂しさといった心情的な面 ③地域のにぎわいがなくなる

これに対してつぎのように述べています。

①については、関係者が知恵を出せば、解決の道筋は見いだせるはずだ。小学校は、低学年に対する負担を考慮すれば、地域的バランスも考えなければなるまい。ただし、複式学級が望ましいと思う保護者は、まれだろう。(注:複式学級とは、児童生徒数が少ない場合に複数の学年でひとつにした学級のことです)

②と③については、気持ち的には理解できても、子供たちの教育環境の充実に待ったを掛けてまで配慮すべきことかという疑問は残る。統合校の場所も、歴史的背景や将来的なことを議論すれば、答えは見えてくるだろうと。

読んでいて違和感がありませんでした。三陸新報ではこれまでも学校統合に関する説明会や協議会の様子を伝えてきましたが、賛意が多い場合でも一部の関係者の反対がまだあることなども書き添えるために新聞社としての〈社論〉はどうなんだろうと感じることがありました。どちらかといえば〈ていねいな議論が求められる〉というような感じだったのではないかと。

それに対して今回の「論説」は「急ぐべきではないだろうか」と、言い切りを避けつつも主張が明確です。論説記事はつぎのように結ばれています。

〈統合は教育面でのメリットの方が上回るはずである。デメリットを小さくする工夫に知恵を出したい〉と結んでいます。

同感と思った読者、市民も多いのではないかと感じました。

なお、2月21日の三陸新報では、2月20日夜におこなわれた小泉地区の懇談会で、小泉小と津谷小との統合について、保護者と地域住民が了承したことが報じられていました。

一方、2月11日の三陸新報では、条南中学校区での地区懇談会の様子を伝えていました。見出しは〈またも折り合いがつかず〉。記事の末尾には〈議論は平行線をたどった〉と。


懇談会

三陸新報2月11日記事の一部イメージ


私は気仙沼市の小中学校統合の実行はやむを得ないと感じています。しかし、気仙沼市教育委員会による統合計画/気仙沼市義務教育環境整備計画や計画実行経過情報がとてもわかりにくい。元市民というだけで当事者ではありませんが、気仙沼にとって非常に重要なテーマであるだけに、もっと丁寧なコミュニケーションがなされるべきだろうと感じております。

つぎのブログでもそのようなことを記しております。お手すきのときにでも。

2022年12月13日ブログ「条南中の統合問題」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 小中学校統合

気仙沼 in SALUS

都内で東急線の駅のラックなどにおかれている「SALUS」という沿線情報誌があり、毎月ながめています。先々週のことになりますが、自宅最寄り駅で「SALUS」3月号を手に取りました。特集は「あの人のためのギフト」。〈沿線街さんぽ〉で紹介されているのは二子玉川です。

全部を読むというよりもざっとながめてページを閉じようと思ったら、ありゃま「気仙沼」の文字がありました。裏表紙の裏(いわゆる表3)に気仙沼観光の広告が掲載されていたのです。




「SALUS」2023年3月号掲載広告


“海と生きる”を五感で体感!in気仙沼。5月までの期間限定で、体験商品をセット購入すると50%OFFとのこと。一例として、「海といきる 気仙沼満喫コース」大人2人・こども2人で購入した場合は7万2600円が3万6300円となるそうです。

これは東急さんとのタイアップのようですね。サイトでのタイトルには「気仙沼×東急プラン」の表示もありました。そんなことでの「SALUS」誌広告掲載なのでしょう。

旅行商品の詳細についてはこちらから。

◎東急グループの気仙沼支援

東急電鉄を展開する東急グループの中核会社は東急株式会社(旧東急電鉄)です。そしてちょっとわかりにくいのですが、グループでの不動産事業を統括する持株会社が東急不動産ホールディングス(株)。10年前まで、東急グループは電鉄系と不動産系というふたつの系統という理解でよかったのですが。

そしていま、東急不動産ホールディングスの代表取締役会長をつとめているのが金指潔(かなざしきよし)さんです。金指さんや東急不動産さんと気仙沼のご縁についてはつぎのブログにて紹介しています。

2017年7月26日ブログ「金指さんのご厚意」

東急不動産ホールディングスの気仙沼復興支援プロジェクトについてはこちらから。

「SALUS」のおかげで、東急 不動産のみならず、電鉄系での気仙沼に対する支援の一端を知ることができました。東急グループさん、いろいろとありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

なお、東急不動産が気仙沼市で計画している風力発電事業については、つぎのブログで紹介しております。3月30日に市民会館で地元説明会が開催されるとのことです。

2022年9月29日ブログ「風力発電事業計画」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 東急グループ東急不動産

千葉周作講座終了

このブログでも紹介した唐桑公民館での講座「剣豪千葉周作を生み出した背景〜千葉周作の生誕地の謎に迫る」が2月22日におこなわれました。翌日23日の三陸新報がつぎのように伝えてくれました。


講座

三陸新報2月23日記事の一部イメージ


記事によれば、市内外の歴史愛好者ら約50人が聴講したとのこと。唐桑公民館のお知らせでは30名程度を対象にとされていましたから、それを大幅に超える参加者でしたね。千葉周作気仙沼出生説に対する関心の高さがうかがえます。

講師は気仙沼市八日町出身で神奈川在住の千葉富夫さん。千葉さんは私たちのふたつ下、気中22回生です。

記事には千葉さんの話の一部が紹介されていました。〈千葉周作の生誕地はこれまで陸奥国気仙郡今泉村(陸前高田市気仙町)が有力視されてきたが、ある歴史研究家が見つけた、弟の定吉が鳥取藩へ仕官する際の身上書に「生国 陸奥 気仙郡気仙沼村」と記されていたことなどを根拠に、「兄弟3人が気仙沼出身ということになる」などと自説を述べた〉と。

また、この千葉周作気仙沼出生説が地元で知られていない理由としては、生まれた頃に寛政の大津波や大火などの災害が重なったことなどをあげ、近隣の千葉氏との関係性についても言及したそうです。

記事だけでは詳しい講座内容がわかりませんが、今後はいろいろと関連情報が紹介されるのではないでしょうか。

千葉富夫さん、気仙沼に出かけての講座、ご苦労さまでした。今後もいろいろと教えてください。楽しみにしています。

また、唐桑公民館での講座開催をお世話くださった皆様にもお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2月6日ブログ 「千葉周作」の講座
2022年12月6日ブログ「気仙沼の千葉周作」
 

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tag : 千葉周作

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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