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『まほうのピアノ』

7月26日のブログでは仙台空港の「復興ピアノ」の話でした。本日もピアノの話題です。7月21日の三陸新報に気仙沼市松崎の森谷利男さんという方からの投稿が掲載されていました。タイトルは「佐賀きずなプロジェクトで寄贈されたピアノの行く末を想う」。


佐賀県ピアノ

三陸新報7月21日記事の一部イメージ


「佐賀きずなプロジェクト」というのは、佐賀県が2011年10月から県内で販売した「義援金付きプレミアム商品券」を原資としたもの。はじめから気仙沼の支援を目的としていました。義援金総額は9233万円にものぼり、これにより気仙沼市内の学校や公共施設に計24台のピアノが贈られたのです。つぎのブログでも詳しく紹介しました。

2020年10月19日ブログ「佐賀からのご支援」

森谷さんの投稿文の主旨は、佐賀県の皆さんからピアノの寄贈を受けた学校のなかには閉校したところもあるが、それらのピアノはいまどのようになっているのか、その行く末が気になるということです。

具体的な校名や施設名もあげています。気仙沼西高校(2018年4月に気仙沼高校と統合)、大島中学校(2022年4月に鹿折中学校と統合)、そして新築移転した市立病院(2017年10月に新築移転)のグランドピアノ、そして落合小学校(2014年4月に新城小学校と統合)のアップライトピアノです。

このうち、市立病院については、上記の当方ブログを確認すると、義援金を積み立てておき施設の再建後にグランドピアノを購入するとされています。その行く末を心配する必要はないようです。

◎「まほうのピアノ」

投稿文の冒頭にある〈「まほうのピアノ」感謝の集い〉について、少し説明が必要かもしれません。これは佐賀県からのピアノ寄贈への感謝を伝えるイベントです。6月4日に松岩公民館で開催されました。5月29日の三陸新報につぎの案内記事がありました。


まほうのピアノ感謝の集い

三陸新報5月29日記事より


このイベントでは、一冊の絵本が紹介されました。そのタイトルが「まほうのピアノ」。この絵本の作成は、気仙沼市の「東日本大震災10年復興記念事業」として募集された補助対象事業のひとつです。復興絵本作成委員会による事業名は「復興絵本 佐賀から贈られたピアノの物語」。佐賀県からのピアノ寄贈の復興支援について、「震災の記憶、復興の記憶」として絵本を作成し、支援への感謝とするとともに、子供たちに震災の記憶を伝えていくことを目的としていました。

絵本の作者(文と絵)は絵本作家の佐々木澄江さんです。佐々木さんは、〈すみ絵〉さんとして、ラヂオ気仙沼「夕やけぎょっと倶楽部」の月曜パーソナリティ−もつとめています。本年3月9日には、佐々木さんが佐賀県庁をおとずれて同絵本を寄贈しました。その様子を佐賀新聞がニュース配信しています。

佐賀新聞3月10日配信記事

またNHK佐賀放送局の本年3月22日に「“まほうのピアノ”はいま 佐賀・気仙沼をつなぐ絆の音色」を放送。その概要をWEB特集記事として配信していました。

NHK「ニュース ただいま佐賀」特集記事

この特集記事の「取材後記」につぎのように記してあります。「震災から11年経ったいま、佐賀から贈られたピアノだと知る人は少ないようです。この絵本をきっかけに再び交流が生まれるといいなと思いました」と。ちょっと胸に刺さるものがあります。

投稿者の松崎さんは文末に、閉校した学校のピアノ活用先を提案しています。「海の市」や「道の駅大谷海岸」、そして新築移転される新市庁舎の市民ラウンジなどです。閉校した各校のピアノの現状確認が前提になりますが、活用策の一案といえるでしょう。

私も大島中と鹿折中の統合のときに、この佐賀県からのピアノの扱いがちょっと気になりました。担当が市なのか市教育委員会なのか、細かなことはわかりませんが、これを機会に現状や今後の方針などを三陸新報さんにもご確認をお願いしたく。

気仙沼の多くの人が佐賀から贈られたピアノの物語を知ることは、佐賀県の皆さんのご厚意に報いることにもなるでしょう。その意味からも、絵本「まほうのピアノ」の作成、そして感謝の集い開催には大きな意義があったと思います。

佐々木澄江さんはじめプロジェクト関係者の皆さんに御礼を。そして、三陸新報に投稿してくださった森谷利男さんにも感謝を。ありがとうございました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐賀きずなプロジェクト

南気仙沼まちづくり

7月25日の河北新報配信記事が、気仙沼市の南気仙沼地区におけるまちづくりの現状を伝えてくれました。筆者は気仙沼総局の鈴木悠太さんです。


リード文を引用します。

 東日本大震災で甚大な被害があった気仙沼市の南気仙沼地区で、10年以上の「空白」を経てコミュニティーの再生が始動した。土地区画整理事業の完了に時間を要し、住民が移転したり再建が遅れたりして進まずにいた。かつての結び付きは薄れてしまったものの、住民は新しいまちづくりを模索する。(引用は以上)

詳しい内容は記事を読んでいただきますが、要点を紹介します。


南気仙沼まちづくり振興協議会は昨年12月から月1回、住民が地域づくりを話し合うワークショップ(WS)を開催しているそうです。会場は昨年12月に再建された気仙沼中央公民館。毎回20~70代の約15人が参加するそうです。

記事では5月のWSでの指摘を紹介しています。〈「隣近所の顔が分からない」「あいさつしても返ってこない」。地区のコミュニティーが希薄な現状が浮かび上がった。〉

震災前の南気仙沼地区は約4600人が暮らしていたそうですが、津波で約3分の2に当たる1137世帯が流され、250人以上が犠牲になったといいます。

土地区画整理事業の完了が2020年9月と予定より2年半遅れた影響もあり、計画人口約2400に対し、今年3月末時点の居住人口は1567。区画利用面積は54%にとどまるそうです。

そして17あった自治会も今年5月末時点で活動を再開したのは6自治会。記事では〈他にも活動再開や近隣との統合を模索する動きはあるものの「もう自治会の必要性を感じない」と消極的な住民もいるという〉と記しています。

記事では南気仙沼まちづくり振興協議会の関係者ふたりの声を紹介しています。

事務局の小湊泉さんは「南気仙沼は10年も動きが途切れた。人間関係が醸成されず、地域活動の世代交代も停滞した。自治の基盤をまた一からつくり直す必要がある」と。そして協議会会長の吉田久雄さんは「やっとスタート地点に立った。今後はまちづくりに関わる人を増やし、少しずつ計画を具体化したい」と。吉田会長は気中同級生の久雄君(3年6組)です。

南気仙沼地区の土地区画整理事業の竣工式は2020年9月26日におこなわれました。つぎのブログで紹介しております。そのなかで、当時「南気仙沼復興の会」会長をつとめていた吉田久雄君の「これからがまちづくりの本番。住民と共に暮らしやすく、多くの人が集う南気仙沼地区になるよう役割を果たしていきたい」という言葉を紹介していました。

いろいろと課題も多いことと思いますが、地域の皆さんの協力によって、新しい南気仙沼のまちづくりが進展することを願っております。

河北新報の鈴木悠太さん、現状や課題がよくわかりました。いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

2020年9月28日ブログ「南気仙沼の竣工式」
 

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tag : 南気仙沼まちづくり

港まつり7日のみに

8月7日と8日の開催が予定されていた気仙沼みなとまつりですが、7日のみの開催とすることになりました。きのう7月26日の気仙沼みなとまつり委員会で決定とのこと。本日の三陸新報がつぎのように伝えています。


みなとまつり

三陸新報7月27日記事の一部イメージ


新型コロナの感染者が拡大していることを受けての計画変更です。開催行事を見直した結果、初日7日に予定していた「大はまらいんや踊り」と8日の「打ちばやし大競演」は中止となりました。

6日に予定していたオープニングセレモニーは7日のまつりパレードに先立ち実施されます。また、カッター競漕大会やステージイベント、海上うんづら、サンマ船集魚灯披露などは予定どおり行うそうです。海上花火は、例年の1.5倍規模となる4千発以上をうちあげます。

きのう午後6時ごろの菅原市長ツイートでこのみなとまつり行事の見直しを知りましたが、まあ、これもしかたないかなと。7月25日の市内新型コロナ感染者が96人になるなど、まさに急拡大という感じでしたからね。きのう26日は38人です。

とはいえ、予定どおりおこなわれる行事もいろいろと。感染対策に留意のうえで楽しいみなとまつりとなるようにすればいいでしょう。私としては、12年ぶりとなるカッター競漕が盛り上がり、今後の恒例行事になってほしいなと思っています。

みなとまつりまであと11日。8月7日ごろにはコロナの感染状況も沈静化していることを願っております。だいたいそうだよね。そうなるに違いないということで。どうぞよろしく。

2022年6月3日ブログ「カッター競漕2010」

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tag : みなとまつり

仙台「復興ピアノ」

「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」は、コンサート会場ではない自由な空間に置かれたピアノが弾かれる様子のドキュメント。番組案内には、〈誰でも自由に弾けるピアノ--人々が紡ぐ“一期一会”の音楽〉と記してありました。

先週金曜日になにか録画するテレビ番組がないかと思ってプログラムをながめていた私の番組センサーがピ!と反応しました。7月23日(土)NHKBS1/12:00〜48 空港ピアノ「仙台」。

もしかするとあれの再放送かなと。あれというのは昨年放送された気仙沼出身のジャズピアニスト岡本優子さんの登場回です。

初回放送日は2021年3月28日となっています。しかし私が見たのはその後の再放送でした。それも何度かにわけての放送だったような。ブログで紹介しようと放送画面を撮影した記憶があったので調べてみると、2021年5月の画像がありました。放送画面には「空港ピアノ 仙台vol.3」と。やはり、何度かに分けて放送したものをまとめて放送したのが2021年3月28日ということなのかもしれません。

◎空港ピアノ「仙台」再放送

今回の再放送に関する番組案内を引用しておきます。

東日本大震災から10年。仙台空港に期間限定で設置された「復興ピアノ」。津波をかぶり、がれきの中からよみがえったピアノだ。訪れた人々はどんな思いで曲を弾くのか。 2021年2月、仙台空港にところどころ傷が残る一台のピアノが置かれた。宮城県七ヶ浜町で津波をかぶり、がれきの中からよみがえった「復興ピアノ」。震災の記憶を伝えようと期間限定で設置された。大学受験帰りの女子高生。北海道から友人を訪ねてきた女性。リクエストに応え「上を向いて歩こう」を弾く男性。定年退職後、弾き語りを始めた男性。震災で亡くなった恩師に曲をささげる女性。様々な人々が心のメロディーを奏でる。(引用は以上)

優子さん演奏の放送画面をいくつか紹介します。演奏曲は「Prayer〜祈り」です。


IMG_5478.jpg



IMG_5481.jpg




画面下のテロップはつぎのとおり。

震災時はニューヨークを中心に音楽活動をしていた。1週間 家族と連絡がつかなかった。そのとき作った曲「Prayer〜祈り」。その後 気仙沼を支援するチャリティCDを制作。今は帰国して宮城を中心にライブハウスなどで活動を続けている。やっぱり地元にこれを機に帰るべきなんじゃないかと 自分の中であって。やっぱり戻ってきて地元の温かさというか。ふるさとがあるってすてきなことだなって実感してますね。(引用は以上)

本日のブログは、昨年時点でのブログ紹介ができなかったことと、今回の再放送を優子さんも知らないのではないかなと思ってのこと。

今回の再放送を見て気づいたことがありました。昨年と今回とで放送を見たときの私の印象が微妙に違っています。2度目の視聴ということを差し引いてもちょっと違う。

なにか震災復興というワードに対する私自身の反応の変化なのでしょう。もしかすると、私の復興センサーの感度がにぶったのかもしれません。

2021年8月17日ブログ「20年前の優子さん」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 岡本優子空港ピアノ

「高校野球回想記」

7月23日の三陸新報「論説」がおもしろかった。「宮城 高校野球回想記」。


7:23論説

三陸新報7月23日記事より


この論説記事は、「かつて、高校野球宮城大会の会場は県都・仙台市に限られ、県営宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)と評定河原球場などだった」と始まります。

そして筆者は、広瀬川左岸にある評定河原球場のエピソードを紹介します。〈中堅までの距離が短いことで、数々のホームラン伝説を生んだ。気仙沼高校の熊谷利夫さんの1試合3ホーマーはいまだに破られていない大記録だ。〉

そしてもうひとつの評定河原球場にまつわる話。宮城県高野連の長い歴史の中でたったひとつの「放棄試合」についてです。

1956年秋の新人戦準々決勝。気仙沼高校は優勝候補の東北高校と対戦することになります。下馬評としては気仙沼の勝利。勝てばセンバツが見えてくると。

しかし、雨天で試合が1週間延期となり試合は気高2学期の期末考査の前日です。校長からは勝っても、その後の試合をあきらめるようにいわれています。

そして迎えた試合。9回表の時点で1-1の同点でしたが、東北の攻撃を残して試合は終了。気仙沼の「放棄試合」となったのです。なぜかといえば、試合を続けると仙台駅午後5時45分発の列車に間に合わないからでした。

まあ、9回裏は東北の攻撃ですから1点はいってサヨナラの可能性もあるわけですが、なんとか延長に持ち込みたかったと思います。残念だったろうなと。

私がおどろいたのは気高野球部の監督が「丸和」の尾形和市さんだったこと。尾形和優さん(一年先輩の気中19回)のお父さんです。旧制気仙沼中学から東京帝国大学に進んだ秀才のひとりとして知られています。

それと気高の投手は島田源太郎さんでした。記事にもあるようにその後「大洋ホエールズで完全試合」を達成しています。気高時代もその投手力は相当なものだったでしょう。島田さんは私たちの12年先輩です。たぶん気中8回生。

三陸新報論説はつぎのように結ばれています。

〈車社会の今であれば、後顧に憂いを残すことはなかっただろう。三陸道の完成によって、南三陸町平成の森「しおかぜ球場」も会場の仲間入りを果たした。県都から離れた高校生のハンディの軽減を喜びたい。〉(引用は以上)

島田源太郎さんの完全試合についてはつぎのブログにて。文中に、Wikipediaからの引用で、「気仙沼高校では3年次の1957年、夏の甲子園県予選準決勝に進むが仙台二高に敗退」と記しております。

2020年8月21日ブログ「島田源太郎の偉業」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 島田源太郎

神明崎パイライト

7月20日のブログでは「大谷鉱山の金鉱石」を紹介しました。本日は、気仙沼市「コの字岸壁」寄りの神明崎(しんめいさき)の岩場で、金を見つけた(と思った)話の続きです。

4月27日ブログ「気仙沼 コの字岸壁」

4月27日のブログで書いたのは、これは金ではなく黄鉄鉱で、〈愚者の黄金〉とも呼ばれるという話でした。

◎「BRUTUS」6月15日号

雑誌「BRUTUS」に、この「愚者の黄金」が紹介されていたのには驚きました。同誌6月15日号の特集は「珍奇鉱物」。副題は〈地球が描く、至高の藝術〉です。

見開きで5点の写真とともに紹介されていたのは「金属鉱物」です。「結晶とは一味違うメタリックな輝きの魅力」という見出しで、つぎのように説明されています。

〈「金属鉱物」という鉱物学上の定義があるわけではないが、ここでは金属を主成分とする鉱物や金属的な光沢を見せる鉱物を紹介。宝石質の結晶鉱物に人気が集まる傾向はあるものの、金属鉱物特有のギラリとした光沢に魅せられるコレクターも実は少なくない。〉

まずはご覧いただきましょうかね。愚者の金「パイライト」(Pyrite)です。


パイライト

「BRUTUS」2022年6月15日号(p58)より


説明文には〈まるでゴールドのような輝きを持つことから「愚者の金」とも呼ばれる。人工物のようなシャープな形状の結晶が特徴で、多産なこともあり、入門向け鉱物としても人気だ。〉とあります。

納得。私だけでなく、当時一緒にあそんでいた〈カネサ〉のセイちゃんとか〈鼈甲屋〉のフジオちゃん、タカオちゃんも、ブルータスの言葉を借りれば〈人工物のようなシャープな形状の結晶〉がもつ〈メタリックな輝き〉に魅せられたのでしょう。

神明崎のパイライトは、この写真ほど立派な結晶ではありませんでしたが、写真を見ていると約60年前の〈発見の喜び〉がよみがえってくるようです。

いまもお神明さんとコの字岸壁の中間地中にあると思われるあの金属鉱物を、今日からはこう呼んでください。神明崎イーストコーストパイライト。ヨロシク。



 

テーマ : 気仙沼
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tag : パイライト

2020年10月空撮

7月19日のブログ「全建賞の受賞事業」で、2021年度の「大谷地区海岸高潮対策事業」のほか、2020年度にも「鹿折地区及び南気仙沼地区における事業連携による早期復興の実現」が同賞を受賞していることを紹介しました。

その鹿折(ししおり)と南気仙沼に関しての記述は、2021年7月21日付け気仙沼市記者発表資料を参考にしました。この事業の実施機関は、気仙沼市と独立行政法人都市再生機構(岩手・宮城震災復興支援本部)です。

鹿折地区と南気仙沼地区の土地区画整理事業は市から、都市再生機構が受託しておこなわれました。ただし、2020年度の全建賞は、土地区画整理事業だけでなく、災害公営住宅、上水道業、下水道、ガスの各事業が連携して早期復興実現したことに対して授賞されています。記者発表資料からその詳細を引用しておきます。

連携事業:被災市街地復興土地区画整理事業、災害公営住宅整備事業、道路事業、上水道事業、下水道事業、ガス事業
施工者:気仙沼市
受託者:独立行政法人都市再生機構

本日紹介するのは、この記者発表資料に添付されていたふたつの写真です。いずれも2020年10月31日撮影です。

まずは鹿折地区からです。

鹿折
2021年7月21日付け気仙沼市記者発表資料より


つぎに南気仙沼地区。

南気仙沼
2021年7月21日付け気仙沼市記者発表資料より


このふたつの写真を見て感じることは人さまざまでしょうね。ここにはうつっていなくても、その後にできた建物なども多いことでしょう。

1年9カ月前の撮影ですからね。南気仙沼地区では中央公民館はまだ基礎工事中のようです。全館供用されたのは2021年12月でした。同様に鹿折公民館もまだ開館していません。こちらは2021年4月1日の開館です。

私はどうしても、震災前の風景というか記憶と重ねあわせてしまいますね。あそこにはあれがあった、ここにはあれがと。

事業(施策)名称のなかにあった「早期復興の実現」という言葉にはいろんなご意見があるでしょうが、事業目標ということだと思います。とても重層的な情報に満ちた写真と思い本日の紹介といたしました。どうぞよろしく。

2021年7月21日付け気仙沼市記者発表資料(PDF)

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 土地区画整理事業鹿折南気仙沼

大谷鉱山の金鉱石

きのうのブログでは、大谷海岸の復興事業が全建賞を受賞したことを紹介しました。本日も大谷に関してですが、海ではなく山、大谷鉱山の話です。

河北新報が7月18日に配信した「よみがえる!宮城の鉱山」の第2回目が大谷鉱山でした。



このシリーズ記事は、天童市在住の鉱山・鉱石研究者の五十公野(いずみの)裕也さんによるもの。12回連載。まずは初回に掲載されていたリード文を紹介しておきます。

「国内最古の金産出地があり、かつては100カ所以上の鉱山が存在した宮城県。2019年度には、気仙沼市や涌谷町などの産金遺跡が日本遺産「みちのくGOLD浪漫(ろまん)」として文化庁に認定され「鉱山の記憶」への関心が高まっている。鉱山・鉱石研究者の五十公野(いずみの)裕也さんに、県内にあった主な鉱山の歴史や特徴を紹介してもらった。」

2回目の大谷鉱山の記事の見出しは「肉眼で見える金産出」です。これについてはまたのちほど。

記事の冒頭に大谷鉱山の場所に関しての記述がありました。「大谷鉱山は旧本吉町の大谷海岸近くに位置し、その付近には小金沢という産金にまつわる地名がある。国道45号沿いの小金沢駅(気仙沼線BRTのバス停)から山に向かって道路を約2.5キロ進むと大谷鉱山跡の広場に到達する。」

地図を紹介しておきます。

地図


大谷海岸の近くというよりも、かなり山のほうに入ったところなのですね。そして「広場正面にはコンクリート製の巨大な製錬所跡がそびえ立ち、かなりの大鉱山であったことを思い起こさせる」と。

広場の東側にある大谷鉱山歴史資料館の説明が続きます。「特に目玉となる展示物は、金品位(鉱石1トン当たりに含まれる金の含有量)が1トン当たり1万グラムの見事な金鉱石であり、肉眼で金を見ることができる」とのこと。

この資料館に展示してある金鉱石は、ブログ末尾に「みちのくGOLD浪漫」サイト掲載の写真を紹介しましたが、〈1トン当たり1万グラム〉という金品位、含有量は本当でしょうか。1万グラムは10キログラムです。金鉱石のなかに粒状の金がたしかにあるのですが、10/1000つまり1%の含有量とはちょっと思えないのです。なにか新しい情報をまつことにいたしましょう。

歴史についてはつぎのように記しています。

「日本金山誌および資料館設置の案内板によると、大谷鉱山は1905(明治38)年に初めて試掘鉱区が設定された。以降、鉱業権者が転々としたが、1922(大正11)年に久原鉱業(日本鉱業の前身)が鉱業権者に加わった。

 本格的な開発が始まったのは1925年以降。1929(昭和4)年に日本鉱業(現在のJX金属)の経営となり、次第に大規模鉱山へと発展した。最盛期の1942年には従業員1303人に達したが、翌年の金山整備令により休山した。

 戦後の1950年に再開し、翌年には青化製錬所が建設された。1962年に子会社の大谷鉱山の経営となったが、1971年に休山した。その後、有志によりプレハブの鉱山資料館が設置され、2004年に現在の資料館へと生まれ変わった。

記事にある〈最盛期の1942年には従業員1303人に達した〉というのがすごい。以前のブログでもこの従業員数について紹介しましたが、1300人もの人が働く工場、企業というのは相当な規模。それが大谷にあったわけです。

つぎのブログでは、大谷鉱山で働いていた元従業員が大谷鉱山歴史資料館前に沿革を記した石碑を建立したことや同鉱山の歴史を紹介しました。

2014年12月17日ブログ「気仙沼の大谷鉱山」

つぎの「みちのくGOLD浪漫」サイトでは、大谷鉱山と鹿折鉱山がまとめて紹介されています。見出しは「日本のゴールドラッシュの一翼を担った近代鉱山」です。河北新報記事にも書かれている金鉱石の写真も掲載されていました。

金鉱石

「みちのくGOLD浪漫」より


「みちのくGOLD浪漫」鹿折金山・大谷鉱山

鹿折金山も大谷鉱山にしても、もっといろんなことが知りたくなってきます。河北新報記事の筆者、五十公野さんに御礼を。ありがとうございました。
 

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全建賞の受賞事業

大谷海岸の東日本大震災復興事業「大谷地区海岸高潮対策事業」が、全日本建設技術協会の2021度「全建賞」を受賞したそうです。7月16日の三陸新報が伝えています。

全建賞
三陸新報7月16日記事の一部イメージ


「全建賞」は、日本の良質な社会資本整備の推進と建設技術の発展を促進するために1953年に設けられました。主要な授賞対象は、国や都道府県、市町村、機構・公社等の機関において実施された国内の根幹的なインフラです。

大谷海岸の国道45号線と防潮堤関連事業での各種受賞では、「大谷里海(まち)づくり検討委員会」の名を目にすることが多かったように思いますが、以上のようなことで今回の受賞事業の実施機関(受賞団体)としては、宮城県の気仙沼土木事務所と気仙沼市の名があげられていました。

2014年度全建賞より東日本大震災関係の復旧・復興事業については新たな授賞枠が「特別枠」として設けられました。このたびの大谷地区事業の受賞も同枠によるものです。

三陸新報記事の末尾には、2019年度に大島架橋事業と小泉海岸の復旧工事が全建賞を受賞していると記されていました。同賞サイトによれば、「大島架橋事業(架橋工区)」と「東日本大震災で被災した小泉海水浴場の再開~地元合意形成とともに復旧した中島地区海岸復旧工事」の2事業です。実施機関はいずれも宮城県気仙沼土木事務所です。

そして同サイトをみると2020年度にも、「鹿折地区及び南気仙沼地区における事業連携による早期復興の実現」が全建賞を受賞していました。実施機関は、気仙沼市と独立行政法人都市再生機構(岩手・宮城震災復興支援本部)です。

そして今回の大谷地区事業が2021年度全建賞受賞となったわけですね。

県気仙沼土木事務所と気仙沼市関係部署の皆様はじめ大谷海岸復興事業関係者の皆さまにお祝いを。このたびの全建賞受賞、おめでとうございます。

2021年12月17日ブログ「大谷海岸のW受賞」

 

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tag : 全建賞大谷海岸

4つの浜の海開き

7月16日(土)、気仙沼市内4つの海水浴場がオープン。と書きたいところですが、悪天候のためにすべてで遊泳禁止となりました。きのはどうだったのでしょうか。(7/19追記:19日の三陸新報によれば、お伊勢浜海水浴場は17日も遊泳禁止となったそうです。ほかがどうだったのかわかりませんが、同様だったのではないかと)本日は気仙沼は好天とのことですので、各浜は賑わっていることでしょう。

本日は三陸新報に掲載された各海水浴場の広告を紹介します。

広告にも記されていますが、4つの海水浴場すべてが水質検査結果は最高ランクの「AA」とのこと。遊泳期間もすべて7月16日から8月21日までとなっています。

まずは7月14日(木)掲載の大谷海水浴場オープン広告から。

大谷海岸
三陸新報7月14日掲載広告より


つぎは7月15日(金)のお伊勢浜海水浴場です。2頁見開きでドーンと。12年ぶりの再開ですから力がはいっています。

お伊勢浜
三陸新報7月15日掲載広告より


7月16日(土)には、小田の浜海水浴場と小泉海水浴場のふたつの広告が掲載されていました。

小田の浜
三陸新報7月16日掲載広告より


小泉
三陸新報7月16日掲載広告より


東京で暮らす私にとって、掲載されている地元の商店や会社の広告をながめるのも楽しみのひとつです。紹介した画像でははっきりわからないと思いますが、以前から知っているところもあれば、はじめて知る名前も。

一方で気になるのは新型コロナの感染が増えていることですね。東京もそうですが、気仙沼でも増加傾向にあります。観光関係者の期待も大きいだけに、先行きが気になるところです。

とはいえ、こうして12年ぶりに4か所が出そろっての海開きです。事故もなく多くの皆さんが気仙沼の海を楽しんでくれることを祈りながら、お祝いを申し上げます。
 

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tag : お伊勢浜小田の浜小泉海岸大谷海岸

菅原務理事長退任

昨日7月14日の三陸新報に、気仙沼信用金庫の理事長を6月22日の総代会をもって退任した菅原務さんのインタビュー記事が掲載されていました。

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三陸新報記事7月14日記事の一部イメージ


聞き手は同紙の守竜太さん。〈気仙沼市の副市長から転身し、6期12年。東日本大震災からの再建に全力を注いだ足跡を振り返り、思いを聞いた〉とのこと。

菅原務さんが気仙沼市の副市長をつとめたのはいつからだろう。調べてみると、在任期間は2006年5月24日〜2010年5月23日まででした。鈴木昇市長の任期とほぼ重なっています。鈴木市政をバックアップしてくださったお一人でしょう。

そして2010年6月に加藤稔理事長の会長就任に伴い、菅原務さんが新理事長に就任しました。それから12年です。

インタビュー記事のなかにもあるように、在任期間と東日本大震災からの復興期間とが重なっています。市内の多くの事業所もそうですが、気仙沼信金そのものも12店舗中7店舗が全壊、1店舗が大規模半壊、2店舗が床上浸水、被災を免れたのは2店舗のみだったそうです。

多くのご支援に対する感謝も述べられています。

「市との強い結びつきを生かし、気仙沼商工会議所とともに連携を強めました。市は多額の復興財源を預金に充ててくれ、絶大な協力をいただきました。

事業者の販路拡大を支えてくれた東京東信金や、財団を設立して事業者に総額6万5千万円に上る資金を提供いただいた三菱商事など、多くの支援にも感謝したいです。」

財団とは、三菱商事復興支援財団のことですね。2013年に同財団と気仙沼市そして気仙沼信用金庫で〈気仙沼きぼう基金〉を設立しています。これは財団が得る配当収入を原資にして地域産業への再投資をおこなうためのもの。

また、三菱商事復興支援財団は、気仙沼市内の三陸飼料、気仙沼ケーブルネットワーク、気仙沼地域エネルギー開発の3社に総額2億5000万円を、〈海の市〉を運営する第3セクター気仙沼産業センターに5000万円をそれぞれ出資しています。これらの支援や、ふかひれのヨシエイ加工(株)に対する出資などについては次のブログにて。

2014年4月28日ブログ「三菱商事復興支援」

2012年2月には、NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災/
“魚の町”は守れるか
~ある信用金庫の200日」が放送されました。気仙沼の地場企業復興のために奮闘する気仙沼信用金庫の皆さんの動きを追ったドキュメント。つぎのブログで紹介しております。

2012年2月18日ブログ「気仙沼信用金庫」

菅原務さん、12年にわたる理事長の任、本当にご苦労さまでした。気仙沼をはじめ地元の多くの事業家の皆さんが感謝していることと思います。ありがとうございました。
 

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気仙沼かつお祭り

気仙沼市や商工会議所、気仙沼漁協をはじめ関係団体で構成される「気仙沼市生鮮かつおプロモーション事業実行委員会」が7月の第3月曜日の「海の日」を気仙沼独自に「カツオの日」とすることを決めたのは、2017年5月9日のことでした。

2017年5月12日ブログ 「カツオの日」制定

この年2017年には、7月15日から8月20日までを「かつお月間」として、各地区商店会や宿泊施設、「海の市」「お魚いちば」「さかなの駅」などで、PR用ののぼりをたてたり、ポスターを掲出するなどしました。この年には「気仙沼かつお祭り」という名称は使用されていませんでした。

そんなことで「気仙沼かつお祭り」としての開催は2018年からのことです。2018年は7月14日から16日までの3日間に集中して、海の市(魚市場前)、お魚いちば、気仙沼さかなの駅の3施設合同イベントとしておこなわれました。その後は、2019年3日間、2020年は19日間、2021年は15日間の開催となっています。

◎2022年のかつお祭り

今年の気仙沼かつお祭りは7月15日(金)から31日(日)までの17日間です。今年のポスターを紹介しましょう。


かつお祭り


アレッと思ったのは「第6回」としてあることです。上に述べたようなことで私の計算では2018年から数えて今年は5回目となるはずなのですが。2017年のPR活動を1回目とカウントしたのかもしれません。

それと今年から内湾商業施設「ないわん」も加わって4施設合同イベントとなっています。

詳細は「気仙沼さ来てけらいん」にて。

そして今年は「全国カツオまつりサミット」も気仙沼で開催されます。これは3回目。1回目は2018年に和歌山県すさみ町で、2回目は2021年に高知県土佐清水市で開催されました。


サミット

裏面


7月22日(金)には、気仙沼中央公民館にて記念シンポジウムがおこなれます。また、7月23日(土)には「全国カツオまつりin気仙沼」も。全国のかつおのまちのご当地グルメを味わえるビアガーデンや、高知県中土佐町名物カツオの藁焼きの無料お振舞いのほか、気仙沼住みます芸人「けせんぬまペイ!」さんと、よしもとの人気お笑いコンビ「フルーツポンチ」によるお笑いトークライブ、カツオのまち探検など、子どもから大人まで楽しめるイベントが盛りだくさんとのこと。

◆記念シンポジウム
日時/7月22日(金)13:00~16:45場所/気仙沼中央公民館ホール
要申込(当日可)・入場無料

◆全国カツオまつりin気仙沼
開催日時/7月23日(土)10:00~19:00
場所/内湾商業施設「迎(ムカエル)」前海側広場、PIER7(軽運動場)、気仙沼魚市場ほか

詳細は気仙沼さ来てけらいんで。

以上、長くなりましたが、海の日は気仙沼かつおの日!ということで。どうぞよろしく。

シンポジウムについては、つぎの気仙沼市記者会見資料に詳しく掲載されています。ご参考まで。

記者会見資料「全国カツオまつりサミットin気仙沼」(PDF)

 

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山下清 没後51年

きのう7月12日は、〈放浪の画家〉山下清さんの命日だったそうです。同日の三陸新報「萬有流転」がつぎのように紹介しています。


山下清

三陸新報7月12日記事の一部イメージ


萬有流転の冒頭を引用します。

「やあ、すごい景色だ。こんな所でゆっくり絵を描きたいな」。気仙沼市岩井崎を訪れた画家の感想を本紙が紹介している」

これは、山下清さんが1968年(昭和43年)に気仙沼で作品展を開いたときの話とのこと。萬有流転はつぎのように続けます。

「ヨーロッパをスケッチ旅行して仕上げた80点が、当時の丸光気仙沼店(南町)会場に並んだ。山下は46歳。その3年後の7月12日に他界し、きょうが51回目の命日に当たる」

これを読んで、私の記憶違いを知りました。私はこの作品展会場を「丸光」ではなく、「藤崎」だと思っていたのです。藤崎の正面ではなく、向かって左側の入口から入っての3階が4階というイメージが今でも思い浮かぶのですが、丸光だったのですね。

三陸新報は、この山下清の岩井崎訪問を記事にしているわけですから、作品展会場を間違うわけもないでしょう。誤記をお詫びするとともに、昨年7月のブログを再掲します。



2021年7月29日ブログ再掲

山下清さん作品展

(2021年)7月12日のNHK-BS「プレミアムカフェ 山下清の愛したニッポン」を見ました。これは、2008年のNHKドキュメンタリー「山下清の愛したニッポン」のアンコール放送。

タイトル

番組タイトル(放送画面より)


番組サイトより、紹介文を引用します。

「鮮やかな色彩の貼り絵で描かれた日本の風景。画家・山下清の作品は、時代を超えて日本人の心を動かし続けている。全国を放浪する清に、人々は食べ物や宿を提供した。そこで見聞きした風景や出来事を、後から驚異的な記憶力で再現したのが清の画であった。彼が歩き、描いた懐の深いニッポンはまだ存在するのか。一人の天才画家が歩いた人生と創作の道のりをたどり直す。」(引用は以上)

2008年の放送を見たような記憶もあるのですが、今回の再放送で山下清さんの実像をあらためて知ることができたように思います。

山下清さんは気仙沼を訪れたことがあります。「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)につぎのように記されていました。

昭和43年(1968年)6月11日
放浪の画家山下清 作品展のため来市

この作品展は、市内八日町(大堀銀座交差点角)の藤崎デパートで開催されました。

私が気仙沼高校2年生のときのことで、どのような作品が並んでいたかの記憶はないのですが、記念に山下さんの点描の絵葉書を買いました。

サインペンで山下さんの手書き署名が入っていたのですが、もしかするとご本人がいて署名してもらったのかもしれません。この葉書を長いあいだ持っていたのですが、今は見当たりません。

気仙沼を訪れた1968年は山下さんにとってどのような時期だっただろう。Wikipediaの記述を読んでおどろきました。

晩年は、『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛け、およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺したそうです。しかし、気仙沼訪問の年1968年(昭和43年)に、高血圧による眼底出血に見舞われたというのです。気仙沼を訪問した6月の後のことでしょう。

そして、1971年(昭和46年)7月12日、脳出血のため49歳で死去。気仙沼訪問は46歳のときだったのですね。

1922年/大正11年生まれですから、来年は生誕100年。再放送は、その作品に対する再評価の機運があるからかもしれません。

しかしなあ、1968年6月に私が見たはずの山下清作品の記憶が完全に失われているのがなんとも情けない。お粗末です。山下さん流に〈兵隊の位でいえば〉、三等兵といったところでしょう。


再掲内容は以上。

「私が見たはずの山下清作品の記憶が完全に失われているのがなんとも情けない。お粗末です」と書いているのがなんとも情けない。作品を思いだせないどころか会場も間違っていたのです。

結構はっきりとした記憶(のつもり)だったのですが。こうして記憶を書き換えてしまうのですね。三陸新報記事のおかげで、私の記憶にあった歴史を正しく書き換えることができました。ありがとうございました。まさに萬有流転。お詫びして訂正します。
 

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復興の音魂の寄付

昨年10月に、気仙沼に縁あるミュージシャンら35組によるCDアルバム「KESENNUMA SONGS〜復興の音魂」が発売されました。そしてこのたび、このプロジェクト実行委員会が、CDの売上金など約86万円を、内湾商業施設を運営する「気仙沼地域開発」に寄付したそうです。


寄付

三陸新報7月8日記事の一部イメージ


記事によれば寄付金は、CDの売上金(71万3460円)と、参加アーティストのひとりである東京在住のシンガー・ソングライター鈴木あいさんからの支援金(14万6070円)を合わせたものとのことです。

実行委員会では、内湾商業施設のひとつ「拓(ヒラケル)」イベントホールの環境整備に役立てて欲しいとのこと。気仙沼地域開発では、ホールの音響機材購入にあてるとしています。


2021年10月28日ブログ再掲
「復興の音魂」

気仙沼に縁(ゆかり)があるミュージシャンら35組によるCDアルバム「KESENNUMA SONGS〜復興の音魂」が完成し、10月13日に販売を開始しました。

発売日13日には、委員長の佐藤健さんをはじめ実行委員会のメンバーが市役所を訪れ、菅原市長に完成を報告したとのことです。10月17日の三陸新報がつぎのように伝えています。


10:17ソングス

三陸新報10月17日記事の一部イメージ


委員長の佐藤健さんは、たしかSCK GIRLSの音楽プロデューサーをつとめている方ですね。

同アルバムプロジェクトの公式Twitterでもつぎのように。市長の右側が佐藤健さんです。


このアルバムプロジェクトには、畠山美由紀さんや熊谷育美さん、岡本優子さん、そしてSCK GIRLSも参加しています。それと、気仙沼小・中・高校の一年先輩である尾形和優(かずまさ)さんも。南町/丸和の和優さんといったほうが早いか。

KESENNUMA SONGS~復興の音魂~10Years History
3枚組 2.000円(税込)

アルバム公式サイト

再掲内容は以上。ブログではこの後にCD販売店舗やサイトなどを紹介しましたが省略します。

実行委員会、そして参加アーチストの皆様に感謝を。また、CD購入者の皆さんの気持ちも気仙沼での音楽活動に役立つわけでなにより。全部ひっくるめての「復興の音魂」ですね。ありがとうございました。
 

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安倍元首相の死去

7月8日昼の安倍晋三元首相が銃撃されたとのニュースには本当に驚きました。そして夕方には死去との知らせ。

安倍さんは、震災後に内閣総理大臣として4度、気仙沼を訪れてくださいました。本日はこの4回の気仙沼訪問を三陸新報記事などによって振り返ってみます。


①2013年2月9日(土)

安倍総理の気仙沼初訪問は2013年2月9日です。宮城県の石巻市、岩沼市、亘理町のあとに岩手県陸前高田市、大船渡市へ。その後に気仙沼へ移動。市内朝日町に建設された気仙沼漁業協同組合の製氷工場を視察しました。

私の三陸新報デジタル版購読は2013年6月からなので同紙記事は確認できず。代わりに首相官邸公式サイトの画像を拝借します。安倍さんの右側、赤いジャンパー姿でうつっているのは当時の気仙沼漁協組合長〈カネダイ〉佐藤亮輔さんです。

漁協視察

首相官邸公式サイト「安倍総理、被災地3県を訪問」より


参考までに記しておくと、民主党政権の後を受けて第2次安倍内閣が発足したのは2012年12月26日。気仙沼などを訪問したのはその1カ月半後のことだったのですね。


②2015年2月14日(土)

2015年2月には、気仙沼ニッティングを訪問しています。御手洗瑞子社長や編み手の皆さんと懇談し、同社のカーディガン「MM01」の試着なども。その後、市内最初の完成となった南郷地区災害公営住宅と南郷コミュニティセンターを視察しています。


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三陸新報2015年2月15日記事の一部イメージ


この気仙沼ニッティング訪問について同社がつぎのようにツイートしていました。同行した小泉進次郎さんも左のほうにうつっています。このときは、復興大臣政務官という立場だったと思います。



③2016年10月30日(日)

この日おこなわれた三陸道の志津川IC〜登米市/三滝堂IC間の開通式典出席後に気仙沼へ。気仙沼市潮見町の足利本店水産加工場を視察。その後、市内落合のNPO法人「ピースジャム」を訪問しました。


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三陸新報2016年11月1日記事の一部イメージ


④2019年11月24日(日)

南三陸町の志津川仮設魚市場「復興グルメF―1大会」を視察後に気仙沼へ。気仙沼市東日本大震災以降・伝承館を視察。階上中学校の生徒とも交流しました。その後、みらい造船も訪れています。


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三陸新報2019年11月26日記事の一部イメージ


以上が、4度の安倍総理気仙沼訪問のあらましです。

菅原市長は7月8日の「安倍元首相訃報に対する気仙沼市長メッセージ」をつぎのように結んでいます。

「被災地に心を寄せ、復興に心血を注いでいただいた人生に衷心より敬意と感謝を表し、ご冥福をお祈りいたします。」

同じ気持ちを抱いている気仙沼の人も多いことでしょう。

安倍さん、いろいろとありがとうございました。心からの御礼を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
 

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神明崎の漁港製氷

6月22日のブログ「魚町1号公園整備」で、あのお神明さん/五十鈴神社下の場所が私にとってはとても懐かしい場所であることを記しました。「このあたり、マップでいうと左上の角には乾物卸の斉富商店さんがあって、向かって右に全漁連の冷凍倉庫ビル、その右が遠間家の住宅、その隣には以前は製氷工場もありましたが、震災直前はどうなっていたか記憶が定かではありません」と。

本日紹介するのは、その製氷工場の写真です。昨年11月に仙台に住む兄が送ってくれたもの。まずはご覧いただきましょう。


漁港製氷

『宮城三陸・登米の昭和』(いき出版 平成31年刊)より


写真集『宮城三陸・登米の昭和』に掲載されていた写真とのこと。

砕かれた氷が道路をまたいで運ばれ、ホース状のパイプで船に積み込まれます。桟橋は木製。私の小さなころの桟橋はみなこんな感じでした。

それと写真の左側に外国車がうつっていますね。シボレーかなあ。

この写真の建物、とても懐かしいといいたいところなのですが、記憶にある風景よりもさらに古いような感じ。これはいったいいつ頃の写真なのだろうか。

はじめに申し上げておくと、かなり面倒くさい話になっております。ざっくりと目を通して、なるほど小田のいうとおり複雑な話だなと思っていただければ十分かと。それでははじめましょう。

◎漁港製氷

写真にうつる「漁港製氷」という名前について、「気仙沼市史」第4巻「近代・現代編」に「漁港製氷の創設」という小見出しでの記述がありました。

漁港製氷(株)は県会議員でもあった松山平兵衛が創設しました。昭和5年後半に施工、開業は昭和6年6月とあります。

「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)には、昭和5年9月15日「松山平兵衛・村井武らを発起人として漁港製氷株式会社創立」とありました。また昭和6年6月「気仙沼製氷株式会社開業」とも。上記の市史における漁港製氷開業年月と同じです。漁港製氷は気仙沼製氷に社名を変更したのでしょうか。

これらの記述では漁港製氷の所在地がちょっとはっきりとしません。市史には、漁港製氷が「現在も港町に存続している」とあります。創設当時も港町だったとは思うのですが、少し曖昧ですね。

◎朝日製氷所

ただし、上の市史や文化史年表にある漁港製氷の場所が写真にうつる神明崎でないことはたしかなのです。市史には「冷凍製氷事業の充実」という小見出しでつぎの記述がありました。

「気仙沼漁港製氷に次いで、神明崎に建設されたのが朝日製氷所であった。社長は大阪の人 笠原清太郎で、社員に臼井福治、境美代松、清水林蔵らが名を連ねた。氷の船積みに便利な場所なので、漁港製氷と競争関係にあった。」

この記述から推測するに、神明崎の製氷所は朝日製氷所としてつくられ、その後に漁港製氷となったとみてよいのではないかと。臼井福治さんは臼福の福治さんですね。

◎日本食料工業

上の市史記述には、朝日製氷所の設立年月がありません。しかし、その後の経緯について、つぎのように記しています。

「昭和9年、日本食料工業株式会社(「日本水産」系の会社)が進出し、12年気仙水力電気気仙沼支店の工場や三陸冷蔵、朝日製氷を吸収統合した。10年、朝日製氷は火災にあい、復旧後に吸収されたものであろう。(中略) 昭和12年、気仙沼の製氷能力は漁港製氷30、唐桑製氷20、日本食品工業50(『大気新聞』)とある。」

ここには朝日製氷所の名がありませんから、昭和12年の段階ではすでに漁港製氷となっているのではないかと。

なお、この記述中の「唐桑製氷」は、唐桑にあったわけではありません。昭和8年9月に唐桑と鹿折両村の漁業組合の名目で鹿折浜につくられました。それと、文中の製氷能力単位はトンだと思います。

この市史の記述では、「日本食料工業」と「日本食品工業」が混在しています。文化史年表では「日本食品工業」。また「後の日本冷蔵」とも付記しています。つまり、日本冷蔵となるまえに日本水産の時期がありました。日水から日冷へと分化。

そういえばということで、思い出したことがあります。昨年、臼井真人君(3年2組)と電話でお神明さん近くにあった製氷所の話をしていたときに、全漁連の隣にあったのは日冷の製氷・冷凍庫だと語っていました。このことだったのですね。

◎気仙沼文化史年表

朝日製氷所について、気仙沼文化史年表では2つの記述がありました。

昭和5年4月29日「朝日製氷所完成(創業は昭和4年8月)社長笠松清太郎」(出典:大気新聞)
昭和8年「神明崎に朝日製氷工場設立」(出典:気仙沼町誌)

社長名が市史では「笠原」、文化史年表では「笠松」と異なっています。どちらかが誤植でしょう。

◎要するに

昭和8年(1933年)に神明崎に朝日製氷の工場ができて、それは数年後に漁港製氷となりました。さらにその後、日本冷蔵傘下の製氷工場だった時代も。

1933年に製氷工場ができてから89年。その敷地はいま「魚町1号公園」として整備が進められています。

そんな歴史を知ってから魚町1号公園に行くと、ちょっとヒヤッとするかもしれません。ということで、今週はこれにて。

6月22日ブログ「魚町1号公園整備」

 

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tag : 漁港製氷朝日製氷所

子に押された背中

7月6日の三陸新報第6面。きのうのブログでも紹介した「気仙沼弁〈日日是好日〉」第2回目のうえには1307回目の「リレー随想」が掲載されていました。藤田一平さんからバトンをわたされたのは、気仙沼ビジネスサポートセンター(気仙沼ビズ)センター長の𠮷澤貴幸さんです。


リレー随想

三陸新報7月6日記事の一部イメージ


𠮷澤さんは文章をつぎのようにはじめています。「藤田一平さんからいただいた貴重な機会に、娘について書いてみようと思いました」と。

28年前の娘さんが生まれたときのことから今にいたるまでのかなりプライベートなことまで踏み込んだ話。そんなことで、上の画像も本文イメージは曖昧にしております。

そして、〈それから月日は巡り(その間も色々ありましたが)〉と書いたあと、つぎのようなことを記しています。

娘さんは、頑張って入学したはずの高校を2カ月でドロップアウト。その後、短期大学卒業後に3年ほど職についたあとに、職場の先輩と2人で口永良部島(くちのえらぶじま)に移住します。〈島の人に愛されながら2年3カ月を島で暮らしたのち〉オランダへの移住を決め、2020年の春にはほとんどの家財道具を処分したそうです。しかし、コロナ禍によってそれはとりやめに。

そして2020年の秋。𠮷澤さんは気仙沼ビジネスサポートセンター開設とセンター長募集の記事に引き寄せられたといいます。「日本の99.7%は中小企業である」という言葉に、顔を殴られたような衝撃を受けたと。

𠮷澤さんはいろいろと悩んだ末に、和歌山県那智勝浦に移住することをきめていた娘さんに相談します。すると「パパ、それはすごいことだと思う。誇らしいよ」と即座に応援してくれたそうです。

𠮷澤さんはつぎのように記しています。「その思い切りの良さ!どこに住んでも、どんな形でも人のために働けることを、身をもって教えてくれた娘に背中を押されて、いま私は古町に暮らしています。」

◎2021年6月のブログ

私は2021年6月3日のブログで気仙沼ビズの開所と吉澤センター長のプロフィールを紹介しました。

2021年6月3日ブログ 「気仙沼ビズ開所」

私はこのブログで、𠮷澤さんを紹介した三陸新報〈顔〉欄の記事についてつぎのように記しています。

〈 この記事のなかで私が興味深く感じたのは、地方で働くことに関心をもったきっかけです。〈鹿児島の離島で地域おこし協力隊を務めた長女の生き方などに刺激され〉たと。娘さんの生き方にお父さんが影響を受けたというわけです。〉

リレー随想では、この〈長女の生き方〉について詳しく語られていたことになりますね。私は今回の文章を読んで、子育てやその後の父と娘の関係など、𠮷澤さんの苦悩というかさまざまな悩みがあっただろうと想像しました。それだけに、娘さんが生まれてから28年経ったいま、2年前の背中を押されたときの実感をある種の感慨とともに思い出しているのではないかとも。


上で引用した𠮷澤さんの文章の続きを引用します。リレー随想はつぎのように結ばれています。

〈そして市民の皆さんの期待を裏切らないよう、同時に娘に恥じないようにという気持ちを持ちながら、センター長を務めさせていただいています。
すでにお会いした方、まだお会いしていない方、常に全力投球させていただきますので、なにとぞよろしくお願いいたします。〉

𠮷澤さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

2021年11月17日ブログ 「気仙沼ビズ」好調

 

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気仙沼弁の新連載

7月1日(金)から三陸新報で新連載が始まりました。「気仙沼弁〈日日是好日〉」。気仙沼弁を家族などの会話形式で紹介する新企画です。


日々是好日1:20220701
三陸新報7月1日記事より


初回ということで末尾に記事紹介がありました。筆者は「鼎女」(ていじょ)さん。気仙沼市内在住で元小学校教員の加藤美貴子さん。そしてイラストは市内南町出身で現在は東京在住の「コミマル」。じつは私の妻、小田まゆみです。

ふたりとも気仙沼小・中そして鼎が浦高校の同級生。気中26回生。私も加藤美貴子さんをよく知っています。

加藤さんは、今年1月に気仙沼でおこなわれた文化庁主催の「危機的な状況にある言語・方言サミット」(方言サミット)のオンライン配信や基調講演者の東北大学小林隆教授の講演資料を読んでから、思いつくままに気仙沼弁での日常会話を書き留めはじめたそうです。

◎気仙沼弁いろいろ

第1回目は「おっぱれ」(おんぶしなさい)でした。命令形ですね。基本形は「おっぱる」(おんぶする)かな。私はこの言葉を知りませんでした。とはいっても、両親が新潟(父が新発田、母が柏崎)生まれでしたから、気仙沼ネイティブでありません。そのために知らない気仙沼弁も多し。

「おぶさる」からの「おぶされ→おっされ→おっぱれ」かなあ。「おぶさる」というのは、ちょっと方言的なニュアンスがありますが、共通語なのですね。「負ぶさる」で背負われること。ネットで調べてみると、「おんぶする」の意味で千葉県の方言「おっぱる」がありました。

気仙沼弁に関する話題のときに必ず聞こえてくるのが〈オラホでは使わないね〉という声。気仙沼弁を愛する会にもいろんな派閥がありそうなのです(笑)。気仙沼弁いろいろというか気仙沼弁あるある。

それもそのはず。1953(昭和28)年6月1日の第1次市制施行まで、現在の気仙沼市域は10の町村にわかれていました。気仙沼町、鹿折町、松岩村、新月村、階上村、大島村、唐桑村、津谷町、小泉村、大谷村。その後に合併や編入をおこない現在の気仙沼市となっています。

唐桑と松岩では使う言葉も細かなところでは違いがあると思います。大島と新月とでも違っていることでしょう。つまり気仙沼弁も、その地域や家族の歴史なども含めていろいろということですね。だから面白い。

◎ひびこれこうじつ

この連載で描かれるのは、ある意味で加藤家周辺の日常風景といってもよいのかもしれません。参考まで記せば、加藤美貴子さんの実家は市内古町です。

「日日」は本来の禅語の意味は別として、字句としては毎日毎日がよき日であること。筆者としては「にちにちこれこうにち」などほかの読み方も承知しながら、「ひびこれこうじつ」と読みたいとのこと。ちょっと懐かしさも感じさせながら、家族などの暮らしの日々を気仙沼弁でということでしょう。

そういえば、ラヂオ気仙沼や以前のけせんぬまさいがいエフエムで番組をもっていた横田真美子さんも、加藤美貴子さんや小田まゆみの気小・中・鼎の同級生です。横田さんの放送でも気仙沼弁を扱った番組がありました。それと今でも思い出すのは、横田さんも登場しての石川電気のラジオCMです。電球がきれたという女性に、石川電気さ電話してみろという男性。実に自然な気仙沼の言葉で、東京で聞いている私も気分は一気に気仙沼へという感じでした。

この「気仙沼弁〈日日是好日〉」は随時連載ということです。次回掲載を楽しみにしております。三陸新報さん、どうぞよろしくお願いいたします。

と、昨日書いたのですが、さっそく本日7月6日の三陸新報に第2回目が掲載されていました。今回の気仙沼弁は「すっぺ下がり」(下がり眉、八の字眉)。本日の三陸、最終面をどうぞご覧ください。

2月2日ブログ「方言サミット配信」
2019年3月15日ブログ「気仙沼弁カルタ」

 

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tag : 日々是好日気仙沼弁

4回目のワクチン

先週末に新型コロナワクチンの4回目の接種をおえたのでその報告を。

1回目が昨年5月末、2回目が同年6月中旬、3回目が本年1月末でした。初回から1年以上経つのですね。


接種票
予防接種済み証イメージ(一部画像加工)


最寄り駅そばの会場ですので気軽。4回目ともなると接種手順もよくわかっています。共通しての印象は、書類等のチェックが何度も繰り返されること。すべてにコストがかかっていることを考えると、なにもそこまでとも思うのですが、昨年のワクチン接種開始初期のさまざまな反応を思い出すと、まあこれも必要なことなのでしょう。ワクチンそのものよりも、社会的な副反応のほうが強かったのではないかと。

7月3日の三陸新報には市からの4回目接種の案内広告が掲載されていました。わが気仙沼中学同級生の4回目接種はどうなっているのだろう。そう思って、この広告や市のサイトをのぞいてみました。

ざっくりいうと、60歳以上の第1グループの予約開始はきのう7月4日。接種期間は7月12日以降とのことです。3回目接種が遅くなった人は第2、第3グループということで接種が遅くなります。60歳以上で3回目接種が今年2022年4月期だった方の接種は9月1日以降になるようです。

気仙沼市サイト/4回目接種の情報について

私は1回目と2回目のときは、ファイザーのワクチンでした。3回目の接種のときにはモデルナにしようかなと思いましたが、できるだけ早く打ちたいということや会場の関係でファイザーに。4回目も同様の理由でファイザーです。

気仙沼市の関係サイトをみると、4回目の国からの供給はモデルナが多いようですね。私の感覚からすればなんの問題もなし。効きがいいのではないかぐらいの印象です。

東京都内のこのところの新型コロナ感染者数は少し上昇傾向にあります。今後の動きが気になるところですが、自分たちでやれることはやっておこうといったところです。

というか、新型コロナよりも先週続いた猛烈な暑さのほうが心配です。お互い油断せず、水分をとって涼しくしてなんとかのりきりたく。どうぞよろしく。
 

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tag : 新型コロナワクチン

ラヂオ気仙沼5周年

気仙沼地域を放送エリアとするコミュニティFM「ラヂオ気仙沼」が7月1日で開局5周年とのこと。7月1日には三陸新報にも広告が掲載されていました。


開局5周年
三陸新報7月1日掲載広告より


もう5年経つのですね。

前身といっていいのかどうかよくわからないのですが、東日本大震災直後の2011年3月22日開局の「けせんぬまさいがいエフエム」が2017年6月26日に6年3カ月にわたる放送を終了しました。

この臨時災害FM局の業務を引き継いだのが株式会社ラヂオ気仙沼です。同局のコミュニティFM放送が2017年7月1日に開始されたのです。この開局を本ブログでも紹介していますので再掲します。


2017年6月29日ブログ再掲

◎ラヂオ気仙沼始動

6月26日、〈けせんぬまさいがいエフエム〉の放送が終了したことは、27日のブログでも紹介しました。そして、その27日の三陸新報には、臨時災害FM局の業務を引き継いだ株式会社「ラヂオ気仙沼」がコミュニティFMを開局し、7月1日に放送を開始するとのトップ記事が掲載されていました。


ラジオ気仙沼始動1
三陸新報6月27日記事の一部イメージ


この記事には、事業費関係の新しい情報がありました。要約するとつぎのようなことです。NPO法人気仙沼まちづくりセンターは、昨年11月に株式会社ラヂオ気仙沼を設立してコミュニティFMへの移行準備を進めてきました。気仙沼市は国の復興交付金を活用した基盤整備として、総工事費約1億円をかけて市民の森に親局、唐桑の小原木公民館(旧小原木中学校)屋上と、本吉町津谷舘岡の消防救急デジタル無線基地局内に中継局をそれぞれ設置するなどコミュニティFMへの移行を支援してきました。そして今後5年間は、広報業務の一部委託などで事業を支えます。本年度の委託事業費は1400万円。

ラヂオ気仙沼は、放送の年間コストを約2400万円と見込んでいます。上記の市の委託事業と地元企業からのCM収入などで運営し、5年をめどに自立経営を目指すとのことです。

コスト2400万円から市の委託費1400万円を単純に差し引くと1000万円。これをCM収入などでクリアしていくのはなかなか大変なことでしょうが、魅力ある番組づくりによる自立経営の実現を願っております。

放送開始は7月1日(土)。周波数は変わらず77.5MHz(メガヘルツ)これまで同様に、ネットでも聞けると思います。私はこれまで〈Simul Radio〉(サイマルラジオ)を利用していたのですが、〈Listen Radio〉(リスラジ)のほうが安定しているようですね。スマホアプリもあります。

以上、気仙沼のコミュニティFM局始動のお知らせと応援メッセージということで。

再掲内容は以上です。



上記記事にある〈5年をめどに自立経営を目指す〉との当初の計画がいまどのようになっているのかわかりませんが、一定の聴取者を確保して運営されていることと思います。

放送に限らず、地域に根ざしたメディアは、より良き地域コミュニティにおける重要な条件のひとつでしょう。私はネットラジオ「ListenRadio」を利用してときおり聞くだけなのですが、かげながら応援しています。

ラヂオ気仙沼さん、開局5周年おめでとうございます。地元の皆さんから愛されるコミュニティ放送局としてのさらなる発展を祈念しております。

2017年6月27日ブログ「臨時災害FM終了」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : ラヂオ気仙沼

廃漁網リサイクル

気仙沼市は、2019年5月に学識経験者や関係団体の代表者などからなる「気仙沼市海洋プラスチック対策推進会議」を設置して、具体的な取り組みを協議し、同年9月には「気仙沼市海洋プラスチックごみ対策アクション宣言」をおこなっています。

市サイト/同推進会議関連ページ

同会議の目的はつぎのように記されています。

〈海洋プラスチックごみによる海洋汚染は、本市の基幹産業である水産業への影響も懸念され、「魚食健康都市」や「スローフード」を宣言し、「海と生きる」 を標榜する本市としても身近で重要な問題として捉えており、“海洋プラスチックごみゼロ”に向けて、全国に先駆けた取組とSDGs(持続可能な開発目標) の推進を目指すものです。〉

本日はこの「海洋プラスチック対策」に関する話です。まずは気仙沼市の菅原市長の2つのツイートを紹介します。5月30日のツイートから。


これはは公益財団法人WWFジャパンと連携して、漁網を回収してリサイクルする「漁網のみらいプロジェクト」をスタートする発表会です。WWFジャパンは、国際的NGO「世界自然保護基金(WWF)」の日本支部組織です。WWFのロゴは、パンダがシンボルとして使われており、皆さんもよくご存じのことでしょう。市長のツイート写真にもその着ぐるみがうつっています。

このプロジェクトでは、漁協によるサポートを得て漁業者から使用済み漁網を回収し、リサイクル専門会社テラサイクルジャパン社がリサイクル原料化をおこないます。そして協賛企業を募ったうえで漁網再生製品の製造・販売をおこなうというもの。詳しくはつぎのプロジェクトサイトをご覧ください。

漁網のみらいプロジェクト
WWFジャパンからのプレスリリース

WWFジャパンと気仙沼市は、2019年からの教職員向けESD(持続可能な開発ための教育)研修でのご縁があったようです。

以上、なんというかいい話が続くのですが、市長ツイートでも紹介されていた5月30日のプロジェクト発表会〈進水式〉に関する報道を見ていて、ちょっと微妙というかモヤモヤっとしたものを感じたのです。

それはすでに気仙沼で計画されている同種のプロジェクトのことが頭をよぎったからです。

◎加藤広大さんのプロジェクト

つぎに紹介するのは菅原市長の4月26日のツイートです。


株式会社amuの加藤広大さんが、「北かつ」の勝倉宏明組合長とともに市長を訪ねたとのこと。

「北かつ」は、「宮城県北部鰹鮪漁業組合」。気仙沼の遠洋かつお・まぐろ漁業を営む漁業者により組織された漁業組合です。「ほっかつ」と読みます(私は気仙沼に暮らしていたころ〈きたかつ〉かと思っていました)。鰹鮪が〈かつおまぐろ〉です。念のため。

同組合のサイトをみると、現在の組合員は10社。よく知る会社名がならんでいます。所属船は遠洋まぐろ延縄(はえなわ)漁船24隻に遠洋かつお竿釣り漁船2隻です。

加藤広大さんは〈廃漁網を回収、生地にして「100年着れるジャケット」を作るプロジェクト〉を構想し、2021年9月に株式会社amuを設立しました。amuは〈あむ/編む〉という含意があるのでしょう。

勝倉さんは、北かつの組合長です。勝倉漁業さんによる「勝栄丸ブログ」の6月29日記事には、〈昨年12月の北かつ組合理事会にてamu(株)への全面的な協力を決定して以来、組合所属船が帰港した際などに使えなくなった幹縄ナイロンテグスなどを陸揚げ集荷、かなりの数量が提供されています〉と記してありました。今週はじめには、amuとの廃漁網・ナイロンテグスリサイクルの進捗状況についての説明会があり、北かつ組合のメンバーが集まったとも。

◎競合しているのかどうか

WWFジャパンのプロジェクト発表会の報道をみていて感じたモヤモヤというのは、それが加藤広大さんのプロジェクトとかぶっているのではないかと思ったからでした。つまり、〈競合〉しているのではないかと。

気仙沼市の「海洋プラスチックごみ対策アクション」の推進という観点からは両者がそれぞれ頑張って使用済み漁網の再利用が進めばそれでいいとは思うのです。ただ、もし競合しているとすれば、組織力や資金力のあるWWFジャパンとの競争はなかなかに厳しいものがあるのではないかと。市との連携の有無ということについても。

◎地域おこし協力隊の一員

加藤広大さんにお目にかかったことがあります。2019年11月30日に東京・大手町で開催された「気仙沼を元気にする会」でのことです。加藤さんはゲストスピーカーのひとりでした。地域おこし協力隊の一員として気仙沼に来て、気仙沼市移住・定住支援センター「MINATO」のスタッフのひとりとして活動。気仙沼の天然ホタテガイ幼生を使っての養殖プロジェクトも進めていると紹介されました。このホタテガイのプロジェクトは実現しなかったようです。

加藤さんはこのたび地域おこし協力隊の任期をおえ、6月17日には市役所で退任辞令の交付式がおこなわれています。6月19日の三陸新報には、加藤さんが今後も気仙沼で活動を続けていくことや、菅原市長からの今後の活動に対する激励の言葉を紹介していました。

◎加藤さんのクラウドファンディング

加藤広大さんはいま、「廃漁網を未来の資源に。味方100人を集めたい!」というクラウドファンディングを展開中です。ファーストゴール100万円はすでに達成し、いまは500万円をネクストゴールとしています。締め切りは本日7月1日午後11時です。詳しくはつぎのサイトをご覧ください。このプロジェクトの趣旨に賛同して協力している人達も紹介されています。北かつ組合の組合員でもある臼福本店の臼井壯太郎代表の姿も。民宿つなかんの女将さんから紹介してもらったとのこと。

READYFOR/クラウドファンディングページ

加藤さんのプロジェクトは多くのメディアで紹介されていますが、ここでは読売新聞オンラインの記事を紹介しておきます。

読売新聞オンライン6月13日配信記事

ちょっと長くなりましたが、気仙沼における廃漁網リサイクルに関するふたつのプロジェクト紹介は以上です。

最後にひとつ付け加えると、amuさんの廃漁網リサイクルプロダクトがジャケットでいいのかどうかも私のモヤモヤのひとつでした。このあたりは、気仙沼ビズの𠮷澤貴幸さんの知恵を借りてはどうかと思ったのです。しかし、すでに気仙沼ビズの6月10日のブログに「気仙沼ビズも加藤さんの活動を応援しています!」という記事がありました。相談案件かどうかは別として、ちょっとホッとしました。

なお、気仙沼市の「海洋プラスチックごみ対策アクション」は、廃漁網など漁船から出るものだけを対象にしたものではありません。海洋プラスチックごみの約8割が陸上起因といわれており、市では陸上でのプラスチックごみ削減と流出抑制にも取り組んでいます。念のため申し添えます。

WWFジャパンと株式会社amuのプロジェクトが競合しているのかしていないのか、実のところよくわかりません。しかし、重なりあうところがかなりあるにしても、どこかにビジネスモデルの違いがあって、両方ともうまくいってほしいというのがモヤモヤの裏側にある私の正直な気持ちです。

東京は今日も相当な暑さ。気仙沼もかなりなものでしょう。どうぞ体調にくれぐれも気をつけてお過ごしください。
 

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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