fc2ブログ

1町9村 100周年

8月24日の菅原市長のツイートは、宮城県町村会の100周年記念式典についてでした。この日、仙台で開催されたとのこと。


2枚目の画像を興味深く拝見しました。当日の資料からだと思うのですが、現在の気仙沼市に至るまでの市内各町村の合併や町制施行などの経過がまとめられています。とてもわかりやすい。このように一覧となったものははじめて目にしました。

2枚目の画像はこれです。

なりたち
8月24日菅原市長のTwitter投稿より


T11(1922)と書き加えてあるのが、100年前、大正11年(1922)での区分けです。市長も書いているように、この時点では、現在の気仙沼市は1町9村でした。ばらばらとはいわないまでも、それぞれの議会をもつ地方自治体です。

1町9村はつぎのとおりです。

気仙沼町(けせんぬま)
鹿折村(ししおり)
松岩村(まついわ)
階上村(はしかみ)
新月村(にいつき)
大島村(おおしま)
唐桑村(からくわ)
御岳村(みたけ)
小泉村(こいずみ)
大谷村(おおや)

御岳村というのははじめて知りました。その後の津谷町なのですね。町名ということでいえば、新月村は、新城(しんじょう)の「新」と月立(つきだて)の「月」からできた村名だと思います。

◎100年前の南三陸町

この気仙沼市に関する資料をみていて、お隣の南三陸町の合併等経緯をまとめるとどうなるのだろうかと思いました。南三陸町は、2005年10月に志津川町と歌津町が合併して誕生しています。

Wikipediaの情報をもとにしてまとめてみると、大正11年(1922)時点ではつぎの1町3村のようです。

志津川町(しづがわ)
入谷村(いりや)
戸倉村(とくら)
歌津村(うたつ)

少し説明しておくと、志津川町は1955年3月に入谷村と戸倉村と合併して新制の志津川町となっています。つまり、1922年時点では志津川町/入谷村/戸倉村の1町2村です。

そして歌津町は1989年4月の市町村制施行で設置されて以降、2005年10月の志津川町との合併まで116年間にわたり一度も合併しなかったそうです。

以上の経緯を総合すると、現在の気仙沼市と南三陸町の2圏域は、大正11年(1922)時点では2町12村ということになりますね。

南三陸町と気仙沼市の合併はこれまでも課題とされながら実現することなく今にいたっています。このブログを書くにあたって調べ、100年前に町制をしいているのが気仙沼と志津川の2町であったことを知ると、ほかの12村とは違った心理というか意識もあるのかなあと感じました。

菅原市長のツイートに、〈郷土の発展に尽力されてきた我々の先人にあらためて敬意を表したいと思います〉とありました。各時代における各自治体の行政や議会関係者のご努力への敬意が感じられます。

そしてそこには、合併などによって、村長や町長など自治体首長という職がなくなったり、合併などによって議員定数が少なくなるなど、ある種の高いハードルを越えてきた皆さんへの敬意も含まれているのではないかとも。

一世紀前の1922年。気仙沼ではどんなことがおきていたのか。これもまた面白いテーマですが、日をあらためることにいたします。またの機会に。

2021年4月27日ブログ「合併前の人口推移」

 
スポンサーサイト



テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 町村合併

大沢漁港隣の海岸

8月28日の三陸新報7面の左上に小さな記事が掲載されていました。来月9月4日におこなわれるビーチクリーン活動について。

ビーチクリーン

三陸新報8月28日記事より


記事によれば、気仙沼本吉サーフィンクラブ(及川伸会長)と日本サーフィン連盟宮城北支部が、9月4日(日)の午後9時から市内5つの海岸で一斉にビーチクリーンをおこないます。

こうした活動はホントいいですよね。サーフィンを愛するひとたちが、自分たちのホームグラウンドともいうべき海岸をきれいにします。グラウンドではなく、ホームビーチというのでしょうか。

記事にあった5つの海岸はつぎのとおりです。

小泉海岸、登米沢(とよまざわ)海岸、大沢漁港(本吉)隣の海岸、大谷(おおや)海岸、お伊勢浜、以上の5つの浜

私が気に入ったのは、大沢漁港(本吉)隣の海岸。「大沢漁港隣の海岸」。つまりその浜には固有の名前がないのではないかと。

私たち世代には懐かしい音楽グループA Horse With No Name(名前のない馬)にならえば、A Beach With No Name。

サーファーの皆さんはこの浜をどう呼んでいるのかなあ。「大沢」かなあ。〈じゃ明日9時、大沢で〉〈了解。となりで〉みたいな。

気仙沼本吉サーフィンクラブの皆さんは、市内海水浴場の海開きを前にした7月10日、小泉海岸、大谷、お伊勢浜、小田の浜の4つの海水浴場で17団体の皆さんらがおこなったビーチクリーン活動にも参加しています。そしてまた、9月4日に。ありがとうございます。

三陸新報の小さな記事から、地元サーフィンクラブの皆さんの気持ちが伝わってきました。それを皆さんにもお伝えしたく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼本吉サーフィンクラブビーチクリーン

「鶴亀」の朝ごはん

本日のブログは今夜放送のテレビ番組情報です。午後11時からのNHK総合「朝ごはんLab.」に、気仙沼の「鶴亀食堂」さんが登場します。

朝ごはん
番組サイトより


8月29日(月)
NHK総合テレビ「朝ごはんLab.」
午後11:00〜11:30

番組サイト

番組サイトの副題に〈井川遥さんと一緒に朝ごはんを“おいしく・楽しく研究”しませんか〉と記されています。Lab.はlaboratory/研究室ですが、Loveのラブの連想を意図している感じもします。井川遥さんの朝ごはんLove。

まずは29日の放送内容を番組サイトから紹介文を。

〈朝ごはんには1日を輝かせる“魔法”がある。井川遥さんと一緒に朝ごはん研究▽飯島奈美さん考案!きのうのカレーと“器パン”でユニーク朝ごはんに挑戦▽FC東京・GK林彰洋選手が登場!現役Jリーガーのこだわり&愛情たっぷり朝ごはん▽意外と知らない?養鶏場直伝・TKG(卵かけごはん)の極意とは?▽気仙沼・港町の愛され食堂を切り盛りする店長の贅沢満足まかないメシ▽あなたはどんな朝ごはん、食べていますか?〉

◎「鶴亀食堂」登場!

上記紹介文にある「気仙沼・港町の愛され食堂を切り盛りする店長の贅沢満足まかないメシ」というところが鶴亀食堂さんです。

番組サイトの予告映像から2カットを。

かつお

漁師めし


番組後半での紹介ですかね。本日午後11時からの放送を楽しみにしております。

気仙沼魚市場前の「みしおね横丁」のなかにある「鶴亀食堂」や「鶴亀の湯」については、このブログでもいろいろと紹介してきました。その中から、2019年にこれらの事業で「新しい東北」復興ビジネスコンテストの優秀賞と企業賞「アイリスオーヤマ賞」のダブル受賞を紹介した記事を以下に。

2019年11月25日ブログ「鶴亀」さんの受賞
2019年12月3日ブログ「笑顔のダブル受賞」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鶴亀食堂

漁師暦の撮影開始

気仙沼漁師カレンダー2024年版の写真撮影がはじまったそうです。8月8日に斉吉さんがつぎのようにツイートしていました。


8月7日の気仙沼みなとまつり会場。背後にうつるのは、「さんま船集魚灯披露」中の第81豊清丸さんでしょう。打ち上げ花火もうつっています。

念のためですが、来年2023年用ではありませんよ。再来年2024年版漁師カレンダーの撮影開始です。

手前左の方はストロボを支えているようにもみえるのでアシスタントさんかなあ。そうすると、その右にうつっているのが2024年版を引き受けてくださったフォトグラファーということでしょうか。どなたでしょう。右手か左手にカメラを手にしているのではないかと。

そして、網を肩に背負って立つ漁師はどなたでしょう。私は第81豊清丸の中舘捷夫(なかだてかつお)漁労長ではないかと思うのですが。

斉吉さんは8月17日につぎのツイートを投稿しています。


これは8月17日の出船おくりのときの大親分/第81豊清丸中舘漁労長です。8月7日の写真と比較してみると、着ているものが同じです。たぶん間違いないですね。タオルの巻き方、結び方も。これもひとつの〈フィッシャーマンズノット〉。

中舘さんについては、つぎのブログでも紹介しました。

8月17日ブログ「豊清丸中舘漁労長」

漁師カレンダーの企画・制作は、気仙沼つばき会さんです。現在の会長は斉藤和枝さんですから、この斉吉さんのツイート写真は単なるスナップ写真ではなく、つばき会お墨付き。そんなことで紹介させていただきました。

◎これまでの写真家の皆さま

気仙沼漁師カレンダーは、2014年版の藤井保(たもつ)さんにはじまり、名だたる写真家の皆さんが各年のカレンダー写真を担当してくださいました。つぎの7名。2015年は発刊なし。

①2014年版 藤井保さん
②2016年版 浅田政志さん
③2017年版 川島小鳥さん
④2018年版 竹沢うるま さん
⑤2019年版 奥山由之さん
⑥2020年版 前康輔さん
⑦2021年版 幡野広志さん
⑧2022年版 市橋織江さん
⑨?
⑩?

なお、2024年は誰だろうという話の前に、来年2023年の写真家もまだ知りません。というか発表されていないのです。こちらも楽しみです。

上記のとおり、2024年版で気仙沼漁師カレンダーは10回目の制作となります。2回目以降のカレンダー制作をプロデュースしているバンブーカット代表の竹内順平さんは、たしか、少なくとも10回目までの発刊を目標にしているといったことをおっしゃっていたような記憶があります。こうしてなんとか10回目の制作が始まったということで、まずはよかった。

もしさらに11回目のカレンダー制作があるとしたら2025年版ということになりますね。まだちょっと先の話かな。

私の気持ちを記しておけば、11作目のカレンダーよりも、きりのいい10回分の総集編として「気仙沼漁師カレンダー」という名の総合写真集が欲しい。

和枝さんはじめ、つばき会の皆さまや、バンブーカット/順平さんらもいろいろ考えていらっしゃると思いますが、ご検討どうぞよろしく。

1月11日ブログ「漁師歴」の受賞歴

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 漁師カレンダー

不二の詩碑の場所

いま三陸新報では、〈みちのく潮風トレイル〉関連で「気仙沼・南三陸 見どころ紹介」というシリーズ記事を掲載しています。

その8月3日記事は、大島編〈上〉で大島出身の詩人、水上不二(みずかみ・ふじ)の〈詩碑〉を紹介していました。


8:3みちのくトレイル

三陸新報8月3日記事の一部イメージ


記事によればこの詩碑は、気仙沼大島の亀山山頂をめざす途中にあるようです。亀山展望台を過ぎて、亀山中腹に鎮座する大島神社に向かう道ということでしょう。

私が2020年5月のブログで、水上不二の解説板を紹介したとき、三陸新報の記事中にこの碑が「亀山中腹」「大島神社裏」にあると書かれているものの、私にはちょっとわかりにくかった。

2020年5月19日ブログ「水上不二の解説板」

8月3日記事はみちのく潮風トレイルの案内記事ですから、道すがらの見どころということでいいとは思うのですが、一般の大島の観光案内ということであればもう少し情報が欲しくなってきます。

Googleマップを見てみました。まずは気仙沼大島の北部地図です。


全体


左側に気仙沼大島大橋があります。下部中央から右よりに大島神社と水上不二詩碑の表示。つぎは拡大図。


拡大


なるほど。大島神社裏というのが適当かどうかはわかりませんが、位置関係がわかりました。

なお、上に紹介した三陸新報記事では「詩碑」ではなく「歌碑」とされています。しかし2020年1月31日の三陸新報記事では「詩碑」。気仙沼文化史年表でも1961年4月15日「大島亀山に水上不二詩碑建立される」としています。出典は「大島歴史年表」だそうです。この年表は知りませんでした。Googleマップでも、ご覧いただいたように「詩碑」となっています。

最後に、2020年5月19日ブログと同様に碑文を紹介しておきます。改行は碑文表記にしたがいました。


海はいのちのみなもと
波はいのちのかがやき
大島よ
永遠にみどりの真珠であれ


「緑の真珠」と表記されることも多いようですが、碑文は「みどりの真珠」です。また、Wikipediaの「水上不二」の記事に、〈「永遠」は、「とこしえ」と読むと、生前、不二が語っていた記録が残っている〉との記述がありました。その記録の出典は不明です。

私は残念なことに大島神社をお参りしたことがありません。創建1000年以上といわれる由緒ある神社です。気仙沼に帰って大島を訪れるときには是非とも。

この水上不二詩碑がこの大島神社の近くに建立されていることを重ねあわせながら詩文を読むと、それが不二の願い、祈りであることを強く感じます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 水上不二

半造の「いっぷく処」

8月23日の三陸新報に「唐桑半造 レストハウスに喫茶店」との見出しでつぎの記事が掲載されていました。

いっぷく処

三陸新報8月23日記事より


気仙沼市唐桑町の半造レストハウスに喫茶店がオープンしたという記事。はじめはどうということはなく読んでいたのですが、途中でびっくり。運営するのが三上忠文さん(71)だというのです。なんだよ三上君か。

三上君は気仙沼高校の同級生です。リアス唐桑ユースホステルを経営しており、以前は唐桑町観光協会会長でした。本年4月1日には、唐桑町観光協会、気仙沼大島観光協会と気仙沼観光コンベンション協会が統合して一般社団法人気仙沼市観光協会となりました。そして三上君は、同協会の副会長のひとりとなりました。4月12日のブログでも紹介しております。

4月12日ブログ「気仙沼市観光協会」

記事には、喫茶店の店名が記されていました。「遙か海を望む巨釜半造のいっぷく処」だそうです。私はネーミングの仕事をすることもあるのですが、この店名について問われたらこう答えるでしょう。「長すぎる」。

ま、「いっぷく処」と略称されていくのでしょうけれど。三陸新報の記事でも写真のキャプションにも「いっぷく処」とありました。

なお、巨釜半造は「おおがまはんぞう」。私は小さなころ「おがまはんぞう」とよんでいました。「処」は普通に「ところ/どころ」でしょう。

記事には、改修工事を終え、今年5月にリニューアルオープンした「半造レストハウス」を有効活用して、夏休みに営業を始めたとありました。また、唐桑半島ビジターセンター改修のため、気仙沼市観光協会唐桑支部の事務所が一時的に置かれ、観光案内もしているとのこと。営業は午前11時から午後4時まで。毎週月・火曜日は休業。

あらためて店名「遙か海を望む巨釜半造のいっぷく処」をながめていると、観光協会での挨拶なども長くなっているのではないかと心配しております。なんちゃって(笑)。

三上君、「いっぷく処」オープンおめでとうございます。訪れる人がゆっくりと一服できる喫茶店にしてください。どうぞよろしく。


テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 三上忠文半造レストハウス

楽しみすぎる日記

NHKの朝ドラ「おかえりモネ」の放送開始は2021年5月17日、終了が10月29日でした。全24週/全120回。いま、気仙沼の「海の市」で、同ドラマをイラストと文章で紹介した「おかえりモネが楽しみすぎる日記」のパネルを展示しているそうです。「気仙沼さ来てけらいんWEB」がつぎのように紹介していました。


8月21日の三陸新報にも紹介記事が掲載されていました。スタンプラリーとパネル展示を紹介しています。


パネル展

三陸新報8月21日記事の一部イメージ



この三陸新報の記事では、「おかえりモネが楽しみすぎる日記」は〈熱烈なドラマファンでもある市内のイラストレーター・サユミさんが昨年の放送期間中、毎日のドラマをイラストで振り返りながら感想をネットで発信した〉と紹介しています。気中20ブログをお読みいただいている方はすでにご存じのことでしょう。


私は2021年11月に、「おかえりモネ」の放送終了とともに終わった「おかえりモネが楽しみすぎる日記」の連載について、ブログ記事といたしました。本日はその内容を再掲します。


2021年11月1日ブログ再掲

◎サユミさんの「日記」

NHK「おかえりモネ」がおわってしまいましたね。放送開始が5月17日でしたから10月29日までの全24週/全120回でした。

もうひとつおわってしまって残念なのが、気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」で連載されていた「おかえりモネが楽しみすぎる日記」です。1週間分のドラマ各回を、「サユミ」さんがイラストと文で紹介してくれました。「気仙沼クルーカード」アプリでの先行配信をご覧になっていた方も多いことでしょう。


第1回

2020年6月11日更新 初回画面より(画像クリックでジャンプ)


サユミさんは月曜から金曜まで、毎回しっかりとこのドラマを見て、読み込んで絵を描き文章をつづってきたわけです。全120回分と放送開始前の14回。すごいですよね。

私は毎週、この〈日記〉を読んで、なるほどなあと感心することばかりでした。たとえばと、その一例を紹介しようとも思ったのですがやめました。読んでいただければ、ドラマ理解と表現の彩度と深度がすぐにわかるでしょう。

私はおかえりモネの重要回は録画を消さずにおります。放送は終了しましたが、これからはサユミさんの「楽しみすぎる日記」を復習しながら、ドラマの展開を振り返ってみようと思っています。和田誠さん流にいえば〈お楽しみはこれからだ〉。

サイト「気仙沼さ来てけらいん」のつぎの一覧から全24週分と放送開始前14回分を見ることができます。

気仙沼さ来てけらいん/モネ日記

◎沼のハナヨメ。

ちょうど6年前、2015年11月1日にサユミさんの連載記事が始まりました。ほぼ日さん「気仙沼のほぼ日」での「沼のハナヨメ。」です。当時、サユミさんは気仙沼のほぼ日に勤務していました。最終回212話は、4年後の2019年。これも11月1日。

この連載もすごかったですね。楽しかった。「楽しみすぎる日記」と作風はことなりますが、その違いにサユミさんの表現の試行錯誤が感じられます。切磋琢磨というべきか。

「沼のハナヨメ。」はいまでも楽しむことができます。ほぼ日さんのご厚意によるものでしょう。つぎの一覧からぜひに。

「沼のハナヨメ。」全212話一覧

サユミさん、すばらしい「日記」の連載、本当にご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。なにかまた新しい連載の開始を楽しみにしております。


再掲内容は以上です。


気仙沼「海の市」で昨年7月11日からおこなわれている「おかえりモネ展」は本年10月31日まで。残り2カ月ちょっとですね。

そして「楽しみすぎる日記」のパネル展示は8月末まで。あと1週間ちょっと。どうぞお出かけください。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネサユミ

武山櫻光さんの書

本日紹介するのは、もうおなじみになった気仙沼の古美術・骨董店「車屋」さんの広告です。8月19日の三陸新報に掲載されました。


車屋
三陸新報8月19日掲載広告より


左の絵画は白石隆一さんの「ふくがきた」。これまで紹介してきた白石さんとはちょっとタッチがことなる印象ですが、魚をたくさん描いた白石さんの「ふぐ」。

ふぐの本場である下関では「ふく」と呼ぶらしいですね。白石さんは「福」の含意をねらって「ふくがきた」としたのでしょう。

絵の右下に漢字のように見えるのはなんなのかなあ。(追記:本日、車屋の菅原さんにお電話して、ブログ紹介の報告ついでにお聞きしたところ、「隆一」のサインとのことでした)

白石さんについてはこれまで何度か紹介してきましたので詳細は略します。千厩(せんまや)町出身の洋画家です。

2019年6月21日「千厩町の白石隆一」

私が注目したのは右の武山櫻光(おうこう)さんの書「清風佛名月」です。櫻光は雅号、本名は武山光夫さんです。気仙沼文化史年表によれば、1946年(昭和21年)5月に「苑書会」を創立しました。武山家は南町にありました。この櫻光先生の書道教室に通った南町周辺の同級生も多いはずです。

気中同級生には説明不要ですが、櫻光さんは武山美加(みゆき)さん(3年9組)のお父さんです。美加さんも書家。雅号は「櫻子」(おうし)。「櫻/桜」の一文字とともに、「苑書会」を継承、主宰しています。

美加さんが気仙沼小学校入学式のときにお父さんと一緒のところを撮った写真はつぎのブログで紹介しました。

2013年8月26日ブログ「美加さんの幼き日」

そしてこの書。広告では「清風佛明月」としていますが、「佛」の字は人偏ではなく手偏のようにみえます。そんなことで調べてみると、どうもこれは「清風拂明月」のようです。

清風(せいふう) 明月(めいげつ)を拂う(はらう)

「拂う」は「払う」と同じ。「清風 明月を拂い、明月 清風を拂う」という対句の前句とのこと。

清風拂明月 明月拂清風
せいふうめいげつをはらい めいげつせいふうをはらう

風と月の主客の関係を超えた一体性を、清風と明月に託して詠じたものらしい。禅語として、茶席にも掲げられたりするそうです。

話を戻します。この櫻光さんの書ですが、櫻子さんの書風とはちがいますね。もちろんそれでまったく構わないのですが、櫻子さんが父親の書をいまながめるときにどんな気持ちをいだくものなのか。ちょっと聞いてみたい。そんな思いが頭をよぎりました。

櫻子/美加さんの書の一例をつぎのブログで。第75回「書道芸術院展」での現代詩文書部における最高賞「第75回展記念賞」受賞作品を紹介しております。

3月25日ブログ「武山櫻子受賞作品」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 武山櫻光白石隆一車屋

さんま祭 事前申込

仕事場に向かうときは、いつも自由が丘で東横線に乗り換えます。先日の乗り換え時、広報物ラックにあった「めぐろ区報」が目にとまりました。これまでは一度も手にとったことがなかったのですが、なぜか気になって手に取りました。

仕事場でこの区報8月15日号をぱらぱらと見ていくと最終頁P16に、こんな記事がありました。


区報

「めぐろ区報] 2022年8月15日号より


目黒区民まつりの恒例行事「目黒のさんま祭」のご案内でした。

目黒のさんま祭は、新型コロナの関係で2020年も21年も開催されませんでした。しかし今年は、新型コロナ感染症対策として事前応募制にて実施するとのこと。

区報には、〈3年ぶりに、目黒区民まつりを開催する予定です。友好都市・宮城県気仙沼市から届く、焼きさんまの提供も再開します〉とありました。


◎目黒のさんま祭/焼きさんま提供
日時:10月9日(日)10:00〜14:30
会場:田道広場公園(目黒区目黒一丁目25番8号)
定員:1000人
申込:8月29日(月)必着

申し込み方法など詳細については、つぎのサイトをご覧ください。

目黒区サイト:焼きさんま券の事前募集

入力フォームでは提供時間帯の午前と午後のいずれかを選択します。30分ごとの入れ替え制です。当選者には30分ごとの時間が指定された焼きさんま券が届きます。

案内文には、〈漁獲量によっては、焼きさんまの提供が行えない場合があります〉とありました。昨今はさんまの不漁がつづいているだけに、10月上旬の漁模様が気になるところです。

なお、私たち気中20同級生は焼きさんまを目当てということではないので事前予約関係なし。新型コロナの感染状況にもよりますが、ひさしぶりに会場で集まることができればと思っております。いつもの物産展も開催予定とのことです。

目黒のさんま祭は10月9日。まだ先のこととなりますが、まずは速報ということで。どうぞよろしく。

2019年9月17日ブログ「目黒さんま祭報告」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 目黒のさんま祭

COMPLEXの種子

8月14日の三陸新報に気仙沼市の「創造的産業復興支援事業費補助金」の申請受付を紹介する記事が掲載されていました。



三陸新報8月14日記事の一部イメージ


この補助金は、市の8月8日付け記者発表資料によれば、〈新産業創出施策の一環として、地域資源等の活用、社会課題・地域課題の解決などを伴う新たな事業展開をする事業者や起業者に対し、その費用の一部を補助〉するもの。

新規事業展開枠と起業支援枠のふたつの枠組みが設定されており、財源は一般財源からの1000万円です。

この支援事業は平成24(2012)年度に始まり、今回で通算8期目となります。記者発表資料にこれまでの事業実績が紹介されていました。


実績
8月8日付け市記者発表資料より


初回の平成24(2012)年度をご覧ください。10事業者に計7500万円が交付されています。そして財源は「音楽ユニットCOMPLEX様からの寄付金」です。

そうなんです。布袋寅泰(ほてい・ともやす)さんと吉川晃司(きっかわ・こうじ)さんによる「COMPLEX(コンプレックス)」さんからの寄付金が財源でした。三陸新報の記事でも〈「COMPLEX」からの寄付金を基に創設。国の交付金や市の震災復興基金を活用して継続してきた〉と紹介していました。

布袋さんと吉川さんは、2011年7月に「COMPLEX」を21年ぶりに復活させて震災復興支援ライブを開催。その売上などから総額6億5千万円を義援金として東北の被災地に寄付してくださいました。その対象に気仙沼市も含まれていたのです。つぎのブログでも紹介しました。

2020年11月26日ブログ「布袋さんに感謝を」

その後は、上掲の表にあるように財源を変えて今回で通算8期目となります。平成29年度からは東日本大震災復興基金を財源としていましたが、今回の募集分については「一般財源」とのこと。財源が変わりましたね。

「創造的産業復興支援事業」ときくとなんか難しそうですが、三陸新報の記事には、これまで40事業者が採択され、民泊事業やパンの移動販売、美容サロン、イベントスペースの立ち上げなどに活用されているとありました。なにか新しい事業などを企画、計画されている方は気軽に市に相談してみてはいかがでしょう。

布袋さんと吉川さんが、震災からの復興のために蒔いてくださった種が、気仙沼の新しい企業、産業として実をむすんでくれればなによりのことです。募集期間は本年8月9日から8月30日まで。

なお、本日8月8日は吉川晃司さんの誕生日。57歳をお迎えになりました。おめでとうございます。

本件の市記者発表資料(PDF)
市サイト/同補助金内容頁
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : COMPLEX布袋吉川

豊清丸中舘漁労長

8月7日の気仙沼みなとまつりでは、「さんま船集魚灯披露」がおこなわれました。昨年2021年の第69回は海上行事に限定しての開催で集魚灯披露はなし。2020年はまつり全体が中止。つまり、この集魚灯披露は2019年の第68回以来3年ぶりのこととなりました。

「さんま船集魚灯披露」は、大型サンマ棒受け網船が使用する集魚灯照明を披露するものです。今回も第81豊清丸さんのご協力で、港町岸壁でおこなわれました。

第81豊清丸の漁労長は中舘(なかだて)捷夫さんです。8月4日の三陸新報にも中舘さんの姿がありました。


8:4さんま船団

三陸新報8月4日記事の一部イメージ


第81豊清丸さんをはじめとするサンマ船団の皆さんは、今年もみなとまつりの打ち上げ花火に寄付金41万円を届けてくださったのです。

記事によれば中舘漁労長の呼びかけで、宮城、根室、福島の船団など41隻が協力してくださいました。このサンマ船の皆さんからの寄付を以前も紹介したことがあります。つぎのブログです。

2018年8月1日ブログ「サンマ船のご協力」

この4年前のブログでは〈「第81豊清丸」漁労長の中舘捷夫さんが声をかけて、宮城船団13隻、根室船団16隻、福島船団2隻の計31隻の各漁労長から寄せられた〉と記していました。宮城や福島よりも、根室のサンマ船が多いのですね。

8月4日の三陸新報記事によれば中舘さんはいま80歳。こうして今も現役の漁労長として、第81豊清丸のサンマ漁を率いていることに驚かされます。なお、中舘さんのお名前の〈捷夫〉は〈かつお〉さんとお読みします。4年前のブログにも記しましたが、念のため。

◎サンマ船団の出船おくり

本日8月17日午前10時半から、気仙沼市魚浜町のコの字岸壁と港町出港岸壁で「気仙沼つばき会」による大型サンマ漁船一斉出港「出船おくり」がおこなわれました。

気仙沼つばき会さんの8月10日付け記者発表資料によれば、出港予定はつぎの各船です。

第81豊清丸、第63幸漁丸、第8千代丸、第68福神丸、第3太喜丸、第5太喜丸、第8太喜丸、第1恵比寿丸、第15庄光丸、第28安洋丸、第11光洋丸

第81豊清丸の中舘さんをはじめ大型サンマ船団各船漁労長の皆さま、今年も気仙沼みなとまつりへのご支援、ありがとうございました。今季サンマ漁の航海安全と大漁を願っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 豊清丸中舘漁労長みなとまつり

お山がけ神事斎行

気仙沼の新型コロナ感染者数もなかなか落ちつきませんね。8月13日の三陸新報には、気仙沼で恒例となっているお盆の「物故祭」が新型コロナの影響で縮小するケースが見られるとの記事を掲載していました。

その〈縮小〉の中身ですが、寺での法要参加者を少なくして、法要後の同年会は中止といったようなことです。お盆前には市内各中学のOB会や実行委員会の案内広告がいろいろと掲載されていました。

そんななか、8月13日の三陸新報には気仙沼の「羽田神社」(はたじんじゃ)からの「お山がけ」斎行の案内広告が掲載されていました。


お山がけ

三陸新報8月13日広告より


羽田神社のお山がけは、昨年、一昨年と2年続けて中断していましたが、今年は感染対策を徹底したうえでおこなうことになったとのこと。

そして、かつて登拝予定であったお子さんについては、「一年遅れ、二年遅れのおやまがけ」として受け付けるとしてあります。

よかったですね。広告中にもありましたが、お山がけそのものは屋外でのことですし、感染対策も徹底するとのことです。

この羽田神社の「お山がけ」についてはつぎのブログにて。2000年12月に国の重要無形民俗文化財に指定されています。気仙沼市内の国指定重要無形民俗文化財はもうひとつあって、それは〈室根神社祭のマツリバ行事〉。こちらは1985年1月指定です。

2016年9月23日ブログ 羽田の「お山がけ」

なお、念のために記しておくと、広告には〈感染状況によっては祭儀を変更致します〉とありました。ご承知おきください。

お山がけは9月10日・11日。その頃には、なんとかコロナの感染状況が落ちついてくれますように。私なりの〈神頼み〉です。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 羽田神社お山がけ

焼き場に立つ少年

8月5日、朝日新聞ニューヨーク支局の藤原学思さんが国連本部での原爆展をツイッターで紹介していました。


この原爆展は、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が行われているニューヨークの国連本部で、日本原水爆被害者団体協議会が主催しました。

パネルに記されている「Cremation Site」は「火葬場」です。ただし、それは火葬施設ではなく、まさに〈焼き場〉だったのでしょう。

藤原さんも書いているように、この写真には本当に胸をうたれます。投稿をみて、以前にこの写真を紹介したことを思い出しました。本日は、その2017年8月15日のブログを再掲することにいたします。



2017年8月15日ブログ再掲

焼き場に立つ少年

きょう8月15日は終戦の日。先週から今週にかけては、新聞やテレビでも太平洋戦争をとりあげる番組や記事が多く見られます。本日紹介するのもそのひとつ。(2017年)8月9日に朝日新聞が配信した記事の写真です。よく知られている「焼き場に立つ少年」。



朝日新聞2017年8月9日配信記事より


記事を引用します。〈原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている〉(引用は以上)

この写真が掲載されたずいぶん前の新聞記事のスクラップは私ももっていて、見るたびになんともいえないせつない気持ちをおぼえるのです。30年以上も前のことですが、気仙沼に帰省したときに、この写真のことを父と話したことがあります。父は、少年の姿勢がまさに帝国陸軍兵士を思わせると語っていました。息子がこの写真にいだく気持ちを聞いて、うれしそうというかホッとしたような表情をうかべていたのです。

父は招集されて中国大陸での戦争を経験しています。私に細かな戦争のことを話すことはほとんどありませんでしたが、関係書籍を購入して読んでいたことを覚えています。自分が戦った戦争というか作戦がどういうものだったのかを知りたかったのでしょう。同級生 佐々木徹君(3年1組)のお父さんも、同じく中国戦線で戦ったことがあるのですが、あるとき二人で書籍の付録資料の地図を広げ、それぞれの転進の道程を追っていたことを思い出します。父が、在家得度を受けるために曹洞宗の大本山 永平寺に一週間滞在したときも佐々木さんと一緒でした。中国大陸で同じ経験をし、同じ風景を見てきたという思いがあったのでしょう。

父は仏像をたくさん集めていて、元気なころはその前で朝晩に読経しておりました。古いダイアリーに知人の命日と戒名/法名が記してあり、その日に亡くなった方の菩提(ぼだい)をとむらっていたのです。その父も9年前に亡くなったのですが、仏像の整理をしていた私は、厚紙に貼った新聞の切り抜きが仏像の後側にたてかけてあるのに気付きました。それが「焼き場に立つ少年」でした。

この写真を見るたびに、袈裟(けさ)を胸に、数珠を手に経をあげる父の姿を思い出します。最後はつぎのように声を発したはずです。

〈 じょうらい、きょうしゅをふじゅす、あつむるところの功徳(くどく)は、○○霊位にえこうし、ほうちをしょうごんせんことを 〉


再掲内容は以上です。結びの言葉は経過年数のみ修正して同様に。

終戦/敗戦から77年が経ちました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 焼き場に立つ少年

港町ブルースの碑

8月6日、東日本大震災で被災した「港町ブルース」の歌碑が港町岸壁の遊歩道の一角に復活しました。8月9日の三陸新報はつぎのように伝えています。


歌碑復活
三陸新報8月9日記事の一部イメージ


この歌碑の再設置は、本年1月21日の三陸新報では年度内にとされていました。つまり本年3月末までにはと。4カ月ほど遅くなりましたが、これも新型コロナ対応のためでしょうね。

三陸新報の記事にもあるように、復活歌碑には以前の歌碑の碑面や漁船のプロペラスクリュー、ウミネコをモチーフとしたモニュメントなどが再利用されています。シンボリックな表現をうまく残してくれてうれしい。元の歌碑の作者は美術家でもある弁天町〈ヤマヨ常山商店〉の常山俊明さんです。

以前の歌碑を忘れた方のために、以前のブログでも紹介した2016年3月19日の三陸新報シリーズ記事「あの日のまま」の写真を。


ブルース

三陸新報2016年3月19日記事「あの日のまま」より


歌碑の碑板を囲むステンレス製のフレームが大きく湾曲するなどしていますね。その復活は無理だったのでしょう。

再建費用には、森さんが震災直後の2011年10月に市に寄付した100万円などが充てられたとありました。河北新報の8月7日配信記事によれば、この歌碑の再建費用は森さんからの寄付を含めて約480万円です。

2011年10月というのは10月22日のこと。東京や関西などのファンとの東北ツアーのなかで、東日本大震災の被災者らを励まそうと気仙沼を訪れてくださったのです。同年同日の朝日新聞配信記事によれば、150人ほどのファンに地元の約100人も加わり、津波で大きく傾いたままの歌碑を囲んで合唱したとのこと。

当初、除幕式には森さんの出席も検討されていたそうですが、新型コロナの感染急拡大で見送られたとも。

記事の末尾には森さんから寄せられたメッセージが紹介されていました。「気仙沼の歌碑は、私の歌手人生にとっても大きな記念碑であり、再建は本当にうれしい。これからも皆さまの思いを胸に、心を込めて歌っていきます」と。

「港町ブルース」歌碑については、このブログでも何度も紹介してきました。再設置については、つぎのブログに過去記事も含めてまとめました。

2月4日ブログ「ブルース碑 再設置」

このほか、森進一さんのこの曲に関するエピーソードなどはつぎのブログにまとめております。

2月7日ブログ「港町ブルース物語」

この2/7ブログでは、1975年3月のNHK放送開始50周年記念式典で、森さんが昭和天皇・皇后両陛下を前に「港町ブルース」の〈宮古 釜石 気仙沼〉部分を2回繰り返して歌ってしまったことなども紹介しました。また、この曲の歌詞に〈気仙沼〉が入ったのは、気仙沼出身で渡辺プロダクション幹部だった境和夫さんのおかげという〈伝説〉なども。

それでは最後に、お聞きいただきましょう。森進一さんで「港町ブルース」の2番。8月6日菅原市長のツイート投稿です。



市長ツイートにもありましたが、この歌碑復活にあたっては、森進一さんはもちろんのこと、多くの関係者のご努力、ご協力があったことと思います。12年ぶりの歌碑復活を喜ぶとともに、皆さまに御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 港町ブルース森進一

大船渡線の「赤字」

JR東日本は7月28日、利用者の少ないローカル線の区間別収支を初めて公表しました。新聞やテレビでも紹介されたのでご存じの方も多いことでしょう。河北新報の配信記事のリンクをはっておきます。

河北新報7月29日配信記事

この河北新報の記事によれば、開示された35路線66区間の全てが赤字で、うち東北関係は22路線44区間だったそうです。

そして7月30日、三陸新報が大船渡線の赤字状況を伝える記事を掲載してくれました。


7:30大船渡線
三陸新報7月30日記事の一部イメージ


三陸新報記事によれば、収支状況の開示対象となったのは、新型コロナウイルスの影響が比較的小さい2019年度に、1km当たりの1日平均利用者数を示す「輸送密度」が2千人未満だった35路線66区間。県内は4路線5区間が対象となりました。

2019年度の収支データによると、大船渡線(62km)の輸送密度は754人。営業費用17億4800万円に対し、運輸収入は1億7300万円で、赤字幅は15億7500万円にのぼっています。赤字幅は県内の対象区間で最も大きかったとのこと。また、100円の運輸収入を得るのにどれだけの費用がかかったかを示す「営業係数」は1009円です。

大船渡線がいわゆる〈赤字路線〉であることは気仙沼の多くの人がご存じのことでしょう。今回の2019年度の収支公表は、そのなかなかに厳しい状況がデータとしても示されたということだと思います。

国土交通省の有識者検討会が7月25日にまとめた提言で、国主導による鉄道の存廃協議入りの目安とした輸送密度1000人未満です。大船渡線は754人ですから、その対象となります。

河北新報記事によると、JR東日本の高岡執行役員は7月28日の記者会見で「鉄道は大量輸送が前提で、インフラ維持には非常にコストがかかる。赤字路線だからといって即廃止ではないが、鉄道が最適ではないと考えられる区間があるのも事実」と指摘したそうです。そして記事は〈バスやバス高速輸送システム(BRT)への転換が選択肢になりそうだ。鉄道を維持する場合でも、地元に運営費の一部負担を要請することもあるとの認識を示した。〉と続けています。

まあ、そうなのだろうなというのが正直な気持ち。では今後どうするか。その議論のベースとなる収支状況の記事を資料として紹介いたしました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大船渡線

酒井勇一君の協力

8月7日の気仙沼みなとまつりにおけるカッター競漕は12年ぶりの開催となりました。8月4日の三陸新報には、このカッター競漕の復活を運営委員として支えた酒井勇一さんの紹介記事が掲載されていました。


酒井勇一さん

三陸新報8月4日記事の一部イメージ


酒井さんは市役所OBです。みなとまつりのカッター競漕には市役所の先輩だった故・斎藤忠勝さん(享年78)から誘われたことをきっかけに同僚とチームを組んで1995年の初回から参戦。実行委員会のメンバーとしても活動してきたそうです。

そして今年、12年ぶりのカッター競漕復活。大会を所管する市の観光課から協力を依頼されました。

今回のカッター競漕には11チームが参加しましたが、そのうち5チームが初出場だったそうです。7月16日から18日かけて梶ヶ浦漁港でおこなわれた参加チームの事前練習会でも、酒井さんがいろいろとアドバイスしたとのことです。

記事には酒井勇一さんの年齢が70歳とありました。同い年だな。もしかするとと思い気仙沼高校の同窓会名簿をみたらやはり。同年生、気高22回生でした。顔を思い出せず卒業アルバムを調べたら3年2組の写真のなかに酒井君がいました。

震災前の自宅は松岩漁港近くにあったそうです。卒業アルバムの住所からも松岩中学の出身でしょう。震災後は自宅を千厩にうつしたとのこと。協力依頼を快諾したのは「長年お世話になった気仙沼に恩返しをしたい」との思いからだと。

酒井君、カッター競漕の復活は本当によかったですね。ご苦労さまでした。元気でなにより。(できることならば)来年もどうぞよろしく。

5月27日ブログ「カッター競漕復活」
6月3日ブログ「カッター競漕2020」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : カッター競漕みなとまつり

臼井康晴さん優勝

四国4県で開催中の全国高校総合体育大会(四国インターハイ)のフェンシング男子エペで、気仙沼高校2年生の臼井康晴(こうせい)さんが優勝しました。8月7日の三陸新報がつぎのように伝えています。


エペ優勝

三陸新報8月7日記事の一部イメージ


フェンシング男子エペは、8月5日に香川県高松市でおこなわれました。記事によれば、フェンシング男子個人種目の優勝は34年ぶりの快挙で、気仙沼高校OBの千田健一さん(フルーレ、1973年)、佐藤荘一さん(エペ、1988年)に続いて3人目。臼井選手は、昨年に続き2度目のインターハイ出場とのこと。

三陸新報では、7月30日から「つかめ全国の頂点」と題し、四国インターハイ出場選手をシリーズ記事で紹介してきました。その1回目がフェンシング(気仙沼高校)でした。


三陸新報0730

三陸新報7月30日記事の一部イメージ


この記事には、6月に開かれた宮城県総体では、1、2年生で構成されたメンバーながら、4年ぶり20回目の団体優勝を果たし、全国大会への切符を手にしたと。

こうして結果が出たあとで記事を見ると、「つかめ全国の頂点」というタイトルがリアルなメッセージに感じられます。

◎生島淳さんのツイート

私が臼井康晴さんの優勝を知ったのは、競技当日5日の生島さんのツイートでした。


5日の5:27pmの投稿ですからまさに速報だったのでしょう。「母校の後輩が優勝」というショートメッセージがとてもよかった。

対戦相手の伊藤(慶応)というのは、慶應義塾高校の伊藤海雲さんです。7日の三陸新報によれば、臼井さんと伊藤さんとはジュニア日本代表合宿などで一緒になる機会が多く、互いに手の内を知っている相手とのことです。

◎慶應の千田健太さん

伊藤さんが塾高生と知ってすぐに思い出したのが、千田健太さんのことでした。2012年ロンドンオリンピック男子フルーレ団体の銀メダリスト。その千田さんはいま慶應義塾大学大学院の博士課程で学んでいます。その姿がテレビ朝日「じゅん散歩」で紹介されたことをつぎのブログで紹介しました。

5月17日ブログ「千田健太さん近況」

このブログに書いたように、千田さんはスポーツ分野におけるセンシング技術の応用などを研究しています。研究室は塾高と同じ慶応の日吉キャンパスにあります。ということは、健太さんの研究成果は、慶應義塾高校フェンシング部を支援するかたちになっているのではないかと。だからどうということもないのですが。ご参考まで(笑)。

そんな妄想をいだきながら調べていたら、慶應高校のフェンシングはとっても強いのですね。日本フェンシング協会のジュニアランキング表を見てみると、塾高生の名が上位に何人もいます。知らなかった。

◎臼福の臼井さん

ご存じの方も多いと思いますが、臼井康晴さんのお父さんは気仙沼市魚町〈臼福本店〉代表の臼井壯太郎さんです。壯太郎もフェンサーでした。1995年ユニバーシアード福岡大会出場の経験も。康晴さんは、ことあるたびに〈臼福の〉と言われているかもしれません。本人からするとちょと大変かも。

昔の魚町だったならば、先週末は〈聞いだすか。臼福の孫が、なんとかハイで優勝したって〉との話でもちきりだったかも。〈聞いだよ。さっき賢志さんにそごで会ったっけ、おらいの孫が優勝してしまってって、かだってだでば〉みたいな。

ちょっと話がとんでしまいました。

臼井康晴さん、四国インターハイでの優勝、おめでとうございます。ご家族はもちろんのこと、気仙沼のフェンシング関係者の皆さんも大喜びでしょう。これからの活躍も期待しております。

なお、6日7日は個人フルーレが、8日には臼井さんが主将をつとめる団体フルーレがおこなわれました。なかなか結果がわかりにくいのですが、ネットで結果を見ているかぎりでは気高勢の名前がありませんでした。

(8/10追記:本日8月10日の三陸新報によれば、個人フルーレの清原崇史、菅原史晴、清原理心の3選手がベスト16。男子団体は3回戦で、女子団体は2回戦でそれぞれ敗退とのこと)

気仙沼でフェンシングが盛んなのはなぜか。その理由や背景などはつぎのブログにて。幸いなことに多くの人にお読みいただいております。

2015年5月22日ブログ「気仙沼 剣の源流」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 臼井康晴フェンシング

「鉄人28回生」の夏

気仙沼みなとまつりは、新型コロナ対応で一昨年2020年は中止、昨年2021年も縮小開催。そんなこともあって、今年の第70回みなとまつりは、久々の従来規模開催が計画されていました。しかし、ご承知のとおりコロナの感染状況が落ちつかず8月7日のみと規模を縮小しての開催となりました。関係者の皆さまは本当にご苦労されたことと思います。無事の終了、お疲れさまでした。

きのう7日、気仙沼市の菅原市長がみなとまつりの開催現場の様子を何度かツイートしてくれました。そのうちのひとつを紹介します。8月7日14:57の投稿。


恒例のインドネシアパレードも無事開催されました。ヘリ・アフマディ駐日インドネシア大使にもご覧いただくことができたのはなによりです。ヘリ大使は、昨年12月と本年6月にも気仙沼を訪問してくださいました。今回3度目の来市ではじめてのみなとまつり/インドネシアパレードをご観覧いただいたことになります。

6月15日ブログ「ヘリ大使 気仙沼に」

市長のツイートには、カッター競漕大会への参加も報告されていました。11チームの参加があったのですが、結果は最下位だったと。

チーム名は「鉄人28回生」です。「28回生」は気仙沼高校28回生のこと。気中でいえば、私たちの6つ下の気中26回生です。年齢は64〜65歳。妻の同級生たちですのでよく知る人たちも応援にかけつけています。

写真の最後列には「補欠」の札を胸につけた珍しいメンバーがうつっていました。長峯純一さんです。関西学院大学教授で副学長のおひとり。くわしくはつぎのブログに。

2021年9月24日ブログ「長峯教授の森川海」

「鉄人28回生」チームの公式タイムは5分40秒だったそうです。最下位とはいうものの、よく頑張りましたね。参加することに意義がある。

きのうツイーターを見ていたら、まるオフィスの皆さんも参加したとのこと。チーム名は「優勝したカッター!」。優勝しなカッターようですが、ご参加ありがとうございます。

8月5日の三陸新報にはこのカッター競漕の紹介記事が掲載されていました。前回2010年のみなとまつり/16回カッター競漕で優勝したマカシークラブは、気仙沼高校ヨット部出身の同年生を中心に構成とのこと。今年の結果はどうだったのでしょうね。


カッター
三陸新報8月5日記事の一部イメージ


本日は月曜で三陸新報の休刊日。明日の紙面でみなとまつりの様子がいろいろと伝えられることと思います。はまらいんや踊りや打ちばやし大競演が開催されなかったのが残念ですが、来年を楽しみにすることにいたしましょう。

カッター競漕はじめ、多くの参加者や関係者の皆さま、お疲れさまでした。

(8/9追記:8月9日の三陸新報によれば、カッター競漕の決勝レースでは、「大島」火消しの椿(代表 小松俊浩さん)が3分18秒23のタイムで前回(2010年)覇者のマカシークラブを抑えて優勝したとのことです。おめでとうございます)

7月27日ブログ「みなとまつり7日のみに」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつりカッター競漕

気仙沼化石博物館

8月2日のブログ「気仙沼高校の化石」で、「気仙沼高校化石コレクション」を紹介しました。本日も化石の話です。

2月27日の三陸新報に、「気仙沼で化石の常設展示を」というタイトルの論説が掲載されました。気仙沼には、荒木英夫さんや、故・小泉斉さんが発見・収集した貴重な化石標本があることや、それらの常設展示が実現できないだろうかという提言です。


化石論説

三陸新報2月27日記事の一部イメージ


この論説を読んですぐにブログを書きはじめて、ほぼできあがってはいたのですが、論説にも登場する故・小泉斉さんについて調べていると、いろんな情報が出てきたのです。そんなことで、ちょっと沼にはいってしまってそのままになっておりました。

しかし、このままにしておくと〈化石〉になってしまう恐れもあることから本日の投稿といたしました。

さて。気仙沼で化石といえば荒木英夫さんです。私が高校生のころの気仙沼図書館には、荒木さんらが収集した化石が展示されたガラス戸棚があったように気がします。休憩コーナーあたりに。

荒木英夫さんは、このブログを書くときにいつもお世話になっている『気仙沼文化史年表』(2003年刊)の著者です。荒木さんが気仙沼図書館長に就任されたのは、その文化史年表によれば、昭和53(1978)年8月1日のこと。前任者は菅野青顔さんです。荒木さんは副館長でした。

論説記事には、荒木さんが古代ザメともいわれるヘリコプリオンの歯の化石を気仙沼の上八瀬で発見した時期を1980(昭和55)年としていますが、荒木さん自身は『気仙沼文化史年表』では、つぎのように記しています。

昭和54(1979)年8月1日 荒木英夫 上八瀬黒沢からペルム紀軟骨魚類ヘリコプリオンの歯化石を採集

昭和55年というのは論文発表の時期ではないかと思います。推測ですが、発見したのは昭和54年8月1日かと。この〈8月1日〉というところに荒木さんの発見の喜びが潜んでいるような気もしますね。こ、これは!見つけたぞ!と。

つぎの記述もありました。この4月29日も発見日ではないかと。

昭和36(1961)年4月29日 荒木英夫 上八瀬より三葉虫完全体を発見

なお、ヘリコプリオンは古代のサメといわれてきたようですが、近年の研究ではサメとは異なる「ギンザメ」の仲間と考えられているようです。


◎小泉斉さん

論説記事のなかに、小泉齊(ひとし)さんのお名前がありました。文化史年表につぎの項目がありました。

昭和39(1964)年5月 小泉斉 岩井崎から新型三葉虫エンドプスを報告
昭和50(1975)年7月6日 小泉斉 『日本の古代頭足類化石』を刊行

調べてみると、小泉斉さんは (株)ケセン地質研究所と (株)シェルタッチの代表取締役をつとめられた方でした。

千葉市にお住まいで、カキ殻を使っての水質改善技術に関するレポートがネット上にありました。その末尾に小泉さんの略歴が記されていました。「1945年に中国大陸・山東省維県で生まれる。中学まで宮城県気仙沼市で過ごす。この間に化石(主として古生代)に夢中になる」と。

そしてさらに調べてみると、2004年3月18日から4月4日まで、リアス・アーク美術館の圏域ギャラリーで第6回文化財展「太古からの贈りもの 化石のロマンに魅せられて……小泉斎化石コレクションと気仙沼の化石展」が開催されていました。主催は気仙沼市と気仙沼市教育委員会です。

そのパンフレット画像に「このたび、ご遺族のご厚意により、多数の化石や貝類の標本や学術図書、研究資料、約1万点を気仙沼市に寄贈いただきました」の記載がありました。また、〈惜しくも一昨年逝去された〉とも。

ここまでがすでに書いていた内容です。

記事によれば小泉さんは生前、「気仙沼に化石の博物館を建てたい」との夢を周囲に話していたそうです。気仙沼市に寄贈された小泉斉さんの標本や資料はいまどのようになっているのでしょうか。と、疑問形の文章を付け加えて本日のブログといたします。

今度の日曜日8月7日は気仙沼みなとまつりですね。日程が短縮されましたが、いいおまつりとなりますように。今週はこれにて。

8月2日ブログ「気仙沼高校の化石」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 荒木英夫小泉斉化石

角星さん「月の吟」

一昨日8月2日の三陸新報に、気仙沼の酒蔵「角星」さんがあらたに造ったワイン「月の吟(つきのうた)」の発売広告が掲載されていました。


月の吟
三陸新報8月2日掲載広告より



このワインは清酒の酵母で仕込んだものとのこと。全国的にも珍しいと広告にありました。本日のブログでこの広告を紹介したのは、「月の吟」が角星の「白山製造場」で醸造されたものだからです。

「白山製造場」は、2015年3月末に鹿折小学校との統合によって閉校した白山小学校の旧校舎や体育館を活用して新設されました。2021年2月5日の着工式をつぎのブログで紹介しました。

2021年2月9日ブログ「角星の白山製造所」

このブログでは、市内の八瀬(やっせ)産などのブドウを使ったワインや、鹿折など地元産を原料にしたリンゴ酒(シードル)の製造も計画していると紹介しました。河北新報の記事では、気仙沼市内や岩手、山形のブドウやリンゴを使ったワインやシードルも造るとしていました。

ただし今回のワインは、イタリア産の果汁を使っています。赤はカベルネ・ソーヴィニヨン、白はシャルドネです。地元産ブドウを使ったワイン醸造はたやすいことではないとは思いますが、つぎの楽しみといたしましょう。ワインの前にシードルあたりでしょうかね。

きのう8月3日の三陸新報に、このワインの紹介記事が掲載されました。

ワイン

三陸新報8月3日記事の一部イメージ


私がよくわからなかったのは使用した酵母についてです。記事に〈ワイン酵母のほか、蔵元ならではの仕上がりにするため、清酒酵母も使っており〉とあるのですが、どういうことなのか。角星さんが〈清酒酵母仕込み〉とわざわざ書いているのに、ちょっと混乱させるような情報ではないかと。

ま、それはともかく。ネットでみると、清酒酵母を使ったワインは国内でほかにもあるようですが、どんな味わいなのでしょうね。若い酒としていただく感じでしょうか。地元の飲食店などでも扱いやすいのではないかと。

角星さんの白山製造場着工から1年半。清酒はすでに醸造され出荷されていますが、このたび無事に新商品のワイン「月の吟」も蔵出しされました。

同級生には説明不要ですが、角星さんは小山(斉藤)容子さん(3年5組)の実家。現社長の嘉一郎は弟さんです。そんなこともあり、白山製造所の順調な稼働をよろこんでいるところです。

おめでとうございます。乾杯。

角星オンラインショップ

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 角星白山小学校

「いいいじゅー!!」

明日8月4日(木)のNHKBSプレミアム「いいいじゅー!!」で廃漁網を衣料品にリサイクルする事業にとりくむ株式会社amuの加藤広大さんが紹介されます。


◎NHKBSプレミアム
「いいいじゅー!!」
8月4日(木)19:30〜19:53

「いいいじゅー」というのは「いい移住」なんですね。番組の紹介文を引用します。

〈いま、移住への関心が高まっています。 「いいいじゅー!!」は、新しいライフスタイルや生き方を求めて一歩を踏み出した人々に密着するドキュメント。 移住先の生活は? 仕事は? 人間関係は? 移住のリアルをご紹介。 友近さんのツッコミとあったかいナレーションで、移住者たちのチャレンジを応援します! 〉(引用は以上)

株式会社amuの加藤広大さんについては、つぎのブログで紹介しましたので、ここでの詳細説明は略します。

7月1日ブログ「廃漁網リサイクル」

4日放送について番組案内には、「東京から気仙沼に移住した若者がたった一人で起業。廃棄漁網を衣料品にリサイクル?!地元の期待を集めるが…」とあります。「期待を集めるが…」の「…」が気になるところです。きっと、広大さんの苦労というか奮闘のドキュメントになっているのでしょう。友近さんのあったかいツッコミが楽しみです。

私はこの放送を、インディゴ気仙沼さんのツイートで知りました。それによれば、同社の活動も紹介されるとのこと。そういえば、代表の藤村さやかさんも移住者のおひとりでしたね。

8月4日(木)午後7時半のNHKBSプレミアム。お見逃しなく。

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 加藤広大廃漁網リサイクル

気仙沼高校の化石

三陸新報に「気仙沼・南三陸 化石ずかん」というシリーズ記事があります。当地方で採集された化石の紹介などが主な内容となっています。

しかし、7月27日掲載の52回目記事はちょっと趣のことなる内容でした。見出しは「気仙沼高校化石コレクション」です。


化石

三陸新報7月27日記事の一部イメージ


記事によれば、気仙沼高校には1945(昭和20)年頃から採集された化石の展示コーナがあるそうです。写真には「気仙沼高校化石コレクション」と掲示されている展示の様子がうつっています。

でもなあ、私の気高在校時の記憶を検索してみたのですが、該当する項目がないとの結果。とはいえ私の記憶はあてになりません。どこかにあったのでしょう。

記事には、気仙沼高校の教諭、秋山暉行さんのお名前がありました。暉行は〈てるゆき〉さんでしょうか。その秋山先生が1949(昭和24)年に気高に着任し、生物部の顧問もつとめたそうです。そして部員を連れて、八瀬(やっせ)、鹿折(ししおり)、唐桑、大島、志津川などで化石採集をおこないました。そのときの採集化石が、「気仙沼高校化石コレクション」となっているのです。

コレクションの半分が古生代ペルム紀のもので、時代を代表するレプトダス、ウミユリ、フズリナ(松葉石)などや、中生代三畳紀のモノティス、ジュラ紀のソニニア、白亜紀の三角貝などがそろっているとのこと。

秋山暉行先生のお名前ははじめて知りました。1949年の着任ということですから当然ですよね。

念のために気仙沼高校の「平成16年度版同窓会名簿」に収録されている旧職員名簿を調べてみたのですが、どうも三陸新報の記事に記されている着任時期が違っているようです。1949(昭和24)年ではなく1940(昭和15)年かと。

同窓会名簿による秋山先生の在職期間はつぎのとおりです。

秋山暉行(理科) 昭和15(1940)年3月31日〜昭和34(1959)年2月27日

昭和15(1940)年3月着任ということは旧制気仙沼中学時代ですね。参考までに記しておくと、旧制気仙沼中学校は昭和2年4月開校、昭和23年4月に気仙沼高等学校と改称し開校という流れです。

秋山先生は旧制気仙沼中学から新制気仙沼高校の時代まで19年間も在職されていたのですね。結構ながい。気仙沼をはじめ三陸地方の豊富な化石のもつ魅力というか引力があったのではないかと。

ネットで調べると、秋山先生が発表した論文があることがわかりました。「二畳系叶倉統の頭足類の化石について」。

二畳(にじょう)は二畳紀のことで時代、叶倉(かのくら)は気仙郡住田町叶倉沢に由来する地層のことのようです。この論文は日本地学研究会「地学研究」誌10号に掲載されています。1958年の論文掲載ですから、秋山先生が気仙沼高校の教壇を去る1年前のことになります。

話を戻します。三陸新報の記事には、「化石には整理番号が付けられ、種類、和名、学名、産地、時代、地層名を書いた説明資料も備えられている」とありました。秋山先生のご指導によって学術的な要件を備えたコレクションになっているのでしょう。

記事の末尾には、「気仙沼でまとまった化石が展示されているのは、今のところ同校だけだ」と。そのコレクションのなかに、〈二畳系叶倉統の頭足類の化石〉もあるはずです。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 秋山暉行化石

モンスタークレーン

土曜夜放送のNHK「有吉のお金発見!突撃カネオくん」をいつも楽しく見ています。MCの有吉さんはもちろんですが、キャラクター「カネオくん」のしゃべりを担当する千鳥のノブさんのトークもほんと面白いしうまい。台本もよくできているのでしょうね。

この番組の7月23日放送回で、気仙沼大島大橋の架橋工事映像が流れましたので紹介します。番組テーマは「重機!重機!重機!モンスター重機に迫る!」でした。

さまざまなモンスター重機のひとつとして紹介されたのは、深田サルベージ建設(株)のクレーン船「武蔵」。最大3700トンを吊り下げることができるといいます。建造費は50億円くらいかかったとか。

そうしたクレーン船の仕事として、2017年の気仙沼大島大橋の架橋工事映像が紹介されたのです。全長228mの橋をわずか1日でかけたと。放送画面を4画像で紹介します。


武蔵

橋クレーン船

大島大橋

228m.jpg


映像の流れでいうと、気仙沼大島大橋の工事をクレーン船「武蔵」がおこなったように思った方も多いのではないかと。しかし違うのです。大島大橋の工事を担当したのは深田サルベージの別のクレーン船「富士」です。同船は3000トンクレーン船。番組の説明を聞き直してみると、大島大橋を「武蔵」が担当したとは言っておらず、あくまでこうした大型クレーン船の工事例として紹介しています。ちょっと微妙というか曖昧な感じがありました。

クレーン船「富士」は、気仙沼大島大橋だけでなく、気仙沼湾横断橋の工事にも参加しました。2019年5月の横断橋主塔架設についてつぎのブログで紹介しております。

2019年5月13日ブログ「気仙沼湾ブリッジ」


◎被災船の撤去にも従事

クレーン船「富士」が、東日本大震災時に岸に打ち上げられた船舶の撤去や復旧に尽力してくれたことをご存じでしょうか。

NHK『おかえりモネ』で、「富士」による気仙沼大島大橋の架設時の様子が紹介されたことを伝える深田サルベージのニュース記事につぎの記述がありました。

〈気仙沼大島大橋架設工事は、東日本大震災発生後、気仙沼漁港に打ち上げられた漁船等の救助・撤去作業を行っていた「富士」が、震災で孤立した大島と気仙沼を結ぶ橋を架けるため再び気仙沼で作業をすることになり、当社としても大変意義深い工事でした。〉(引用は以上)

被災船の撤去に尽力した「富士」が、復興の象徴のひとつともなった気仙沼大島大橋の架橋もてがけていたわけです。

この被災船撤去に従事してくださった深田サルベージ平信雄さんが、2014年3月の沖ノ鳥島の港湾係留施設現場での事故でお亡くなりになったことはつぎのブログで紹介しました。

2014年4月10日ブログ「沖ノ鳥島での事故」

巨大クレーン船をはじめ、「モンスター重機」が活躍する現場は、危険と隣り合わせの現場でもあるのでしょう。被災船舶の撤去やふたつの架橋大工事に従事してくださった深田サルベージ建設の皆様に、工事の無事故を願うとともに、あらためての御礼を申し上げます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 深田サルベージ

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
07 | 2022/08 | 09
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示