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茂木さんの「モネ」

昨日は東京・めぐろパーシモンホールで開催された「東日本大震災復興支援コンサート」に行ってきました。その報告はまた明日にでも。

本日は茂木健一郎さんが、「おかえりモネ」について書いた文章を紹介します。この記事そのものは、週刊誌「NHKウイークリーステラ」(NHKサービスセンター)2021年7月16日号に掲載されたものですが、「ステラnet」への再掲内容を茂木さん自身がツイートしていたのです。

タイトルは〈 “朝ドラ”が描く東日本大震災の「記憶」〉です。


文章を少し引用させていただきます。茂木さんは、「おかえりモネ」の画面から伝わってくる空気感のようなものが、「ドキュメンタリー」タッチに感じられるといいます。そしてつぎのように続けます。

〈舞台となっている宮城県気仙沼市、登米市に本当にそういう人たちがいて、描かれているような生活をしている印象がある。もちろん、ヒロインの永浦百音を演じる清原果耶さんの美しさや、百音の同級生で漁師になった及川亮を演じる永瀬廉さんのかっこよさ、森林組合の山主の新田サヤカを演じる夏木マリさんの存在感などは現実的ではないけれど、しかし実在の人々のすぐそばにいる気がする。〉

そして、「おかえりモネ」の画面のなかに、茂木さんが東北で出会った方々の面影が鮮やかに動いているように感じるとも。さらに、時間軸の凝縮感についてつぎのように。

〈気仙沼や登米のロケ地の風光、エキストラの方々の表情、画面全体から伝わってくるさまざまが、フィクションとしてのドラマであると同時に、近過去から現在、近未来を凝縮した同時進行の現実であるような、不思議な感触を見る者に与える。〉

結びの言葉がすっと私のなかに入ってきました。

〈人間は、忘れられることがいちばんつらい。人々の命を守るためにも大切な「気象予報士」の勉強を続ける百音。これから、その活躍の舞台は東京にも広がり、遠くにありて思う「いのち」の消息が穏やかな日常の風景となって、人々の心の中に入り込んでいくことだろう。〉

茂木さんがこの記事を書かれていたときは、モネが懸命に「気象予報士」になるための勉強をしていたときだったのですね。

遠くにありて思う「いのち」の消息。やさしさに満ちた言葉です。茂木さん、ありがとうございました。

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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ茂木健一郎

NHKの吉永証さん

第12回「ロケーションジャパン大賞」で、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』とそのロケ地となった気仙沼市・登米市が準グランプリを受賞しました。2月20日の三陸新報がつぎのように伝えています。


ロケーションジャパン

三陸新報2月20日記事の一部イメージ


この賞は、国内のロケ地を応援する雑誌「ロケーションジャパン」が主催するものです。

ロケーションジャパンの配信記事によれば、今回は33作品67地域がノミネートされました。審査は6000名の一般アンケートによる作品およびロケ地の「支持率」のほか、ロケ地の「撮影サポート度」や「行楽度」、「地域の変化」の4つの指標をもとにポイント化して、総合評価しているそうです。

配信記事から準グランプリに関する説明を引用します。

≪準グランプリ≫
連続テレビ小説『おかえりモネ』×宮城県気仙沼市、登米市

海にも山にも恵まれた自然豊かな宮城県の2市が舞台となり、宮城の魅力を発信した連続テレビ小説。ドラマから地域おこしにつなげるために2市連携してシティプロモーションを展開した。両市を巡るツアーや、モバイルスタンプラリーの実施などを行い、話題の観光スポットの誘致につなげた。さらにはドラマに登場した特産品を使ったPRにも取り組み、ふるさと納税の寄付額は前年同期比3.4倍の10億円を突破した。(引用は以上)

なお、グランプリを受賞したのは、映画『花束みたいな恋をした』×東京都調布市です。

◎吉永証さんの姿

この準グランプリ受賞については、気仙沼観光公式サイト「気仙沼さ来てけらいん」WEBがつぎのようにツイートしていました。5名の方々が新聞記事より鮮明にうつっています。


私は今回の受賞式での写真をみて、吉永証(あかし)さんの姿をはじめて知りました。写真中央にうつっているのが吉永さん。吉永さんは須崎岳さんと共に、おかえりモネの制作統括をつとめました。

この賞が授賞対象としているのは、作品とロケ地です。ですから今回の受賞は「おかえりモネ」と気仙沼市・登米市。そんなわけで、吉永さんは作品制作側を代表してこの表彰の場に臨まれたのでしょう。吉永さんの右側は、「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会の副実行委員長をつとめる菅原昭彦さんです(実行委員長は菅原茂市長)。

吉永さんのお名前は「おかえりモネ」の関連記事などで何度も目にしていました。しかし、こうして〈全身像〉を拝見するのは初めてのことです。

ロケーションジャパンの配信記事に吉永さんの〈喜びのコメント〉が紹介されていましたので引用します。

〈二つの故郷を扱った朝ドラ「おかえりモネ」は、撮影の大変さが2倍、地元の方との関係づくりが2倍、でもその分、喜びが2倍、いやそれ以上でした。クランクアップの日、横断幕を持って駆けつけて下さった皆さんの温かい笑顔が忘れられません。ありがとうございました!〉(引用は以上)

同ドラマのクランクアップは、2021年9月4日の気仙沼ロケ。つまり横断幕を持って「コの字岸壁」に駆け付けたのは、地元気仙沼の皆さんです。その場に吉永さんもいらっしゃったのですね。

「おかえりモネ」の制作ご担当者ということでは、演出担当の一木正恵さんについて何度もこのブログで紹介いたしました。つぎの記事などをご覧いただければと。

2021年8月13日ブログ「一木さんへの御礼」

吉永さんをはじめ、NHK「おかえりモネ」の制作にたずさわったすべての関係者の皆さまに御礼を。ありがとうございました。また、このたびの受賞、おめでとうございました。

なお、「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会の事務局は、気仙沼市産業部おかえりモネプロジェクト推進室が担っています。受賞に関する市のプレスリリースには、担当として同推進室の村上さんと齋藤さんのお名前がありました。推進室の皆さんのご努力、調整がなければ、今回の受賞もなかったでしょう。まだまだプロジェクト関連の仕事があるでしょうが、(中締めとして)御礼とお祝いを申し上げます。
 

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tag : おかえりモネ吉永証ロケーションジャパン

紅白歌合戦のロゴ

昨年の大晦日、第72回NHK紅白歌合戦は、「おかえりモネ」関連や佐藤真海さんが審査員をつとめたことなど、気仙沼にとって特別な回となりましたね。本日はその紅白のロゴについてです。クリエイティブ関係の雑誌「ブレーン」2月号を見ていたら、こんなページがありました。

紅白

雑誌「ブレーン」(宣伝会議)2022年2月号誌面より


紅白のロゴが14年ぶりにリニューアルされ、昨年の回から使用されました。そのデザインを担当したのがグラッフィクデザイナー佐々木俊(しゅん)さんです。

佐々木俊さんについて、このブログで紹介したことがあります。「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会が、公式ロゴとは別の独自ロゴデザインを募集していることについての2020年12月のブログでした。そのなかで、朝ドラ「エール」の公式タイトルロゴが佐々木俊さんであると紹介しました。佐々木さんは仙台生まれです。

2020年12月16日ブログ 「モネ」の独自ロゴ

「ブレーン」の記事では、新しい紅白のロゴは多様性を重んじる社会への移行といった時代背景を踏まえて、赤と白の境界線を曖昧にしたデザインであるとしています。

面白いというか、興味深かったのは、佐々木さんはこのグラデーションの案を気に入っていたものの、年代を問わず親しまれている番組のロゴとしてはわかりづらいのではないかと考えていたというのです。そこでプレゼンでは別のロジカルなデザインを提案したそうです。

しかし意外にも、検証した案としてグラデーションのデザインを見せたところ「伝えたいことを言い得ている」と言われ、ブラッシュアップを経て採用となったとのこと。


赤と白のグラデーションの両側には、カラフルなグラデーションが広がっていて、ロゴとして切り取ったのはその一部分というイメージ。その考えにも共感してもらえたといいます。

佐々木さんが提案したロジカルなデザイン案というのはどんなロゴだったのかなあ。これも見てみたいところです。

調べてみたら、佐々木俊さんご自身が、この紅白のロゴを自身のツイートで紹介していました。



「ロゴ」とはなにかという定義はなかなか難しいのですが、この紅白のグラデーションロゴは、新しい時代における紅白歌合戦の〈シンボル〉になったことはまちがいないでしょう。

佐々木さんの素晴らしい仕事。これからのご活躍にも〈エール〉をおくります。
 

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tag : 紅白歌合戦佐々木俊

「震災復興写真展」

きょうの東京は晴天です。しかし気温は予想最高温度が9度となかなか暖かくなりませんね。それでも、土曜日は15度、日曜日は16度の予想ですからやっと春の訪れを感じることができる季節になってきたようです。

その日曜日、2月27日に楽しみにしていることがあります。東京都目黒区のめぐろパーシモンホールで開催される「東日本大震災復興支援コンサート」です。詳細は1月17日のブログでも紹介しました。第1部は例年どおり気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団による混成楽団の演奏。第2部には畠山美由紀さんと熊谷育美さんが出演します。いずれも司会は佐藤千晶さんです。

本日紹介するのは、めぐろパーシモンホールがある「めぐろ区民キャンパス」1階プラザで開催されている「宮城県気仙沼市 震災復興写真展」です。めぐろパーシモンホールのツイートを紹介します。


これまでも復興支援コンサートの際には同様の写真展が開催されていましたが、今回はここ数年の新しい気仙沼の風景がうつる写真も展示されているようです。


なお、写真展と同じ会場では、「気仙沼漁師カレンダー展」も開催されています。8作目となる2022年版の内容はもちろんのことですが、過去7作のカレンダーも展示されているはずです。過去のカレンダーをまとめて見ることはなかなかできないので私も楽しみにしています。


◎リアス・アーク美術館

気仙沼のリアス・アーク美術館ではいま、東日本大震災発生10年特別企画展が開催されています。東日本大震災の被災現場の未公開写真340点が公開されています。同館の山内宏泰館長のツイートを紹介します。


このリアス・アーク美術館での写真展示については、河北新報が2月20日に記事を配信していました。

河北新報2月20日配信記事

春めいてくると同時に、3月11日も近づいてきますね。

2月27日の復興支援コンサートでは、気仙沼市民吹奏楽団の皆さんの演奏を久しぶりに聴くのを楽しみにしております。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 復興支援コンサート

蔵オーナー権完売

気仙沼の「角星」さんの純米大吟醸酒を「小野健商店」さんの土蔵の金庫に一年貯蔵するという特別金庫貯蔵酒については、2月15日のブログでも紹介しました。

その水鳥記「藏」限定120本分の購入希望者オーナー権は2月14日に発売されたのですが、わずか3日で完売となったそうです。2月18日の三陸新報が伝えています。


完売
三陸新報2月18日記事の一部イメージ


すごいねえ。記事には、両社代表のコメントが紹介されていました。

〈角星の斉藤嘉一郎社長は「こんなに早く完売するとは思ってもみなかった。取り組みに共感していただけたのだと思う」と感謝し、小野健商店の小野寺健藏社長も「皆さんからの応援は大変うれしく、ありがたい」と喜んでいる。〉

この金庫貯蔵酒の企画は、金庫で貯蔵というものめずらしさをはじめ、いろんな情報というか知恵がつまっていますね。

角星店舗と小野健商店土蔵はいずれも国の登録有形文化財です。震災で被災しましたが気仙沼風待ち復興検討会の修復対象となったこともあり、現在の姿に再建されました。今回、消費税および特典の送料を除いた金額の5%が同検討会に寄付されるというのも、そうした経緯からです。

私は特別金庫貯蔵酒の特別サイトにも感心しました。小野健商店土蔵の堂々たる姿やストーリーをわかりやすく伝えてくれました。

そして、この「藏」のパッケージをはじめ、一連のデザインを担当したのはグラッフィクデザイナーの志田淳(しだあつし)さんです。ラヂオ気仙沼でパーソナリティもつとめています。志田さんは2月11日につぎのようにツイートしていました。



2枚目の画像はオーナー特典のひとつの手ぬぐいです。下部のパターンは土蔵外壁の海鼠壁(なまこかべ)からでしょう。

角星と小野健の屋号の間にあるのは蔵戸の鍵ですよね。金庫の鍵を持つ人のイメージからオーナー権のシンボルかな。私は江戸趣味の判じ絵てぬぐいを連想しました。鎌と輪の絵に平仮名のぬで〈かまわぬ〉と読ませるみたいな。そうした歴史と遊びを感じさせる上手なデザインというか意匠です。

「藏」の文字はどのように用意したものか。こうした書のプロにお願いしたのか。自分で描いたのかもしれません。費用のことなどもありますしいろいろと大変です。

こうしたグラフィックデザインのほか、文章まわり、ウェブサイトなどもあります。それぞれのプロの仕事です。気仙沼ビズ(気仙沼ビジネスサポートセンター)センター長の吉澤貴幸さんの支援、指導などもあってのことかと。メディア対応などもありますしね。

このプロジェクトの成功で、小野健さんの土蔵が文字通りの酒蔵になる日も近いかもしれません(てなことはないでしょうw)。

入庫式は3月15日。出庫式は来年の3月15日とのこと。貯蔵酒オーナーの方々はこの1年間、金庫内での熟成を楽しみにすることができますね。

2月15日ブログ「金庫貯蔵の特別酒」

 

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tag : 小野健商店角星気仙沼ビズ

唐桑の「一丸」さん

2月18日のブログでは、NHK Eテレ「Zの選択」で21歳の漁師、紺野岬さんの気仙沼弁を紹介しました。

2月18日ブログ「岬さんの気仙沼弁」

その中で、気仙沼市内と思われるスナックで、唐桑の第18一丸(かずまる)佐々木夫一(ゆういち)さんが岬さんに語った言葉も紹介しました。〈ぐれでみろ。グレコローマンスタイルになればいい〉と。

そしてこの2月18日には、@kaku_q さんが、つぎの佐々木さんに関する記事をツイートしていました。kaku_qさんは唐桑町鮪立出身です。


この記事は一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンさんの「トリトンジョブ」に2020年10月1日に掲載されたもの。「一丸(かずまる)」さんこと佐々木夫一さんの人となりがうまくまとめられていますね。取材・写真は三浦尚子さん。

記事のなかに、一丸さんの漁のサイクルが紹介されていました。〈1月から2月は刺し網漁で鱈、3月から4月はイサダ漁。5月からは次の漁の大目流し網漁の準備に入り、6月から12月まで"突きん棒漁"と"大目流し網漁"と呼ばれる漁法でカジキやサメを狙います〉と。なるほど。

2018年のブログで佐々木さんを紹介したことがあります。

2018年9月13日ブログ「メカジキ突きん棒」

このなかで私は、つぎのように書きました。

〈佐々木夫一さんの船は、第18一丸(かずまる)。佐々木さんは、唐桑を拠点とする社団法人まるオフィスをはじめ様々なまちづくり活動にも協力し、気仙沼の漁師の世界を多くの人に伝えてくれています。東京でのトークイベントにも登場したことがあるはずです。私はテレビ番組を通じて、佐々木さんの姿を何度か拝見しています。いつもざっくばらんな語り口で、漁業の面白さや素晴らしさとともに、危険と隣り合わせの仕事の厳しさを語っていました。

数年前の番組では、たしか唐桑地区でのまるオフィスが催したイベントだったと思うのですが、魚介類のバーベキューだったかを楽しく終えたあとの佐々木さんが強く印象に残りました。道具の始末などの後片付けがなってないと強くスタッフをしかったのです。面白い話などでその場をもりあげるのも上手そうな佐々木さんが見せた厳しい一面でした。それを見て、なかなかの方だなと感じました。〉

〈なかなかの方〉などと、ナマイキな書き方をしていましたね。

佐々木さんはいま71か72歳でしょう。岬さんのお父さん幸一さんは61か62歳ですから、10歳ほど年上。

そんなことを考えると、Zの選択でのスナックの場面で佐々木さんと幸一さん、岬さんはどんな話をしていたのか想像がふくらみます。

佐々木さんは父親の幸一さんが息子になかなか言えないことなども、あのざっくばらんな調子で岬さんに話していたのではないかと思うのです。それが、一丸/佐々木さんの〈グレコローマンスタイル〉なのではないかとも。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐々木夫一一丸

岬さんの気仙沼弁

1月19日のNHK Eテレ「Zの選択」は「地元で働く理由」をテーマに、気仙沼の紺野岬さん(21)と鈴木麻莉夏さん(24)を取り上げていました。ご覧になった方も多いことでしょう。2月9日には再放送もありました。

本日は、この番組のなかでの紺野岬さんの言葉を紹介します。その気仙沼弁(気仙沼方言)が強く印象に残ったのです。

◎むがしのうだはいいよなあ

岬さんは、藤あや子さんの「こころ酒」を聞きながら、「むがしのうだはいいよなあ」などと言って車を運転しています。

岬さんは15歳で漁師に。それから5年たちました。同世代の人で、同じような漁師をやる人はいないのかと問われたのでしょう、つぎのように答えます。

〈20代でやってんの俺ぐらいでねえのがな。なして、だって、俺(がひとりで)やるごろなったら、みんないねぐなってっかもしんねべしさ。言ってわるいんけんとも、父ちゃんと同い年くれのひどだぢだの。どうすんのっさ。〉

漁を引き継いでくれる仲間はまだいないといいます。そしてテロップに「#Z世代に言いたいこと」と示されました。


岬さん
NHK放送画面より


岬さんはつぎのように語ります。

〈みんなちゃらっちゃらしてるね。どうすんだい、耳さ穴あげだり、ベロさ穴あげでピアスつげだり、こばがくせえごどばっかりして。なんなんだ今のひとだぢ(笑)。俺も今の人だじだけんと。〉

そして(かかっている歌を聞きながら)〈鳥羽一郎はいいねえ。最高だ。最高だ。ま、鳥羽一郎だな。〉

一方、岬さんの父、幸一さんは番組冒頭でつぎのように語っていました。

〈なんでまだ岬を見つけだのや。見つけんつもいいがら。めんどくせね。まあ、おめだづのあいでなんかしでられねえんだ。〉

NHKさんも、よくもまあ息子を見つけてきて、こうして熱心に取材をしているよね。自分たちは漁をしなければならないので、お前さんたちの相手にはあまりなれないけれど、そこんとこよろしく、という感じでしょうか。

気仙沼市内と思われるスナックの場面もありました。父の幸一さんとも親しいのでしょう、唐桑の第18一丸(かずまる)佐々木夫一(ゆういち)さんが岬さんに言うのです。

〈ぐれでみろ。グレコローマンスタイルになればいい〉と。

岬さんに、あまりいろんなことに気をつかわず、好きにやればいいっちゃといったことだったのではないかと。

岬さんらの言葉は以上です。こうして気仙沼弁での言葉を文字にした文章を他地域の人が読むとどんな感じなのかなあ。

しかし気仙沼の人ならば、地元のイントネーションに脳内変換して読んでいただけるのではないでしょうか。

そもそも、岬さんも幸一さんも佐々木さんも、言葉が気仙沼弁ということはもちろんなのですが、なんというか思考というか話す内容/メッセージそのものが気仙沼弁というか気仙沼的なのではないかと。そこが私のツボにはまったようです。

東北の人が寡黙だとか、その寡黙さに秘められた熱い思いみたいなことが語られたり書かれたりしますが、少なくとも気仙沼の人はちょっと違うよね。

この放送のなかでの岬さんも饒舌(じょうぜつ)ですし、私の知る気仙沼の人もその感情表現が実に豊かです。

私の妻も気仙沼出身です。南町育ちなのですが、会話のなかで〈気仙沼ならこう言うよね〉ということで気仙沼弁を披露してくれます。とてもうまい、というか、気仙沼の言葉でなければ伝わらないニュアンスとかメッセージをそこに感じるのです。これは気仙沼に限らずほかの地方でも同じでしょうが。

(私の両親は新潟生まれ。父は新発田、母は柏崎。そんなことでネイティブではありませんから、私が気仙沼弁っぽく話しても、すぐに修正されるのです)

◎漁師のハンモック

画面にうつる岬さんと幸一さんの船「第57千鳥丸」は気仙沼のどこの船なのだろう。映像のなかにあった「漁師のハンモック」をヒントに調べてみたらすぐにわかりました。

気仙沼市本吉町の大谷(おおや)です。毎日新聞の配信記事によれば、東日本大震災の津波で漁船「第38千鳥丸」、そして自宅や漁具も流され、避難した寺で仲間と漁網を使った「漁師のハンモック」をつくっていたといいます。震災当時、岬さんは小学5年生でした。

毎日新聞2021年11月6日配信記事(有料)

毎日新聞2021年11月6日配信写真(無料)

この毎日新聞の配信記事は有料になりますが、配信写真18画像は無料で見ることができます。小学生のころの岬さんや、成人式を迎えスーツ姿で幸一さんとうつる写真なども。

本日のブログは当初、方言サミット気仙沼大会の内容を踏まえ、気仙沼弁(気仙沼方言)の音声を記録することの難しさや意義について記そうと思っていたのです。しかし、こうして紺野さん親子の東日本大震災経験を知ってちょっと方向を変えました。

もうすぐ東日本大震災から11年。1月19日の「Zの選択」は、震災を経験した紺野岬さんと鈴木麻莉夏さんの〈地元で働く理由〉を深くとらえていたように思います。

NHKさん、ありがとうございました。

1月18日ブログ「地元で働く理由」

 

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tag : Zの選択

俺たちの北条泰時

2月16日、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第5次出演者発表がありました。なんとその一人が「おかえりモネ」で菅波先生を演じた坂口健太郎さんとのこと。


坂口さんは、小栗旬さんが演じる北条義時の長男である北条泰時(やすとき)となります。大河ドラマ初出演とのこと。

上記のNHKツイッターには、泰時は〈義時の最愛の息子。第三代執権にして日本史上屈指の名宰相〉であると。

気仙沼の人にとって、菅波先生/坂口健太郎さんはとても親しい〈間柄〉です。そのドラマ登場がいつの放送回になるのかわかりませんが楽しみですね。

1月24日のブログでは、中村獅童さん演じる梶原景時(かげとき)の兄が、気仙沼市唐桑町の早馬神社を創建したとことを紹介しました。その景時は、2月13日放送回に登場してとても微妙の振る舞いを見せていましたね。この後の展開が楽しみ。

もうひとつ、気仙沼にさまざまな伝説が残る源義経(役者は菅田将暉さん)の本格的な登場はいつなのか。そろそろかな。

なお、昨日の発表によれば、義時の弟、北条時房を瀬戸康史さん、義時の正室である比奈(ひな)を堀田真由さんがそれぞれ演じます。第5次出演者発表は昨日に続いて本日もおこなわれ、八田知家、源実朝、後鳥羽上皇などのキャストが明らかにされるようです。結構、気を持たせます。

〈俺たちの菅波〉こと坂口健太郎さん演じる北条泰時の登場が楽しみです。

1月24日ブログ「鎌倉殿の13人」

 

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tag : 鎌倉殿の13人人おかえりモネ

「海神様」とコロナ

気仙沼版「なまはげ」ともいわれる「海神様」が新型コロナ対応で今年の各所訪問を見合わせることにしたそうです。昨年も同様の対応でしたから2年連続となります。三陸新報2月13日の記事を紹介します。


海神様

三陸新報2月13日記事の一部イメージ


この海神様は、1987年に始まりました。今年は36回目にあたるということです。この海神様の活動は市民有志による「甚六鬼の会」によるもので、現在の代表は鈴木賢司さんです。

記事によれば、昨年同様、実施予定日だった2月19日に五十鈴神社で関係者のみの神事をおこない、新型コロナの早期終息などを祈願するとのこと。

記事に同級生の名がありました。一昨年の訪問先には「海神」木札などを郵送で配るそうなのですが、これは書家の武山櫻子(おうし)さん(3年9組)の揮毫(きごう)によるもの。

この武山さんのお手伝いは、海神様を創始した3人のうちのひとりコヤマ菓子店/小山隆市君との縁によるものでしょう。長年のお手伝い、ご苦労さまです。

記事の末尾に、木札の配布を希望する方への連絡先電話番号が記してありました。希望者は2月13日の三陸新報2面の記事をご覧ください。

鈴木さんはじめ、メンバーの皆さんは、今年こそはと思っていたことでしょう。残念なことではありますが、しかたなし。来年の海神様の訪問をどうぞお待ちください。

甚六鬼の会の皆さま、毎年ありがとうございます。訪問はなしとなりましたが、今年もいろいろと、どうぞよろしくお願いいたします。

昨年の「海神様」についてはつぎのブログにて。

2021年2月23日ブログ「海神様の紙上参上」

 

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tag : 海神様

金庫貯蔵の特別酒

気仙沼市魚町の酒造会社「角星」さんと南町の魚問屋「小野健商店」さんの共同プロジェクトによる日本酒が限定販売されるそうです。2月11日の三陸新報が伝えています。


金庫貯蔵
三陸新報2月11日記事の一部イメージ


この限定販売される純米大吟醸酒の名は「特別金庫貯蔵 水鳥記『藏』」。小野健商店の土蔵に備えられた金庫に1年間貯蔵し熟成させるそうです。

記事によれば、土蔵の利活用策を模索していた同商店の小野寺健藏社長が、角星の斉藤嘉一郎社長に提案し実現しました。両者の橋渡しは、気仙沼ビジネスサポートセンター(気仙沼ビズ)とのこと。

商品は120本限定で、3月15日に入庫して来年3月に取り出すそうです。昨日2月14日から購入希望者へのオーナー権(1本4200円・税込)販売が開始されました。詳細は末尾に記載のサイトをご覧ください。

小野健商店さんの土蔵は国の登録有形文化財に指定されています。東日本大震災で被災した土蔵が、風待ち(かざまち)復興検討会などの努力により再建されたことは皆さんご存じのとおりです。そして、この限定酒の売り上げの一部は、文化財保護のために風待ち復興検討会に寄付されるとのことです。

風待ち復興検討会が、津波で被災した大正~昭和初期の建造物を官民協働で修復・復元したのは、角星店舗、男山本店、武山米店店舗、三事堂ささき店舗及び住宅、小野健商店土蔵、千田家住宅の6件です。この6件のうちの角星さんと小野健さんが協力しての今回の企画です。

2021年12月8日ブログ「風待ち復興検討会」

なお、この角星と小野健の共同プロジェクトについては、昨日2月14日の河北新報も記事を配信しています。こちらもどうぞご覧くだし。

河北新報2月14日配信記事

酒蔵から出た酒が、健藏さんの土蔵の金庫に貯蔵されます。酒蔵から健藏/土蔵/貯蔵。まさに蔵づくし。来年3月の蔵出しが楽しみです。なんつって。

角星さんは、カネシメイチ小山容子さん(3年5組)の実家。嘉一郎社長は弟さんです。そういう意味でも、どうぞよろしく。

角星/水鳥記「藏」特設ページ

 

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豊かなローカルへ

本日は3月11日に発刊される書籍の紹介です。「気仙沼 復興を超えて世界とつながる豊かなローカルへ~自治体とシンクタンクが歩んだ10年~」。同書は、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社(MURC)と気仙沼市が、東日本大震災からの復興への取り組みを機に共に歩んだ10年間の記録です。




・著者:三菱UFJリサーチ&コンサルティング、宮城県気仙沼市 編著
・発行:株式会社マイティブック
・発行年月:2022年3月
・価格:定価1,980円(本体1,800円+税10%)


三菱UFJリサーチ&コンサルティング(MURC)さんは、三菱UFJフィナンシャル・グループのシンクタンク・コンサルティングファーム。同社は、震災復興計画の策定をはじめ、気仙沼を支援する企業の会である「ゴーヘイ!気仙沼の会」の実行委員会事務局としてその運営を担うなど、10年以上にわたり市の復興に〈伴走〉してくださっています。

このブログで、同社を紹介したことがあります。2019年に発刊された気仙沼市「東日本大震災 災害対応記録集」の編集を受託したのが同社でした。この記録集には気中同級生の文章が掲載されています。林(奥玉)小春さん(3年2組)、小山謙一君(9組)、臼井真人君(2組)の3人です。

2019年8月21日ブログ「災害対応記録集」
2019年8月23日ブログ「同級生の震災記録」

震災後、気仙沼市はMURCをはじめとするシンクタンクやコンサルティング企業の多大なご支援を受けています。そうした民間のシンクタンクなどと自治体の協働というのは、意思決定のしかたも組織としての文化や行動様式も大きく異なっていますから、けっしてたやすいことではないでしょう。

そうした様々な、ある種のハードルをいろいろと越えながらの10年。本書は、その歩みの記録として、これからの自治体とシンクタンク/コンサル企業の協働について多くの示唆に満ちているはずです。書名にある「復興を超えて世界とつながる豊かなローカルへ」というメッセージは、気仙沼市とMURCの協働にあたっての目標のひとつだったのではないかと。

三菱UFJリサーチ&コンサルティングさんに、心からの御礼を。長年のご支援、ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

同書発刊日は2022年3月11日。東日本大震災から11年。同書表紙のシルエットは、気仙沼市復興祈念公園「伝承彫刻」のひとつです。


Amazonで現在予約受付中。



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唐桑カンカン焼き

本日紹介するのは、イラストレーターの小池アミイゴさんのツイートです。小池さんと気仙沼/唐桑の関わりについてはのちほど。


プランタンは、気仙沼市唐桑町宿浦にある古民家を利用した〈おうちカフェ〉とのこと。花工房 non noを併設しています。

唐桑の牡蠣のカンカン焼き「からかんかん」については、つぎのFacebookで紹介されています。





パンフレットの画像を見ると、1セットの価格は時価ですが、参考価格3800円(送料別)。牡蠣15個、ホタテ2枚で、ホタテの出荷停止の際には牡蠣のみ20個に変更されます。手袋と牡蠣ナイフも付属。食べ方は、缶に大さじ1杯の水を入れて、コンロにのせて15分で蒸し焼きの完成です。

問い合わせなどはプランタンさんのFacebookをご覧ください。


5年前に小池さんと唐桑/プランタンとの関わりを紹介したことがありました。以下に再掲します。


2017年2月10日ブログ再掲

◎小池アミイゴさん

先日、妻が〈読みたい記事があって「暮らしの手帖」を買ったら、小池アミイゴさんの記事がのっていた〉と教えてくれました。アミイゴさんは、〈震災をきっかけに、東北をはじめ日本各地を歩き、その風景や土地に根ざした暮らしをテーマに描いている〉イラストレーターです。気仙沼にも数度訪れているはず。昨年8月の気仙沼市唐桑でのイベント〈気仙沼Tシャツ海岸in唐桑半島〉でも、〈小池アミイゴのだれでも絵がかけるワークショップ in唐桑〉も行われました。

「暮らしの手帖」最新2-3月号の記事は〈アミイゴさんの3・11〜6年間思いつづけた東北のこと〉と題され8頁にわたっています。誌面イメージを知って欲しく、7〜8pの見開きだけ紹介させてもらいます。左は唐桑の集落風景です。

暮らしの手帖

ほかの頁には、唐桑町鮪立(しびたち)を描いた絵も掲載されていました。地域の人の話と残された写真をもとに、震災前の風景を描いたそうです。その絵は、アミイゴさんのつぎのツイートでご覧いただけます。

小池アミイゴ @amigosairplane

編集部による文章のなかに、唐桑でのワークショップのことが記されていました。会場は、小山紀子さん一家が開く茶処「プランタン」で、2年ぶり2度目の開催だったそうです。記事のなかにはワークショップの様子と前日に滞在したユースホステルでの小さな宴のスナップも紹介されていました。そのどちらにもうつっている顔に見覚えがあるなと思いルーペでのぞいてみると、気仙沼高校の同級生で唐桑町観光協会会長もつとめる三上忠文君でした。

2011年3月11日以降の東日本を歩いて出会った景色や花や人の生活を描いた小池アミイゴさんの展覧会タイトルは「東日本」。その作品は、東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)のサイトでもご覧いただけます。是非ご覧ください。

TISサイト/小池アミイゴ「東日本」

何度も気仙沼をはじめ東北各地を訪れては、いろんな人と話をしながら、絵を描き続けている小池アミイゴさん。その絵のすばらしさはもちろんのこと、絵からはとてもやさしい視線とお人柄が伝わってきます。

アミイゴさん、いろいろとありがとうございます。心からお礼を申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

再掲内容は以上です。

小池さんが、こうして気仙沼/唐桑と長く関わってくださっていることを大変うれしく思っての〈からかんかん〉紹介でした。どうぞよろしく。
 

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tag : からかんかんプランタン

五大ニュース沿革

三陸新報1面コラム「萬有流転」、2月6日の話は「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」についてでした。

五大ニュース

三陸新報2月6日記事の一部イメージ


このなかに、おやっと思うことが記載されていました。三陸新報の記事ではこれまで、この「五大ニュース」は昭和20年に始まったとしていたのですが、どうも違うようです。

〈五大ニュース冊子「あゆみ」によると、1947(昭和22)年に、ニュースを募集したが発表できる応募がなく実質、翌年から選考が始まったという。ちなみにこの年の1位は「気仙沼漁港修築起工式」だった〉(引用は以上)

始まったのは昭和20年ではなくて昭和22年で、実質的には昭和23年/1948年からということなのですね。昭和23年から毎年の五大ニュースが続いているとすれば、2021年版は74回目という計算になります。

「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)を調べてみると、昭和22年/1947年12月「気仙沼町公民館行事として五大ニュース募集始まる」との事項掲載がありました。始まったものの、発表できるような応募がなかったわけですが。

萬有流転記事のなかにある、五大ニュース冊子「あゆみ」というのはどんなものなのでしょう。毎年発行されているのかどうか。記事に〈「あゆみ」は、気仙沼の歴史を知る貴重な資料となっている〉とあります。まさにそうだと思いますね。どんなものか見てみたいものです。

◎気仙沼公民館の「あゆみ」

ちょっとまぎらわしい話になりますが、「気仙沼文化史年表」の引用文献中に、「公民館 40年のあゆみ」(気仙沼市公民館)昭和62年」「「公民館 50年のあゆみ」(気仙沼市公民館)平成9年」があげられていました。10年ごとに発行されているのでしょうか。そうであれば、平成29年には「70年のあゆみ」が発行されているかもしれませんね。

気仙沼の公民館はいつできたのか。「気仙沼文化史年表」には、昭和22年(1947年)5月13日 「気仙沼公民館開館 館長は宮井町長兼務 町民により運営する」とありました。

なるほど、公民館が開館した年に五大ニュースの募集を始めたということなのか。〈町民により運営する〉ということから推測すると、町民が選ぶ五大ニュース的な企画だったかもしれません。それが、今の〈あなたが選ぶ〉五大ニュースにつながっているのかも。公民館の歴史と共にあゆんだ「五大ニュース」ということですね。

気仙沼町の公民館は1947年5月開館。町から市になり合併もあって、各所に公民館ができました。そんなこんなみんなひっくるめてことし5月で75周年ということで。どうぞよろしく。
 

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論説 港町ブルース

「港町ブルース」歌碑の再設置について、2月4日と7日の2回にわたって紹介してきました。本日はその3回目。2月1日の三陸新報〈論説〉を紹介します。


歌碑の論説

三陸新報2月1日記事の一部イメージ


見出しは〈「港町ブルース」歌碑活用で盛り上げを〉です。細かな内容は省略しますが、前半では歌碑建立の経緯や、再設置の概要がまとめられています。〈内湾エリアへの誘客ツール、復興のシンボルとして期待が集まる〉とも。

既にお伝えしたように、新しい設置場所は港町の「かもめ食堂」向かい側の岸壁です。土台を新調し、歌碑は当時のものを使用するそうです。記事のなかに、再設置される歌碑の曲再生は押しボタン式になるとありました。

曲はイントロと「気仙沼」の歌詞が入っている2番を流すということですが、1番は省略でしょうか。著作権管理者との調整が必要かもしれませんね。以前は、歌碑に近づくとセンサーが反応し、森さんの歌が2番まで流れと記事にありました。

論説記事の後半に、提案的な内容が記されていましたので引用させていただきます。

〈昭和世代にはなじみの曲だが、どのくらいの人がこの歌を知っているのだろうか。当時の気仙沼の知名度を押し上げた名曲を、若い世代にも知ってもらいたいと思う。

提案だが、「港町ブルース」だけを歌って競い合う、若者限定のイベントを開いてはどうか。歌のうまい、下手は別として、SNSなどで発信力のある世代を巻き込み、地域おこしを図るのである。

歌詞にある「今日も汽笛が遠ざかる」港町で、多くの人たちが「港町ブルース」を響かせたら風情がある。別の企画でもいい。歌碑を復活させただけではもったいない。〉(引用は以上)

たしかに「港町ブルース」に対する反応には世代の違いがあるでしょうね。そうしたことを踏まえつつ、気仙沼のまちづくりや観光での活用に知恵を絞りましょうという呼びかけと理解しました。同感です。

記事に再設置工事は年度内の完了を見込んでいるとありました。3月末までということでしょう。ただし、お披露目は新年度になりそうだということです。

2月4日ブログ「ブルース碑 再設置」
2月7日ブログ「港町ブルース物語」
 

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tag : 港町ブルース歌碑

馬籠「FOR REST」

インプレックス株式会社が、旧馬籠(まごめ)小学校を改修して工場として利用することについては、このブログでも何度か紹介しました。1月6日ブログでは、同社の稲葉斡也社長が旧校舎施設の利活用のために別会社「馬籠フォレスト」を設立したことなども。

1月6日ブログ「IMPREX稼働間近」

稲葉社長は、この別会社設立によって、ビッグバンドや音楽フェスティバルほか、プロによる演奏指導や合宿所など、音楽活動の支援をおこなっていきたいと。

1月25日の三陸新報に、この馬籠フォレストの別の話が紹介されていました。旧馬籠小学校のなかに儲けた交流の場に薪ストーブを設置したとのこと。

1:25馬籠フォレスト

三陸新報1月25日記事の一部イメージ


写真の左から2人目が稲葉さん。ストーブ設置初日には、地域住民を招いたお披露目会を予定していたそうですが、新型コロナの感染拡大を受けて、急遽とりやめとしたそうです。これは稲葉さんも残念だったことでしょう。

住民向けのお披露目会、そして来月に予定した工場見学会は、新型コロナの感染状況をみて再度企画することにしているそうです。

記事に稲葉さんの言葉が紹介されていました。

「魚町の出身なので気仙沼に海のイメージを抱いていたが、山、特に馬籠は素晴らしい場所。魅力を知ってもらうためストーブを手始めに、地域内外の人が集い、交流できる機会をつくっていきたい」と。

この稲葉さんの気持ちはよくわかります。稲葉さんの実家は、佐々木徹君(3年1組)の食料品店の左の坂を少しのぼったところにありました。今でいえば、気仙沼市復興祈念公園の下側にあたります。そんな場所ですから、実家からは内湾がちょうといい感じでながめられたことでしょう。だから、気仙沼は〈海のイメージ〉だったと。

◎フォレストに隠された意味

「馬籠フォレスト」という社名はとてもいいネーミングですね。FORESTの意味はまず、森林とか森林地帯という意味でしょう。

これに加えて私は、この名に「FOR REST」が隠されているのではないかと。つまり「休息のための」という含意。豊かな緑に囲まれた馬籠と休息のイメージが重なります。

音楽すべてが休息になるかというと別の話もありそうですが、そこには工場における業務とはまったく違う時間が流れることでしょう。そして、薪ストーブ。これはもうなんというかRESTの世界ですね。気中20回生が通った気仙沼小学校の薪ストーブとは違います。

これは稲葉さん自身が名付けたのでしょうね。「インプレックス」は私が依頼されてのネーミングでした。ロゴのデザインとともに。

あとで稲葉さんに名称に込めた意図を聞いてみましょう。どうして私にネーミングを頼まなかったのか、その理由も。

答は想像がつきます。「だって、オダさんに頼むと高いんだもん」。

まあね。いいものは高い。そういうことでどうぞよろしく。
 

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港町ブルース物語

2月4日のブログ「ブルース碑 再設置」で、港町ブルースの歌碑に関する2つの記事を再掲しました。本日は2021年2月19日ブログの再掲という形で港町ブルースに関する過去記事2つを紹介します。

2021年2月19日ブログ再掲

港町ブルース物語

1つ目は2016年5月10日ブログ「港町ブルース逸話」です。先日のブログ末尾にリンクを貼っておいた同年5月9日「港町ブルース歌碑」翌日のブログ。つまり、5月9日から11日まで3回連続で港町ブルースのことを書いたことになります。

◎港町ブルース逸話
2016年5月10日ブログ

きのう(2016年)5月9日のブログで〈港町ブルース歌碑〉のことを書きましたが、本日はその続きということで、この曲をめぐるいくつかの逸話(いつわ)、エピソードを。まずは2011年10月の朝日新聞記事。


朝日新聞

朝日新聞2011年10月22日配信記事より(画像クリックで記事にジャンプ)


森さんが2000年10月9日の歌碑除幕式に列席されたことは昨日も書きましたが、震災後の2011年10月22日にも気仙沼を訪問してくれたのですね。朝日新聞によれば、雨の降るなか、津波で傾いた歌碑の前で150人ほどのファンに地元の人100人が加わり、〈港町ブルース〉を合唱したとのことです。森さんは震災後の5月にも気仙沼を訪れています。

つぎは作詞者の話。深津武志さんというお名前に聞き覚えがないなと思っていたのですが、ウィキペディアによれば雑誌『平凡』による歌募集への応募作なのですね。その歌詞をなかにし礼さんが補作しました。

そして、私が気仙沼高校3年になった1969年4月に森進一さんの〈港町ブルース〉がシングル・レコードとして発売されたのです。この曲は5週間にわたりオリコンチャートの第1位にランクされるなど、森さんのシングル盤では最高の100万枚をこえるいわゆるミリオンセラーとなりました(売上250万枚との報道もあるらしい)。同年開催の日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を、日本有線大賞では大賞をそれぞれ受賞しています。

また森さんは、震災の年2011年のNHK紅白歌合戦で、震災復興支援をテーマとして1969年以来42年ぶりに〈港町ブルース〉を歌いました。

歌碑の建立は「港町ブルース歌碑建立実行委員会」(委員長は当時の商工会議所会頭の臼井賢志さん)を中心とする地元有志によっておこなわれたそうです。なお、あのプロペラスクリューが印象的な歌碑のデザインは、気仙沼で美術家としても活動している常山俊明さんの作品です。常山さんは私たちより5学年下となります。

ウィキペディアの記述に、発売6年後1975年3月の面白いエピソードがありました。NHK放送開始50周年の記念式典がNHKホールで行われ、特別来賓として出席した昭和天皇・皇后両陛下を前に森さんが〈港町ブルース〉を披露したのですが、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2回繰り返して歌ってしまったというのです。森さんにとっても、2番最後の〈けっせんんっぬまぁ〜〜〉が、キメの歌詞として脳に刻みこまれていたのでしょう。

私にとっては、〈気仙沼〉が2度繰り返されたという、面白いというかほほえましい話なのですが、森さんご本人にとっては〈やってしまった〉感が強かったことでしょう。いまだに忘れられない〈港町ブルース〉だと思います。森さん、いろいろとありがとうございました。(再掲内容は以上)


2つ目の再掲記事は、翌日5月11日のもの。前日のブログを見た「(気中)31回生11組20番」さんのコメントを紹介しました。題して「思い出のブルース」。そこには私の知らなかったエピソードが記されていたのです。以下に再掲します。


◎思い出のブルース

2016年5月11日ブログ再掲

きのう5月10日のブログ「港町ブルース逸話」に、「(気中)31回生11組20番」さんからコメントを頂戴しました。それによれば、森進一さんが昭和天皇・皇后両陛下を前に〈港町ブルース〉を披露したときに、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2度繰り返してしまったというのは有名な話とのこと。以下にコメントを再録させてもらいます。  


・港町ブルースの思い出

こんにちは。 ご無沙汰しています。 2度繰り返したエピソードは有名ですよね。当時テレビで観ていて、2回歌った!と、びっくりした記憶があります。

このレコードは、初めて定価で買ったレコードで、5年の時だったと思います。定価と理(ことわり)を入れたのは、藤崎の催しで、ジュークボックスの払い下げのレコードを買ったのが初レコード購入だったからです。ちなみに購入したのは、ぴんからトリオの女のみちと、あのねのねの赤とんぼの唄です(笑)。1枚100円でした。

また、真偽は定かではありませんが、元歌詞は、宮古・釜石・大船渡だったのを、渡辺プロダクションとつながりを持つ土地の有力者が、気仙沼に換えさせた!と、父から聞いてます。

港町としての大船渡の知名度が、当時どういう位置付けかは判りませんが、1969年(昭和44年)の気仙沼港は、魚市場開設以来初の100億円を越え、サンマの水揚げも全国一をキープし(翌年花咲港に首位を譲りますが…)、少なくとも漁港としての格は気仙沼の方が上だったことを思えば、箔を付けるためのネタだった要素も否めませんが…?

レコードリリースが4月で、5月31日には、海難防止チャリティーショウにゲストで招かれ気中体育館で歌の披露もあったようです。(商工20年のあゆみ 昭和46年8月発刊より)

港町ブルースは、気仙沼に生まれ育ったことを、意識させてくれた唄だったように思います。(コメント引用は以上)

このコメントの中にある渡辺プロダクションとのつながりというのは、境和夫さんのことでしょう。気仙沼高校2回生ですので私たちの20年先輩にあたる方で、渡辺プロダクションの幹部だったと聞いています。

調べてみると、1975年から1981年までTBS系列で放送された渡辺プロダクション制作のテレビ番組「笑って笑って60分」のプロデューサーとして境和夫さんのお名前がありました。このバラエティ番組は、小松政夫さんと伊東四朗さんによるコント〈小松の親分さん〉でも有名ですね。ニンドスハッカッカ、ヒジリキホッキョッキョ(笑)。

コメントにあった歌詞の変更についての真偽について私はわかりません。しかし、森進一さんは渡辺プロダクションに所属していましたから、歌詞について境さんの意向が働いたというのもありうる話です。1969年5月の海難遺児救済チャリティーショーの開催やその後の気仙沼訪問なども境さんと森さんの関係があってのことかもしれませんね。

31回生さん、おかげさまで気仙沼と〈港町ブルース〉との関係について理解が深まったように思います。ありがとうございました。(再掲内容は以上)

ちょっと長くなりましたが、土日もあるから、ま、いいかと。私が「港町ブルース」について知っている、二、三の事柄ということで。今週はこれにて。

歌詞の補作をしてくださった、なかにし礼さんについての思い出話はまたあらためて。

再掲内容は以上です。

前回と今回の記事で、港町ブルースと気仙沼との関わりについて、その概略をご理解いただけると思います。

ちょっと長くなってしまいましたが、おつきあいいただき、ありがとうございました。

2月4日ブログ「ブルース碑 再設置」

 

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tag : 港町ブルース森進一

ブルース碑 再設置

ちょっと前の記事になりますが、1月21日の三陸新報に、港町ブルース歌碑の再設置に関する話が紹介されていました。

ブルース歌碑

三陸新報1月21日記事の一部イメージ


この歌碑の復活については、昨年2月13日にも同紙が報じていましたが、今回の記事で新たにわかったことがあります。設置場所が、関係者との協議の結果、港町の〈かもめ食堂〉向かい岸壁になったとのこと。

もうひとつ、土台は新造するが、花崗岩でつくられた歌碑やスクリュー型の装飾品などは以前のものを手直しして使うということ。昨年の三陸新報記事では、〈台座の上に歌碑を鎮座させる予定で、いかり、スクリューなどは設置しない方向〉と記されていたので、私はちょっと心配していました。

そのことを昨年2月16日のブログに記しております。参考までその記事を再掲します。


2021年2月16日ブログ再掲

◎ブルース歌碑再建

気仙沼の「港町ブルース」歌碑が再建されるそうです。2月13日の三陸新報記事で知りました。


港町ブルース
三陸新報2月13日記事の一部イメージ


「港町ブルース」の歌碑があったのは、南町海岸「港ふれあい公園」。私にとっては、〈エースポート脇の広場〉です。

近くに人が立つとメロディーが流れるこの歌碑は2000年10月に建立されました。しかし東日本大震災の津波で被災。現在は市の「クリーン・ヒル・センター」で保管されているそうです。

記事によれば、再建にあたっては台座の上に歌碑を鎮座させる予定で、いかりやスクリューなどは設置しない方向とのこと。

ありゃま。それでいいのかなあ。せっかくスクリューやいかりが残っているのだからそれを活かしての再建という考えもあるのではないかと。ステンレス製であれば磨けばいいし、記事にもある「内湾地区復活のシンボル」としての意味も明確になるのではないでしょうか。正直にいって、〈台座の上に歌碑を鎮座〉させるだけではちょっとつまらない。

記事にはありませんが、あの歌碑の作者は弁天町〈ヤマヨ常山商店〉の常山俊明さん。お会いしたことはないのですが、常山さんは家業のかたわら絵画などの作家活動もしているはずです。

この再建にあたって、常山さんに相談しているのでしょうか。私は、この歌碑が常山さんの〈作品〉だからスクリューなども活かすべきだと言っているのではありません。それらを活かしてこその〈再建〉だろうし、残ったものを作家自身が再構成してもよいでしょう。

記事には、再建費用には東日本大震災復興支援寄付基金繰入金を活用する計画で、開会中の市議会2月定例会に設置費用を提案しているとありました。費用ほかいろいろなことがあるとは思いますが、〈原型復旧〉の方向もご検討いただきたく。

なお、2016年5月のブログで、被災した歌碑のことを書いております。

このほかにも「港町ブルース」にまつわる話を書いているのですが、あらためて紹介することにいたします。

2016年5月9日ブログ「港町ブルース歌碑」

 
再掲内容は以上です。この昨年のブログでは末尾に2016年5月9日ブログのリンクもはっておきました。金曜日ということで、その記事も再掲しておきましょう。ついでということで。


2016年5月9日ブログ再掲

◎港町ブルース歌碑

ゴールデンウィークも終了し、またいつもの一週間が始まりました。本日紹介するのは、3月19日の三陸新報シリーズ記事「あの日のまま」の写真。


ブルース
三陸新報2016年3月19日記事「あの日のまま」より


気仙沼内湾にある巡航船発着所〈エースポート〉の広場にある〈港町ブルース〉歌碑の現在の姿です。なんとか流出を免れていたのですね(それとも、流れたのをここに戻したのか)。

『気仙沼文化史年表』には、〈平成12(2000)年10月9日 南町海岸「港ふれあい公園」に森進一を迎え、「港町ブルース歌碑」の除幕式〉との記載がありました。16年前、森さんご本人が来市されたのです。

あの広場は〈港ふれあい公園〉だったのか。たしか、歌碑に人が近づくと〈港町ブルース〉のメロディーが流れたはず。森さんの歌だったと思いますが、記憶に自信がありません。

正直な話、私はこの歌碑があまり好きではなかった。気仙沼にお出かけいただいた観光客の皆さんに向けたものであることはわかるのですが、港町ブルースの歌詞に気仙沼が入っていることを誇ってどうするんだと。

いまはどうですかと問われれば、よろしいんじゃないでしょうか(笑)。私も流した涙の数だけ大人になって、世の中にはいろんなことがあるとわかるようになりました。ここはひとつ、みなさんご一緒に。

流す涙で割る酒は
だました男の味がする
あなたの影をひきずりながら
港、宮古 釜石 気仙沼

作詞:深津武志(補作:なかにし礼)
作曲:猪俣公章

三陸新報の記事には、防潮堤建設の関係でこの歌碑の移転保存が検討されているとありました。きれいに直すのか、被災の姿を残すのか。これはこれで悩むところで、さまざまな考えがあると思いますが、この歌碑に大津波の記憶がしっかりと刻みこまれていることは間違いないでしょう。

再掲内容は以上です。

このほか、〈港町ブルース〉について書いたブログがもっとあるのですが、またあらためて。さすがに長くなりすぎますので。

どうぞ良い週末をお過ごしください。今週はこれにて。
 

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tag : 港町ブルース森進一

五大ニュース2021

2021年の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」が2月1日に決定したそうです。きのう2月2日の三陸新報が紹介していました。

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三陸新報2月2日記事より


五大ニュースと記事本文にあった6〜10位を簡略にまとめるとつぎのようなことかと。

①「おかえりモネ」放送される
②新型コロナ感染拡大
③気仙沼湾横断橋など開通
④生鮮カツオ水揚げ25年連続日本一
⑤道の駅「大谷海岸」などオープン

⑥東日本大震災から10年
⑦オリパラへの在住者・出身者参加
⑧サケとサンマの3年連続大不漁
⑨気仙沼市復興祈念公園開園
⑩震災遺構・伝承館来館者15万人

私の予想は、①②③は当たりましたが、④⑤ははずれました。当方の④位は復興祈念公園開園、⑤位は中央公民館グランドオープンでした。

候補となった25項目についてはつぎのブログで紹介しております。

2021年12月29日ブログ「気仙沼の2021年」

2020年の「五大ニュース」得票ベスト10も参考まで。

◎参考:2020年の五大ニュース

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三陸新報2021年1月28日記事より


2020年も2021年も1位が「おかえりモネ」、2位が「新型コロナ」ということになったわけですね。

今年の五大ニュースはどうなるか。新型コロナはランク外となって欲しい。多くの人がそう願っていることでしょう。
 

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tag : 五大ニュース

方言サミット配信

文化庁主催の「危機的な状況にある言語・方言サミット」(以下、方言サミット)については、1月26日のブログでご紹介しました。

1月26日ブログ「震災地方言の危機」

このサミットは、1月29日(土)・30日(日)の2日間にわたって気仙沼中央公民館で開催される予定でした。しかし新型コロナ対応のために、会場に参集しての開催はとりやめ、オンライン配信のみの実施となりました。

初日29日の方言サミットについて、1月30日の三陸新報が紹介しています。


方言サミット
三陸新報1月30日記事の一部イメージ


私はオンライン配信の申し込みが間に合わず、サミット内容を見られないことを残念に思っておりました。しかし、サイトからの申し込みによって、1週間限定でアーカイブ映像の見逃し視聴ができることをお教えいただきました。本日はそのことをお伝えしたく。

方言サミットサイトの一番下、申込み方法に記されているURLが、今は「見逃し視聴」申込みフォームとなっています。つぎの赤字クリックでアクセスできます。氏名やメールアドレスなど簡単な項目に記入して送信すると、すぐに2日分の配信URLが表示されます。

方言サミット「見逃し視聴」申し込みフォーム


見逃し視聴は、1週間限定の公開ということです。

私はきのう、1月29日の基調講演を視聴しました。「東北方言の魅力を語る—気仙沼方言を通して」。講演者は東北大学大学院 文学研究科・文学部/方言研究センターの小林隆教授です。

映像開始1時間12分後ぐらいから約1時間のお話なのですが、実におもしろかった。そのなかで気仙沼方言の録音が紹介されるのですが、自然な気仙沼弁であることにおどろいた。調査研究対象として収録されたことを感じさせる固さ/不自然さがありませんでした。収録のテクニックがあるのでしょうね。

小林教授の伝えたかったことは、基調講演のテキスト資料が公開されていますので、これを見てもらえれば理解することができると思います。しかし、可能であれば収録方言の音声も聞いて欲しいなと。

小林隆教授基調講演テキスト資料

◎東北弁の話者は人間国宝

本日は、この方言サミット「見逃し視聴」の案内にとどめさせていただきますが、三陸新報記事の「東北弁話す人は“人間国宝”」という見出しについてだけ説明しておきましょう。

これは小林教授が基調講演で語った言葉です。資料には「東北方言は日本語の歴史の宝庫である」として、つぎのように記されています。

〈(万葉集や源氏物語など)古典文学の写本に国宝や重要文化財に指定されたものがあるのにならえば、東北方言の話し手のみなさんは、さしずめ人間国宝ということになるはずです〉

資料では東北方言としてありますが、基調講演で話された内容はそのほとんどが気仙沼方言です。そうした意味では、基調講演で紹介された気仙沼方言の話者はみな人間国宝でしょう。ホントすばらしい。

小林教授は、気仙沼方言を通して見た東北方言の魅力としてつぎの3点をあげています。

その1:東北方言は日本語の歴史の宝庫である。
その2:東北方言は気兼ねのいらない会話ができる。
その3:東北方言は感性豊かな表現が発達している。

ここでいう東北方言は、気仙沼方言/気仙沼弁として理解してもよいと思います。そのほうが小林教授の話の主旨に沿うのではないかと。

今日は、1月30日の協議「民話を通した方言継承の可能性」を視聴しようと思っています。佐藤千晶さんもパネリストのひとりです。

しかしこの方言サミットの見逃し視聴が1週間限定というのはもったいないなあ。せめてもう1週間延ばしてもらえるとより多くの人に見てもらえるのになと。

最後になりましたが、小林教授に御礼を。気仙沼方言に対するなんというか愛情があふれた興趣のつきないお話、本当にありがとうございました。出身者のひとりとして大変うれしく思いました。

どうぞ皆様、1週間限定の方言サミットアーカイブ、お見逃しのないように。まずは取り急ぎ。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 方言サミット

現人口6万151人

気仙沼市の昨年末現在の人口が6万151人だったそうです。昨年に比べて1294人の減少。1月28日の三陸新報が伝えてくれました。

人口記事

三陸新報1月28日記事の一部イメージ


記事によれば、気仙沼市の2021年12月末現在の人口(住民基本台帳ベース)は6万151人(男2万8143、女3万1008)です。

また、旧唐桑町、旧本吉町を含む現在の気仙沼市の人口(住民基本台帳ベース)は、1981年の9万3192人をピークに年々減少。1989年に9万人、2005年に8万人、東日本大震災後の2012年には7万人をそれぞれ割り込んだとのこと。

記事の見出しは「人口5万人台迫る」です。たしか似たような見出しの記事を見たなと思い調べたところ、昨年4月21日の三陸新報記事でした。その見出しは「来年にも5万人台か」。たしかに、この減少傾向からすると2022年中に5万人台になるのは間違いないでしょう。

この昨年の記事事は、つぎのブログで紹介しました。

2021年4月22日ブログ「人口減少止まらず」

この2021年4月21日の三陸新報記事と、今回の1月28日記事とで、ちょっと数字が違っているところがありました。

旧唐桑町、旧本吉町を含む気仙沼市の人口(住基ベース)がピークとなった1981年の人口について、前回記事では9万2千人としていましたが、今回は9万3192人となっています。

これはたぶん集計の仕方による違いなのでしょうね。1981年は唐桑町や本吉町との合併がまだですので、この9万人という数字もあくまで計算上の人口。各統計の基準の違いなどもあるでしょうから、なかなかやっかいなところです。

各町村との合併なしの人口ということでいうと、記事の表中にある「気仙沼」地区が、旧(本吉郡)気仙沼町エリアだと思いますので1万4318人ですね。

そして、1953(昭和28)年6月1日の合併/第1次市制施行時の各町村人口は、気仙沼町21784人、鹿折町8006人、松岩村5982人の計35722人です。

つまり、2万1784人−1万4318人=7466人。ということで、旧気仙沼町エリアでいえば、約70年で7466人減少という計算。

私たち気中20回生は1951年4月〜1952年3月の気仙沼町時代の生まれです。8割くらいが70歳になっているはず。そんな私たちが生まれた当時から7000人台の人口減少ということになります。ベースが2万人台ですから結構な減少数です。

ちょっと話が細かくなってきたので、この辺にしておきましょう。紹介した合併前の気仙沼の人口についてはつぎのブログで紹介しております。

2021年4月27日ブログ「合併前の人口推移」

それにしても、私が生まれたころの気仙沼町人口約2万人という数字にはちょっと驚きをおぼえます。そして、気仙沼小学校の児童数はざっくりと約3000人でした。いわゆるマンモス校。

そう考えると、たしかに魚町も南町も子供がたくさんいたように思います。人口密度というよりも子供密度が高かったのかもしれません。そんなことが、ちょっとなつかしく感じられます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 人口減少

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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