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「車屋」の新聞広告

明日はもう7月か。なんか今年も月日がとても早く過ぎていきます。本日紹介するのは5月11日の三陸新報に掲載されていた気仙沼市古町の古美術骨董店「車屋」さんの広告です。


5:11車屋
三陸新報5月11日掲載広告より


本田鼎雪さんは気仙沼に在住していましたし、白石隆一さんも妹さんの関係で気仙沼と縁がありました。順に紹介します。

①本田鼎雪「一葉観音」

「一葉観音」は、一枚の葉、つまり一葉に乗った観音菩薩です。〈いちよう〉と読むのでしょう。

曹洞宗の開祖、道元禅師が嵐にあった船の上で「観音経」をよみ祈ったところ、一葉観音が現れて波がしずまったという故事があるようです。中国(宋)への往路と帰路の両説あり。蓮華の花とか葉とかの話も。いずれにしても、航海安全の願いが込めているといってよいでしょう。

鼎雪さんについては何度も書いておりますが、つぎのブログを参考まで。

2020年5月25日ブログ 鼎雪の「渾身の鰹」

②白石隆一「まと鯛」

「まと鯛」というのはどんな魚なのか。私は知らなかったのですが「的鯛」なのですね。「馬頭鯛」(まとうだい)の別名だそうです。

白石隆一は、一関市千厩(せんまや)町の生まれですが、妹が気仙沼の人に嫁いだことで気仙沼との関係が生まれました。以前のブログで紹介した白石隆一の作品は「めぬけ」です。

この「まと鯛」がどのような経緯で描かれたのかはわかりませんが、気仙沼で釣れた、あるいは水揚げされたものと思いたい。とりあえず気仙沼の的鯛ということにしておきましょう。4号とありますから横幅が33cmほどです。キャンバス(布)ではなく板地とのこと。

2019年6月21日ブログ「千厩の白石隆一」


◎6月18日の広告

以上が5月11日の車屋さん広告の紹介ですが、紹介が遅くなっているうちにつぎの6月の広告が掲載されました。

6月広告
三陸新報6月11日掲載広告より


こちらにも白石隆一さんの作品が紹介されています。「柏崎(かしざき)」。昭和22年(1947年)作とのこと。

柏崎下の道路はできているものの、建物はまだありませんね。白石隆一さんはどこから描いたのだろう。陣山かなあ。陣山とはいっても、復興祈念公園のある場所よりも西側ですが。

上記の「まと鯛」にしてもこの「柏崎」にしても、気仙沼には白石隆一の作品が多く残されているのですね。

仙台つつみ人形「谷風」もなかなかいいですね。仙台の土人形「堤人形」です。横綱の谷風梶之助は仙台出身。この人形をみると、気仙沼の秀ノ山人形を思い出します。第9代横綱秀ノ山雷五郎。

岩井崎にある秀ノ山の銅像はみな知っているでしょうが、「秀ノ山人形」はちょっと忘れられているかもしれません。

それと、伊藤文隆先生の「定本落合直文綜合歌集」も紹介されています。古本としての扱いだと思います。

以上、5月と6月、2回分の広告内容を駆け足で紹介させてもらいました。念のために記しておくと、車屋さんから頼まれて書いているわけではありません。広告をながめていると、気仙沼にゆかりある品々、人々のストーリーが感じられ、それがとても面白いのです。

7月の車屋さんの広告にはどんな品物、作品が掲載されるのでしょう。楽しみにしています。
 
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tag : 車屋本田鼎雪白石隆一

留守さんの「リレー」

一昨日のブログで、気仙沼市の留守洋平副市長が6月30日で退任することを紹介しました。

6月27日ブログ「留守副市長の退任」

記事を書いているときには思い出さなかったのですが、追記しているなかで、留守さんが三陸新報の〈リレー随想〉に寄稿していたことを思い出しました。たしか、ウイスキーの話だったと。

そんなことで本日は2019年10月2日の三陸新報に掲載された留守さんの〈リレー随想〉を紹介します。


留守氏随想

三陸新報2019年10月2日記事の一部イメージ


随想のタイトルは「ウイスキーに見せられて」。冒頭で、日本バーテンダースクールの講師で、当時、日本バーテンダー協会会長でもあった、故・椙山八重造(すぎやまやえぞう)氏の言葉を紹介しています。

「バーテンダーとは、豊かな感性と知性、技術を身に付けたカウンター内のやさしい相談者であり、心癒の専門家である」。

なんと留守さんは、椙山氏の門下生の一人だったというのです。つまり大学に通いながらバーテンダースクールにもということなのでしょう。本格です。

留守さんはウイスキー、なかでもシングルモルトに魅了されたといいます。そして好きな銘柄としてのグレンリベット、ラガヴーリンの名をあげ、アイラ・モルトで知られるスコットランドのアイラ島の話なども。

留守さんがこの随想を書いたのは気仙沼に来て1年3カ月経ったころとのこと。気仙沼は、〈海があり、山があり、おいしい地酒があり、ジオパークやオルレもある〉といったところが故郷である鹿児島県霧島と同じだとその印象を記しています。

そして〈気仙沼で出会う方々との距離感に、子どもの頃慣れ親しんだ心地よさを覚え、自然と故郷を重ね合わせてしまう〉と。

冒頭のやさしい相談者としてのバーテンダーの話は、結びの言葉につながっていました。「いよいよ復興期間は最終局面に入る。私も、やさしい相談者になれるよう、まい進したい。さて、秋の夜長、今宵は何処の止まり木で杯を傾けようか。」

この〈リレー随想〉、留守さんが指名した次回執筆者は気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さんでした。「瑞子さん、バトンタッチよろしくお願いします。気仙沼のいいところいろいろ教えてください」と。

この留守さんからのバトンを受けた御手洗さんの随想はつぎのブログにて。

2019年10月10日ブログ「御手洗さんの随想」

留守さんの〈リレー随想〉をあらためて読むと、ウイスキーなど美味しいお酒を介しての気仙沼の人々との交流も想像できて、なにかやさしい気分にさせられます。

◎本日の三陸新報インタビュー記事

本日6月29日の三陸新報1面に留守副市長の退任インタビュー記事が掲載されていました。その末尾で、「最後に、市民にメッセージを」と求められ、つぎのようにこたえています。

〈プライベートでは、気仙沼で結婚し、子供も生まれました。気仙沼は第二の古里です。7月からは、関東地方整備局甲府河川国道事務所長として、山梨県内の河川や道路整備を担当します。自宅がある気仙沼からは単身赴任となります。また皆さんにお目にかかる機会もあると思いますので、その際はよろしくお願いします。〉

留守さんの結婚は先日知ったばかりでしたが、こうして三陸新報での記事ともなりました。お子さんもうまれたとのこと。遅ればせながら、おめでとうございます。

留守副市長、4年間ご苦労さまでした。単身赴任になるとのことですが、第2の古里気仙沼で、また楽しく杯を傾ける機会がたくさんもてるようにと願っております。
 

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鎌倉ビールの工場

気仙沼市本吉町小泉地区で鎌倉ビール醸造さんの工場建設が始まります。まずは6月8日の菅原市長のツイートから。


市長のとなりが鎌倉ビール醸造の代表取締役、對島一喜(つしまかずき)さんです。なお、念のため記しておくと、市長投稿中にある鎌倉ビール醸造所(株)は正しくは鎌倉ビール醸造(株)ではないかと。

6月9日の三陸新報はつぎのように伝えています。


鎌倉ビール

三陸新報6月9日記事の一部イメージ


市長がツイートした6月8日には、工場立地に関する市と同社との協定書の締結式がおこなわれました。

三陸新報記事によれば、神奈川県鎌倉市でクラフトビールの製造・販売などをてがける鎌倉ビール醸造は、気仙沼市本吉町小泉町区で本年12月から工場の建設を始めます。稼働は来年10月を予定しているとのこと。鎌倉の現工場につづく第2工場という位置づけらしいのですが、鎌倉工場の約8倍の生産能力になるそうです。

鎌倉ビールの工場は、防災集団移転などで住居を高台に移した住民から気仙沼市が買い取った土地に建てられます。敷地は約6200㎡。総工費10億円のうち半分は国の補助でまかなうとのこと。


◎ニュースを追って

6月26日の三陸新報は、1面トップの〈ニュースを追って〉でこの小泉地区での鎌倉ビールの工場建設をとりあげていました。


ニュースを追って

三陸新報6月26日記事の一部イメージ


〈ニュースを追って〉では、この工場建設に対する地元の期待感をまずは紹介。そして、市が防災集団移転促進事業によって買い取った土地の利用に関する課題について記しています。

小泉地区の工場建設地付近には2万㎡の土地が空いているとのことで、鎌倉ビールの對島社長は記者会見で、これらの土地全部に(工場を)建てられるよう頑張りたい」と意欲を示しています。しかし、この土地周辺にはさらに2万㎡の未利用の土地が残っているそうです。

気仙沼市財産管理課によれば、市が防災集団移転促進事業によって買い取った移転元地は市内全域で116万㎡あり、このうち45万㎡が未利用。残っているのは点在する小規模な土地で、そのままでは企業誘致もなかなか難しいとのこと。それだけに、今回の鎌倉ビールさんの工場建設は本当にありがたいことだなと思います。

鎌倉ビール醸造の小泉地区への進出が伝えられたのは2020年11月のことでした。つぎのブログでも紹介しました。

2020年12月8日ブログ「鎌倉ビールの進出」

その後どうなったのかなとちょっと心配しておりましたが、こうして工場建設に向けての協定締結に至ったことはなによりのこと。関係者の皆さまに御礼を申し上げます。

對島代表、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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留守副市長の退任

気仙沼市の留守洋平副市長が6月30日付けで退任されるとのことです。国土交通省からの出向でしたが本省に戻られるとのこと。6月24日の三陸新報が伝えています。

留守副市長
三陸新報6月24日記事の一部イメージ


国土交通省総合政策局課長補佐だった留守(るす)さんが副市長に就任したのは2018年7月1日のこと。記事によれば、主に建設部と産業部を担当してきたとのこと。

経歴をみると同省の道路局高速道路課高速道路係長もつとめていますから、三陸道など復興後の気仙沼における道路行政でもその力を発揮してくださったことでしょう。

記事のなかでも「東日本大震災からの復興完遂に向けた総仕上げの時期に携わることができた。三陸道の全線開通が最も思い出深い出来事」という言葉が紹介されていました。そして「任期満了で重責を全うすることができたのも市民の皆さんのご理解とご協力があったからこそであり、感謝したい」と。

国土交通省から出向しての副市長就任の1人目は大江真弘さんでした。2012年5月1日から2015年3月31日まで。そして2人目が2015年4月1日から2018年6月末までの菅沼真澄さんです。そして3人目が留守さん。

震災後の2012年5月から2人体制となっていた副市長は、赤川郁夫さん1人となる見通しと記事にありました。赤川さんは2016年4月1日から副市長をつとめています。

なお、「副市長」というのは以前の「助役」です。地方自治法の改正により2007年4月1日付けで改称されたそうです。

ここからは雑談。自宅の近所には以前、建設省/国土交通省の官舎がありました。そんな関係で、息子が通った幼稚園にもその子息が何人もいたのです。そんなことで国交省の官僚と聞くと、その家族のことなどが気になります。

留守さんはいま42歳、菅沼さんの副市長退任は41歳でした。お二方も単身赴任だったのかなあ。

留守副市長、4年間ご苦労さまでした。そしてこの4年間の地方出向を支えてくださったご家族にも御礼を申し上げます。ありがとうございました。


4年前の菅沼副市長退任についてはつぎのブログにて。菅沼さんは現在、国土交通本省の道路局参事官付 自転車活用推進官としてご活躍のようです。

2018年7月6日ブログ「菅沼副市長の退任」

(6/27追記)
留守副市長のご結婚について、このブログ初回投稿後に知りました。地元気仙沼では多くの人がご存じのことなのでしょう。上記の記事は特に変更を加えずそのままに。どうぞよろしく。

2019年10月10日ブログ「御手洗さんの随想」

 

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tag : 留守洋平副市長

淳さんと健介さん

気仙沼出身のスポーツジャーナリスト生島淳さんによるラガーマン畠山健介さんのインタビュー記事が「Number Web」に掲載されています。「Number Web」は『Sports Graphic Number』の公式サイト。生島さんが6月22日につぎのようにツイートしていました。



生島さんの〈わが郷土・気仙沼の誇り、畠山健介選手の引退に合わせてのインタビュー記事です〉というのがとてもいいですね。リード文を引用します。

「2021-2022シーズン限りで現役引退を発表した畠山健介(36歳)。日本代表プロップとして歴代最多の78キャップを誇り、2015年ワールドカップでは南アフリカ撃破に貢献した。早稲田大学時代から取材を続けてきた生島淳氏によるインタビューをお届けします。」(引用は以上)

畠山健介さんの「豊田自動織機シャトルズ愛知」退団と現役引退は5月13日に同チームから発表されました。つぎのブログでも紹介しました。

5月25日ブログ「畠山健介選手引退」

この5月のブログを書いたときには、現役引退の背景などがいまひとつわかりませんでした。しかし、今回のインタビュー記事で、詳しい経緯を知ることができました。そしてそれ以上に今も変わらぬ畠山健介さんの日本ラグビー界に対する熱い思いが伝わってきました。

この全3回のインタビュー記事の底流として感じられるのは畠山健介さんのさまざまな〈葛藤〉です。ラグビーというスポーツ、そしてラグビー界について詳しくは知らない私にとっても、そこで語られている健介さんの率直な話はとても興味深いものでした。是非皆さんにもお読みいただきたく。

ここで、インタビュー記事の結びとして記されている健介さんの言葉を引用したくなってくるのですが、それをやるとイエローカードを出されるでしょう。ということで、生島さんの健介さんへの問い/小見出しを。それは「競技生活を終えて36歳。これから長く組む人生というスクラムについて」です。

まずはひと息ついてから。新しいフィールドでの畠山健介さんの活躍を期待しております。

生島さん、すばらしいインタビュー記事、ありがとうございました。

◎テレビ番組情報

6月26日(日)21:50からのNHKテレビ「サンデースポーツ」の〈たに色まみ色〉のコーナーで、畠山健介さんと谷真海さんの対談が放送されます。同番組のツイートには〈同郷にて同窓。共通点だらけのふたり〉とありました。

健介さんは、松岩小・中〜仙台育英〜早稲田〜サントリー、真海さんは気仙沼小・中〜仙台育英〜早稲田〜サントリーでしたね。楽しみです。皆様も、どうぞご覧ください。

(6/27追記)
昨日26日の「サンデースポーツ」について、谷真海さんがつぎのようにツイートしていました。ご参考まで。



 

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tag : 畠山健介生島淳

落合直文の掛け軸

5月17日の三陸新報に「煙雲館」で開かれた「お香の会」に関する記事が掲載されていました。気仙沼市松崎片浜の煙雲館は、仙台藩御一家筆頭鮎貝家の庭園で落合直文の生家でもあります。


5:17香道

三陸新報5月17日記事の一部イメージ


記事によれば5月14日に開かれたこの会は、香道大枝(おおえ)流の家元、三品(みしな)隆昭さんによるもので、落合直文直筆の書を眺めながら、歌にちなんだ香木の香りを楽しもうという趣向。

三品さんの弟子である気仙沼市出身で仙台市在住の高橋杏子さんの祖母が直文の書の掛け軸を持っていたそうです。そのため、直文の業績を伝える機会になればと企画されたそうです。記事写真の右側にうつる方が高橋さんでしょうか。

私がおどろいたのは、掛け軸とされている直文の書が、以前このブログで紹介した短歌だったことです。つぎの歌。

たらちねの杖にとおもふわがために一もとゆるせ庭の竹むら

床の間にかけられた掛け軸を拡大してみましょう。


拡大


三陸新報の記事では「ひともと」としていましたので、掛け軸の書ではその表記なのでしょう。写真ではよくわかりません。伊藤文隆先生の著書「定本落合直文綜合歌集」では「一もと」としていましたのでここではその表記に。一本のことです。

綜合歌集では、初出内容を基本としています。この歌の場合には「早稲田文学」第3号です。初出と異なる表記とすることもよくあるようです。

この歌は、母親の杖にするために庭の竹の一本を切ることを許してくれといったことだと思うのですが。明治29年(1896年)35歳のときの歌。

以前のブログでは、気仙沼市古町の「車屋」さんの広告にあった直文の3首短冊のうちのひとつとして紹介しました。

4月15日ブログ「落合直文三首解説」

本日のブログを書くにあたって、「綜合歌集」でのこの短歌内容を確認したところ、新たな発見がありました。この歌に続いてつぎの短歌が掲載されていたのです。(綜合歌集p44)

父君のつゑにやきらむ一もとをわれにはゆるせ庭のむら竹

上掲の「たらちねの〜」の歌と同年、明治29年(1896)年の「上毛青年評論」1号 に掲載された歌。

「つゑ」は「つえ=杖」でしょうね。調べてみると、杖にするためには竹を焼くそうなので、父親の竹杖にするために焼かれるであろう一本の竹を抜くことを許してちょうだいといったことなのかなあ。実際のところよくわかりません。〈やき〉が〈焼き〉かどうかも。

私が面白いと思ったのは、「たらにねの」母のための杖だけでなく父のための杖のことも歌にしていること。

落合家の養子となっていますから、ここでの父君は国学者で神職、歌人でもあった落合直亮(なおあき)。母上はWikipediaによれば隺子(鶴子)か。

そのWikipediaの直亮に関する記述を読んでいて驚きました。〈明治27年(1894年)死去、享年67〉とあったのです。

つまり「父君のつゑに」の歌は、父君の死後に発表されたことになります。こ、これは。すでに亡くなっている父君のための杖なのか。

死出の旅路のための杖とか、〈焼きらむ〉ということから棺におさめる杖という想像もわいてきました。しかし、落合直亮は神職でしたからそれはないでしょうけれど。

能や狂言などの連想もはたらいてくるのですが、この辺にしておきましょうね。想像というよりは妄想になってきました。なにか根本的な誤解をしているのかもしれません。たぶんそうでしょう。

直文の気持ちは、むら竹ならぬやぶのなか。というよりも煙雲のなか。

といったようなことで、落合直文の一幅の掛け軸からただよう薫香を味わうことができたのです。ありがとうございました。

(6/24追記)

昨日このブログを見た菊田裕美君(3年1組)から、記事写真の左端にうつっているのは気高同級生の大島〈宮古屋〉熊谷雅裕君ではないかとメールがありました。私は〈たしかに似ているけれど違うのではないか〉と返信。香道と雅裕君が結び付かなかったのです。しかししばらくしたら、雅裕君ご本人から〈今日のブログ、左端に俺が居る〉と連絡がありました。そうだったのか。私も知るご夫妻からお誘いがあったとのこと。雅裕君も夫婦で参加。

考えてみればさほど雅裕君と香の結びつきは不思議なことではありません。雅裕君は、陶磁器の「たち吉」に長く勤めていました。ですから、香炉や香道の世界にも縁があったでしょう。

20数年前のことになりますが、雅裕君から東京・新橋の東京美術倶楽部でおこなわれた内見会に招いたもらったことがあります。ここは古美術をはじめ美術品取引の総本山的な施設ですから、なかなか中に入る機会がありません。そんなことでこれ幸いと訪れたことを思い出しました。

雅裕君は〈全く、きけなかった〉、つまり香り(の違い)を聞くことができなかったといいいます。まあ、しかたないよね。日頃あつかうのは、ガソリンでありプロパンガス。

そんな忙しい日常のなかでの聞香(もんこう)の集い。奥さん、つやさんと共に安らぎのひとときとなったことでしょう。よかったね。
 

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tag : 落合直文煙雲館

魚町1号公園整備

1カ月前の話になりますが、5月21日の三陸新報に気仙沼市魚町と南町の区画整理事業に関する記事が掲載されていました。工事が終盤を迎えているとのこと。


1号公園
三陸新報5月21日記事の一部イメージ


記事の見出しに、「最後の公園整備へ」とありました。そして記事の写真は私がよく知る魚町のお神明さん近辺です。ここに「1号公園」を整備する計画で、その工事が本年度にスタートして秋ごろに完成予定と記されています。

記事の写真は広角レンズで撮影されているためか、私の土地勘とちょっとギャップあります。どこが公園になるのだろう。ということで、市のサイトで公開されている「魚町・南町地区まちづくりマップ」(令和4年5月末時点)を確認してみました。

神明崎付近の1号公園計画がつぎのように記されていました。


地図
「魚町・南町地区まちづくりマップ」より(部分拡大)


五十鈴神社の西側が公園になるのですね。記事には1100㎡とありました。震災前は倉庫や住宅が建っていたが、被災後は更地になっていたと。

このあたり、マップでいうと左上の角には乾物卸の斉富商店さんがあって、向かって右に全漁連の冷凍倉庫ビル、その右が遠間家の住宅、その隣には以前は製氷工場もありましたが、震災直前はどうなっていたか記憶が定かではありません。

昭和初期にさかのぼれば、この一帯には遠間缶詰工場がありました。その当たりの話はつぎのブログに記しました。

2020年12月9日ブログ「魚町土地区画整理」

1号公園の北側、マップでいえば上部のピンク部分は商業ゾーンなのですが、青色破線で示された防潮堤の外側というか海側なので、どのように使われることになるのか。公園に面して内湾のながめもよい場所であるように思います。さらに言えば、その北東、右上の震災前は我が家があった場所なども眺望がいいでしょうね。以前は全漁連の建物で視界がさえぎられていました。

気仙沼市内で土地区画整理事業がおこなわれてきたのは、鹿折、南気仙沼、片浜、魚町・南町の4地区です。工事が残っているのは魚町・南町だけで、ほかの3地区はすでに事業を終了しています。

1号公園の工事の完了目標は本年9月です。それがおわれば気仙沼市の土地区画整理事業も終了ということになるのでしょう。

関係者の皆さま、いろいろとご苦労さまです。あともう少し。どうぞよろしくお願いいたします。

「魚町・南町地区まちづくりマップ」(pdf)

 

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tag : 土地区画整理魚町

ひで子さんの訃報

同級生の訃報です。気中3年5組だった千葉(佐藤)ひで子さんが6月17日に亡くなったと臼井真人が知らせてくれました。私は気づかなかったのですが、6月19日の三陸新報に訃報広告が掲載されていました。


訃報広告
三陸新報6月19日掲載広告


広告には病気療養中だったと記してあります。ひで子さんは、市立病院の看護師さん(私たち世代にとっては「公立病院の看護婦さん」)だったと聞きました。病院に勤務していたときは忙しい毎日を送っていたのでしょう。

同窓会のアルバムにうつっているだろうと思ってしらべてみたら、平成4(1992)年2月9日に市内のレジオンで開催された「厄除・歳祝 同年会」の写真にその姿を見つけることができました。

ひで子さんのご主人は、千葉満君(3年10組)です。気中同級生同士の結婚。30年前2月の写真には満君もうつっていますので、夫婦での出席だったのですね。


本通夜は本日6月21日午後2時〜6時 アーバンメモリアルホールにて。喪主は息子さんです。

千葉ひで子さんのご冥福をお祈りいたします。
 

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tag : 訃報千葉ひで子

両大使気仙沼訪問

6月15日のブログで、インドネシアのヘリ・アフマディ駐日大使の気仙沼訪問を紹介しました。本日はその続きです。

在インドネシア日本国大使館の公式Facebookに、金杉憲治駐インドネシア大使とインドネシア共和国のヘリ・アフマディ駐日大使の気仙沼訪問が紹介されていました。

まずは6月10日投稿から。漁船視察も紹介されていますが、これは臼福本店さんの第38昭福丸。説明しているのは臼井壯太郎代表です。





投稿文の主要部を引用します。

〈菅原茂市長とお会いし、気仙沼市にとってインドネシア人住民は家族のように大切な存在であることを伺いました、今年は8月6-7日に気仙沼みなとまつりが開催されるそうで、インドネシアフェスティバルも行われるそうです。

また、インドネシア人技能実習生が働く漁船視察や水産業組合との面会では、漁船乗組員候補育成のための協力強化について議論しました。

当時の大統領からの東日本大震災復興支援を活用して設置された「ユドヨノ友好こども館」を訪れ、ヘリ大使と両国間の防災協力の重要性を確認しました。気仙沼とインドネシアのきずなは大変深く、気仙沼ではインドネシアがとても身近にあること感じ、嬉しく思いました。 気仙沼その他日本各地のインドネシア人技能実習生のみなさん、頑張って! 〉


◎6月9日投稿

視察当日6月9日の投稿では動画が紹介されていました。




動画のなかで気仙沼図書館の内部が紹介されますが、これは同館の児童図書エリア「ユドヨノ友好こども館」です。

2011年6月にインドネシアのユドヨノ大統領が気仙沼を訪問したときに同国から気仙沼市に東日本大震災からの災害復興資金として200万ドル(約1億6千万円)が贈呈されました。

この寄付金は2018年3月に開館した新気仙沼図書館の建設費の一部としても活用され、同館内の児童図書エリアの名称は「ユドヨノ友好こども館」と名付けられたのです。

映像の最後で、みなとまつりのインドネシアパレードの様子がうつるパネルを説明しているのは「ミュージック・クラブ&真空管」の鈴木敦雄さんでしょうか。鈴木さんは昨年設立された一般社団法人気仙沼インドネシア友好協会のメンバーのひとりです。

◎金杉大使の休暇

金杉大使は、5月半ばから休暇で日本に一時帰国中でした。大使館Facebookの6月11日投稿では、お孫さんとの楽しいときを過ごす金杉大使のプライベートショットも紹介されていました。投稿には、「金杉大使の休暇も終わり、お孫さんとお別れしてジャカルタに戻ります」とありました。休暇中とはいえ、気仙沼訪問をはじめ、いろいろと公務があったようです。

金杉さんは外務審議官(経済)の前はアジア太平洋局長でした。2020年11月17日日経配信記事には、〈自由で開かれたアジア太平洋〉実現のための布陣のひとつとありました。

2022年G20サミットは本年11月にインドネシアのバリ島で開催されます。

金杉大使、気仙沼訪問/視察、ありがとうございました。忙しい毎日が続くこととは思いますが、どうぞまた気仙沼においでくださいますように。

6月15日ブログ「ヘリ大使 気仙沼に」

 

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tag : インドネシア金杉憲治

PIER7 海と生きる

気仙沼の内湾地区にある「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)」の壁面バナー看板が6月から新しくなっています。そこに使われている写真はなんと「突きん棒漁」です。つきんぼう。

6月16日の三陸新報にも「突きん棒にお色直し」との見出しで看板が紹介されていましたが、ここでは、菅原市長の6月4日投稿を。


本日この看板変更を紹介したのは、16日の三陸新報記事に、写真にうつっている漁船と漁船員の名が記してあったからです。

記事はつぎのように紹介しています。〈市内唐桑町の第38漁徳丸(小野寺庄一漁労長)の乗組員・三浦秋浩さんが、銛(もり)でメカジキを狙う姿を収めた写真を使用。気仙沼市が掲げる震災復興のテーマ「海と生きる」の文字が入れられ、夏にぴったりな海の青さが目を引く〉。

◎庄一さんと秋浩さん

この「突きん棒漁」の写真、なんか見たことがあるなと思っていたのです。そして手元の気仙沼関係のあれこれを調べてみたら、この写真の出所がわかりました。2016年3月に一般社団法人リアス観光創造プラットフォームが制作し、気仙沼市が発行した「気仙沼メカジキ本」で使われた「突きん棒漁」写真のアザーカットでしょう。

全24頁中のP5・6の見開きで「突きん棒漁」がつぎのように紹介されています。


つきんぼう2

気仙沼市発行「気仙沼メカジキ本」(2016年3月)より


PIER7の写真と同じ緑のキャップに赤いアッパー。間違いなく三浦秋浩さんです。

左頁上の文章を引用します。

〈唐桑町崎浜地区の小野寺庄一さんは、東日本大震災の前年に脱サラして漁師となり、「突きん棒漁」の担い手となった一人。幼い頃、漁師のおじに淡い憧れを抱き、テレビで突きん棒漁師の活躍を見て、自分が目指す道を確信したそうです。小野寺さんは「一攫千金」の狩りって感じでカッコよかったんですよね」と話します。しかし、漁師として旅立ち始めた直後、唐桑の港を震災による津波が襲いました。甚大な被害を目の当たりにしながら、それでも小野寺さんは漁師としての生き方を突き通し、函館で新たな漁船を建造。ワカメの養殖も手掛けながら、突きん棒漁を続けています。
この日も、漁師となることを後押ししてくれたという同級生の三浦秋浩さんとタッグを組み出港、大物を仕留める手応えを求めて、海原を駆け巡ります。〉引用は以上

この文章を読んでからPIER7の壁面看板を見ると、「海と生きる」というメッセージの深みが増してくるのではないかと。

Stay with the Ocean。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 突きん棒漁

12年ぶりの海開き

6月12日の三陸新報1面の記事に、「12年ぶりに海開き」との見出しがありました。気仙沼の階上(はしかみ)地区にあるお伊勢浜海水浴場が7月16日に震災後初めて海開きするとのことです。


お伊勢浜
三陸新報6月12日記事の一部イメージ



記事によれば、お伊勢浜の砂浜は県と市による復興事業で再生。市が背後地に駐車場とシャワー、トイレを整備し、当初は2020年の再開を目指しましたが、新型コロナの影響で開設を2年間見送っていたそうです。

記事にもあるように、小田の浜、小泉、大谷の3海水浴場はすでに昨年までに再開しています。この3つの浜で再開が一番遅かったのは大谷で、昨年2021年に11年ぶりの海開きをおこないました。つぎのブログで紹介しました。

2021年7月19日ブログ「海水浴場の海開き」


息子がまだ小さかったころ、夏の帰省時にはお伊勢浜に行きました。小田の浜にももちろん行きましたが、お伊勢浜は車が使えるので便利でした。

海の家(なんとか食堂とか名前がついていたように思います)のラーメンやスピーカーから流れてくる地元のおじさん/おじいさん的な方のアナウンスもなつかしい。

12年ぶりの海開き。風景はちょっと変わっているかもしれませんが、目をつぶれば、あのお伊勢浜の記憶がよみがえってくることでしょう。

2021年2月10日ブログ 階上の「お伊勢浜」

 

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ヘリ大使 気仙沼に

6月9日に、インドネシア共和国のヘリ・アフマディ駐日大使が気仙沼を訪れてくださいました。菅原市長が同日、つぎのようにツイートしていました。



ヘリ大使は、昨年も気仙沼を訪問しています。12月2日と3日の2日間でした。つぎのブログに、その様子や、2011年6月18日のユドヨノ大統領夫妻をはじめ駐日インドネシア大使の気仙沼訪問についてまとめております。

2021年12月7日ブログ「インドネシア大使」

市長ツイートに、ヘリ大使が8月の気仙沼みなとまつりにも来てくださると記してありました。インドネシアパレードはみなとまつりでの恒例行事となっています。大使がお見えになるということで、パレードに参加するインドネシアの方々も喜ぶことでしょう。

余談になりますが、市長ツイートの写真の撮影場所は窓の外の緑と壁の様子から推測すると「斉吉・鼎」さんのようですね。

余談その2。このヘリ・アフマディ駐日大使の来市について、地元新聞「三陸新報」が伝えていないようです。私はデジタル版購読なのですが、何度しらべてみても記事がみつかりません。

◎金杉駐インドネシア大使も同行

余談その3。というと失礼になりますね。エピソードとして。市長ツイート写真の右側にうつっている方は、ヘリ大使に同行された駐インドネシア大使の金杉憲治さんです。聞いたことがある名前だなあと思ったら、2020年7月まで外務省審議官(経済担当)だったお方です。昨年のメディア報道などでそのお名前を目にしていたのですね。Wikipediaには、2020年11月に外務審議官経験者としては30年ぶりとなる駐インドネシア特命全権大使に就任と記されていました。このように書かれるほどの外務省幹部官僚です

外務省で経済担当の審議官をつとめていた方が気仙沼を訪問/視察されたことには大きな意義があると思います。漁業や水産業における技能実習生の役割、実情といったことの現場の声も聞いてくださったでしょう。金杉大使、ご同行ありがとうございました。

話を戻します。こうして気仙沼とインドネシアの皆さんとの交流が盛んにおこなわれていることを大変うれしく思っております。6月10日放送のNHKBS「新日本風土記」でもインドネシアの船員の皆さんが紹介されていましたね。

ヘリ・アフマディ大使、このたびの気仙沼訪問、ありがとうございました。

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昔ながらの洋食屋

6月2日のブログ「途上の街 内湾地区」で、魚町の男山本店隣、旧磯屋さんの場所にできた株式会社鳴海さん本社ビルや、オープン予定の「マダムクック」や「ベイサウンド」について紹介しました。

店舗については当初5月中旬オープンとされていましたが、このたび6月11日にめでたくグランドオープンとなりました。前日10日の三陸新報に広告が掲載されています。


ベイサウンド
三陸新報6月10日掲載広告より


「マダムクック」は、〈街角レストラン〉というキャッチフレーズを掲げています。そして「ベイサウンド」は〈レストラン&カラオケボックス〉。紹介文を読むと、マダムクックの料理やお酒をルーム内で楽しめるとのこと。なるほど。

開店の挨拶文には〈内湾地区の発展に微力ながら貢献したいと考えております〉とありました。私がこの鳴海さんの両店舗開店に関心をもったのも、内湾周辺にこうして新しい店舗ができあがってくるのをうれしく思ったからです。

マダムクックのコンセプトは「昔ながらの洋食屋」とのこと。この「洋食屋」という言葉をみて、私が小さなころの魚町「マルサン」を思い出しました。カネシメイチの向かいにありました。その後は田中前に移転。マルサンの並びには、蕎麦やうどんの「丸常」や「藤村」も。それぞれがみんな商売になっていたわけですから、当時の魚町周辺店舗の繁盛ぶりがうかがえます。

洋食というかレストランでは、角星や田中商店(砂糖店)の向かい側というか、むしろ「紙のとみた」の向かいといったほうがいいかもしれませんが、「ワタブン」もありましたね。白地に黒で「ワタブン」と染めた大きなのれんが架かっていたような記憶があります。あそこは魚町ではなくて南町になるのかな。南町でいえば「ナリタ」もあった。気中3年3組の成田玲子さんち。

といったような、往年の魚町や南町の店舗のにぎわいがもどってきますようにとの願いを込めて。「マダムクック」さん「ベイサウンド」さんのグランドオープン、おめでとうございます。

なお、本日6月14日は、両店とも設備メンテナンスのため臨時休業とのことです。本日の三陸新報に広告が掲載されていました。ご参考まで。

6月2日ブログ「途上の街 内湾地区」

 

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ふたつの直文歌碑

気仙沼南ロータリークラブ(RC)が、創立20周年を記念して建立した落合直文の歌碑2基について、このブログで紹介してきました。まずはそのふたつの歌碑の現状を写真、そして紹介ブログとともにまとめておきましょう。


◎「恋人」の歌碑
建立時:JR南気仙沼駅前 現在:魚町神明崎管弦窟脇

神明崎歌碑2

4月29日ブログ 落合直文の「歌碑」


◎「小鱸(をすずき)」の歌碑
建立時:エースポート前広場 現在:魚浜公園あずまや脇

魚浜公園歌碑

6月10日ブログ 落合直文の「小鱸」歌碑


◎気仙沼文化史年表の記載内容

6月10日のブログで記したように、気仙沼南RCが建立して市に寄贈したのはこのふたつの歌碑なのですが、4月29日のブログを書いたときには3基ではないかと思っておりました。「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)につぎの記述があったからです。

昭和63(1988)年7月16日 南ロータリークラブがエースポート前・南気仙沼駅前・市民会館前の三か所に落合直文の歌碑を建立

これを見て、気仙沼南RC建立の歌碑は市民会館にもある/あったのかと、今泉直喜さんに確認しました。すると、市民会館の歌碑は聞いたことがないといいます。そして、南ロータリーのことなので、会員である澤井充さん(3年4組)に聞けばわかるでしょうといって、すぐに確認してくれました。

その結果、やはり2箇所ということでしたが、充君は念のため気仙沼南RCの「週報」をチェックしてみると語っていたと。

そして数日後に直喜さんを介して「気仙沼南ロータリークラブ週報 1988年7月16日号」の写しが届きました。

そこには、7月16日のクラブ創立20周年記念事業「落合直文歌碑建立除幕式」の式次第が書いてありました。石碑の除幕式を、午前11時より南気仙沼駅前で、午後1時より南町海岸公園(エースポート前)にておこなうとはっきりと記されています。

週報そのものは内部的な文書でしょうから、画像掲載は控えますが、そこに掲載されていた会長挨拶を引用させていただきます。


ご挨拶

本日は落合直文先生の歌碑除幕式に、公私共御多用のところご臨席を頂き誠に有難うございます。これは、気仙沼南ロータリークラブ創立20周年記念事業として記念事業委員会が中心となって、郷土気仙沼の生んだ偉大な先人であり、近代短歌の創始者である、先生の御遺徳を偲び、その代表歌の歌碑建立を計画したものでございます。幸い、関係各位の暖かい御支援により、エースポート前広場並びに南気仙沼駅前広場に立派に完成を見るに至りました。

この歌碑建立事業で落合直文先生の御遺徳が末長く語り継がれると共に気仙沼市の活性化のお役に立てば、この上ない幸いと考えて居ります。

当クラブは昭和43年6月13日の創立であり、今年で20周年を迎えることが出来、来る9月25日、創立20周年記念式典を挙行することになって居ります。

創立当時20名の会員で発足いたしましたが今では53名の会員が所属する迠(まで)に大きく成長いたしました。これも偏に地域皆様方の御理解と御支援の賜物と深く感謝申上げるものでございます。

気仙沼南ロータリークラブは、これからも30周年にむけ奉仕活動に精進してまいりますので一層の御鞭撻を衷心より御願い申上げまして御挨拶といたします。

気仙沼南ロータリークラブ会長
畠山 慶児


挨拶文引用は以上です。週報には、落合直文生家煙雲館に歌碑を染めた手拭200枚寄贈との記述もありました。

こうして気仙沼南RCさんが建立してくださった落合直文の歌碑2基はいま、内湾周辺2箇所に移設されています。これからも、挨拶文にあった〈落合直文先生のご遺徳を偲ぶ〉ことのできるよき碑であり続けることでしょう。ありがとうございます。

今泉直喜さん、澤井充君にも御礼を。お手数をおかけしました。直喜さんは、市民会館周辺を回って、歌碑が設置されていないことも確認してくれました。不在の証明は本当に面倒なこと。重ねての御礼を。

最後にもうひとつの話を。まったくの偶然だったのですが、本日6月13日は気仙沼南RCの創立記念日です。

気仙沼南ロータリークラブさんにお祝いを。創立54周年、おめでとうございます。

2021年2月5日ブログ「鮎貝家の落合直文」

 

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直文の「小鱸」歌碑

気仙沼の神明崎にある管弦窟(かんげんくつ)そばに移設された落合直文の歌碑について4月29日のブログで紹介しました。碑に刻まれているのはつぎの歌です。

砂の上に わが恋人の名をかけば 波のよせきて かげもとどめず

4月29日ブログ 落合直文の「歌碑」

このブログで私は〈神明崎の裏側にあたる魚浜町の四阿(あずまや)付近にも、落合直文の歌碑があります。これについてはあらためて紹介することにいたします〉と書きました。ちょっと時間が経ってしまいましたが、本日はそのもうひとつの歌碑について。神明崎の歌碑、アナザーストーリーです。

まずは歌碑の写真から。これは昨年10月に気仙沼の今泉直喜さんから送ってもらったものです。設置場所ですが、神明崎の鹿折側の魚浜公園のあずまや側です。ホテル望洋がうつっているので位置関係がわかるでしょう。


歌碑2


つぎは歌碑の拡大写真です。

歌碑2拡大


◎落合直文「小鱸」の歌

歌碑に刻まれているのはつぎの歌です。小鱸は、「をすずき=おすずき」と読んでください。


さわさわと わが釣りあげし小鱸の しろきあぎとに 秋の風ふく


歌碑裏には「明治33年の発表歌 近代感覚を持つ落合直文の代表歌」と記してあります。

以前にこのブログでも紹介した伊藤文隆先生の著書『定本落合直文綜合歌集』によれば、明治33(1900)年9月12日発行の「明星」第6号に発表された「白萩」全16首中の1首です。直文39歳。

冒頭に紹介した〈恋人〉の歌は、同年4月1日発行の「明星」第1号に掲載されています。2首とも同じ時期の歌といってよいのでしょう。

小鱸(をすずき)は「せいご」とも読まれ、成長するとスズキと呼ばれます。いわゆる出世魚。それで小鱸は〈小さなスズキ〉なのですね。

〈あぎと〉は、一般にはあご(顎)のことのようですが、魚ではエラ(鰓)とのこと。


◎「港まち恋人スクエア」解説板

震災前にこの歌碑が設置されていた場所は、内湾に面するエースポート脇の港ふれあい公園です。

ネットに神宮威一郎 さんという方による「被災地の神社・寺院の状況」というブログがあり、そのなかの記事に2011年12月11日の内湾近辺の写真が多数掲載されています。そこにこの歌碑の写真がありました。

このブログでは歌碑の脇に設置されていた「港まち恋人スクエア」解説板の内容も詳しく紹介しています。解説板は内湾周辺に全部で17枚ありましたが、その8番目がこの「落合直文歌碑」なのです。地区紹介としては「ここは港ふれあい公園・観光桟橋」と書かれていました。

解説板内容を紹介します。

8 落合直文歌碑

「 近代短歌の源流に位置すると称される歌人・国文学者落合直文の生家は、市内松崎の煙雲館庭園で知られる伊達藩御一家筆頭・鮎貝氏。

 日本最初の国語辞典「ことばの泉」を著し、新体詩「孝女白菊の歌」、「楠公の歌・桜井の訣別(わかれ)」また「緋縅(ひおどし)の直文」の声名を高くした「緋縅のよろひをつけて太刀はきて見ばやとぞおもふ山桜花」の歌等、名作を後世に残しました。

 JR南気仙沼駅前に建つ歌碑の「砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず」の歌は、明治33年(1900)に弟子の与謝野鉄幹の「明星」創刊号に寄稿されたもの。明治以降の短歌において初めて「恋人」という言葉を使った例といわれ、その後、「明星浪漫派」を中心に広く浸透し、現代用語として定着したといわれます。

 石川啄木は「明星」にも投稿し、鉄幹の影響を受けた直文の孫弟子ですが、旧制盛岡中在学当時「気仙沼に出て、初めて海を見た」と記しているのはここ内湾のこと。
 右の歌碑の「さわさわと我がつり上げし小鱸(をすずき)の白きあぎとに秋の風ふく」の歌は、近代的写実の先駆けと評価されています。」(解説板内容は以上)


落合直文についてわかりやすく説明しています。「港まち恋人スクエア」という名称にある「恋人」の由来が落合直文の歌にあることも連想させますね。

気になったのは、「わが釣りあげし」を「我がつり上げし」と表記していること。「伊達藩」も本来ならば「仙台藩」かなと思いますが、わかりやすい別称を用いたのでしょう。


◎気仙沼南ロータリークラブ

この「小鱸」歌碑は、昭和63年9月に気仙沼南ロータリークラブによって建立されました。歌碑の裏側にはつぎのように記されています。これも直喜さんの撮影。歌碑の右上に直喜さんのもつスマホがうつっています。


説明文


この石碑ははじめ、JR南気仙沼駅前に設置されたものです。設置時期は、いま神明崎/管弦窟脇に移設されている〈恋人〉の歌碑と同じ昭和63年9月です。

要するに、気仙沼南ロータリークラブ創立20周年記念として、気仙沼南ロータリークラブが昭和63年9月にJR南気仙沼駅前広場とエースポート前広場の2箇所に落合直文の歌碑を建立したのですね。

こう書くとごくシンプルな話なのですが、4月29日のブログを書いたときには、もう一箇所、市民会館前にも歌碑があるような情報があったのです。そんなことで、設置場所の確認で今泉直喜さん、そして気中同級生の澤井〈製作所〉充君(3年4組)の手をわずらわせることになりました。これについては来週にでも。

本日は「をすずき」歌碑の紹介のみで失礼いたします。

2021年2月5日ブログ「鮎貝家の落合直文」

 

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大曲の最終処分場

5月26日の三陸新報に、気仙沼市が大曲(おおまがり)地区で進めている一般廃棄物最終処分場の建設工事が順調との記事が掲載されていました。この工事は、2020年11月に着工しました。


最終処分場
三陸新報5月26日記事の一部イメージ


記事によれば新処分場の整備は、現在稼働中の大曲最終処分場の埋め立て量が近い将来に満杯になることに伴うものとのこと。記事では、市民によるごみの減量化などもあって、「あと1、2年は余裕がある」という市の担当者の話を紹介していました。

これは2016年当時の市の説明では、あと5年ほどで満杯になると説明していたことを受けてのものでしょう。

記事の見出しに〈閉鎖型施設徐々に〉とあるのは、施設が環境に配慮した国内最新鋭の被覆施設(約9800㎡)であるためです。全体工事費は36億5千万円で、財源には国の復興予算などが充てられると記事にありました。

私がこの最終処分場に関心をもったのは、菅原市長がつぎのようにツイートしていたからです。三陸新報記事と同日5月26日に投稿されました。



新聞記事の空撮写真でもその大きさはわかるのですが、内部からの写真でさらにその規模が実感されます。なるほどこうなっているのかと。

市長のツイートに、〈立地にあたっての地域の皆様のご理解に感謝いたします〉とありました。

2016年、現処分場から400m西側の大曲コミュニティセンター隣接地が新処分場の最終候補地として選定されたときには地元での反対の声もあったようです。そして、市と地元とで協議をかさねることによって整備計画が実現したのです。

こうしたことを踏まえての〈地域の皆様のご理解に感謝〉ということでしょう。

なお、市長のツイートには新処理場の埋立完了後の活用について書かれていましたが、現在の最終処分場の埋立後にもその土地の有効活用が図られることになるはずです。ご参考まで。

気仙沼で暮らしていたときには、可燃ゴミ、粗大ゴミの行方などに関心をもたずにいたなあ。そんな反省をこめつつの〈大曲の新最終処分場〉紹介でした。
 

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新「気仙沼」風土記

松たか子さんの〈風の中に、土のにおいに、もういちど日本を見つける。私を見つける。〉という語りや、奄美島唄で知られる朝崎郁恵(あさざきいくえ)さんによるテーマ曲「あはがり」を聞くと、いつも、それだけでしみじみとしてしまいます。NHK-BSプレミアムの「新日本風土記」。私の大好きな番組のひとつです。

その「新日本風土記」6月10日放送回で、気仙沼が紹介されます。

予告

NHK番組サイトより


番組サイトではきのう6月7日に予告動画が追加されました。

NHK-BSプレミアム/BS4K 新日本風土記
「気仙沼」
6月10日(金)21:00〜22:00

番組サイトから案内文を引用します。

〈カツオやマグロなどで日本屈指の水揚げを誇る宮城県・気仙沼。港では今日も、遠洋へ出漁する夫を大漁祈願の旗を振って妻が見送る。「大漁唄い込み」が響く昔ながらの漁師町には新しい風も。男たちと一緒に網を引くのは、都会から移住し漁師になった女性。「気仙沼は外国人も働きやすい」と聞きインドネシアからやってきた働き手も。世界三大魚場の一つ“三陸沖”を臨み、出船入船、出会いと別れが繰り返される港町・気仙沼の物語。〉


冒頭に紹介した番組サイト画像の出船おくりにうつる漁船はどこの船だろうと思っていたら、勝倉漁業さんの123勝栄丸とのこと。6月5日の「勝栄丸ブログ」では〈123勝栄丸の船頭さんご夫妻の入港から休暇中そして出港までの様子を中心に、1月におこなわれた御崎神社での小正月の恒例行事、海上安全・大漁祈願の神事も収録〉と紹介されていました。

1時間たっぷりと気仙沼ですから本当に楽しみです。皆さんも是非忘れずにご視聴ください。


◎9年前の新日本風土記

9年前放送の新日本風土記でも気仙沼が取り上げられたことがあります。2013年1月25日初回放送「東北の冬」で、その後なんどか再放送されています。

この「東北の冬」のなかでの気仙沼市唐桑〈海を越える祈り〉については2017年のブログでも紹介しました。以下に再掲します。

2017年3月9日ブログ一部再掲

「唐桑の人達の祈り」

1時間番組の半ばすぎ15分間ほど、気仙沼市唐桑が登場。この部分のテーマがテロップで表示されます。〈海を越える祈り〉。はじめは小野寺登美子さん一家。ご主人はマグロ船に乗っています。震災の津波で自宅を流されたために仮住まいでの神棚へのお祈り。そして御崎神社へのお参りやご祈祷、そして地区の祠を回っての〈お参詣(さんけ)〉などが紹介されます。(写真はクリックで拡大)

神棚 お参詣
お参詣2 海岸

最後は、前回ブログにも書いた元漁労長の海に向かってのお祈りです(追記:唐桑出身者におたずねしたところ、うつる風景は鮪立/しびたち湾とのことです)。〈今も拝んできたんですよ。亡くなった人たちに〉。そして〈必ず亡くなった人の霊がいるんです。だから毎日拝んでいるんです〉〈絶対(その人たちの霊がいるん)ですから〉と言って去る後姿をカメラがとらえます。

祈り1 祈り2

大震災の津波による被災ということだけではなく、時を越え、昔から漁業に従事してきた唐桑の人達の祈りが、見るものの心にしみじみと伝わってきます。明日の朝の再放送。ぜひ録画などしてご視聴いただければと。

再掲内容は以上です。

新日本風土記のオープニングやテーマ曲についてはつぎのブログにて。朝崎郁恵さんの番組テーマ曲「あはがり」のYouTube音源も紹介しております。

2015年3月30日ブログ「新日本風土記の桜」

 

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石橋延命地蔵菩薩

5月11日の三陸新報に、「石橋の地蔵 さい銭箱壊される」という記事が掲載されていました。


石橋地蔵
三陸新報5月11日記事の一部イメージ


石橋のお地蔵さんは、魚町と鹿折の境にあります。記事では陣山のふもととしていました。私の実家があった魚町坂口をのぼっていくと左側にホテル望洋が見えてきます。そしてこんどは下っていった坂のおわり、左側に座すのが石橋延命地蔵菩薩像です。約400年前にまつられたといわれています。

記事によれば、お地蔵さんの賽銭箱が壊されているのが5月10日にわかったそうです。これはとても残念なことですが、私はちょっと別のことも思いました。記事の写真が白黒のせいか、なんというか津波の被災を感じさせないぐらいこの場所になじんでいるように思われたのです。

このお地蔵さんは、大震災の津波で被災しましたが、住民らの尽力によって2015年に〈さや堂〉が再建されました。つぎのブログで紹介しております。

2015年5月6日ブログ「石橋のお地蔵さん」

この記事にも記しましましたが、2015年4月29日の三陸新報記事によれば、さや堂再建にあたっては、「すがとよ酒店」の菅原文子さんが住民有志とともに、全国各宗派の僧侶で組織する「仏教クラブ」と、同クラブ会長の松浦俊海さんが貫首をつとめる京都の壬生寺(みぶでら)から計200万円の支援を受けたそうです。

また、地元住民や菅原さんの知人などからも約60万円の善意が寄せられたと。冒頭に紹介した記事の写真にうつっているのが菅原文子さんですね。

震災後の大変な時期にこうした多くの皆さまのご支援を受けた石橋のお地蔵さまなのです。そうした多くのご支援、そして今、お地蔵さまのお世話をしてくださっている皆さまに、あらためて御礼を申し上げます。

お地蔵さんには前掛けがつけられていますね。赤い前掛けでしょう。そして地元の人がかざったであろうお花。それらはみな、私の記憶のなかにある石橋のお地蔵さまの姿であり風景です。

(参考)この石橋地蔵のさや堂再建やご支援の内容については産経新聞も伝えています。

産経新聞2015年6月30日配信記事

 

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亀山モノレール前進

気仙沼大島の亀山でのモノレール計画についてはこれまでもお伝えしてきました。かなり具体的に話になってきてはいましたが、国の復興事業として認められないなど財源確保が課題とされていました。

しかし、設計や造成工事に国の交付金があてられるめどがたち、計画が大きく前進しそうです。6月4日の三陸新報が伝えてくれました。


リフト

三陸新報6月4日記事の一部イメージ


記事には市提供の斜行エレベーター(モノレール)の整備イメージCGが紹介されています。三陸新報のネットサイトニュースにはカラーそして左右のトリミングなしで紹介されていましたので、これを拝借。


カラーcg

三陸新報ウェブサイトより


右上方に浦の浜、左上方の奥に小田の浜、手前に田中浜ですね。どこまで正確な展望想像図なのかわかりませんが、私の記憶からしてもかなり期待できる眺望です。もしかすると市提供のこのCGには上方向、つまり大島の南端、龍舞崎(たつまいざき)なども描かれているのかもしれません。


記事にある「亀山山頂までの輸送ルート図」も拡大して紹介しましょう。

ルート図
三陸新報6月4日記事より


右下の亀山中腹の駐車場が下部乗場です。「S」というのはなんの略ですかね。Stationかな。車両は2両編成で計40人乗りとのこと。

◎国の交付金

記事によれば、気仙沼市が国への要望を伝えた結果、モノレールやレストハウス改修などの全体事業費9億9千万円のうち、半分に内閣府の地方創生拠点整備交付金が充てられるめどがついたとのこと。本年度は、駅舎の設計や造成工事などにかかる3億8千万円(事業費ベース)の交付が決まったそうです。

残りの費用について、市としては過疎債を充当する予定。過疎債は、7割が国から交付税措置されるそうです。そのため、市の実質的な負担額は1億5千万円になる見込みとのこと。

モノレール(斜行エレベーター)の長さは433m。以前のリフトは903mでした。年間維持費は2600万円と試算し、往復運賃は500円に設定。年間5万6千人の利用を見込んでいるそうです。

市としては2024年度の早い時期の開業を目指しています。国の交付金採択を受けた関連予算を6月10日開会の市議会6月定例会に提案するそうです。

記事のなかに〈気仙沼市が国への要望を伝えた結果〉とありました。私は、昨年2021年10月16日に岸田総理が気仙沼を訪れてくださったときのことを思い出しました。これについては日をあらためて。
 

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カッター競漕2010

8月6日7日開催予定の気仙沼みなとまつりで、カッター競漕大会が復活することをつぎのブログでお伝えしました。

5月27日ブログ 「カッター競漕」復活

このブログ記事を書いているときに、YouTubeで2010年のカッター競漕動画がアップされていることを知りました。本日はその動画を紹介します。投稿者は「東日本大震災前_気仙沼市」さん。第60回気仙沼みなとまつり/第16回カッター競漕大会です。

3つの動画にわかれていますので、動画時間とともに順に紹介します。

①3分39秒



この競漕大会では27チームが参加して、予選タイムでの上位3チームが決勝に進んだそうです。この動画はその決勝の様子なのでしょう。

決勝3チームのひとつは、「気仙沼市議会チーム」と聞こえます。4年連続13回目の出場とか。ほかには「ハイパー潮見」と聞こえるチーム。説明のなかで「潮見町」がどうしたとこうしたといってます。もうひとつは「しゃしゅ」に聞こえるのですが、よくわかりません。

②28秒



これも決勝ですね。第3着のハイパー潮見? ホヤぼーやの帽子をかぶっています。このチームは選手宣誓をおこなったらしい。

③23秒



第2レースという実況が聞こえますので、予選の映像だと思います。チーム名は「おまつり軍団つばき組」かなあ。



第60回気仙沼みなとまつりは、2010年7月31日と8月1日の土日におこなわれました。新「気仙沼市」誕生記念と銘打っての開催。新「気仙沼市」誕生というのは、2009年9月1日 に本吉町と合併(併合合併)したことを指しています。

そして、このみなとまつりの半年後に東日本大震災がありました。

そのことを考えると、このカッター競漕大会の動画は、震災前の気仙沼の内湾風景が記録されている貴重な映像といえるのではないでしょうか。投稿者「東日本大震災前_気仙沼市」さん、ありがとうございました。ほかのYouTube投稿もなつかしく拝見させていただきました。



今年8月に開催される気仙沼みなとまつりは第70回。1995年/第45回みなとまつりから始まったカッター競漕大会は、今年17回目となります。8月7日(日)の正午から午後2時まで。

参加チーム募集内容をみると、気仙沼みなとまつり委員会所有のカッターボート(6m級)2艇をレース使用します。2チームごと5レースをおこない、上位タイム2チームでの決勝レースとなるのかと。計6レース。参加申込締め切りは6月10日(金)必着です。

カッター競漕〈復活〉第17回大会に多くのチームが参加して活気ある催事となることを期待しております。気仙沼みなとまつりの各種催事参加申込についてはつぎのサイトをご覧ください。

気仙沼みなとまつり/催事参加申込


今回、市議会議員チームの出場はあるのでしょうか。あるとしても、気中同級生臼井真人君(3年2組)や気高同級生熊谷雅裕君の参加はご遠慮いただきましょう。だって70歳だもの。無理は禁物。人間だもの。どうぞよろしく。
 

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途上の街 内湾地区

三陸新報のシリーズ記事「今を見る『途上の街』」。5月21日に紹介されたのは気仙沼の内湾地区でした。


途上の街

三陸新報5月21日記事の一部イメージ


震災前の風景にくらべると、なんかヌケがよくなったような感じ。写真右側に建物がないせいかな。左側にうつるのは角星さんです。ということはそのまた左側のスペースは田中砂糖店があった場所でしょうか。区画整理がおこなわれているので以前と同じ位置ということではないとは思いますが。

写真中央部に男山本店がうつっています。同店舗の復原が完了して営業再開したのは、2020年7月25日のことでした。つぎのブログで紹介しております。

2020年7月15日ブログ「男山本店復原完了」

私の目を引いたのは男山本店の左側です。そうかこのような位置関係になっていたのか。というのも、4月中旬の三陸新報で新たな建物の竣工を祝う協賛広告を見ていたからです。


4:21鳴海

三陸新報4月21日掲載広告より


建物の右側後に男山本店の側面がうつっていますね。2つの建物のあいだにはスペースがあるようです。震災前でいえば、ゴム長靴などを扱っていた「斉竹商店」があったところかなあ。以前は「弘進ゴム」の宣伝看板がついていました。そして株式会社鳴海本社ビルの場所は以前でいえば果物や食品を扱っていた磯屋さんのところだと思います。角地ですね。

広告には5月中旬オープン予定として2つの店舗の名がありました。1階が飲食店「マダムクック」。文字が小さくてちょっとわかりにくいのですが〈街角レストラン〉と書いてあるようです。そして2階がカラオケ店「ベイサウンド」です。

伊藤鳴人さんが代表をつとめる株式会社鳴海さんは、気仙沼駅前のホテルパールシティ内の和食「鼎や」やカフェレストラン「イノセンス」などを展開されているのですね。以前は中華「めん八珍」も。

こうして内湾周辺でも新しい店舗ができてきましたね。「マダムクック」や「ベイサウンド」もそろそろオープンすることでしょう。広告もあるでしょうから、またあらためて紹介しようと思います。

本日は、今を見る「途上の街」気仙沼市内湾地区のご紹介ということで失礼いたします。
 

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気仙沼の初ガツオ

本日6月1日、気仙沼港で今季初のカツオ水揚げがありました。すでにネットにはその様子を伝える写真や動画があがっています。この今年度初のカツオ一本釣り船の水揚げの予定については、きのう5月31日に市が発表していました。


初入港

5月31日付け気仙沼市/記者発表資料より


初水揚げということについては、記者発表資料ではあくまで〈かつお一本釣り船の初入港〉としていますね。たしかに、きのうまでまき網などでのカツオ水揚げがゼロということもないでしょうから。とはいえ、気仙沼にとっては今季初の一本釣りカツオの水揚げ、初ガツオといってよいでしょう。

発表資料の下部にもあるように、気仙沼港は生鮮カツオ水揚げ25年連続日本一です。冷凍を含めての水揚げ高でいえば焼津港が日本一。でもねえ、焼津港はカツオの横流し/窃盗事件があったりして、いろいろと。

記者発表資料によれば、入港がはっきりしているのは、竜喜丸(宮崎県日南市)、第18清福丸(三重県紀北町)、第8喜與丸(宮崎県日南市)の3船。さらに入港する可能性もあるとも記されていました。

私は知らなかったのですが、魚市場の水揚げ岸壁は〈プラットホーム〉と呼ばれるのですね。本日の各船水揚げは、それぞれ16番ホーム、14番ホーム、12番ホームで午前5時頃の予定とされていました。

竜喜丸(たつよしまる)さん、第18清福丸(せいふくまる)さん、第8喜與丸(きよまる)さん、いつもありがとうございます。今季も無事の航海そして大漁をお祈りいたします。

(参考)気仙沼市では毎年、気仙沼魚市場に水揚げしているかつお一本釣り漁船の乗組員の子どもたちを気仙沼に招待しています。つぎのブログで2019年の宮崎県日南市からの子弟招待を紹介しました。このときの漁船名12隻のなかに、竜喜丸さん、第8喜與丸さんの名もありました。

2019年7月31日ブログ「漁船員子弟の招待」

 

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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