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This is My LIFE.

12月28日のブログ「ただいま、つなかん」を書いているときに、本ブログ中の「菅野一代」さんを検索。すると結果のなかに、2015年9月4日ブログ「This is My LIFE.」がありました。

ほぼ日手帳2016のスペシャルムービー「This is My LIFE.」を紹介していたのですが、その映像をひさしぶりに見たら、なんかしんみりしてしまいました。そんなことで以下に再掲。


2015年9月4日ブログ再掲

This is My LIFE.

(前略)

さて、本題。気仙沼が大変お世話になっている〈ほぼ日刊イトイ新聞〉の〈ほぼ日手帳2016〉が9月1日に発売されました。ほぼ日手帳は、2002年版からはじまり今年で15年目。昨年の使用者が55万人にのぼるほどのベストセラー手帳です。〈気仙沼のほぼ日〉の活動も、この手帳の収益が支えているのではないか、と勝手に推測しております。

そして〈ほぼ日手帳2016〉の発売と同時に、ほぼ日手帳スペシャルムービー「This is My LIFE.」が公開されました。驚いたことに、その約2分間の映像は、気仙沼の人と風景にあふれているのです。まずはご覧ください。



ほぼ日手帳2016「This is my LIFE.」(右下クリックで画面拡大)


私がわかる人でいえば、まずは唐桑御殿〈つなかん〉の菅野一代さんや料理長の今井竜介さん。お会いしたことはないのですが。一代さんは、赤ちゃんを抱きながら〈ばあちゃんの生まれ変わりだぞ〜〉と語っています。7月24日に義母の菅野あや子さんを亡くしています。そして以前、気仙沼を元気にする会のトークイベントでお目にかかった〈からくわ丸〉前代表の加藤拓馬さんやオノデラコーポレーション/アンカーコーヒーの小野寺紀子さん。そのほか、〈武山米店〉の武山陽子さん、〈亀山精肉店〉の柴田静佳さんなども。

冒頭の映像で、気仙沼小学校の生徒が歩くシーンの後方にうつるのは、建てかえのために閉館した気仙沼図書館でしょうか。気仙沼小学校の校庭も気仙沼中学の体育館を遠景にしてうつっていますね。最後に手帳が積み重ねられるモザイク仕上げのテーブルは八日町の公園の〈ガウディのベンチ〉付近にあるものかなと思ってみたり。こうした気仙沼の風景や人に、東京と思われるカフェやダンススクールの映像などが加えられています。

撮影は、写真家の川島小鳥さん。男性ですよ、念のため。私は川島さんを、写真集『未来ちゃん』で知りました。発行は震災の年2011年3月。そしてその後、3年間で30回も台湾に通って撮った写真集『明星』は、2014年度の第40回木村伊兵衛写真賞を受賞しています。すばらしい。

全編をながれる印象的なコピーとナレーションは糸井重里さんです。最後のところだけ文字として引用させてもらいます。


あの日、この日、あのとき、このとき、
どんな日も、あってよかった。

This is my LIFE.

だれと取りかえることもできない
わたしの、わたしだけの日々。

This is my LIFE.

This is my BOOK.

LIFEのBOOK


引用は以上です。このメッセージを読んでから、また映像を見直すと印象の深さが何倍にもなるような感じがします。気仙沼の人と風景をすばらしい映像にしてくださってありがとうございます。糸井重里さんや川島小鳥さんをはじめとする関係者の方々にお礼を申し上げます。

おっといけない。ほぼ日手帳2016のお求めは下記のサイトから是非に。今週はこれにて。This is my LIFE。良い週末をお過ごしください。

ほぼ日ストア/ほぼ日手帳

2017年のブログ再掲は以上です。

ほぼ日手帳2016のムービーを撮影したのは写真家の川島小鳥さん。小鳥さんは、2017年版気仙沼漁師カレンダーを撮影してくださったかたです。

上記末尾の「ほぼ日ストア/ほぼ日手帳」クリックしたら、2016年版ではなく最新2023年版にリンクしていました。毎年のストア内URLを共通にしているのですね。細かなことですが行き届いているなと感じました。ほぼ日手帳2023、こちらもどうぞよろしく。

きょうは12月29日。なんかあっという間の一年というのが実感です。今年も気中20ブログをお読みいただきありがとうございました。


本年はこれにて。This is my LIFE。良い年をお迎えください。
 
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tag : ほぼ日手帳川島小鳥

ただいま、つなかん

気仙沼市唐桑の民宿「唐桑御殿つなかん」の10年以上にわたる歳月を記録したドキュメンタリー映画「ただいま、つなかん」の各地劇場公開が始まっています。12月23日に、約2分間の予告編・劇場版が公開されましたので紹介します。





この映画の監督は風間研一さん。2012年1月にテレビ番組ディレクターとして「つなかん」の菅野一代さんと出会いました。それ以来、番組での取材、個人での取材、時にはプライベートでの宿泊で、東京から唐桑へと何度も通ったとのこと。つなかんの料理長(当時)を追った「僕は今ここにいる」(2016年)は、民間放送教育協会スペシャル優秀企画賞を受賞したとのこと。当時の料理長とは今井竜介さんですね。

公式サイトのイントロダクションには〈3.11からコロナ禍まで たくさん笑って たくさん泣いて こころを紡ぐ民宿「つなかん」の物語〉とありました。そして〈東日本大震災で自宅を失い、海難事故で家族を亡くした女将の一代さんと、震災当時に学生ボランティアだった若き移住者や仲間たちが、ともに歩み積み重ねてきた10年以上にわたる歳月―〉とも。詳しい内容はつぎの公式サイトをご覧ください。

映画「ただいま、つなかん」公式サイト

ナレーションは、渡辺謙さんです。謙さんと一代さんの交流はNHKの番組などでもたびたび紹介されています。そして音楽は気仙沼出身のジャズピアニスト岡本優子さん。サイト中の岡本さんのコメントによれば、「レクイエム」「ひだまり」 「架け橋」 「大海原」という4つのテーマ曲を書き上げたとのこと。

この映画の各地劇場での上映予定はサイトの「劇場情報」に詳しく記されています。ここでは仙台と一関、そして東京の上映予定のみを記しておきます。いずれも2023年。

仙台/フォーラム仙台 2/24(金)〜
一関/一関シネプラザ 3/3(金)〜
東京/ポレポレ東中野 2/25(土)〜

気仙沼にはいま映画館がありませんので上映予定はなし。とはいうものの、ミニ上映会などの機会があるといいですね。ちょっと先のことだとしても是非に。

なお、予告編にもうつっていますが、このドキュメンタリーには糸井重里さんも登場します。糸井さんの12月9日ツイートでは関係者試写会の印象を「みんなに会いにいったみたいな気持ちでした」と記していました。


2017年3月の海難事故やその後の営業休止と再開についてはつぎのブログに記しております。

2017年6月28日ブログ「つなかん営業再開」

 

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NHKの日本一報道

気仙沼港での生鮮カツオ水揚げ26年連続日本一確定とのニュースが各紙で伝えられたのは12月9日のことでした。これは12月7日時点での漁業情報サービスセンター(JAFIC)による水揚げ情報をもとにしての報道でした。しかし、この時点でのNHKでの報道はなかったようです。

そしてようやく本日12月16日、仙台放送局発のニュースとして報じられ、配信されました。タイトルは「気仙沼港 カツオ水揚げ量26年連続日本一」。


なにか新しい情報がはいっての確定報道かと思ったのですが、ニュース内容は12月9日報道と同じJAFICの12月7日時点での情報でした。その後の他港の水揚げ状況を確認したうえで、本日の日本一確定報道としたのでしょう。年末ですしね。

このNHKのニュースの後半では、日本一となったものの水揚げ量が落ち込んでいることに触れていました。引用します。

〈(生鮮カツオ水揚げが日本一となった)一方で、ことしの水揚げ量は去年(3万2807トン)の4分の1ほどに落ち込み、気仙沼漁協によりますと1万トンを下回るのは32年前の1990年以来だということです。

また水揚げが激減した影響で価格は高騰し、漁協によりますと、ことしの生鮮カツオは1キロあたり444円ほどと記録が残る1989年以降で最も高くなったということです。

こうした状況について気仙沼市の菅原茂市長は「連続日本一は簡単なことではないのでホッとしている。ことしは歴史的にも厳しく、不安が大きく残る年だった。資源の安定、漁獲の回復を願っています」と話しています。〉

ニュースのなかに、今シーズンの気仙沼港の生鮮カツオ漁はことし6月に本格的に始まったとありました。来季の漁は半年後ぐらいに始まるのでしょう。

関係者の皆さま、今季のカツオ漁、お疲れさまでした。来季の航海安全と大漁をお祈りいたします。

12月12日ブログ 「僅差で首位死守」

 

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気仙沼の2022年

気仙沼中央公民館の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」候補28項目が決まりました。12月23日の三陸新報が伝えてくれました。



三陸新報12月23日記事より


この28候補に対する市民の投票は1月11日から24日まで。投票箱は、市内の各公民館、中学校、高校、郵便局など51カ所に設置されます。気仙沼市のホームページからネット投票もできるそうです。

毎年感じるのですが、このニュース候補案の作成はかなり大変だと思います。複数のニュース要素をまとめるとどうしても長くなってしまいますしね。

そんななかで短いけれど正確と感じたのは「鹿折中と大島中が統合、新生鹿折中が誕生」です。大島中が鹿折中に統合されたのではなく、2校統合によって生まれた新しい中学校の名が「鹿折中」ということです。他校の統合を語るときにも注意したいところ。

昨年と同様、私の予想を記しておきます。なにごとも楽しまなくちゃということで。ニュース内容は要約しています。

①鹿折中と大島中の統合
②ふるさと納税30億円突破
③人口6万人割る
④生鮮カツオ水揚げ26年連続日本一死守
⑤千田健一さんが日本フェンシング協会会長に

昨年2021年の五大ニュース予想は、①②③は当たりましたが、④⑤をはずしました。つぎのブログをご覧ください。今年はどうかな。

2月3日ブログ「五大ニュース2021」

なお、この「五大ニュース」が始まったのは、実質的には昭和23年/1948年からのようです。毎年続けられているとすれば、2022年版は75回目かと。そんな五大ニュースの沿革についてはつぎのブログにて。

2月10日ブログ「五大ニュースの沿革」

なんかリンクが多くなってしまいましたが、お許しを。今週は2022年最後の一週間ですね。もうひとふんばり。どうぞよろしく。
 

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tag : 五大ニュース

追悼スライドショー

12月13日に叔父(母の弟)が亡くなりました。満97歳。先週の木金曜日が通夜と葬儀でした。15日の昼過ぎに東京駅を出発。新幹線車中では、iPadで叔父がうつる私が撮った写真をながめようと検索しました。するとなぜかスライドショーの中に2枚の気仙沼風景がありました。


柏崎2

柏崎1


1枚目はプラザホテルから撮った日の出。右上にうつるのはUFOではなく室内灯のうつりこみです。2枚目は早朝の内湾。正面に魚町の実家跡もうつっています。いずれも、2018年2月のモニターツアーに参加したときのもの。

おかしいなと思い再検索しても結果は同じ。数秒後に気づきました。検索ワードが「柏崎」だったのです。

プラザホテルの場所が気仙沼市の柏崎(かしざき)。叔父が暮らしていたのが新潟県柏崎(かしわざき)市でした。どちらも「柏崎」。この2つの名に浅からぬ縁があることはつぎのブログで紹介しました。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

ブログ中で紹介した紫神社の由緒のなかにつぎのようなことが記されていました。要約して紹介します。

慶長10年に越後柏崎(かしわざき)の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が現在の気仙沼市笹ケ陣に移り住むとき、屋敷内に紫明神と観音を勧請しました。しかしその後、御堂を焼失。そして正保年中、気仙沼湾の海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音としました。そのために今もその所を柏崎山(かしざきやま)というとのこと。

上に紹介したブログ投稿日2015年4月16日、私は柏崎市にいました。母と兄、そして叔父と柏崎の日本海を眺める旅館に一泊しての小旅行。母は2年後2017年10月に亡くなったので、これが最後の姉弟旅行となりました。新幹線でながめたスライドショーにはその時の母の姿も。

幼いころから祖母が暮らす柏崎を何度も訪れました。しかし、このたびの叔父や3か月前の叔母(叔父の妻)の死去によって、柏崎との縁が少し薄らいだような気がしています。残念。

柏崎や長岡などの大雪に関するニュースには驚かされました。私は東京〜燕三条を上越新幹線で、燕三条〜柏崎は兄の車に同乗しての行程でしたから、日程がずれていればいろいろと大変だったでしょう。大雪が原因となり亡くなられた方もいらっしゃいます。いまも進行する雪害。被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げます。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 柏崎

気仙沼観光12ヶ月


一昨日12月20日、「気仙沼さ来てけらいん」WEBでつぎの投稿がありました。


気仙沼カレンダー2023。来年の〈美味しい旬の食べ物や景色〉を紹介しています。各月テーマを書き出してみました。

1月 日の出
2月 海神様
3月 復興祈念公園
4月 亀山ほしのてらす
5月 徳仙丈山
6月 クルージング
7月 夏はやっぱり海
8月 出船送り
9月 漁船係留風景
10月 気仙沼気嵐
11月 牡蠣・冬メカ
12月 浮見堂

おもしろいですね。きれいにできています。私はこれを見て、ずいぶん前に何度かつくったプロモーションカレンダーのことを思い出しました。

各月の販促テーマなどを考えるわけですが、捨てがたいネタが複数ある月もある一方で、なかなか難しい月がいくつか残ります。そんなことで、この気仙沼カレンダー2023企画担当者の脳内を想像してみましょう。

あくまで旬の食べ物や景色ということなので、8月のみなとまつりなどイベントははずします。ただし花火をカットで。2月の海神様は風景という扱い。5月の徳仙丈山の右上に天旗(てんばた)。天旗まつりは5月です。旬の食べ物はなかなか難しい。11月に牡蠣と冬メカを入れて、フカヒレと初鰹はカット的に、サンマは出船送りなどでといったところか。

12月の浮見堂がよくわからなかったのですが、内湾のライトアップのことを思い出して合点がいきました。浮見堂からながめる風景はなかなかのものでしょう。そんなことを考えていくと、写真の大きさの違いに強気と弱気が見え隠れしているようにも思えてきます。

投稿の冒頭に、〈観光チームも来年の準備を着々と進めています〉と書かれていました。いろいろと大変だった2022年の気仙沼観光を振り返りながら、来年の施策をいろいろと考えているのでしょう。紹介した気仙沼カレンダー2023をながめながら、自分なりの各月観光テーマを考えてみるのも一興かと。〈あなたならどうする〉ということで。

「気仙沼さ来てけらいん」関係者の皆さま、この一年ご苦労さまでした。来年もよろしくお願いいたします。

気仙沼公式観光サイト「気仙沼さ来てけらいん」

 

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tag : 気仙沼さ来てけらいん

サンドの寄贈条件

サンドウィッチマンさんによる「東北魂義援金」から気仙沼市に寄贈されたトイレトレーラーのお披露目の様子は12月8日のブログでも紹介しました。本日はそのニュースに関連したお話です。

三陸新報では今 「2022年 回顧」という記事を連載しています。昨日12月20日は〈3月〉。見出しには〈大島中学校が閉校〉とありました。3月20日に閉校式が開催されています。

3月の気仙沼の出来事を追っていくなかで3月10日に「お笑いコンビのサンドウィッチマンが、気仙沼市にトレーラー型のトイレを寄贈」と。そうでしたね。まずは目録贈呈がありました。これが3月10日だったのですね。三陸新報の記事を調べてみると、3月12日につぎの記事が。


トイレ寄贈

三陸新報3月12日記事の一部イメージ


この記事の後半にこんなことが書かれていました。〈伊達さんが「納車されたらどうしても富澤が最初に大便をしたいと。それが条件だよね」と話すと、富澤さんは「許してもらえなければ差し上げることはできない」と真顔で語り、笑いを誘った〉と。

私はそうだったのかと感心しました。12月8日のブログで紹介したTBC東北放送のニュースで紹介されていた〈ギャグ〉の前振りがこの目録贈呈のときにあったのです。TBCニュースのその箇所を文字で紹介します。

富澤さんがトイレの使いぞめをまかされます。みんなに手をふったあとトイレに入る富澤さん。そしてトイレから出てきた富澤さんに「いかがでした」と伊達さんが聞きます。それに対する答は、「便座が 氷のように冷たいです」。それを聞いてみんなが大笑い。面白かった。さすがだなと。

調べてみると、この3月と12月の話の展開について、お二人はニッポン放送の「「サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー」で話していました。放送内容が12月10日のYahoo!ニュースでも紹介されています。記事の見出しのなかに「気仙沼市に寄贈したトイレトレーラーの使用者第1号に立候補も“不発”に終わる」とありました。不発ww

Yahoo!ニュース12月10日配信記事(ニッポン放送)

こういうのも一種の「伏線回収」なのでしょうかね。なお、3月12日の三陸新報には、トイレトレーラーの納車は8月予定とありました。夏であれば便座が氷のように冷たくなっているという事態を避けられたのですが。まあ、暑ければ暑いで別のネタで笑わせてくれたことでしょう。

伊達さん、富澤さん、いろいろとありがとうございました。(サンドだけに)重ねて御礼を申し上げます。

12月8日ブログ「サンドの寄贈トイレ」

 

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池上彰さんのお話

12月18日、ジャーナリスト池上彰さんの公開講座が気仙沼市民会館で開催されました。テーマは「学び続ける力」です。気仙沼の高校生の学びを地域ぐるみで支える組織「気仙沼学びの産学官コンソーシアム」の主催ですが、高校生のみならず一般の皆さんも参加できる公開講座「未来オープン」の第2回目として開催されました。

18日当日、気仙沼市の菅原市長はつぎのようにツイートしていました。


〈圧巻の100分〉〈科学、経済、地勢、歴史、宗教など縦横無尽な語りにより人間社会の真理に迫り、リベラルアーツとは何か、その必要性を見事に教えて頂きました〉という言葉に、当日の知的興奮がうかがえます。

「リベラルアーツ」は、このところよく登場する言葉ですが、いわゆる〈一般教養〉というよりも〈自由な知的活動のための学芸や教養〉といったニュアンスでしょうか。〈リベラル〉(自由な)という語を含んでいますしね。私にとっては、自由になるためのアート/技・術のイメージ。

どんなお話だったのかとても興味があります。整理券は2日間であっという間に配布終了。残念がった人も多いことでしょう。本日12月20日の三陸新報によれば、中高生や一般市民約750人が池上さんのお話を聞いたそうです。そして〈池上さんは、「福島第1原発事故をきっかけに、幅広い分野の知識を身に付け、生きる力を育む「リベラルアーツ」の重要性を認識したと説明。「事故の報道は専門的な用語と解説が多く、多くの人が影響や対策などを理解できず、不安が広がった」と語った〉とのこと。

私は、テレビ番組のなかで池上さんが話す内容とはかなり違う面があったのではないかと想像しています。1か月ほど前に雑誌で、池上さんが日本共産党をはじめ、日本の左翼に関する戦後史的なことを語っている記事をよみました。私はそこに、単なる知識の披瀝ではない、確かな知識に裏付けられた池上さん自身の思想というか哲学を感じました。

テレビをはじめ、あれだけ多くのメディアに登場していますから、池上さんに対する批判的な意見もかなりのものがあるでしょう。ですから、相当に〈鍛えられている〉はず。その思考を支える筋力を、菅原市長は〈圧巻〉と評したのではないかと。

市長ツイートの4枚目の画像は、「気仙沼学びの産学官コンソーシアム」説明資料中の「主に高校生(小中含む)対象プログラム一覧」です。記者発表資料から引用して下に紹介しておきます。


プログラム
2022年7月7日付け 気仙沼市記者発表資料より



池上さん、気仙沼での公開講座、ありがとうございました。高校生をはじめ、多くの人にとって貴重な90分となったことでしょう。心から御礼を申し上げます。

12月5日ブログ「池上彰氏公開講座」

 

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tag : 池上彰気仙沼学びの産学官コンソーシアム

ふるさと納税30億

12月17日の三陸新報1面トップ記事は、「ふるさと納税30億円突破」。気仙沼市へのふるさと納税の本年度寄付金が30億円を突破したそうです。過去最高だった昨年度実績(14億3000万円)の倍以上とのこと。


ふるさと納税

三陸新報12月17日記事の一部イメージ


記事によれば、12月15日現在の寄付額は約32億円。市は、残り2週間で10億円以上の寄付を見込めるとし、最終的には昨年の3倍以上の40億円台になるとみているそうです。昨年度/2021年度のふるさと納税実績については、つぎのブログで紹介しました。

2022年1月20日ブログ「急伸 ふるさと納税」

昨年2021年度の寄付額実績は14億3000万円です。その前年度/2020年度実績は4億5700万円。1月20日のブログで紹介した三陸新報1月16日記事中のグラフを再掲します。


グラフ
三陸新報1月16日記事より



このグラフの2021年度数字は2021年12月末現在です。2022年度が40億円台ということになれば、グラフのスケール感もかなり違ってきますね。

気仙沼市が、外部民間企業のふるさと納税サイト利用を開始したのは2016年のこと。つぎのブログで紹介しました。

2016年10月10日ブログ「新・ふるさと納税」

2016年10月からJTB西日本に委託して同社のふるさと納税サイト「ふるぽ」を利用できるようにしたのです。この2016年度目標は1億8千万円でした。それから6年。今や寄付金総額40億円台も見えてきたというのですから驚きです。

2016年のふるさと納税サイト「ふるぽ」利用開始に対して、安くはない手数料まで払って外部に委託する必要があるのかという疑問の声が新聞紙上で紹介されていたこともありました。それも今となってみれば〈なつかしい思い出〉ということかもしれません。
 

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tag : ふるさと納税

梶原登城さんの話

11月3日にNHK朝ドラ「おかえりモネ」の演出陣のおひとり、梶原登城(かじわらとき)さんのトークイベントが気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)で開催されました。イベント内容や昨年11月の気仙沼スローフェスタ2021でのシンポジウム「海と生きる〜おかえりモネで描かれた気仙沼」での梶原さんの講演内容はつぎのブログで紹介しました。

10月25日ブログ「教えて!梶原さん」

このトークイベントは参加申し込みが多数にのぼり、当初は予定になかったオンライン配信もされて私も視聴することができました。準備なども大変だったと思います。関係者の皆さまありがとうございました。

本日は、その梶原登城さんの話について。話を聞きながらメモをとり、記事のおおよそについて既に書いてはいたのです。しかし梶原さんの話に触発されて感じることや思うところ多く、書き足そうと思っておりました。そんなこんなしているうちに気仙沼からは初雪の便りが届いたりして。ということでの本日の紹介です。


◎イベントに関する新聞報道

11月4日の三陸新報は梶原さんのトークイベントについてつぎのように伝えています。


梶原さん

三陸新報11月4日記事の一部イメージ

また、11月4日の河北新報オンラインも記事を配信していました。


◎「震災」という言葉

三陸新報の記事で、梶原さんは脚本家の安達奈緒子さんがドラマ中盤まで「震災」という言葉を使えなかったことに触れ、「安達さんは、震災を経験していないことに引け目を感じ、軽々しく使用できずにいた」と書いていますが、私の印象はちょっと違います。「引け目」という言葉を使ったかどうかわかりませんが、ニュアンスとしては、震災を直接的に経験していない自分(たち)が、東日本大震災をドラマで描くときに、「震災」という言葉を慎重に使いたかったということではないかと。

ドラマで描くのは震災そのものではなくて、震災が「おかえりモネ」の登場人物にあたえた変化や影響、その光と影であると。そして、それを脚本とするときに、「震災」という言葉をたやすく使ってはいけないと考えていたのだろうと思いました。

安達さんがドラマのなかで「震災」という言葉を初めて使ったのは第16週だったそうです。それまでは「あの日」とか「あの時」など。

この第16週というのは、2021年8月30日〜9月3日放送回。タイトルは「若き者たち」です。この第16週中9月1日放送の78回についてはつぎのブログで書きました。

2021年9月14日ブログ「若き者たちの言葉」

汐見湯でモネの幼なじみ5人とみーちゃんが、UFOの話でもりあがります。そのなかで三生が泣きながら「ねえ、俺ら、もう普通に笑おうよ」と語るのです。説明不要の印象的な場面。そして、この第16週放送で、「震災」という言葉が初めて使われたのです。


◎浅野さんの押印場面

三陸新報記事では、浅野忠信さんが演ずる信次が、妻の美波(坂井真紀さん)の死亡届に判を押すシーンが一発録りだったことを、〈ものすごい緊張感の中での撮影だった〉との梶原さんの言葉とともに紹介していました。

私の記憶でこれを補足すると、浅野さんは信次を〈演じている〉というよりも〈重なっている〉といってよく、このシーンの演技について梶原さんは浅野さんにおまかせしたと。たとえば、涙を流してほしいといったお願いもせず、涙が流れなくてもいいし流れてもよしということだったようです。

河北新報の記事では、〈梶原さんは「浅野さんが感じた通りに演じてほしい」と伝えたといい、「役者を信じることも演出では大切だ」と語った〉としています。

この場面のことをいま書いていて、津波で行方不明になっている信次の妻の名が〈美波〉であることに驚きました。当然のことながら、この名前の設定にも安達さんの意図というか込めたストーリーがあるのでしょう。〈三生〉にしても。


◎二人の越えられないライン

第4週「みーちゃんとカキ」で、お盆に帰省したモネとカキの研究に没頭する妹の未知/みーちゃんとの厳しいやりとりのことについても話されました。

梶原さんがこの場面で清原果耶さんと蒔田彩珠さんにお願いしたことはひとつ、お互いの距離を近づけないことだったそうです。二人の〈対比〉〈越えられないライン〉やそれぞれの〈孤独〉、つまりは(仏教などにおける)〈結界〉の表現として。

これを聞いて、なるほどなあと思いました。演出する側のキーワードというかコンセプトワードが〈結界〉だったのかと。


◎絶望の前の希望

印象に残ったのは梶原さんが語っていた〈絶望の前の希望〉という言葉。その希望の表現のひとつが、ゆずまつりのときに亀山でモネたち吹奏楽部が演奏した音楽「アメリカンパトロール」です。

その後の絶望。2011年夏、父がモネに語ります。〈あのさ。どうだろう。まだ(また)、吹いでみないが〉と。音楽とか、そういうのがこれから大事になってくるんじゃないかと。これに対するモネの言葉を梶原さんがテロップで紹介します。

百音「ちがうよ、お父さん」 
不意にサラリと。百音が言葉を吐く。
百音「音楽なんか、なんの役にもたたないよ」

ここは思い出すとぐっとくる。

絶望と希望/父と娘/姉と妹/祖父と孫娘。そうした対比的な関係と全体的な〈循環〉のイメージがドラマの基調としてあったのかなと。気仙沼/登米にしても同様に。

梶原さんの話のなかで、〈コインの裏表〉という言葉が何度かつかわれましたが、この対比関係についての象徴的なイメージとしてのコインなのでしょう。裏と表ではあるけれど、一枚のコインです。


◎バタフライエフェクト

梶原さんは、気象学者エドワード・ローレンツの「バタフライエフェクト(バタフライ効果)」の話を引用していました。梶原さんはたしか、〈中国で一匹の蝶がはばたくとアメリカで嵐が〉といったように紹介していたかと(もともとのローレンツの表現は、北京とテキサスとも)。

ドラマのなかで、この「バタフライエフェクト」という言葉が登場することがあったかどうか。たぶんなかったと思うのですが、森・川・海の連鎖や連環、そして気象の〈循環〉のイメージの背景にローレンツの言葉があったのですね。


◎ドラマがたちあがっていく

梶原さんは、ドラマづくりのステップにそって話してくださいました。初期ステップのロケーションハンティング(ロケハン)などの話も興味深いものでした。

初期においては、脚本を担当する安達奈緒子さんと演出陣とさまざまなやりとりはするものの、このドラマをどのようなものにするかまだ明確にはなっていないのです。しかし、ある時期に〈ドラマがたちあがっていく〉感覚をおぼえたといいます。

いいですよね、こういう感覚。制作陣の醍醐味といったところでしょうか。だからやめられないのでしょう。


◎新型コロナ

たしか質問に答えるかたちだったと思いますが、新型コロナについては、直接的にドラマのなかに取り込むことはしていないと梶原さんは語っています。ただし、途中から菅沼先生の専門領域が呼吸器であることが明らかにされたり、(最終回だったでしょうか)菅波先生が急に電話で呼び出されるシーンは、人によっては新型コロナ対応を連想するかもしれないと。


このほか、なにか書きたいことがあったはずなのですが、ちょっと思い出せない。この辺にしておきましょう。

梶原さんの話の根底に感じたのは、演技者や脚本家の皆さんに対する信頼とかリスペクトということです。その前提となっているのは、信頼できる方々をキャスティングしているのでしょう。そして、その信頼感をあらゆる局面で相手に伝えているのだと思います。それが梶原さんの演出術というか仕事の基本としてあるのではないかと。

梶原さん、お忙しいなかにあって、気仙沼での貴重なお話、ありがとうございました。オンライン配信のおかげで東京でも視聴することができたのはなによりのことでした。大変遅くなりましたが、心からお礼を申し上げます。これからの気仙沼も、どうぞよろしくお願いいたします。

◎参考

梶原さんのお話のなかで、演出陣のチーフである一木正恵(いちきまさえ)さんのお名前が一度登場しました。一木さんの演出回についての質問があったときだと思います。一木さんについては何度かブログに書いておりますが、その中からつぎのリンクをご参考まで。

2021年10月25日ブログ 一木さんの「note」

 

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tag : 梶原登城おかえりモネ

朝日の畠山武さん

先週のブログで小山鼎浦がジャーナリストであり政治家であったという経歴などをまとめているときに、気仙沼出身の畠山武さんのことを思い出しました。

畠山武さんは政治家ではありませんが、朝日新聞の政治部長をつとめていた方です。旧制気仙沼中学(現気仙沼高校)11回生/昭和17年3月卒業です。中井殖君(3年8組)のお父さん、佐吾一さんと同級生です。以前に殖君が、畠山武さんが気仙沼に帰ってきたときなどによく家(中井茶舗)に訪ねてきてくれたと語っていました。

畠山さんは東京大学法学部、中井佐吾一さんは早稲田大学商学部ですから、東京での学生時代にも親しいつきあいがあったことでしょう。

手元にある畠山武さんの著書『昭和史の怪物たち』の著者紹介を引用します。

1924年、宮城県気仙沼市生まれ、東京大学法学部卒業後、49年朝日新聞入社、政治部長、調査研究室長、電波総務などを歴任し、83年、北海道テレビ放送社長。のちに会長、相談役。著書に『派閥の内幕』(立風書房)、『保守体制』(共著、東洋経済新報社)。(引用は以上)

相当な経歴で畠山さんの能力が高く評価されていたことがうかがわれます。北海道テレビ放送(HTB)は、テレビ朝日系列のテレビ局。畠山さんは長い政治部記者経験のなかで電波行政にも精通していたのでしょう。

この文藝新書『昭和史の怪物たち』は、私などもよく知る怪物政治家が登場するのかと思い購入したのですが、なんというか(勝手な)期待を裏切られました。同書で取り上げられているのは、森恪、久原房之助、宇垣一成など名前は聞いたことがあるけれどといった人々でした。


カバー

『昭和史の怪物たち』カバー


著者近影

同書カバーより著者近影


55年ほど前に、畠山武さんのお話を聞いたことがあります。気仙沼高校で畠山さんの講演会があったのです。高校創立40周年の記念講演かと思い調べたのですがよくわかりませんでした。しかし、気仙沼高等学校同窓会50年誌『時は流れて』に高校創立50周年記念式典で畠山さんの記念講演がおこなわれたことが記されていました。演題は「これからの日本の諸問題」で、1977年10月21日。私の卒業後のことです。

私が55年前の講演会でおぼえているのは会場が少しざわつき、あまり熱心には聞いていなかったことです。畠山さんは我々後輩にあきれて演壇をおりたのではないかと。今さらのことになりますが、本当に申し訳ありませんでした。

日本経済新聞の記事によれば、畠山武さんは2013年4月17日に肺炎のため死去とのこと。88歳でした。合掌
 

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本日のテレビ番組

本日12月14日午後7:57から放送のNHK総合テレビ「ロコだけが知っている」で気仙沼大島の食堂が紹介されます。「気仙沼の奥地にたたずむカキ料理専門の絶品食堂」。



◎NHK総合テレビ「ロコだけが知っている」
12月14日(水)午後7:57〜8:42
サンドも知らない東北SP!〜ディープな情報を徹底リサーチ〜


「気仙沼の奥地にたたずむカキ料理専門の絶品食堂」として紹介されるのは気仙沼大島の「ヤマヨ水産」さんによる「ヤマヨ食堂」ですね。ヤマヨ水産さんはNHK「おかえりモネ」のロケにも協力しており、下記の気仙沼クルーシップでの紹介を見ると、ヤマヨ食堂の入口上部には撮影時に使ったと思われる「永浦水産」の表示も。

気仙沼クルーシップ「ヤマヨ食堂」

45分番組中の一部ですから、それほど長い紹介ではないかもしれませんが、ヤマヨ食堂から大島瀬戸をはさんで眺められる向こう岸、唐桑の風景などもうつるのではないかと。また、気仙沼湾にたちこめる「気嵐」(けあらし)の紹介もあるそうです。これも楽しみです。皆さまも是非に。

◎参考

今年2022年版気仙沼漁師カレンダーの1月写真にうつっているのは、ヤマヨ水産の現代表である小松武さんのお父さんである小松政行さんであることをつぎのブログで紹介しております。その記事のなかで、「おかえりモネ」の2021年9月20・21日の制作クレジットに〈カキむき指導〉として小松武さんのお名前があったことも記しております。ご参考まで。

2021年9月28日ブログ「市橋織江さんの音」

 

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条南中の統合問題

気仙沼市立の2校、条南中学校と気仙沼中学校(気中)の統合が計画されていることは皆さんご存じの通りです。本日はこの2校の統合計画に対する地域の反応についてです。

はじめに記しておくと、この計画はあくまで条南中と気仙沼中を統合するということで、統合校の場所(条南中か気中か、あるいは新たな場所かなど)や統合後の校名などは示されていません。しかし、現時点では現在の気仙沼中学を拠点とした統合構想が示されており、それに対する異論が出ているようです。

◎条南地区市政懇談会

ほかの学校統合もそうですが、この2校の統合についてもそう簡単なことではないだろうなと感じていました。これまでも地域の懇談会の様子が伝えられていましたが、11月29日に中央公民館で開かれた条南地区の市政懇談会でも、住民から計画見直しを求める意見が相次いだそうです。


12:2条南中統合

三陸新報12月2日記事の一部イメージ


記事によれば、気仙沼市義務教育環境整備計画の第3段階に位置づけられている条南中学校と気仙沼中学校の統合計画は、条南中学校区の保護者や地区役員への説明会、懇談会が計12回開かれているものの合意に至っていません。

参加者からは、「条南中のほうが生徒数が多いのに、なぜ気中に行かなければならないのかが納得できない」「気中への統合ありきで進んでいる。何のための統合か、原点に戻って協議すべきではないか」などと異論の声があがったとのこと。

これに対して気仙沼市教育委員会は、統合後の学区内のほぼ中央に気仙沼中が位置していることや、周辺施設の活用も可能であることなどから「総合的に判断した」と説明したそうです。また菅原茂市長は、洪水や津波のハザードマップに条南中が含まれていることを説明したうえで、「条南中に避難所を設けることはあり得なくなった」と強調。今後、新たな統合計画に移行したとしても、安全上、条南中を拠点とした統合はできないとの認識を示したそうです。

なお、三陸新報の記事に参加者数の記載はありませんでした。計画見直しを求める意見が相次いだというこの懇談会参加者がどれだけの数だったのかは大事な情報であると思います。市政懇談会の参加者については文末であらためて。

◎条南中統合 地区懇談会

12月2日には統合計画に関する条南地区懇談会が、条南中の体育館で開かれました。12月4日の三陸新報がつぎのように伝えています。見出しは「またも議論平行線」。


12:4懇談会

三陸新報12月4日記事の一部イメージ


懇談会では、市教育委員会から条南中学の気仙沼中学への統合計画について、「2024年4月の統合を目指したい」と明確な統合時期が初めて示されたそうです。しかし、気仙沼中を統合先とする理由がはっきりとしないことなどから、議論の継続を求める意見が多く、まとまらなかったとのことです。

また、松岩中学との統合や「条南中は地域のよりどころ」などと存続を求める声、新たな統合計画に引き継ぐことや新校舎建設を希望する意見もあったそうです。市教委は「新計画を策定しても気仙沼中が統合先となる可能性が高い。生徒がやりたいことをできる環境を早くつくることが大切だ」と現計画に理解を求めたと。

東日本大震災で校庭に津波が押し寄せた条南中よりも、気仙沼中のほうが防災面で安心でき、部活動などで子供たちの選択肢を広げられるといった賛成意見もあったそうですが、議論は平行線をたどったとのこと。参加者は保護者や住民約20人とのことです。

この記事で参加者の意見に関して〈気仙沼中を統合先とする理由がはっきりとしないことなどから〉という表現がありましたが、教育委員会としての理由ははっきりしているように思います。ただ、その理由が理解されない、あるいはそれに対する異論、反対意見があるということでしょう。

◎気仙沼市義務教育環境整備計画

気仙沼市義務教育環境整備計画で第3段階とされている期間は「平成30〜33年度」です。つまり2018〜2021年度。統合計画の実行は全体として遅れています。

2016年7月7日ブログ「小中学校統合計画」

私が以前から問題として感じていることは、この気仙沼市義務教育環境整備計画や計画実行経過の情報がわかりづらいということです。市のサイトを探して見つかるのは2016年5月付けの「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」です。その後の気仙沼市立の小中学校の統合がどのようにおこなわれてきたかについての情報がないのです。あるいは見つかりにくい。

議論の基本としての基本情報共有のためにも、学校統合に関する市サイトでの情報提供が必要とあらためて感じています。

2016年7月ブログ中にもリンクをはっていますが、統合計画が示されているファイルはこちらで見ることができます。

平成28年5月「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」全18頁/PDFファイル

◎市政懇談会

本年度の市政懇談会は10月7日から12月1日にかけて市内10地区(会場)で開催されました。12月8日の三陸新報によれば、合計367人の住民が出席し、昨年度より65人多かったそうです。参加者数が最も多かったのは本吉地区の101人。そして鹿折41人、気仙沼41人、新月35人、大島、唐桑は各29人、階上29人など。

気仙沼地区は11月29日に気仙沼地区(条南)として中央公民館で、12月1日に気仙沼地区としてワン・テン大ホールで行われました。この記事にある気仙沼41人というのが、中央公民館と、ワン・テン大ホールの合計なのか、ワン・テンのみなのかがちょっと不明確です。いずれにしても案外少ないというのが率直な印象。

このブログで「気中20」と称しているように、私は気仙沼中学の卒業生です。そんなことで、条南中との統合計画に対しての個人的な心情はもちろんあるのですが、それはそれこれはこれ。学区内の市民はもちろんですが、ほかの学区も含め、気仙沼市全体の教育環境のあり方が議論されるべきだろうと思っています。
 

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「僅差で首位死守」

先週金曜日のニュースなので皆さんすでにご存じのことと思いますが、気仙沼港の26年連続生鮮カツオ水揚げ日本一が確実となったそうです。12月9日の三陸新報がつぎのように伝えています。見出しは「僅差で首位死守」。


日本一

三陸新報12月9日記事の一部イメージ


記事によれば、「2位に迫っていた房州勝浦(千葉県)がシーズンを終え、3位で追い上げてきた鹿児島の水揚げもわずかとなり、逃げ切った」とのこと。

これらの水揚げ情報は、漁業情報サービスセンター(JAFIC)によるものですが、同センターは「過去のデータを見ても、12月の鹿児島は多くて百数十トン。気仙沼との500トン差は埋まらず、勝浦を含めて順位の入れ替えはない」と話しているそうです。

記事に〈今期の気仙沼は、三陸沖の不漁で最後まで追い上げられる異例の展開〉とありました。私も、今年の日本一はちょっと厳しいかもしれないと感じていたのです。気仙沼港でのカツオ水揚げはほぼ終了し、あとは鹿児島、勝浦の水揚げが伸びないことを願うしかありませんでした。

記事に気仙沼市生鮮かつおプロモーション事業実行委員会の阿部泰浩委員長のコメントがありました。「これほど僅差になるとは思わなかった。首位が安泰でなくなったことはショックだが、死守した『日本一』の看板を来季以降の盛り返しにつなげたい」と。


1か月前、11月11日の三陸新報1面の記事はつぎのように。


切り上げ

三陸新報11月11日記事の一部イメージ


金華山沖で最後まで操業していたカツオ一本釣り船1隻が11月10日に気仙沼港に水揚げして今季の漁を切り上げたという記事。〈勝浦、鹿児島は水揚げ続く〉と。なんか、ゲームを終えたサッカーチームがライバルチームの勝敗結果をひりひりとした気分で待つような感じ。

今季はカツオだけでなく、サンマも厳しかった。12月8日の三陸新報は、気仙沼魚市場11月期の水揚げ実績を紹介していました。昨年同月に比べて、数量、金額ともに3割落ち込んだとのことです。


11月期

三陸新報12月8日記事一部イメージ


以上、三陸新報さんの3記事を紹介しましたが、1面トップで魚市場への水揚げに関するニュースが報じられるのも気仙沼ならではのことかもしれません。

9月12日のブログで今季の生鮮カツオ水揚げについて、「日本一」に黄信号という河北新報の記事を紹介しました。

9月12日ブログ 「日本一」に黄信号

このブログで私はつぎのように記しました。〈気仙沼港の生鮮カツオ水揚げ量は25年連続で日本一となっています。なんか毎年のことで、例年の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」でも、それがはたして五大ニュースのひとつだろうかと感じるほど慣れっこになっていましたが、各年の日本一達成も関係者の皆さまの懸命な努力があってのことですね〉と。

今季の26年連続生鮮カツオ水揚げ日本一確定は、まさにデッドヒートのうえで逃げ切ったということで、そのありがたみが格別です。

気仙沼のカツオ関係者の皆さま、記録更新確定、おめでとうございます。
 

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演劇 山つつじ燃ゆ

徳仙丈山のツツジ保護活動で知られる佐々木梅吉さんの半生を描いた演劇が11月26日に気仙沼市のはまなすホールで上演されました。12月1日の東北放送のTVニュースが紹介していました。ヤフーニュースの配信はすでに終了していますが、東北放送のサイトで映像を見ることができます。


東北放送

TBC東北放送ニュースサイト

この演劇は、地元で活動する「おのずがだ劇団MOO(モー)」の「山つつじ燃ゆ」で、4歳から80代までの市民ら15人が参加したそうです。物語は、満蒙開拓義勇軍として満州に渡った地元出身の佐々木梅吉さんが帰国後、徳仙丈山のツツジを立派に育て上げた半生を描いたもので、吉本興業の気仙沼住みます芸人「けせんぬまペイ!」さんも出演したとのこと。

11月18日の三陸新報もこの公演の準備の様子を伝えています。

記事によれば、気仙沼市本吉町の「おのずがだ劇団MOO」(大原努団長)によるこの公演は、2018年の結成20周年を記念した公演以来とのこと。みやぎ県民文化祭のプログラムのひとつです。タイトルは「山つつじ燃ゆ 満蒙開拓青少年義勇軍からの軌跡」です。

徳仙丈山のヤマツツジの育成、管理に尽力した故・佐々木梅吉さんにスポットを当て、副団長の木村美紀子さんが脚本を手掛けました。劇団ではこれまで本吉の民話や歴史などを題材にしてきたそうですが、本吉以外の物語を取り上げるのは初めてとのこと。

第25回みやぎ県民文化祭は、本吉総合体育館やはまなすホールなどを会場にして11月26日におこなわれました。この文化祭は県内7ブロック持ち回りで開催されており、気仙沼・本吉地区では8年ぶり4回目とのことです。


徳仙丈山のツツジと佐々木梅吉さんについては、2013年6月5日のブログ「徳仙丈のツツジ」で紹介しました。その後に何度か再掲しておりますが本日も。


2013年6月5日ブログ再掲
徳仙丈のツツジ


いま、気仙沼の徳仙丈山(とくせんじょうさん)のツツジが見ごろを迎えているとのこと。徳仙丈山は気仙沼市と本吉町の境にあり、約50万株のヤマツツジやレンゲツツジの群生は国内最大級といわれています。

これらのツツジは、もともと徳仙丈山に自生していましたが、いつのまにかこんなに見事な姿になったわけではありません。30数年以上にもわたる手入れや保護活動があってのことなのです。

その中心となったのが2008年2月に亡くなった佐々木梅吉さん。親しかった県会議員から、山に自生するヤマツツジの手入れを勧められたのをきっかけに、木挽き(こびき)仲間の数人で移植や下草刈りに取り組み、間もなく「徳仙丈の自然とつつじを守る会」を発足しました。1976年ごろのことのようです。〈木挽き〉とは、伐採した丸太を鋸でひいたりして材木にする職人さんです。

ツツジの育成や保護活動を続けてきた〈守る会〉は、2007年に毎年開催してきたツツジ祭が30回を迎えたことを機に解散。しかし翌2008年には、佐々木さんらの志を受け継ぎ、「徳仙丈のつつじを愛する会」が発足し現在に至っています。なお、徳仙丈山の本吉町側の保護活動については、故・須藤隆さんのお名前がありましたので記しておきます。

私が中学や高校のころは、この徳仙丈のツツジの話を聞いた記憶がありません。しかし、佐々木梅吉さんの名前は市議会議員としてよく知っています。母と近所のおばちゃんらとの〈オジャコノミ(お茶飲み)〉の中で、〈梅吉さん(うめきっつぁん)は、山の中で仕事をしながら大きな声で演説の練習をしているらしい〉と笑いながら話しているのを聞いたこともあります。決してからかっているのではなく、なんていうんだろう、今風にいえば〈愛されるキャラ〉か。漁業関係者をはじめ市の有力者がならぶ市議会議員のなかにあって、木訥(ぼくとつ)な印象ながらも一貫して日本共産党員として市議をつとめた梅吉さんを、みな敬愛していたのだと思います。

ネットに、梅吉さんの著書〈山つつじ燃ゆ〜満蒙開拓青少年義勇軍からの軌跡〉(光陽出版社1998年刊)の書籍情報がありました。それによれば、梅吉さんは満蒙開拓青少年義勇軍に応募した後、敗戦、シベリア抑留を経て帰国。その後に日本共産党に入党、気仙沼市会議員として活躍しました。

2007年に建立された徳仙丈山頂近くの石碑に、私たちの同級生 武山美加(号 櫻子)さんの書による、梅吉さんの歌6首が刻まれています。そのうちの2首をつぎに。

青春を知らずに逝きし我が戦友へ 八十路を生きてつつじ手向けん
海原に姿映すか山つつじ われ無き後も末の末まで

シベリアの地で過酷な強制労働を共にしつつも祖国の地を踏むことがかなわなかった戦友。この季節、徳仙丈を一面の朱に染めるツツジは、その慰霊の花でもあったのです。(再録内容は以上)


以前にも紹介しましたが、佐々木梅吉さんについては、御手洗瑞子さんが自著『気仙沼ニッティング物語:いいものを編む会社』の中でも紹介していました。自分ができることは〈種をまくこと〉だとし、〈それは、佐々木梅吉さんのつつじの山と同じです〉と記しています。

2015年8月21日ブログ「種をまく仕事」

東北放送のTVニュースでは、佐々木梅吉さんのことを知らなかったが、この演劇をみて感動したという女性の言葉が紹介されていました。徳仙丈山のツツジの素晴らしさとともに、佐々木梅吉さんの名もさらに知られて欲しいと思い、過去ブログを再掲いたしました。

今週はこれにて。
 

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サンドの寄贈トイレ

サンドウィッチマン(伊達みきおさん、富澤たけしさん)が発起人となり開設された「東北魂義援金」から、気仙沼市にけん引車で移動可能な「トイレトレーラー」が寄贈されました。米国製で約2300万円とのこと。

12月6日には設置基地となる安波山の中腹で、サンドのおふたりをお招きしてのお披露目の式がおこなわれました。その様子が東北放送、仙台放送、東日本放送の各局TVニュースで紹介されましたので、各局のツイートで紹介します。

(Yahoo!ニュース配信終了)

(Yahoo!ニュース配信終了)


ニュース映像を見てもらえばわかりますが、サンドウィッチマンさんのトレーラー紹介はちょっとしたコントになっています。笑えます。ギャランティーが必要になるのではないかと。なお、気仙沼市からは感謝状がおくられました。

サンドウィッチマンさんが話のなかで強調していたのは、このトイレトレーラー寄贈が自分たちからの寄贈ではなく、あくまで全国から寄せられた義援金によるものであるということ。聞いていて、実にこのお二人らしいなと。

トイレトレーラーは来春から安波山の中腹駐車場に置かれ、市の屋外イベントや被災地への派遣などでの活用も想定しているそうです。

お披露目のあった6日は気仙沼で初雪がふりました。サンドのお二人は気仙沼で収録中だった2011年3月11日、安波山に避難したときのことを思い出したことでしょう。伊達みきおさんはご自身のブログで〈奇しくも、あの日と全く同じような雪が降る中、我々が実際に避難した高台(安波山)にて、贈呈式がありました〉と記しています。

「東北魂義援金」は、市の記者発表資料によれば、東日本大震災で大きな被害を受けた被災者を支援するために 2011年3月16日に開設され、これまでに総額5億円を超える義援金を被災地に寄せているとのことです。東日本放送によると、そのうち宮城には1億7000万円以上にのぼります。

伊達さん、富澤さん、いつもありがとうございます。心から御礼を申し上げます。
 

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BRT自動運転バス

JR東日本は12月5日、東日本大震災を受けてバス高速輸送システム(BRT)を導入した気仙沼線の一部区間で、自動運転バスの実用化をスタートさせました。河北新報オンラインの記事を紹介します。


自動運転を実施する区間は、登米市の柳津-陸前横山間の専用道4.8kmで、大型自動運転バス(定員70人)を1台導入して1日2往復します。最高時速を60km/hに設定したバスの自動運転は国内で初めてとのことで、今後、自動運転区間の延長を目指すとのこと。気仙沼線は東日本大震災で被災し、2012 年8月から柳津-気仙沼間(約55km)にBRTを導入しました。

同じ日、12月6日の朝日新聞デジタルも、三陸鉄道の活性化に取り組む岩手県立大槌高校の生徒が探求学習の一環で気仙沼のBRTについて学んだという記事を配信していました。


記事によれば、気仙沼市も大槌町も2011年の東日本大震災の津波でJRの線路が流失しましたが、大槌町は三陸鉄道として復活、気仙沼市はBRTに転換しました。生徒9人は、BRTの利点と課題について、気仙沼市役所の担当者らから話を聞きました。

朝日新聞の記事では、気仙沼市議会議員の今川悟さんの生徒へのアドバイスが紹介されていました。「BRTも鉄路も活用しなければなくなる。『廃線』という言葉が出てから動いても間に合わないので、よく考えてほしい」と。

生徒9人は帰途、大船渡線BRTの内湾入口駅から大船渡市の盛駅までBRTを利用したとのこと。盛で三陸鉄道に乗り換えて大槌に帰ったのでしょう。

◎JR東日本関連ブログ記事

東日本大震災によるJR気仙沼線と大船渡線の不通区間について、JR東日本が鉄路復旧を断念し、BRTを存続させる方針を固めたという報道があったのは、2015年7月のことでした。つぎのブログで紹介しました。

2015年7月22日ブログ「鉄路復旧は難しい」

また、JR東日本が公表した大船渡線収支の赤字状況についてはつぎのブログにて。

2022年8月11日ブログ「大船渡線の赤字」

三陸鉄道もJRの大船渡線そして気仙沼線も、ローカル線の経営はみな厳しい状況におかれています。鉄路のBRT化、そしてBRTの自動運転化といった新たな取り組みなどによって、なんとか地域が求める交通手段が確保されるようにと願っております。
 

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気仙沼の千葉周作

三陸新報11月22日の1面では、千田健一さんの日本フェンシング協会の会長就任を伝えていました。そして3面にも剣にまつわる話が。〈剣をとっては日本一に 夢は大きな少年剣士〉赤胴鈴之助ゆかりの人(とはいっても架空の話ですが)に関する投稿が掲載されていたのです。気仙沼出身で神奈川県在住の千葉富夫さんの「千葉周作生誕230年企画展を」と題する投稿です。


千葉周作

三陸新報11月22日掲載記事


北辰一刀流を創始した実在の人物、千葉周作が気仙沼生まれであるという話。これは以前にも聞いたことがあり、数ヶ月前のツイッターでも話題になっていました。

私自身は千葉周作気仙沼出生説について〈諸説あり〉中のひとつと思っていたのですが、どうも〈かなり本当の話〉らしい。

まずは投稿記事の主要部を引用させてもらいます。

〈千葉周作は「寛政の地震・大津波」の年(1793年)に気仙沼本郷(現八日町ワンテンビル付近)で生まれたとされています。5歳過ぎまで気仙沼に住み、その後は父親に連れられて親戚を頼りに古川荒谷の地で剣道の修行に明け暮れます。そして後に松戸に移動しますが、その後の活躍は知られている通りです。〉

〈千葉周作や弟の定吉の父親は馬医者で一関市千厩・大原周辺の出身、母親は気仙沼の人若しくは気仙沼で働いていた父親と同郷の人と思われます。また先祖は、本吉町馬籠の馬籠(千葉)氏と考えられますが詳細は不明です。〉引用は以上

◎Wikipediaでの記述内容

ウィキペディアでの「千葉周作」記述も、投稿の主旨と同様です。関連部分を引用しておきます。

・出自

先祖を辿れば桓武平氏良文流、板東八平氏の一つの名門千葉氏で、北辰流千葉常胤にたどりつく。

出生地には岩手県陸前高田市、宮城県栗原市花山(生まれも育ちも主張)の2説があったが、近年の研究により「宮城県気仙沼市本郷で生まれ、栗原郡荒谷村(現・宮城県大崎市古川荒谷)にて幼少を過ごした」とする説が最も有力視されている。

花山説は、『観光目的として自作自演を行った』と村の観光促進事業内部にいた研究者から暴露本(佐藤訓雄 剣豪千葉周作―生誕地の謎を明かす)を出版され、根拠としていた千葉吉之丞の墓は数年前に自ら埋めた捏造の墓石、さらに系譜も手が加えられた贋物だったことが判明し、これらは誤記や取材時の一部を抹殺したまま都合よく発刊された『千葉周作遺稿剣法秘訣』に沿った行動であるとされ、これに研究者などが問い合わせるも表だった反論はない。孤雲屋敷も、周作の父と親交があったとされる佐藤重太郎の家を移築したものであり、周作とは直接関係のないものである。

陸前高田市説は佐藤訓雄による「陸前高田市気仙町字中井の天満宮下で出生した」とする説だが、陸前高田市に周作の出生地とされる気仙町ができたのは明治8年のことで、時系列に決定的な疑問が残る。

気仙沼市本郷出生説にあっては、千葉3兄弟自筆の史料が発見されている。

父は千葉忠左衛門成胤(馬医者としての名は浦山寿貞)

周作の名は、江戸に出る際に、千葉吉之丞の孫の周作から借りたものである。また、父の名も千葉吉之丞の子の名を借りている。これは、気仙沼から逃れてきた事件と関係がある。また、弟と言われている定吉は、実は千葉吉之丞の孫の定作の変名である。これは、斗瑩稲荷神社隣の円明寺の過去帳から判明することである。

Wikipedia引用は以上です。


引用した内容中に「宮城県気仙沼市本郷」との記述がありますが、これは誤解を与えますね。これは下記の「北辰一刀流 千葉家」の記述にしたがえば「仙台藩領本吉郡気仙沼本郷」です。現在の気仙沼市の住所のひとつに「本郷」がありますが無関係。

三陸新報投稿での「現八日町ワンテンビル付近」との記述も限定しすぎのような印象もありますが、なにかまた別の情報があったのかもしれません。

◎ブログ記事「北辰一刀流 千葉家」

いろいろ調べてみると、千葉周作の出身地についてはブログ「千葉一族」中の「北辰一刀流 千葉家」の記述がもっとも詳しいようです。なかなかにおもしろい話が書かれています。つぎのリンクでお読みください。

ブログ記事「北辰一刀流 千葉家」

以上、長くなりましたが、北辰一刀流の創始者千葉周作の出身地が気仙沼であるとの話/資料編ということでお読みいただければと。

なお、『赤胴鈴之助』は私たち世代が愛読した漫画。投稿では、赤胴鈴之助のモデルが千葉周作というニュアンスで書いていますが、これはちょっと違い、赤胴鈴之助が弟子入りしたのが千葉周作の道場という設定だったと思います。細かな話ですが念のため。
 

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tag : 千葉周作

池上彰氏公開講座

ジャーナリスト池上彰さんの公開講座が12月18日に気仙沼市民会館で開催されます。参加希望者が多く、すでに整理券配布は終了していますが、講座内容を紹介します。


講座
画像:気仙沼市記者発表資料より


池上彰氏公開講座
「学び続ける力」

・日時:12月18日(日)午後2時~4時(開場:午後1時)
・場所:気仙沼市民会館 大ホール
・参加費無料
・主催:気仙沼学びの産学官コンソーシアム
(事務局:気仙沼市教育委員会)
・お問い合わせ:気仙沼市教育委員会 学校教育課
(TEL:0226-22-3441)

入場には整理券(無料)が必要で、気仙沼市民会館および各公民館で12月1日から配布されました。しかし、本日12月5日お昼前に教育委員会のご担当者に確認したところ。2日間で受付終了となったそうです。


「気仙沼学びの産官学コンソーシアム」は、気仙沼の高校生の学びを地域ぐるみで支える組織として本年7月に発足しました。この講座は、高校生以外の一般の方にも公開し、多くの方に多様な知識に触れていただくために開催されます。

第1回公開講座は9月4日、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの吉高まりさんによる「カーボンニュートラル時代の地域のあり方」でした。「気仙沼学びの産官学コンソーシアム」については、あらためて紹介することにいたします。


◎池上彰さんと気仙沼のご縁

気仙沼図書館に池上彰さんからの寄贈本による「池上彰文庫」が設置されたことを2016年5月3日に紹介しました。この機会に再掲いたします。


2016年5月3日ブログ
池上さんの寄贈本

4月29日の三陸新報の見出しに、ジャーナリスト池上彰(いけがみあきら)さんのお名前がありました。池上さんが、気仙沼図書館に本300冊を寄贈したという記事でした。

4月29日池上文庫
三陸新報4月29日記事の一部イメージ

池上さんは、震災の被災地に蔵書の一部を寄贈したいと考えおり、気仙沼図書館には約300冊(40万円相当)が届いたそうです。経済関連の本を中心に時事や実用書、小説や児童書などさまざまとのこと。

気仙沼図書館には、古くから地元企業からの寄贈文庫があります。たとえば「角星文庫」「カネダイ佐藤文庫」「世界文庫」など。これらに「池上彰文庫」が新たに加わりました。池上さんからは今後も継続して寄贈されることになっているそうです。なお、気仙沼図書館は、新館建設のために現在は中央公民館気仙沼分館内にて運営中です。

気仙沼図書館は、今年で開館100年。先月の三陸新報にその沿革が記事になっていましたので、あらためてこのブログでも紹介しようと思っています。そうした節目の年に、池上彰さんのご厚意で新しい文庫が加わることになりました。池上さん、ありがとうございました。お礼を申しあげます。

再掲内容は以上です。

池上彰さんの気仙沼図書館への図書寄贈はいまも継続しています。そして12月18日には公開講座/講演会でお世話になります。感謝とともに、どうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 池上彰

市史での小山鼎浦

本日早朝のサッカーワールドカップ/日本対スペイン戦はすごかった。厳しい戦いになると思っており、前半早くに1ゴールを決められたときにはやはりなあと。しかし、後半での同点、そしてさらに1点を加えての逆転勝利。今日はちょっと眠いけど、それを越える喜びがまだ体に残っています。

さて本題。鼎浦/小山東助について、先週末から2度紹介してきました。本日は『気仙沼市史』での記述内容です。ちょっと長いのですが、ネット上に鼎浦に関する詳しい情報をあげておくことも大事と思い全文を引用します。漢数字の洋数字への変換、改行後の1行あけは引用者/小田によるものです。


『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編 p618〜620
「文化編」第9章「学芸」第5節「社会科学」

哲人政治家小山鼎浦

 小山鼎浦は政治家、哲学者、宗教家、文学者、教育者と多くの面をもっているが、ここでは評論家としての面を述べる。

 本名東助、明治12年11月24日、三日町に生まれる。

 明治25年1月、14歳の時、改進党の政治家島田三郎が観音寺で行った政談演説を聴き、政治に目覚めたといわれる。気仙沼尋常小学校卒業後、明治26年、宮城県立尋常中学(現仙台第一高等学校)に進学、校長大槻文彦の教育を受けた。1年先輩に民本主義を唱えた吉野作造がおり、同級の真山彬(青果)らと文芸回覧雑誌「桜」を作っていたが、それに参加してやがて編集にたずさわり詩を発表した。

 同30年9月、仙台第二高等学校(旧制)第一部に入学、学生の修養団体「尚志会」により内ヶ崎作三郎、深田康算、栗原基、島地雷夢、吉野作造、斉藤信策(野の人、高山樗牛の実弟)らと親交し、『尚志会雑誌』の編集にたずさわり、在校生にその文名を知られた。

 アメリカのミッションスクール教師ミス・ブゼルが開いていたバイブルクラスに、前記の二高生で通う者が多く、鼎浦もその影響でキリスト教に近づく。この間、教育に関心をもちプラトンの著作に親しみ、哲人による理想政治に心をひかれていった。

 33年9月、東京帝国大学文学部哲学科に入学、大学キリスト教青年会宿舎に入舎して海老名弾正の本郷教会に関係する。在学中雑誌『新人』に詩や感想などを発表し、また政治に関心をもち島田三郎に私淑した。


「新人」同人

鼎浦(中列右端)と「新人」のメンバー

 明治36年、25歳で東京帝国大学を卒業、島田三郎の主宰する東京毎日新聞に入社した。翌37年、『帝国文学』編集員となり、「現代文学の欠陥」「宗教家の警省を促す」「今後の教育方針」「軍制改革の要義」(『東京毎日』)「超現代党」「悲曲新浦島」「国民性と個人性」(『帝国文学』)などに筆を振るった。

 鼎浦は、明治42年2月、「社会進化論」を博文館より出版する。これはダーウィンらの自然淘汰説の社会学的応用である社会進化論、スペンサーらの社会進歩を講ずる社会進化論者に対し、社会の一般的研究によりその原理を探求しようとするキッド、ボールドウィン、ウオードらの研究を紹介しようとするものであった。この年、東京毎日新聞社を退社し早稲田大学講師となり倫理と新聞研究科の講座を担当し、その傍ら東京日々新聞社に入社し評論を担当したが、肺疾のため退職した。

 明治45年2月、『久遠の基督教』を警醒社より出版、また『六合雑誌』『新人』『基督教世界』に深刻にして真摯な宗教的体験を発表、宗教家としての名を高めた。

 大正2年2月に信仰録『光を慕いて』を出版、9月には神戸関西学院高等科文科長となり加藤直士を助けて『基督教世界』に執筆、また教会の教壇にしばしば立って信仰を説いた。しかし、この年の10月、愛妻菊野を亡くする。

 大正4年37歳で、日頃の大理想を政治に生かすべく衆議院議員に立候補を決意、関西学院を辞職し理想選挙を掲げて選挙活動を行い、3月25日、当選の栄誉をえた。しかし、この頃より肺疾は進み療養に従う。翌5年、東京毎日新聞社主筆に迎えられた。同6年、議会解散により再度立候補し最高点で当選、衆議院で寺内内閣の韓国における植民地政策や政府の言論圧迫について質問演説を行った。

 翌7年より病勢が加わりついに大正8年8月25日に永眠した。41歳であった。墓は観音寺にあり墓碑の題字は島田三郎、撰文は内ヶ崎三郎である。

 その著作は、政治、社会評論、宗教、哲学、文芸評論、詩、戯曲などにおよび、没後に全集6巻の刊行が計画されたが、関東大震災で資料が失われ、『鼎浦全集』3巻だけが出されている。

 市役所玄関に鼎浦顕彰会建立の胸像(台座に鼎浦が郷里の後進のために詠んだ漢詩がある)と、墓地のある観音寺に絶筆となった「牝獅子の賦」の碑がある外、市図書館に書簡類が保存されている。(文学碑の項参照)

引用は以上。


末尾に(文学碑の項参照)とありますが、これは「第7章 市内の文学碑」に、胸像台座の漢詩と観音寺「牝獅子の賦」碑文の記載があることを指しています。


この市史の記述は『鼎浦全集』の内容も参照されて、鼎浦/小山東助に関してとても詳しい内容となっています。執筆者は芦立光之さん。「文化編」第9章「学芸」は6節あるのですが、1〜5節を芦立光之さん、6節を荒木英夫さんが執筆しています。参考まで各節内容を記しておくと、①漢文学 ②国文学 ③評論 ④社会科学 ⑤郷土史・和算 です。

芦立さんについては、鮎貝家にまつわるまた別の話があるので、別の機会に紹介することとします。

ひとつ補足しておきます。死亡時の年齢です。市史の記述では41歳としています。11月28日ブログで紹介した菅野青顔さんの「萬有流転」でも同じく「41歳で病没した」と。

これはいずれも数え年です。位牌に記される享年も数え年が使われていることは皆さんご存じのとおり。それでは鼎浦の場合、満年齢ではどうなるのか。以前の私のブログでは39歳と紹介しました。

小山東助/鼎浦の誕生日は1879年11月24日、亡くなったのが1919年8月25日です。1919-1879=40ですが、11月ではなく8月に逝去しているので満で数えると39歳。年齢の数え方、記述の仕方は難しいですね。

ちょっと話が長くなりました。本日は資料としての市史における「哲人政治家小山鼎浦」記述内容の紹介にとどめます。今週はこれにて。

11月25日ブログ 小山東助の「経歴」
11月28日ブログ「青顔さんのなげき」
 

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tag : 小山鼎浦小山東助

商議所議員の広告

10月3日に気仙沼商工会議所の1号議員38名が決まったことは、10月5日ブログ「商議所の1号議員」でもお伝えしました。本日紹介するのは、11月4日の三陸新報に掲載された議員名の広告です。


11:4商議所
三陸新報11月4日掲載広告より


商工会議所の1号議員の任期は3年。前期の議員については2019年11月12日ブログ「商工会議所の議員」で、今回同様の広告を紹介しました。

この2つの広告を比較してみて、議員の交代というか変化をみてみました。まずは今期初登場の新人の6名です。

佐藤俊輔さん(カネダイ)、阿部浩明さん(地方卸売市場 株式会社流通市場)、熊谷光訓さん(熊剛組)、菅原俊輔さん(新興冷熱)、尾形長治さん(丸和)、橋本恒宏さん(橋本工務店)

一方、2020年11月時点の1号議員広告と比較してお名前がなかったのは次の方々。

千田満穂さん(宮城三菱自動車販売)、菅原一也さん(気仙沼青果物流通市場)、足利宗洋さん(足利本店)、尾形和優さん(丸和)、斉藤恵一さん(三陸くんじょう)、宮井和夫さん(気仙沼観光タクシー)

丸和の尾形和優さんは息子さんの長治さんへの世代交代ですね。新人として名のあったカネダイの俊輔さんもお父さんの亮輔さんの後継かと思ったのですが違いました。気仙沼漁業協同組合の前組合長をつとめていた佐藤亮輔さんは、前期2019年10月時点では1号議員ではなく、執行部の推薦によって決まる3号議員のひとりでした。

ほかにも、2020年にお名前があって今回はない方もいらっしゃいますが、所属企業内の人事異同による交代が年度内にあったようです。NTT東日本、イオンリテール、アクサ生命保険といったところですね。

紹介が最後になってしまいましたが、気仙沼中学20回生の同級生は前期と同じく2名です。カネシメイチの小山修司君(3年5組)と臼眞倉庫の臼井真人君(3年2組)。

東日本大震災から11年を経過した気仙沼は、いわゆる〈復興後〉の様々な課題を抱えています。気仙沼の商工関係者の代表たる議員の皆さんの役割は非常に大きいでしょう。

これからの3年間、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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