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「化粧坂」地名由来

10月21日の三陸新報「論説」は〈「化粧坂」の回想記〉。そこに、気仙沼の本町(もとまち)と新町(あらまち)や三日町を結ぶ道路「化粧坂」の名称由来が紹介されていました。とても興味深く読みました。


記事

三陸新報10月21日記事の一部イメージ
なお、10月26日の三陸新報で、「羽田神社総代会代表は菊田和栄さんでした」との訂正ありました。知栄さんではなく和栄さんとのこと。念のため記しておきます。


記事によれば、地名「化粧坂」の由来は「お山がけ」で知られる羽田(はた)神社の毎年一回の渡御祭に関連しています。

同神社の渡御祭(とぎょさい)は、総代会の若衆が神輿(みこし)を担いで地元の松岩地区内を練り歩いたあと、神輿を海水でおはらいするために内湾(五十鈴神社付近)まで向かう伝統行事です。

ここからが名の由来です。記事を引用します。

〈その昔は、神社から市街地までの、延長10キロもある道のりを歩く1日がかりの強行日程だった。朝7時に境内を出発し、満潮時に合わせて内湾の五十鈴神社を目指す。禊(みそぎ)を終えた神輿が神社に戻るころは日が沈む時間帯だったという。

内湾に向かう途中、大川に架かる木橋(現・本町橋)を渡り、旧坂を上った小高い場所で休憩し、担ぎ手が英気を養う。その間に神輿のお飾りの〝化粧直し〟を済まして、新・古町〜三・八通りを経て中心部に入っていった。

これが「化粧坂」という地名の由来の一つ。小高い山が切り通しになって、人々が歩きやすくなったのはしばらくたってから。命名された当時の「化粧坂」は難所中の難所だった。〉(引用は以上)

その名は化粧を直したからという話は聞いたことがあるのですが、それが神輿の化粧直しとは。はじめて知りました。あくまで由来の一つとのことですが、おもしろい。

なお、この神輿渡御、今はさすがに軽トラックを利用しているとのことです。しかし行程は変わっていないそうです。

なお、引用文中の新・古町は新町と古町。三・八通りは三日町と八日町の通りです。

そういえば、羽田神社の渡御祭の告知広告が三陸新報に出ていたはず。調べてみると10月14日でした。


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三陸新報10月14日掲載広告より



いま化粧坂は、本町橋北側から三日町・新町交差点までの460mをほぼ一直線に結ぶ改良工事が進行中で、年度内に暫定供用される見通しです。

これを受けて、三陸新報の論説記事はつぎのように結んでいます。

〈新しい「化粧坂」の完工によって、三・八通りと西地区の距離感が縮まる。現道での神輿渡御は、今年が最後になる。往時を知る関係者にとって、感慨深い一日になりそうだ。〉


化粧坂改良工事についてはつぎのブログにて。

4月28日ブログ「化粧坂工事進行」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 化粧坂羽田神社

「漁撈船」修復過程

10月12日のブログで、千厩(せんまや)出身の洋画家熊谷登久平(くまがいとくへい)の作品「漁撈船」(ぎょろうせん)の修復が完了し、10月8日から10日まで開催された生誕120年展にも出展されたことを紹介しました。

以前に気仙沼図書館が所蔵していた「漁撈船」は、このたびリアス・アーク美術館に移管され、その修復も同館の山内宏泰館長によっておこなわれました。山内館長がその修復過程をツイッターで投稿してくれていたので、本日はそれらをまとめて紹介します。

修復関連の投稿は8月28日から始まります。まずは額の修復です。

8月31日の投稿。この絵画が熊谷登久平の油彩作品であることが記されました。表面のクリーニングです。

同日の投稿。ポピーオイルを浸透させて絵具を固定します。ポピーオイルはケシの種子から絞ったオイルです。

9月2日投稿。2回目のオイル浸透です。

9月3日投稿。画面に開いた穴の補強とクラックにより剥離が心配な個所を裏面からワックス浸透で固定します。

修復前(額あり)と修復後の比較。

9月22日投稿。浸透させたポピーオイルの酸化重合乾燥が落ち着き、いよいよ額装して完成。千厩の某所への貸し出しと展示というのは、千厩で開催された「熊谷登久平生誕120年展」のこと。

9月30日投稿。三陸新報社の取材。10月12日ブログでその記事を紹介しました。

10月8日投稿。熊谷登久平生誕120年展で展示されていることの告知。

10月10日投稿。生誕120年展での展示風景です。


以上が山内館長による修復過程の紹介です。

絵画の修復は専門家がおこなうものなのではないかと思う方もいるでしょうが、外部の修復専門家に依頼すれば相応の費用がかかります。しかし皆さんご存じのように、リアス・アーク美術館は潤沢な予算をもっているわけではありません。

そんなことで、学芸員でもあり修復の知見をもつ山内館長みずから作業をおこなったのだと思います。絵画の傷みが自身の技術で修復可能なものであるとの判断もあったかと。

私の油彩絵画経験は、気仙沼高校美術部のときぐらいです。それでも上記投稿にあった「ポピーオイル」の文字を見たときはとてもなつかしかった。溶き油のひとつ。ほかには「リンシードオイル」とかも。南町にあった文具・ビジネス用品店「イトー」で買いました。「フヂノ薬局」の左方向。大きな店でしたが、ずいぶん前に店を閉じました。思い出話はここまで。

山内宏泰館長、「漁撈船」の修復、ご苦労さまでした。また、山内さんのツイートのおかげで「漁撈船」を身近に感じ取ることができたような気がします。ありがとうございました。

10月6日ブログ「千厩の熊谷登久平」
10月12日ブログ 「漁撈船」修復完了

 

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tag : 漁撈船熊谷登久平山内宏泰

顕子さんのツイート

矢野顕子さんの10月9日ツイートがとてもうれしかった。


10月8日に気仙沼のコヤマ菓子店/小山裕隆さんが、店舗の壁に「うみねっこー」の看板を付けたことを投稿しました。これに対する顕子さんのツイートです。

矢野顕子さんは、2013年の週刊文春でも「はまぐりもなかくっきー」を紹介してくださいました。そのことを記した同年5月20日のブログを再掲します。


2013年5月20日ブログ再掲

◎顕子さんご推薦

週刊文春の最終頁に連載されている「おいしい!私の取り寄せ便」は、著名人が推薦する取り寄せ可能な食品を紹介するページ。現在発売中の(2013年)5月23日号では、なんとミュージシャンの矢野顕子さんが、気仙沼〈コヤマ菓子店〉の〈はまぐりもなかくっきー〉を紹介してくれています。ありがたい!




週刊文春2013年5月23日号誌面イメージ(クリックで拡大)


矢野さんの推薦の言葉は次のとおりです。

「コピーライターの糸井重里さんは、私の曲に詞を書いたりしてくれる、三十年来の仕事仲間なんです。彼は東日本大震災の後、主宰しているウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社を気仙沼に立ち上げて、復興のお手伝いを始めました。それを知って私も何か協力したいと気仙沼にうかがった時、地元の方が差し入れてくださったのが、この「はまぐりもなかくっきー」だったんです。

もなかの皮の下からクッキーが出てくるなんて、誰も思わないでしょう? それだけでも驚きなのに、食べてみるとアーモンドの風味がとっても香ばしくて、〈うわ、うまっ〉って感じでしたね。同じ東北の出身者として応援したいという気持ちももちろんあるんですが、むしろ私は、味そのものに惚れたんです。

ニューヨークの自宅では冷蔵庫にしまってあって、自分が何かを成し遂げた時、ご褒美としてひと袋いただいています。あっちでは貴重なんで(笑)。友達のアメリカ人にも好評なんですよ」

コヤマの店主だった小山隆市君は私たちの同級生。惜しくも今年(2023年)1月に亡くなりましたが、長男の裕隆さんがあとを継いで頑張っています。この〈はまぐりもなかくっきー〉、皆様にも是非ご賞味いただければと。独特の食感があり、とてもおいしいですよ。


再掲内容は以上です。


気仙沼のほぼ日の催しで気仙沼を訪れたときの差し入れで「はまぐりもなかくっきー」を知ったとのこと。これは「気仙沼のほぼ日」の1周年企画としておこなわれた「矢野顕子の音楽の稽古場」でしょう。糸井重里さんも参加してくださいました。つぎのブログで紹介しています。

2012年12月21日ブログ「音楽の稽古場」

顕子さんと気仙沼のご縁は、39年前1983年にさかのぼります。この年4月2日に気仙沼で矢野顕子さんのコンサートが開催されたのです。このときの実行委員会メンバーと矢野さんの集合写真をつぎのブログで紹介しました。吉田(岩渕)恵子さん(3年8組)の〈とっておき この一枚〉です。

2013年7月8日ブログ「とっておきの1枚」

こうして気仙沼は今にいたる長いあいだ、矢野顕子さんに応援してもらっていますね。本当にありがたいこと。心から御礼を申し上げます。

コヤマ菓子店通販サイト

 

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tag : はまぐりもなかくっきーコヤマ

区画整理後の課題

気仙沼市の魚町・南町土地区画整理事業が完了したことで、市内4地区でおこなわれてきた同事業はすべて終了しました。10月22日の魚町・南町地区竣工式については一昨日10月24日のブログで紹介しましたが、本日は事業を完了した4地区全体の課題についてです。

河北新報オンラインの10月23日記事はYahoo!ニュースも配信していました。

(追記:上記のYahoo!配信記事は削除されているようです。こちらでご覧ください)

この記事の前半は魚町・南町地区の竣工式についてでしたが、後半では〈約45%の土地が未利用のまま残る〉としてつぎのように記しています。記事を引用します。

〈 気仙沼市が実施する土地区画整理事業は全ての工事が完了した一方、約45%の土地が未利用のまま残る。大規模な商業地として整備した地区は、コロナ下で市が選定した事業候補者による出店計画が停滞。手付かずの土地の活用が課題となっている。

表

 各地区の利用状況は表の通り。宅地の多い鹿折地区と南気仙沼地区は、一部で店舗進出や若い世代の自宅新築の動きがあるが、思うように人口は戻っていない。整備が長引き自宅再建を諦めたり、別の場所に移り住んだりした高齢者らが多いとみられる。
(中略)
松崎片浜地区は「敷地整序型」と呼ばれる土地区画整理事業の手法を用い、換地した土地を集約。大規模な商業地を整備した。〉

2019年3月、市は募集に応じた東京の大手デベロッパーを庁内の審査会で事業候補者に選定。スーパーを核にした複合商業施設の出店を計画するが、コロナ下でテナント集めに苦戦し整備地は未利用の状態が続く。(引用は以上)


土地区画整理事業の概要に関して文中の表がわかりやすい。松崎片浜地区は施工面積が4.8haと魚町・南町地区の半分以下とはいえ、未利用率が100%となっています。魚町・南町は35.9%です。

松崎片浜地区の大手デベロッパーによる複合商業施設テナント誘致が暗礁にのりあげていることについては、9月22日のブログでもお伝えしました。

9月22日ブログ 魚町の「1号公園」

私がおどろいたのは、上の表で松崎片浜地区の竣工が2022年2月とされていたことです。竣工式はいつだったのだろうと思い調べてみましたがこのブログでは紹介していませんでした。ありゃまと思い市のサイトを探してみましたが竣工に関する情報は見つからず。三陸新報の本年2月中の記事も確認してみましたが、やはり見当たりません。竣工式はおこなっていないのか。

竣工式そのものは儀式ではあるものの、大きな区切りとしての意味をもっています。もし松崎片浜地区の竣工式がもしおこなわれていないとすれば、どのような理由なのでしょうか。商業施設テナント誘致の見通しとともにちょっと気になっております。

なお、鹿折地区の土地区画整理事業竣工式は2019年9月28日に、南気仙沼については2020年9月26日にそれぞれおこなわれています。つぎのブログで紹介しています。

2019年10月1日ブログ「鹿折 区画整理竣工」
2020年9月28日ブログ「南気仙沼の竣工式」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 土地区画整理松崎片浜

教えて!梶原さん

「おかえりモネ」の演出陣のおひとり、梶原登城(かじわらとき)さんをお招きしてのトークイベントが11月3日にPIER7で開催されます。「ドラマはこうして作られる」 演出のお仕事大公開トークイベント。


イメージ5


日時: 11月3日(木・祝) 13:00〜15:00(開場12:30)
場所:気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)2階 軽運動場
スピーカー:NHK 第3制作センター エキスパート 梶原登城氏
定員:100名
申込:下記の参加申込フォームから(残念ながらすでに定員に達し、申込を締め切ったとのことです)
入場無料

参加申込フォーム

詳細は「気仙沼さ来てけらいん」にて


◎1年前の梶原さんのお話

梶原さんは、昨年11月の気仙沼スローフェスタ2021でのシンポジウム「海と生きる〜おかえりモネで描かれた気仙沼」でも講演してくださいました。

講演内容をつぎのふたつのブログで紹介しております。それぞれの記事で三陸新報と河北新報の記事を引用していました。記事部分を抜粋して紹介します。

2021年11月9日ブログ「伝えたかったもの」

三陸新報記事の引用内容。

〈ドラマで伝えたかったことに関して、梶原さんは「今は何でも高速社会で、すぐに結果を求めてしまいます。でも、ゆっくりでいいということを言い続けてきた。人を否定しない寛容さのようなものが伝わっていたらいいなと思う」と語り、「『あなたの痛みは分かりません。でも分かりたいと思っています』という菅波(坂口健太郎さん)のセリフに、脚本の安達(奈緒子)さんや私たちの思いが集約されている」と締めくくった。〉引用は以上

2021年11月15日ブログ「梶原登城さんの話」

河北新報記事の引用内容。

〈 梶原さんらは舞台地選定で石巻市や名取市など沿岸部を巡り、2019年12月に気仙沼市を訪問。大島・亀山からの眺望で「ここだな」と直感したという。島内で取材を進め、東日本大震災時に孤立したエピソードなどを軸に物語が形成されたと明かした。

震災時に島にいなかった主人公・永浦百音(ももね)(モネ)と、島で被災した妹・未知の仲直りが当初からゴールだったという。「人を否定しない、ある種の寛容さ(の大切さ)をじわっとでも感じてほしかった」と込めたメッセージを説いた。〉引用は以上。



「おかえりモネ」に深く関わった梶原登城さんが昨年に続いて今年もこうして気仙沼でお話をしてくださることを知り、大変うれしく思っております。

なお、昨年11月時点で梶原さんはNHK制作局第4制作ユニットチーフディレクターでしたが、今回は、第3制作センター エキスパートとなっています。昇進されていますね。きっと。

梶原さん、本当にいろいろとありがとうございます。11月3日文化の日。どうぞよろしくお願いいたします

◎参考情報

「おかえりモネ」の制作や演出に関わった一木正恵さんと吉永証さんについては、つぎのブログで紹介しております。

2021年8月13日ブログ「一木さんへの御礼」
2022年2月25日ブログ「NHKの吉永証さん」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ梶原登城

内湾区画整理竣工

10月22日、気仙沼市魚町・南町地区土地区画整理事業の竣工式がおこなわれました。簡単にいうと、内湾周辺地区の土地区画整理がおわりました。会場は魚町の神明神社下に整備された「神明崎公園」です。これは当初「1号公園」と呼ばれていたところですね。

竣工式当日、菅原市長はつぎのようにツイートしていました。


土地区画整理とは別の話になりますが、防潮堤に関して〈穏やかさが特徴の気仙沼内湾〉で巻き起こった〈数えきれない程の議論〉というのは市長の実感でしょう。魚町地区の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまったことなどもありました。

気仙沼市の10月18日付け記者発表資料に竣工式会場とともに、魚町・南町の土地区画整理事業の対象地区が示されていました。魚町や南町のすべての地域が対象となっているわけではありません。魚町坂口にあった私の元実家の場所も対象外です


空撮

気仙沼市10月18日付け記者発表資料より


10月23日の三陸新報は、竣工式の様子をつぎのように伝えています。


三陸
三陸新報10月23日記事の一部イメージ


10月21日には三陸新報に広告が掲載されていました。


広告

三陸新報10月21日掲載広告


協賛広告のなかの魚町三区自治会の会長名をみてびっくり。佐々木徹君(3年1組)。以前は、気中16回生の菊田健蔵さんでした。兄の同級生。徹君にたずねてみたところ、本年4月に交代したとのことでした。副会長は、なんと気中同級生〈カネシメイチ〉の小山(斉藤)容子さん(3年5組)と〈鼈甲屋〉の昆野隆男さん(ていうかひとつ下で幼なじみのタカオちゃん)です。魚町にかぎらず市内各地区の自治会運営は課題が多いと聞いています。いろいろと大変なこともあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

広告は魚町関係が多いですね。つくだ煮のケイは以前のカクダイ/菅長水産さん。畠山法律事務所は以前のカクジュウさん/畠山水産です。坂口組も元々は魚町坂口の坂をのぼったところにありました。内湾周辺地区の変遷を感じます。

気仙沼市では4地区での被災市街地復興土地区画整理事業がおこなわれていました。魚町・南町地区、南気仙沼地区、鹿折地区、松崎片浜地区。今回の魚町・南町地区竣工によって、すべての事業が終了したことになります。これら市内土地区画整理事業については、河北新報や朝日新聞も記事を配信しています。もあらためて紹介します。

魚町・南町の土地区画整理事業は、(株)双葉・(株)エイト日本技術開発・アジア航測(株)・日本測地設計(株)4社からなる共同企業体(JV:ジョイントベンチャー)によって推進されました。通称は「内湾JV」とのこと。

内湾JVはじめ本事業関係者の皆さま、このたびの竣工おめでとうございます。魚町で生まれ育ったものの一人として、御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 土地区画整理内湾

「冷蔵庫創業の地」

気仙沼市南町の柏崎下にあった「冷蔵庫創業の地」記念碑が再設置されました。菅原茂市長の10月18日ツイートを紹介します。日本初の水産物冷蔵庫であると記しています。


10月19日の三陸新報もつぎのように伝えています。


記念碑

三陸新報10月19日記事の一部イメージ


三陸新報は、「水産物の保管を目的とした国内初の大型業務用冷蔵庫・葛原冷蔵」としていますね。

記事によれば、この記念碑は気仙沼製氷冷凍業協同組合(建立時は気仙沼製氷冷凍組合)が創立40周年を記念して1993年に葛原(くずはら)冷蔵跡地に建立しました。

震災の津波で流出しましたが、大きな損傷がない状態で発見され、しばらくは元の場所に仮置きしていました。しかし区画整理や防潮堤整備のために2017年ごろに撤去、保管していたそうです。

そして、「冷凍食品の日」(日本冷凍食品協会制定)にあたる10月18日に、同組合が再設置し除幕式をおこないました。

この記念碑はなつかしい。さほど大きなものではありません。以前の海岸前郵便局や銭湯/気仙沼湯の左方向にありました。

◎記念碑の碑文

碑文を記しておきましょう。漢数字は私が洋数字に換えております。


冷蔵庫創業の地

我が国初の本格的冷凍工場が山口県小郡町の人葛原猪平氏により大正9年(1920年)この地に建設され水産物の凍結冷蔵が行われた 日本における冷凍事業のはじまりである 気仙沼製氷冷凍組合の創立40周年にあたり氏の偉業を顕彰し慈に記念碑を建立する

平成5年12月


碑文は以上です。はじめはこれでおわるつもりだったのですが、「気仙沼市史」を調べてみたら、そうもいかなくなってきました。ちょっとしつこい話になっておりますが、どうぞおつきあいください。

◎気仙沼市史における記述

葛原猪平は〈くずはら いへい〉と読みます。「気仙沼市史」第5巻 産業編(下)p340には、つぎのように記されていました。

大正9年、南町柏崎に葛原冷蔵庫ができた。冷蔵力500トン、製氷日産10トンの産地冷蔵施設で、北海道の森町(もりまち)(噴火湾)と同年の建設である、葛原は後に日本の冷蔵王といわれた豪商であった。12年に増築し重役の木下氏が引受け「木下冷蔵庫」と改称した。(引用は以上)

〈北海道の森町(噴火湾)と同年の建設〉というのはどういうことだろう。

さらに調べてみると、「気仙沼市史」第4巻 近代・現代編(下)p327・328に、「葛原冷蔵の出現」との見出しをたてた詳しい記述がありました。

つぎの文章で始まります。「日本で初の本格的な凍結設備を持つ冷凍工場が建設されたのは気仙沼と北海道の噴火湾に臨む森町で、大正9年のことである。気仙沼で南町柏崎下に建設された葛原冷蔵気仙沼工場で、森町も葛原猪平の創設である。」

〈〜葛原冷蔵気仙沼工場で、〉という文章がちょっとわかりにくい。葛原冷蔵気仙沼工場も森町(の工場)も葛原猪平の創設ということでしょう。

そして葛原猪平に関する詳しい説明などが続き、最後につぎのように記しています。「昭和4年(1929)、北海道森町では日本冷凍事業発祥地の記念碑を建立した。」

◎日本の冷凍食品発祥の地

ネット情報を調べてみました。たしかに葛原冷蔵庫が建設された1920年(大正9年)と同年に、葛原猪平は北海道森町(もりまち)にも凍結能力日産10トンの冷蔵庫を建設していました。そのことをもって同町は、「日本の冷凍食品発祥の地」であるとしています。

冷凍食品エフエフプレス配信記事によれば、2021年10月13日には、同町で「冷凍食品事業発祥100周年記念碑」除幕式がおこなわれました。100周年は2020年でしたが、新型コロナの関係で1年延期したそうです。

また、つぎの「発祥の地コレクション」記事によれば、葛原猪平の「森冷凍庫」はその後「葛原冷蔵㈱」となりますが経営陣が交代して「東洋冷蔵㈱」と改称。さらに戦時中の1942年には 国策により水産会社17社が統合し「帝国水産統制㈱」となり、戦後1945年に「日本冷蔵㈱」、1985年に「㈱ニチレイ」と改称されました。

森町教育委員会による説明文にはつぎのように記されているそうです。「大正9年(1920)8月25日、山口県の人葛原猪平氏が森沿岸の豊富な魚に注目し、当時人家もほとんどなかった港町に我国最初となる、最新設備の冷凍食品工場が建ちました。」

こうして資料をながめると、葛原猪平が建設した気仙沼と森町ふたつの冷凍冷蔵庫はどちらも同じような冷凍能力をもっていたようです。そして両方とも豊富に水揚げされる魚の冷凍が当初の狙いであったように思われます。

つまり、大正9年(1920)8月25日に葛原猪平が日本初の本格的な冷凍工場を2か所に建設したというあたりの表現が順当なのでしょう。

冷凍業界の関係者はこのあたりの話はよく知っていると思います。そのうえで、森町は〈冷凍食品〉、気仙沼は〈水産物〉という条件付けによって、いずれも〈日本初の〉と称しているのではないかと。それと冷蔵庫と冷凍庫の違いとか。

それでもどっちが先なのかという方がいるかもしれないので(いないか)、参考まで記しておくと、気仙沼文化史年表には、市史を典拠として5月10日に冷蔵工場建設としてあります(ただし、上に紹介した市史記述には月日記載はなし)。そして森町については、上述した教育委員会の記述では8月15日。なんの日付かわかりませんが、気仙沼のほうが3カ月ほど早い(笑)。

ここまでにしておきますが、気仙沼製氷冷凍協同組合の理事長をつとめる岡本製氷/岡本先輩(いっこ上の気中19回生)に会うことがあれば聞いてみてください。〈実際のところどうなのよ〉と。

葛原猪平に関する市史記述は、回をあらためて紹介します。本日はこれにて。
 

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tag : 冷蔵庫創業の地記念碑

さかなの駅クローズ

本日10月20日の三陸新報をみて驚きました。気仙沼市田中前の共同商業施設「気仙沼さかなの駅」が来年1月15日で営業を終了するとのこと。


さかなの駅
三陸新報10月20日記事の一部イメージ


記事によれば、「さかなの駅」は2011年12月に、弁天町にあって津波で全壊した気仙沼水産物流通センターに店を構えていた鮮魚店、青果店を中心に9店舗が集まりオープン。田中前の神山川沿いにあったカメイ物流倉庫を借りての営業開始だったそうです。

しかしこの建物は建設から40年以上たち老朽化が進み、施設の修繕費や電気代などの経費がかさみ、将来的な負担増が避けられないことから、運営組合が営業の継続は困難と判断したとのこと。

私のおどろきには訳があります。運営する気仙沼さかなの駅協同組合の組合長が気中同級生の平塚一信君(3年1組)なのです。鰹・鮪・鮮魚の平塚商店を経営しています。

記事に平塚組合長の話が紹介されていました。

「11年間、この場所で営業できたことに感謝したい。継続がかなわなかったことは残念だが、ほとんどの店が別な場所で営業を続けるので引き続き足を運んでほしい」

調べてみたら、11年前2011年12月10日の「さかなの駅」オープンをつぎのブログで紹介していました。

2011年12月12日ブログ「同級生の店再開」

東日本大震災から9カ月後の営業開始。それから11年たっての営業終了。現在営業している7店舗のうち、6店は市内の別な場所で営業を継続し、1店は今後の方針を検討しているとのことです。

「さかなの駅」のクローズは来年1月15日。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : さかなの駅平塚一信

3年ぶり産業まつり

「気仙沼市産業まつり」が10月23日(日)に魚市場で開催されます。今回で36回目となります。ポスターはこんな感じ。ホヤぼーやが「コロナに負けずにみんなでがんばっぺし!」と。


産業まつり


10月18日の三陸新報はつぎのように伝えています。

三陸
三陸新報10月18日記事の一部イメージ


この産業まつり、2020年と2021年は新型コロナ対応で中止となりました。今回も感染状況などを見定めての開催決定だったでしょう。ただし、例年は同時開催されていた「市場で朝めし。」は実施を見送るとのことです。

第1回の気仙沼市産業まつりが開催されたのは1983(昭和58)年11月6日のことでした。その後は本吉郡各町が加わった「気仙沼・本吉地方産業まつり」になるなど曲折がありました。その回数の数え方については、つぎのブログにまとめております。

2018年10月26日ブログ「産業まつりの沿革」

そして2013年の第29回「気仙沼市産業まつり」のときに、第1回目となる「市場で朝めし。」が開催されました。2019年の第7回以降は今年も含めて開催されていません。残念に思っている方も多いことでしょう。

前回となる2019年「気仙沼市産業まつり」や「市場で朝めし。」のポスターなどはつぎのブログにて。

2019年10月23日ブログ「10/27産業まつり」

今度の日曜10月23日。天気に恵まれて大勢の人が訪れる楽しいイベントになることを願っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 産業まつり市場で朝めし

公文健太郎トーク

気仙沼漁師カレンダー2023が10月13日に発売されました。その写真を撮影してくださった公文健太郎さんのトークイベントが10月16日に浅草「梅と星」で開催されました。夫婦で参加。

「梅と星」は、浅草の仲見世通りの東側の通りにありました。会場はその2階。テーブルと座布団がおかれたスペースに靴をぬいであがります。イベントの定員は20名でした。10月14日からはこの2階会場で「気仙沼漁師カレンダー2023写真展」が開催されています。11月20日まで。観覧は無料です。

浅草「梅と星」公式サイト

トークイベントは、こんな感じ。右が公文さん、左が漁師カレンダーのプロデュースを担当しているバンブーカットの竹内さん。「梅と星」もバンブーカットが経営しているお店です。詳しくは回をあらためて紹介しましょう。


トークイベント


カレンダーの各月写真に関して、公文さんが撮影の様子などを順平さんと掛け合いのかたちで話をしてくださいました。

とても興味深い話が続きました。詳細は略しますが、ちょっとだけ以下に。

◎健太郎が建太郎に

カレンダーに使われている漢数字は、基本的に登場している漁師さんに書いてもらったとのことですが、面白い話がありました。表紙にあたる写真には、カレンダータイトルと「写真 公文健太郎」の文字が記されているのですが、健太郎が建太郎になっています。

このように書いてくださいという見本と筆や紙などをデザイン担当の神田さんから漁師さんに送って書いてもらったそうですなのです、人偏(にんべん)がぬけていました。しかし、そのまま使うことにしたそうです。それもまたおもしろしということかと。

◎トリミングはおまかせ

順平さんによれば、これまでの写真家の皆さんの写真は基本としてトリミングなしでカレンダーに使われているとのことです。しかし今回は、デザイン担当の神田彩子さん(日本デザインセンター)に公文さんが自由に使っていいよと伝えたというのです。「無印良品」の仕事などで共に仕事をしてきたコンビだからこその信頼感なのでしょう。

フィルムに記録された画像とカレンダーに掲載された写真のトリミング。そして上に紹介した写真展で掲出されているプリントのトリミング/フレーミングの違いをとてもおもしろく感じました。

◎宇宙船のような漁船

カレンダーの表紙写真に関する話もありました。私はトークイベント終了後、購入したカレンダーにサインしていただきましたので見開きで紹介しましょう。壁にとめて撮影。上半分がおもて表紙、下半分がうら表紙ということになります。左下に公文さんのサイン。

表紙

この写真は、7月の写真でもあるのですが、これについて公文さんは、〈道具類がみな手のとどくところにあって、なにか宇宙船のような感じを受けた〉と語っていたように思います。たしかに不必要なものは排除され、必要なものだけが長年の経験によって合理的な配置となっているかも。おなじ〈船〉だし。

と、私の記憶をもとに書いたのですが、カレンダーのなかにある各月写真の解説では〈小さな船の上は全て自分用に調整された漁具が、ところ狭しと並んでいる。全てに手が届く。子供の頃に憧れた秘密基地のような、菅原福寿さんだけの職場だ〉と記しています。宇宙船か秘密基地か。いずれにしても〈カプセル〉的なイメージでしょう。

そのほか、漁師さんにとっての〈水平〉と写真家にとっての〈水平〉の違いなど、いろいろとおもしろい話がありましたが略します。

そんなお二人の話のあとに質問を受けてくれました。私はつぎのようなことをお聞きしました。

〈ご本人の話を聞けるせっかくの機会なので、事前に2010年刊行の公文さんの「ゴマの洋品店」を拝見/拝読しました。漁師カレンダーの写真と比較してみると、その作風というか表現のスタイルがちょっと変わっているように感じられます。ご自身はこの10数年での写真を撮る視点や表現しようとすることの変化をどのように感じられていますか〉

この問いに対する公文さんの細かな話は省略します。しかし、〈ネパールで撮った「ゴマの洋品店」の写真をいま見るとちょっと恥ずかしい〉などと語りつつ、ときおり考えながら話してくれた公文さんの表情や語り口をとてもうれしく思いました。私からは〈ありがとうございました〉と。

もうひとつの質問をするとすればつぎのようなことだったでしょう。

〈公文さんは「無印良品」をはじめ優れたコマーシャルフォトもいろいろと手掛けられています。そうした仕事が、その後の作品集とすることを前提にした写真家/アーチストとしての表現に与えた影響についてはどのようにお考えでしょう〉

言葉の細かな定義は別として、コマーシャルアートとファインアートの間にあるグラデーションを公文さんはどのように考えているのだろうかと。

これは、公文さんが過去の漁師カレンダー8作に対して感じた印象や、それらとは違うご自身としての表現/視点を2023年版ではどのように実現できたのかということにつながってくるかもしれません。今さら聞かなかった質問を記してもたいした意味はないのですが、こうして当日の印象を記してくると〈聞いてみたかった〉と。

なんか、話がしつこくなってきました。当日の話を思い起こすと、いろいろと語りたいことが出てくるのです。とてもおもしろいトークイベントでした。公文健太郎さん、竹内順平さん、ありがとうございました。

そこでしか聞けないこと、そこでしか撮れないものがあるということをいま実感しています。

10月14日ブログ「写真家 公文健太郎」

 

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元気にする会録画

第13回「気仙沼を元気にする会」が10月8日にオンラインにておこなわれました。当日は事前申し込みによるZOOM視聴のほか、YouTubeでの配信もおこなわれました。

元気にする会

◎第13回 気仙沼を元気にする会
日 時:10月8日(土)AM10:00 〜 12:20
司 会:佐藤千晶(フリーアナウンサー)
午前10:00〜
 講 演:復興と今後の課題:菅原茂 気仙沼市長
午前11:20〜リレー中継
 株式会社カネダイ かに物語
   佐藤俊輔氏・佐藤恭子氏
 シャークス
   熊谷牧子氏
 気仙沼まちなかプラットフォーム
  佐藤佳奈氏
 ほか

この元気にする会のYouTube録画が10月31日まで限定公開されていますのでご紹介します。





映像冒頭、会が始まる前にギター漫談の澤村宗さんが登場します。私は気仙沼高校・気仙沼向洋高校の在京同窓会合同懇親会で澤村さんの漫談を何度かきいております。突然の登場に驚かないよう、前もってお伝えしておきます。

はじめは気仙沼市の菅原市長の講演です。映像中の0:08:14から1:14:50までなので1時間ちょっとぐらいですね。気仙沼市の主に行政としての活動や課題などがよくわかります。気仙沼の人もこうした市長の話に触れる機会があまりないと思います。お時間のあるときにぜひ。

1:47:50あたりからは、カネダイさんの佐藤恭子さんが登場して同社の「かに物語」などの話を。恭子さんは昨年の3月に東京から気仙沼にUターンして、5月にカネダイに入社しました。恭子さんはカネダイの現社長佐藤俊輔さんのお姉さんです。

私は東京の気仙沼関連イベントや気仙沼高校関東同窓会などでよくお目にかかっていました。住まいも近かったことから親しく感じており、気仙沼に戻ってどうしているかなと思っておりましたが、元気な様子でなによりです。

また、恭子さんはいま、気仙沼つばき会にも属しており、話の後半は「気仙沼漁師カレンダー2023」の紹介でした。

そして1:59:00から登場するSHARKS(シャークス)の熊谷牧子さんは、私たちの同級生渡邊まさ子(3年5組)さんの妹さんです。何度も紹介していますがその一つをつぎに。

2019年6月18日ブログ「シャークス/JAWS」

といったようなことで2時間50分ぐらい映像ですが、録画ですので止めたりとばしたり。自由に視聴できますね。

この10月末までのアーカイブ映像、気仙沼を元気にする会実行委員長の熊田利英子さんをはじめ関係者の皆さんのご配慮に感謝申し上げます。
 

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写真家公文健太郎

きのう10月13日、気仙沼つばき会が企画・制作する「気仙沼漁師カレンダー」の販売が開始されました。この9作目となる2023年版の撮影を担当しているのは写真家の公文健太郎(くもんけんたろう)さんです。




PRTIMES配信プレスリリースより


同カレンダー公式HPでは公文さんをつぎのように紹介しています。

〈日本全国の農風景を撮影した写真集「耕す人」はじめ、様々な「人の営みがつくる風景」をテーマに撮影をされてきた「公文健太郎」氏が2023年版の気仙沼漁師カレンダーを担当してくださいました。 普段から一次産業との接点があり、漁師を撮影するのも初めてではありません。 そんな公文健太郎氏だからこそ見えてくる「気仙沼の漁師」を切り取っていただきました。 〉

この文章は、編集やインタビューを担当している唐澤和也さんによるものでしょう。公文さんに撮影を依頼した狙いがよくわかります。本日10月14日の三陸新報で、漁師カレンダーの発売を報じていますが、公文さんが「無印良品」のポスターの写真などもてがけていることを紹介していました。

どんな写真か。気仙沼漁師カレンダー公式HPをご覧ください。

気仙沼漁師カレンダー2023公式HP

素晴らしい。漁師カレンダーの写真にはいつも驚かされますね。みな同じく〈気仙沼の漁師〉をテーマにしながらも、それぞれの切り口というか表現の違いがとても面白い。


◎撮影助手は柳原美咲さん

制作スタッフのクレジット内容で印象的だったのは、撮影助手として柳原美咲(やなぎはらみさき)さんのお名前が記してあったことです。助手/アシスタントさんの(略されてアシ)の名がクレジットに。これはよくあることではないでしょう。

私はここに公文さんやつばき会さんをはじめ、制作陣の配慮を感じました。柳原さんは公文さんのアシスタントとしてだけでなく、すでに写真家としても活動しており、本年8月には写真集「ゆ場」も出版されています。


◎NDCの神田彩子さん

さらに制作クレジットを見るとデザインを担当されているのは日本デザインセンター(NDC)の神田彩子さんです。タテに大きく使ったレイアウトや漁師の筆によるという漢数字なども面白い。漁師にとっての〈暦〉を強く感じさせるデザインです。

ここ数年のさまざまな試みによって、漁師カレンダーは〈狭義のカレンダー〉を超えて〈広義のカレンダー〉になっていますね。ある種の写真集です。これをさらに拡張していけば、〈気仙沼漁師カレンダー〉という小説やドキュメントも容易に想像できるでしょう。

日本デザインセンター(NDC)はライトパブリシティとともに、日本の広告制作プロダクションの歴史をつくってきたともいえる会社。調べてみると、神田さんはNDCの代表でもある原研哉さんのアートディレクションで良品計画「無印良品」ポスターのデザインもてがけていました。公文さんの無印良品の仕事も神田彩子さんと共に進めたのでしょう。

そうしたことを知ったあとに漁師カレンダーの写真をみると、無印良品のカレンダーといわれてもさほどの違和感もありません。

(話が横道にそれますが)原研哉さんは私が敬愛するデザイナーのおひとり。無印良品の広告もその代表的な仕事のひとつです。手元の「アイデア」編集部編「原研哉のデザイン」(2007年刊)のなかに2003年の無印良品の広告がありますが、その写真を担当したのは藤井保さんです。そうです、漁師カレンダーの初回2014年版の写真を担当してくださいました。9回目でなんというか初回とつながったなという印象。あの年のデザインはサン・アドさん。当時、とても驚いたことを思い出します。

◎BambooCutの竹内順平さん

このカレンダーのプロデュースを(たぶん2作目から)担当しているのはBambooCutさんです。代表の竹内順平さんについては、つぎのブログで紹介しております。

2020年7月27日ブログ「竹内順平さんの話」

漁師カレンダーの制作を通じて順平さんと気仙沼の結びつきは強いもものがありましたが、気仙沼出身のアナウンサー佐藤千晶さんとの結婚によってさらに深いご縁となりました。詳しくはつぎのブログにて(ちょっと長いけど)。

2020年10月12日ブログ「千晶&順平の結婚」


◎『ゴマの洋品店』

(話を横道や裏道から戻して)公文さんはどんな写真家なのだろうか。そう思って図書館から借りたのが『ゴマの洋品店〜ネパール・バネパの街から』です。写真と文章でのフォトエッセイ。ゴマはネパールの少女/女性の名です。同書のあとがきにこんなことが記されていました。

ネパールで出会ったアンジューという少女が公文さんに語ります。「夢を見ることは大切なことだと思うわ。でもね、私は夢を見ることがきらいなの。だってオーバードリームがあるのだもの」。彼女は、自分の持つ夢は、夢をこえたもの、実現不可能なものだったというのです。

公文さんはこのアンジューの言葉を受けてつぎのように記しています。

〈僕は写真家になりました。よく考えると、僕にはオーバードリームはないのかもしれないと思ったからです。僕の好きなことが、こうして写真を撮りつづけることだとしたら、それをつづけてみよう。僕には夢をかなえる可能性があるはずだ。大学生であった僕は、アンジューの言葉にそう決心させられました。〉

『ゴマの洋品店』は2010年に偕成社から刊行されました。そして公文さんは2012年に同書をはじめとする〈真摯な活動〉が評価され、日本写真協会賞新人賞を受賞しています。

それから10年。こうして写真を撮りつづけている公文健太郎さんの〈気仙沼の漁師〉カレンダーです。どうぞよろしく。
 

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花道の大和田さん

きのう10月12日の三陸新報「リレー随想」寄稿者は大和田郁也さんでした。31歳。ラーメン店「花道」(はなみち)の店主です。同店は気仙沼の国道45号線沿い南最知(みなみさいち)で2021年1月5日にオープンしました。


1012花道

三陸新報10月12日記事より


大和田さんは東陵高校卒業後、盛岡の大学に進学。卒業後は焼肉店での店長などを経て気仙沼にUターン移住したといいます。ここからは寄稿文を引用させてもらいます。


〈ここで飲食の道を志す自分にとって、大きな出会いがあった。日本ラーメン界の重鎮で、東京の名店「ちばき屋」店主、千葉憲二氏の元への弟子入りである。

気仙沼の復興のシンボルの一つとも言える「かもめ食堂」のオープニングから、私のラーメン修行が始まった。

ど素人だった自分は、ラーメンの基礎からみっちり教わり、分からないことや、気になることがあれば、納得するまでとことん、おやっさんに聞いた。時には、「しつこい」と言われたこともあった(笑)

厳しくも愛のある指導。料理人仕事の根本からたたき込んでいただいた。そうして1年が経ち、店長を任せて頂き、約5年間お世話になった。

その間には、東京や博多などの国内にとどまらず、台湾やロンドンなど、多くのラーメンイベントの出店に参加させて頂き、いろんな景色、刺激を与えてもらった。〉(引用は以上)

大和田さんの文章のなかに気中同級生の名が潜んでいました。〈日本ラーメン界の重鎮で、東京の名店「ちばき屋」店主〉千葉憲二君(3年4組)です。

重鎮と呼ばれてもおかしくはありません。憲二君は一般社団法人日本ラーメン協会の初代会長もつとめているのです。業界内での人望があってのことでしょう。〈ちばき屋〉のほか和食の〈まかないきいち〉も展開しています。

憲二君が震災後に気仙沼で何度もおこなった炊き出しや〈かもめ食堂〉についてはこのブログで何度も紹介しました。そのなかのひとつを下に。

2015年11月6日ブログ「かもめ食堂の憲二」

文中には〈おやっさん〉憲二君に同行して台湾やロンドンなどでのラーメンイベントにも参加したとありました。憲二君の海外活動についてはこのブログでも紹介したなあと思って調べたら、2014年のフランス「パリ・ラーメンウィーク(PARIS RAMEN WEEK ZUZUTTO)」への参加でした。このときパリでは、男山本店の菅原昭彦さんにも会ったと憲二君から聞きました。

このパリのイベントは〈博多一風堂〉の河原成美さんの呼びかけによるもの。河原さんは憲二君がラーメン協会で理事長をつとめたときの副理事長のひとりです。

2014年1月29日ブログ「憲二君 in PARIS」

といったようなことで、「花道」大和田郁也さんが憲二君のことをこうして書いてくれたことを大変うれしく思いました。

ラーメン屋「花道」
電話0226-48-5220
宮城県気仙沼市最知南最知2-8

公式Instagram
公式Twitter

なお、リレー随想のタイトル「向き合う」は、千葉憲二君からいつもいわれた「ラーメンに向き合う」という言葉からです。

どうぞご贔屓に。
 

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「漁撈船」修復完了

一関市千厩町生まれで気仙沼とも縁が深い洋画家、熊谷登久平(くまがいとくへい)については10月6日のブログで紹介しました。そして、熊谷登久平生誕120年展が「千厩酒のくら交流施設」で10月8日から10日まで開催されました。

その生誕120年展にも出展された熊谷登久平の作品「漁撈船」(ぎょろうせん)の修復について、10月8日の三陸新報が伝えていましたので紹介します。

三陸記事

三陸新報10月8日記事の一部イメージ


そして同日、リアス・アーク美術館山内館長が10月8日につぎのツイートを。下部の投稿は熊谷明子さんが義父である熊谷登久平の展覧会を紹介したツイートです。



この絵の来歴などについて三陸新報記事を引用します。

〈 「漁撈船」は昭和初期の作品。東日本大震災前まで気仙沼図書館に飾られていたが、地震で落下し、市教育委員会の倉庫に保管されていた。次男寿郎さんの妻で著述業の明子さんからの連絡をきっかけに、8月下旬から劣化による絵の具の剥落などの修復作業が同美術館で行われ、9月下旬に完了した。

熊谷は気仙沼の景色を描いた作品を複数残しており、この絵は気仙沼の「千年丸」を描いたもの。船は絵を描いて間もなく出港したが遭難し、絵は持ち主の水産会社に寄贈されたという。

「漁撈船」のタイトルが付いているが、二科展への出品作「海」が「見つかっておらず、明子さんはこれが「海」ではないかと推測している。 〉(引用は以上)

「千年丸」は気仙沼の「菅留」(かんとめ)菅野留太郎さんの会社が所有する漁船でした。菅留さんは気仙沼における竹輪の製造などでも知られていますね。このあたりの話はまた詳しく紹介します。また、リアス・アーク美術館の館長山内宏泰さんによる同絵画修復の過程はツイッターでも公開されました。これもあらためて。

山内館長、「漁撈船」の移管や修復などの一連の取り組み、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

10月6日ブログ「千厩の熊谷登久平」

 

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2022年 さんま祭

10月9日(日)、目黒区民まつりの恒例行事「目黒のさんま祭」が開催されました。2年連続で中止でしたので3年ぶりのこととなりました。菊田裕美君(3年1組)とでかけてきましたのでその報告を。

会場はいつもの田道広場公園ですが、今年は事前申込制の焼きサンマ提供会場と物産展会場が完全に分離されていて行き来ができません。そんなことで気仙沼からバスでかけつけてくれた焼きサンマ隊の皆さんの様子は見ることができませんでした。そんなことで、当日の菅原茂市長のツイートを紹介させてもらいます。


午前10時の開場に先立って9時半からは区民ホールで開会式がありました。これまでは屋外のさんま祭開場でおこなわれていましたが、今年は屋内で関係者やチケット当選者のみの参加です。後の方からちょっと拝見。

気仙沼の菅原市長は来賓代表としての挨拶でした。着席しているのは、左から目黒区の青木区長、宮澤区議会議長、区民まつり実行委員長藤森昇さんです。

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あとはランダムに写真を紹介。まずは気中20同級生たち。

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気仙沼物産展コーナーでは、今年も荒木容子さん(3年10組)がお手伝いに気仙沼から。

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サービスカット。裕美君とホヤぼーや。

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後輩の気中26回生や先輩と。右端は私。

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といったようなことで、物産展会場を後にした私たちは中目黒のサイゼリヤでしばしの歓談。これもまたよし。

会場では、さんま祭気仙沼実行委員会会長の松井さんと焼さんま会場と物産展会場を区切る柵越しに話すことができました。松井さんは、3年ぶりの開催をとても喜びながら、目黒区の皆さんと気仙沼の結びつきの強さをあらためて実感したと語っていました。

冒頭に紹介した市長ツイートにも紹介されていた気仙沼から上京してくださったさんま焼き隊などボランティアの皆さん、本当にご苦労さまでした。また、目黒区の関係者の皆さんにも心からの御礼を申し上げます。

来年の目黒のさんま祭がさらに大勢の方をむかえて開催されるのを楽しみにしております。ありがとうございました。

前回2019年さんま祭の様子はつぎのブログにて。

2019年9月17日ブログ「目黒さんま祭報告」

 

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技能実習生「2020」

きょうはスポーツの日。58年前の1964年(昭和39年)10月10日、東京オリンピックの開会式がおこなわれました。

ということで、本日は2020年オリンピック・パラリンピック東京大会に関するNHKのドキュメンタリー「映像全記録 TOKYO2020 私たちの夏」を紹介します。初回放送は2021年12月30日でした。私は録画した映像を年が明けてから見たと記憶しています。

そして本年8月20日と21日には、このドキュメンタリーの「完全版」がNHK BS1で4回に分けて放送されました。さらに9月11日と12日に再放送されています。

本日紹介するのは、初回放送版および完全版の両方で放送された気仙沼の(株)菅原工業の代表菅原渉(わたる)さんや同社で働くインドネシア人技能実習生の姿です。完全版では1回目「vol.1 混乱の中の開幕」で放送されました。

放送画面を紹介します。

はじめは、道路のアスファルト舗装をおこなう実習生たちの様子です。〈外国からの技能実習生も復興事業を担ってきた〉と。その1人、ムハンド・ヌル・ソレさんは、〈今、インドネシアもいろいろ大変で、やっぱり こっちで稼ごうと思いました〉と。



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その後は、気仙沼魚市場前「みしおね横丁」のインドネシア料理店「ワルーン・マハール」へ。この店も菅原さんが経営しています。

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店内では、インドネシア選手が出場するバドミントン競技(男子ダブルス)が中継されていました。インドネシアではバドミントンが〈国技〉とされているのだそうです。実習生からは〈負けたら(インドネシアに)帰ります〉などと冗談も。

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残念ながらインドネシア選手は敗退。菅原さんは〈初めて見たけどおもしろいですね〉と。そして〈(実習生の)ふだん見られない一面が見られた〉とも。ヌルさんは〈こうやってみんなで見るのもすごく楽しいですよね〉と答えます。
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放送画面は以上です。

◎金杉憲治大使の寄稿文

在インドネシア日本国大使館サイトに駐インドネシア大使の金杉憲治さんのTOKYO2020に関する寄稿文がありました。それによれば、東京オリンピックではバドミントン女子ダブルスのグレーシア・ポリー、アプリヤニ・ラハユ組が金メダルを獲得したとのこと。また、〈オリンピックの開会式で、インドネシア選手団の旗手を務めたのは、日本人の母親を持つサーフィンで出場した和井田理央選手であった。日本とインドネシアの親しい関係を示す選手がインドネシア国旗を掲げる様子を見て、二国間関係の将来に明るい希望を持った〉 とも記しています。


NHK「映像全記録 TOKYO2020 私たちの夏」は、東京オリンピックの17日間とパラリンピックの13日間にわたり東京のみならず日本のあらゆる場所にカメラを据えてその日々を記録した映像記録。記録した映像は500時間を超えたとのこと。

その膨大な映像のなかから、気仙沼のインドネシア人技能実習生が取り上げられたのは、東日本大震災の被災地で復興事業に従事する外国からの技能実習生という重層的なテーマというか背景ゆえのことでしょう。

2020年オリンピック・パラリンピック東京大会の開催については、実にさまざまな意見がありました。本日のブログでこのドキュメントを紹介したのは、気仙沼で働くインドネシアの若者たちが紹介されていたことを伝えるため。案外、知らない人も多いのではないかと思ってのことです。どうぞよろしく。

◎参考情報

「ワルーン・マハール」でのインドネシア人実習生については次のブログでも紹介しております。

2020年3月13日ブログ「気仙沼のサラメシ」

インドネシアのヘリ・アフマディ駐日大使と金杉憲治駐インドネシア大使の気仙沼訪問についてはつぎのブログで。

6月20日ブログ「両大使気仙沼訪問」

 

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tag : インドネシア技能実習生TOKYO2020

進水式の「音楽」

気仙沼市の菅原市長9月26日のツイートは大変にめでたい動画でした。宮崎県の漁業調査船「みやざき丸」新船の進水式です。



宮崎県の漁業調査船「みやざき丸」新船は、老朽化した漁業調査船みやざき丸の新船として建造されました。

宮崎県の関連サイトによれば、新船のポイントは〈「釣る調査」から「走る調査(機器等)」に変更〉とありました。環境DNA分析装置なども新設されています。総トン数約199トン、定員21名です。

宮崎県の調査船を宮城県気仙沼の「みらい造船」で建造してくださったわけです。本当にありがたいこと。御礼を申し上げます。

市長のツイート動画で流れている音楽はもちろん軍艦マーチ(軍艦行進曲)です。気仙沼では出船のときにもよく流していましたよね。いまも同様でしょう。

◎第8精良丸の進水式

私はこの進水式の動画を見て、スクラップしていた三陸新報の記事を思い出しました。同紙の連載「とっておき この一枚」の8回目です。


精良丸進水
三陸新報2004年1月14日記事より


昭和60年(1985)年の第8精良丸進水式。三重県伊勢市の強力(ごうりき)造船でおこなわれました。船主は気仙沼市魚町の畠山水産さん。屋号は、四角のなかに十の字でカクジュウです。

「とっておき この一枚」で進水式の思い出を語るのは、畠山水産三代目の畠山久兵衛さんの妻、畠山みきさん。気仙沼中学で一学年下だった敏子さんのお母さまです。昨年12月にお亡くなりになりました。畠山さんには14年前の父の葬儀に弔問いただき、お話しすることができました。

カクジュウさんは、気仙沼市魚町で古くからの漁業家として知られています。記事によれば明治29(1896)年の創業。みきさんが3代目の畠山久兵衛さん(記事掲載時にはすでに故人)に嫁いだのは20歳のときだったそうです。そして、はじめて進水式でロープを手斧で切る大役を任されたときには「嫁として認められたような気がしました」と。

漁船漁業では、縁起をかついで女性の立ち入りを嫌いますが、進水式でロープを斧(おの)で断ち切る支綱(しこう)切断の役目だけは女性が好まれるとも語っています。

記事掲載の2004年当時、この第8精良丸は現役として活躍しており、アフリカのアンゴラ沖で操業していると記事にありました。

カクジュウさんが漁業経営を閉じたのはいつのことだったか。遠洋漁業の不振が続き、気仙沼では同社のみならず多くの会社が漁業から撤退していきました。

屋号「角十/カクジュウ」は今、畠山みきさん、畠山久兵衛さんの孫にあたる喜敬(よしたか)さんの畠山法律事務所に受け継がれています。つぎのブログで紹介しております。

2021年6月23日ブログ「角十の法律事務所」

話を戻します。昭和60年の第8精良丸進水式。このとき造船所に響きわたっていた音楽も「軍艦マーチ」だったのではないでしょうか。

守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の 浮かべる城ぞ頼みなる

進水式での軍艦マーチ。軍歌の意味をそこに求める人はすでになく、航海の安全を祈願し、新造船を祝す行進曲です。
 

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千厩の熊谷登久平

1901年に千厩(せんまや)で生まれ、気仙沼とも縁が深い洋画家、熊谷登久平(くまがいとくへい)生誕120年展が10月8日から3日間、登久平のふるさと千厩で開催されます。


表

裏

◎熊谷登久平生誕120年展
 〜ふるさとこひしの歌

10月8日(土)〜10日(月・祝)
10:00〜17:00 入場無料
千厩酒のくら交流施設 東蔵
岩手県一関市千厩町千厩字北方134

なお、展覧会チラシでは「千厩さけの蔵交流施設」という表記ですが、同施設Facebook「千厩酒のくら交流施設」となっています。〈酒のくら〉が正しいようです。

展覧会チラシ裏に記載がありますが、熊谷登久平は、1901年に千厩町(せんまやちょう)の商家「日野屋」の長男として生まれ、旧制一関中学校を卒業しています。厳密には昨年2021年が生誕120年にあたると思いますが、新型コロナの関係などで開催が本年になったのではないかと推測しています。

東京文化財研究所サイトの「熊谷登久平」に関する記述(出典は日本美術年鑑』昭和44年版)をベースに経歴を少し詳しく紹介しておきましょう。

熊谷登久平は、明治34年(1901)10月2日、岩手県東磐井郡に生まれ、大正14年中央大学商学部を卒業、学生時代に川端画学校に入り、大正13年修了、昭和元年、白日会展に入選、このころ長谷川利行を識り、親交を結ぶ。

昭和2年、白日会会員に推されたが、昭和4年には「気仙沼風景」「赤松と水車小車」を二科展に出品入選、翌5年には「海」「落日」を出品した。昭和6年、独立美術展第1回展に入選、その後、毎回出品して、昭和8、10年の出品作で海南賞を受賞し、昭和11年独立美術協会会友に推薦され、同16年会員となった。

昭和37年以後、41年まで毎年、東京日本橋三越で個展を開催し、同38年にはヨーロッパに旅行した。

1968年11月24日、午後4時45分、東京駿河台・日大病院で食道ガンのため死去した。享年67歳。(経歴は以上)

上記記述中の「東磐井郡」は、サイト内文章では「東盤井郡」と誤記であったため当方で修正しました。

◎登久平と気仙沼

熊谷登久平は、1932年(昭和7年)6月に気仙沼の八日町にあった丸井呉服店で「熊谷登久平洋画展」を開催しています。丸井呉服店の建物は島田呉服店の向かい側に今も残っています。

気仙沼で描かれた絵も多くあり、今回の展覧会でも少なくとも6点の気仙沼に関係する絵が展示されるようです。

そのうちの1枚「漁撈船」(ぎょろうせん)は、以前に気仙沼図書館が所蔵し展示されていましたが、東日本大震災での被災などもあり、倉庫での保存になっていました。

しかし今夏、この絵の来歴や描かれた背景などが明らかになったことなどもあり、リアス・アーク美術館に移管されました。その後、洗浄や修復などがおこなわれ、このたびの生誕120年展にも貸し出されることになったようです。

この一連の経緯については、一部に私も関わったことなどもあり、あらためてこのブログで紹介するつもりです。

本日は、気仙沼ともご縁のある洋画家熊谷登久平の絵画展が千厩で開催されることのご紹介にとどめておきます。


◎参考情報

千厩出身の洋画家としては白石隆一を何度か紹介しています。白石隆一の生年は1904年。熊谷登久平の3年後ということになりますね。旧制一関中学校や川端画学校などでの学業も重なります。隆一にとっては親しい登久平先輩ということだったかもしれません。

2019年6月21日ブログ「千厩町の白石隆一」

 

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tag : 熊谷登久平

商議所の1号議員

本日10月5日の三陸新報に、気仙沼商工会議所の1号議員選挙の当選者が紹介されていました。


1号議員
三陸新報10月5日記事より


定数38に対し、現職32氏、新人6氏が立候補を届け出て無投票できまったとのこと。10月3日に結果が公告されました。

気中同級生は改選前と変わらず、カネシメイチ/小山修司君(3年5組)、臼眞倉庫/臼井真人君(3年2組)のふたりです。引き続いての活躍を期待しております。

商工会議所の議員の顔ぶれは、地元経済人の皆さんということでいつも興味深く拝見しています。いつもそこに感じるのは〈世代交代〉ですね。決してそのスピードが速いということではありませんが、これまでお名前をよく目にした方々に代わり、息子さんらの名がならぶようになりました。

なお、新議員による臨時議員総会は11月1日に開かれ、会頭、副会頭、専務理事、監事、常議員が選任されるとのことです。また、2号議員(定数22)は10月4〜12日にかけて開かれる6部会にて、3号議員(定数10)は10月17日に開かれる常議員会でそれぞれ選出されるそうです。

議員の任期は3年ということです。3年前の議員についてはつぎのブログでも紹介しております。気仙沼の地域経済は多くの課題をかかえています。商工会議所の皆さんへの期待も大きいものがあるでしょう。これからの3年間、どうぞよろしくお願いいたします。

2019年11月12日ブログ「商工会議所の議員」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 商工会議所

猪木さんと気仙沼

アントニオ猪木さんが10月1日に亡くなられたことは皆さんご存じのとおりです。本名: 本名は猪木寛至〈いのきかんじ)さん。79歳だったとのこと。猪木さんと気仙沼の関わりについて、10月2日の河北新報オンラインニュースが伝えてくれました。


記事では、2014年7月に気仙沼で開催された復興支援プロレスイベントの前に市内階上(はしかみ)地区を訪問したことが紹介されていました。写真には地福寺の当時のご住職片山秀光さんがうつっています。猪木さんの右側に臼福本店の臼井賢志さんも。

この慰霊塔前での写真は、猪木さんご自身が2014年7月25日のTwitterで紹介しています。河北新報の写真とは別カットのようです。


河北の配信記事では、階上の海岸近くに立つ「海の殉難者慰霊塔」と猪木さんの縁も紹介されていました。1974年の魚市場でのチャリティー興行を開催したときの収益から寄贈された150万円が慰霊塔建立に活用されたそうです。


◎2014年7月の復興イベント

2014年の復興支援プロレスイベントについて、三陸新報を調べてみましたら、同年7月20日と23日の三陸新報につぎの広告が掲載されていました。


広告
三陸新報2014年7月20・23日掲載広告


「元気祭り2014 in みやぎ」。第63回気仙沼みなとまつり協賛行事・東日本大震災復興チャリティイベントとして、7月24日に気仙沼市総合体育館で開催されました。入場無料でした。第1部がウルトラヒーローショー、第2部がIGFプロレス。IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)は2007年に猪木さんが旗揚げした団体です。猪木さんとともにうつるプロレスラーはボブサップさんと藤田和之さん。


イベントの様子は7月26日の記事で紹介されています。

元気祭り
三陸新報2014年7月26日記事の一部イメージ


記事によれば、このチャリティイベントは、被災3県の7会場で開催されたそうです。気仙沼会場ではウルトルヒーローショーに約300人、IGFプロレスに1000人が足を運んだとのこと。猪木さんは「日本が元気になるには、気仙沼の元気が必要」などと挨拶してくれたとのこと。

またイベント翌日の7月25日の三陸新報「いそ風」では、猪木さんらが「海の殉難者慰霊塔」を訪れた様子を伝えています。


いそ風
三陸新報2014年7月25日記事より


河北新報の配信記事にもあった「海の殉難者慰霊塔」建設費寄付についてはつぎのように記しています。

「猪木さんと慰霊塔は縁がある。1974年(昭和49年)、猪木さんが所属する新日本プロレスが気仙沼興行を行った際、招いた新日気仙沼同好会がその益金150万円を慰霊塔建設費として、建設委員会に寄付。レスラーの熱いファイトが慰霊塔の一部になったのだ。」(引用は以上)

この気仙沼興行は1974年のいつのことだろう。気仙沼文化史年表にも記載がないのです。しかし、ネット上の新日本プロレスの試合履歴情報のなかにありました。1974年(昭和49年)9月7日気仙沼魚市場にて。魚市場のどこにリングを設営したのでしょうか。

なお前年の1973年(昭和48年)11月11日にも気仙沼の商港岸壁前広場で新日本プロレスの試合が開催されています。

私も今回はじめて知ったのですが、猪木さんと気仙沼はこうしたご縁があったのですね。

48年前の「海の殉難者慰霊塔」建設へのご支援、そして震災後の復興支援チャリティイベント開催など、気仙沼はアントニオ猪木さんに大変お世話になりました。

その御礼を申し上げるとともに、猪木さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : アントニオ猪木

最終処分場見学会

9月29日のブログで、東急不動産さんの風力発電事業計画について、地元の皆さんの理解が得られるように丁寧な説明をおこなっていただきたいとの要望を記しました。その記事を書いていたときに思い出したことがありました。9月20日の三陸新報で、気仙沼市の一般廃棄物新最終処分場の見学会を紹介していたのです。

処分場

三陸新報9月20日記事の一部イメージ


この工事は2020年11月に着工し来年2023年3月に完成予定となっています。9月17日におこなわれた見学会には、午前と午後あわせて、周辺住民約60人が参加したとのこと。九条4区、大石倉、立沢、金成沢、羽田、水梨、前田、金取の各自治会関係者などです。

記事には大石倉自治会の髙﨑正勝会長のコメントが紹介されていました。「環境対策がしっかりとられていて、安全安心であることを確認できた」と感想を述べた上で、「完成後は桜の植樹など、最終処分場のイメージを払拭できるような取り組みもお願いしたい」と。

市や来年3月の完成時にも住民向けの見学会を予定しているとのことです。

2016年、現処分場から400m西側の大曲コミュニティセンター隣接地が新処分場の最終候補地として選定されたときには地元での反対の声もあったようです。そして、市と地元とで協議をかさねることによって整備計画が実現したのです。

新処分場の計画にあたって、大曲コミュニティセンター隣接地が最終候補地として選定されたときには地元での反対の声もあったようですが、市と地元とで協議をかさねることによって整備計画が実現しました。つぎのブログで経緯を紹介しております。

6月9日ブログ「大曲の最終処分場」

このたびの風力発電事業計画は民間企業によるものであり、市による事業とは性格が異なると思います。しかし、地元住民との十分なコミュニケーションをどのように実現していくかということについては共通する部分も多いのではないかと。そんなことを思い紹介いたしました。
 

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tag : 最終処分場

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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