fc2ブログ

安波山おやまがけ

5月27日の三陸新報1面に掲載された囲み記事を読み、なんともうれしい気持ちになりました。見出しは「手つなぎ一歩ずつ」。気仙沼小学校の1年生と6年生が安波山登山を楽しんだとのこと。


安波山登山

三陸新報5月27日記事の一部イメージ


5月25日に安波山(あんばさん)に登ったのは、気仙沼小学校の1年生37人と6年生31人です。

私が気仙沼小の生徒だったときにも、学校行事で安波山に登りました。以前にこのブログでも書いたなあと思って調べてみると2012年6月ブログでした。


2012年6月1日ブログ再掲
◎あんばはんの日

今日6月1日は、気仙沼小学校の全校遠足で安波山登山だそうです。

以前にも書きましたが、私たちが小学生だったころの「あんばはん」の日は、町中がお祭り気分でした。「あんばはん=安波山(あんばさん)」は、旧暦3月27日の安波大杉神社への参拝登山の日の呼び名でしたが、近年は新暦5月5日が「ゴーゴーあんばはん」の日となっていました。今年の旧暦3月27日はいつだったのか。調べてみたら、2週間前の5月17日(木)でした。

私の記憶では、「あんばはん」の日は学校が休みだったように思っていましたが、実際は学校も会社も〈はんどん〉、つまり午後から休みとなったようです。弁当をもってみんなで安波山にのぼったり、陣山で花見をしました。

私が最後に安波山にのぼったのは、15年ほど前になるでしょうか。小学1年生ぐらいだった息子も一緒に八日町の広野新聞店の脇からのぼっていきました。結構きつかったけれど、山頂からの景色はやはり最高でした。中学生ぐらいのときに同じ風景を見たのだと思って、懐かしい気持ちがしたのを覚えています。

気仙沼小学校の小さな後輩たちの今日の遠足。安波山のいただきからみんなでながめる風景が、良き思い出でとなることを願っています。(再掲内容は以上)


このブログ記事は10年前のものですから、私が最後に安波山に登ったのは25年ぐらい前ということになりますね。45歳ぐらいか。夏の帰省時のことでした。

冒頭に紹介した三陸新報の記事によれば安波山登山は気小1年生と6年生です。私たちのときはどうだったのだろう。考えてみると全校生徒ではなかったのかも。詳しいことは思い出せず。

私がこの三陸新報記事の写真を見て連想したのは、気仙沼の羽田(はた)神社の「お山がけ」です。約400年の歴史があるといわれる伝統行事。2016年9月23日のブログで紹介しております。

「お山がけ」では7歳の子と一緒に山に登るのは大人ですから、気小の安波山登山とは異なります。しかし、6年生が1年生を励ましながら山に登る様子はまさに、形をかえての〈お山がけ〉といってもよいでしょう。

記事の写真がとてもいいですね。見出しには〈登山楽しむ〉とありますが、左にうつる子は〈楽しむ〉というよりは〈必死〉という感じ。6年生が1年生にかける励ましの声が聞こえてくるようです。

「お山がけ」のことを書きながら思い出したのは、私の母の新潟県柏崎市米山(よねやま)への「初登り」のことです。お手すきのときにでもお読みいただければと。

2016年9月29日ブログ「米山さんへの感謝」

 
スポンサーサイト



テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 安波山お山がけ

3年ぶりの植樹祭

「森は海の恋人植樹祭」が6月5日に、例年通り岩手県一関市室根町の矢越山ひこばえの森で開催されるそうです。新型コロナの関係により2年連続で規模を縮小し、一般参加者を交えた開催は3年ぶりのこととなります。5月28日の三陸新報が伝えてくれました。


植樹祭
三陸新報5月28日記事の一部イメージ


記事によれば今回の植樹祭は、ひこばえの森交流センターで午前9時から受け付けとのこと。感染防止のため、参加は新型コロナのワクチンを2回以上接種した人とするそうです。マスクの着用し、受付で接種証明、またはPCR検査の陰性証明などを提示するほか、名前と連絡先の記入、検温をおこなうそうです。参加は無料で雨天決行。軍手を持参くださいとのことです。

記事では主催団体について、〈「森は海の恋人植樹祭」が気仙沼市唐桑町のNPO法人森は海の恋人(畠山重篤理事長)などによる〉と記されていました。〈など〉というのは、室根町第12区自治会が共催しているからです。同自治会の会長は三浦幹夫さんです。

新型コロナの関係で2年連続して関係者のみが参加しての植樹祭でした。この2回の植樹祭についてはつぎのブログで紹介しました。2020年の植樹祭には、その後にNHK「おかえりモネ」の演出陣のひとりとなる一木正恵さんも参加していました。

植樹祭関連ブログのリンクを以下に記しておきます。

◎2020年

2020年6月12日ブログ「梓の木を植える」
2020年6月15日ブログNHK一木正恵さん」

◎2021年

2021年6月9日ブログ「2021年の植樹祭」

いろいろと感染防止対策を施しながらのイベント開催が増えてきましたね。なによりのこと。この流れに水をさすことのないようにしたいですね。

6月5日(日)。天気にも恵まれ、気持ちのよい催しになってくれるよう祈っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 森は海の恋人畠山重篤植樹祭

「カッター競漕」復活

本年の「気仙沼みなとまつり」が8月6・7日開催で決定したことはすでにお伝えしました。「はまらいんや踊り」を12年ぶりに港町に戻して開催するなど70回目のみなとまつりにふさわしいまつりにしようとかなり気合いが入っています。

そして5月23日に開かれた主催団体長会議で、行事概要や新型コロナ感染対策などが協議、承認されたそうです。

それを伝える5月25日の三陸新報の記事をみて驚きました。見出しに〈内湾でカッター競漕復活〉とあったのです。


みなとまつり

三陸新報5月25日記事の一部イメージ


これはとてもいいですね。気仙沼らしい催しですし、市民参加型のイベントとして盛り上がるのではないでしょうか。

みなとまつり2日目の8月7日におこなわれる予定で5月26日から参加者・団体を募集するとのこと。

このカッター競漕、〈復活〉とあるのですが、私には見た記憶はありません。いつから始まったのだろう。ということで、いつもの「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)を調べてみました。ありました。

平成7(1995)年8月6日 みなとまつりに「カッター競漕」始まる

1995年ということは27年前か。その後どのように続いたのかと思い調べてみると、2010年の第60回みなとまつりで第16回カッター競漕大会がおこなわれていました。1995年から毎年開催されていたのですね。そして2011年は説明するまでもなくまつり開催は中止されました。
ということは、東日本大震災によって中断したカッター競漕を復活開催するということなのですね。気仙沼の人たちはすでにご存じのことでしょう。

きのう5月26日の三陸新報には、大はまらいんや踊り、みなとまつりパレードとともに、この「カッター競漕大会」の参加団体募集行事のお知らせが掲載されていました。


募集要項
三陸新報5月26日掲載広告より


各行事の申込については、「気仙沼みなとまつり」公式サイトからお願いしますが、このサイト中の「これまでのおまつりの背景」に興味深いことが記されていました。昭和26年の第1回気仙沼みなとまつりでは、「突きん棒漁実況」とともに「和船競漕」もおこなわれていました。〈カッターボート〉ではなく〈和船〉。しぶいね。

つまり、みなとまつりでの〈カッター競漕〉は、第1回目の〈和船競漕〉を継承しての催しだったのです。すばらしい。

私はこのブログを書きながら、60年ぐらい前に気仙沼小学校の校庭で開かれていた市民運動会のことを思い出しました。地区対抗のリレーほか様々な競技があったのですが、トラックのまわりにムシロを敷いての各地区応援団がすごいんだ。たくさんの大漁旗がはためいて。

あれもまた一種の〈みなとまつり〉だったのかもね。今週はこれにて。

2017年8月24日ブログ「60年前の港まつり」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり

気高の関東同窓会

気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会が今年も中止となりました。先日、事務局からのお知らせが届きました。


関東同窓会



説明不要でしょうが、新型コロナ感染症予防の観点からのこと。案内にも〈残念ながらみたび中止〉とあったように、2019年7月開催後の3回が連続中止となりました。残念ですが、仕方なし。

上掲の画像のタイトル上部に6校の名前が並んでいます。気仙沼高校関東同窓会は、現在の気仙沼高校に加えてこれら6校の同窓生によって構成されています。

2020年5月26日のブログで、同年の同窓会中止を紹介したときに、各校の校名変更や統合の経緯を記しました。本日も同様の内容を紹介します。


◎校名変更や統合の経緯

「気仙沼実科高等女学校」「気仙沼高等女学校」は「鼎が浦高等学校」(女子校)の前身。「旧制気仙沼中学校」は「旧気仙沼高等学校」(男子校)の前身です。

そして2005年、旧気仙沼高校と鼎が浦高校が統合して新気仙沼高校(男女共学)となりました。さらに2018年4月に気仙沼西高校(1985年4月開校)が気仙沼高校に統合し現在に至っています。

なお、総会のあとの懇親会は、いつも気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同で開催されていました。水産高校が気仙沼向洋高等学校に校名変更するとともに男女共学となったのは1994年4月のことになります。

◎2019年の関東同窓会

3年前の関東同窓会は2019年7月13日の開催でした。つぎのブログでその様子を紹介しております。ブログ記事での最後の写真には、昨年6月9日に亡くなった〈イオンモール〉の村上教行君の姿もありました。そろそろ1年か。

そういえば、同窓会総会の冒頭ではいつも前回からの1年間でお亡くなりになった同窓会会員のお名前が読み上げられて黙祷するのが恒例となっていましたね。次回総会でも同様の進行になると思いますが、故人のお名前の数など、例年にも増してせつないものがあるのではないかと。

まずはこの3年間でお亡くなりになった各校同窓生の皆さまのご冥福をお祈りいたします。

2019年7月15日ブログ「関東同窓会の報告」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼高校関東同窓会

畠山健介選手引退

元ラグビー日本代表で「豊田自動織機シャトルズ愛知」所属選手、畠山健介さんの退団と現役引退が5月13日に同チームから発表されました。5月19日の三陸新報もこれを伝えています。


畠山健介

三陸新報5月19日記事の一部イメージ


記事から畠山健介選手の経歴部分を引用します。

〈畠山選手は鹿折少年ラグビースクール出身で、松岩中学校から仙台育英高校に進み、全国選手権に3年連続出場。早稲田大学では大学日本一となり、卒業後はトップリーグ(現・リーグワン)の「東京サントリーサンゴリアス」に入団した。

引退までの代表キャップ数は78。2度のW杯を経験し、2015年のイングランド大会では、予選ラウンド全4試合でフォワードのプロップとして出場した。

決勝トーナメント進出は果たせなかったが、歴史的勝利となった南アフリカ戦をはじめ、サモア戦、アメリカ戦の勝利に中心選手の一人として活躍した。

2016年には、期限付きでイングランドのニューカッスル・ファルコンズに、日本人のフォワードとして初の海外移籍を果たした。

2019年にサントリーを退団し、米国のニューイングランド・フリージャックスに入団。昨年から豊田自動織機シャトルズ愛知に加入し、1シーズンでの引退となった。

日本ラグビーフットボール選手会の代表も務め、2019年には監修に携わったラグビーボール型の絵本を気仙沼市内の保育所、幼稚園などに贈った。〉(引用は以上)

2015年のラグビーワールドカップ。あの〈歴史的勝利〉からもう7年も経つのですね。スポーツ紙1面をかざった喜びの選手達と共にうつっていた日の丸は気仙沼の友達や後輩たちから畠山選手に届けられたものでした。つぎのブログでも紹介しました。

2015年9月22日ブログ「畠山健介の日の丸」

三陸新報の記事に健介さんが松岩中学の出身であることが記されていました。先日のブログで紹介したフェンシングの千田健太さんやフリーアナウンサー佐藤千晶さんなども同級生です。詳しいことはつぎのブログで。

2015年9月23日ブログ「畠山健介と大震災」

最後にチームから退団と引退の発表があった日の畠山健介さんのツイートを紹介します。



画像中のメッセージに〈皆さんとラグビーのおかげで、最高のラグビー人生でした!〉と。

「スポニチラグビー2022」の同日ツイートも。画像の見出しは〈空飛ぶヨコヅナ、ありがとう〉です。



畠山健介さんはいま36歳。これまでの長い選手生活、まずはお疲れさまでした。これからの新しい領域でのご活躍も期待しております。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山健介ラグビー

右眼の白内障手術

私が2019年7月に受けた左眼の白内障手術については、同年11月のブログでもお伝えしました。今回はその続き。先週末に右眼の白内障手術をおこないました。正確にいうと〈水晶体再建術〉。にごりを生じた水晶体の中身を眼内レンズに置きかえます。


白内障
白内障とは(眼科先進医療研究会サイトより)


左眼の手術をおこなう段階でも右眼の白内障傾向は指摘されていましたが、まずは様子見ということに。しかし昨年の中頃からなんか右眼のかすみが気になり始めました。そろそろかなと思いつつも、新型コロナのことも考慮しなければなと。つまり、そっちのほうの様子見です。

そして4月中旬、以前同様に地元の眼科で紹介状をもらって手術をお願いする病院で受診。前回と同じ大学付属病院です。参考まで、退院までの経過を記しておきます。あくまで私の場合です。2泊3日でしたが、日帰り手術の場合には異なる手順となるでしょう。

◎診察・手術手順

①1回目診察 これが4月中旬。4種ほどの検査や診察で手術担当医なども決定しました。私は仕事への影響が少ないように土曜の入院と手術、月曜退院にしてもらいました。2泊3日。前回は金曜入院で3泊4日。この病院は術後の感染リスクに慎重に対応しているように感じます。

②2回目診察 担当医師による診察と手術計画の相談など。

③PCR検査 これは前回なかったステップ。手術日の前日にPCR検査をおこない、陽性であれば夕方に連絡があり入院や手術は延期となります。はじめてのPCR検査です。陰性でした。

④入院・手術 5月21日。9時に入院し手術は14時開始でした。手術そのものは20分程度ですかね。眼は部分麻酔がきいていますから、なんかいろいろやっているなというぐらいの感じ。まぶしさとかはありますねけどね。

白内障手術未経験者は、眼球の手術ということでのこわさがあるかもしれませんが、なんの心配もいりません(個人の感想ですw)。麻酔を使っているので術後は2時間安静。この段階ではすでに視野のかすみが8割ぐらいに回復していました。

⑤5月22日 朝6時から2種の薬を5分の間隔をおいて3時間おきに点眼します。これが結構めんどう。9時ごろに術後の診察。かすみは9割ほどクリアに。きわめて順調といわれてうれしかった。21時の最終点眼のあとは、看護師さんに軟膏をつけてもらって眼帯。これは前夜も同じでした。

⑥5月23日 6時に起床、点眼開始。9時ごろに診察。問題なく退院が決定しました。その後、視力検査。裸眼で1.2ということでホッとしました。その後は手続きや支払いなどして、11時ちょっと前には無事退院となりました。

◎新型コロナ対応

前回手術と比べて大きく違うのは新型コロナ対応ですね。前回の食事は食堂スペースでとることができましたが、今回は病室です。各患者に係の方が運んでくれました。

ロビースペースのテレビも撤去されていました。前回はそのテレビで大相撲中継などを見て、隣の人と感想を述べあっていたのですが。

こうして自分の白内障手術経験を記すのは、同級生の参考になればと。ちょっとでも眼に違和感があったならば、ぜひ眼科を受診してほしい。案外、手術をこわがっている人も多いのではないかと思います。

昨日の東京はとてもいい天気でした。青空と気持ちのいい空気感。これは、にごりのない右眼のせいでしょう。きっと。

2019年11月22日ブログ「白内障手術体験記」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 白内障

気仙沼大使の小史

4月26日のブログで「みなと気仙沼大使」の委嘱期間について紹介しました。そのなかで、市からの2010年の(10月1日付け)記者発表資料に、「みなと気仙沼大使」の前身ともいうべき「リアスさんりく気仙沼大使」が2006(平成18)年9月にスタートしたとされていることへの疑問も記しました。正しくは平成12(2000)年3月13日ではないかと。

4月26日ブログ 「気仙沼大使」変遷


記者発表資料

気仙沼市2010年10月1日付け記者発表資料より


これについて、市のご担当に(特に急ぐことではないのでお時間のあるときにということで)再度問い合わせをしましたら、先日ご丁寧な回答をいただきました。本日はその内容をベースに私なりにまとめて紹介します。

この大使制度開始時期のわかりにくさは、旧気仙沼市と唐桑町の合併、そしてその後の本吉町との合併が背景にあることをまずはご理解ください。そして、本吉町との合併の1年後に大使制度の名称変更がおこなわれたこともあり、さらに複雑になったようです。

①大使制度の開始

旧気仙沼市において「リアスさんりく気仙沼大使」を初めて委嘱したのが2000(平成12)年3月です。当初の大使数は35名。22年前に大使制度が開始されました。

②旧気仙沼市と旧唐桑町が合併

2006(平成18)年3月31日に旧気仙沼市と旧唐桑町が合併します。そして新気仙沼市として、旧市時代の大使69名および旧唐桑町にゆかりのある方2名へ新たに「リアスさんりく気仙沼大使」を委嘱したのが同年2006年9月です。

2010年当時の記者発表資料で「リアスさんりく気仙沼大使」が2006(平成18)年9月にスタートしたとあるのは、このときのことを指しているのですね。新気仙沼市としての委嘱開始ということになります。

③本吉町との合併

そして2009(平成21)年9月1日 には本吉町とも合併(併合合併)しました。その翌年、2010(平成22)年10月1日には、合併後初の委嘱替えということで、名称も新たに「みなと気仙沼大使」としてスタート。72人の方々に委嘱しました。

新名称について2010年10月15日発行の広報「けせんぬま」では、気仙沼市の「全国有数の港まち」というイメージにちなんだとしています。この市広報誌での紹介頁には72名の皆さんが紹介されていて興味深い内容になっています。記事見出しの左には「みなとまち気仙沼の応援団」と記されていました。

以上が、気仙沼市の大使制度、「リアスさんりく気仙沼大使」および「みなと気仙沼大使」の開始から現在に至るまでの経緯です。

今回も市震災復興・企画課のご担当者には大変お世話になりました。及川さん、ありがとうございます。

気仙沼市の大使制度が始まって今年で22年。基本的な委嘱期間は2年間です。これまで気仙沼大使をつとめてくださった方は相当な人数になるでしょう。御礼を申し上げるとともに、今後とも〈元大使〉ということで、どうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : リアスさんりく気仙沼大使みなと気仙沼大使

気仙沼の義経伝説

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、ますます面白くなってきましたね。源義経の活躍というか〈天才軍略家〉としての破天荒な振る舞いには驚かされます。義経ってこんなだったのか。オレは聞いてないよ、みたいな。そして5月15日放送回。兄弟の思いのすれちがい。なんかせつなかったですね。明後日はどう展開するのか。

ということで本日は、気仙沼の〈義経伝説〉を紹介しましょう。まずは1月15日の三陸新報「論説」から。見出しは「鎌倉ストーリーと皆鶴姫伝説」です。

三陸論説

三陸新報1月15日記事の一部イメージ


この記事では、気仙沼の〈義経伝説〉と〈皆鶴姫伝説〉の概要を手際よく紹介しています。両伝説とも〈諸説あり〉ということで、それらを詳しく紹介していくとちょっと分かりづらくなってしまうのです。

記事の伝説紹介部分を引用させてもらいます。

〈気仙沼市には悲劇の英雄・源義経に関する伝説がいくつか残っている。代表的なのは皆鶴姫伝説だろう。義経は兵法を学ぶため、京都・鞍馬山の鬼一法眼(きいちほうげん)のもとに預けられ、和尚の娘の皆鶴姫(みなづるひめ)と恋仲になる。

皆鶴姫は義経のために、和尚が大切にしていた兵法書を盗み出し、義経は奥州・平泉に向かう。激怒した和尚は、木をくりぬいた「うつろ舟」に、皆鶴姫を乗せて九十九里浜から海に流した。

母親が忍ばせた一体の観音像と姫を乗せた「うつろ舟」は、風に乗って北へ北へと流され、気仙沼沖から満潮に乗って「一ケ島」(現・一景島)に流れ着く。島の南側にある母体田(もたいだ)の人たちが舟を見つけ、姫を手厚く介抱したが、息をひきとってしまう。
姫が気仙沼に漂着した夢を見た義経は、馬(太夫黒)を走らせて駆けつけ、亡きがらのそばから取り出した観音像を気仙沼の観音寺に祭る。母体田の高台には観音堂が建立され、一景島神社には皆鶴姫漂着の地の案内板がある。〉(引用は以上)

どうでしょうか、大体のストーリーをご理解いただけましたでしょうか。一景島や観音寺も登場します。また記事の末尾にはつぎの記述もありました。〈鹿折金山(上鹿折)には「源氏の滝」があり、義経の愛馬・太夫黒(たゆうぐろ)のひづめ跡とされるくぼみもある〉と。

つぎに紹介するのは、私がまとめた〈皆鶴姫伝説〉です。伝説部分のみをとも思いましたが、全文を再掲します。お手すきのときにでもお読みいただければ幸いです。


2018年8月8日ブログ再掲
◎気仙沼 皆鶴姫

昨日のブログで8月9日におこなわれる観音寺の観音像ご開帳について紹介しました。その観音像が気仙沼に伝わる〈皆鶴姫(みなづるひめ)伝説〉ゆかりの仏像ではないかと記したわけですが、本日はその伝説を紹介します。とはいっても、これがその伝説内容ですと明確に示すことも難しいのです。〈皆鶴姫伝説〉は気仙沼のほかにも室根山近辺や会津地方などにもありますし、気仙沼に伝えられる話にもいろいろと細部の違いがあるようです。まさに〈諸説あります〉状態。そこで、ネットで見つけた情報を気仙沼にまつわる話を都合よくつぎはぎしてみると、つぎのような内容になりました。仮案ということで。

◎気仙沼の皆鶴姫伝説(仮)

源義経(当時は牛若丸)は、京都鞍馬寺の鬼一方眼(きいちほうがん)のもとで文武の修行をしていたとき、方眼が持っていた中国伝来の兵法書を見たいと望みましたがかないませんでした。そのため義経は、恋人となっていた方眼の娘「皆鶴姫」に頼んだところ、姫は父に内緒で兵法書を義経に渡しました。義経はこれを持って奥州平泉へと旅立ちます。兵法書を盗まれたことに気づいた方眼は激怒し、皆鶴姫を器舟(うつぼ舟)に乗せて九十九里浜から流します。

姫は、気仙沼(松岩の阿弥陀ヶ鼻/松崎前浜)の母体田(もたいだ)海岸に流れ着き、地元のおじいさんとおばあさんの世話により元気を取り戻します(はじめに漂着したのは一景島で、その後に母体田へとの説も)。しばらくして、皆鶴姫は男の子(つまり義経の子)を出産しましたが、産後の日だちが悪く、日に日に弱っていきます。

その頃、平泉にいた義経はそうした状態にある皆鶴姫の夢を見ます。これを正夢と信じた義経は馬を走らせ母体田の浜に向かいましたが、たどり着いた時に皆鶴姫は息を引き取っていたのです。義経は、忘れ形見の子の世話をおじいさんとおばあさんに頼み、平泉に戻ります。後に義経は気仙沼と平泉の中間地(室根村でしょうか)に観音寺を建立し、姫の守り本尊だった観音像をまつり皆鶴姫を弔いました。その観音寺はその後、気仙沼に移りました。それが現在の気仙沼市本町の観音寺です。


以上が伝説のまとめ仮案。観音寺には、姫を乗せて漂着した舟の残骸や義経が背負ったという「笈(おい)」のほか、弁慶が袈裟を掛けたという「袈裟がけの岩」などがあります。また母体田の高台にも観音堂があるとのことです。

気仙沼市弁天町の一景嶋神社/一景島公園には、2004年3月に気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板がありました。津波で被災しましたが、関係者の努力で復旧したようです。案内板の画像がネット上にありましたので、その内容を書き起こしておきます。

案内板2

2013年撮影と思われる案内板


◎案内板内容:「皆鶴姫」漂着の地

義経伝説に登場する、義経の恋人の皆鶴姫は、陰陽師・鬼一法眼の娘として、古くから歌舞伎などで演じられ、親しまれてきたヒロインです。 気仙沼市本町の天台宗観音寺には、寛政2年(1790)に作成された「当山観世音縁起」という寺社縁起が所蔵されており、そこには、義経が頼朝の憤りを受けて平泉にいたころに、皆鶴姫が義経を慕って東国に至り、病死したことが書かれてあります。 皆鶴姫の守り本尊と共に遺骨が流れ着いたところが、この一景島公園にあたる「一ヶ嶋」でした。その後、義経は皆鶴姫と平家一門の供養をするために、姫の守り本尊であった観音像を安置し、そのことが観音寺の始まりと伝えられております。 皆鶴姫伝説は、後生には、松岩の阿弥陀ヶ鼻(気仙沼市字松崎前浜)にうつぼ舟に乗って漂着したと伝えられ、気仙沼地方の著名な伝説の一つとして、人々にくりかえし語られてきました。

・観音寺に伝わる源義経の笈(写真)
・皆鶴姫が乗ってきた「うつぼ舟」の船板(写真)


案内板内容は以上です。この気仙沼の皆鶴姫伝説については、1977年(昭和52)に「絵本 気仙沼の伝説 皆鶴姫」として発刊されたことがあります。発行は編纂委員会と気仙沼市民俗資料館建設運動促進委員会。そして、2006年に復刊されましたが、これは前年のNHK大河ドラマ「源義経」放送による義経ブームが背景にあったようです。気仙沼ジャンさんによるブログ「気仙沼産の神奈川県人!」に詳しく紹介されていました。同ブログに紹介されていた「絵本 気仙沼の伝説 皆鶴姫」の画像を紹介します。

皆鶴姫


気仙沼コンベンション協会の会長などもつとめたホテル一景閣の斎藤徹社長(現会長)は、この皆鶴姫伝説をいかした地域おこし活動に熱心でした。上述したように、九十九里浜から流され漂着したのが、いまホテル一景閣がある一景島(一ヶ嶋)との伝説もあるわけですから、それも当然のことでしょう。2007年には同ホテルで皆鶴姫の浮世絵展なども開催しています。現在もホテル内のギャラリーにその一部を展示しているようです。また、同ホテル内にはスナック皆鶴姫もありました。斉藤社長の熱心な取り組みがよくわかります。しかし、そうした当時の機運も、今の気仙沼ではちょっとしぼんでしまったかのようで残念です。

気仙沼市史 第7巻 民俗・宗教編(P371〜374)には、「義経と皆鶴姫伝説」の項があります。そこには、上記の案内板にも記されていた観音寺に伝わる寛政2年(1790)の「當山観世音略縁起」の内容も掲載されており、観音寺の観世音菩薩の義経や皆鶴姫にまつわる由来を知ることができます。

また、この市史記述のなかには、義経が気仙沼大島に入婿(いりむこ)になった伝説があり、宮城県教育会(教育委員会のことか)編の『郷土の伝承』第2輯に報告されているとの話もありました。面白すぎる(笑)。この市史の関連頁は、皆様の伝説研究の一助としていただくために、明日のブログでページ画像を掲載しようと思っています。

かなり簡略にしたつもりでも伝説紹介がこれだけの長さになってしまいました。どうでしょう、8月9日(木)の観音寺「秘佛聖観世音菩薩御開扉法要」にお参りしてみようと思っていただけましたでしょうか。そうであればとてもうれしいです。

なお、昨日の気仙沼中央公民館の公式Facebookが、観音像ご開帳を紹介していました。こちらもご覧ください。

中央公民館Facebook


再掲内容は以上です。

2018年のブログでは、岩手・宮城県際広域観光推進研究会と宮城県観光連盟のサイトに皆鶴姫関連情報が紹介されていたのですが、現在は〈Not Found〉とのこと。もったいないと思うのですが、観光サイトということで仕方なし。

ものは試しということで「皆鶴姫伝説 気仙沼」「義経伝説 気仙沼」でGoogle検索してみました。結果は、いずれも上で紹介した私のブログがトップ。

いいようなわるいような、うれしいようなかなしいような。複雑な心境のまま本日はこれにて。

2018年8月9日ブログ「當山観世音略縁起」
 
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 義経伝説皆鶴姫鎌倉殿の13人

気仙沼 inアクシス

本日紹介するのはデザイン専門誌「AXIS」(アクシス)最新6月号です。表紙に掲げられている特集テーマは「CITIZEN-CENTERED DESIGN」。直訳すれば〈市民中心のデザイン〉ですが、副題として掲げられている〈多様な人びとと、共に考え、共につくる社会〉のためのデザインアプローチといったことでしょう。ここでいう〈デザイン〉とは、〈計画〉的な意味を含むかなり広義の概念です。念のため。

IMG_5429.jpg

全128頁からなる今号、中ほどの記事を見ておどろきました。2見開き/4頁にわたって〈気仙沼〉がありました。

IMG_5426.jpg




記事タイトルは「東北の公共建築と、復興で進化した市民共創プロセス」です。リード文を引用します。

〈東北地方では震災復興を余儀なくされながら、ワークショップの実施やファシリテーションの工夫、官民の連携などさまざまな共創手法を模索し、市民の需要を踏まえた施設整備がなされている。宮城県の女川、気仙沼、福島県の須賀川という3つのエリアで展開された事例を通し、人びとのための魅力ある施設づくりの要点を、関係者の声とともに紹介する。〉(引用は以上)

紹介事例はつぎの3つです。

・気仙沼内湾防潮堤計画 ムカエル・ウマレル(PIER7)
・女川駅前シンボル空間/女川町震災復興事業
・須賀川市民交流センター tette

気仙沼事例紹介の記事内容については省略します。本日は、「AXIS」誌に気仙沼内湾の計画事例が紹介されていたよという報告ということで。

文章は平塚桂さん、写真は奥田正治さんです。AXIS編集部、そして平塚さん、奥田さん、ありがとうございました。

気仙沼内湾防潮堤計画については、つぎのブログ記事でも紹介しております。AXIS記事でとりあげている事例は、グッドデザイン賞の受賞理由と重なる部分が多くあるように感じます。

2019年10月11日ブログ「グッドデザイン賞」


◎AXIS掲載の企業広告

ちょっと思い出話を。私が30歳だったころのAXIS誌に、その後10年つとめることになる会社の企業広告が掲載されていました。デザイン誌での広告ですから、1頁にわたってソール・バス、ルイジ・コラーニ、ポルシェデザインといった当時の提携デザイナーや企業を中心にして紹介し、リサーチやマーケティングなどのコンサルティングについては軽くといった感じだったと思います。スズキのバイク「KATANA」のデザインで知られるハンス・ムートとの提携は私の入社後のことでした。そして、さまざまなデザイン作品や事例紹介の下に小さく、求人情報が記されていたのです。

AXISとは「軸」のこと。あのAXIS誌の広告を見ることがなければ、私の仕事軸はちょっと違ったものになったことでしょう。なんちゃって。40年前の話です。



 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : AXIS内湾防潮堤計画

気仙沼バル2022

気仙沼市内の飲食店で飲み歩きや食事を楽しむイベント「気仙沼バル」が5月23日から28日まで開催されます。新型コロナ対応で昨年と一昨年は開催されませんでしたので、3年ぶりの開催となります。

きのう5月17日の三陸新報には広告も掲載されました。コピーに〈待っていたよ、この時を!〉と。関係者の皆さんの正直な気持ちでしょう。


気仙沼バル
三陸新報5月17日掲載広告


同日、河北新報も記事を配信してくれました。当方ツイートで紹介します。

河北新報の記事に〈気仙沼バルは東日本大震災後、商店街の再起を後押ししようと商工関係者でつくる実行委員会が企画し、2013年4月に始まった〉とありました。

2013年4月20日の初回開催はこのブログでも紹介しました。その後もたとえば2015年4月18日に開催された第4回についてはつぎのブログで。

2015年4月14日ブログ「土曜は気仙沼バル」

このブログを久しぶりにみると、開催場所は、気仙沼復興商店街 南町紫市場、復興屋台村 気仙沼横丁、気仙沼鹿折復幸マート、福幸小町 田谷通りなどとなっています。つまりみな仮設商店街です。こうして仮設の名称をならべるだけで、震災後の先行きがなかなか見えない当時の気分を感じます。

そしてこのブログのなかで私は、同級生が関係するお店として、佐々木徹君(3年1組)が役員をつとめる〈あさひ鮨〉、大友つき子(9組)さんの〈あたみ屋〉、斎藤(広沢)高史君(8組)の奥様みき子さんの店〈エスポアール〉などを紹介していました。

そして今回の気仙沼バル2022。50店舗が参加します。3枚つづりで3300円(前売り3000円)のチケットを購入し各店で注文時に1枚を手渡すと、特別メニューが提供されます。余ったチケットは、一定期間、各店での金券として使えるそうです。詳しくはつぎの公式サイトにて。

気仙沼バル2022公式サイト

新型コロナもこのところ落ち着きをみせはじめています。3年ぶりの気仙沼バルをどうぞお楽しみください。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼バル

千田健太さん近況

私は毎朝、朝食をとって自宅を出るのがだいたい午前10時すぎといったところ。その目安は、テレビ朝日「じゅん散歩」を見終えたあたりです。

地井武男さんの「ちい散歩」、加山雄三さんの「若大将のゆうゆう散歩」に続いて、2015年9月にスタートしたこの番組に登場するのは〈純ちゃん〉こと高田純次さん。

4月12日の散歩コースは横浜市港北区の日吉(ひよし)でした。高田さんが最初にたずねたのは慶應義塾大学の日吉キャンパス。とある研究室にはいっていきます。どんな研究をしているのだろうと思っていたら、〈千田健太〉という名前が。あわてて録画をセット。

下平さやかさんのナレーションで、千田さんは〈現役引退後、フェンシングの普及につとめていて、現在は慶應大学の大学院で科学的な指導方法を研究しています〉と紹介されました。〈メダリストが学ぶ!体育研究室〉との文字も。放送画面をいくつか紹介しましょう。

1_20220514164140373.jpg

2_20220514164141ce4.jpg

3_202205141641391dd.jpg

4_202205141641431ab.jpg

画像はすべて4月12日放送画面より


2012年ロンドンオリンピック男子フルーレ団体の銀メダリスト千田健太さんが2020年4月に慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科後期博士課程に入学したことはこのブログでも紹介しました。

2021年8月3日ブログ「千田健太さんの今」

調べてみると、同研究科のセンシング・デザインラボ/神武(こうたけ)研究室サイトに博士課程学生としてその名と写真が掲載されていました。

千田さんはいま36歳。オリンピックメダリストという得がたい経験をベースにして、新たな領域での勉学と研究にとりくんでいます。その様子をかいま見てとてもうれしく思いました。

研究のテーマはスポーツ分野におけるセンシング/測定・検知と解析技術の可能性ということなのでしょうね。

健太さんが研究しているのはフェンシングではなくてセンシング。つまり千田健太さんはいま、フェンサーではなくてセンサーです。どうぞよろしく。

気仙沼でフェンシングが盛んなのはなぜなのか。つぎのブログに記しております。お時間のあるときにでも。

2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 千田健太

徳仙丈山の「物語」

先週末から徳仙丈山のつつじの話題がネットに登場していますね。今朝の「気仙沼さ来てけらいんWEB」でも〈全体で八分咲き程度〉との開花模様を写真とともに伝えてくれました。


徳仙丈山のつつじについては何度もこのブログで紹介しております。ということで本日は2016年5月18日ブログの主要部分を再掲します。

2016年5月18日ブログ再掲

◎慰霊のヤマツツジ

気仙沼の徳仙丈山(とくせんじょうさん)のヤマツツジは今週末あたりが見頃だといいます。私は一度も訪れたことがないのですが、花が盛りのときの写真をながめると、是非一度といつも思います。YouTubeに昨年5月13日の徳仙丈の映像がアップされていたのでご紹介します。満開の手前、5〜6分咲きの約4分間の映像です。





徳仙丈山については、2013年6月5日のブログでツツジの保護活動に尽力された佐々木梅吉さんの話などを詳しく書きました。3年前の文章ですが、伝えたいことは今も変わりありませんので、以下に再録いたします。

2013年6月5日ブログ再掲
◎徳仙丈のツツジ

いま、気仙沼の徳仙丈山(とくせんじょうさん)のツツジが見ごろを迎えているとのこと。徳仙丈山は気仙沼市と本吉町の境にあり、約50万株のヤマツツジやレンゲツツジの群生は国内最大級といわれています。

これらのツツジは、もともと徳仙丈山に自生していましたが、いつのまにかこんなに見事な姿になったわけではありません。30数年以上にもわたる手入れや保護活動があってのことなのです。

その中心となったのが2008年2月に亡くなった佐々木梅吉さん。親しかった県会議員から、山に自生するヤマツツジの手入れを勧められたのをきっかけに、木挽き(こびき)仲間の数人で移植や下草刈りに取り組み、間もなく「徳仙丈の自然とつつじを守る会」を発足しました。1976年ごろのことのようです。〈木挽き〉とは、伐採した丸太を鋸でひいたりして材木にする職人さんです。

ツツジの育成や保護活動を続けてきた〈守る会〉は、2007年に毎年開催してきたツツジ祭が30回を迎えたことを機に解散。しかし翌2008年には、佐々木さんらの志を受け継ぎ、「徳仙丈のつつじを愛する会」が発足し現在に至っています。なお、徳仙丈山の本吉町側の保護活動については、故・須藤隆さんのお名前がありましたので記しておきます。

私が中学や高校のころは、この徳仙丈のツツジの話を聞いた記憶がありません。しかし、佐々木梅吉さんの名前は市議会議員としてよく知っています。母と近所のおばちゃんらとの〈オジャコノミ(お茶飲み)〉の中で、〈梅吉さん(うめきっつぁん)は、山の中で仕事をしながら大きな声で演説の練習をしているらしい〉と笑いながら話しているのを聞いたこともあります。決してからかっているのではなく、なんていうんだろう、今風にいえば〈愛されるキャラ〉か。漁業関係者をはじめ市の有力者がならぶ市議会議員のなかにあって、木訥(ぼくとつ)な印象ながらも一貫して日本共産党員として市議をつとめた梅吉さんを、みな敬愛していたのだと思います。

ネットに、梅吉さんの著書〈山つつじ燃ゆ〜満蒙開拓青少年義勇軍からの軌跡〉(光陽出版社1998年刊)の書籍情報がありました。それによれば、梅吉さんは満蒙開拓青少年義勇軍に応募した後、敗戦、シベリア抑留を経て帰国。その後に日本共産党に入党、気仙沼市会議員として活躍しました。

2007年に建立された徳仙丈山頂近くの石碑に、私たちの同級生 武山美加(号 櫻子)さんの書による、梅吉さんの歌6首が刻まれています。そのうちの2首をつぎに。

青春を知らずに逝きし我が戦友へ 八十路を生きてつつじ手向けん
海原に姿映すか山つつじ われ無き後も末の末まで

シベリアの地で過酷な強制労働を共にしつつも祖国の地を踏むことがかなわなかった戦友。この季節、徳仙丈を一面の朱に染めるツツジは、その慰霊の花でもあったのです。(2013年ブログの再録内容は以上)

この佐々木梅吉さんについては、御手洗瑞子さんが自著『気仙沼ニッティング物語:いいものを編む会社』の中でも紹介していました。昨年のブログでも書きましたが、自分ができることは〈種をまくこと〉だとし、〈それは、佐々木梅吉さんのつつじの山と同じです〉と記していました。非常に印象的な言葉です。

2015年8月21日ブログ「種をまく仕事」

再掲内容は以上です。

再掲内容にも記しましたが、私は一度も徳仙丈山のつつじを見たことがないのです。夏季休暇など帰省のシーズンであれば、見る機会もあったかもしれないのですが、5月だとなかなかね。学校卒業後に気仙沼を離れた人だと、同じような方も多いのではないかと。

こうして徳仙丈山のつつじを紹介するたびに、一度はぜひ自分の眼で楽しんでみたいものだなあと思ってはみるのですが。残念。

徳仙丈山についての詳細情報は、気仙沼の公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」をご覧ください。

気仙沼さ来てけらいん「徳仙丈山」
同サイト/徳仙丈山のツツジ開花情報
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 徳仙丈山佐々木梅吉

大島中学校 校歌

気仙沼市立大島中学校は3月20日に閉校し、鹿折中学校と統合しました。閉校を伝える新聞記事の見出しには〈75年の歴史に幕〉と。つぎのブログで紹介しております。

3月23日ブログ「大島中学校が閉校」

統合後の鹿折中学の校歌や校章はそれまでの鹿折中のものを継承します。そのため、3月23日の閉校式で歌われた校歌は、在校生が歌う大島中学最後の斉唱となりました。

大島中学校の校歌は、2015年4月28日のブログで紹介したことがあります。そこでは三陸新報のシリーズ記事「学校紹介」に掲載されていたつぎの校歌画像を紹介しました。

大島中学校歌
2015年4月26日付け三陸新報より

2015年4月28日「大島中学校の校歌」

本日は、画像ではなくテキストとして正しい歌詞を紹介します。〈正しい歌詞〉とした理由はのちほど。


◎大島中学校 校歌

作詞 水上不二
作曲 芥川也寸志



波におどる太陽
かもめは雲と羽ばたく
太平洋 朝をよぶ風 この空
みどりの亀山 松の歴史
創造ひとえに われら学ばん
大島中学 理想ははるけし



窓ににおう黒潮
しぶきは虹と噴きたつ
太平洋 岩に咲くゆり この空
世界のくぐなり 砂のリズム
友愛いよいよ われら磨かん
大島中学 生気は満ちたり



沖にあがる歌声
電波は夢を織りなす
太平洋 星へとぶ魚 この空
真珠の灯台 海のしるべ
前進日に夜に われら励まん
大島中学 未来ははてなし


今回この記事を書くにあたって、YouTubeにあがっていた大島中校歌の動画を見てみました。三陸新報記事の歌詞と見比べながら聞いたのですが、一か所違っているところがありました。3番の1行目にある「歓声」が動画では「歌声」になっています。

これは「歓声」を「うたごえ」と読ませたのだろうか。ネットにまだある大島中学校のサイトを調べてみると、正解は「歌声」でした。ほかにも大島公民館だより令和4年3月号でも「歌声」。三陸新報の誤記だったのですね。当方の確認不足をお詫びします。ということで上掲の校歌歌詞では正しく直しました。


◎作曲は芥川也寸志さん

作詞は大島出身の水上不二(みずかみふじ)さん。そして作曲は芥川也寸志(あくたがわやすし)さん。芥川龍之介の三男です。

芥川さんは、この校歌発表会のために大島を訪れてくれました。「気仙沼文化史年表」にはつぎのように記されています。

昭和32(1957)年4月21日
大島中学校歌発表会、歌指導に音楽家芥川也寸志来る

さらにその26年後にも気仙沼へ。大島に立ち寄ったかどうかはわかりません。

昭和58(1983)年5月18日
芥川也寸志を招き宮城フィルの夕べ開かれる。

芥川也寸志さんは、1983年に宮城フィルハーモニー協会(現在の仙台フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督に就任しました。その関係もあって気仙沼でのコンサート開催が実現したのでしょう。

本年3月8日の大島中最後の卒業式には、仙台フィルハーモニ管弦楽団のメンバー4人による弦楽四重奏での校歌演奏もあったそうです。また芥川さんの妻江川真澄さんも参列してくださいました。ありがとうございます。

仙台フィルハーモニ管弦楽団サイトの沿革には、芥川也寸志さんの「真のローカリティこそが世界に通用する」という言葉が紹介されていました。

この言葉、なにか大島中学校で学んだすべての人への〈贈る言葉〉にも思えてきます。

芥川さん、ありがとうございました。

3月17日ブログ「大島中学の卒業式」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大島中学校芥川也寸志

津波浸水想定とは

宮城県が5月10日に公表した「津波浸水想定の設定」は、新聞やテレビでも報じられました。〈津波の高さは最大で気仙沼市の22.2m〉との記事に驚いた方も多いのではないかと。これは気仙沼市本吉町道外(登米沢海岸)付近の数字です。

きのう5月11日の三陸新報も1面で伝えていました。


津波想定

三陸新報5月11日記事の一部イメージ

私が驚いたのは最終面6面の浸水想定図です。色がピンクから紫色になるにしたがって浸水深が大きくなります。気仙沼湾横断橋が通る朝日町付近に紫色がありますが、この色が10m以上20m未満。数字としては12.9mです。


浸水図

三陸新報5月11日記事6面より


この想定図を見て、気仙沼の多くの人が東日本大震災の津波による被災図を重ねあわせたことでしょう。防潮堤ができても同じような被災が想定されるのかと。

県の発表によれば、この「津波浸水想定」は、最大クラスの津波が悪条件下において発生した場合に想定される浸水の区域(浸水域)と水深(浸水深)を表したものとのこと。

県の解説資料では「最大クラスの津波」について、発生頻度は極めて低いものの、発生すれば甚大な 被害をもたらす津波のことであり、L2 津波とも呼ばれるとしています。また、「悪条件下」 とは、具体的に以下の条件などです。

・地震発生とともに地盤が沈下すること
・津波発生時の潮位が満潮であること
・津波が越流すると防潮堤が破壊されること

三陸新報の記事では、最大クラスの津波を数百年に一度の発生とされるレベル2津波と説明していました。

なお、三陸新報6面の見出し「ハザードマップ見直し」とあるのは、この県の新たな公表内容を踏まえて気仙沼市はすでに全14地区で作成しているハザードマップについて、地域住民を交えての見直し作業を進める方針であることを指しています。

昨日5月11日のNHK「東北 NEWS WEB」配信記事「シリーズ「津波眞想定 あなたの街は」の1回目は気仙沼市でした。リンクをはっておきましょう。

シリーズ「津波深想定 あなたの街は」(1)気仙沼市

宮城県の公表内容はつぎのリンクで見ることができます。この機会に自分たちが暮らしていたり働いている地域の浸水想定内容をご確認いただければと。

宮城県公式サイト「津波浸水想定の設定公表について」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 東日本大震災津波

藤竜也大使に感謝

きのうのブログで、竹下景子さんへ「みなと気仙沼大使」委嘱状が手渡されたことをお伝えしました。そしてその翌日5月7日には、藤竜也さんへの委嘱状が菅原市長からご本人へ。当日7日の市長ツイートがつぎのように紹介しています。


「おかえりモネ」でモネの祖父、永浦龍己を演じた藤竜也さん。ドラマ終了後も、観光プロモーション「ただいま、気仙沼」に竹下景子さんと共にご協力いただくなど、気仙沼が大変お世話になっています。

写真にうつっている場所は横浜の山下公園そばにあるホテルニューグランドです。しぶいね。日活の俳優でもあった藤さんとニューグランドはよく似合う。

市長のツイートにあったニューグランドのバー「シーガーディアンII」のカクテルは「ヨコハマElegance」です。2012年のカクテルの日、5月13日にお披露目されました。グラスを花束に見立て、バラやスミレ、マスカットのリキュールを使ったシャンパンベースのカクテル。色は〈藤色〉とのこと。蘭の花びらが浮かびます。

このバーの名を、サザンオールスターズの「LOVE AFFAIR〜秘密のデート」で知っている方も多いことでしょう。〈大黒埠頭で虹を見て シーガーディアンで酔わされて まだ離れたくない〉。

なんか、大黒埠頭で虹を見たあと、シーガーディアンで彼女を酔わせたのは藤竜也さんのような気がしてきました。きっとそうに違いない。ということで、この辺にしておきます。

話を戻して。藤竜也さん、いつもありがとうございます。今度は「みなと気仙沼大使」でお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。


1月17日の「徹子の部屋」出演の様子はつぎのブログにて。

1月28日ブログ「龍己さんの若い頃」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 藤竜也みなと気仙沼大使おかえりモネ

竹下景子大使さん

3月15日付けで、新たな「みなと気仙沼大使」を4人の方々に委嘱したことはすでにお伝えしました。生島勇輝さんと生島翔さん兄弟、藤竜也さん、そして竹下景子さんの4人です。生島さん兄弟にはすでに委嘱状が渡されていますが、先日、竹下景子さんへの委嘱状が5月6日に菅原茂市長から直接手渡されました。

この手渡しは、役所の言葉でいえば「手交」ですかね。しゅこう。その様子を5月6日に市長がツイートで紹介しています。


市長が訪れたのは竹下さんのご自宅でしょうか。ちょっと立ち入った話になりますが、写真にうつる書架には写真関連の書籍がならんでいます。竹下さんの夫君が写真家の関口照生(てるお)さんであることは皆さんご存じのことでしょう。

竹下景子さんは、NHK「おかえりモネ」出演以前から気仙沼とのご縁があります。竹下さんが〈気仙沼の母のような人〉と称するのは、気仙沼大島の〈宮古屋〉熊谷すん子さんです。熊谷雅裕君のお母様。そんな話をつぎのブログで紹介しております。そこにも書いておりますが、竹下さんが気仙沼大島をはじめて訪れたのは1997年のことだと思います。25年前のこと。

2021年6月7日ブログ 「母のような人」とは

そして今回は、気仙沼市からの要請にこたえて「みなと気仙沼大使」への就任もご快諾いただきました。本当にありがとうございます。

なお、今回の委嘱は第6期「みなと気仙沼大使」としてのもので委嘱期間は本年9月30日までとなっています。あと5カ月ほどなのですが、第7期も引き続きお引き受けいただければなによりですね。

みなと気仙沼大使竹下景子さん、どうぞよろしくお願いいたします。

4月26日ブログ 「気仙沼大使」変遷

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ竹下景子

同級生2人の訃報

連休もあけていつもの日常がもどってきた本日ですが、気仙沼中学同級生の訃報です。藤野清貴君(3年6組)が5月6日夜に亡くなりました。臼井真人君(3年2組)が7日に知らせてくれました。きのう5月8日の三陸新報にはつぎの訃報広告が掲載されています。

5:9
三陸新報5月8日掲載広告


〈大動脈解離〉そして〈急逝〉との文字。急なことだったのでしょう。清貴(きよたか)君とは何度か同じクラスになりました。その口調を今でも思い出すことができます。家は化粧坂でしたね。大学を卒業後、臼福さんに勤めていたと聞いていました。そしてきのうの訃報広告の脇には別枠で臼福商事さんとして、元常務取締役逝去のお知らせが。

そしてもうひとりの同級生、佐藤敏夫君(3年8組)が4月14日に亡くなったことも知りました。三陸新報(デジタル版)を調べてみると、4月16日に訃報広告が掲載されていました。


4:16
三陸新報4月16日掲載広告


私も気仙沼市内の多くの人と同じく、三陸新報の訃報広告には目を通します。この敏夫君の訃報も見ていたと思うのですが、気仙沼市赤岩という住所のためか同級生とは思わなかったのでしょう。病気療養中だったとのこと。

敏夫君は気中3年8組ですから同じクラスでした。気仙沼水産高校を卒業して漁協に勤めたように思います。ずいぶん長いこと会っていなかったなあ。

気中同級生ふたりの訃報広告。いずれにも親族の名に連ねて〈孫一同〉とありました。お孫さんからすれば70歳か71歳のお祖父ちゃんだったのですね。しかし私が思い出すのは、中学のときのふたりの表情であり口調。つまり50年以上前の清貴君と敏夫君です。まだまだ若い。ちょっと早すぎる。

おふたりのご冥福を心からお祈りいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 藤野清貴佐藤敏夫

赤岩磨崖仏の看板

本日紹介するのは4月24日の菅原茂気仙沼市長のツイートです。源頼朝の御家人熊谷直実の孫、直宗が築いた赤岩城の下方にあたる気仙沼市松川にあった「赤岩磨崖仏(あかいわまがいぶつ)」を後世に伝える看板がこの日に設置されたそうです。



磨崖仏(まがいぶつ)というのは、自然の崖や岩に仏像などを彫り込んだものですね。レリーフ的なものもあれば、立体的な仏像/石仏として造形されたものもあるかと。

この看板設置については、4月25日の三陸新報も伝えています。


4:25磨崖仏

三陸新報4月25日記事の一部イメージ


記事によれば、この看板は赤岩城・月館・中館整備保存委員会(熊谷博児会長)によって、国道45号松川インターそばの古町4丁目地内に設置されたとのこと。

同会や市史によると、磨崖仏は高さ4mほどの阿弥陀如来と地蔵菩薩で構成され、鎌倉時代にはすでに存在していたそうです。市長のツイートにもあったように、700年以上前の松川は湾奥/入江で、船上から遥拝(ようはい)したと伝わっているとのこと。

そして、〈現存すれば県の重要文化財級の遺物になっていた可能性があるが、60年前に採石のために切り崩された〉と。

ありゃま、県の重要文化財級の遺物を〈採石〉のために切り崩してしまったのか。どういうことだったのだろうと思い、「気仙沼市史」を調べてみました。ありました。補遺編「考古・古文書等資料」p68〜69。

これについてはちょっと長くなるので日をあらためて紹介することにいたします。

赤岩磨崖仏については、「目で見る気仙沼の歴史」などを通じて知っておりました。しかし、「赤岩」なので松岩地区にあるものと思っていたのです。「赤岩城」も同様に松岩だろうと。まったく違っていましたね。気仙沼駅を基点にすればその北西方向でした。

不勉強きわまりなしということで、今週はこれにて。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 赤岩磨崖仏

激戦地気仙沼大島

気仙沼市の市議選は、4月24日が投票日でした。すでに10日も経ちましたから選挙の話題もいまは落ちついたころかと。そんなことで本日は市議選の話。

4月28日の三陸新報の1面肩に、「激戦振り返る〜気仙沼市議選」という記事が掲載されていました。


激戦ふりかえる

三陸新報4月28日記事の一部イメージ


記事の冒頭に気仙沼高校の同級生、熊谷雅裕君のことが書かれていました。引用します。

〈「宮古屋です、よろしくお願いいたします」。選挙戦も終盤にはいった21日。大島地区の現職・熊谷雅裕氏(70)が拡声器を手に地区内を歩き、家々に向かって声を張り上げた。
今回、大島地区からは1985(昭和60)年以来、37年ぶりに現職と新人合わせて4人が出馬した。
3期目を目指す熊谷氏。初めて選挙カーを使わず、地域を妻と歩いて回る草の根選挙に徹した。後援会組織をフル稼働させ、選挙カーで走り回った他の3人とは対照的な戦いを見せた。
「4人も立候補し、正直、苦戦している。他地区を含めて、私の4年間の活動に賛同してくれる人を少しでも増やすしかない」。危機感を募らせながらも、意気込みを語った。〉

そして選挙結果については、〈ふたを開ければ、公明党の公認候補で新人の白川雄二氏(46)が1377票、白幡(章)氏(57)が968票、熊谷氏が次点と20票差の759票でそれぞれ当選。小野寺(修)氏は690票で最下位に終わり、涙をのんだ。〉と。(引用は以上)


見出しに〈有権者以上の得票数〉とありました。

大島地区の有権者は約2100人だそうです。そして、記事では〈市内全域に党の支持基盤を持つ白川氏を除くと、白幡、熊谷、小野寺の3氏の獲得票合計が2417票。大島地区の全投票者数を約1千票も上回った〉と記しています。

実際の各候補への投票がどのようなものであったのはよくわかりません。しかし、大島地区候補への島外からの票が想像以上に多かったとはいえるのでしょう。

私がこの記事を読んで感じたのは、雅裕君は島外からの票を結構あつめたのではないかということです。

◎雅裕君の議員活動報告

気仙沼市内の人であれば、三陸新報に折り込んで配達される熊谷雅裕君の「議員活動報告」をご存じでしょう。私は雅裕君に頼んでこの報告をメールで送ってもらっています。先月配布が27号になっていますね。

初期のころには、〈声の大きさが先にたって言いたいことがよく聞こえないな〉という印象を持ったこともありましたが、いまはなんというか落ちついたというか、市議としてのしっかりとしたメッセージを感じるようになりました。大島地区に関することはもちろんのことですが、市議会の議員定数削減問題や小中学校統合計画に関する意見は読んでいて正論だなと感じることもしばしば。

まあ、反発する人も多いとは思います。しかしなにも意見を言わずにいるよりも何倍もいいでしょう。そこから議論がはじまりますからね。そう感じて1票を投じた方も結構いたのではないかと。そして最下位ながらも当選を果たしました。熊谷雅裕君には、そうした市民の期待にこたえて活動してほしいと思います。

ちょっと長くなってしまいましたのでこの辺にしておきましょう。今頃になっての応援演説。実は4年後の市議選を見すえてのこと。どうぞよろしく(笑)。

4月25日ブログ「気仙沼市議選結果」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

鹿折のまちづくり

4月21日のブログ「復興創生の星顕彰」で、気仙沼の「まるオフィス」と「インディゴ気仙沼」が2021年度「新しい東北」復興・創生の星顕彰を受賞したことを紹介しました。

過去には2017年度に「しごと場・あそび場 ちょいのぞき」を展開する「観光チーム気仙沼」が、2019年度には唐桑町の「ペンターン女子」が受賞していることなどや、このブログで1団体については、このブログでの紹介が漏れていたこともお伝えしました。

本日はその1団体、2020年度に同顕彰を受賞した「鹿折まちづくり協議会」を紹介します。

同協議会については「新しい東北」公式サイトの受賞団体紹介に詳しく紹介されています。下はサイトのイメージです。


鹿折まちづくり協議会

紹介記事のリード文はつぎのように記されています。

〈津波で非常に大きな被害を受けた気仙沼市鹿折地区。地区振興協議会等の組織が機能を喪失する中、「自分たちの手で復興を」と立ち上がった住民が設立したのが、鹿折まちづくり協議会だ。街の復興プランを市に提言するなど、積極的に動いた。一旦は衰退しそうになったものの若手の加入によって盛り返し、現在は震災からの復興にとどまらない活動を展開している。「新しい東北」復興・創生顕彰の受賞について「成果が認められ、活動を続けてきてよかった」と喜んだ。〉(引用は以上)

詳細についてはサイト本文を読んでいただきますが、震災後のまちづくり関係者の名が何人か登場します。たとえば、震災当時の鹿折公民館長だった小野寺優一さん。小野寺さんは、このブログで何度も紹介している小野寺久さんのお父さんではないかな。あとで久さんに聞いてみましょう。

2012年10月に鹿折まちづくり協議会(まち協)の発足時に事務局長となったのは小松洋一さんです。そして、活動が衰退しそうになった2014年に同年代の仲間数人とともに参加したのが熊谷英明さん。熊谷さんは2019年にまち協の会長に就任し現在に至っています。

3月11日に気仙沼市中央公民館でおこなわれた「東日本大震災 追悼と防災のつどい」のパネルディスカッションでは、熊谷さんがパネリストのひとりとして参加していました。

このブログ記事を書くにあたって、鹿折まちづくり協議会のFacebookを見てみました。活動の様子をとても詳しく発信、共有していることに驚きます。これは簡単にはできないことですね。その多くの記事に協議会事務局の星さんという方のお名前がありました。

鹿折まちづくり協議会Facebook

鹿折まちづくり協議会は本年、10年間の記録誌「ここから〜未来へつなぐ〜」を発行しました。2月3日の三陸新報が伝えています。記事の写真にうつるのは、副会長の佐々木喜美子さんです。


記録誌

三陸新報2月3日記事の一部イメージ


今回おどろいたことがありました。この記事写真にうつる副会長の佐々木喜美子さんが、気仙沼高校でいっこ下の小野寺久さんのお姉さんだったのです。

震災当時の鹿折公民館長小野寺優一さんのお名前を見たときに、久さんのお父さんかなと思ったのです。以前に公民館長をつとめたことがあると聞いておりました。すぐにメールで確認したら違っておりました。しかし、お姉さんが鹿折まちづくり協議会で活動しているというのです。名前は佐々木喜美子ですと。

喜美子さんにお会いしたことはないのですが、優秀な方と聞いておりました。たしか鹿折中学、鼎が浦高校から東北大学薬学部に進んだはず。久さんも東京大学に進み2年のときに退学して京都大学医学部に入学し直したほどの秀才でした。鹿折では多くの人が知る姉妹ではないかと。久さんによれば、喜美子さんは5〜6年前の定年退職後に帰郷、つまり鹿折に帰ったとのことです。

そう言われてあらためて写真を見ると、喜美子さんが久さんの表情と重なってきます。似ています。

話を戻しましょう。鹿折まちづくり協議会の活動紹介は以上です。関係者の皆さまには遅ればせながら2020年度「新しい東北」復興・創生の星顕彰の受賞をお祝い申し上げます。

話は変わりますが、こうして鹿折地区のまちづくり活動について記していると、どうしても高橋(藤代)雅巳さんのことを思い出してしまいます。震災の津波で亡くなることがなければ、今も鹿折の復興、まちづくりに熱心にとりくんでいたことでしょう。雅巳さんについてはつぎのブログでも記しております。震災から11年。あらためて雅巳さんの冥福をお祈りいたします。

2011年6月6日ブログ「友人雅巳君の死」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鹿折まちづくり協議会

水揚から食卓まで

気仙沼のリアス・アーク美術館で4月9日から、「食と地域の暮らし展vol.7 水揚げから食卓まで〜水産物の加工と流通展」が開催されています。観覧料は無料、開催期間は5月15日(日)までとなっています。

私はこの展覧会の内容を同美術館の山内宏泰館長のツイートで知り、とても興味を引かれました。とはいえ気仙沼訪問も、簡単にはかないません。

そう思っておりましたら、山内館長の4月29日ツイートで、同展の解説動画が公開されたことを知りました。これがなかなかいい。是非ご覧いただければと思い本日の紹介を。




食と地域の暮らし展vol.7
◎水揚げから食卓まで~水産物の加工と流通~
会場:リアス・アーク美術館
期間:4月9日(土)〜5月15日(日)
 5月2日・6日・9日・10日は休館
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
観覧料無料


この動画に登場するのは学芸員の萱岡(かやおか)雅光さんです。

萱岡さんは、「気仙沼さ来てけらいん」の「教えて〇〇先生!」コーナーの2021年10月15日記事「海だけじゃない!「山と生きる」気仙沼の生き方」にも登場しています。そこにあったプロフィールによれば、福井県出身で盛岡市文化財調査員を経て、2014年に就職で気仙沼に移住。リアス・アーク美術館では歴史民俗資料の担当学芸員とのことです。

萱岡さんのトークがなかなかいいのです。たとえば、水産加工品としての缶詰を紹介する8:58付近はこんな感じ。

〈私ですね、今回、あの、むちゃくちゃ缶詰食いました。ここにあるのは、ほんの一部なんですけども、あの、むちゃくちゃ食いました、うふふふ〉

自分で言って自分でうけている。いろいろ思い出したちゃったんでしょうね。はっきりいって最高ですww

それから横田屋本店さんから提供してもらったという商品ラベル類も興味深い。現代の4色かけ合わせオフセット印刷とはことなり、各色ごとの凸版印刷でしょうから発色というかカラーとしての濃度感が違うはず。

そのほか、気仙沼の漁業や水産加工に携わる皆さんには必見の展示物が満載ですね。観覧は無料です。どうぞお時間のあるときに足をお運びください。

学芸員の萱岡雅光さんは福井県の大野市出身なんですね。大野の人に関する2021年4月のnote記事によれば、萱岡さんは富山大学から大学院は筑波大学へ進みました。修士課程の途中で上述のプロフィールにあった盛岡市の教育委員会/文化財調査員の仕事を1年間。東日本大震災は大学3年生のときのことだそうです。記事内容から計算するとリアス・アーク美術館勤務は7年ぐらいで、現在32歳だと思います。

萱岡雅光さんのご性格というかキャラクターは、美術館の活動に関する対外的なコミュニケーションにおいても力を発揮するのではないかと。期待しております。

萱岡さんをはじめ、リアス・アーク美術館の皆さんの力のこもったこの展覧会、是非ご覧くださいますように。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 萱岡雅光リアス・アーク美術館

ホヤぼーや15周年

気仙沼市の観光キャラクター「ホヤぼーや」が今年7月に15周年を迎えるそうです。4月29日の河北新報配信記事を紹介します。

市の記者会見資料によれば、「ホヤぼーや」は2007年7月に公募により誕生したそうです。2008年開催の東北デスティネーションキャンペーンをきっかけにしたものでした。

2012年から商品化の承認を始め、本年3月末時点での承認件数は約1000 件。受け付けた年賀状は7800 通を越えるとのことです。

そして4月27日正午から、ホヤぼーやの公式WEBサイトがオープンしました。充実した内容ですので是非ご覧ください。

ホヤぼーや公式WEBサイト


◎ゆるキャラグランプリ

「ホヤぼーや」のゆるキャラグランプリ参加を覚えている人も多いことでしょう。2012年から連続3回のエントリーでしたが、2015年に参加を見送って今にいたります。

2015年8月18日付けの広報資料では、不参加理由を〈ホヤぼーやにとって、今は「成長期」と捉え、グランプリへのエントリーは見合わせ、自分を磨くため、様々な取り組みを行うため〉としています。

なおグランプリでの戦績は、初回参加の2012年に総合865キャラ中26位が最高位でした。

得票数
気仙沼市2015年8月18日付け広報資料より


つぎのブログで詳しく紹介しております。

2015年8月31日ブログ「グランプリ不参加」

ゆるキャラグランプリの順位がどうのこうのというころから早く撤退してよかったですね。2010年に始まった同グランプリは、10回目となる2020年で終了となりました。世間の関心もうすくなっていましたから。

話を戻します。2015年を「成長期」と捉え、自分を磨くための様々な取り組みをおこなった「ホヤぼーや」。今ではみんなに愛される立派なキャラクターとなりました。「円熟期」を迎えるのはまだ早い。15年であれば元服(げんぷく)のイメージですかね。

今年4月に民法が改正されましたから、あと3年で〈成年〉です。そうなれば、親の同意がなくてもクレジットカードをつくれますし、携帯電話の契約も可能。ホヤぼーやにはもう3年待ってもらうことにいたしましょう。

15歳になる「ホヤぼーや」。健やかな成長とますますのご活躍を祈念しております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ホヤぼーや

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
04 | 2022/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示