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気仙沼 まほろば塾

薬師寺まほろば塾/気仙沼塾が2月23日に気仙沼中央公民館で開催されました。東日本大震災十三回忌追悼・復興祈願法要も。当日、菅原市長がつぎのようにツイートしていました。

この催しの主催は法相(ほっそう)宗大本山である奈良の薬師寺さんと読売新聞社、そして気仙沼商工会議所です。2月11日の三陸新報には、まほろば塾と気仙沼みちびき地蔵堂の案内広告が掲載されていました。


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三陸新報1月11日掲載広告


◎滝田栄さんによる地蔵菩薩像

市長投稿の3枚目の写真には、弥勒(みろく)如来を背にして俳優で仏像彫刻家でもある滝田栄さんの手になる地蔵尊菩薩像が置かれています。

私がこの地蔵菩薩像を拝見したのは2012年のこと。2011年10月から2012年8月まで、当時の銀座TSビルにあった気仙沼のアンテナショップ「銀座いきなり市場」の2階に安置され、地蔵堂建立のための募金もおこなわれていました。

そのことも含め、つぎのブログでは、週刊現代のグラビアページに掲載された滝田さんによる地蔵尊のことを紹介しています。次の画像はそのひとつ。

見開き

「週刊現代」2017年3月18日号より


2017年7月24日ブログ「滝田さんの地蔵尊」

気仙沼での「薬師寺まほろば塾」は今回が2回目です。初回は、2017年3月4日に気仙沼市民会館でおこなわれました。このときは、市長ツイートにもあったように、東日本大震災七回忌法要もおこなわれています。

薬師寺さんをはじめ関係者の皆さまに御礼を申し上げます。前回に続きこのたびのご法要もありがとうございました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 薬師寺まほろば塾滝田栄

ワカメ味わう体験会

2月23日に配信された仙台放送テレビニュースで、気仙沼での「“ワカメ味わう”体験会」が紹介されていました。


この催しは2月25日の三陸新報でも紹介されていました。記事によれば、気仙沼の旬の食材に親しんでもらおうと、2021年7月に発足した気仙沼ツーリズム合同会社(畠山稔代表)が企画した定期イベント第1弾とのこと。

今回は、旬を迎えた養殖ワカメの生産現場を見学してもらい、獲れたてのワカメを自分たちで調理し味わってもらおうという企画です。

仙台放送のニュース映像で、階上(はしかみ)地区の杉ノ下漁港にて生産者としてワカメの成長を説明しているのはこのブログでもおなじみの藤田商店/藤田純一さんです。極上市場/さんりくみらい代表でもあります。

私が驚いたのは、この生産現場でゆでたてのメカブを頬張っている人のなかに〈小山の謙ちゃん〉がいたこと。つぎの画像の左側です。


現場


間違いありません。小山謙一君(3年9組)。場所を変えての調理体験でも謙一君の姿がありました。メカブご飯にしゃぶしゃぶ、酢の物の3品が作られ、地酒を傾けながら新鮮なワカメを堪能したとのこと。

インタビューにも答えていました。「自分で作ったものを食べる別な楽しみというか、味わいを感じた」と。


調理


謙一君の本当にうまそうな表情もワカメ同様に味わい深い。配信ニュース映像は一定期間後に配信停止となりますの。どうぞ今のうちにご賞味くださいますように。

また、冒頭に紹介した藤田純一さんは、気仙沼漁師カレンダー2017の発売を記念して東京・南青山で開催されたトークイベントでもワカメの話や調理実演をおこなってくれました。その様子はつぎのブログにて。

2016年11月29日ブログ「藤田純一さんの話」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小山謙一藤田純一

関満博さんの著書

関満博(せき・みつひろ)さんの著書「気仙沼/震災復興から『未来』に向かう」が昨年2022年11月に新評論社から発刊されたことは知っておりました。関心はあったものの税別8500円、税込みで9350円ということで購入はあきらめました。総頁数が656頁の大冊なのでこの価格もしかたなし。

そう思っていたところ、昨年末に気仙沼の臼井真人君(3年2組)から連絡がありました。手元に2冊あるので1冊を私に進呈してくれるというのです。取材協力者と市議会議員ということでの恵贈があったようです。ありがたし。お言葉に甘えました。

本書の副題は〈「海と生きる」三陸の水産都市〉です。この本では、臼井真人君のほか大友つき子さん(3年9組)も紹介されていましたので紹介します。

◎臼眞倉庫/臼井真人君

臼眞倉庫に関する記述の見出しは、「漁業、水産から倉庫業・運送業に展開〜気仙沼のみならず、仙台にも」です。


真人君


臼眞倉庫の事業展開については、つぎのように記されていました。〈30年ほど前に気仙沼のみでは拡がりが乏しいと感じ、仙台港、仙台空港に業務エリアを広げていった。震災の津波で気仙沼市魚市場前の2カ所と階上の倉庫、さらに自宅も流失したが、階上の再建と近隣の大谷に大谷インター倉庫を移転新設することで復旧・復興を果たしている〉。そして〈仙台空港のあたりを重要視することは事業の性格上、必然であろう〉とも。

その〈仙台空港のあたり〉岩沼の臨空倉庫が竣工したのは、2020年10月16日のことです。詳しくはつぎのブログにて。

2020年10月20日ブログ「臼眞倉庫竣工広告」

真人君の会社、臼眞倉庫については、お父さん真一さんのことも記されていました。〈臼眞倉庫の創業者である臼井真一氏は、気仙沼で5代前から漁業・水産業を営んでいた。漁業会社の3男として生まれ、結婚、長男(臼井真人氏)誕生を経て、1959年に独立起業し、肝油ドロップの原料買付けからスタートしている。〉

ここで漁業会社とあるのは、臼福本店のこと。同社現社長臼井壯太朗さんのお祖父さんにあたる臼井福治さんが長男で、二男が〈福寿水産〉臼井弘君のお父さん、三男が臼井真一さんです。

2018年11月6日ブログ「臼福」ファミリー


◎あたみ屋/大友つき子さん

大友つき子さんは、「復興屋台村気仙沼横丁」に入居したラーメン店「あたみ屋」の店主として紹介されています。聞き取り内容は2013年時点のようです。見出しは「借店舗兼自宅を流し、屋台村で復活」。


つき子さん


記述を少し引用します。

〈ラーメン店「あたみ屋」の店主は、大友つき子さん。気仙沼出身で、成人してからは仙台、岩沼で理容院を営んでいた。その後、仙台で知り合った連れ合いがラーメン店を出すということから、自分の里の近くと考え、1978年、気仙沼の階上の国道45号に沿った場所を借りて自宅兼店舗としていた。場所柄、通行客が多く、繁盛していた。ラーメンといっても「サッポロ系」を中心としていた。〉

そして震災の話。息子がクルマで迎えにきて避難することができたものの、その後に知人から津波で「つきちゃんの家は、流れた」と聞かされたそうです。

文章では、屋台村が2014年の末頃に閉鎖になったあとはどうするか〈思案のしどころ〉というつき子さんの悩みも紹介されていました。

つきちゃん/あたみ屋のその後を念のために記しておくと、気仙沼の気仙沼内湾地区「ユワエル」の一角で2020年5月18日に開店しています。つぎのブログで紹介しています。

2020年5月21日ブログ「あたみ屋」再出発


お二人に関する紹介は以上です。なおこのほか、故 小山隆市君(3年6組)の〈コヤマ菓子店〉に関して、長男裕隆さんの話も紹介されていました。

関満博さんは長年、地域経済や中小企業経営を研究されてきました。現在は一橋大学名誉教授で、気仙沼関連では気仙沼市震災復興会議委員、けせんぬま創生戦略会議委員、気仙沼市中小企業・小規模企業振興会議座長、みなと気仙沼大使をつとめてくださっています。

関さんが震災後の気仙沼をはじめて訪れたのは復興会議の第1回会議がおこなわれた2011年7月17日のことだったそうです。以来11年間にわたり、被災状況や復興状況を調査してきたとのこと。

多くの事業所などの聞き取り時点での話にはアップデートされていないところもあるようですが、私にとっては気仙沼の主要企業に関する網羅的な資料として役立ちそうです。真人君、ありがとうございました。

最後になりましたが、関先生、震災後の気仙沼に対するさまざまなご支援、ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 関満博臼井真人大友つき子

現代女流書100人

きのう2月22日のブログでは、「海神様」の木札に揮毫する武山櫻子/美加さん(3年9組)に関する三陸新報記事を紹介しましたが、2月17日には菊田裕美君(3年1組)から武山さんに関するほかの情報連絡がありました。

毎日新聞社主催「第54回現代女流書100人展」に、武山櫻子さんの名前があったとのこと。2月16日から20日まで日本橋高島屋の8階ホールにての開催。作品を拝見することはできませんでしたが、高島屋サイトにあった展覧会案内を紹介します。


100人展


「現代女流書100人展」は、1970(昭和45)年に女性書家の地位の向上を目的にスタートし、第一線で活躍する書家の作品を紹介してきたそうです。今回は、100人の女性書家と4人の顧問が最新作を披露とのことでした。

高島屋サイトの同展紹介ページに出品者一覧がありました。6列7行目に武山櫻子の名が。赤線で囲みました。

リスト


調べてみると2020年の第51回現代女流書100人展にもその名がありました。武山さんは2019年の毎日新聞社と毎日書道会主催の第71回 毎日書道展での最高賞といわれる「会員賞」を受けています。そうした評価や実績が、その後の著名展出品や招待につながっているのでしょう。


◎作品紹介

きのうの午後、武山さんに連絡してみました。現代女流書100人展出品作の写真がないかと。そして送ってもらったのがつぎの写真です。展示会場にて。


1_20230222142453a8b.jpeg


飛んでいったか仏壇のうぐいす餅

山口茂さんの句。

武山さんと電話で話したら、東京・上野の都美術館で2月11日まで開催されていた第76回書道芸術院展にも出品していたとのこと。2作品のうち、まずは書の世界で「超大作」といわれる大サイズ作品から。横幅が3.6mもあるそうです。同展では3人のみに許された出品展示です。


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細き枝の先まで雪は花のごと 積もりて眩し朝の庭園

気仙沼「煙雲館」鮎貝文子さんの歌。作品の右側にうつっているのはお孫さん。娘の娘とのこと。驚いた。

つぎは書道芸術院展でのもうひとつの作品です。





運針のごとき足跡 雪野原

瀧野よし絵さんの句。


作品紹介は以上です。みな、とてもいい。初見ですべて読めるわけではありませんが、力と軽やかさを共に感じさせるリズムが心地よい。

書家「武山櫻子」の中央書壇における作品披露をとてもうれしく感じました。ますますの活躍を願っています。


第71回 毎日書道展「会員賞」受賞についてはつぎのブログにて。

2019年7月19日ブログ「武山櫻子受賞記事」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 武山櫻子

海神様の木札揮毫

気仙沼版「なまはげ」ともいわれる「海神様」が2月18日(土)におこなわれました。昨年と一昨年は新型コロナの関係で各所訪問を見合わせ、関係者のみの神事や希望者への木札の配布にとどめました。つまり家庭や商店などの各所訪問は3年ぶりのこと。

2月19日の三陸新報によれば、五十鈴神社で魂入れをした6体の海神様が、3方面に別れて、家庭や商店など約70軒を回ったとのことです。

海神様は昭和62年/1987年に、〈コヤマ菓子店〉小山隆市君(3年6組)が友人と3人で始め、その後「甚六鬼の会」として活動を継続してきました。現在の代表は鈴木賢司さんです。

2月17日の三陸新報では、訪問先で配布する木札に揮毫(きごう)する書家武山櫻子(おうし)さんが紹介されていました。美加(みゆき)さん(3年9組)です。写真にうつっている場所は武山さんが主宰する書道教室「苑書会」でしょうね。


揮毫

三陸新報2月17日記事の一部イメージ


この記事に武山さんと隆一君の縁が紹介されていました。〈初代会長である故小山隆市さんが同級生という縁で、20年以上にわたって木札への揮毫に協力している武山さんは「子供たちの健やかな成長と、今年1年も良い年であるようにとの願いを込めた」と話している〉

美加さん、忙しいなかご苦労さまでした。毎年の木札を楽しみにしている方も多いことでしょう。

鈴木賢司さんをはじめ甚六鬼の会の皆様、そしていろいろとご支援いただいている多くの方々、毎年ありがとうございます。隆市君も喜んでいることでしょう。御礼を申し上げます。

なお、各所訪問を見合わせた一昨年と昨年の海神様についてはつぎのブログにて。

2021年2月23日ブログ「海神様の紙上参上」
2022年2月16日ブログ 「海神様」とコロナ
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 海神様甚六鬼の会

星の海への旅立ち

漫画家の松本零士さんが2月13日に亡くなったとの報道が20日にありました。85歳だったそうです。

本日紹介するのは松本零士さんと気仙沼とのご縁についてです。まずは2016年1月11日のブログの主要部を再掲します。本日2月21日の三陸新報にも、


2016年1月11日ブログ再掲

銀河鉄道のGotto

(2016年1月)8日のブログで、1月6日の読売新聞朝刊〈気仙沼発 ニットに誇り〉の記事を紹介したばかりですが、7日(木)の読売新聞夕刊には、また〈気仙沼〉の文字が。

「銀河鉄道999」などで知られる漫画家の松本零士さんが、気仙沼の(株)パルポーさんの洋菓子「Gotto(ゴット)」の包装紙をデザインしたという話は、三陸新報での事前の広告や記事で承知しておりました。しかし、あらためて読売の大きな記事をみたときには大変驚きました。気仙沼では8日掲載かもしれません。


読売パルポー

読売新聞2016年1月7日夕刊記事より


この松本零士さんとのコラボ商品誕生のきっかけをつくったのは、パルポーの小野寺社長と幼なじみで、昨年5月にがんで亡くなった斎藤元博さん(当時67歳)。「銀河鉄道に乗って旅をしたい」と願った斎藤さんの夢に応えようと、松本さんが色紙を贈ったことに始まります。

以下、記事の主要部分を引用します。

〈 松本さんがデザインしたのは、津波で工場や店の一部が流された「パルポー」のチョコレート菓子の包装紙。幻想的な女性を中心に、復興への希望を込め、地球や星、海を描いている。

 同社社長の小野寺恵喜(けいき)さん(68)は昨年2月、同市の居酒屋で小学校から親友だった斎藤さんから夢を打ち明けられた。腎臓がんが全身に転移し、医者から「2月末までの命」と宣告されていた斎藤さんを励まそうと、中学校時代の同級生約30人と開いた激励会でのことだった。

 「もと」の愛称で慕われていた斎藤さんは高校卒業後、郵便局に勤務。震災後は仕事の合間や休日に、バイクで避難所を回り、おにぎりを配るなど「困っている人をみたらほっておけない性格だった」と妻の恵子さん(67)は語る。計6人の息子や娘の影響で「999」のファンとなり、山あいの自宅から星空を見上げるのが日課だった。

 小野寺さんは激励会直後、松本さんにメッセージを依頼するメールを送ると、1週間後、「先生が引き受けたいと言っています」とスタッフから電話があった。届いた色紙には、直筆で<銀河鉄道999 生涯永久乗車券1号 夢は永遠の力。夢をあきらめるな 時間は夢を裏切らない!!>としたためられていた。

 「うそだろ。ありがとう」。青白い顔の斎藤さんはじっと色紙を見つめ、満面の笑みを何度も浮かべた。恵子さんは「歩くのもやっとだった頃。急に元気になり、子どものように喜んでいた」と振り返る。

 斎藤さんは色紙が飾られた病床で静かに旅立った。小野寺さんが経緯を記した手紙をチョコレート菓子と一緒に松本さん側に送ると、「これも何かの縁。無償で包装をデザインさせてください」と打診された。被災地を明るくしたいと思っていた松本さんが希望したという。

 小野寺さんは「きっと『もと』からのプレゼント。日本一のお菓子にして、被災地を盛り上げたい」と話している。〉

記事引用は以上。

なお、この読売の記事では、松本さんが包装紙をデザインしたと書かれていますが、パルポーさんの情報では包装紙ではなく、箱そのものに絵がデザインされているとのことです。

ここでは、念のために1月7日の三陸新報掲載広告を紹介しておきましよう。


1月7日パルポー
三陸新報2016年1月7日掲載広告(クリックで拡大)


「Gotto」は、パルポーの通販と市内直営3店、そして仙台の藤崎本館でしか販売されていないのですが、その名は広く知れ渡り、全国区の人気を誇っています。テレビでもその手作りの様子が紹介されたことがあります。そうして定評ある洋菓子ですから、松本さんも安心して「東北震災復興応援商品」コラボ商品とすることができたのでしょう。

松本零士さんの気仙沼復興へのご支援に対して、また記事としてとりあげてくださった読売新聞さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2016年ブログ再掲内容は以上です。


松本零士さんは2017年に、気仙沼の桜並木を題材にした紙芝居「桜ものがたり~アーシャと花の妖精~」を制作にも関わりました。2月20日の河北新報配信記事によれば、宮城県は津波の越流を防ぐ堤防を築くために神山川左岸のソメイヨシノ60本のうち17本を残して伐採する計画を進めました。松本さんは計画に反対する地元住民の声に応えての紙芝居を制作し、同じ内容の絵本の原案と監修をおこなったそうです。

松本さんの事務所代表で長女の摩紀子さんによるコメントには、松本零士さんが〈星の海に旅立ちました〉とありました。「銀河鉄道999」最終話でのメーテルの言葉を引用してつぎのように記しています。

〈漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた幸せな人生だったと思います 「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」と松本は常々申しておりました  私たちもその言葉を信じその日を楽しみにしています〉

松本零士さん、いろいろとありがとうございました。合掌
 

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tag : 松本零士

「化粧坂新道」開通

気仙沼で進められていた「化粧坂」の第1期工事が完了し、2月17日に開通しました。正式な事業名は「県道気仙沼唐桑線 化粧坂改良事業」です。2月17日の開通式の様子を菅原市長がツイートしてくれました。

画像1枚目が本町を背景に新町(あらまち)方向を、2枚目と3枚目が逆に本町方向を向いた写真だと思います。

新しいバイパス道路「化粧坂新道」のコースがわかりづらいのですが、宮城県気仙沼土木事務所が化粧坂改良事業の進行を伝える「化粧坂 通信」工事地区の空撮写真が掲載されていましたので紹介します。


①2021年1月14日撮影
写真1
2021年2月1日発行「化粧坂 通信」第4号より


②2022年11月16日撮影
写真2
2022年11月21日発行「化粧坂 通信」第6号より


以前の化粧坂は上って下る文字通りの坂になっていましたが、新道は山をかなり切り崩して勾配を小さくしているのですね。

2月18日の三陸新報もこの「化粧坂新道」開通を伝えていました。その記事によれば、化粧坂改良事業は1989年に都市計画決定され2014年度から始まったそうです。本町橋北側から三日町・新町交差点までをほぼ直線で結ぶ460mが計画区間で、事業費は約32億円です。このうち第1期工事では山の切り土や、のり面補強、42軒の家屋移転などがおこなわれました。新年度から第2期工事では残る140mの工事とともに復員を20mに広げるとのことです。

この化粧坂工事の進行や、「化粧坂」という名称の由来についてはつぎのブログをご覧いただければと。

2022年4月28日ブログ 「化粧坂の工事進行」
2022年10月31日ブログ 「化粧坂」地名由来

工事関係者の皆さま、第1期工事を無事に完了しての開通、おめでとうございます。続く第2期工事もどうぞよろしくお願いいたします。
 

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まちづくりと建築家

2月14日のブログで、田中惇敏さんの空き家活用プロジェクト「自走する建築ストック」がグッドデザイン・ニューホープ賞に入選したことを紹介しました。このブログを書いていたときに思いだしたことがありました。本日はそのことを。

いわゆる「まちづくり」において、住民意見の集約や合意形成のためにおこなわれる手法に「ワークショップ」があります。気仙沼でも震災後のまちづくりのために多くのワークショップがおこなわれたと思います。

本来は「工房」的な意味をもつ「ワークショップ」という言葉は、演劇やダンスなどでの体験型講座でも用いられてきました。そして、これを「まちづくり」分野での手法用語として使ったのは、米国の環境デザイナーであるローレンス・ハルプリンです。妻のアンナが、ダンスのワークショップをおこなっていたことが背景にありました。

私はローレンス・ハルプリンが来日したときの講演を聴いたことがあります。年月がちょっとはっきりしないのですが、たぶん1979年のこと。たしか芝公園にあった米国の文化・芸術の広報機関アメリカンセンターの小ホールでした。

当時私は、マーケティングや商品開発などのコンサルタントである森口以佐夫さんの事務所につとめており、担当した仕事のひとつが商店街に駐車場をつくってもらうための支援プロジェクトでした。駐車するところがなければ自動車も売れなくなるということでの自動車会社の施策です(今なら自動車メーカーと書くところですが、当時この会社は「自販」と「自工」がわかれていました)。

業務としては駐車場計画のためのマニュアルづくりや事例を紹介したニューズレターの発行などです。そんなこともあって、講演会にいって話を聴いてこいということになったのだと思います。私が多摩美の建築出身ということを知っている森口さんの配慮でもあったでしょう。

ローレンス・ハルプリンは、米国ミネソタ州ミネアポリスのニコレット・モールにおける事例などを紹介してくれました。道路をわざと湾曲させたり舗装面をでこぼこにしたりして車の走行スピードをコントロールする手法や噴水広場など。もちろん住民が参加してのワークショップの様子も。

◎アメリカンセンター小ホールの階段

アメリカンセンターの小ホールは階段教室のようになっており、各席に同時通訳のレシーバーが置かれていました。初体験なのではじめは操作がわかりませんでしたが、なんとかなりました。慣れた風を装いながら(笑)。

講演会の開始直前、椅子列の右端に座っていた私の隣、中央階段部に男性が座りこみました。なんと磯崎新(いそざき・あらた)さん。当時すでに著名でしたからすぐにわかりました。オレの隣にあの磯崎さんが。

その磯崎新さんが2022年12月28日に亡くなりました。訃報記事には、〈ポストモダン建築の旗手〉とか〈2019年「建築界のノーベル賞」米プリツカー賞受賞〉といった言葉が。老衰のため那覇市内の自宅で死去。91歳であったと。

磯崎さんは丹下健三研究室の一員でもありました。1970年の大阪万博ではお祭り広場の装置設計にも携わっています。当時を回想する磯崎さんのインタビュー記事のなかには、〈それまで僕は丹下健三さんのもとで、建築と都市をつなぐ都市デザインを手がけていました〉とありました。

私の勝手な想像ですが、磯崎さんがローレンス・ハルプリンに関心をもったのは、マクロな〈都市〉計画に関する知見を前提として、ミクロな〈地域/まち〉に暮らす住民という視点からだったのではないかとも。

40数年前、ジーンズを履いてホールの階段に座りながらローレンス・ハルプリンの話を聴く、磯崎新さんの若々しい姿を思い出します。合掌


磯崎新

磯崎新さん(2001年)Wikipediaより

 

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tag : ローレンス・ハルプリン磯崎新

藤田正敏君功労賞

きのう2月15日の三陸新報に気中同級生のうれしいニュースが掲載されていました。藤田正敏君(3年5組)が、日本体操協会から功労賞を受賞したとのことです。


藤田君功労賞
三陸新報2月15日記事の一部イメージ


記事に藤田君の略歴が記されていました。

藤田君は気仙沼小・中から気仙沼高校へ。記事冒頭に、〈東京五輪で活躍した遠藤幸雄選手らによる気仙沼での演技を見て感動し、気仙沼高校時代に体操を始めた〉とありました。

気高卒業後は日本体育大学へ。卒業後は鼎が浦高校などで体操を教えたそうです。そして同校教諭として地元に戻ったのをきっかけに1981年、体操仲間と市協会(気仙沼市体操協会のことだと思います)を設立しました。

その後、市協会の会長、県協会(これも宮城県体操協会かと)副会長を歴任し、2021年には東北体操協会の会長に就任して現在に至るとのこと。

藤田君の気仙沼高校時代の写真を紹介しましょう。卒業記念アルバムに体操部3名の写真が掲載されていました。


体操部

気仙沼高校昭和44年度卒業記念アルバムより


中央(左から2人目)が藤田君、左が岩渕勉君(気中3年5組)、右は唐桑中学の鈴木友博君。そして右端は顧問で体育教師であった高橋隆昌先生です。何年前のことになるでしょうか、亡くなったことを知りました。交通事故であったと。

この写真について付け加えておかなければならないことがもうひとつあります。昨日、東京近辺の気仙沼出身者同年会「けせもい会」のLINEでこの写真を紹介したところ、今朝、鈴木友博君と同じく唐桑中出身の鈴木修君からつぎのような情報がありました。

友博君は東日本大震災のときには被災して、元の市立病院近くの高台にあった避難所で避難生活をしていたそうです。修君が見舞いにいったところ元気にしていたと。しかし友博君は数年前に亡くなったというのです。

体操部3人の懐かしい写真。私はみな元気にしているのだろうと思い込んでいたのですが。友博君のご冥福をお祈りいたします。

◎上沢1区自治会の会長も

2017年7月の三陸新報に、藤田君が市内上沢1区自治会の会長として三陸新報記事で紹介されたことがあります。つぎのブログで紹介しました。

2017年7月14日ブログ「上沢の藤田正敏君」

三陸新報記事のリード文に藤田君の〈今も体操に携われているのは、教え子、後輩たちのおかげ〉との言葉が紹介されていました。記事の最後にも〈東日本大震災で大変な思いをしたが、全国から支援を頂きながら復興する中で、東北がまた一つになった。子供もたちのためにまとまり、声を上げながら体操界の発展に寄与していきたい〉。

藤田正敏君、71歳。あるときは上沢1区自治会長として、そしてまたあるときは東北体操協会の会長として元気に活動できるのも、長年にわたる体操のおかげかもしれませんね。

正敏君に心からのお祝いを申し上げます。このたびの功労賞受賞、おめでとうございます。ますますのご活躍を。
 

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tag : 藤田正敏体操協会

「後発白内障」手術

正月ごろに、左眼が少しかすむような感じを覚えました。なかなか改善しないので眼科で見てもらったところ、「後発白内障」の可能性ありとのこと。ありゃま。

私は両眼とも白内障の手術済みです。左眼は2019年7月、右眼は昨年の2022年5月。右眼がすっきりしたと思っていたら今度はまた左眼か。

眼科の先生からは、さほどの症状ではないが少し様子をみて、やはり気になるようであれば手術しましょうと言われました。そして少し様子を見たのですが、やはり気になるので手術をお願いすることにしました。善は急げ。そして1月下旬に無事終了。

◎後発白内障とは

この「後発白内障」というのはさほど珍しいものではないそうです。白内障手術後5年で20%の人が発症とも。そういわれてみると、白内障手術を受けたときに、そうした説明を受けたような気もしますが忘れていました。

白内障手術では、水晶体を包んでいる袋の前面を切開してレンズをいれるわけですが、残っている後面の袋が濁ってくるのが後発白内障です。

日本白内障学会サイトの説明を紹介します。

白内障


◎手術

手術はレーザーを用いますが、術前の準備は別として照射などの時間は2〜3分という感じでしょうか。パチッパチッと音が何度か聞こえたと思ったら終了。

点眼麻酔によって術後も少しかすんでいますが、それが落ちつくと以前のかすみは見事に消えています。痛みもありません。

翌日に術後診断を受けました。問題なし。視力も裸眼で1.2。先生に「おかげさまで世の中が明るくなりました」と言ったら笑っていました。めでたしめでたし。

今は気仙沼市立病院でも白内障手術をおこなっています。ずいぶん昔のことになりますが、私の母が白内障の手術を受けたときは仙台まで出かけていったと思います。視力がもどったら、やたらに台所の汚れが気になると(笑)。白内障によって気づかなかったのです。

こうして個人的な手術の話を紹介するのは、白内障の手術をこわがることはないよと同級生や同じ世代のひとに伝えたく。私もはじめは眼の手術ということでなんかこわかったので。

以上、ご参考まで。

2022年5月24日ブログ「右眼の白内障手術」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 白内障

ニューホープ 受賞

2月1日のブログで、「気仙沼内湾ウォーターフロント」が「土木学会デザイン賞」優秀賞を受賞したことを紹介しました。本日紹介するのも、東日本大震災後の気仙沼におけるまちづくりに関する話題です。

気仙沼在住の田中惇敏さんが進める空き家活用プロジェクト「自走する建築ストック」がグッドデザイン・ニューホープ賞に入選しました。昨年2022年12月21日の三陸新報がつぎのように伝えていました。


田中さん

三陸新報2022年12月21日記事の一部イメージ


「グッドデザイン・ニューホープ賞」は、「グッドデザイン賞」の主催団体である日本デザイン振興会が2022年度に設けた新しいデザイン賞です。つまり今回が第1回目となります。

クリエイターを目指す各種専修専門学校・大学・大学院の学生、卒業・修了後間もないクリエイターが対象とのことで、同賞サイトには〈これからの次代を担う人たちのデザインアワード〉とありました。

物、場、情報、仕組みという4カテゴリーがありますが、田中惇敏さんのプロジェクトが入選したのは「仕組みのデザイン」カテゴリーです。はじめは「場」かと思い探したのですが見つからず。「仕組み」でした。内容を知れば、たしかに「仕組みのデザイン」です。

三陸新報記事によれば、田中さんは北九州市出身で、震災後の2012年に学生ボランティアとして気仙沼に。現在は認定NPO法人「Cloud JAPAN」代表などをつとめるかたわら、慶應義塾大学大学院/政策・メディア研究科後期博士課程の学生として学んでいるそうです。

入選作品は、宿泊施設「ゲストハウス架け橋」と子育てシェアスペース「Omusubi(おむすび)」、企画に協力する飲食店「家カフェHATA」の市内3施設で進めたプロジェクトとのこと。

作品タイトルは「自走する建築ストック」です。作品パネルの左上には「設計者不在 もちよる空き家プロジェクト」とありました。


同賞サイトの受賞作品紹介から、作品概要と評価コメントを引用します。


◎作品タイトル「自走する建築ストック」

・ 作品の概要

「設計者不在、もちよる空き家。」が地域を救う。あえて設計図を描かないことによって、運営の担い手や地域住民の参画可能性を拓き、地域の変化に合わせて成長し続けた空き家活用プロジェクト。地域内に「もちよる→つくる→たのしむ」の循環を生み出すことで、地域の厄介者だった空き家が育ち、住民同士、よそものの縁をつなぐ。

・ 審査委員による評価コメント

建築家や図面の力を借りず、地域住民の手で空き家を改修し活用する仕組みの提案である。施工を利用者主体で実施するだけでなく、竣工後の活動にまで並走することで、長期的な持続性の獲得が目指されている。実際に被災した地域に参画し、3つの事例を実現しているだけでなく、この仕組みを展開するための12種類のパタンを策定し、次の展開へと繋げようとする意力が評価された。

紹介記事引用は以上です。


田中さんはじめ関係者の皆さま、グッドデザイン・ニューホープ賞入選、おめでとうございます。このたびの受賞の紹介記事をとてもうれしく読みました。紹介が遅くなりましたが、その気持ちをお伝えしたく。

2月1日ブログ 「内湾デザイン 受賞」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 田中惇敏ゲストハウス架け橋

地域社会福祉功労

先々週の話になりますが、1月31日に中央公民館で開催された気仙沼市社会福祉大会の様子が2月1日の三陸新報で紹介されていました。この大会では、長年にわたり地域福祉向上に尽力した172個人・3団体に表彰状や感謝状を贈り、功績をたたえたとのことです。


社協

三陸新報2月1日記事の一部イメージ


表彰状を贈られた方のなかに気中同級生の名がありましたので紹介します。

まずは社会福祉協議会功労者として、上地区社協の小山謙一君(3年9組)と春日敏春君(3年9組)、魚町地区社協の佐々木徹君(3年1組)。そして、福祉団体の永年勤続功労者として、魚町地区社協の小山容子さん(3年5組)です。

記事によれば、受賞者を代表して上地区社協の小山謙一会長がつぎのような謝辞を述べたとのこと。「地域福祉は地道な活動の上に立っている。表彰を励みに、さらなる向上につとめたい」

「地道な活動」という言葉に、その苦労を知る関係者のひとりとしての仲間に対するねぎらいの気持ちが感じられます。「さらなる向上」は自分たちの役割を果たしていくという使命感の表明かと。

2021年1月5日ブログ「小山謙一君の笑顔」

ここでは謙一君の話を記しましたが、敏春君、徹君、そして容子さんの働きについても皆さんご存じのとおりです。

気中同級生をはじめ、表彰を受けられた皆様、いつも本当にご苦労さまです。そしておめでとうございます。皆様の地道で献身的な日頃のご努力に心からの敬意と感謝を表します。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 社会福祉協議会

「日日是好日」50回

昨年7月1日から始まった三陸新報の連載「気仙沼弁〈日日是好日〉」が2月7日の「なんだりかんだり」(なんでもかんでも・いろいろ)で50回目となりました。


50:20230207

三陸新報2月7日掲載記事より


この連載で紹介されるディープな気仙沼弁のなかには私の知らない言葉もたくさん登場します。前にも書いたように私の両親は新潟県出身ですからしかたなし。しかし、この「なんだりかんだり」はよく知っています。「どこだりかぐだり」(あっちこっちというニュアンスでしょうか)とセットですかね。

いつもながらペンネーム「鼎女(ていじょ)」さんの気仙沼弁会話は本当にうまい。今回も爺ちゃんと婆ちゃんの掛け合いが最高です。読んでいるだけで気分は昭和の気仙沼にひとっとびという感じ。

たとえば、婆ちゃんの「何もいがすと。悪いごどでもありすか」という返し方。そしてさらに「何も、おらそんなに、なんだりかんだりかだんねえ。ばがでもありすか」という開きなおりも。

もうひとつ紹介させてください。48回目の「いいがら奥さん」です。


48:20230128

三陸新報1月28日掲載記事より


これは気仙沼弁による言葉というよりも気仙沼的なシチュエーションがとても面白かった。

南町の喫茶店「マンボ」とおぼしき店内で3時間も話し込んだあとのお勘定時。今日は私が払うからという奥さんAに、Bさんが「だれえ、いいがら奥さん」と。しかしAさんは「いいがら奥さん、今日ばり出させでえ」とゆずりません。リアルです。よくあるシチューエーション。するとCさんまでも「わだしもあんだがら、いいがら奥さん」と続きます。これもお約束でしょう。

誰かの自宅でのお茶こ(おぢゃこ)のみではなく、外の喫茶店でというところも絶妙の設定ですね。3人の距離感も伝わってきます。


◎鼎女とコミマルのコンビ

三陸新報の初回掲載時に、この連載の筆者とイラストの作者が紹介されました。「鼎女」は気仙沼市内在住で元小学校教員の加藤美貴子さん。そしてイラストの「コミマル」は市内南町出身で東京在住の小田まゆみ、私の妻です。気仙沼小・中そして鼎が浦高校の同級生という関係。

そんなことで、2人のやりとりや作画の現場をよく知っています。それだけに、連載が50回というまとまった回数になったことをとてもうれしく感じました。

この連載、幸いにも好評であるとのこと。方言辞典的な用語紹介ではなく、気仙沼のちょっと懐かしい場面のなかでの生きた言葉であるのがとてもいい。回を重ねるにしたがって「日日是好日」(ひびこれこうじつ)という連載タイトルの深みが増してきたようにも思います。

加藤さん(そしてまゆみも)、いつもご苦労さまです。目指せ100回!どうぞよろしく。

2022年7月6日ブログ「気仙沼弁の新連載」
2022年9月23日ブログ 連載「日日是好日」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼弁日々是好日

五大ニュース2022

2022年の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」が決定しました。2月2日の三陸新報がつぎのように紹介しています。


2022五大ニュース
三陸新報2月2日記事より


各ニュースのポイントはつぎのようなことかと。6位以下は記事からひろいました。

①気仙沼みなとまつり、3年ぶりに開催
②生鮮カツオ水揚げ26年連続日本一死守
③人口6万人割る
④ふるさと納税40億円突破
⑤おかえりモネ展閉幕

⑥新型コロナ感染拡大収まらず
⑦ウクライナ情勢で燃料・食料品など物価高騰
⑧鹿折中と大島中の統合
⑨お伊勢浜海水浴場が12年ぶりに海開き


上では要約しましたが、②の生鮮カツオ水揚げ26年連続日本一は、やはり水揚げ量が平成以降最小で、サンマやサケの不漁ということも大きなニュースだったということですね。

④のふるさと納税40億円突破は、「五大ニュース」候補28項目の発表時点では30億円でしたが、じきに金額が更新されたために結果発表では40億円になっています。

この催しは気仙沼市教育委員会と市立公民館が主催するもの。2月1日に開催された審査会で、全項目的中者9人から市長賞などの受賞者を決めたそうです。今回初となるネット投票も含め、全投票数は1675票です。

私の予想は③のみ当たりましたが、ほかはだめでした。私の予想はつぎのとおり。

①鹿折中と大島中の統合
②ふるさと納税30億円突破
③人口6万人割る
④生鮮カツオ水揚げ26年連続日本一死守
⑤千田健一さんが日本フェンシング協会会長に

みなとまつりが1位になるとは思いませんでした。地元の人の〈みなとまつり愛〉を甘くみていたようですww

2022年版五大ニュース候補項目はつぎのブログにて。

2022年12月26日ブログ「気仙沼の2022年」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 五大ニュース

奥原道樹先生訃報

気仙沼中学20回生3年1組の学級担任だった奥原道樹先生が2月3日にお亡くなりになったことを菊田裕美君(3年1組)が教えてくれました。きのうの三陸新報に会葬御礼が、2月5日にはつぎの訃報広告が掲載されていました。


2:5訃報広告
三陸新報2月5日掲載広告より


直接教えてもらったことはなかったように思いますが、奥原先生の担当教科は社会科です。先生はとてもハンサムでしたね。俳優アラン・ドロンに似ているとの声もありました。卒業アルバムの写真をみてもらえば、たしかにと思ってもらえるでしょう。

奥原先生
気仙沼中学20回生卒業記念アルバム(昭和42年3月)より


訃報広告に満89歳とありました。奥原先生は気仙沼高校の同窓会名簿をみると気高4回生です。たぶん気中2回生でしょう。山形大学文学部卒。気仙沼中学のほか条南中学でも教壇にたたれていたようです。

気高の同年生には、元気仙沼図書館長で、このブログを書くにあたっても活用している『気仙沼文化史年表』の著者 荒木英夫さんや、羽田神社宮司の尾形公夫さんがいらっしゃいます。

◎奥原しんこさんのおじさん

このブログで奥原先生の名が登場したのは〈イラストレーター奥原しんこさんのおじさん〉としてでした。はじめはしんこさんが奥原先生の娘さんではないかと思ったのですが、東京・谷中のギャラリーで開催された個展でご本人に確認したところ〈おじさん〉であると。つぎのブログで、その話を記しております。

2011年5月30日ブログ「紫さんの奥原さん」

話を戻します。魚町や南町から気仙沼小・中学校に登校するときは皆、「紫さん」の坂をのぼっていきました。そして、坂の途中の右側に先生の実家である金光教(こんこうきょう)の教会がありました(金光教は古くからの神道系宗教ですが、私は小さいころ、そこは寺院であると思っていました)。そこから出てきた奥原先生と紫さんを一緒にのぼっていくこともあったのではないかと。

奥原先生、私たちをいろいろとご指導くださり、ありがとうございました。ご冥福を心からお祈りいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 奥原道樹気仙沼中学

斉藤和枝さん投稿

3月18日(土)19日(日)に「気仙沼おかえり寄席 志の輔独演会」が気仙沼中央公民館で開催されます。「気仙沼つばき会」と「おかえり気仙沼実行委員会」の主催です。

2月4日の三陸新報に、つばき会の会長である斉藤和枝さんが投稿していました。


投稿

三陸新報2月4日投稿記事の一部イメージ


投稿文では、2012年3月の「気仙沼さんま寄席」に始まる立川志の輔さんとのご縁と、昨年に続き今年2度目となる「気仙沼おかえり寄席」開催の趣旨が語られています。主要部を引用させてもらいます。


〈 ご縁の始まりは2012年3月。株式会社「ほぼ日」の糸井重里さんが震災後の気仙沼に全国から千人のお客さまを呼んで、志の輔師匠の落語会「気仙沼さんま寄席」を開いてくださったのです。
(中略)
10年前、ほとんどのことをほぼ日さんはじめ外の方々にお世話になりました。

今度は「私たち気仙沼の人がみんなで、おいでになるお客さまをおもてなしし、寄席を運営すっぺ。一緒に落語を、笑ったり泣いたりして聴ぐべ」と、昨年から「おかえり寄席」が始まりました。〉(引用は以上)


今度は自分の手でと始まった「おかえり寄席」ということですね。しかし、つばき会の皆さんたちは、こうした催しのプロではありませんから準備や運営は簡単なことではありません。志の輔師匠にもいろいろと教えていただいての昨年の開催だったようです。

そして迎える今年3月の「気仙沼おかえり寄席」。大切につないでこられたご縁がさらに広がりますようにと願っています。


気仙沼おかえり寄席や震災後6度にわたる志の輔師匠の落語会についてはつぎのブログにも記しております。

1月27日ブログ「おかえり寄席2023」

なお、前売りチケットは全席指定で4500円。e+(イープラス)利用と「海の市」2階 気仙沼市観光協会にて販売が開始されましたが、2月5日からつぎの店舗等でも販売しています。

ラペ・マツイ、横田屋本店、気仙沼プラザホテル、アンカーコーヒー内湾店、アンカーコーヒーマザーポート展、Wanomise高橋きもの工房、つなかん(唐桑)、斉吉本社潮見町工場
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえり寄席立川志の輔

「千葉周作」の講座

気仙沼市のLINEでお知らせのあった「唐桑公民館だより」2月1日号に興味深い催しの案内がありました。一般成人講座「剣豪千葉周作を生み出した背景〜千葉周作の生誕地の謎に迫る」。


唐桑公民館

「唐桑公民館だより」2023年2月1日号より


一般成人講座
「剣豪千葉周作を生み出した背景〜千葉周作の生誕地の謎に迫る」

日時:2月22日(水)13:30〜15:00
会場:唐桑公民館
講師:郷土史研究家 千葉富夫さん
持ち物:筆記用具、飲み物
対象:一般成人30名程度
入場無料

問合せ・申込みは下記まで

唐桑公民館:
気仙沼市唐桑町馬場181-1
電話0226-32-4530


この講座で講師をつとめるのは気仙沼出身で神奈川県在住の千葉富夫さんです。昨年12月6日のブログで千葉さんの三陸新報での「『千葉周作生誕230年企画展』を」と題する投稿文を紹介しました。北辰一刀流の創始者である千葉周作が気仙沼出身であるという説がどうも本当らしいという話。

2022年12月6日ブログ「気仙沼の千葉周作」

千葉さんからは昨年、当方のブログを見たということでメールをいただきました。気中22回生。2こ下ですね。以前の実家は八日町だったようです。

千葉さんは千葉周作だけでなく、広く気仙沼の郷土史を研究されているようです。この唐桑での講座でもいろいろと詳しい話を聞くことができるでしょう。

なお、千葉周作気仙沼出身説では出身地は気仙沼本郷とされています。これは簡単にいうと旧気仙沼町エリアです。もしかして講座会場の関係で唐桑出身かと思われる方がいるかもしれないので念のため。

また、「唐桑公民館だより」に、千葉周作が漫画「赤胴鈴之助」のモデルにもなったと記されていますが、これは違いますね。昨年12月のブログに記したように、赤胴鈴之助が弟子入りしたのが千葉周作の道場という設定だったかと。「唐桑公民館だより」は千葉さんの三陸新報投稿文の記述を引用したのでしょう。

北辰一刀流の創始者である千葉周作と気仙沼との関係。なかなか面白い話です。2月22日(水)午後1時半から唐桑公民館にて。どうぞよろしく。

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 千葉周作

福田憲二の「象嵌」

1月6日の三陸新報に掲載された骨董展「車屋」さんの広告に気仙沼の陶芸家、福田憲二さんの作品が紹介されていました。

福田憲二
三陸新報1月6日掲載広告より


広告には「共箱」と記されていますが、これが作品名とは思えません。あくまで作家の署名・捺印のある箱ありということだと思います。余計なことですが念のため。

福田憲二さんは、気仙沼小・中・高校の一年先輩です。気中19回生。気高では私も属していた美術部でしたからよく知っています。石膏デッサンなども巧みで、レンブラントの作品を思わせる光と陰影が際立つ油絵が印象に残っています。

◎福田さんの略歴

ネット上にK-NET/気仙沼ケーブルネットワークを利用した作家紹介サイト「福田憲二 象嵌の世界」がありました。福田さんとこのサイトとの関係がよくわかりませんが、作家紹介や作品紹介もありました。

福田は気高卒業後、東京の和光大学に進みました。上記サイトの「作者紹介」によれば、人文学部芸術学専攻です。略歴はつぎのように続きます。

1975年 栃木県益子(ましこ)にて陶芸研究
1976年 宮城県気仙沼市に築窯
1977年 加守田章二(かもだしょうじ)氏に師事

加守田章二さんは陶芸に関心のある方ならみなご存じでしょう。1977年当時、加守田さんは岩手県遠野市で作陶していますので、福田さんは気仙沼から遠野にでかけていって指導を受けていたのでしょうか。

その後、陶芸展や工芸展などに出品し入選が続きます。

高校卒業後、東京で福田さんに会ったことが1度だけありました。10数年前の気仙沼高校関東同窓会の懇親会です。東京での展覧会かなにかの機会だったのでしょうか。

そのときに、加守田章二さんに師事しているという話を聞きました。そして自分はいま病をもっているとも。ガンを患っていることを聞いておどろきました。その後、福田さんが亡くなったと知ったのはいつのことだったか。上記サイトの略歴の冒頭に「福田憲二(1950〜2008)」との記載がありました。2008年に亡くなったのかもしれません。

福田さんの陶芸作品は象嵌(ぞうがん)技法が特徴的です。異なる土を埋め込んで文様、模様をつくります。以前、内湾「エースポート」があったとき、その2階に地元陶芸作家の作品が展示されており、福田さん作の壺が置かれていました。たしか幾何学的な文様が象嵌された作品でした。「車屋」さんの広告にある作品とはちょっと違う印象。

◎福田さんの作陶教室

福田憲二さんは、気仙沼で作陶教室もおこなっていました。私の母も通っていたことがありま、以前に母がつくった皿をほめたら、福田さんが最後に整えてくれるからねと笑っていました。その〈遺作〉のいくつかは今も我が家の食卓に登場します。

そのひとつ、直系20cmほどの縁高の皿には、草花文の(ような)象嵌(のような)跡が残っています。つまり、福田先生の影響が色濃い「作品」です(笑)


「車屋」さんの広告は、福田さんのことをいろいろと思い出させてくれました。そしていま、〈作者〉が亡くなっても〈作品〉は残るということを実感しています。

 
なお、広告の左側に白石隆一さんの「三陸の魚」も紹介されていますが、これは以前の広告にも掲載されていました。つぎのブログで紹介しております。ご参考まで。

2022年11月17日ブログ「白石隆一作品2点」


(2/4追記)上記ブログ投稿の翌日2月4日の三陸新報にも「車屋」さんの広告が掲載されていました。そこにも福田さんの皿が。

車屋2:4
三陸新報2月4日掲載広告より


右には本田鼎雪(ていせつ)さんの絵画も。魚をよく描いた鼎雪さんの「樹」。鼎雪さんについてはつぎのブログでも。

2020年5月25日ブログ 鼎雪の「渾身の鰹」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 福田憲二車屋

平塚商店 移転開店

「気仙沼さかなの駅」は1月15日で営業を終了しましたが、ここに店を構えていた7店のうち6店は新たな場所で営業を続けます。平塚一信君(3年1組)の平塚商店の新店舗案内もそろそろかなと思っておりましたら、本日2月2日の三陸新報に広告が掲載されていました。明日2月3日(金)午前10時オープンです。


移転開店
三陸新報2月2日掲載広告


潮見町工場を改装しての営業再開です。地図を拡大しておきましょう。ココです!潮見町2丁目143-3

案内図

平塚商店:
気仙沼市潮見町2丁目143-3
電話0226-24-1531(従来通り)


平塚商店は、鰹や鮪をはじめとする鮮魚店です。これまでどおりにどうぞよろしくお願いいたします。

平塚君、移転しての開店準備、いろいろと大変だったでしょう。商売繁盛を祈念しております。まずは移転、開店、おめでとうございます。

1月16日ブログ 「さかなの駅」終了
1月23日ブログ「営業終了のご挨拶」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : さかなの駅平塚商店

内湾デザイン 受賞

「気仙沼内湾ウォーターフロント」が公益社団法人「土木学会」の景観・デザイン委員会が主催する「土木学会デザイン賞」優秀賞を受賞しました。昨年2022年11月29日に発表され、本年1月21日に授賞式がおこなわれています。

1月29日の三陸新報はつぎのように報じていました。


土木学会デザイン賞
三陸新報1月29日記事の一部イメージ


受賞施設はつぎのとおりです。「気仙沼内湾ウォーターフロント」の中身といってもよいでしょう。簡単にいえば、防潮堤、公園、ムカエル、ウマレルです。
 
宮城県気仙沼市南町海岸、防潮堤(南町、魚町)、気仙沼漁港南町公園、「ムカエル」(飲食店、物販店舗、事務所)、「ウマレル(PIER7)」(観光案内所、交流スペース、FMスタジオ、軽運動場、研修室、音楽室)


受賞関係組織に名を連ねる気仙沼市の1月27日付け記者発表資料では、受賞のポイントをつぎのように紹介しています。

〈受賞にあたっては、防潮堤の一部にフラップゲートを採用し、陸地も嵩上げすることで、子どもでも市街地から海面が見えるように工夫をした点、防潮堤と建物を一体的なデザインとすることで、海とまちとが分断されることを極力さけた点など、「海と生きる」内湾地区にふさわしいまちづくりを関係者の間で8年の歳月をかけて議論を重ねた結果が評価されました。〉

◎選考結果内容

土木学会のサイトに掲載されている選考結果から「気仙沼内湾ウォーターフロント」の内容を見てみると、主な関係者と主な組織の具体的な記述がありました。

まずは「主な関係者」から。サイトにはその役割についての記述もありましたが略します。

○菅原 昭彦(内湾地区復興まちづくり協議会会長)
○宮井 和夫(内湾地区復興まちづくり協議会 公共施設観光部会長)
○阿部 俊彦(内湾地区復興まちづくり協議会コーディネーター|住まい・まちづくりデザインワークス(当時)、立命館大学理工学部建築都市デザイン学科(現在))
○津久井 誠人(住まい・まちづくりデザインワークス)
○村山 寛(アール・アイ・エー)
○増見 収太(アール・アイ・エー)
○長谷川 浩己(オンサイト計画設計事務所)
○須貝 敏如(オンサイト計画設計事務所)
○角舘 政英(ぼんぼり光環境計画)
○竹内 俊雄(ぼんぼり光環境計画)

つぎに「主な関係組織」です。

○内湾地区復興まちづくり協議会
市民が防潮堤のデザインについて、専門家の支援のもとで、行政と協議し、提案する組織。その中でも、公共施設観光部会は、ワークショップなどを通じて、防潮堤のデザインのアイデアを発案する役割を担った
○LLC住まい・まちづくりデザインワークス
ムカエルの建築設計を担った
○株式会社アール・アイ・エー
ウマレルの建築設計を担った
○有限会社オンサイト計画設計事務所
ウォーターフロントのランドスケープデザインの提案と実現のための計画及び設計の監修を担った
○ぼんぼり光環境計画株式会社
ウォーターフロントの照明計画の提案と実現のための計画及び設計の監修を担った
○宮城県気仙沼地方振興事務所
魚町・南町の防潮堤の事業者
○気仙沼市
まちづくり協議会の事務局、魚町・南町の土地区画整理事業(防潮堤の周辺の道路、公園)、ウマレルの事業者

◎選考委員講評

選考結果には選考委員8名のうち2名の「講評」が記されていました。それぞれの文章の結びが印象に残りましたので紹介します。

「(前略)この作品のすごさは、個々の空間はもちろん、地域が自然と向き合う覚悟を持ち、多様な主体や知恵を結集させ、エリア全体で漁港、防潮堤・盛土、公園、建築などを横断するデザインマネジメントを実現させ、計画に関わった地域主体がその運営を担っていることにあると思う。」選考委員 泉英明氏((有)ハートビートプラン)

「(前略)内湾は気仙沼の旧市街と言える場所であり、海からつながる目抜き通りなどは、そこでの新たな拠点づくりとなっているが今のところまだ人通りもすくない。この新たな拠点が持続的なにぎわいをつくりだせるかが、トータルデザインとしての試金石となるであろう。」同 中村圭吾氏((公財)リバーフロント研究所)

泉氏の横断的なデザインマネジメントに対する評価はとてもありがたい。そして中村氏の講評では内湾地区がかかえる課題にも言及しています。〈評価〉であると同時に〈激励〉であるように感じました。泉さん、中村さん、ありがとうございます。

◎震災復興関連受賞

今回の2022年度最優秀賞は3件、優秀賞は7件でした。震災復興関連関連では岩手県大槌町の「吉里吉里地区復興まちづくり」が「気仙沼内湾ウォーターフロント」と同じく優秀賞を受賞しています。

震災復興ということでの参考として記しておくと、2021年度の最優秀賞2件のうちのひとつは、「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設」、そして2019年度の最優秀賞3件のひとつが「女川駅前シンボル空間/女川町震災復興事業」でした。

なお、気仙沼の〈復興デザイン [気仙沼内湾ウォーターフロント・「迎」ムカエル・「創」ウマレル(PIER7)]〉が、2019年度グッドデザイン賞を受賞しています。受賞企業・団体は今回の土木学会デザイン賞と同様です。つぎのブログに記しております。

2019年10月11日ブログ「グッドデザイン賞」

以上、紹介が長くなってしまいましたが、「気仙沼内湾ウォーターフロント」関係者の皆さまにお祝いを。このたびの土木学会デザイン賞受賞、おめでとうございます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 土木学会デザイン賞内湾ウォーターフロント

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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