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中目黒「桜まつり」

今日は3月31日。私たち気仙沼中学20回生に4月1日生まれはいなかったはずなので、本日時点で同年生ほとんどが70歳ということになりました。なんか還暦がどうのこうの言っていたのがちょっと前のことに思えるのですが。私も先週、おかげさまで無事70歳に。

考えてみると、2011年3月11日、私は59歳でした。あの時君は若かった by ザ・スパイダース。

昨日は用事があったので中目黒へ。駅が混んでいるのでなんだろうとおもったら〈花見〉客なのですね。天気もいいし、花も満開です。帰りにちょっと目黒川をのぞいて写真を一枚。


中目黒さくら


新型コロナさえなければ、目黒の桜まつりにみんなで集まることができたのになと。〈桜まつり〉は、目黒のさんま祭と同じ東京・目黒区の田道広場で開催される目黒イーストエリア桜まつりです。新型コロナ感染拡大防止のために2020年、21年、そして今年22年も中止となりました。3年連続で開催なしとなったわけですね。

紹介した写真は東横線・日比谷線の中目黒駅付近の目黒川ですが、目黒イーストエリア桜まつりの田道広場は、写真右上方向の下流左側です。

3年前2019年4月6日の桜まつりでは、同じテーブルでビールを飲んでいた目黒建設業防災連絡協議会の会長である山科久夫さんから、震災時の気仙沼支援の話をうかがうことができました。つぎのブログに記しております。

2019年4 月12日ブログ「ストーブ支援の輪」

2018年の桜まつりでは、気仙沼物産展ブースのお手伝いをしていた早稲田大学気仙沼チームの皆さんと写真をとりました。

2018年4月10日ブログ「目黒 桜まつり報告」

「目黒のさんま祭」も新型コロナの関係で2020年、21年と2年連続で中止となっています。今年22年がどうなるか。関係者の皆さんは今から気をもんでいることでしょう。気仙沼はいつごろが桜の見頃ですかね。

新型コロナには関係なく、季節になれば桜の花は咲いてくれます。いろいろと心おだやかではいられない日が続きますが、中目黒でのいっときの〈桜まつり〉がよい気分転換になりました。
 
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tag : 桜まつり

防潮堤をどう思う

3月11日から2週間近くが経ちました。本日紹介するのは三陸新報3月12日と13日の記事です。まずは12日の第1面紙面から。


上

三陸新報3月12日記事の一部イメージ


トップは、3月11日に気仙沼中央公民館で開催された気仙沼市「追悼と防災のつどい」について。これは順当な扱いでしょう。私が注目したのはその左、準トップ記事が「ニュースを追って」だったこと。「今、防潮堤をどう思う」の㊤です。筆者は大石茜さん。

市主催の催しの目的が〈追悼〉から〈追悼と防災〉に移行したことに呼応するかのような紙面です。それも、防潮堤をテーマとして。私はなかなかに意欲的な紙面づくりと感じました。翌日3月23日の三陸新報を見てその印象がさらに。トップ記事になっていました。


下

三陸新報3月13日の一部イメージ


23日記事のリード文を引用します。

〈東日本大震災から11年が過ぎた今でも続く、防潮堤建設。海と陸を隔てるように建てられた防潮堤は、海を目の前に暮らしてきた気仙沼市民の生活に、少なからずの影響を与えている。無堤化を実現した唐桑町舞根(もうね)、砂浜を守った本吉町大谷、県内最大の高さになった小泉の3地区の異なる事例を取り上げながら、防潮堤に対する住民の胸中を探った。〉(引用は以上)

詳しい内容は省略しますが、3地区の住民プロフィールを紹介しておきます。

◎唐桑町
舞根(もうね)畠山信さん
舘(たて)70代女性
明戸(あけど)」80代男性
鮪立(しびたち)40代男性
◎本吉町 大谷海岸
三浦友幸さん
◎本吉町 小泉海岸
50代男性
サーファーの50代女性

上下2回の記事で、7名の〈胸中〉が紹介されるわけですが、単純な賛成/反対という意見ではありません。全体としては複雑な気持ちの表明という感じではないかと。

私はそれを好ましく思ったのです。そりゃあ、いろいろな思いがありますよ、たぶん、みんな。震災から11年経っても、まだすっきりしない気持ちが残っている。三陸新報さんは、それを3月12日13日の1面で伝えてくれと感じました。

23日記事の結びを引用します。

〈行政が示した「防潮堤」という選択肢は、住民感情を複雑化し、まちを混乱させた。「海が好き」「でもまた津波が来たら…」。海への親しみや不安が入り交じった感情は、11年がたった今でも続き、何が正しかったのか、答えは見い出せないでいる。

それでもよりよいまちを目指した過程は、これからのまちづくりの大きな力になるはずだ。〉

末尾の文章に同感そして共感。よりよいまちを目指す過程こそが大きな力になるはず。大きな力になって欲しいと私も。三陸新報の大石茜さん、ありがとうございました。

3月24日ブログ「防潮堤から考える」

 

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tag : 防潮堤

3.11のありがとう

3月12日のNHK「ありがとうを3.11に伝えよう委員会2022」はご覧になりましたでしょうか。気仙沼でのいろんな人への〈ありがとう〉を伝えるこの番組は昨年に続いて2回目です。3月9日のブログで予告を紹介しました。

土曜日の午後5時10分からという微妙な時間帯でしたから見逃した人も多いかもしれませんね。私は録画で視聴。本日は遅ればせながら、放送内容のご紹介です。

◎つきちゃん登場

番組冒頭で驚かされました。同級生の大友(小野寺)つき子さん(3年9組)が登場したのです。つき子さんは内湾地区のスローストリート「結(ユワエル)」内で、「拉麺のみ処 あたみ屋」を経営しています。「あたみ屋」は、震災後に復興屋台村「気仙沼横丁」で営業していましたが、同横丁は2017年3月20日に全店の営業が終了。2020年5月18日に現在の場所で再出発したのです。つぎのブログで紹介しました。

2020年5月21日ブログ 「あたみ屋」再出発


つきちゃん


つき子さんは感謝の言葉をつぎのように述べていました。〈思い出すと、いろんなことが浮かびます。その時は、沢山の方の支援、応援、メッセージをいただき、本当にありがとうございます〉と語ったあとは感きわまりました。なお、画面左下にマスク姿でうつっているのは、南野陽子さんです。

先週、つき子さんに電話してみました。テレビ見たよと。つきちゃんは照れて、〈私がうづってテレビこわれながったすか〉とも。新型コロナでお店も大変だけどなんとかやっているよと。元気な様子でなによりでした。

◎幸史さんのありがとう

「ありがとうを3.11に伝えよう委員会」の委員長は気仙沼市役所の小野寺幸史さん。幸史さんは東京事務所に赴任していたことがありますのでよく知っています。目黒のさんま祭をはじめ多くのイベントでお会いしました。その幸史さんが〈ありがとう〉を伝えたのは市役所の先輩、気仙沼市建設部の佐々木守さんです。

幸史さんは別の取材名目で佐々木さんを陣山の気仙沼市復興祈念公園に同行します。公園内で震災時などの話をしている佐々木さんに、隠しておいた感謝状を取り出して読みあげました。


感謝状


佐々木守さんは震災後の区画整理などを担当している方です。幸史さんの感謝の言葉を書き起こしてみました。

〈佐々木守様  私にとって守さんは理想の公務員像で、仕事のいろはを教えていただきました。特にこの10年は、一筋縄ではいかない復旧・復興事業の最前線に立ち続け、私たち下の者にとって、どんな時でも模範であり続けてくださいました。まだまだお世話になること山積みですが、今日まで本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。小野寺幸史〉

佐々木さんはこれを受けてつぎのように語りました。

〈 ありがとうございます。避難前にすごくいいものをもらったや。よがった。感激しました〉と。

そして、震災時のことを思い出しながらつぎのように語ります。ときおり声をつまらせながら。

〈(内湾の風景をながめながら) 最初、あの震災の時にこれはどうしたらいいのかなっていうどころだったし、あらためて見ると感無量ですよね。

まだ、震災直後に、この町をどうするかがまだ分からない時に、その、避難しているおばあさんだったんだけど、「一緒に住んでいるおじいさんが末期がんだから、こんな避難先で死なれるんじゃなくて、家を建てたいんだ」と。「だから早く町をなんとかしてくれ」と言われて。

でもまだ計画ができていなかったからどうしようもない中で、「いい町をつくっから待っててくれませんか」って、説得っていうか理解を得ようとして頑張ったんだけど。「おじいさんがそれじゃ間に合わないから家を建てたい」って言われた時には、無力っていうか、どうしようもない中で、それをきっかけとして、どうやったら皆さんが戻って来られる町ができるのかなって、自分なりに頑張ったつもりなんですけど。〉(佐々木さんの言葉は以上)

市役所の職員が役所内の先輩に感謝ということを、〈内輪ぼめ〉と見る向きもあると思います。しかし私はよかったなと思いました。

あまり市民からほめられることのない市役所/行政の担当者の皆さんです。土地区画整理事業というさまざまな利害がからむ調整業務にあっては特にそうでしょう。遅いとか杓子定規な対応など、いわゆる〈お役所仕事〉への市民の反応がたやすく想像できます。

いろいろ言いたいこと、説明したいこともあると思うのです。そんななかで、市役所の後輩である小野寺幸史さんから、思ってもみなかった感謝状をいただいたわけです。佐々木さんは本当にうれしかったことと思います。

佐々木さんはいま建設部長。そしてこの年度末で退職です。幸史さんにとってみれば、公務員としての目標のひとりである佐々木さんに感謝の念を伝える最後のチャンスだったかもしれません。NHKの全国放送のなかでの感謝表明には迷いもあったことと思いますが、結果としてとてもよかった。震災から11年。被災地からのメッセージを伝える放送番組としても成功していたと思います。それをお伝えしたく。

◎佐々木徹君登場

幸史さんが、佐々木さんがうつっている数枚の写真を紹介してくれました。そのなかにまた気中同級生を発見してびっくり。佐々木徹君(3年1組)です


さんま祭


これはたぶん目黒のさんま祭のときのバスの中ではないか。そう思って徹君に確認してみたらやはりそうでした。いつの写真かはよくわからないと。

右端が佐々木守さん。その左が徹君です。正面が幸史さん。左端は徹君によれば、いつも大根おろしを担当してくださっている佐藤仁さんという方とのことです。

なんでこの写真が選ばれたのかはわかりません。目黒のさんま祭の帰りにビールを飲みながら市役所職員の心得について指導を受けていたのかもしれませんww

「ありがとうを3.11に伝えよう委員会2022」については以上です。このほか、3月11日前後のことについてはいろいろと書きたいもあるのですが、今後おりにふれてということにいたします。

ありがとうを3.11に誰に伝えるか。私ならどうするか。それはなかなか難しいですよね。ただ、3月25日が報道ステーション最後の出演となった富川悠太さんがそのひとりであることは間違いありません。それについてはまたあらためて。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小野寺幸史佐々木守

フォレストコンサート

本日は気仙沼でのコンサートの紹介です。気仙沼出身のジャズドラマーバイソン片山さんらの「馬籠フォレスト ビッグバンド」のコンサートです。3月19日の三陸新報がつぎのように紹介しています。


三陸新報0319
三陸新報3月19日記事より


記事にあるように、このコンサートは(株)馬籠フォレストが主催します。同社は、旧馬籠小学校を新工場として利活用しているインプレックス(株)代表の稲葉斡也さんが設立しました。

この別会社設立によって、ビッグバンドや音楽フェスティバルほか、プロによる演奏指導や合宿所など、音楽活動の支援をおこなっていきたいという稲葉さんの構想をつぎのブログでも紹介しました。

2月8日ブログ 馬籠「FOR REST」


稲葉さんから頂戴したコンサート告知画像を紹介します。


フォレストバンド


概要を下記にも。

馬籠フォレスト ビッグバンド
ミュージックコンサート

◎4月2日(土)本吉町はまなすの館「はまなすホール」
開場15:00 開演15:30〜
◎4月3日(日)気仙沼中央公民館ホール
開場13:00 開演13:30〜

チケット:前売2500円 当日3000円
主催:株式会社馬籠フォレスト
(お問い合わせ 090-3310-7640)
チケット等の問い合わせ先
0226-24-5115 食工房貞秀(バイソン片山気仙沼後援会事務局内)
気仙沼市八日町「島田呉服店」でも扱っています。

なお、告知画像中の会場名が微妙に違っていますが、ここに示した内容が正しい名称です。

◎演奏曲目紹介

告知画像に予定曲目が記されていました。スタンダードナンバー9曲。とてもいい。ちょっと自分流に解説文を書いてみることにいたします。〈俺のライナーノーツ〉。英文原題の下に邦題を記しておきました。

①Begin the Beguine
ビギン・ザ・ビギン

コール・ポーターの曲。いろんな人が歌っていますよね。手元にあるのはエラ・フィッツジェラルド。(ダンスミュージックの)ビギンを始めようといった意味らしいです。このタイトルが1曲目にふさわしいということかと。なお、告知画像では2つ目のビギンのスペルがローマ字Biginとなってますね。これは誤記。

②I Left My Heart in San Francisco
想い出のサンフランシスコ

これは説明不要でしょうね。トニー・ベネットの歌で知られていますが、フランク・シナトラほか(私も含めw)大勢の人が歌っています。

③Memories of You
メモリーズ・オブ・ユー

邦題は「あなたの思い出」とも。ベニーグッドマンの演奏が有名でしょう。聴けばわかると思う。ゆったりとした曲でしみじみと。

④On the Sunny Side of the Street
明るい表通りで

これはNHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にこの曲が登場したことによる選曲だと思います。私はこのドラマを見ていないのですが、ジャズ喫茶のマスター柳沢(世良公則さん)がルイ・アームストロングの同曲レコードをかけたらしい。ドラマ中での邦題は「ひなた(日向)の道」。川栄李奈さんが演じる3代目ヒロインの名も「ひなた」です。

ドラマの中で世良さんがこの曲を歌うシーンがネットにありましたが、とても上手ですね。サッチモの特徴をうまくとりいれながら自分の歌にしている印象を受けました。

⑤Black Orpheus
黒いオルフェ

映画「黒いオルフェ」のテーマで、原題は「カーニバルの朝」。映画はリオのカーニバルを背景とした物語です。私は50年ほど前、仙台で受験浪人していたときにこの映画を見ました。授業をさぼって東一番町の名画座で。悲しい映画でしたが、ラストシーンがいいんですよ。少年が「早く、早く」と友だちを呼ぶんだよね。早くギターを弾けと。「早くしないと太陽がのぼってしまう」とかなんとか言って。そして少年がギターを弾くと夜が明けていきます。詳細は覚えておらず。

作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン。アストラッド・ジルベルトなどが歌うとブラジル音楽の哀愁/サウダージを感じさせますが、ビッグバンドが演奏すると〈ボサノバ〉としてまた別の楽しみがあるでしょう。

⑥Days of Wine and Roses
酒とバラの日々

ヘンリーマンシーニの曲。これもいろんな人が歌っています。私にとっては、オスカー・ピーターソン・トリオのアルバム「We Get Request」(邦題はプリーズ・リクエスト)中の1曲としてさんざん聴きました。ピーターソンのピアノアタックで始まって、レイ・ブラウンのベースがからみあいます。

⑦Moon River
ムーンリバー

映画「ティファニーで朝食を」で主演のオードリー・ヘプバーンが歌った曲です。この曲は、2月27日の東京・めぐろパーシモンホール「東日本大震災復興支援コンサート」で畠山美由紀さんが歌ってくれました。なぜ、ムーンリバーなのか。そんなことをブログで書きたいと思いながら未だ果たせず。この曲、アンディ・ウィリアムスの歌が一番有名かもしれません。

⑧New York, New York
ニューヨーク・ニューヨーク

これも聴けばわかる曲でしょう。1977年のマーティン・スコセッシ監督「New York New York」のテーマ曲。映画中では主演のライザ・ミネリが歌っているそうですが、私が思い出すのはシナトラかな。

⑨I've Got You Under My Skin
アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン

ほかの曲に比べるとポピュラーではないかもしれません。邦題としては「あなたはしっかり私のもの」のほか「僕は君に首ったけ」というのもありますが、普通にアイヴガッチューアンダーマイスキンですよね。コール・ポーターの作詞・作曲。私はシナトラやペギー・リーを思い出します。

こんなところでしょうかね。俺のライナーノーツは。

ひとつ疑問があります。朝ドラ関連での選曲ということでいえば、あの曲があるのになと。そうです、「おかえりモネ」でモネをはじめとする〈亀島中学〉ブラスバンドが演奏した「アメリカン・パトロール」です。グレン・ミラー楽団の演奏によってジャズのスタンダードナンバーとなりました。いまの気仙沼にとってゆかりのあるジャズナンバーだと思うのですが。

そうか、アンコールか。そうだ。そうに違いない。アンコールはバイソン片山さんもいることだしジャジーな感じの〈はまらいんや〉かとも思っていましたが、「アメリカン・パトロール」だな。これにて決定!。

最後に稲葉さんが期待する皆さんの反応をQ&A形式で。

Q:そいづはなんぼすんのっさ。
A:前売りで2500円だでば。
Q:ほんでいってみっから。

気仙沼市内では八日町「島田呉服店」でもチケット好評販売中です。島田英樹さんは稲葉さんの気仙沼小中高同級生。気中26回生です。これもひとつの「トモダチ作戦」かな。
 

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tag : 馬籠フォレスト

武山櫻子受賞作品

ご紹介が遅くなりましたが、同級生の書道作品受賞のお知らせです。武山櫻子さん(3年9組)の作品が書道芸術院主催の第75回記念「書道芸術院展」において、現代詩文書部における最高賞「第75回展記念賞」を受賞したとのこと。3月17日の三陸新報が伝えてくれました。なお、櫻子(おうし)は美加(みゆき)さんの雅号です。


三陸新報記事
三陸新報3月17日記事の一部イメージ


櫻子さんが書としたのは池尻足穂の句「山法師咲きて馬籠は雨の中」です。

馬籠(まごめ)と聞くと、気仙沼の人は本吉町馬籠を連想すると思いますが、これは中山道の馬籠宿、あるいは馬籠峠の風景でしょう。雨のなか山法師(やまぼうし)の白い花が咲いています。

記事にもあるように、今回の「書道芸術院展」は2月5日から11日まで東京・上野の東京都美術館で開催されました。会期は過ぎてしまいましたが、詳しい内容を知るために同展サイトを見て驚きました。VR(バーチャル・リアリティ)会場が設けられており、ネット上で会場を回りながら作品を鑑賞することができるのです。

これは便利とのぞいてみたら、すぐに武山さんの作品を見つけることができました。入口の左側をちょっといった左。受賞作品はこれです。


櫻子作品


書道芸術院展のムービーも見てみました。冒頭に記者発表会の様子。そのなかで、武山櫻子さんの名が耳にはいってきました。来年度の「大作出品者」を決定したという発表でした。前衛の大町青蓮さんと現代詩文書の武山櫻子さん、漢字の西川翠嵐さん3名であるとのこと。

この3名はみな書道芸術院展の各部門最高賞である記念賞受賞者です。いってみれば、ご褒美/副賞的なことなのでしょうね。すばらしい。

武山さんの作品も含め、書道芸術院展の入賞作品は3月18日から23日まで、せんだいメディアテークでの役員作品巡回展でも展示されたそうですが、本ブログでの紹介が遅くなってしまい既に終了。

知っていれば見に行ったのになあという同級生も多いことでしょう。でも大丈夫、VRという便利な代物がありますから。

書道芸術院展 VR会場

櫻子さんというか美加さん、このたびの受賞、本当におめでとう。益々のご活躍を。そして来年の〈大作〉も楽しみにしています。どうぞよろしく。
 

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tag : 武山櫻子

防潮堤から考える

3月21日(月)にオンラインで気仙沼の防潮堤に関するシンポジウムがおこなわれました。3月17日の三陸新報で知り視聴を申し込みました。

催しの正式名は、東洋大学社会学部国際社会学科・連携シンポジウム「防潮堤から考える—東日本大震災11年後の人づくりとまちづくり」です。


防潮堤シンポジウム
東洋大学/シンポジウムサイトより


詳細は東洋大学サイトの案内をご覧いただきますが、プログラム内容を下記に。記録として。


プログラム:
・ 開会挨拶 矢口悦子(東洋大学学長)
・ 趣旨説明 阿部健一(総合地球環境学研究所教授)
・ シンポジウムの視点 長津一史(東洋大学社会学部国際社会学科教授)

◯ 基調講演 「森は海の恋人 人の心に木を植える」
・畠山重篤(NPO法人森は海の恋人理事長/京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授)
◯ 地球環境学からの応答
・山極壽一(総合地球環境学研究所所長/京都大学名誉教授)
◯ 防潮堤に関する報告
・高橋正樹(気仙沼市防潮堤を勉強する会発起人)
・畠山信(NPO法人森は海の恋人副理事長)
・三浦友幸((一社)プロジェクトリアス代表)
◯ 比較の視点
「長野県飯田市のまちづくり」(仮)小林正夫(東洋大学社会学部国際社会学科教授)
「東アフリカ牧畜民にみる自然との共生」(仮)波佐間逸博(東洋大学社会学部国際社会学科教授)
◯ パネルディスカッション
コーディネータ:世古一穂(元金沢大学教授)
ディスカッサント:高橋正樹、畠山信、三浦友幸、山極寿一
◯ ラップアップ:阿部健一

プログラム内容は以上です。

気仙沼からの参加は、畠山重篤さん、気仙沼商会(株)代表の高橋正樹さん、重篤さんの息子さんでNPO法人森は海の恋人の副理事長の畠山信(まこと)さん、大谷(おおや)地区のまちづくり活動に携わってきて現在は市議会議員でもある三浦友幸さんです。先日の地震で東北新幹線が不通になっているなど、上京にあたってはいろいろ苦労があったのではないかと。

山極壽一さんは、2020年9月まで京都大学総長をつとめた後、前期の日本学術会議会長にも就任。2021年4月から総合地球環境学研究所所長をつとめています。ゴリラ研究の第一人者として知られています。

高橋正樹さんは、気仙沼の「防潮堤を勉強する会」の発足からその後の活動を報告してくれました。私はこれを興味深く聞きました。

高橋さんの説明では2012年8月から2012年10月までで13回の開催。勉強する会サイトの会議録をみると2013年4月に第14回勉強会の記録がありますが、これは13回までとはちょっと違う趣旨の会だったようです。

気仙沼市「防潮堤を勉強する会」サイト/各会議録

高橋さんをはじめ発起人の皆さんの気持ちとしては、巨大防潮堤計画に反対あるいは疑問ありということだったと思います。しかし、反対する会ではなく〈勉強する会〉とした経緯を含め、さまざまな苦労というか工夫がうかがえるお話でした。

三浦さんの大谷地区における活動報告でも同じような話がありました。地元の皆さんとの合意形成をどのようにはかっていくのかといったことや、市や県、国といった行政と地元民との協議や折衝といったことなども。

パネルディスカッションのコーディネーターは世古一穂さん。世古さんは、震災後の気仙沼における防潮堤問題に深く関わってこられた方です。2012年8月のブログでも紹介しておりました。世古さん、長期にわたってのご支援、ありがとうございます。

2012年8月29日ブログ「世古一穂さん」

私は高橋正樹さんの丁寧な話しぶりが印象に残りました。会のおわりごろに、山極さんが地域の町おこし的な活動として、林業の振興や木質バイオマス発電のことなどに触れたのですが、高橋さんが気仙沼地域エネルギー開発(株)としての事業をいち早く手がけていることはご存じなかったようです。

世古さんがすぐ〈高橋さんの会社がすでに〉とおっしゃってくださいました。そして、それを受けた高橋さんは〈気仙沼のなかで一所懸命やってきてそれでいいかと思ってきたが、きょうの山極先生のお話を聞いてそれだけじゃだめだな、もっと世界にも〉というふうに受け答えしたのです。

こうした対応は、なかなかできることじゃないですよね。防潮堤を考える会においても、こうした前向きな姿勢、ポジティブな言葉で地元の考えを探り、まとめあげていったのでしょう。敬服いたしました。

なお、この〈防潮堤から考える〉シンポジウムは、2010年、11年にも企画されましたがいずれも延期されました。新型コロナへの対応でしょう。そして今回、オンラインという形での開催が実現しました。2年以上にもわたる関係者の皆さまのご苦労、いかばかりかと。東洋大学さんはじめ、関係者の皆さまに心から御礼を申し上げます。

本日のブログはシンポジウムの内容をお伝えするというよりも、こうして東京にてオンライン視聴しましたよという報告と、皆さまへの御礼ということで。ありがとうございました。
 

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大島中学校が閉校

3月20日、気仙沼市立大島中学校の閉校式がおこなわれました。当日、東日本放送がYouTubeでニュース映像を配信してくれましたので紹介します。





前日の3月19日には、三陸新報が在校生30人のメッセージや沿革紹介などの特集記事を掲載していました。


閉校記事
三陸新報3月19日記事の一部イメージ


記事の冒頭にこう記されています。〈創立は1947(昭和22)年。「創造・友愛・前進」を校訓に、島内唯一の中学校として地域と深く関わりながら歴史を紡いだ。〉

大島中学校は〈島内唯一の中学校〉でした。それ故に、地域と深く関わりながら歴史を紡いできました。東日本大震災のときには同校が避難所にもなりました。

3月22日にはつぎのような記事を掲載しています。

大島中閉校

三陸新報3月22日記事の一部イメージ


東日本放送の映像には、同校OBである〈宮古屋〉熊谷雅裕君もうつっていましたね。雅裕君はたしか生徒会の会長だったと思います。現在は市議会議員でもありますから、閉校式ではいろんな思いがあったでしょう。

4月からは鹿折(ししおり)中学校と統合します。統合決定から閉校までは1年ほどしかありませんでした。関係者の皆さんはいろいろと大変だったと思います。無事に閉校式を迎え、寂しさとともに安堵の気持ちもあるのではないかと。

3月4日のブログに記した統合までの経緯を再掲しておきます。

◎統合までの経緯

気仙沼市教育委員会が大島中学と鹿折中学の統合を決定したと三陸新報が伝えたのは昨年2021年3月31日のことでした。3月29日の地域懇談会で保護者らの合意を得たと判断であると。

2021年4月7日ブログ「大島中学統合決定」

そして、統合後の新校名を「鹿折中学校」にすることが2021年7月16日の統合準備会議で決定されました。あわせて、校歌、校章も現在の鹿折中のものを使うことになったのです。

2021年7月21日ブログ「校名は鹿折中学校」


再掲内容は以上です。

4月には、大島からの生徒を迎えての新しい鹿折中学校の入学式などがおこなわれますね。多くの生徒や父兄の皆さんがあたたかく迎えてくれることでしょう。
 

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tag : 大島中学校閉校

幡野さんの気仙沼

写真家の幡野広志さんが3月18日のツイートでnoteへの投稿「2022年3月11日 気仙沼」をつぎのように紹介していました。


見て、そして読んでおどろきました3月11日から13日までの気仙沼、陸前高田、そして東京のご自宅に戻るまでが、97枚の写真と文章とで見事につづられているというか記録されているというか。

〈ドキュメント〉という言葉をつかうとちょっと違う感じがします。そのようなジャーナリスティックな視線でありませんね。そこに感じるのは、幡野さんの気仙沼に対するやさしいまなざしです。

まあとにかく、四の五の言わず(というか言ってるのは私ですが)、上のツイートをクリック/タップして見てください。

気仙沼の人ならこう言うね。〈いいがら、見でみらいん〉。

◎幡野さんとのご縁

あらためて説明するまでもないのですが、幡野さんは2021年版「気仙沼漁師カレンダー」の写真を撮影してくださいました。ご自身のnoteで〈2019年の一年間、気仙沼を訪れて写真を撮っていた〉と書かれていましたが、実際の撮影は2018年から始まっていたはずです。

私は2019年3月17日、めぐろパーシモンホールでの東日本大震災復興支援コンサートでお会いした同カレンダーのプロデュースを担当しているBambooCut竹内順平さんからそうお聞きしました。2018年の12月とか冬の気仙沼漁師を撮影したのでしょう。このあたりの話は、2020年7月3日ブログ「幡野さんの写真展」に記しました。

幡野さんがこれまでに気仙沼を訪れたときの写真や文章を紹介しておきましょう。

◎2019年

まずは2019年3月26日に「気仙沼」というタイトルで「note」サイトに投稿しています。

◎2020年

2020年7月15日には「気仙沼漁師カレンダー2021」という投稿。

◎2021年

幡野さんは、昨年2021年3月にも気仙沼を訪れています。ほぼ日さんの企画「幡野広志さんと行く、10年後の東北。」。ほぼ日の永田泰大さんと幡野広志さんが3月9日から11日にかけて福島から海沿いに気仙沼へと向かいます。

しかしこうして振り返ってみると、なんか圧倒されます。ありがたい。

そして冒頭に紹介した幡野広志さんの2022年3月11日 気仙沼。これは、2019年からはじまる幡野広志さんの長編「気仙沼」第4章といってよいかもしれません。

幡野さん、本当に本当にありがとうございます。勝手なお願いになりますが、ぜひ5章も6章もと。終わることのない「気仙沼」物語として。
 

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tag : 幡野広志

宮古屋「感謝の壁」

3月16日のブログで、ラーム・エマニュエル駐日米国大使の気仙沼訪問を紹介しました。そこにも書きましたが、この訪問は震災時の気仙沼大島における在日米海兵隊/第31海兵遠征部隊の皆さんによる「トモダチ作戦」があったればこそのことと思います。

エマニュエル大使の大島訪問時のツイートを再掲します。


3枚の画像の最後、右下の写真にご注目ください。背景に「友」の文字が記された壁があります。これは気仙沼高校同級生の熊谷雅裕君が経営するガソリンスタンド「宮古屋」の壁面なのです。ブログ紹介時に、たぶんそうではないかなと思っておりましたら、菊田裕美君が訪問時に撮影した写真を送ってくれました。2020年3月19日に気仙沼にかえったときに雅裕君を訪ねたそうです。
裕美君はお彼岸には墓参のために気仙沼に帰っているんですよね。実家はなくなっても墓はある。


宮古屋SS
菊田裕美君撮影(2020年3月19日)


OPERATION TOMODACHI。Thank you ! ALL Volunteers。WE WILL NEVER FORGET。皆さまのご支援に感謝!! がんばろう日本。そして「絆」。

まさに〈全部のせ〉みたいな感じですが、これが雅裕君はじめ大島の皆さんの正直な気持ちでしょう。よく見るとこれは、今の壁のデザインとちょっと違うのですね。いまはWE WILL NEVER FORGETのところにOPERATION TOMODACHIと記されています。

(追記:この絆のマーク的な表示はふたつあり、大使夫人がうつっているのは左側、雅裕君夫妻の写真は右側のものとのことです)

雅裕君と電話で話したら、この壁のメッセージを米海兵隊の皆さんも喜んでくださったそうです。

なお、冒頭に再掲したエマニュエル大使の投稿写真3枚目、右側は大使夫人のエイミー・ルールさん。そして左側は、鮮魚店「魚研」の菊田玲子さんだと思います。

「トモダチ作戦」への感謝と友情の証として記念碑を設置し、はなみずきの植樹やパネルディスカッションの開催などをおこなう「はなみずきプロジェクト」は、気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業の補助金対象のひとつ。実施団体は、合同会社野杜海(のどか)。プロジェクト運営委員会の代表が菊田玲子さんでした。

一方、裕美君の写真にうつる2人。雅裕君のとなりが奥さんのつやさんです。雅裕君夫婦は、東日本大震災後の7月に東京から宮古屋復興のために大島に帰りました。そして大島中学校庭の仮設住宅でお母様と3人で暮らし始めたのです。そのあたりの話をつぎのブログに記しております。

2011年10月29日ブログ「妻の名は“つや”」

どうぞ、気仙沼大島においでの折には、浦の浜緑地公園の「万謝」記念碑にもぜひ。そして、「感謝の壁」もご覧いただければと。また、お車の方はついでに宮古屋SSで満タンにしてお帰りいただければさらにありがたく。これが俺らのトモダチ作戦(笑)。どうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 宮古屋トモダチ作戦

吉川譲さんの写真

なんかあっという間に金曜日ですね。毎週木曜日は「週刊新潮」の発売日ですが、先週発売の3月17号(3月10日発売号)巻頭グラビアを見ておどろきました。そこにうつっていたのは気仙沼。全4頁でタイトルは、「12年目の気仙沼」です。撮影は吉川譲さん。リード文を引用します。

〈あの日から11年、人々は自らの境遇を懸命に生きてきた。日本有数の水揚げ量を誇る遠洋漁業基地、宮城県気仙沼。周辺のリアス式海岸では、牡蠣やわかめの養殖も盛んだ。念願の大島大橋と気仙沼湾横断橋もできた漁港の朝の景。〉

そして1頁目にうつるのは、満月を背景にした満月と大島大橋のクローズアップ。タイトル下につぎの文章が。

〈西の空に沈みゆく月と、昇ってくる朝日で黄金色に輝く気仙沼湾横断橋・かなえ大橋。〉

2頁と3頁は見開きでした。

12年目の気仙沼

左下にはつぎのように。

〈東の空が明るくなってきた。気仙沼湾の海面から上がり始めた靄。「気嵐の卵」と呼ばれる。〉

4頁目は、上下にわけて2枚の写真です。上の写真は出港岸壁だと思います。〈降雪後の気仙沼港。停泊中の漁船。〉

下の写真は唐桑町舞根。〈滋味に富む牡蠣を育てるため、山に木を植える−−「森は海の恋人」運動で有名な唐桑半島・舞根(もうね)の牡蠣養殖場。10月中旬から2月上旬までの寒い朝には、気嵐が発生する。〉


◎吉川譲さんと気仙沼

今回の写真を撮影してくださった吉川譲さんはどんな人だろうと思って調べてみると、これまでも気仙沼に縁ある方でした。たとえば、昨年2021年12月4日から19日まで、気仙沼の鹿折「すがとよ酒店」会場にて「吉川譲/冴木一馬 写真展」が開催されています。

同じ期間中、この写真展を含む気仙沼市内3会場で東日本大震災10年復興支援写真展「過去からその先の未来へ」が催されたのです。これらは、気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業のひとつです。読売新聞「美術展ナビ」サイトに告知イメージがありましたので紹介させてもらいます。

復興写真展

「美術展ナビ」サイトより


ほかのふたつの写真展は、男山本店店舗会場「かとうまさゆき 写真展」、角星店舗会場「岩波友紀 写真展」です。

「美術展ナビ」には写真家4氏のプロフィールが紹介されています。その中から吉川譲さんのプロフィールを引用させてもらいます。

◇吉川 譲(よしかわ ゆずる)1946年兵庫県生まれ。1981年写真週刊誌「FOCUS」創刊から2001年8月休刊まで20年間スタッフカメラマン。2001年9月から現在まで主に「週刊新潮」で写真を発表。2011年3月15日気仙沼から始まり、岩手宮城福島で10年間、東日本大震災の被災地を取材。2018年、第38回日本雑誌写真記者会賞受賞(引用は以上)

新潮社の写真週刊誌「FOCUS」誌で20年間スタッフカメラマンをつとめられていたのですね。大ベテランです。そして2011年3月15日の気仙沼から始まり大震災の被災地を取材してきたと。気仙沼とそうしたご縁があったことをはじめて知りました。いろいろとお世話になっております。

素晴らしい写真で〈12年目の気仙沼〉を紹介してくださった吉川譲さん、そして週刊新潮編集部の皆さんに御礼を。ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。


 

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tag : 吉川譲週刊新潮

大島中学の卒業式

昨夜の地震は東京も結構な揺れでした。今朝のニュースでもさまざまな被害が報じられています。仙台で暮らす兄は、東日本大震災のときよりも大きな揺れだったと。船舶模型が壊れたり、壺が割れたりしたとのこと。被害を受けたり、いまも不便を余儀なくされている方も多いことと思います。まずはお見舞い申し上げます。

さて、気仙沼市立大島中学校は、鹿折(ししおり)中学校との統合により3月末で閉校します。その大島中最後の卒業式が3月8日におこなわれました。卒業生は9人。3月9日の三陸新報がつぎのように伝えています。


大島中卒業式

三陸新報3月9日記事の一部イメージ


記事に同校の沿革が記されていました。同校は1947(昭和22)年に「大島村立大島中学校」として開校し、1955年に現在の名称「気仙沼市立大島中学校」になりました。最盛期の1962年には在校生が454人になったそうですが、少子化により減少。75年間で5555人が卒業したそうです。

記事にもありましたが、大島中学校校歌の作曲は芥川龍之介の三男である芥川也寸志さんです。私たちの世代であれば、そのお顔もご存じのことでしょう。そして、卒業式には、芥川也寸志さんの妻、真澄さんが参列してくださったとのこと。また、式では仙台フィルハーモニー管弦楽団メンバーによる演奏もあったと。

この卒業式については、河北新報も3月9日に記事を配信していました。


この記事では、芥川也寸志さんのことや仙台フィルハーモニー管弦楽団のことをつぎのように紹介していました。

〈 8日の大島中の卒業式に、同校の校歌を作曲した故芥川也寸志さんの妻江川真澄さん(81)=東京=が参列した。芥川さんが1983年から亡くなる89年まで音楽総監督を務めた仙台(当時宮城)フィルハーモニー管弦楽団の4人も駆け付け、共に卒業を祝った。

校歌は57年に制定され、大島出身の詩人水上不二が作詞、芥川さんが作曲。最後の卒業式を迎えるに当たり、長年音楽業界に携わってきた同校OGが江川さんらの来校を橋渡しした。〉(引用は以上)

調べてみると、江川真澄さんはエレクトーンの世界での作曲や演奏で広く知られている方なのですね。私たちより11歳ほど上の方ですので、ご存じの方もいるかと。

大島中学の校歌については、日をあらためて詳しく紹介しようと思います。

河北新報記事には、現在の大島中生徒数を30人としています。1年生と2年生で21人ということでしょう。春には鹿折中で学ぶことになりますね。

遅くなりましたが、このたびの大島中学校の卒業生9名にお祝いを。ご卒業、おめでとうございました。

3月4日ブログ「大島中学校閉校式」
 

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tag : 大島中学校

米国駐日大使来市

ラーム・エマニュエル駐日米国大使が気仙沼を訪れてくださいました。3月10日には復興祈念公園と気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館へ。そして11日には気仙沼大島へも。

まずは3月11日の三陸新報記事を紹介します。


駐日大使来市

三陸新報3月11日記事の一部イメージ


3月10日に、菅原市長はつぎのようにツイートしていました。

ラーム・エマニュエル大使も同日につぎのツイートを。気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館です。



その後に復興祈念公園へ。

気仙沼で活動する若者との懇談もおこなっています。

3月11日には大島を訪れてくださいました。


エマニュエル大使が着任のために日本を訪れたのは、本年1月23日のこと。そして3月10日には気仙沼へ。驚きました。着任間もないのにということに加え、ウクライナとロシアのことがありましたから。それだけにという見方もできるかもしれません。

訪問の一番の目的は、東日本大震災のときの米軍による支援活動「トモダチ作戦」の対象地区であった大島訪問だったと思います。気仙沼大島は、震災時の米軍支援によって、アメリカと日本の友好関係の象徴のひとつになりました。

昨年3月7日には、大島の浦の浜緑地公園に、在日米軍による災害救助や復興支援の「トモダチ作戦」への感謝と友情の証として記念碑が設置されました。

この祈念碑は、市民有志による「はなみずきプロジェクト」によるものです。これについてはつぎのブログに記しております。

2021年3月23日ブログ「トモダチ作戦の碑」

エマニュエル大使が大島を訪問してくださったことによって、この記念碑に大島の島民が込めたメッセージがさらに明確になったような気がいたします。

ラーム・エマニュエル駐日大使、そして在日米国大使館、在日米海兵隊の皆さまにあらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

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めぐろのアーカイブ

2月27日の東京・めぐろパーシモンホール「東日本大震災復興支援コンサート」のアーカイブ映像が3月11日にYouTubeで公開されましたので紹介します。約50分のダイジェスト版です。実際の公演の3分の1という感じですね。





まずはこのダイジェスト版に収録された曲目を紹介しておきます。

①気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団による混成楽団

◎翼をください
◎海潮音(みしおね)〜吹奏楽のための〜

②熊谷育美

◎雲の遙か
◎春の永遠

③畠山美由紀(ピアノ:村上ゆき)

◎わが美しき故郷よ
◎幸せでいて

④アンコール
◎花は咲く
畠山美由紀さん、熊谷育美さん、目黒吹奏楽団有志の皆さん。ピアノは村上ゆきさん。


コンサートでは演奏開始前や1部と2部のきりかえ時などに気仙沼の紹介映像が放映されました。ダイジェスト版にもそのまま収録されていますが、会場のスクリーンで見たよりも鮮明です。冒頭映像のバックに流れるのは育美さんの「東北みちのく音頭」です。

混成楽団演奏後の映像は、「10年後の気仙沼は?」というインタビュー映像。つぎの4名の方々が登場しています。

畠山政也さん(漁師)・斉藤和枝さん(気仙沼つばき会)・幼稚園生あらた君・千葉加奈子さん(気仙沼市移住・定住支援センターMINATO)

括弧内の記述は映像から拾いましたが、ちょっと説明しておきましょう。政也さんは唐桑〈もまれ牡蠣〉で知られる戸羽平の〈やっくん〉、和枝さんは斉吉商店、加奈子さんはMINATOのスタッフ&つばき会のメンバーでもあります。そして、あらた君は東北ツリーハウス観光協会関係者の息子さんです。

映像のなかに、過去の復興支援コンサートの写真が紹介されていました。このコンサートは、2016年から2019年まで毎年開催され、20年21年が新型コロナ対応で中止、今回2022年が5回目となりました。その回顧的映像です。

おっと紹介を忘れるところだった。当日の司会と映像ナレーションはもうおなじみ、気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんでした。いつもありがとうございます。

なお、気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団が共演しての気仙沼市民会館での「ありがとうコンサート」は3月23日(日)に無事終了したようです。これについては後日紹介することにいたしましよう。

本日は、2月27日のアーカイブ映像のみの紹介といたします。めぐろパーシモンホールさん、ありがとうございました。

3月1日ブログ「復興支援MUSIC」
3月2日ブログ「コンサートの写真」
 

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tag : 復興支援コンサート

3.11のアーカイブ

東日本大震災から11年を迎えた3月11日、気仙沼市は中央公民館で「東日本大震災 追悼と防災のつどい」を開催しました。昨年までは、市の総合体育館「ケー・ウェーブ」」で追悼式がおこなわれてきましたが、今年は公民館ホワイエでの自由献花とホールでの〈防災のつどい〉を組み合わせた催しです。

3月12日の三陸新報がつぎのように伝えています。

防災つどい
三陸新報3月12日記事の一部イメージ


献花による追悼の場を設けながら、〈震災で学んだ多くの教訓を次世代に引き継ぎ、新たな災害に備えるため〉の催しということでの企画です。この催しはYouTubeで中継されていたので、私も仕事をしながら聴いておりました。3時間とそれなりに長いので仕事をしながらですが。

途中、14時46分からは1分間の黙祷。防災無線の案内メッセージの後に1分間のサイレンが。私は起立して黙祷したのですが、鳴り続けるサイレンの音を聞いていたら思わずグッときてしまって。自分でもおどろきました。

このつどいのYouTube配信はいまも視聴できます。つぎの赤字をクリックしてください。

令和4年 気仙沼市「東日本大震災 追悼と防災のつどい」

ブログを書いていて気づいたのですが、このYouTube映像はブログなどへの埋め込みができない設定になっているようです。

当日の公民館での参加や実況中継の視聴はなかなか難しいので後日のアーカイブ(保存記録)視聴の促進が重要であると思います。そのためにも、埋め込み可能にして、ネット上で目に触れる機会を増やしたほうがよいと思うのですが、行政として、そうしない/できない理由があるのかもしれません。

参考まで記しておくと、2021年3月11日の「令和3年気仙沼市東日本大震災追悼式」のYouTubeアーカイブ映像は埋め込み可能です。この映像視聴数は1年間で40回ちょっとですが、儀式映像ですので事後の視聴、参照はそれほど重要ではないでしょう。

また、2021年3月11日の「気仙沼市復興祈念公園 モニュメント点灯式ライブ配信」は、現在も視聴可能で、ツイッターなどへの埋め込みも可能な設定になっています。こちらは1万3000回を超える視聴実績です。畠山美由紀さんの歌唱がいまでも視聴できます。

今回の「追悼と防災のつどい」は震災後11年目の初めて企画でした。この経験を活かし、来年はさらに気仙沼の防災について考えるよき催しにしていただければと思います。


◎「いま、気仙沼にいます。」

3月11日のブログでもご紹介しましたが、ほぼ日さんの「いま、気仙沼にいます。」はとてもありがたかった。ほぼ日さんの編集部全員が気仙沼を訪れてのテキスト中継です。

見知っている人もたくさん登場しますし、12日と13日の立川志の輔師匠独演会「おかえり気仙沼寄席」周辺の動きも紹介されています。

このテキスト中継は、2022年3月11日前後4日間の気仙沼周辺のよきドキュメントになっています。ほぼ日さんはこれまで何度も、こうした形で気仙沼の3.11を報告してくださいました。それらはいま、私たちにとってのありがたい中継アーカイブです。


ほぼ日編集部「いま、気仙沼にいます。」

なお、このテキスト中継の最終回に、「気仙沼においでよ2022」の映像が投稿されています。これも素晴らしい。回をあらためて詳しく紹介しようと思います。

糸井重里さんをはじめ、ほぼ日の皆さまに心から御礼を申し上げます。今年も、ありがとうございました。
 

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「鎮魂と追悼の日」

東日本大震災から11年。市によれば、この震災による気仙沼市の人的被害(住民登録ベース)は1354人(直接死1033人、関連死109人、行方不明者212人)にのぼります(2022年2月28日現在)。

ここでは、気仙沼中学20回生の同級生2人、及川保則君(3年5組)と鷺(庄司)良子さん(3年8組)のお名前を記すにとどめますが、気仙沼の多くの人が親族をはじめ大切な人を亡くしています。

◎3月11日からのヒカリ

気仙沼の内湾〈鼎ヶ浦〉の3カ所から天に向けて3本の光を放射する「3月11日からのヒカリ」プロジェクトは、2012年から18年まで連続7回おこなわれました。私たちも気仙沼中学20回生支援会として毎回協賛させていただきました。

今年も、プロジェクトの実行委員会代表をつとめた斉藤道有さんの承諾を得て2017年版ポスター画像を。



「3月11日からのヒカリ」2027年版ポスター(写真撮影:斉藤道有さん)



私は気仙沼を離れて暮らしており、内湾にたちあがる光を見たことはありません。しかし毎年、心のなかで3本の光をともしておりました。ことしも同じように、静かな鎮魂と追悼のときを過ごせればと。

◎ほぼ日さんのテキスト中継

今年もほぼ日さんが気仙沼からのテキスト中継がおこなわれています。ほぼ日編集部「いま、気仙沼にいます」。きのう3月10日から3月13日までとのことですから、立川志の輔師匠の独演会「おかえり寄席気仙沼」の様子も報告されることでしょう。

ほぼ日編集部「いま、気仙沼にいます。」

いろんな人がいろんな場所で。それぞれの3月11日です。
 

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tag : 3月11日からのヒカリ東日本大震災

特別企画展開催中

今日は東京大空襲があった日。77年前の1945年3月10日未明、アメリカ軍による空爆で死者は10万人以上、被災者は100万人を超えたともいわれています。私たちが忘れてはいけない日のひとつでしょう。

ここからが本題。気仙沼のリアス・アーク美術館で、2月5日から「東日本大震災発生10年特別企画展」が開催されています。3月21日まで。3月6日には同館の山内宏泰館長がつぎのツイートを。


ツイート画像は同展リーフレットの表面ですが、裏面に展示詳細が記されています。つぎのPDFでその内容を見ることができます。

同展リーフレット裏面(PDF)

2月17日には次のツイートも。


この特別企画展は無料で観覧できますが、常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」は通常どおりの観覧料が必要。ただし、山内館長のツイートにもあったように、3月11日(金)は常設展も無料で観覧できます。この1F常設展の内容は同館サイトのつぎのページでも概要を知ることができます。是非ご覧ください。

東日本大震災の記録と津波の災害史(1F常設展示)

◎気仙沼市「東日本大震災追悼と防災のつどい」

3月11日、気仙沼市では気仙沼中央公民館にて「東日本大震災追悼と防災のつどい」が開催されます。ホワイエに献花台が設置されるとのこと。献花用のお花は会場で渡され、どなたでも自由に献花することができます。またホールでは、午後1時から4時まで、基調講演、活動報告、パネルディスカッションなどがおこなわれます。当日の催事の様子はYouTubeで中継されます。

YouTube|令和4年 気仙沼市東日本大震災 追悼と防災のつどい

震災から11年。明日は、リアス・アーク美術館の観覧や気仙沼中央公民館での献花などに訪れる人も多いことでしょう。

昨年3月11日には、気仙沼市復興祈念公園開園しました。明日、訪れる人も多いと思うのですが、来園者を迎えるための献花台などの情報が見当たりませんでした。明日にかけてなにかわかりましたら追記いたします。

新型コロナだけでなく、いろいろと心穏やかにはいられない日が続いています。せめて3月11日はと思うのですが、なかなかむずかしいようです。
 

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tag : 東日本大震災リアス・アーク美術館

ありがとう in2022

昨年2021年3月13日のNHK総合テレビ「ありがとうを3.11に伝えよう委員会」をおぼえていらっしゃいますか。〈東日本大震災で被災した人たちが、家族や友人、同僚など、お世話になった方々に、これまで言えなかった“ありがとう”の思いを伝え、この10年間をねぎらい合う番組〉でした。

委員長役は、気仙沼市役所の小野寺幸史さん。副委員長は南町紫神社商店街事務局の坂本正人さんと亀山精肉店の柴田静佳さん。井ノ原快彦さんと南野陽子さん,も気仙沼に来てくださいました。

その第2回目となる2022年版が3月12日に放送されます。


ありがとう
番組サイトより


◎ありがとうを3.11に伝えよう委員会
NHK総合テレビ
3月12日(土)17:10〜18:00

番組サイトから案内文を引用します。

〈 「3.11を感謝の言葉であふれる日にしたい」。宮城・気仙沼の人たちが自らの手で立ち上げた「ありがとう委員会」。これまで伝えられなかった“ありがとう”の思いを感謝状にしたため手渡すプロジェクト。家族へ。職場の先輩へ。全国のボランティアへ。手書きで綴った感謝状は、気仙沼から全国へと広がる。東北の人たちが「3.11を感謝の日にしたい」と目指す一大プロジェクト。彼らの目線と言葉で描く「あの日からの11年」 〉


NHK仙台放送局サイトにはさらに詳しい番組紹介がありました。

〈 気仙沼で暮らし震災を生きてきた私たちは、震災のこと、地域のこと、これからのこと、を話し合ってきました。震災についての思いはそれぞれにあると思いますが、誰にとっても大きな何かを残していると思います。

そして、「3月11日には、これまで伝えられなかった“感謝の思い”を伝えてみよう」と考えました。
普段は言えない感謝の思いを伝えることで私たち自身の“これまで”を振り返り、“これから”を⽣きていく活力にしたい。地域や家族の中で、“ありがとう”を伝えることで、お互いにねぎらいあいたい。私たちが暮らす町を“感謝のまち”にしていきたい。そう思っています。

是非多くの方々に「ありがとうを伝える」取り組みにご参加頂けますと幸いです。〉


この仙台放送局の番組サイトに委員会メンバーが紹介されています。

小野寺幸史(気仙沼市役所)
坂本正人(南町紫神社前商店街)
柴田静佳(自営業/気仙沼市)
佐藤佳奈(自営業/気仙沼市)
菅原大樹(酒蔵/気仙沼市)
成宮崇史(NPO法人/気仙沼市)
佐藤由美(イラストレーター/気仙沼市)
石森康裕(NHK仙台放送局)

初めのお三方は紹介済みですので4人目からを私の分かる範囲でまとめておきましょう。佐藤佳奈さんは、南町の「ボルセッタイシカワ」、菅原大樹さんは「男山本店」、成宮さんはNPO法人「底上げ」、そして佐藤由美さんは、元「気仙沼のほぼ日/沼のハナヨメ」のサユミさん。そして制作局である仙台放送局から石森さんです。

気仙沼の皆さんのいろんな人への「ありがとう」。楽しみです。皆さまも是非ご覧ください。

昨年の「ありがとう」はつぎのブログで紹介しております。

2021年3月17日ブログ「3.13のNHKテレビ」

 

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tag : ありがとうを3.11に伝えよう委員会

目黒吹奏楽団さん

きのうは、3月12・13日開催の立川志の輔さんの独演会を紹介しましたが、本日も気仙沼でのイベントのご紹介。気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団による「ありがとうコンサート」です。


ありがとうコンサート

気仙沼市民吹奏楽団Facebookより


気仙沼市民吹奏楽団・目黒吹奏楽団
「ありがとうコンサート」
日時:3月13日(日)午後1時開演(正午開場)
会場:気仙沼市民会館大ホール

入場無料ですが整理券が必要です。
整理券は、カンノ楽器、気仙沼市民会館、市役所/地域づくり推進課などで配布中とのこと。

お問い合わせ:カンノ楽器(0226-22-0520)気仙沼市田中前


3月6日の三陸新報もつぎのように伝えていました。


ありがとうコンサート記事

三陸新報3月6日記事の一部イメージ


私は東京・めぐろパーシモンホールでの「復興支援コンサート」で目黒吹奏楽団と気仙沼市民吹奏楽団の合同演奏を何度も楽しませてもらいました。

2016年から2019年まで毎年、そして新型コロナ対応の開催見送りが2度あって、先日2月27日に3年ぶりの開催が実現しました。東京では通算5回となりますが、目黒吹奏楽団の皆さんを気仙沼にお迎えしてのコンサートは今回が初めてです。

◎目黒区との友好都市協定

復興支援コンサートは、目黒区や「めぐろパーシモンホール」などを管理運営する目黒区芸術文化振興財団が主催したもの。同財団は、「目黒美術館」の管理運営もおこなっていますが、同美術館では2016年に「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」展を開催してくださいました。

目黒のさんま祭などでの交流をきっかけにして、目黒区と気仙沼市が友好都市協定を締結したのは2010年9月18日のことです。締結式はめぐろパーシモンホールにて。三陸新報の記事では、友好都市協定締結から昨年で10年を迎えたとありましたが、私の計算では昨年9月で11年です。

先日の復興支援コンサートで目黒区の青木区長は、その挨拶のなかで、協定締結から6カ月後の3月11日のことを話されました。夜のNHKのニュースで報じられたあかあかと燃える気仙沼の映像が忘れられないと。安波山からながめたあの美しい気仙沼の海が燃えていると。


このコンサートは、気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業のひとつ。目黒区の皆さんへの感謝はもちろんのこと、目黒吹奏楽団のお力もお借りして、震災からの復興をご支援いただいた多くの皆さまへの感謝を伝えます。

目黒吹奏楽団さん、いつもありがとうございます。3月13日もどうぞよろしくお願いいたします。

3月2日ブログ「コンサートの写真」

 

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tag : 目黒吹奏楽団気仙沼市民吹奏楽団

顕子さんの応援RT

立川志の輔師匠の気仙沼での独演会をこのブログで紹介したのは、1月5日のことでした。そのときは、まだまだ先のことと思っていたのですが、今週末3月12日(土)13日(日)に気仙沼中央公民館で開催です。

3月4日に矢野顕子さんのうれしいコメント付きリツイート(RT)/引用ツイートがありました。落語会の公式アカウント「おかえり気仙沼2022」の三陸新報記事紹介投稿に、「行ける方はわたしの代わりにどうぞ行ってください」と。


ニューヨークからの応援メッセージですね。いつもありがとうございます。この落語会についてはつぎのブログに記しましたので、ここでは略します。

1月5日ブログ「志の輔師匠独演会」

◎おかえり寄席気仙沼 志の輔独演会

日時:
3/12(土)開場15:30 開演16:00
3/13(日)開場13:00 開演13:30

会場:気仙沼中央公民館 ホール
料金:全席指定(前売り)4,500円
当日販売はありません。

オンライン販売はすでに完売。気仙沼市内のチケット販売は、気仙沼観光コンベンション協会の窓口で取り扱っているそうですが、先週末の段階で残りわずかとの話でした。また、落語会に合わせて3月13日には物産イベント「気仙沼みなとでマルシェ。」が午前8時から魚市場前「みしおね横丁」で開かれます。

新型コロナのことを心配されている方もいらっしゃるかと思いますが、落語会もマルシェも、感染防止対策を徹底して開催するとのこと。

2月27日の東京めぐろパーシモンホールでの復興支援コンサートや気仙沼物産展も、検温、アルコール消毒のほか、氏名や連絡先の書式記入など、しっかりと対策がとられていました。

安心してという言い方が適当かどうかよくわかりませんが、しっかりと対策してゆっくりと楽しむのが吉かと。

東京に暮らす身としては、気軽に志の輔師匠の落語を堪能できる気仙沼のみなさんがホントうらやましい。

行ける方はわたしの代わりにどうぞ行ってください。どうぞよろしく。
 

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tag : 矢野顕子立川志の輔

大島中学校閉校式

きのうのブログで、「広報けせんぬま」3月号掲載の菅原市長コラムを紹介しました。本日はそのコラムの隣に掲載されていた囲み記事についてです。

閉校式
「広報けせんぬま」2022年3月号より


◎大島中学校閉校式
日時:3月20日(日)午前10時から
場所:大島中学体育館

気仙沼市立大島中学校は、4月に鹿折中学校と統合することは皆さんご存じの通りです。記事は、統合に伴う大島中学校の閉校式を3月20日におこなうとの告知でした。ただし、つぎの記述がありました。

〈本来であれば、卒業生の皆さまや地域の皆さまにご参加いただくところですが、新型コロナウイルス感染症対策のため、来賓の皆さま及び保護者の皆さまのみで開催することにいたしました。〉

これは地元の人にとっては残念でしょうね。 大島中学校は同校サイトの沿革によれば、大島村立大島中学校として昭和22年(1947年)4月1日に開校しました。生徒数279人です。その75年の歴史を閉じることになるわけですから、現在の生徒保護者のみならず、多くの卒業生が閉校式に参列したいと思っていたのではないかと。

◎統合までの経緯

気仙沼市教育委員会が大島中学と鹿折中学の統合を決定したと三陸新報が伝えたのは昨年2021年3月31日のことでした。3月29日の地域懇談会で保護者らの合意を得たと判断であると。

2021年4月7日ブログ「大島中学統合決定」

そして、統合後の新校名を「鹿折中学校」にすることが2021年7月16日の統合準備会議で決定されました。あわせて、校歌、校章も現在の鹿折中のものを使うことになったのです。

2021年7月21日ブログ「校名は鹿折中学校」

統合/閉校まで時間もないなか準備をしてきただけに、閉校式を地域の皆さまと共にという願いはかなわず。新型コロナ感染がなければと多くの人が感じていることでしょう。

3月20日までに感染拡大状況が好転すれば、参加者制限を柔軟にといったことにならないだろうか。そんなことを考えたりしております。詳しい事情を知らない私の勝手な願いです。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大島中学統合閉校

石原知事と気仙沼

気仙沼市が毎月発行して市民に配布している「広報けせんぬま」は、ネット上でも見ることができます。市のLINEでも案内されるので、私も目を通しています。

記事のなかで私が楽しみにしているのは菅原市長の連載コラムです。タイトルは「ゴーヘイ!気仙沼」。ゴーヘイは、英語のGo Ahead。意味としては前進とか進め!といったようなことかと。船舶・航海用語のひとつです。

本日紹介するのは、3月号(3月1日発行)掲載の「ゴーヘイ!気仙沼」です。


市長コラム

「広報けせんぬま」2022年3月号掲載記事の一部イメージ

「広報けせんぬま」2022年3月号(全頁pdf)

第119回目のタイトルは「復興支援に熱心だった石原慎太郎氏」です。菅原市長は、2月1日にお亡くなりになった石原慎太郎さんに3度おめにかかったことがあるとのこと。

1度目は、平成5年の選挙時。当時衆議院議員だった石原氏が選挙応援で気仙沼を訪れたとき。〈会場の2階が落ちるのではないかと心配した〉そうですから市民会館でしょうかね。その後、ヨットマンでもあった石原さんをマグロ船見学に案内し、船橋にて航海計器のことなどの話を聞いたそうです。

この選挙は、宮澤喜一内閣時代の1993年7月18日投票の衆議院選挙でしょう。選挙後、日本新党代表の細川護煕さんを首班とする細川内閣が誕生しました。当時、菅原市長は政治に関わっていません。トーメン(現豊田通商)の商社マンとしてオランダ/ロッテルダム駐在後に退社、1992年に気仙沼に戻って「カクダイ」菅長水産に勤務していました。「菅長」の名は、市長の祖父である菅原長之助さんのお名前からだと思います。

そんなことを考えると、石原さんを案内したのは、カクダイさんの漁船「長功丸」だったかもしれませんね。勝手な想像です。

なお、この衆議院選挙では、私たちの世代には懐かしい菊池福治郎さんが返り咲き当選を果たしました。その福治郎さんは2004年に78歳でお亡くなりになっています。

2度目は平成23年4月5日、ご自身の選挙期間中にもかかわらず東日本大震災の被災地をヘリコプターで歴訪したときのこと。気仙沼市には五右衛門ヶ原に防災服姿で降り立ったそうです。

このときの選挙は都知事選挙です。投票日は4月10日で石原さんが当選。次点は東国原英夫さんでした。

気仙沼を訪れたときの石原都知事の写真を朝日新聞が伝えています。知事の背後には鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸がうつっています。

朝日新聞2月2日配信記事写真

3度目は、平成24年2月14日。菅原市長は、気仙沼に対するご支援への御礼に石原知事を訪ねました。同行したのは当時、市議会議長だった臼井真人君(3年2組)です。この訪問時には、市長から職員派遣のお願いなどもしたようです。これに対して石原知事は前向きに対応してくれました。その後に市と都で協議し、気仙沼派遣の任期付き職員を新たに採用するという方法で長期にわたり大勢の派遣を実行してくださったのです。

◎気仙沼中央公民館からの救出

このブログでは、震災時に東京都副知事だった猪瀬直樹さんの英断によって、気仙沼中央公民館に避難していた446人が無事に救出されたことを紹介してきました。猪瀬さん、そして東京消防庁の皆さんの判断や行動は、石原知事の都政であったればこそ。そうしたことを踏まえての、菅原市長や臼井議長の知事訪問だったでしょう。

気仙沼中央公民館からの避難者救出についてはつぎのブログに記しております。

2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」

こうして、東日本大震災時に気仙沼市が大変お世話になった石原慎太郎さんです。そのご冥福を心からお祈りいたします。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 石原慎太郎

コンサートの写真

昨日3月1日のブログで、2月27日「復興支援コンサート」の様子を紹介しました。できることならばホールの様子もと思いながらも撮影が禁止されていました。残念。と思っておりましたが、めぐろパーシモンホールさんが当日の写真をTwitterに投稿してくださいました。


画像1枚目が畠山美由紀さんとピアノの村上ゆきさん、2枚目が熊谷育美さん。3枚目が気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団の皆さんです。たぶん「海潮音」演奏時の写真でしょう。指揮者は、気仙沼市民吹奏楽団の団長、畠山広成さんです。4枚目は、プログラムの最後に歌われた「花は咲く」の場面です。目黒吹奏楽団の有志の皆さんがコーラスに加わってくださいました。

2月28日には、目黒区広報課さんもつぎの投稿を。


物産展や復興写真展の様子も紹介されていますね。

最後に、司会を担当してくださった佐藤千晶さんもバックステージの画像4点を投稿してくれていましたので紹介します。


3枚目と4枚目は、気仙沼市民吹奏楽団のメンバーの方々ですかね。

参考まで記しておくと、1枚目の写真で生島さんが着ているのは、2021年のグッチ100周年記念フーディーでしょう。Music is Mine Gucci Seats Reclined。

これはオシャレなのか、それともオシャレじゃないのか、別世界の話で私にはよくわかりません。生島さんはいつからグッチさんになったのでしょうか。(以前、目黒のさんま祭で生島さんに会ったのですが、開会式での挨拶に立った生島さんから「ひさしぶりにあった気仙沼の一年後輩がすっかりはげちゃってて」といじられたので、そのお返しですww)

2月27日の日曜日、東京の最高気温は19度だったそうです。風があって夕方には気温もちょっと下がりましたが、春の訪れを感じさせる一日となりました。

新型コロナをはじめ、心穏やかにはいられない日々が続きますが、久しぶりの音楽イベントを体験できたのはなによりのことでした。重ねて、関係者の皆さまに御礼を申し上げます。
 

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tag : 復興支援コンサート

復興支援MUSIC

2月27日(日)、東京・めぐろパーシモンホールで「東日本大震災復興支援コンサート」が開催されました。このコンサートは、2016年から2019年まで毎年開催されてきましたが、2020年と2021年は新型コロナ対応のために中止されました。今年も感染拡大の状況によってはどうなることかと心配しましたが、このところの都内新規感染者数は減少傾向にありました。

ただし、感染防止対策として、いつもの目黒区立中目黒小学校合唱団の出演がなしとなったのは残念なことでした。それと、畠山美由紀さんのパートに出演予定だったギターの小池龍平さんは、ご本人の都合で出演を辞退されたとのことです。

新型コロナ。関係者の皆さんは気が気でなかったことと思いますが、開催が実現し本当によかった。今回で通算5回目となります。

さて。はじめに記しておかなければいけないのは、この公演が「復興支援コンサート」であることです。もうすぐ東日本大震災から11年となります。このコンサートの初回開催は2016年2月28日でした。6年前のことを思い出すと、「復興支援」という言葉が今よりも〈リアル〉でした。会場に展示された気仙沼の被災現場写真も、復興はこれからというメッセージを感じさせていたように思います。このコンサートについては、つぎのブログで紹介しております。

2016年2月29日ブログ「目黒のコンサート」

そして今回。会場での震災復興写真展には2011年の被災記録写真はもちろん掲示されています。しかしそのパネルの裏側には復興記録ともいうべき写真が並べられていました。3年前の写真に比べると気仙沼の新しい風景がそこにあったように感じました。


写真パネル


◎コンサート第1部

午後2時に開演。司会は、おなじみの佐藤千晶さんです。冒頭に目黒区の青木区長からのご挨拶がありました。

コンサートの第1部は、恒例となっている気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団の演奏です。気仙沼から7名、目黒の皆さんが37名の計44名からなる混成楽団です。曲目はつぎのとおり。

①翼をください
②栄光の架け橋
③リトル・マーメイド・メドレー
④海潮音〜吹奏楽のための〜
⑤花は咲く

そしてアンコールは「糸」。吹奏楽のためにアレンジされた「海潮音(みしおね)」も素晴らしかった。山崎勇太さんが吹奏楽用に編曲したとのことです。

この海潮音が気仙沼「青龍寺」住職の工藤霊龍さんが作曲したということは皆さんすでにご存じのことでしょう。そしてなんと、コンサート会場に霊龍さんがいらっしゃっていました。司会の佐藤千晶さんが紹介してくれました。

1部が終了しての休憩時間に、霊龍さんご夫妻にご挨拶することができたのはなによりのことでした。私の家の菩提寺は新潟県新発田市にあったのですが、気仙沼では青龍寺さんにお世話になっておりました。そんなことで、霊龍さんもそうですが、先代ご住職にも大変お世話になっていたのです。付け加えれば妻の実家の菩提寺も青龍寺さんです。

◎第2部

第2部はまず熊谷育美さんから。育美さんはいま気仙沼在住です。東京で歌うのは2年ぶりのことと語っていました。今回はコロナ感染防止のこともあり車で7時間かけての上京です。曲目を紹介します。

①雲の遙か
②夏の華
③春の永遠
④海潮音

「春の永遠」は、堤幸彦監督の気仙沼を舞台にしたドキュメンタリードラマ「Kesennuma,Voices.」の主題歌として育美さんが書き下ろした楽曲。このドラマには、生島ヒロシさんの長男、次男である生島勇輝さん、翔さんが出演しています。育美さんは堤監督作品の主題歌を4作品てがけています。

育美さんが歌った海潮音は、霊龍さんの曲に金森政昭さんが詩をつけたものです。

育美さんに続いて、畠山美由紀さんです。ピアノとコーラスはおなじみの村上ゆきさんです。曲目はつぎのとおり。

①その町の名前は
②ムーンリバー
③海の恵み
④歌で逢いましょう
⑤わが美しき故郷よ
⑥しあわせでいて

④⑤はメドレーでした。「季節がめぐり 過ぎてゆくのは ほんとうに はやいものですね」そして「長い冬の あの厳しい寒さを乗り越えて やがて巡り 春が 春がくるよ」と、それぞれの曲にある詩が震災からの復興の願いを連想させます。

⑥「しあわせでいて」は〈おとといつくったばかりの曲〉とのこと。できたてほやほや。タイトル表記もわかりません。「幸せでいて」かも。今後、どのようにアレンジされて育っていくのか、それも楽しみですね。ムーンリバーについてはいろいろと書きたいことがあるので回をあらためて。

この後、育美さん、美由紀さんと「花は咲く」を。新型コロナ対応がなければ、中目黒小学校合唱団の皆さんとご一緒にということだったと思いますが、コロナ対応で参加できず。そんなことで、目黒吹奏楽団の有志が代わりに合唱に加わってくださいました。

第2部の冒頭、サプライズで登場したのが生島ヒロシさん。私たちの1コ上の気中19回生です。当日の朝に目黒区の青木区長から電話があって登場したとのこと。生島さんが会長をつとめる生島企画室は目黒区にあります。震災直後に中目黒駅前で募金活動を開始するときにも区長が協力してくださったと話していました。

そして育美さんも美由紀さんも、目黒区やめぐろパーシモンホール、そして多くの目黒区の皆さまのご支援に対する御礼をとても丁寧に語っていました。私も心でうなづきながら聞いておりました。会場にいる気仙沼関係者も同じだったでしょう。俺もだよ、私もと。

こうして2月28日のコンサートをふりかえってみると、それは復興支援への御礼コンサートであったようにも思えてくるのです。

3年ぶりのコンサート開催を実現してくださった多くの関係者の皆さんに心からの御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

なお、コンサートの様子を気仙沼の皆さんにもお届けすることを目的に、一部の演奏をYouTubeホール公式チャンネルで3月11日から公開されるそうです。これについてはまた詳しくお伝えします。
 

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tag : 復興支援コンサート

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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