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廣野家の純朗さん

9月22日の三陸新報「顔」欄に、気仙沼市文化協会の会長をつとめる廣野純朗(あつお)さんが紹介されていました。同協会による第51回「気仙沼市民文化祭」が10月2日から開催されることもあっての掲載かと。


廣野さん

三陸新報9月22日記事より


廣野純朗さんは私たちの一年先輩、気中19回生です。記事によればいま72歳。

記事を読んでアレッと思ったことがあります。純朗さんが〈南三陸町志津川上ノ山出身〉だと。なんで志津川出身なのだろう。純朗さんは、東京であれば〈江戸っ子〉ともいうべき生粋の気仙沼人ではなかったかと。

純朗さんのお父さんは気仙沼高校教諭だった広野武蔵(ぶぞう)さんです。武蔵先生は旧制気仙沼中学(現気仙沼高校)1回生で気仙沼の歴史をよく知る方。堂々たる体格でまさに大物教師の風格をもった方でした。つぎのブログでも紹介しております。

2018年8月21日ブログ「気高 廣野武蔵先生」

なお、本ブログでは「広野」と「廣野」の表記が混在しています。これまでのブログでも悩んだところですが、引用元の表示などにしたがってのこと。ご理解のうえでお読みいただければと。

◎廣野家の話

上記2018年8月ブログから廣野家の家系にまつわる部分を引用します。

〈武蔵先生の父親、つまり廣野純朗さんの祖父は広野貞助さん(3代目広野太兵衛)です。気仙沼市長もつとめた「麻屋」(現・アサヤ)社長 広野善兵衛さんのお兄様。貞助さんが長男、善兵衛さんが三男だと思います。

広野貞助さんは、当時の気仙沼を代表する経済人であると同時に、たいへんな文化人、趣味人でもありました。気仙沼市立図書館も、明治40年ごろ(気仙沼文化史年表では図書館80年史をもとに42年としています)に太兵衛氏寄贈の図書、雑誌をもとに気仙沼小学校旧校舎(市内八日町)におかれた児童図書館が発祥です。

広野貞助さんは、大正11年(1922年)に〈翠(みどり)会〉代表として記録映画「気仙沼港 実況」も制作しています。昭和52年には、この映画の写真を使って編集された『けせんぬま写真帖』が気仙沼商工会議所から発行されました。このブログでも何度か紹介しましたね。

こうした業績をふりかえると、武蔵先生にはこうした父親をもった息子としての苦労もあったのではないでしょうか。残された資料や記録類も多かったはずです。それは、先生の長男である純朗さんも同じかもしれませんね。私たちのいっこ先輩の気高21回生です〉(以下略。引用は以上)

アサヤさんの企業サイトによれば、初代太兵衛が漁具商「廣野屋」(後の麻屋/アサヤ)を創業したのは江戸時代末期の嘉永3年(1850)年のことです。

この沿革では、初代太兵衛に始まって、兄弟である貞助さんと善兵衛さんをそれぞれ3代、4代と数えているようです。貞助さんが麻屋の経営を担っていたこともあるのでしょう。したがって、その後の甚吉さん、浩さんと継いで現在の廣野一誠さんが7代目。しかし、系図的にいえば6代目世代ということになるかと。

それと同じ数え方をすると、廣野純朗さんは初代太兵衛から5代目となりますね。細かな話になってごめんなさい。廣野純朗さんが志津川出身ということへの違和感を説明しただけなのですが、ちょっと長くなりました。

なお、気仙沼文化史年表には、昭和10(1935 )年2月13日「広野太吉 陸軍中将となる」という記述があります。この広野太吉さんが、上述した廣野家のどなたかの兄弟だと思うのですがよくわかりません。広野貞助さんが長男、広野善兵衛さんが三男ということからその兄弟/二男の方かなと推測しているのですが。

もしかすると、純朗さんのお母さん、つまりは廣野武蔵先生の奥様が志津川の人で、その実家で〈出生〉したのかも。そんな出生地の話が三陸新報の記事では出身地になってしまったとか。

話を戻します。冒頭に紹介した三陸新報「顔」では、つぎの記述がありました。純朗さんは30代半ばで三味線、5年ほど前からはコーラスグループ。今年は新たに気仙沼フォークソング愛好会をたちあげたと。

また記事の終わりに、趣味はお菓子作りや郷土史研究などと。私は〈三味線〉あたりに、廣野家のなんというか家風というか、旧家の余裕というか伝統を感じました。

このあたりについてはまた回をあらためて書こうと思います。本日は廣野純朗さんの〈出身地〉に関する話のみで失礼いたします。

◎参考情報

昨年のブログで廣野一誠さんを紹介しています。一誠さんと純朗さんの写真を見比べてみて驚きました。どこか似ている。これが廣野家の「顔」なのかもしれません。

2021年1月20日ブログ 「顔」廣野一誠さん

廣野純朗さんの祖父、広野貞助さんが制作した記録映画「気仙沼港 実況」については、つぎのブログで紹介しております。

2013年4月16日ブログ「気仙沼港 実況」

「気仙沼港 実況」の動画はこちらにて。

2013年4月15日ブログ「大正11年の気仙沼」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 廣野純朗

風力発電事業計画

気仙沼市で大規模な風力発電事業が計画されているそうです。9月22日の市議会民生常任委員会の協議会で、市当局が明らかにしたとのこと。9月25日の三陸新報が伝えています。


風力発電
三陸新報9月25日記事の一部イメージ


記事によれば、この事業を計画しているのは東急不動産(株)で、最大10基の風力発電機を設置し、最大5万5000kwを出力して売電するとのこと。2028年頃の運転開始を目指しているそうです。

設置場所として想定されているのは、市民の森、手長山、黒森山、熊山(渡戸、川上、赤岩上羽田、廿一など)の約1190ha。市には土地貸し付けや固定資産税の収入が見込まれると記事にありましたから、市有地への風力発電機設置ということでしょうか。

記事には市民の森周辺には別の民間会社が2015年12月に運転を開始した4基の風力発電所があると記してありました。最大出力7480kw。何年ごろからだったか、徳仙丈山のツツジの風景写真に風力発電機の風車が写っているのを見て、いつ頃にできたものかと思っておりました。この4基だったのですね。河北新報6月17日配信記事によれば、この「気仙沼市民の森風力発電所」は地元の建設業者など3社が事業主体とのことです。

◎東急不動産の太陽光発電

2年前に東急不動産さんによる県内最大級の大規模太陽光発電所(メガソーラー)が稼働したことを覚えている方も多いことでしょう。同社と再生可能エネルギー開発のリニューアブル・ジャパンが共同出資しての事業です。本吉町の漆原(うるしばら)地区と泉沢(いずみさわ)地区で2020年10月に完成しました。つぎのブログで紹介しております。

2020年12月17日ブログ「メガソーラー完成」

このブログにも書いたのですが、山野を切りひらいての大規模な太陽光発電パネル設置については、環境破壊とも思われる事例などがあることは皆さんご承知のとおりです。しかし、気仙沼でのこの太陽光発電事業は、環境保護の活動にも熱心な東急不動産さんが関係しているとのことで〈ちょっとホッとした〉とブログに書きました。

三陸新報の記事には、気仙沼市生活環境課の「市民の理解を前提に協力したい」というコメントが紹介されていました。

関西電力が蔵王連峰で検討を進めていた風力発電事業が、景観や自然環境への悪影響を懸念する声を受けて計画を撤回したのは今年8月のことでした。

環境影響評価の実施などはこれからとのこと。東急不動産さんには、地元の皆さんの理解が得られるように丁寧な説明をおこなっていただきたいと思います。

何度も書いておりますが、気仙沼の震災復興にあたっては東急不動産さんにとても大きなご支援をいただいています。気仙沼におけるエネルギー事業の展開も、その延長上に位置づけられるのであればなによりです。

どうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 東急不動産風力発電

定置網極上まぐろ

9月20日のブログ「防潮堤工事の遅れ」のなかに、気仙沼市本吉町日門(ひかど)漁港の名がありました。そして9月21日のブログではカネダイさんが創業80周年を迎えたことを紹介しましたが、同社は日門沖で日門定置網漁業生産組合「日門網」も経営しています。

このふたつの記事が私の頭のなかで結びつき、そうだあの話を紹介しようと思いつきました。

気仙沼の定置網漁によるまぐろが、雑誌「東京カレンダー」(東カレ)に紹介されていたのです。


中條

「東京カレンダー」2022年1月号記事より


東カレの本年1月号。特集テーマは「大人だけの弩級な世界へ」です。弩級(ド級)は、元々は軍事用語。イギリス海軍の革新的戦艦「ドレッドノート」と同じタイプの戦艦を「弩級戦艦」と呼びました。これが転じて今は、並はずれたとかケタ違いのレベルのことをいいますね。こうしてわざわざ説明すると、くどいしヤボですが念のため。

なお、ドレッドノートが建造されたのは1906年とのこと。ヴィクトリア女王の息子エドワード7世の時代です。エリザベス女王の曾祖父といえばわかりやすいでしょうか。とかいってるとさらにくどいかww。

話を戻しましょう。東カレ記事の見出しは「路地裏にひっそりと佇む鮨店には豊洲で群を抜いたまぐろが流れる」です。紹介されている鮨店は、横浜の関内(かんない)「なか條」さん。

そして「なか條」の大将、中條清隆さんが仕入れるまぐろは、豊洲の仲卸「やま幸」(やまゆき)さんから。「やま幸」の山口幸隆社長はいま豊洲一のまぐろの目利きといわれています。その名は雑誌などでもよく目にします。「やま幸」のまぐろを仕入れる/仕入れさせてもらえることが一流店の証しといった感じですかね。

その山口さんは〈「中條さんには日本で一番〝美味しい〟まぐろを卸している〉とのこと。そして東カレの記事には〈この日は舞鶴と気仙沼の定置網漁に塩釜の巻き網漁と、その時期によって食べ頃を迎えたまぐろをラインナップ〉とありました。

記事の左下〈宮城・気仙沼の赤身〉の写真説明には、〈背上(「せかみ」でしょうね)の部分で一頭からわずかしかとれない“天天”と呼ばれる希少部位〉とありました。

すごいよね、どこの定置網かわかりませんが、気仙沼で漁獲された極上まぐろが、「やま幸」さんを通して名店「なか條」さんにという話です。

「東京カレンダー」に紹介される店や登場人物は、私にとってはある意味で別世界。そんななかに「気仙沼」の3文字を見つけたときのおどろきというか喜びをお伝えしたく。

東カレ1月号の記事。お蔵入りしそうな話題だったのですが、こうして紹介の機会があってよかった。極上の熟成まぐろ話ということで。

◎付録

以上の話で終了というつもりだったのですが、念のためと思って「気仙沼 東京カレンダー」で検索したところ、つぎの記事がみつかりました。

「東京カレンダー」2017年4月号のフューチャー株式会社金丸社長対談記事に気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さんが招かれていました。同年2月に配信記事となっています。

「東京カレンダー」2017年2月21日配信記事

マグロをエサにして釣りをしていたら大物がという気分です。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 東京カレンダー

オンラインで元気に

第13回「気仙沼を元気にする会」が10月8日におこなわれます。前回は2020年6月8日開催でしたから2年ぶり。前回同様にオンライン開催です。

元気にする会


◎第13回 気仙沼を元気にする会
日 時:10月8日(土)AM10:00 〜 12:20
会 場:Zoom
参加費:無料
司 会:佐藤千晶(フリーアナウンサー)
講 演:復興と今後の課題:菅原茂 気仙沼市長
    市内外の取り組み事例紹介
       株式会社カネダイ:佐藤俊輔・佐藤恭子
       シャークス:熊谷牧子

◎タイムテーブル

午前10:00〜講演
復興と今後の課題 菅原茂 気仙沼市長

午前11:20〜リレー中継
 株式会社カネダイ かに物語
   佐藤俊輔氏・佐藤恭子氏
 シャークス
   熊谷牧子氏
 気仙沼まちなかプラットフォーム
  佐藤佳奈氏

「気仙沼を元気にする会」の第1回目は2011年10月22日に「銀座ライオン」恵比寿ガーデンプレイス店でおこなわれました。つぎのブログで〈当初の定員250名を超える300名以上の参加者で大盛況〉と伝えています。

2011年10月24日ブログ「22日恵比寿報告」

年に2度おこなわれたこともあり、2019年11月の大手町での開催が11回目。2020年は新型コロナの関係でオンライン開催、2021年は開催なしで本年10月が第13回/2回目のオンライン開催となります。

多くの会で菅原市長の講演がありました。あくまでも行政側からの報告となりますが、各年の復興状況など率直な話を毎回興味深く聴くことができ、私にとってはありがたい機会となりました。

オンライン開催ということで、気仙沼でも視聴できますので、ご都合のゆるす方は是非に。ZOOMでの参加のほか、Facebook、YouTubeでも同時配信されるそうです。事後視聴できるアーカイブ配信があるかないかは不明です。

詳細内容や参加申込はこちらから。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼を元気にする会

今も「プレオープン」

気仙沼魚市場内に2019年に整備された気仙沼市水産情報等発信施設が今もプレオープンの状態だとのこと。9月13日の三陸新報が伝えています。


魚市場施設愛称
三陸新報9月13日記事の一部イメージ


記事によれば、この施設は東日本大震災の復興交付金を活用して約1億円を投じて新魚市場2階に整備されました。

市は2019年4月のプレオープン後、2020年度に愛称を決めてグランドオープンさせる計画だったそうですが、新型コロナの関係で計画の先送りを余儀なくされたとのこと。

愛称公募は2021年6月から7月にかけておこなわれ、185点の案が寄せられたそうです。市としては同年8月のみなとまつりに合わせて選定し、セレモニーを開いて発表する予定でしたが祭りが中止。そして同年11月の産業まつりも中止。

そんなことで2022年度となりました。気仙沼市水産課としては〈感染症の動向を見極めながら発表の在り方を再度検討して、慎重に判断していきたい〉と理解をもとめているそうです。

私は市の担当者というか関係者に同情しますね。今となってみればああすればよかった、こうすればよかったということがあるかもしれません。しかし、新型コロナの感染状況の変化がよめないなかで、人をあつめるセレモニーの計画をたてるのはなかなか難しい。

私がよくわからなかったのは、いまこの施設は〈プレ〉かどうかは別としてオープンしているのかどうかということ。記事のなかに〈一時閉鎖〉とあったのは一時的なことだったとは思うのですが。

気仙沼市魚市場公式サイトの「水産情報等発信施設」を見ると、なかなかに充実した内容です。パンフレットもPDFで見ることができます。

いろいろと大変でしょうが、新型コロナが少し落ちつきをみせてきた今、この魚市場の施設愛称が決まりグランドオープンできる日が早くくるようにと願っております。

なお、2020年8月にも三陸新報が「いまだプレオープン」という見出しでの記事を掲載していました。つぎのブログで紹介しております。

2020年8月25日ブログ「水産情報発信施設」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼魚市場水産情報等発信施設

連載「日日是好日」

三陸新報の新連載「気仙沼弁〈日日是好日〉」が始まったのは7月1日のことでした。7月6日のブログでも紹介しております。不定期の掲載ですが、本日9月23日で21回目となりました。

7月6日ブログ「気仙沼弁の新連載」

私は9月2日の三陸新報1面コラム「萬有流転」をうれしく読みました。「気仙沼弁〈日日是好日〉」を紹介していたのです。

萬有流転

三陸新報9月2日記事の一部イメージ


文章はつぎのように始まります。

〈7月から始まった「気仙沼弁 日日是好日」はいかがだろうか。楽しみにされている読者も多いようで、先日は「スクラップにしたい」と、掲載日を尋ねる電話をいただいた。〉

連載のテーマについて萬有流転ではつぎのように紹介しています。〈毎回、一つの気仙沼弁をテーマに、家族間のやりとりが展開され、優しいタッチのイラストでほのぼの感が増す。「そうそう」「昔はよくいった」と、懐かしく思う中高年もいることだろう〉と。

そうですよね。この連載で展開される気仙沼弁が理解できたり、懐かしく感じるのは、たしかに中高年世代でしょう。若い人にとってはなにがなにやらという感じかもしれません。

萬有流転でもつぎのように。〈3世代が時々、登場する。祖父母らの日々の一コマだが、市内では核家族化が進む。方言の〝宝庫〟の祖父母に接しないと、子供たちが気仙沼弁に触れる機会も少なくなる〉とも。

◎東北方言は日本語の歴史の宝庫

この〈宝庫〉という言葉で、1月29日に気仙沼でおこなわれた「方言サミット」を思い出しました。その基調講演で東北大学大学院 文学研究科・文学部/方言研究センターの小林隆教授が、「東北方言は日本語の歴史の宝庫である」という話をされているのです。そして、〈(万葉集や源氏物語など)古典文学の写本に国宝や重要文化財に指定されたものがあるのにならえば、東北方言の話し手のみなさんは、さしずめ人間国宝ということになるはずです〉とも。

萬有流転では、筆者などをつぎのように紹介しています。〈「日日是好日」の筆者は、市内在住で小学校教員だった加藤美貴子さん、イラストは東京都世田谷区在住で、南町出身の小田まゆみさん。2人は同年生で息もピッタリだ〉

この2人については、連載の第1回目にも記されています。そして7月6日のブログでも紹介したように、「コミマル」小田まゆみは私の妻。「鼎女」加藤美貴子さんもよく知っています。そんなことで、9月2日の萬有流転をうれしく読んだのです。

「日日是好日」をいくつか紹介させてもらいます。なにがいいかなとちょっと迷うところですが最近の〈日々の食事編〉からいくつか。


まずはアザラから。8月31日掲載。

14:20220831
刺身もうめえがら。9月1日掲載。

15:20220901
ホヤも食うすか。9月9日掲載。

17:20220909


15話の刺身話はイラストが白黒ですね。原画はすべてカラーで描いているのですが、掲載紙面の関係でモノクロとなることがあるようです。

「日日是好日」はひとつの話ではなく、シリーズとして読むことによって、また別の面白さが生まれてくるように思います。

そこから浮かび上がってくるのは懐かしい加藤家の日常なのでしょう。私にはわからない〈気仙沼弁〉も登場しますが、妻に意味を聞いたり発音してもらって楽しんでいます。本日9月23日の第21話は〈孫たちの成長編〉の1回目となります。どんな会話が展開されるのか楽しみです。

日日是好日。皆さんが楽しんでくださって、連載が長くつづくことを願っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 日々是好日気仙沼弁

魚町の「1号公園」

気仙沼市の魚町・南町土地区画整理事業が今月/9月中に終了するそうです。魚町の五十鈴神社西側「1号公園」の整備だけが残っていましたが、その完了のめどが立ったとのこと。9月14日の三陸新報が伝えてくれました。


1号公園
三陸新報9月14日記事の一部イメージ


1号公園は、遊具やトイレ、あずまやが設けら、現在は五十鈴神社につながる石段の整備が進められているとのこと。

写真を見ると、震災前とはまったく違う風景がひろがっています。この近くに住んでいた私ですが、以前にあった建物との関係がすぐには理解できないほどです。この1号公園の場所などはつぎのブログで紹介しております。

6月22日ブログ「魚町1号公園整備」

9月14日の三陸新報記事によれば、魚町・南町地区の土地区画整理事業は2014年3月に着工しました。海抜1.1〜3.8mにかさ上げして442区画あった土地を297区画に再整備しました。この地区の事業費は約135億円とのこと。

気仙沼市では4地区で土地区画整理事業がおこなわれてきました。魚町・南町(11ha)、鹿折(42ha)、南気仙沼(32.5ha)、松崎片浜(4.8ha)の4地区で合計90ヘクタールです。総事業費は約669億円になるそうです。


◎松崎片浜地区のその後

以上の9月14日の三陸新報記事を読んだときに気になったのが2021年度に土地区画整理事業が終了している松崎片浜地区のその後です。2019年4月に土地を活用する候補者に大手デベロッパーが選定され、最短で2021年度初めのオープンが見込まれていると報じられていたのですが。その三陸新報の記事をつぎのブログで紹介しております。

2019年5月8日ブログ「片浜に新商業施設」

しかし、これについての続報がなかったのです。2019年4月の事業候補者からは、テナント企業が決定しない場合には辞退するとの条件が示されているとのことでしたので、もしかすると話が整わなかったのかなとも。

しかし、私のそんな気持ちが通じたのでしょうか、9月20日の三陸新報に続報が掲載されていました。


松崎片浜

三陸新報9月20日記事の一部イメージ


この記事によれば、〈事業候補者の大手デベロッパーが、スーパーやホームセンターなどの出店を見込んでいたが、コロナ禍で企業との交渉が難航。計画から3年以上がたっても具体化していない〉とのこと。現時点でデベロッパーの辞退はないものの、テナント企業との出店交渉ははかどっていないそうです。

記事では9月19日の市議会/一般会計決算審査特別委員会での菅原茂市長の発言を紹介していました。

〈菅原市長も「商業関係では成果が出ていない。それ以外を含めて考えることもあり得る」と答弁。事業候補者による誘致交渉を継続する一方、商業施設以外の土地活用策も市として検討していく可能性を示唆した。〉

なかなか難しい状況であることが伝わってきます。事業候補者の大手デベロッパーと共にテナント誘致につとめているわけですから、その努力をやめるともいえないでしょう。あくまでも〈可能性の示唆〉。

記事には〈(松崎片浜の)区画整理区域内には市が整備した公園があるものの、それ以外の土地は雑草が生い茂っている箇所が目立つ〉とも。


「1号公園」の整備がおわれば気仙沼市の4つの土地区画整理事業はすべて終了します。しかし、これはあくまで土地区画の整理事業。土地活用のためのさまざまな努力がいまも続けられているのでしょう。

市当局はじめ、関係者の皆さま、本当にご苦労さまです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 土地区画整理1号公園松崎片浜

「カネダイ」80周年

株式会社カネダイさんが創業80周年を迎えられたとのこと。9月17日の三陸新報に全面広告が掲載されていました。


カネダイ広告
三陸新報9月17日掲載広告より


広告にも掲載されていますが、カネダイさん公式サイトの沿革に、昭和17年(1942年)4月に「近海トロール船を購入、漁業経営に着手する」とあります。昭和30年6月に株式会社佐藤商店を設立しました。

佐藤亮輔会長は挨拶文のなかで、「初代社長佐藤正二が沿岸トロール漁業を始めてから、今日でカネダイとして80年を閲(けみ)することができました」と述べています。

広告の左上写真にうつっているのが佐藤正二さんです。2018年7月31日ブログ「わが社の屋号①」で、カネダイさんの歴史について次のように紹介しました。

2018年7月31日ブログ「わが社の屋号①」

◎カネダイ

今から250年以上前に、気仙沼の回船(廻船)「春日丸」が嵐に遭い、中国・浙江省舟山(しゅうざん)市の桃花島に漂着しましたが、乗組員は現地の人たちから手厚い保護を受けて無事に気仙沼に帰ってきました。カネダイの佐藤亮輔社長は、その「春日丸」の船頭・伝兵衛の子孫にあたるそうです。江戸時代は江戸から帆船で当時の〈流行物〉を買ってきて、陸路で仙台や盛岡などに出荷したり、気仙沼で買い集めた海産物を船で江戸や上方に運ぶ回船業をおこなっていました。

屋号「カネダイ」は、1942(昭和17)年4月に、7代目で亮輔さんの父の佐藤正二さんが近海トロール船「宝生丸」を購入して漁業経営に着手し、翌年には回船問屋業を始めたことをきっかけに、呼び名として使うようになりました。1955年には佐藤商店として株式会社としましたが、1997年9月には社名をカネダイに変更しています。

なお、記事に記載はありませんが、舟山市と気仙沼は、1986年3月に気仙沼漁協の視察団が漁場開発などを目的として舟山市を訪問するなど、市民同士での交流が進められてきました。そして両市は1997年10月に有効都市協定を締結しました。私の記憶では、震災前のエースポート2階のスペースには両市交流の歴史などを解説したパネルが展示されていたと思います。(ブログ記事引用は以上)

カネダイさんの現在の社長は、佐藤亮輔さんの息子さんである俊輔さんです。9代目ということになるのでしょう。昨年2021年9月に社長に就任しました。2016年の目黒のさんま祭会場にて、大声で〈気仙沼ホヤ醤油〉のPRにつとめていた俊輔さんに声をかけ挨拶したことがあります。気中46回生ですのでいま44歳か45歳でしょう。

佐藤俊輔社長は広告の挨拶で、「困難の荒波がひっきりなしに打ち寄せるがごとき昨今ですが、カネダイは、震災から立ち上がりより強く生まれ変わった気仙沼から、世界に挑戦して参ります」と記しています。世界市場での事業展開にも果敢に挑戦していこうという、その意気やよし。

ますますの社業発展を願っております。創業80周年、おめでとうございます。
 

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tag : カネダイ佐藤亮輔佐藤俊輔

防潮堤工事の遅れ

宮城県が国の復興予算を使って気仙沼市内で進めてきた13か所の防潮堤工事のうち、8か所が予算の期限となる今年度中に工事を完了できない見通しであることがわかったそうです。

防潮堤
三陸新報9月15日記事の一部イメージ


記事によればその8か所は、鮪立(しびたち)漁港(海抜8.1m)、梶ヶ浦(7.2m)、小々汐(こごしお)(7.2m)、大浦・浪板(7.2m)、港町・魚市場前(5m)、松岩漁港(7.2m)、波路上(はじかみ)漁港(7.2m)、日門(ひかど)漁港(9.8m)です。( )内は防潮堤の高さ。

三陸新報の記事では、この工事遅れの主な要因を、入札不調や新型コロナの影響による資材不足としています。

TBC東北放送の「みやぎNSスタ」でもこの問題をとりあげていました。9月13日の動画配信内容によれば、防潮堤8か所の年度内の工事完了できない見通しであることを伝えたあと、野口剛記者による日門漁港からのレポートが紹介されました。

〈このうち日門漁港では、高さ9.8mの防潮堤が整備される計画で、事業費は27億6000万円です。地元住民との合意形成に時間がかかったことに加え、新型コロナの影響で工事が思うように進まず、今年度中の完成が難しくなりました。国の復興予算は今年度が期限となっているため、来年度以降は、通常の公共事業として工事を進めることになります〉

◎地元住民との合意形成

TBCレポートのなかの〈地元住民との合意形成に時間がかかった〉というのは大事な情報ですね。この後に、気仙沼市議会議員で〈防潮堤の問題に詳しい〉今川悟さんが取材にこたえて次のように話しています。日門漁港のことを念頭においた発言であると思います。ニュアンスのことなどもあるので、テロップではなく音声から発言を起こしました。

〈丁寧に合意形成をして住民の意見を聞いて反映させようとした結果遅れてしまったということなので、一概に行政を責められない気もしますね。
防潮堤に穴があいてそこだけ津波が入ってくるよっていう場所は絶対につくれないと思いますので、丁寧に説明をしてですね、今度はいよいよ地元の負担というものが生まれますから、最後は丁寧に説明しながら進めてほしいと思います〉

三陸新報の記事では、日門漁港防潮堤についてつぎのように記しています。

〈最も工事開始が遅かった日門は、約300mの堤体のうち、70mほどしかできておらず、来年度以降も多くの工事が残る。廃止したJR気仙沼線の線路を撤去して堤体を造る工事に加え、国道のかさ上げもしなければならず、完了時期の見通しは示せない状況だ。〉

日門の防潮堤については書いたことがあるなと思い調べてみるとつぎのブログでした。

2017年3月8日ブログ「日門漁港の防潮堤」

このブログのなかで、2017年2月26日の三陸新報「ニュースを追って」のリード文を紹介していました。

〈県が気仙沼市本吉町の日門漁港に計画している、海抜9.8mの高さの防潮堤に、住民が反発している。昨年末に示された計画は、国道から見える海や港の景色をさえぎるものだった。生命と財産を守ろうと理解を求める県に対し、「到底受け入れられない」と待ったをかける住民。両者の考えに隔たりが大きく、議論の長期が予想される。〉(引用は以上)

当時予想された議論の長期化。それゆえの工事着工の遅れであればそれもしかたなし。残るは予算の問題ということでしょうか。

三陸新報はつぎのように書いています。〈いずれも来年度以降に繰り越された場合、復旧・復興事業ではなくなるため、国の補助を使いながら県の通常事業として実施していくことから県の大きな財政負担が心配される。県は国と調整を重ねているが、どの程度の予算を確保できるかはまだ分からないという〉。

まだまだいろいろとあるようですが、関係者の皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 防潮堤日門漁港

コロナ関連補助金

9月15日の三陸新報1面記事をみて驚いた人も多いのではないでしょうか。県が進める防潮堤8か所の工事が年度内にはおわらないというニュースの左にこんな記事がありました。


コロナ補助金
三陸新報9月15日記事の一部イメージ


気仙沼市立病院の昨年度決算で7億6000万円の純利益が計上され、市立病院になって初の黒字になったというのです。9月14日に開催された気仙沼市議会9月定例会/企業会計決算審査特別委員会で報告され、決算は認定されました。

委員会質疑で病院事業局は、新型コロナの専用病床を確保したことに伴う国からの補助金として、昨年度は14億2000万円の交付があったことを説明したそうです。

7.6億−14.1億=−6.5億円。単純計算してはいけないのでしょうが、新型コロナの補助金がなければやはりマイナス/赤字ですね。

専用病床の確保に対する巨大な補助金については、これまでもたびたびメディアで伝えられています。どちらかといえば批判的な論調が多いような。

これが適正なものなのか、そうではないのか。どうすればよいのか、よかったのか。私には正直わかりませんが、新型コロナウイルスのおかげで気仙沼市立病院の2021年決算が初の黒字になったというニュースをとまどいながら読んだということをお伝えしておきます。

これはグッドニュースなのか。それともバッドニュースなのか。どなたかご存じの方がいればお教えいただければ幸いです。
 

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「オガトレ」尾形さん

「オガトレ」でおなじみの尾形竜之介さんの3冊目となる著書が発刊されたそうです。9月6日には気仙沼市菅原市長を訪れて、同書40冊を寄贈してくださいました。同日の菅原市長のツイートを紹介します。


市長投稿にもあるように、尾形さんはストレッチ系YouTuber「オガトレ」として知られ、現在のチャンネル登録者数は114万人に達します。総再生回数1億6000万回超。同チャンネルの説明文はつぎのとおりです。

〈体が硬くて困っている人をこの世から無くしたい! 国内最大のストレッチチャンネル。 自己紹介▽ 宮城県気仙沼市出身。理学療法士(Physical Therapist)として、病院勤務やトレーナー活動を経て、YouTuberに。 現在はYouTubeとしてストレッチを発信する傍ら、経営者としてさまざまな企業とタッグを組み、ストレッチの更なる可能性を追求。ストレッチを楽しくわかりやすく伝えるため、YouTubeで動画を日々配信中。〉

オガトレさんについては、これまでも多くのメディアで紹介されていますが、記事を見るたびにチャンネル登録者数が増えていて驚かされます。

たとえば、朝日新聞デジタル2021年8月5日配信記事では〈登録者数は80万人〉です。

朝日新聞2021年8月5日配信記事

私はこの朝日新聞記事で尾形さんのことをより深く理解することができました。たとえば〈地元で活動を続けるのは、10年前のあの日、故郷にいなかったという後悔があるからだ〉というところなど。これは〈モネの心情〉に通ずるところがありますね。

尾形さんは気仙沼出身で現在は気仙沼に在住しています。記事によれば、東日本大震災で〈市内の鹿折(ししおり)地区にあった自宅は1階天井直下まで津波に襲われ、部屋の中にマグロが流れ着いていた〉そうです。

仙台の専門学校卒業後は仙台での病院勤務を考えていた尾形さんですが、気仙沼に戻ります。〈あの日、何もできなかったという負い目があった。街は少しずつ復興に向かっている。「俺は何もしなくていいのか?」。自問自答の末、気仙沼市立病院を選んだ。スポーツ外来などでリハビリを手がけた〉。

市立病院には6年勤めた後に福祉施設に移り、2020年春にはユーチューバーとして独立します。コロナ禍を背景にして家でできる運動として注目を集め、チャンネル登録者数は月10万人単位で増えていったそうです。

朝日新聞気仙沼支局の星乃勇介さんによる配信記事の末尾では尾形さんの考えをはつぎのように紹介しています。

〈震災10年、そしてコロナ禍。前向きになれない人でも、体が柔らかくなれば、心も和らぐはずだ。少し、幸せになれるかも。そのきっかけを届けたい。そして、気仙沼は若者が夢を実現できる街だと証明したい。〉

尾形さんはたぶん鹿折中学卒業。気仙沼高校では柔道部。鹿折中そして気仙沼高校柔道部ということでの先輩には、極真空手の王者を経て総合格闘技の先駆者として活躍した東孝さんがいましたね。東さんも大きな夢をもちその実現に努力されましたが2021年4月3日に惜しくも死去されました。

話を戻します。

尾形さん、どうぞますますのご活躍を。そして、気仙沼は若者が夢を実現できる街であるとの理解がさらに広がりますように。

YouTube「オガトレ」


 

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ブルース歌碑 投稿

昨日9月14日ブログ「常山俊明さんの話」につづいて、本日も「港町ブルース歌碑」についてです。9月8日の三陸新報に「オブジェで守られた歌碑」と題する投稿が掲載されました。8月6日に除幕式がおこなわれた、港町ブルース歌碑再建についてのご意見が述べられた投稿です。


投稿9:8

三陸新報9月8日掲載投稿より


はじめに記しておくと、この投稿末尾には「最後に、碑の再建に携わった方々のご努力に対し、ここに謹んで感謝の意を表したいと思います」と記されています。全体としては港町ブルース歌碑の再建を肯定的に評価しているということなのでしょう。そんなこともあり、誤解をさけるために全体が読める画像引用とさせていただきました。

しかし、この投稿を読んだ私はちょっと気になるところがありました。

投稿者は、〈制作の経緯を知る者〉とのことなのですが、オブジェの作者である常山俊明さんの心情を推測してつぎのように記しています。〈移転再建にあたっては作者へ助言を求めたとは思いますが、再建除幕式に出席した作者の表情は、心なしか、どこか寂しげにも見受けられてなりませんでした〉。

私は昨日9月15日のブログで、ラヂオ気仙沼の番組でこの港町ブルース歌碑について語った常山俊明さんの話を紹介しました。

そのなかで常山さんは、「残ったものを使って、みな本当に努力してくれて再建されたなと思う。私も除幕式のときには感激しました」と語っています。私は放送を聞いていて、元のオブジェ作者として本当に感謝しているように感じました。

投稿者は、元のオブジェを〈芸術作品〉として高く評価するあまり、今回の再建のあり方に疑問を呈しすぎているのではないかと。

〈現状のようにコラージュしては、もはやそれは常山さんの作品とは言えないのではないでしょうか〉とも書かれています。その通りでしょう。誰も再建歌碑を常山さんの作品とは言わないでしょう。本人さえも。震災前のオブジェが常山さんの作品であるとすれば、それは東日本大震災によって失われたのです。

投稿者は、被災したオブジェを「奇跡の一本松」のように保存すべきだったと考えているようです。〈(歌碑のオブジェは)津波と言う想定外の大きな自然の力で変形してしまいましたが、それもまた偶然がもたらした貴重なアートではないでしょうか〉とも。

そして、歌碑再建の費用480万円について、〈幾分高上がりにも感じられましたが〉と。

◎2021年2月/私の意見

港町ブルース歌碑の再建についての常山さんの話や今回の三陸新報投稿について、ちょっとしつこく記していることには理由があるのです。

2021年2月13日の三陸新報に歌碑の再建計画があるとの記事が掲載されました。つぎのブログで紹介しています。

2021年2月16日ブログ「ブルース歌碑再建」

その記事のなかに、再建にあたっては台座の上に歌碑を鎮座させる予定で、いかりやスクリューなどは設置しない方向と書かれていたのです。これに対して私はつぎのように書きました。

〈ありゃま。それでいいのかなあ。せっかくスクリューやいかりが残っているのだからそれを活かしての再建という考えもあるのではないかと。ステンレス製であれば磨けばいいし、記事にもある「内湾地区復活のシンボル」としての意味も明確になるのではないでしょうか。正直にいって、〈台座の上に歌碑を鎮座〉させるだけではちょっとつまらない。
(中略)
この再建にあたって、常山さんに相談しているのでしょうか。私は、この歌碑が常山さんの〈作品〉だからスクリューなども活かすべきだと言っているのではありません。それらを活かしてこその〈再建〉だろうし、残ったものを作家自身が再構成してもよいでしょう〉

この時点では、オブジェの再利用はなく、石材による歌碑部分のみでの再建と報じられていたのです。そんなこともあったため、今回の再建が部分的とはいえどもスクリューなどのシンボリックなパーツが活用されたことをうれしく思ったのでした。

そうした私の思いと9月8日の三陸新報投稿には結構な距離がありました。それゆえの本日のブログです。

この投稿が吉田さんの善意の投稿であったことは十分に承知しています。冒頭に文章末尾を記したのもそれを意識してのこと。

この投稿を読んだ常山俊明さんがどう思ったか。ありがたいと思いつつ、ちょっと困ったのではないかなと私は想像しています。

9月14日ブログ「常山俊明さんの話」
 

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tag : 常山俊明港町ブルース歌碑

常山俊明さんの話

東日本大震災で被災した「港町ブルース」の歌碑が港町岸壁の遊歩道の一角に復活したことは8月12日のブログで紹介しました。

8月12日ブログ「港町ブルースの碑」

震災前まで南町のエースポート脇、港ふれあい公園にあった歌碑のデザインを担当したのは常山俊明さんです。常山さんは、家業〈ヤマヨ常山商店〉を営みながら美術家としても活動しています。参考まで付け加えると、俊明さんのお姉さんが気中同級生の光子さん(3年1組)です。

その常山俊明さんが、8月5日(金)のラヂオ気仙沼「夕焼けぎょっと倶楽部」に電話出演し、金曜日担当一色法人さんのインタビューにこたえていました。以前の「港町ブルース歌碑」のデザイン意図が語られるのは珍しいことと思い、録音しながらネット/ListenRadioで聴取。興味深い内容なので、その内容を紹介します。

なお、森進一さんをお迎えして港町ブルース歌碑の除幕式がおこなわれたのは、平成12(2000)年10月9日のことです。

被災前の歌碑がどのようなものだった画像を探したところ、ステンレスなどの加工をおこなっているカネショウ工業さんのサイトに写真が掲載されていましたので拝借します。同社の参考工事履歴にも、港町ブルース歌碑モニュメント製作が記されていました。

モニュメント


前置きが長くなりましたが、常山さんの話はつぎのようなことでした。

◎常山さんへの依頼経緯

歌碑建立の話は、三陸道建設促進の委員会のようなものがあって、そこと市の観光課などが考えたものだったようです。森進一さんの「港町ブルース」に気仙沼が出てくるし、25周年のコンサートとタイアップして、港町ブルースのなかで気仙沼が象徴的な位置づけになっていることをあらわすためにモニュメントを制作しましょうということになったと。

この「25周年のコンサート」というのがよくわからなかったのですが、これは、気仙沼での「森進一歌手生活35周年記念コンサート」のことですね。25周年ではなく35周年。本年8月3日付けの気仙沼市記者発表資料のなかにありました。三陸縦貫道建設促進・観光振興 森進一歌手生活35周年記念コンサート実行委員会。


その委員長をつとめていた臼福本店の臼井賢志さんが、歌碑のデザインを〈美術をやっている常山へ〉と声をかけてくれたのです。

制作期間は短かったと。使う材料もある程度きまっており、石材屋さんや鉄工屋さんからスクリューとかを組み合わせてという提案があったそうです。

常山さんは、1週間か2週間でモニュメントのデザインモデルを4種類ぐらいつくって、委員会などで選んでもらいました。選ばれた案について、設計担当の方に図面を作成してもらったと。そして、組み立て材料の残りの部分を使ってカモメのデザインを加えたり、石材屋さんが提供してくれた丸い石などを組み合わせてあの初代のモニュメントができあがりました。

提案した4つのデザイン案は、東日本大震災の津波で流れてしまったそうです。スケッチなどのデザイン資料ということでしょう。

◎デザインの意図

デザインするにあたっては、光の反映などをいろいろ考えたそうです。朝日がさす場所とか光線の反射がきれいなる感じなど。「タテ光線のウェーブというか、タテに光がはねるようにというか。朝日がのぼる、その光に対して対面となるようにとか。光線がきれいにはねるような感じがいいな」と。

話をいただいたときに、あまり類型的なモデルではないところで考えてみたいと思った。

使う材料は決まっていますし、加工する時間もあまりないと思ったので、あまり類型的なデザインにはしなくないと考えたそうです。造船屋さんの鋼材を曲げる技術なども生かしました。「鋼板を湾曲させてのウェーブはスペシャルな気仙沼の技術。それをかなり生かして波形に4枚をタテに重ねていってウェーブが出るような感じに。そのなかに石材の歌碑が入るかたち」。

モニュメントとしての重厚感だけになってもちょっと違うかなと思っていたそうです。その結果、案のなかでも一番「風を受けるようないい形にできあがったのではないかと思いました」とのこと。

◎東日本大震災で被災

そして、東日本大震災の津波で歌碑は被災しました。今回の歌碑再建の話がいつ常山さんにあったのかはよくわかりません。

常山さんは「まわりは使えないと聞いたので、いたしかたないなと思った」そうです。これは、歌碑再建の話を聞いたときの常山さんの気持ちでしょう。「まわり」というのは、歌碑が刻まれた石材周辺の金属モニュメントのことだとおもいます。しかし「残ったものを使って、みな本当に努力してくれて再建されたなと思う。私も除幕式のときには感激しました」と語っています。

復活歌碑の除幕式は8月6日におこなわれました。8月9日の三陸新報記事写真を見ると、歌碑の右に菅原市長、左に常山さんです。そのまた左が臼井賢志さんですから、作者としての常山さんを来賓として遇していることがわかります。関係者の皆さんの努力を知っている常山さんの〈感激〉もよくわかります。

三陸写真

三陸新報8月9日記事掲載写真


常山さんは最後につぎのように話していました。文章として整理せずに紹介します。

〈入船や出船のときに、カモメとかウミネコとかが追いかけてきますよね。あのイメージは昔から今も同じようにあります。昔は、流れる音楽が今以上で、演歌とかね。都はるみさんとか森進一さんとか西郷輝彦さんとか。当時はやっていた歌謡曲をがんがん流しながら出船したりしていたので。ああいうイメージはすごく、歌碑から流れる音楽、港町ブルースというのは、昔の200海里前の一杯漁船があってにぎわった気仙沼のイメージを彷彿とさせるものなので、モニュメントが再建されて本当によかったと思っています。〉

「200海里」については少し説明が必要かもしれません。「100海里水域制限」のことです。各国の岸から200海里(約370km)が排他的経済水域となり、外国の船は勝手に漁ができなくなりました。国によって異なりますが、日本では1977年(昭和52)年に「漁業水域に関する暫定措置法」が施行されています。隆盛をきわめていた気仙沼の遠洋漁業もこの前後から影響を受け、廃業や倒産する漁業会社も増えていきました。

一色さんと常山さんは〈仲良し〉とのこと。常山さんから聞いていた話を埋もれたままにしておくのはもったいないと思い今回の放送に至ったのでしょう。常山さんは〈何十年もたって、このことを話すのははじめてのこと〉と語っていました。

ラヂオ気仙沼8月5日放送での常山俊明さんの話は以上です。

ちゃっと長いかなと思いつつも詳しく紹介したことにはちょっと理由があるのです。9月8日の三陸新報に「オブジェに護られた歌碑」という投稿が掲載されたのですが、本日紹介した常山さんの話とはちょっとニュアンスの違うことが書かれていました。これについては回をあらためて記そうと思います。

常山さん、そして一色さん、ラヂオ気仙沼での港町ブルース歌碑に関する貴重なお話、ありがとうございました。

2019年3月18日ブログ「ヤマヨの俊明さん」

 

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小林監督と唐桑町

8月20日にお亡くなりになった映画監督小林政広さんと気仙沼のご縁については9月9日ブログで詳しくお伝えしました。

本日紹介するのは小林監督の2014年12月28日のツイートです。


〈唐桑の風景は、いつも変わらない。この8年、ほとんど、〉。小林監督は〈この8年〉と書いていますね。2014−8=2006。

「シネマトゥデイ」2012年3月16日配信記事によれば、2006年に唐桑の家で初めて書いた脚本が『ギリギリの女たち』だったとのこと。

「シネマトゥデイ」2012年3月16日配信記事

小林さんは、自身の監督作品『気仙沼伝説』をきっかけとして、唐桑町の民家を〈終の住処〉(ついのすみか)として購入しました。それも2006年のことと考えてよさそうです。

「シネマトゥデイ」の記事にはつぎのような記述がありました。〈小林監督は前作の仲代達矢主演『春との旅』でも一部、唐桑で撮影を行ったが、あえて同じ場所でロケを行うなど町の変貌ぶりを映像で残している。〉

話を2014年12月28日のツイート投稿写真に戻しましょう。唐桑の〈自宅〉からの風景でしょうね。手前は小林監督宅の影だと思います。順光でのぞむ唐桑の風景。遠くに山が見えます。どこからなのでしょう。

小林監督の写真は今から8年前の唐桑の風景です。いまもほとんど変わらないのかどうか。

撮影者が亡くなったことを知って見ると、この風景写真になにかまた別の感慨をおぼえます。

9月9日ブログ「追悼 小林政広監督」

 

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tag : 小林政広唐桑

「日本一」に黄信号

9月9日の河北新報オンラインニュースの見出しを見てちょっと驚きました。〈気仙沼カツオ「日本一」に黄信号〉。


記事によれば、生鮮カツオの水揚げ25年連続日本一を誇る気仙沼港の8月末までのカツオ水揚げ量は、昨年同期の3割弱にとどまっているとのこと。現時点でライバル千葉県・勝浦港に先行され、漁場の動向次第では日本一を達成できない恐れも出てきたといいます。

例年5月までに行われる気仙沼港への初水揚げは今年、8年ぶりに6月にずれ込みました。〈序盤は「戻りガツオのような脂の乗り」(仲買人)と質も上々だったが、6月下旬から再び低迷〉したと。

同じ日の三陸新報も同じくカツオ水揚げのニュースが1面トップでした。


9:9カツオ
三陸新報9月9日記事の一部イメージ


三陸新報の見出しは河北とはちょっと違って、首位の勝浦港との今季水揚げ累計が900トン差であることを強調。〈連続日本一へ漁回復期待〉と希望を感じさせるものになっています。

カツオの水揚げが少ないのは気仙沼だけの話ではないのですね。記事によると、8月末現在の国内生鮮カツオ水揚げ数量は2万5397トンで、昨年同期の6万5540トンにくらべて半数以下に減っているといいます。

気仙沼港の生鮮カツオ水揚げ量は25年連続で日本一となっています。なんか毎年のことで、例年の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」でも、それがはたして五大ニュースのひとつだろうかと感じるほど慣れっこになっていましたが、各年の日本一達成も関係者の皆さまの懸命な努力があってのことですね。

そういえば2021年の五大ニュースはどうだったかなと思って調べてみたら3位でした。1位は「おかえりモネ」の放送。2位は新型コロナ感染拡大です。詳しくは下記のブログで。

なお、2021年の気仙沼港生鮮カツオ水揚げ量は3万4947トンで、2010年以来の3万トン超えとなる豊漁でした。

サンマの不漁にしてもカツオの不漁にしても、なにか当たり前と思っていたことが、当たり前ではなくなることがあるのだなあと実感しています。

漁場北上への期待を込めて、カツオさんにお願いを。連続26年日本一に向けて、そろそろ気仙沼のほうに来てけんねべが。どうぞよろしく。

2月3日ブログ「五大ニュース2021」

 

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追悼 小林政広監督

映画監督の小林政広さんが亡くなったとの報道が9月7日にありました。死去 Yahooニュース転載の読売新聞オンラインによれば、8月20日、横行結腸がんで死去したとのこと。68歳だったそうです。


小林政広監督と気仙沼のご縁については、この気中20ブログでも何度か紹介してきました。本日は、それらの記事を抜粋して紹介します。一部月日に(西暦)を追記しております。


1:2012年7月26日ブログ 「ギリギリの女たち」より


昨年(2011年)8月に気仙沼の唐桑で撮影された小林政広監督の映画『ギリギリの女たち』が、(2012年)7月28日から東京・渋谷「ユーロスペース」で公開されます。毎日21:00からのレイトショー1回のみの上映です。

公式サイトでは作品をつぎのように紹介しています。

〈 『愛の予感』『春との旅』など、国際的な評価の高い小林政広監督の最新作は、冒頭の35分間をワンカット、全編をわずか28カットという、実験的かつ大胆な手法で構成された意欲作。昨年3月11日に起きた東日本大震災の被災地となった気仙沼市唐桑町に居宅を持つ小林監督が、被災地の復興を願い、2006年に書かれた脚本を再構成し、昨年8月に唐桑町で撮影した。長女に『愛の予感』に主演した渡辺真起子、次女に河瀬直美監督『火垂』などで評価が高い中村優子、三女に山口智監督『代行のススメ』など主演作が多い藤真美穂。瓦礫の山を目の当たりにしながら、女優3名が極限状態の中で土壇場を演じる 〉

小林監督は、映画の撮影で訪れた唐桑の地を大変気に入り、居宅(私の理解では別荘というか別宅的な家)を持ったといいます。現在は「みなと気仙沼大使」(全70名)もつとめるなど、気仙沼と縁の深い映画監督です。

2006年に〈気仙沼映画祭〉という催しがありました。たしか、市民会館の玄関前にレッドカーペットがしかれ、人力車にのってあらわれた小林政広監督の写真が三陸新報に紹介されていました。映画祭の企画も、小林監督と気仙沼の縁によって生まれたものだったかもしれません。

この映画祭で公開されたのが、小林監督の『気仙沼伝説(仮題)』という作品。鈴木京香、杉本哲太、岸辺一徳、香川照之さんらが出演しています。この作品は、気仙沼を中心に、慶長遣欧使節船「サンファン・バウティスタ」にまつわる伝説の宝物を探す女性(鈴木京香)の活躍と、ちょっと訳ありの中年男女の恋物語をユーモアとサスペンスで描いた作品とのことです。ただその後一般公開されておらず、いわば幻の作品となっています。

そして2010年に公開されたのが『春との旅』。仲代達也さん演ずる元漁師の老人が、孫娘の春(徳永えり)と親類を訪ね歩くロードムービーです。もちろんそのなかに気仙沼も出てきます。エースポート前の丸枡(まるます)食堂でもロケが行われました。

私もこの映画を見ましたが、どうしても気仙沼の知っている風景を追ってしまうのです。そして気仙沼以外のロケ部分はどうしても物足りなく感じたりなんかして。観光映画じゃないことはわかっているんですけどね。


2:2020年9月15日ブログ 京香「気仙沼伝説」より

(前略)

京香さんが宮城県仙台市出身であることは皆さんご存じのとおりですが、気仙沼とのご縁もありました。小林政広監督の映画『気仙沼伝説』で主演しているのです。

この『気仙沼伝説』は、東北の全県で一本ずつ映画を制作しようという「ええじゃないか、ニッポン!」シリーズの宮城編として企画、制作されました。そして、2006年の「気仙沼映画祭」で上映されたものの、残念ながら一般公開に至っておりません。

この映画のストーリーですが、鈴木京香さんが地元の考古学ファン、杉本哲太さんが幼馴染の考古学者を演じ、隠れキリシタンの残した財宝を巡るラブコメディとのことです。おふたりのほか、小林監督が〈豪華キャスト〉と語る、倍賞美津子、國村隼、岸部一徳、香川照之といった皆さんのお名前がならんでいます。

なお、この映画のタイトルバック曲は、水越けいこさんが歌う「海潮音」(みしおね)です。

◎2012年/大阪での上映

2012年3月3日の大阪のシネ・ヌーヴォの東北映画特集で、本作が上映されたときにおこなわれた小林監督のミニトーク内容がネットにありました。

パラパラ映画手帖No898 『気仙沼伝説』

これによれば、〈2005年9月末から撮影に入り、約1か月半かけて気仙沼、仙台でロケ撮影、2006年に完成。春の気仙沼映画祭で、監督の全作品特集上映が実現し、市民会館で3回ほど上映後、資金問題からずっとお蔵入りしていた〉とのこと。

また、〈この作品で初めて気仙沼を訪れた監督は、ちょうど戻り鰹や秋刀魚の季節で、すっかり土地の魅力にはまり、翌年、気仙沼市内の唐桑に古い家を買って、そこを拠点に『ワカラナイ』(2009)『春との旅』(2010)をつくった〉とも。

◎2017年/小林監督の言葉

小林監督はご自身の会社「モンキータウンプロダクション」サイト中の2017年2月26日付けの記事〈『気仙沼伝説』について〉で、この作品について語っています。

小林監督 『気仙沼伝説』について

この中に次の言葉がありました。

(いろいろな経緯を経て) 〈こうして、ボクは『気仙沼伝説』を監督しました。予算の縛りがあるものの、撮影は順調に進みました。気仙沼の人たちの全面協力があったからです。〉そして〈この映画には、東日本震災前の気仙沼が、あますことなく活写されています〉とも。

私が驚いたのは、小林監督が、〈本作のフィルムのありかもわからない〉と書いていたことです。その言葉を引用しておきます。

〈今現在、フイルムの在り処も判らないことに強い憤りを感じています。何せ、スタッフのほとんどは、この映画を観てないのですから!スタッフだけに限らず、キャストも同様です。〉

キャスト(出演者)も同様に見ていないということは、鈴木京香さんも完成した「気仙沼伝説」を見ていないのでしょう。

◎2017年/仙台での上映

しかし、このフィルムのありかについては心配無用だったようです。小林監督が上記の文を記した9か月後、2017年11月に、仙台市の仙台桜井薬局セントラルホールでの「カナザワ映画祭」で「気仙沼伝説」が上映されました。同時に小林政広監督のトークショーもおこなわれています。

2006年の気仙沼映画祭で上映されたとはいえ、15年前の鈴木京香さんの姿とともに、「気仙沼伝説」にうつる震災前の気仙沼を今また見てみたい思う気仙沼の人も多いことでしょう。しかしフィルムがあっても、著作権や上映権など、商業映画には様々な権利が関係します。それだけに、そう簡単なことではないと思います。

しかし2017年には仙台での上映も実現していることですし、鈴木京香さんがモネのお母さんを演ずることをきっかけに、なんとか再度の気仙沼での上映を実現できるといいですね。


3:2021年4月12日ブログ「気仙沼伝説上映会」より


(2021年)4月17日(土)と18日(日)に、気仙沼市唐桑町の旧小原木(こはらぎ)中学校グラウンドで、ドライブインシアターが開催されるそうです。4月6日の三陸新報が伝えていました。
(中略)
私が注目したのは鈴木京香さん主演の「気仙沼伝説」です。この小林政広監督の作品は、2006年の「気仙沼映画祭」で上映されたものの、一般公開はされていません。小林監督は、この作品の制作で初めて気仙沼を訪れてその魅力にはまり、翌年には市内唐桑の古い家を購入、そこを拠点に『ワカラナイ』(2009)や『春との旅』(2010)をつくったそうです。
(中略)
どのような経緯で今回の上映企画が実現したのかわかりませんが、小林政広監督の縁(ゆかり)ある唐桑での上映は、ある意味での〈里帰り上映会〉かもしれません。(中略)伝説的映画「気仙沼伝説」を体験できるまたとない機会かと。是非お楽しみください。

引用内容は以上です。

3本目のブログで紹介した元小原木小学校でのドライブインシアターについて、小林政広さんのツイートに「気仙沼では2006年以来、15年ぶりの上映となりますね」と当方ブログとあわせてツイートしたところ、つぎの返信をいただきました。昨年4月17日のこと。


小林監督は68歳でした。まだまだお若いのにというのが率直な思いです。

気仙沼がいろいろとお世話になりました。ありがとうございます。小林政広さんのご冥福をお祈りいたします。
 

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tag : 小林政広

秋のつばきマラソン

気仙沼大島での「つばきマラソン」が11月6日(日)に開催されます。正式名称は、第39回「河北新報気仙沼つばきマラソン」。

つばきマラソンは、4月の開催を当初予定していましたが、新型コロナの感染状況を考慮して今秋11月6日に延期して開催されることになりました。2020年と21年はコロナ対応で中止となりましたから3年ぶりの開催となります。

以前にも2年連続して開催されなかったことがあります。東日本大震災のために2011年と2012年はおこなわれず2013年に復活したのです。

前回大会となる2019年のつばきマラソンは3月31日におこなわれました。ハーフの部では一週間後の4月7日に開通予定の気仙沼大島大橋をわたっての鶴ケ浦に折り返し地点が設定された、まさに特別コースだったのです。2019年のコースを紹介します。


コース
前回2019年 つばきマラソンコース


今回は気仙沼大島大橋開通後初の開催で、会場までのアクセスは旅客船とシャトルバス。大会PR動画でも両方のアクセスイメージを紹介していました。




船も橋もどっちもいいね。今回のマラソンコースを以下に。



今回2022年つばきマラソンコース


詳細は大会サイトをご覧いただきますが、当初は8月31日までとされていたエントリー期間が延長されて9月1日までとなっています。どうぞよろしく。

第39回気仙沼つばきマラソン公式サイト

 

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tag : 気仙沼つばきマラソン

みらいの梶原さん

9月5日、kaku_qさんがつぎのようにツイートしていました。



「kaku_q」さんは、プロフィールにあるように気仙沼市唐桑町の鮪立(しびたち)生まれ。今年、勤めていた東京の会社を定年退職して鮪立の実家に戻られた方です。

そのkaku_qさんが紹介しているのは、気仙沼「みらい造船」の就活生向け会社見学ツアーのガイド役のこと。もしかすると彼女のことかなと思い、同社サイトを見てみるとやはりそうでした。

梶原 美羽(かじわら みう):
静岡県出身。2019年 日本大学国際関係学部を卒業後、みらい造船に入社(入社4年目)。大学在学中に気仙沼に惚れて移住を決意。造船業のことは全く知らなかったが、思わぬ出会いで入社が決まった。産休・育休を経て、現在はみらい造船の魅力をPRする広報を担当している。

◎2021年版「気仙沼漁師カレンダー」

梶原さんがうつっている写真をこのブログで紹介したことがあります。なんとそれは、幡野広志さんが2021年版「気仙沼漁師カレンダー」のために撮影した写真なのです。

このブログの中から、梶原さんに関する部分を再掲します。

2020年11月20日ブログ「気仙沼みらい造船」では、同年7月に渋谷パルコ「ほぼ日曜日」で開催された写真展「幡野広志、気仙沼を撮る。」を見た印象を記しています。そしてこのブログでは、梶原さんがうつる写真をつぎのように紹介しています。

◎2020年11月20日ブログ「気仙沼みらい造船」より

この写真展会場は撮影が許可されていたので、気に入った作品を何枚か写真におさめました。本日紹介するのは、そのうちの一枚です。


みらい造船


幡野さんがこの写真に添えたメモは、〈造船所〉というタイトルで〈 Iターンで気仙沼に移住した女性〉という言葉ではじまっています。撮影場所は、「みらい造船」です。

気仙沼漁師カレンダー2021年版では、11月の写真としてこの女性を撮影した別のカットが掲載されています。このカレンダーでは、写真とともに幡野広志さんによる文章が掲載されていますが、11月の文章は〈気仙沼に移住したくなる理由がすこしわかった〉と題し、つぎのようにはじまります。

「みらい造船で働く彼女は気仙沼に移住をして来た。造船所を案内してくれるときの表情がとても明るい」

そして、渋谷の写真展でのコメントにも記されていた彼女の〈彼氏〉についての話がつづきます。その引用は差し控えますが、幡野さんの文章はつぎのように結ばれていました。

「好きな街で暮らして、好きな仕事について、好きな人とすごす。たくさんの好きを重ねているから表情が明るいのだろう」

どうですか、彼女の〈彼氏〉について知りたくなってきませんか。

再掲内容は以上です。

その梶原さんが案内役をつとめる会社見学ツアーの概要はつぎのとおり。

就活生向け「みらい造船」会社見学ツアー
日程   :2022/9/17(土)
時間   :13:00〜16:00 ※12:30集合、16:30解散
集合・解散:JR気仙沼駅(宮城県気仙沼市古町1丁目5−25)
実施場所 :みらい造船(宮城県気仙沼市朝日町7番地5)
対象   :就職活動をしている大学生・大学院生(23卒・24卒)
      ※大学1・2年生も歓迎です◎
定員   :6名(先着順・要申込/3名以上で実施)
参加費  :無料※現地までの旅費は各自負担ください

詳しくは、「みらい造船」サイトをご覧ください。

梶原さんが、みらい造船で〈産休・育休を経て〉いまは広報を担当しているというのはなによりのこと。漁師カレンダーの写真が撮影されたのは、いつ頃のことだったのだろうと逆算などしております。

梶原美羽さん、遅ればせながら、ご出産おめでとうございます。育児もいろいろと大変かと思いますが、ますますのご活躍を。

◎参考ブログ

久しぶりに株式会社みらい造船のウェブサイトをのぞいてみたら、会社情報「設立までのヒストリー」に役員6名の写真が掲載されていました。その右端は石川電装の代表である石川勇人さんです。一つ下の気中21回生。もう69歳か70歳のはずですが、その表情には中学生だった勇人クンの面影が。つぎのブログでも同じようなことを書きました。

2018年4月12日ブログ「石川電装 勇人社長」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みらい造船梶原美羽

いのちの海と暮らす

川島秀一さんの新著『いのちの海と暮らす〜日本の沿岸漁業民俗誌』を読みおえました。同書の発刊は8月6日の三陸新報にも紹介されていましたので、ご存じの方も多いことでしょう。

いのちの海と暮らす

写真:『いのちの海と暮らす』カバー表裏


カバーに記されたキャプションによれば、左側:カバー表面 刺網にかかったヒラメ(福島県新地町2021.7.15)、右側:カバー裏面 大漁旗(福島県新地町 第十八観音丸)です。

カバー表の写真にうつる漁師は、小野春雄さんですね。そしてカバー裏の大漁旗に記されている漁船名「第十八観音丸」は小野さんの船。川島さんは新地町に移り住み、観音丸に乗船させてもらって漁を実体験していることは皆さんご承知のとおり。

本日はこの本の紹介です。というものの、これがなかなか難しい。まずは川島さん自身が「はじめに」で記した内容をご覧いただきましょう。

東日本大震災が起こるまで、川島さんの自宅は気仙沼市魚町のホテル望洋の下、道路をはさんで海に面するところにありました。しかしその自宅は皆さんご存じのとおり震災の津波で被災しました。「はじめに」ではつぎのように記しています。

◎はじめにー本書の構成に至るまで

 2011年の東日本大震災では、私の手元にあった書籍や資料のほとんどが流されたが、そのなかで、妙に気がかりになっていたのが、かつて活字になったはずの私の短い文章のことであった。刊本された自著であれば、購入して揃えることもできる。しかし、必ずどこかに書いたはずの、砕片の文章を、できることなら探し求めようと願った。どんなに短い文章であっても、そこには、そのときにしか書けなかったはずの姿勢が見えると思ったからである。ほとんど記憶と、パソコンのワードの奥に眠っていた初出原稿を元に、本書の編集が始まった。

(中略)

 本書は、拙著の『「本読み」の民俗誌』(勉誠出版、2020)に引き続いて、過去を振り返って造った書である。特別に新しい知見が盛り込まれているわけではないが、70年ぶりに変えられた漁業法を象徴とする、昨今の沿岸漁業をめぐる動向に対し、シロウオからクジラまで、日本の沿岸で営まれてきた漁業の歴史と民俗の実態を捉え直しておくことは、少なからず意味があるものと考えて編集を試みた。読者の厳しい目を通して、今後の沿岸漁業の新たな暮らしかたを想起していただくことができたとするならば、本書の役割の一つを果たしたものと思われる。(引用は以上)

目次はつぎのとおりです。

第1章 漁師が語る海 
スズキ釣りは辛抱釣り/海の花咲かせるメバル釣り
第2章 漁師が書く海
飛島の「山帳」における書承/村上清太郎翁の漁業記録
第3章 汽水域と沿岸漁
湾史における汽水域/シロウオ漁の生活誌
第4章 沿岸のクジラ捕り
沿岸小型捕鯨の民俗/追尾士の捕鯨記録/三陸沿岸の海獣漁
第5章 日本の沿岸広域漁業
追込み漁の自然観/ケンケン漁の始まりと伝播

私は第2章2節「村上清太郎翁の漁業記録」の内容に感心しました。

村上清太郎さんは、気仙沼大島の南端にある崎浜で明治26年に生まれています。川島さんは〈和船時代のカツオ漁を知る最後の漁師〉である清太郎さんから、何度も話を聞いたそうです。そしてあるとき、清太郎さんは奥の部屋から一冊のノートを持ってきます。その中には、大島の漁業のことがびっしりと書かれていました。

川島さんはすぐにそのノートを借りて、島内の小さな電器店で複写した後、理解できないところをたずねていったそうです。そうしたことを何日か続けました。

B5判ノート23頁にわたる村上清太郎さんの漁業記録を川島さんが「翻刻」した内容がこの第2章2節となっているのです。これは、私のような素人が読んでも貴重な記録であることがわかります。初出は、『東北学』07〜08、東北芸術工科大学東北文化研究センター、2016〜17。

このほか、第3章1節「湾史における汽水域」も気仙沼に関する文章でした。副題は「宮城県気仙沼湾内の水産史から」。

◎懐かしい地名「気仙沼」

本書では比較的みじかい6つの文章がコラムとして収録されています。そのなかのコラム⑥のなかに気仙沼について触れているところがありました。

「コラム⑥浜をあるき、船にのる」より抜粋

 自分の住んでいる土地(宮城県気仙沼市)を遠く離れ、全国の漁村を訪れて漁師たちに会い、話を聞くようになったのは、ほかでもない、気仙沼地方の漁師たちが、私の聞いたことのない地名を口に出して、懐かしそうに語ったからである。
 たとえばカツオ一本釣りの漁師が語るシュクタソは、最初はどこを指しているのかわからなかった。よく聞けば、それは三重県の南伊勢町の宿(しゅく)と田曽浦(たそうら)を併せた通称であった。もちろん、カツオ漁の基地である。
 彼らの空間的な感覚を捉えたいと思い立ち、カツオ漁の基地をあるき始めたが、次には「宮城県から来た」と告げれば、「気仙沼か?」と切り返されるような、向こうの漁師たちの「気仙沼」に対する反応に出会うことになった。青年の頃にカツオ船に乗った彼らにとって、「気仙沼」は懐かしい響きをもった地名であり、彼らは当時どのように感じとっていたのだろうか、ということが次の関心となった。彼らを迎え入れいた時代の気仙沼とは、活況を呈していた頃であり、私の少年時代と重なってさまざまなことを思い起こしてくれたからである。(後略)引用は以上

気仙沼とカツオ漁基地との空間的な距離感。そして各地のカツオ漁師の青年時代と自分の少年時代とを重ね合わせたときに感じられる時間というか過ぎ去った年月。その背景は、活況を呈していた頃の気仙沼です。なにか、しみじみとしたものを感じてしまいました。

私の今夏〈読書感想文〉はここまでにしておきましょう。

川島本の読者として私は少し特殊ですね。気仙沼小・中・高では私が一学年上。魚町のなかでもたしか魚町5区という同じ地区で育ちました。そんなことで、川島さんの新著を手にすると、オレももうちょっと頑張るかという気持ちになるのです。私にとっては〈励ましの書〉であるのかもしれません。

秀一さん、著書ご恵贈、ありがとうございました。長めの引用、ご容赦ください。

2020年10月22日ブログ「日本民俗学会会長」



 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 川島秀一

臼井康晴優勝報告

8月5日の全国高校総合体育大会(四国インターハイ)フェンシング男子エペで気仙沼高校2年生の臼井康晴(こうせい)さんが優勝したことは既にお伝えしました。

8月9日ブログ「臼井康晴さん優勝」

その臼井選手が9月1日、気仙沼市長を表敬訪問しました。9月3日の三陸新報も伝えてくれましたが、ここでは9月1日当日の菅原市長のツイートを紹介します。


市長のツイートに「令和においてもフェンシング=気仙沼の時代を築いて欲しいと思います」とありました。

この〈フェンシング=気仙沼〉というのは、私たち世代にはよくわかります。もっといえば、昭和の時代には〈フェンシング=鼎が浦高校〉でした。気仙沼高校(男子校)のフェンシング部も強かったのですが、それ以上に鼎が浦高校(女子校)の強さが印象に残っています。

そして2005年4月、鼎が浦高校は旧気仙沼高校とが統合して現在の新気仙沼高校(男女共学)となりました。

参考まで付け加えれば、8月24日ブログ、半造の「いっぷく処」で紹介した気仙沼市観光協会副会長のひとり三上忠文君は気高フェンシング部に属していました。唐桑においでのときには「遙か海を望む巨釜半造のいっぷく処」(やっぱ長いなw)に寄って、その活躍ぶりを聞いてやってください。

気仙沼のフェンシング全盛時代については、何度もこのブログに書いておりますが、つぎの2つのブログを読んでもらえれば概略をご理解いただけると思います。

2015年4月22日ブログ「美代子先生の訃報」
2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」

上記ブログ「気仙沼/剣の源流」から、『気仙沼市史 補遺編/スポーツ・芸術編』における記述を引用します。

気仙沼市における初めてのフェンシング競技は、昭和27年11月1日、宮城県フェンシング協会会員6名が、元気仙沼公民館(現市役所の地)で開催した公開競技である。もっとも宮城県鼎が浦高校教諭の佐藤美代子が同年4月同校へ着任し、昭和27年の国民体育大会(宮城、福島、山形共催)フェンシング競技女子フルーレの出場選手として同校体育館で、一人で練習をしているのを生徒達が不思議そうな顔で見ていたのだ。(引用は以上)

昭和27年/1952年11月1日に始まる気仙沼のフェンシング史。臼井康晴さんは、その歴史に連なるフェンサーのひとりでしょう。

あらためてのお祝いを。臼井康晴さん、インターハイ/フェンシング男子エペでの優勝、おめでとうございます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 臼井康晴フェンシング

1922年の気仙沼

8月31日のブログ「1町9村100周年」で、1922年時点での現気仙沼市域における町村状況について記しました。本日は、その当時、気仙沼ではどんな出来事があったのかを紹介します。

例によって、『気仙沼文化史年表』(平成15年 荒木英夫著) の大正11年/1922年の記載事項を見てみましょう。           

1911年

『気仙沼文化史年表』 (p46)より


いろいろと興味深い事項が並んでいますが、いくつかみつくろってみましょう。

・1922年1月 内ノ脇海面埋め立て工事開始(出典:町勢五十年を顧みる)

内ノ脇(ないのわき)は、ざっくりいえば今の南気仙沼地区。海苔養殖や塩田などもあった浅瀬の海面埋め立て開始が100年前のことだったのですね。なお、内ノ脇塩田での製塩は明治41年に廃止され、塩田から水田への耕地整理がおこなわれました(市史第4巻p175)。この埋め立て工事と水田の関係など細かなことはわかりません。いずれにしろ、内ノ脇一景島神社がある一景島が文字通り「島」だった時代です。

・1922年4月 気仙沼小学校敷地を笹が陣に造成する工事開始(町勢五十年を顧みる)

現在の気仙沼小学校の話。この時点では気仙沼尋常高等小学校だと思います。移転前は現在の市役所の場所にありました。この工事がおわり、笹が陣に移転したのは4年後1926年4月のことです。

・1922この年 佐々木写真館開店(気仙沼商工名鑑)

以前は南町にあって今は田中前の佐々木写真館。現在の佐々木健夫さん(気中16回生)の祖父にあたる方が開いたのでしょう。今年で創業100周年ということですね。お祝いを申し上げます。私が気仙沼にいたころの南町には、佐々木写真館、石川写真館、小林写真館などがありました。

・1922この年 魚町望洋下道路開通(市史第6巻)

望洋というのは「望洋館」。後には旅館となりますが、当初は料亭的なところだったかと。そして1967年にはホテル望洋として開業しました。2017年3月には営業を終了しています。

その望洋下の道路ができたのが100年前。それ以前は、私の実家があった坂口から望洋にのぼっていく坂道しかありませんでした。この望洋下の道路ができたおかげで、気仙沼町と鹿折村の往来が便利になったのでしょう。

こうして100年前の気仙沼を振り返ってみるのも面白いですね。私の父が3歳、母が生まれる1年前のことと思うと、一世紀という歴史の長さがリアルに感じられます。

以上は気仙沼の1922年ですが、東京ではどんなことがおきていたのかといえば、翌年1923年9月1日には関東大震災がありました。来年2023年は関東大震災から100年なのです。

なお、大正11年/1922年の7年前、大正4年3月30日には「大正の気仙沼大火」がありました。三日町、八日町、南町、そして魚町など、当時の気仙沼町総戸数1648戸の6割5分1064戸が焼失したそうです。

100年前の気仙沼は、大正大火復興7年後の気仙沼といってよいかもしれません。

2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大正11年1922年

支援ピアノ その後

三陸新報に、「佐賀きずなプロジェクトで寄贈されたピアノの行く末を想う」という森谷利男さんからの投稿が掲載されたのは7月21日のこと。つぎのブログでも紹介しました。

7月29日ブログ 『まほうのピアノ』

投稿文では、佐賀県の皆さんからピアノの寄贈を受けた学校のなかには閉校したところもあるが、それらのピアノはいまどのようになっているのだろうかと問いかけていました。

これに関する追跡取材結果を含む記事が、8月28日の三陸新報1面「ニュースを追って」として掲載されました。「支援のピアノその後」です。


8:28佐賀県からのピアノ

三陸新報8月28日記事の一部イメージ


記事内容から閉校した学校のピアノの現在について紹介すると、まず、2018年4月に気仙沼高校と統合した気仙沼西高校のピアノは、気仙沼高校に引き継がれているそうです。よかったです。

一方、2014年4月に新城小学校と統合した落合小学校のピアノは旧校舎に置かれたままになっているとのこと。落合小は閉校後に宮城県社会福祉協議会によるシニア向け「宮城いきいき学園」の活動場所になっていたそうですが、同学園の活動拠点が気仙沼中央公民館に移ったことも付記されていました。いきいき学園の活動のなかで活用されていたことを感じさせる記述です。

そして、本年2022年4月に鹿折中学校と統合した大島中学のピアノは、鹿折中学にも佐賀県から寄贈されたピアノがあるために〈校舎内で眠ったまま〉とのこと。大島中の旧校舎内ということでしょう。

以上が閉校した3校の寄贈ピアノの現状です。閉校した学校のピアノを管理している気仙沼市教育委員会生涯学習課は、「佐賀県からの支援でいただいたことは承知しており、善意が無駄にならないようにしたい」と語っているそうです。

記事では、6月4日に松岩公民館で開催された〈「まほうのピアノ」感謝の集い〉での小松館長の言葉を紹介しています。これは以前の三陸新報の記事にもあったもの。小松館長は今年3月まで松岩小学校校長をつとめていました。「在職当時、自分も知らなかった。将来、他者を思いやる大人に成長してもらうためにも子供たちに伝えることは必要」と。

◎佐賀県からのピアノ寄贈内容

2016年4月のブログから、佐賀県からの寄贈内容を抜粋し以下に再掲します。

2016年4月22日ブログ「佐賀からのピアノ」

2013年3月27日付けの「佐賀きずなプロジェクト」サイトによれば、「義援金付きプレミアム商品券」の義援金総額は、9233万円にものぼりました。そして〈ピアノプロジェクト〉として気仙沼市内の学校や公共施設に計24台のピアノが贈られたのです。その内容を記しておきましょう。

◎2011年度
○グランドピアノ/11台
松岩小学校、松岩中学校、階上小学校、階上中学校、小泉小学校、鹿折中学校、大島中学校、面瀬中学校、新月中学校、葦の芽幼稚園、葦の芽星谷幼稚園
○アップライトピアノ/3台
落合小学校、中井小学校、気仙沼中学校

◎2012年度
○グランドピアノ(スタインウェイ)/2台
気仙沼市民会館、はまなすホール
○グランドピアノ/6台
東稜高校、本吉響高校、気仙沼西高校、気仙沼向洋高校※、気仙沼市立病院※、気仙沼中央公民館※
○アップライトピアノ/1台
愛耕幼稚園
○電子ピアノ/1台
気仙沼支援学校

※印については義援金を積み立て、施設の再建後にピアノを購入。このほか、気仙沼市内の26の小中学校・幼稚園に楽器120点を寄贈。

再掲内容は以上です。

8月28日の三陸新報「ニュースを追って」はつぎのように結ばれています。

〈震災から11年が経過し、街の復旧、復興が進んだ。それを支えた全国からの多くの支援があったことを忘れてはならず、次世代にしっかりと伝えていかなければならない。それが将来どこかで災害が起きた時に支える力になる。〉

筆者は阿部容典(やすのり)さんです。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐賀県きずなプロジェクト

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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