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「ブースター」完了

新型コロナワクチンの3回目接種、いわゆるブースター接種を1月28日に受けました。本日はその報告を。

私は1回目が5月末、2回目が6月中旬でした。本年2月から、65歳以上は2回目接種日から7か月経過した日から接種可能となりました。結構はやく済ませることができたのではないでしょうか。

私の場合の話となりますが、接種券の発送予定が事前にわかっていましたから、それが届く前に区のサイトにアクセスして予約完了。自治体によって違いがあるかもしれませんが、東京・世田谷区の例ということで。

当日の会場では、過去2回の接種でもそうでしたが、書類確認や場内誘導などに多くのスタッフが配置され、その丁寧な対応が印象に残りました。ご苦労さまです。

気仙沼市のサイトを見ると、65歳以上で2回目接種が昨年6月1日~7月1日の方の予約開始日時は、本日1月31日午前9時となっています。接種案内の送付は1月26日ということですから、すでに到着していることでしょう。接種日は2月5日以降です。


予約開始
気仙沼市サイトより


気仙沼市サイト/3回目接種の情報について


気中20回生はいま69〜70歳ということで、まぎれもない高齢者枠。いろいろと細かなことはあると思いますが、特段の問題がなければ3回目接種予約をお早めに。本日はそれをお伝えしたく。

3回目接種をおえての私の体調ですか。ちょっとブースター感があるかな(笑)。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 新型コロナワクチン

龍己さんの若い頃

1月17日の「徹子の部屋」をご覧になりましたでしょうか。藤竜也さんがゲストでした。昼間の番組ですから、私は録画して夜に拝見。その姿や話のすべてに、藤さんのお人柄がにじみ出て、とてもよかった。

スタジオに静かに座っている藤竜也さんを見ると、モネの祖父、永浦龍己(ながうらたつみ)さんのたたずまいが重なってきました。その奇妙な感じがまた楽しかった。本日は、その放送画面をいくつか紹介させてもらいます。

まずはオープニング画像から。デビュー当時の写真だと思います。60年前の写真とのこと。

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徹子さんとの話が始まりました。

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はじめはNHK「おかえりモネ」の話。そのなかで、「ただいま気仙沼」観光プロモーションのポスターも紹介してくださいました。本当にありがたいですね。

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藤さんは、牡蠣が大好き。しかし、撮影で気仙沼を訪れているときに生牡蠣は食べなかったそうです。スタッフから禁止されていたわけではないそうですが、暗黙というか、なんとなくというか、雰囲気で生牡蠣はやめておいたと。

私が感心したのは、その話をするときにも、たとえば〈牡蠣にあたる〉とか〈おなかをこわす〉といった類いのネガティブな言葉を使わないのです。しっかりと言葉を選んでいる感じがうかがえ、関係者に対する心遣いを感じました。

なお、撮影が終了してから、永浦家のモデルとなった牡蠣養殖のお家から、美味しい牡蠣を贈ってもらったとのこと。小松家/ヤマヨ水産さんでしょう。その話のとき、牡蠣の数を〈ダース〉といったあとに12コと言い換えました。ダースを使うところからも牡蠣好きがうかがえますね。

そして話は映画俳優としてのデビューしたころのことへ。オープニング時の写真と同時期と思われるつぎの写真が紹介されました。1962年にデビューとのこと。Wikipediaの記述を参考にすると、1962年の日活映画「望郷の海」だと思います。20〜21歳ということになります。

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つぎに紹介されたのは1977年、35歳のときに「徹子の部屋」に初出演した〈龍己さん〉。

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そしてその2年後。1979年、37歳。同じく「徹子の部屋」。

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私は35歳の藤竜也さんに、若い頃の龍己さんを感じました。ハイボールを片手に気仙沼の牡蠣養殖のいまを語る永浦龍己さん、35歳的な。

あれから45年。龍己さん、じゃなかった藤竜也さんは80歳になりました。もう一度、番組冒頭での竜也さんのたたずまいを。

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しぶいよね。しぶすぎる。日活のスター女優だった奥様、芦川いづみさんとの暮らしについてなど、紹介したい話がほかにもたくさんあるのですが省略させてもらいます。とてもよい感じのご夫婦のようです。かくありたしと。

徹子の部屋での龍己さんの話はここまで。最後に藤さんへの御礼を。

藤竜也さんのFacebookをご覧になったことがあるでしょうか。藤さんの個人事務所である藤竜也エージェンシーさんによるものと思うのですが、「おかえりモネ」に関する情報発信を熱心におこなってくれています。

そして藤さんのFacebookが、私のこのブログも何度も紹介してくださったのです。多くの方が読んでくれることはもちろんのこと、藤竜也さんが読んでくれていることを大変うれしく思ったものです。

この場を借りて、藤竜也さんはじめ関係者の皆さまにお礼を申し上げます。いつもありがとうございます。今後とも、気仙沼のこと、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年12月9日ブログ「ただいま、気仙沼」

 

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tag : 藤竜也おかえりモネ

名もなき震災遺構

本日紹介するのは、石橋英昭さんのツイートです。石橋さんは朝日新聞の編集委員で、Twitterのプロフィールには、〈2013年秋から、仙台を拠点に、津波の被災地を、東北のあちこちを歩き回っています〉と。これまで、気仙沼に関する記事もたびたびお書きになっていますので、ご存じの方も多いでしょう。

これが1月13日の石橋英昭さんのツイートです。


同日の配信記事「遺されしモノたち 震災で止まった時 探す旅」の紹介投稿で、写真は気仙沼大島の田中浜に打ち上げられた船/廃船です。この写真も記事も石橋英昭さんによるもの。

記事のリードを引用します。

〈東日本大震災から、もうすぐ11年。がれきはきれいに片付けられ、新しいまちや防潮堤ができ、傷痕は塗りつぶされた。それでも消し忘れたかのように、遺されてしまったモノたちがある。「名もなき震災遺構」を探し訪ねた。〉

はじめに紹介されるのは、宮城県山元町で津波をかぶりながらも残った2階建ての空き家です。持ち主は、〈かつての我が家がせめて草に埋もれないようにと〉時々手入れに行くそうです。

つぎに紹介されるのは、仙台市の蒲生干潟(がもうひがた)に流れ着いたコンテナ。仙台港から流失したものとのこと。コンテナの周辺は津波で水門が壊れ、周囲の竹林も流されて海水が混じり、干潟の一部をなすようになったそうです。震災後に防潮堤もつくられましたが、当初計画の位置を変更してもらうなどし、いまでは水辺の生き物たちが次々と戻ってきているとのこと。

◎大島/田中浜の廃船

そして最後に紹介されるのが、ツイートの写真にもある田中浜の廃船です。

記事には、田中浜で県外ナンバーの車が目立ち始めたのは、昨年夏のこととありました。これはNHKの朝ドラ「おかえりモネ」の舞台になったことによるもの。

石橋さんはつぎのように記しています。記事を引用します。

〈以前は船のことを気にとめる人は少なかった。

地元の区長、千葉敬(たかし)さん(70)によると、何度か役所に「片付けてほしい」と求めてきた。海岸を管理する県気仙沼土木事務所は、「所有者がわからない」と煮え切らない。そうこうするうち、「モネ」で有名になってしまった。

そんな経緯から、島の観光協会は「名所とはうたいにくい」という。区長の千葉さんは「今はなんとも言えないですな」と、苦笑いした。〉(引用は以上)

これらの〈名もなき 震災遺構〉はこれからどうなっていくのだろうか。田中浜の廃船の扱いもたしかに難しいよね。などと書きながら思いだしたことがあります。

気仙沼市がお伊勢浜海水浴場の被災水門を震災遺構として保存するという話をこのブログで紹介したことがありました。

2018年2月13日ブログ「被災水門保存異論」

県が管理していた用水路の出口にある「杉ノ下防潮水門」ですが、撤去をとりやめて気仙沼に移管することになったのです。ただし、市としては進入できないように柵を設定するなどするものの、保存のための処置は行わずに朽ちるままにするとのことでした。

詳細はブログをお読みいただきますが、そこで紹介した三陸新報記事の画像を再掲しておきます。


被災水門

三陸新報2018年2月8日記事の一部イメージ


三陸新報の記事ではこの水門には名前をつけていますね。「お伊勢浜被災水門」。

田中浜の廃船に名前をつけるとしたらどうするか。ふざけているのではありません。実際に大島の案内マップを作成する人などは悩むのではないかと。案外むずかしいですよ。〈モネの廃船〉と書くわけにもいかないだろうし。お伊勢浜の水門に準じて、田中浜被災廃船というあたりでしょうか。

名もなき震災遺構。私の頭のなかで、その朽ちていくイメージと記憶がとけていくイメージが重なりあいました。

最後になりましたが、石橋英昭さんに御礼を。田中浜の記事、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 田中浜おかえりモネ

震災地方言の危機

文化庁が主催する令和3年度「危機的な状況にある言語・方言サミット」が1月29日(土)・30日(日)の両日、気仙沼中央公民館で開催されます。「気仙沼さ来てけらいん」が詳しく紹介しています。



はじめにお伝えしておくと、この催しのオンライン参加申し込みはすでに終了しています。また、中央公民館での参加申し込みは本日1月26日までとなっております。詳細はサイトをご覧ください。

◎危機的な状況にある言語・方言

サミット名称にある「危機的な状況にある言語・方言」とは、〈危機的な状況にある言語としての方言〉ということではなく、「危機的な状況にある言語や方言」ということのようです。

このサミットは今回が6回目となります。これまでの開催経過はつぎのとおりです。

①平成27年度  沖縄大会
②平成28年度  奄美大会(与論)
③平成29年度  北海道大会
④平成30年度  宮古島大会
⑤令和元年度  奄美大会(奄美大島)
⑥令和2年度  気仙沼市での開催を予定していましたが、新型コロナ対応で中止
⑥令和3年度  気仙沼大会

はじめは、6回目がなんで気仙沼なのだろうと思いましたが、文化庁サイトの説明文を読んで、背景がわかりました。

このサミットがテーマ対象としている言語・方言には、大きく2つの種類があります。ひとつは、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が消滅の危機にあるとした日本国内の8方言。そしてもうひとつが、東日本大震災において危機的な状況が危惧される方言です。つまり、〈ユネスコ枠〉と〈被災地枠〉の言語・方言がテーマになっているといってよいでしょう。

これまでの5回はユネスコが消滅の危機にあるとしている国内8方言・言語に関係する地域でした。そして、今回の気仙沼での開催は被災地としてのものです。

◎ユネスコ認定/消滅の危機にある言語・方言

文化庁の関連サイトによれば、ユネスコが平成21年2月に発表した “Atlas of the World’s Languages in Danger”(第3版)には、世界で約2500に上る言語が消滅の危機にあるとして掲載されているそうです。

その中には日本国内の8言語・方言が含まれています。危機の度合い別の8言語・方言はつぎのとおりです。

【極めて深刻】アイヌ語
【重大な危機】八重山(やえやま)語(八重山方言)、与那国(よなぐに)語(与那国方言)
【危険】八丈語(八丈方言)、奄美語(奄美方言)、国頭(くにがみ)語(国頭方言)、沖縄語(沖縄方言)、宮古語(宮古方言)

なお、ユネスコでは「言語」と「方言」を区別せず,全て「言語」で統一しているそうです。〈〜語〉の後の( )内に〈〜方言〉と記してあるのはそのせいなのでしょう。

◎被災地の方言

プログラム内容を見ると、「気仙沼方言」のほかに「被災地方言」という言葉がありました。東日本大震災によって消滅の危機にある方言ということでしょうか。はじめて接する言葉でちょっととまどいをおぼえました。

文化庁では、平成23年度と24年度に委託事業として「東日本大震災において危機的な状況が危惧される方言の実態に関する調査研究」をおこなっています。サミット開催は、これらの成果も反映されているようです。

気仙沼の方言もその研究対象のひとつです。ちょっとのぞいてみましたが、発音とかアクセントとか、とても難しい内容でしたので詳細は略します。

◎佐藤千晶さんも登壇

気仙沼出身者として、サミット内容のなかに興味を引かれるプログラムがありました。ひとつは、1月29日14:15からの基調講演です。東北大学の小林隆教授による「東北方言の魅力を語る—気仙沼方言を通して」。気仙沼弁の魅力が、語られることでしょう。

もうひとつは、1月30日13:15からの協議「民話を通した方言継承の可能性」。パネリストのひとりがフリーアナウンサーで「みなと気仙沼大使」もつとめる佐藤千晶さんなのです。

千晶さんは文化放送の「走れ!歌謡曲」のパーソナリティをつとめていましたが、その中でたびたび気仙沼弁を紹介し話題になりましたね。また、NHKの朝ドラ「おかえりモネ」では、宮城の方言指導にもたずさわっています。そうした経験をふまえ、〈方言継承〉の可能性や方法などについて語ってくれると思います。

以上、サミット内容の紹介というよりも、〈危機的な状況にある言語・方言〉とは何かということについての話になってしまいました。

東日本大震災によって、「気仙沼方言がどのような危機に直面しているのかについては、正直なところよくわかりませんでした。それについては、土日のサミットでということかと。

(新型コロナのこともちょっと心配ですが、それはまた別の話ということで)

(1/27追記:この方言サミットは、コロナ感染症拡大防止のため、会場参加を取りやめ、オンライン参加のみとなったそうです。1月27日時点)

2021年6月30日ブログ「モネのなまり指導」
2021年5月4日ブログ 「モネ」の方言指導

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 方言気仙沼弁

早馬神社の800年

きのうのブログでは、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する梶原景時(かげとき)の兄、梶原景実が気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社を創建したということを紹介しました。

1月24日ブログ「鎌倉殿の13人」

本日は、この早馬神社の800年の歴史についてです。2019年10月3日ブログ「早馬神社の800年」を以下に再掲します。一部に2019年の年号表示を( )に入れて追加しております。


2019年10月3日ブログ再掲

◎早馬神社の800年

(2019年)9月29日の三陸新報に気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社の広告が掲載されていました。「早馬神社御鎮座八百年 奉祝記念事業完遂報告」。


早馬神社
三陸新報(2019年)9月29日掲載広告より


冒頭には早馬神社の由緒などが記されています。少し引用します。

「早馬神社は1219年、鎌倉武将 梶原景時(かげとき)の兄である梶原景実(かげざね)により創建されてから、御鎮座八百年の佳節を迎えました。衣食住の守護神の他、鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』には、初代、景実が源頼朝公の直々の命によって、ご夫人である北条政子の安産祈願を執り行う中、無事、男子(2代将軍源頼家公)を出産したことが記され、史実より今も多くの安産祈願・成長祈願の参拝者が訪れます。」(引用は以上)

ネットのWikipediaの「梶原氏」の説明文のなかにも、「唐桑梶原氏」の項目がありましたので引用します。

◎唐桑梶原氏
宮城県気仙沼市唐桑町。梶原姓が100軒を超える日本最大の梶原姓の集落。梶原景時の兄で、鶴岡八幡宮(鎌倉若宮)の臨時別当に就任した梶原専光坊景実(かげざね)が梶原一族の没落、和田氏、畠山氏の没落の後に鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指す途中、本吉高衡(藤原高衡)ゆかりの宮城県気仙沼市唐桑町石浜に土着した。景実は梶原一族の冥福を祈り、菩提を弔うため梶原堂(梶原神社)を建てた。のち一族の梶原景茂の子、大和守景永は景実の所在を尋ねてこの地に至り、景実の猶子となって神職となり早馬神社を創建した。以来33代、子孫が現在まで連綿と続いている。(Wikipedia引用は以上)


当代の梶原忠利宮司からさかのぼると鎌倉時代の梶原景実にいきつくということに驚きます。また景実が、鎌倉の鶴岡八幡宮の臨時別当をつとめていたことがあるというのも興味深い。

(2019年)10月6日(日)の八百年大祭における神輿渡御では、いかにも唐桑らしく船を用いての渡御がおこなわれます。宿浦港を出て鮪立(しびたち)港へ、そして小鯖(こさば)港に寄って宿浦に戻ります。また、奉納芸能もすばらしい。鮪立大漁唄込、宿(しゅく)打ち囃子獅子舞、松圃(まつばたけ)虎舞、崎浜大漁唄込と続きます。このように神社の祭に奉納される芸能こそがまさに「芸能」の名にふさわしいように思います。

早馬神社の8世紀にもわたる歴史のなかには、東日本大震災をはじめ多くの災難もあったことでしょう。そうした難局を、代々の神職はもちろんのこと、氏子をはじめ地域の皆さんの力でのりこえてきたに違いありません。このたびの拝殿屋根替えほかの八百年奉祝記念事業もその歴史のなかの一里塚となることでしょう。

そんなこんな、鎌倉時代から令和のいまに至る歴史に思いをはせつつ、早馬神社御鎮座八百年のお祝いを申し上げます。

(再掲内容は以上)

昨日のブログ内容と重なる部分もありますが、早馬神社800年と、その宮司として連綿と代を継いできた梶原家の歴史の一端ご理解いただけるのではないかと。また、同神社の長い歴史は唐桑という地域の歴史とも重なりあっており、そこに暮らす人々の誇りのひとつになっているのではないかとも。

なお、2019年10月3日のブログでは、2つの関連ブログのリンクを末尾に記しておりますのであらためて紹介します。

①詩人 梶原しげよ

気仙沼市唐桑出身の詩人、梶原しげよさんは現在の33代梶原忠利宮司の叔母さんにあたります。32代宮司 梶原重義さんの妹です。2017年9月にお披露目された梶原しげよギャラリーのことなどを紹介しています。

2017年9月8日ブログ「詩人 梶原しげよ」

②神様あそばせ

私たちの世代であれば、「神様あそばせ」という言葉ぐらいは知っていることでしょう。早馬神社における日籠(ひごもり)と神様遊ばせについてつぎのブログで紹介しました。

2016年2月16日ブログ「日篭・神様遊ばせ」

以上、2回にわたる早馬神社と「鎌倉殿の13人」に関しての話は一区切り。同ドラマに中村獅童さん演ずる梶原景時さんが登場するのを楽しみに待つことにいたしましょう。
 

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tag : 早馬神社梶原しげよ

「鎌倉殿の13人」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は1月9日が初回放送。きのう23日放送が3回目でした。このドラマ、なかなか面白いですね。初回は登場人物も多いのでなかなかストーリーが理解できませんでしたが、その後の〈学習〉で少しずつ面白さがわかってきました。

本日はこの鎌倉殿の13人のうちの1人が気仙沼と関係しているというお話です。まずは1月6日の三陸新報記事を紹介します。


早馬神社
三陸新報1月6日記事の一部イメージ


気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社を創建したのが、鎌倉殿の13人のひとり、梶原景時(かげとき)の兄である梶原景実(かげざね)/梶原専光坊僧正景実なのです。同神社サイトによれば、創建は建保五年(1217年)。

そして景実の創建以降、梶原家直系の子孫が代々の宮司をつとめ、現宮司の梶原忠利さんが第33代目となります。約800年の歴史となります。

なお、Wikipediaでは、建保五年に梶原景実が源頼朝、梶原景時、梶原景季を弔うための梶原神社(梶原堂)を創建し、その後、一族の梶原景茂の子である大和守景永が景実の後を慕って養子となり、早馬山頂に早馬神社を建てたとしています。ご参考まで。

また、同神社サイトに詳しく記されていますが、初代である梶原景実は源頼朝の直々の命により、夫人である北条政子の安産祈願を執り行い、無事安産にて男子(二代将軍源頼家)を出産したといいます。この史実により、早馬神社は安産・子育てに御利益があるとされているそうです。

話を大河ドラマに戻しましょう。同ドラマで梶原景時を演じるのは中村獅童さんです。参考まで記しておけば、源頼朝が大泉洋さん、北条政子は小池栄子さんです。源頼家は金子大地さん。

つまり俳優でいうと中村獅童さんのお兄さんが早馬神社を創建したということになります。参考まで、鎌倉殿の13人のキャストを紹介しておきます。中原親能以下4人については未発表です。

北条義時 (ほうじょう よしとき)/小栗旬
北条時政 (ほうじょう ときまさ)/坂東彌十郎
梶原景時 (かじわら かげとき)/中村獅童
比企能員 (ひき よしかず)/佐藤二朗
安達盛長 (あだち もりなが)/野添義弘
和田義盛 (わだ よしもり)/横田栄司
大江広元 (おおえ ひろもと)/栗原英雄
三善康信 (みよし やすのぶ)/小林隆
三浦義澄 (みうら よしずみ)/佐藤B作
中原親能 (なかはら ちかよし)
二階堂行政 (にかいどう ゆきまさ)
足立遠元 (あだち とおもと)
八田知家 (はった ともいえ)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には、菅田将暉(すだまさき)さん演じる源義経も登場します。気仙沼には皆さんもよく知る「義経伝説」もありますよね。これについてはあらためて紹介することにいたしましょう。

本日は、梶原景時(演者:中村獅童)のお兄さんが唐桑の早馬神社を創建したということのみお伝えしておきます。

2019年10月6日にとりおこなわれた早馬神社八百年大祭については明日あらためて紹介します。
 

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tag : 鎌倉殿の13人

気仙沼市の出生数

きのうのブログでは、気仙沼市に寄せられた「ふるさと納税」の寄付額が〈増加〉していることを紹介しました。本日はそれとは逆の〈減少〉の話です。気仙沼市の少子化が加速しており、昨年の出生数は213人だったというのです。1月15日の三陸新報が伝えています。

少子化
三陸新報1月15日記事の一部イメージ


記事によれば、この出生数は1965年以降で最小とのことです。掲載されているグラフを拡大してみましょう。


グラフ
三陸新報1月15日記事より


1965年以降、気仙沼市(旧唐桑町、本吉町含む)で生まれた子供の数は、1967年の1647人が最多です。2011年が409人ですので、10年間でほぼ半減しています。

記事では、出生数の減少の大きな要因として、子供を産む母親世代が少ないことに加え、高校卒業後に市外への流出が相次いでいることをあげています。

統計としての出生率は「合計特殊出生率」というものを使うそうなのですが、気仙沼市の合計特殊出生率は2019年が1.16で2020年が1.17。2019年は国、県平均をいずれも下回ったとしています。

厚生労働省のサイトによれば、合計特殊出生率とは「15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの」。一人の女性がその年齢別出生率で一生の間に生むとしたときの子どもの数に相当するそうです。

気仙沼市では、第2次総合計画で2026年の合計特殊出生率を1.60まで引き上げることを目標に、子育て環境の充実や若者のU・I・Jターンを促すための施策に取り組んでいると記事にありました。1.60というのは相当に高い目標ですね。

◎人口の減少

出生数の減少は人口の減少にも関係します。昨年4月のブログで三陸新報の「来年にも5万人台か」という見出しの記事を紹介しました。

2021年4月22日ブログ「人口減少止まらず」

このブログでは、2021年3月末現在の気仙沼市人口は6万925人で、ここ数年は年間1千人ペースで減っていることから、来年には5万人台になる可能性が高いという話を紹介しています。東日本大震災直前の2011年2月時点では7万4千人です。

ブログのなかで、2018年1月11日の三陸新報に紹介されていた人口推移グラフを紹介しました。これを再掲します。



三陸新報2018年1月11日記事より


少子化は気仙沼市に限らず国全体の大きな傾向です。そのことをわかってはいても、気仙沼市の昨年の出生数が213人と聞くとちょっとびっくり。その驚きをあなたにもということで紹介いたしました。今週はこれにて。
 

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tag : 少子化出生数

急伸 ふるさと納税

気仙沼市に寄せられた「ふるさと納税」の寄付額が本年度、はじめて10億円を突破したそうです。

これは昨年12月28日に市から発表されました。三陸新報でも記事として紹介していましたが、1月16日の一面〈ニュースを追って〉で詳しく伝えてくれました。守竜太さんの署名記事。


ふるさと納税

三陸新報1月16日記事の一部イメージ


記事によれば、ふるさと納税での寄付は12月26日に10億円を突破。年末の駆け込み申請でさらに伸び、12月末時点で13億1900万円に達したそうです。これは昨年度実績(4億5700万円)の2.8倍とのこと。

私がおどろいたのは、記事に掲載されていたつぎのグラフ。ふるさと納税寄付額の推移です。


グラフ
三陸新報1月16日記事より


2010年度に始まって、2019年度まで少しずつ伸びています。そして2020年度に前年から倍増。そして2021年度はさらにということが一目瞭然です。

記事によれば、返礼品の品数はこの1年で100以上増えて約600品になっているそうです。なお、市の財源となるのは寄付額の約半分。残りはサイト掲載料などの費用ですが、3割が返礼品の売上として事業者の収入になるそうです。

市としては今後、事業者説明会の回数を増やしてさらに返礼品の充実を図るほか、独自のポータルサイトの立ち上げを検討するとのことです。

記事の見出しに「寄付額の維持 拡大に注力」「透明性確保へ基金創設を」とありました。〈基金創設を〉というのは三陸新報としての提言ですね。現在も寄付金の使途として、事業ごとにどれくらいの額を充てたかを公表しているそうですが、ふるさと納税に限定した基金を創設して、さらに透明性の確保をと提案しています。

当ブログで気仙沼市のふるさと納税について紹介したのは、2016年10月10日の記事でした。ふるさと納税の業務をJTB西日本に委託するということを紹介しています。外部への委託はこれが初めてのことだったかと。同社のふるさと納税サイトは「ふるぽ」です。

2016年10月10日ブログ「新・ふるさと納税」

この時点での2016年度目標額は1億8千万円。それが今では10億円を超えたということですね。

最後に、昨年12月28日付けの気仙沼市記者会見資料から、ふるさと納税ポータルサイト一覧を紹介しておきます。右下が前述の「ふるぽ」ですね。最古参。5年を越えるおつきあいということでしょう。ありがとうございます。

リスト
気仙沼市12月28日付け記者会見資料より


最後に、この記者会見資料の末尾を紹介します。

「本市に寄附いただきました皆様には心より御礼申し上げます。頂いた寄附金は復興後の地方創生を進めるべく、まちづくり・産業の振興・教育の充実などに活用させて頂きます」

どうぞよろしく。
 

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tag : ふるさと納税

「72時間」トップ10

昨年末12月30日のNHK総合「ドキュメント72時間」はご覧になりましたか。恒例の年末スペシャル、2021年版でした。1年間の放送回から視聴者リクエスト・トップ10を一挙にアンコール放送。

私は、9月17日に放送された気仙沼魚市場前のサイシンさんの72時間がランクインしているのではないかと期待しておりました。放送当日の番組サイトも見たのですが、事前情報はなし。ということで6時間半すべての録画予約をして、番組冒頭だけでもと思い見始めました。



そして、まずは10位の発表。進行役の吹石一恵さんが、リストの一番下のシールをめくると、そこに現れたタイトルは「宮城・気仙沼 漁師たちの“コンビニ”」。

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トップ10にはいったうれしさと、10位だったかという残念な気持ちが交錯しました。それは、山田五郎さんも鈴木おさむさんも同様だったようです。山田さんは「えっ、もっと上だと思った」と。鈴木さんは「ベスト5とか」とまで言ってくださいました。ありがとうございます。

その後に番組が再放送開始。私はここで外出。ここからの話は録画を見てのことなのですが、番組放送が終わってからのエピソード紹介もよかった。

サイシンの72時間のなかに、インドネシアからの技能実習生であるアンドレ・ワヒューさんが、漁船の内部を紹介してくれる場面がありました。気仙沼の船ではなく、宮崎県日南市の「第78福徳丸」だと思います。

アンドレさんは、インドネシアに帰ったら新しい自分の仕事として魚釣りのための道具を売りたいと語っていました。

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そのアンドレさんは来日してから5年。技能実習期間は翌月で終了すると語っていました。つまり、現在はインドネシアに帰国しているのです。

そのアンドレさんがなんとオンラインでスタジオの3人とやりとりしてくれました。話のなかで、オンラインで釣り道具の店を始めるとも語ってくれました。すばらしい。その一方で、「できればまた日本で働きたいです」とも。

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トップ20すべての再放送をおえてのエンディングは、もちろん松崎ナオさんの「川べりの家」。歌い納めということでスタジオからフルコーラスを。歌声の背景として流れるフラッシュバック映像のなかには、アンドレさんの走る姿もありました。

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2021年は、「宮城・気仙沼 漁師たちの“コンビニ”」がトップ10入りということで、12月30日の放送は私にとってもスペシャルな72時間となりました。リクエストしてくださった多くの皆さま、ありがとうございました。

2021年9月16日ブログ 気仙沼の「72時間」

◎参考:2021年「72時間」トップ10

第10位「宮城・気仙沼 漁師たちの“コンビニ”」
第9位「能登半島 桜咲く無人駅で」
第8位「冬の焼きいも店 ぬくもりの先に」
第7位「巨大熱帯魚店 小さな命のある暮らし」
第6位「文房具店 この手紙をあなたに」
第5位「私が献血ルームに来た理由」
第4位「大阪 高速バスターミナル 旅立ちの春に」
第3位「北九州 100年続く人情市場で」
第2位「銀座おつまみラプソディ」
第1位「大病院のコンビニ それぞれの“生きる”」
 

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tag : 72時間サイシン

「地元で働く理由」


(2/8追記:本番組が再放送されます。2月9日(水)午前10:25〜10:50 NHK Eテレです)

本日は明日1月19日のテレビ番組情報です。NHK Eテレ「Zの選択」に、気仙沼の鈴木麻莉夏さん(24)と紺野岬さん(21)が登場します。


zの選択
番組サイトより


◎NHK Eテレ「Zの選択」
1月19日(水)22:25〜22:50
番組サイト


「Z世代」という言葉は最近よく目にしますよね。かっちりとした定義があるわけではありませんが、Wikipediaでは、〈概ね1990年代半ばから2010年代初頭までに生まれた世代〉としています。〈生まれながらにしてデジタルネイティブである人類初の世代である〉とも。

NHKの紹介文では、番組のターゲットをつぎのように述べています¥。

〈自分の生き方に悩むZ世代(1995年以降生まれ)のためのドキュメンタリー。物心つく頃からSNSを使いこなす“ソーシャルネイティブ”と呼ばれるZ世代は、人生の岐路でどんな生き方を「選択」するのか?自分の生き方を探るヒントになるような番組です〉。そして、〈2022年1月は「仕事」をテーマに3週連続放送!!〉。

ここからが本題。1月19日の番組案内を引用します。

〈Z世代のリアルな生き方を見せるドキュメンタリー。毎回、自らの生き方を選択しようと模索する2人に密着する。今回は、地元・気仙沼で働き続けることを決めた2人。

中学1年生で地元のアイドルグループに入った鈴木麻莉夏さん(24)。ローカルアイドルの活動に全力投球するため、大学には進学せず、地元で就職する道を選んだ。しかし、他のメンバーは大学進学などで次々と辞めてしまい・・・。

紺野岬さん(21)は、尊敬する父と同じ漁師の道を選んだ。しかし高齢化や不漁などの厳しい現実に、腰を痛めた父の引退宣言も重なり・・・まだ自信がない岬さんは、何も言えなくなってしまう。〉

鈴木麻莉夏さんは、SCKガールズに所属して、いまは気仙沼市観光課で任期付き職員として勤務しています。昨年4月の河北新報でも紹介されていました。鈴木悠太記者の記事です。

河北新報2021年4月14日配信記事

そしてもうひとり、紺野岬さんはどんな生き方を選択したのでしょう。この番組「Zの選択」はこれまで見たことがありませんでした。気仙沼の2人が登場するこの機会に見てみようと。皆様もぜひに。
 

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tag : Zの選択鈴木麻莉夏

2/27のコンサート

本年2月27日に東京都目黒区のめぐろパーシモンホールで開催される「東日本大震災復興支援コンサート」については、昨年11月10日のブログでもお伝えしました。

ブログ紹介の時点ではチラシもまだ公開されていませんでしたが、現在はパーシモンホールの公演情報に掲載されています。本日はその内容を紹介しましょう。


表

裏

両画像とも「めぐろパーシモンホール」公演情報より


表面上部の案内文を引用します。

「東日本大震災の復興支援を目的として目黒区友好都市・宮城県気仙沼市都目黒区の音楽家たちによるコンサートを開催! 震災から10年、力強く進む気仙沼市の魅力を盛り込んだプログラムでお届けします。」(引用は以上)

第1部は例年どおり気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団による混成楽団の演奏です。第2部は畠山美由紀さんと熊谷育美さんが出演します。いずれも司会は佐藤千晶さんです。

コンサート当日は、小ホールにて気仙沼の物産展と震災復興写真展も開催されます。

◎気仙沼漁師カレンダー展

コンサート開催に先立って、ホールがある〈めぐろ区民キャンパス〉の地下1階プラザでは、「気仙沼漁師カレンダー展」が1月15日から始まっています。3月15日まで。市橋織江さんが撮影を担当してくださった2022年版は昨年末に全国カレンダー展で経済産業大臣賞を受賞したことは本ブログでも紹介しました。

今回の支援コンサートは、初回2016年と同じく大ホールでの開催。チケットはまだ購入可能とのことです。詳細は公演情報サイトをご覧ください。

2016年の復興支援コンサートについてはつぎのブログで記しております。

2016年2月29日ブログ「目黒のコンサート」

それでは2月29日、パーシモンホールでお会いしましょう。
 

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tag : 復興支援コンサート

シェルからアポロへ

元日の三陸新報に私の目を引く広告がありました。気仙沼商会さんのこれです。


気仙沼商会広告
三陸新報1月1日掲載広告より


昨年で気仙沼商会さんのシェルサービスステーション(SS)はすべてアポロステーションになったのですね。

これは、昭和シェル石油と出光興産が2019年4月1日に経営統合したことに伴うもの。全国のシェルSSと出光SSのすべてが新ブランド「アポロステーション」に2020年4月から順次切り替えられています。

私が興味深く思ったのは、1930年からのシェルマーク変遷が紹介されていたことです。そしてちょっと気になったのは、気仙沼商会さんの設立が1930年の10年前1920年だということ。ライジングサン石油株式会社(その後の昭和シェル石油)の特約店として営業をはじめました。

1920年当時はシェルマークがなかったのか。そんなことはありません。ホタテ貝をかたどったシェルマークは1904年から使われているのです。なお貝殻(シェル)をマークとした1900年当時はホタテ貝ではなくムール貝でした。ホタテ貝になってからのマークは〈ペクテン(貝)マーク〉とも呼ばれます。

といったようなことを2019年5月のブログにまとめておりますので、以下に再掲します。題して、チャコの海岸物語ならぬシェルの貝殻物語です。


2019年6月28日ブログ再掲

◎シェルの貝殻物語

きのうのブログでは90年前のサンライズ石油(のちのシェル石油)気仙沼油槽所のことを記しました。本日はサンライズ石油をつくったサミュエル商会や創業者であるマーカス・サミュエルについてです。

私は、企業のアイデンティティやブランディングといったことを仕事のテーマのひとつとしています。そんなことで、シェル石油のマークの歴史についてはある程度知っておりました。たとえば、英国シェルのサイトに掲載されているつぎの変遷図など。


シェル変遷
シェル英国サイトより


本日はこのマークの歴史を簡単に紹介しようと思っていたのですが、シェル石油の創始者といってよいマーカス・サミュエルのことを調べていたら、これがとても面白い。シェルの貝殻は日本にルーツをもつものであったのです。

ロンドンのユダヤ人の家に生まれたマーカス・サミュエルは、18歳のときに5ポンド(現在の5万円程度)だけをもち横浜にやってきます。三等船室の片道切符で。そして湘南の三浦海岸できれいな貝殻を集めて加工し父親に送ります。この貝製品の商いは大成功し、ロンドンでの商いを広げていきました。

1876年、マーカスが23歳のとき、横浜にサミュエル商会を開業します。貝殻の輸出にはじまった事業は、工業製品の輸入やアジア各国への米や石炭の輸出、そしてインドネシア/ボルネオ島での石油採掘事業へと発展していくのです。

1897年、44歳のマーカスは、ロンドンに本社をおくタンカー会社に「シェル」の名を使いました。シェル・トランスポート&トレーディング・カンパニー。日本の海岸で貝殻をひろっていた時代を忘れないためにとのこと。マークは当初ムール貝でしたが、1904年にホタテ貝に変更しました。出資者の家紋がヨーロッパホタテであったこととも関係しているようです。

1900年、石油を日本で販売するため設立した会社がライジングサン石油です。日本国内では照明用の灯油などを販売しました。そして世界ではじめてとなるタンカー船をつくります。その船名は「ミュレックス号」。アッキ貝のことだそうです。その後のタンカー船にも日本の海岸で自分が拾った貝の名前をつけたとか。

1907年(明治40年)には、シェルとロスチャイルド・フランス家のロイヤル・ダッチが合併し、「ロイヤル・ダッチ・シェル石油」が生まれました。

以上、かなり複雑な内容を簡単にまとめました。また、日清戦争のときのサミュエル商会の役割などについても、話が長くなるので割愛しました。

話を戻しましょう。サミュエル商会から生まれたサンライズ石油が気仙沼に油槽所をつくったのは1929年のことでした。気仙沼の石油タンクに、冒頭の変遷図上段中央のマークが表示されていたかもしれません。

そしてマーカスがその生涯を閉じたのが1927年。74歳でした。

マーカス・サミュエルが72歳ぐらいのときに、Kesennuma/気仙沼の名を聞いていたかもしれないというのが、きょうのブログのポイントなのですが、ちょっと話がしつこくなりました。

シェルのマークを見たときに、日本の湘南海岸にゆかりがあることをちょっと思い出していただければ幸いです。今週はこれにて。
 
2019年6月27日ブログ「シェル石油との縁」
2019年6月26日ブログ「朝日町の石油タンク」

再掲内容は以上です。


◎正樹社長の心情

今回の気仙沼商会さんの広告は、シェルマークとともにあった同社の歴史を感じさせるものでした。私はそれに加えて、現社長である高橋正樹さんの心境というか心情を感じます。

正樹さんが、早稲田大学を卒業して入社した会社は昭和シェルだったはず。シェル石油が昭和石油と合併して昭和シェルとなったのは1985年ですから、その後間もなくのことだったと思います。将来は帰郷し気仙沼商会の経営を承継するための〈修行〉の意味合いもあったでしょう。

つまり、正樹さんにとってのシェルマークは、会社員時代の社章でもありました。ですから、シェルからアポロへという変化は、取引先のマークが変わりましたという単純な話ではないのです。

ということで、気仙沼商会の新春広告には、高橋正樹社長の〈アポロマークをどうぞよろしく〉という気持ちに、’(潤滑油の会社のマークとしては残るとはいえ)シェルマークとの別れを惜しむ気持ちがまじっているのではないかと。

以上、気仙沼商会さんの広告を見ての私の勝手な想像/妄想を紹介いたしました。シェルマークとともに、アポロマークも、どうぞよろしく。
 

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地域医療を支える

三陸新報さんで楽しみな連載記事が始まりました。「わがまちのお医者さん」です。1月1日掲載の第1回目に登場したのは、気仙沼市八日町「森田医院」の森田潔さんです。


1:1三陸


三陸新報1月1日記事の一部イメージ


記事の副題に「地域医療を支える」とありました。昨年11月末には、南町の猪苗代病院が閉院するなど、気仙沼地区の地域医療がさまざまな課題をかかえているなかでのタイムリーな企画といえるでしょう。

2021年11月29日ブログ「猪苗代病院の閉院」

記事の末尾に、つぎのような企画趣旨が記されていました。

「気仙沼、南三陸両市町での暮らしに欠かせない地域医療の現場は今、看護師不足をはじめとする慢性的な課題に加え、新型コロナウイルス対応も加わって厳しい状況にある。逆境の中でも住民に寄り添いたい––と、奮闘を続ける開業医から、地域医療に尽くす道を選んだ背景や思いを聞いた。」(引用は以上)

森田潔さんは2014年から気仙沼市医師会長をつとめています。それまでの会長は大友医院の大友仁さんです。

私が気仙沼にいたころ、森田医院(というか森田内科と呼ぶことが多かったような気がしますが)のお世話になりましたが診察は森田昭夫先生、潔先生のお父様でした。その後、母などは潔先生を〈若先生〉と呼んでいましたね。

記事の冒頭には、〈医家として藩政(江戸)時代中期から、気仙沼で長い歴史を持つ森田家の6代目〉とありました。

昭夫先生が5代目、4代目となる森田八郎さんは第7代気仙沼町長をつとめています。そうした、東周に始まる森田家の歴史をつぎのブログにまとめております。

2017年3月29日ブログ「森田家ヒストリー」


なお、潔さんの弟さんが気仙沼大島/大島医院の森田良平さんです。前任医師の退職を受けて後継医師となった経緯をつぎのブログで紹介しております。

2017年3月28日ブログ「大島後任医師内定」

三陸新報の記事には、潔さんが〈周囲からは後を継ぐことを当然視され〉ともありました。どうしてもそうなりますよね。これは結構つらいものがあるのではないかと。そんなことを思いながら記事を読みました。
 

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水産高校の沿革抄

昨年末12月24日のブログ「長井時計店1953」では、昭和28年/1953年の魚町旧ナガイ時計店前での「気水生実習製造商品の路上販売」を紹介しました。

この記事を書きながら、これまで気水/宮城県気仙沼水産高等学校、つまり現在の宮城県気仙沼向洋高等学校の歴史をきちんと紹介していなかったことに気づきました。ということで、本日は同校の沿革を。

気仙沼向洋高校のウェブサイトにある「沿革」をクリックすると「沿革抄(PDF)」を見ることができます。同校の歴史/沿革の抜粋ですね。

向洋沿革

沿革抄の一部イメージ


これによれば、宮城県気仙沼向洋高等学校は、明治34年(1901年)4月に、気仙沼町立水産補修学校として開校しました。町役場の一部を仮校舎としたとあります。1901年創立ということは昨年で120周年ということになりますね。

その後、郡立本吉水産学校、宮城県水産講習所、宮城県水産試験場気仙沼分場講習部、そしてふたたび宮城県水産講習所などに移管や改組がなされています。その後はつぎのようなこと。

昭和20年(1945)4月 所管を農林省より教学科に移され、宮城県気仙沼水産学校となる
昭和23年(1948)4月 学制改革により宮城県気仙沼水産高等学校に昇格
昭和24年(1949)2月 水産製造科増設認可

この沿革を見るかぎり、昭和の風情カレンダーの写真にあった魚町ナガイ時計店前で売られていたのは、昭和24年に増設された水産製造科の実習でつくられたものではないかと。科の増設から4年後ということになりますね。完成度がかなりあがってきたころでしょうか。

なお、この沿革抄になぜか記載がないのですが、階上地区に移転する前まで一景島地区にあった校舎が落成したのは、気仙沼文化史年表によれば昭和24年(1949)8月15日です。

この後、機関科と無線専攻科の認可は昭和29年2月、漁業専攻科は同じく31年3月、無線通信科は38年3月となっています。

時計をすこし早回しすると、階上地区への校舎移転は昭和52年(1977)4月です。これに先立ち、昭和46年2月には学校移転用地の階上塩田跡の埋立工事起工式 がおこなわれています。あの場所は塩田跡地だったのです。

そして平成6年(1994)4月1日に、校名を宮城県気仙沼向洋高等学校に変更。同時に3学科(情報海洋科・産業経済科・機械技術科)全科男女共学となりました。

それから17年後の2011年については年表形式で。

平成23年/2011年

3月 東日本大震災により校舎に甚大な被害を受ける
5月 仮設校舎建設までの間、学科ごとに3校(気仙沼西高・本吉響高・米谷工業高)に分かれて教育活動を再開
11月 気仙沼高校第二運動場に仮設校舎完成・移転

階上地区の被災した旧校舎がいま、気仙沼市東日本大震災遺構として保存されているのは皆さんご承知のとおりです。

そして、階上・長磯牧通地区に現在の校舎が完成したのは平成30年7月のことです。

平成30年/2018年

7月19日 新校舎完成
7月20日 新校舎供用開始
7月24日 仮設校舎閉校舎式
8月24日 新校舎入校舎式および完成披露会

以上が同校沿革抄内容からの紹介です。

記事をまとめていて感じたのは、沿革に校舎建設や移転に関する情報が少ないことです。水産学校や水産講習所は、現在のK-port(ケーポート)やかもめ食堂があるあたりにあったはずですが、記載がありません。一景島の校舎についても、上述したとおりです。

またあらためて情報を整理してみようと思っています。本日は、沿革抄からの抜粋情報として紹介いたしました。どうぞよろしく。
 

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「漁師暦」の受賞歴

2022年版「気仙沼漁師カレンダー」が全国カレンダー展で、経済産業大臣賞を受賞したことは、昨年末のブログでお伝えしました。そして三陸新報さんも1月9日の紙面で紹介してくれました。


漁師カレンダー
三陸新報1月9日記事の一部イメージ



受賞内容については、くりかえしになりますので省略します。つぎのブログをご覧いただければと。

2021年12月27日ブログ「経産大臣賞受賞!」

三陸新報の記事では、今回の撮影を担当してくださった市橋織江さんや、企画・制作のバンブーカット竹内順平さん、イラストの外山夏緒さんの名も記しながら、気仙沼つばき会の会長である斉吉商店/斉藤和枝さんの言葉を紹介していました。

「受賞はカレンダー作りに熱量を込めて制作していただいた関係者をはじめ、購入し、支えてくれた地元の皆さんのおかげ。長年、積み重ねてきた努力のたまものでもある。今後の活動の励みにもなり、うれしい」と。


◎漁師カレンダーの受賞歴

ここからはちょっと余計な話。

紹介した三陸新報記事では、漁師カレンダーの経済産業大臣賞受賞は4度目で、入賞は5年連続7度目としていますが誤記があります。

経済産業大臣賞受賞は4度目で正しいのですが、入賞は7度目ではなく6度目です。5年連続でもありません。

昨年の2021年版漁師カレンダーが経産大臣賞受賞したときの三陸新報記事で「経済産業大臣賞受賞は3度目で、入賞は4年連続6度目」としていたので、つぎのブログで記述に誤りがあることを記しております。

2021年1月27日ブログ「通算5度目の受賞」

これまでも紹介してきましたが、今回の受賞を含めての全国カレンダー展における漁師カレンダー受賞歴を整理しておきます。

気仙沼漁師カレンダーは2014年版から始まり2022年版で8回目の発行となります。これまで、2014年版が経済産業大臣賞(金賞)、2016年版がフジサンケイビジネスアイ賞(銀賞)、2018年版が審査員特別賞(銀賞)、2019年版が経済産業大臣賞(金賞)、2021年版が経済産業大臣賞(金賞)、そして今回の2022年版が経済産業大臣賞(金賞)を受賞しました。

2015年版は発行なし。2017年版と2020年版が受賞なしということになりますが、そもそもカレンダー展へ出品していたかどうか私にはわかりません。

昨年も私の計算が誤っているのかもしれないと、カレンダー展主催団体のサイトを確認しました。今年も再度チェックしたので間違いないと思うのですが。

経済産業大臣賞という大きな賞を受けた慶事に際して、こうしたことを記すのはなんとも気が引けるのですが、2年連続しての誤記となり、(来年のことなども頭をよぎったことから)あえて記しました。

受賞歴については以上です。気分をかえて、関係者の皆さまにあらためてのお祝いを。

6度目の入賞、4度目の経済産業大臣賞受賞、おめでとうございます。
 

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清雄君の碑案内板

12月30日の三陸新報に、旧気仙沼水産高校に関する記事が掲載されていました。気仙沼市岩井崎の「小野寺清雄君をたたえる碑」そばに案内板が設置されたとのこと。以前の案内板は東日本大震災の津波で損傷したそうです。


12:30小野寺清雄さん案内板

三陸新報2021年12月30日記事の一部イメージ


記事は小野寺清雄さんと碑について、つぎのように説明しています。〈1962年11月29日夜、同校1年だった清雄さん(当時16)は、岩井崎沖で座礁した漁船の乗組員を助けるために海に向かい、命を落とした。碑にはその勇気ある行動が刻まれている〉。

この碑は、昭和38(1963)年6月に気仙沼市と気仙沼水産高校が建立したものです。そして、今回の案内板を設置したのは、清雄さんの水産高校同級生でつくる実行委員会です。案内板には、「水産人としての誇り高き十六歳の生涯を終えた」とも記されています。

記事の最後に、清雄さんの同級生で実行委員長をつとめる小野寺次徳さんの言葉が紹介されていました。「清雄君を知ってもらうことで、海難事故の防止につながってほしい。海と関わる後輩をはじめ、多くの人に伝え、未来に継承したい」と。

昭和39年度の気仙沼水産高校卒業生でつくる実行委員会は、2020年11月29日に58回忌追悼慰霊法要もおこなっています。つぎのブログで紹介しました。

2020年12月3日ブログ「悼 小野寺清雄さん」

石碑に刻まれている文章はこちらのブログにて。

2020年12月4日ブログ「君をたたえる碑文」

小野寺清雄さんのご冥福をお祈りいたします。59年前11月29日の夜。岩井崎沖の海の寒さを思いながら。
 

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tag : 気仙沼水産高校小野寺清雄

けせんぬまの良品

昨年末12月30日、買い物があったので二子玉川(ふたこたまがわ)の無印良品へ。いつものように1階を見て2階もながめて。そしてたまには3階も見ておこうかと。


無印良品二子玉川店の3階は食品と飲食スペースです。おどろきました。そこに気仙沼コーナーがあったのです。こんな感じ。ちょっと失礼してスナップを。


IMG_5155.jpg

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掲げられているコーナー名は「けせんぬまの良品」です。〈日本各地それぞれのくらしや風土に根ざした、地元ならではの商品をあつめました〉と。

1枚目の写真にうつっているのは、斉吉商店さんの「ぽりぽり道中黒豆昆布」や石渡商店さんの「完熟牡蠣のドレッシング」「気仙沼旨味だしの完熟かき醤油」、そして横田屋さん「焼ばらのり」など。棚には、気仙沼市唐桑の「もまれ牡蠣」で知られる戸羽平(とばひら)畠山政則さんがうつる写真も飾られています。上部には、第78昭福丸の大漁旗がうつる写真も。

そして2枚目の写真には、横田屋「おてがる漁師めし」「おてがるばら海苔」「おてがるとろろ昆布」などがありました。この売場コーナーはいつからあったのでしょう。それにしても、無印良品の売場で気仙沼印の商品に遭遇するとは思ってもみませんでした。

2枚目の写真の上部にお店からのメッセージがありましたので紹介させてもらいます。


気仙沼〜無印良品二子玉川

気仙沼出身のスタッフが、「おいしい!」と感じた商品を集めました。今も東日本大震災からの復興に向けて進んでいる中、コロナ禍で商品を売る場が少なくなってしまいました。東京/二子玉川から、こうした地域のみなさんの役に立ちたいという取り組みです。

Local MUJI

以上が掲示内容です。〈気仙沼出身のスタッフ〉とありましたね。二子玉川店のスタッフということなのでしょう。故郷気仙沼の商品をこうして販促してくれて本当にありがとうございます。

帰り際、下りのエスカレーターにのろうとしたときに、第28八幡丸に贈られた大漁旗/富来旗(ふらいき)が掲げられていることに気づきました。上ってきたときには気づかなかった。




この気仙沼産品の販促は正月初売り時にもやっているのだろうか。ということで新年1月2日に再訪。ちゃんとありました。

無印良品/良品計画さん、Local MUJIのメッセージ、しっかりと受け取りました。心から御礼申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。
 

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IMPREX稼働間近

元日の三陸新報は、例年どおり新年特集号でした。新年号第2集は、希望や期待に満ちた企画記事が掲載されるので毎年たのしみにしています。

そして今年はとくに、見知った人が特集記事に登場しておりうれしく感じました。インプレックス株式会社の稲葉斡也社長です。


インプレックス

三陸新報1月1日記事より


インプレックスが、2017年に閉校した旧馬籠(まごめ)小学校の跡地を活用して新工場とする計画については、つぎのブログでも紹介しました。

2021年6月15日ブログ「馬籠小旧校舎活用」

記事によれば工場整備は順調に進み、本年2月ごろから本格稼働するとのこと。

同社馬籠工場では、半導体製造装置のひとつである真空ポンプの修理・メンテナンスをおこないます。そして記事には、稲葉社長のもうひとつの事業計画を紹介していました。

稲葉社長は、自身が代表となっての別会社「馬籠フォレスト」を設立し、地域からメンバーを募集してのビッグバンドや音楽フェスティバルの活動などを計画しているとのこと。

旧馬籠小学校には工場として使用しないスペースもあることから、プロによる演奏指導や旧教室を利用した合宿所など、音楽の拠点として馬籠を盛り上げていきたいとしています。旧家庭科室は自炊スペースとするそうです。まさに有効活用。

◎1994年 IMPREX設立

以前にも紹介しましたが、稲葉斡也さんは気仙沼市魚町出身。6つ下の気中26回生。家は私の実家にも近かったこともあり小さかったころから知っています(私も小さかったけれど)。

そんなつながりもあって、稲葉さんが1994年に独立して新会社を設立する際に、社名ネーミングとロゴマークデザインを依頼されたのです。

そして、2008年には気仙沼市内ノ脇に気仙沼工場を建設、稼働させましたが、東日本大震災で被災しました。

私は2011年9月7日のブログにつぎのように記しています。

〈東京・新宿の近く、笹塚のオフィスから始まった同社は稲葉社長の頑張りで順調に発展し、四日市や宮崎にも事業所を設けました。そして5~6年前かな、稲葉君とお盆か正月に気仙沼でばったり会ったときには、「なんとか気仙沼にも事業所をつくるまでになった」と語ってくれていたのですが。

本当に大変なことでしょうが、稲葉君にはなんとか気仙沼の事業所を復興し、会社もさらに発展して欲しいと心から思います。

「インプレックス」に込めた意味は IMPRESS(感動させる)+X(未知の可能性)です。〉

ブログ記事引用は以上です。

震災から12年、稲葉社長の思いがいよいよ実現し、気仙沼の事業所が復活しますね。ちょっと早いかもしれませんが、新年あけて間もないことでもありますしお祝いを。

おめでとうございます。新工場の無事の稼働開始を願っております。

2011年9月16日ブログ「IMPREXの17年」

 

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tag : インプレックス

志の輔師匠独演会

きょうは1月5日。まだ正月気分も残っているので、ちょっと縁起のよさそうな画像から。「おかえり寄席気仙沼 志の輔独演会」が3月12日13日の両日開催されます。本日1月5日チケット発売。イラストレーションはもうおなじみのサユミさんです。




「気仙沼さ来てけらいん」同落語会ページより


落語会の詳細は、「気仙沼さ来てけらいん」の落語会案内ページをご覧いただきますが、概要をお伝えしておきましょう。これまでの落語会は、市民会館でしたが、今回は昨年12月1日にグランドオープンした気仙沼中央公民館です。

中央公民館のホールは最大329席ですから、市民会館の約3分の1。土日の2回開催ですが、チケット売り切れも早いと思います。早めに手配されたほうがよろしいかと。

◎おかえり寄席気仙沼 志の輔独演会

日時:
3/12(土)開場15:30 開演16:00
3/13(日)開場13:00 開演13:30

会場:気仙沼中央公民館 ホール
料金:全席指定(前売り)4,500円
発売日: 1月5日(水)

チケット販売は、気仙沼市内各店とe+(イープラス)利用となります。当日販売はありません。

◎志の輔師匠の落語会

立川志の輔師匠の気仙沼での落語会は、私の計算では震災後6度目となります。これまでのブログ記事を総合してこれまでの開催内容をまとめておきましょう。

まずは初回、〈気仙沼さんま寄席〉が気仙沼さんま寄席実行委員会の主催でおこなわれたのは2012年3月25日のことでした。気仙沼の有志メンバーを糸井重里さんはじめ、ほぼ日の皆さんがバックアップしてくださいました。

〈気仙沼さんま寄席〉は、〈目黒のさんま祭〉のさんま代を稼ぐことを目的に始まりました。その成果としての〈さんま代〉は第1回が348万9597円、2013年の第2回が465万1068円、2014年は会場の市民会館が改修工事中でお休み。そして2015年5月30日におこなわれた第3回目は297万853円でした。開催の趣旨に賛同して遠くからも多くの方が気仙沼を訪れてくださいました。本当にありがとうございます。

これに続く師匠の落語会が〈志の輔らくご in 気仙沼〉です。初回が2016年9月8日。主催はTBC東北放送/気仙沼さんま寄席実行委員会。共催が気仙沼市/気仙沼市教育委員会。そして目黒のさんま祭気仙沼実行委員会/気仙沼つばき会/シノフィス/ほぼ日刊イトイ新聞の皆さんが協力してくださいました。この落語会の2回目が2019年9月7日に開催されています。

そして迎える2022年3月の落語会が6度目ということになりますね。おわかりいただけましたでしょうか。(ガッテンガッテンガッテン!)ありがとうございます。

なお、今回の〈おかえり寄席気仙沼 志の輔独演会〉の主催は、気仙沼つばき会/おかえり気仙沼実行委員会。共催が気仙沼市/目黒のさんま祭気仙沼実行委員会です。そして今回も、ほぼ日の皆さんが〈全力で応援〉してくださいます。こちらのページで詳しく紹介されています。そのなかに〈当日は、ほぼ日も半分裏方、半分お客さんとして、現場での盛り上げに協力しようと思っています〉とありました。いつも本当にありがとうございます。

本日0時からチケット販売が開始されましたが、申し込みは好調な滑り出しのようです。こいつぁ、正月から縁起がいいや。ということでどうぞよろしく。
 

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tag : おかえり寄席気仙沼

謹賀新年 2022

あけましておめでとうございます。1月4日。きょうが仕事はじめです。

昨年12月30日から新年1月3日まで、年末年始の5日間もおわってみればあっという間ですね。元日は近くの不動尊に初詣。新しい一年を健康に過ごすことができますようにと祈りました。

本ブログ「気中20プラス」は、この記事が2847回目となります。2011年4月20日から始め、じきに土日のみ休みとする週5日のペースで書いてきました。

「気中20」というのは、気仙沼中学20回生のこと。そして4月20日のブログ「当面の活動方針」には、ブログ名「気中20+PLUS」(けちゅうにじゅうプラス)について、〈小さいかもしれないけれど、一つでも多くのプラスを〉〈気中20回卒の同級生を軸に支援の輪をさらに広げていきたいという気持ちと、いつもプラス思考でという自戒の念を込めています〉と記しています。

2011年当時は、被災地気仙沼の〈支援〉という言葉にはリアルな響きがありました。このブログも私が書いているものの、Author(筆者)設定は「気中20回生支援会」としてきたのです。しかし10年以上たった今、さすがに支援や支援会という語句に違和感をおぼえるようになりました。

ということで、タイトル部の「気仙沼中学校20回生支援会のブログ」はそのままとしますが、ブログのAuthorとプロフィール設定を本日からつぎのように変更しようと思います。

旧:Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

新:Author: 気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

後日、また直すかもしれませんがまずはとりあえずということで。「気中20/小田」は、Twitterでの私の名前と同じです。アカウントは @kechu20。こちらでも気仙沼情報を扱っていますので、もしよろしければフォロー願います。

ブログを始めた2011年4月20日には3本の記事を書いていました。いま読むと少し照れくさく感じるところもありますが、そのままにしておくことにします。ご参考まで。

2011年4月20日①「今日からブログを始めます。」
2011年4月20日②「3月25日支援物資輸送レポート」
2011年4月20日③「当面の活動方針」
 

2022年。新しい年が皆さんにとってもより良き年となりますように。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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