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新館長の山内さん

三陸新報の「顔」欄は、その時々の話題の人を紹介するコラム記事。お役所が新年度を迎えた4月には、さまざまな新任者がこの欄でとりあげられていました。

そのひとりがリアス・アーク美術館の新館長となった山内宏泰さんです。4月21日掲載の「顔」欄記事を紹介しようと思いながら遅れに遅れ、本日となりました。


山内さん

三陸新報4月21日記事一部イメージ


山内宏泰さんについて、このブログ内を検索すると18の記事がありました。

本日はその中から3つのブログ記事を紹介しようと思います。まずは2013年4月の日経記事から。

東日本大震災の被災で閉館していたリアス・アーク美術館は、2013年4月3日に全館開館されました。同時に新たな常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」も公開されたのです。

震災から2年後に公開されたこの展示は大きな話題となりました。山内さんは、2013年4月24日の日本経済新聞文化欄に「被災者が見た被災地」と題して寄稿しています。

山内さんはその文章のなかで、震災当時にリアス・アーク美術館の副館長をつとめていた川島秀一さんのことも記しています。それを読んで私はうれしく感じたのです。そうしたことも含めてつぎのブログで紹介しました。

2013年4月24日ブログ「リアスのアーク2」

2015年8月のブログでは、美術批評家の椹木野衣(さわらぎ・のい)さんの『美術手帖』記事を紹介しました。

椹木さんは、リアス・アーク美術館の常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」を高く評価し、雑誌『美術手帖』2015年6月号での連載「後美術論」で20頁にもわたり論評してくださったのです。

2015年8月のブログでは、その内容を紹介しながら、山内さんが斉藤道有さんとともに、いわゆる〈もの派〉の美術家として広く知られる高山登さんの宮城教育大学における教え子であったことを記しました。

2015年8月14日「高山登の教え子達」

山内さんは、その執筆論文「博物館が復興に果たす役割」で、2017年度の日本博物館協会「棚橋賞」を受賞しています。同賞は国内の博物館界で最も権威があるとされる賞とのことで、山内さんはもちろんのこと、リアス・アーク美術館の関係者は大変うれしく思ったことでしょう。つぎのブログで紹介しました。

2017年12月25日ブログ「山内さんに棚橋賞」

以上が過去のブログの紹介です。

こうして、わかったふうなことを書いてはおりますが、私は震災後のリアス・アーク美術館にはまだ行っておりません。ですから常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」もまだ見ていないのです。

しかし、2016年に東京の目黒美術館でおこなわれた「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」展は見ております。そして同展の特別講演会「震災をどのように定義するべきか」ものぞくことができました。当時はリアス・アーク美術館の学芸係長だった山内さんが講師だったのです。

講演の最後に質問を受けてくれる時間がありました。私は山内さんに、気仙沼で進行する巨大防潮堤の計画に対する意見を聞いたのです。それに対する山内さんの発言内容を細かくはおぼえていないのですが、行政組織に属する人への質問としてはちょっと酷だったかもしれないと、あとで反省しました。

リアス・アーク美術館は、気仙沼市と南三陸町による気仙沼・本吉地域広域行政事務組合が管理・運営しています。同地域の消防本部と同じですね。運営予算的には、ほかの自治体の同様の施設と同じくなかなか厳しい状況が続いていると思います。

学芸員的な立場と管理・運営の立場の両立はたやすいことではありません。さらに山内さんは美術家/作家としての側面もありますから、さらに大変でしょう。ただ、第三者的にいわせてもらえれば、だから面白い。

山内さんは、「リアス・アーク美術館山内」アカウント @riariariabi で本年3月からTwitterの投稿も始めました。これがとても興味深い。今後、紹介の機会もあることでしょう。

リアス・アーク美術館は1994年/平成6年10月25日に開館ですから、27年が経過しました。課題の多さと同じく、期待されることもさらに大きくなっているでしょう。

新館長 山内宏泰さんのこれからの活動に期待しております。どうぞよろしく。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 山内宏泰リアス・アーク美術館

CD「復興の音魂」

気仙沼に縁(ゆかり)があるミュージシャンら35組によるCDアルバム「KESENNUMA SONGS〜復興の音魂」が完成し、10月13日に販売を開始しました。

発売日13日には、委員長の佐藤健さんをはじめ実行委員会のメンバーが市役所を訪れ、菅原市長に完成を報告したとのことです。10月17日の三陸新報がつぎのように伝えています。


10:17ソングス

三陸新報10月17日記事の一部イメージ


委員長の佐藤健さんは、たしかSCK GIRLSの音楽プロデューサーをつとめている方ですね。

同アルバムプロジェクトの公式Twitterでもつぎのように。市長の右側が佐藤健さんです。


このアルバムプロジェクトには、畠山美由紀さんや熊谷育美さん、岡本優子さん、そしてSCK GIRLSも参加しています。それと、気仙沼小・中・高校の一年先輩である尾形和優(かずまさ)さんも。南町/丸和の和優さんといったほうが早いか。

KESENNUMA SONGS~復興の音魂~10Years History
3枚組 2.000円(税込)

アルバム公式サイト

CD販売店舗やサイトはつぎのとおりです。

◎気仙沼エリア販売店

・気仙沼シャークス ・ブルースカイマーケット ・PUBやまとなでしこ ・ラーメン炎 ・第二笑口会議処 ・ほのぼの館 呑斗恋 ・すがとよ酒店 ・ボルセッタイシカワ ・和ダイニング伊勢家 ・晩酌や でん吉 ・FRIENDZ ・海の市 ホヤぼーやショップ ・ジェイズミウラ ・REAL CLOSET ・ラーメン一風 ・BRUNCH ・TEN(T) ・PRISM

◎ネット通販サイト

気仙沼さん本店
Yahooショッピング
楽天市場

◎ふるさと納税

気仙沼市へのふるさと納税の返礼品としてもご注文いただけます。

楽天市場ふるさと納税サイト

なお、アルバム名の副題「復興の音魂」の音魂は〈オトダマ〉と読んでいいんですよね。ネットで調べたら、「音魂/オンタマ」というテレビ朝日系の音楽番組がありました。〈オトダマシイ〉ではないと思います。あとでわかりましたら追記しておきます。

「KESENNUMA SONGS〜復興の音魂」を、どうぞよろしく。
 

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tag : KESENNUMASONGS復興の音魂

産業まつりは中止

昨日は11月6日7日の気仙沼スローフェスタを紹介しましたが、本日は「産業まつり」開催の中止についてです。

新型コロナなどの関係で昨年は開催中止となった産業まつり。今年は例年より1か月遅らせて11月28日に予定していましたが、菅原市長を会長とする実行委員会は開催を断念したとのことです。10月22日に市が発表し、翌日23日の三陸新報がつぎのように伝えています。

産業まつり

三陸新報10月23日記事の一部イメージ



市の記者発表資料には、つぎのように記されています。

「コロナ感染や集客に対する懸念などの理由により出店を見合わせる事業者が相次ぎ、例年のような賑わいのあるまつり開催は困難であると判断したことから、今年度の産業まつりは中止とします」

一昨年2019年の産業まつりは第35回として気仙沼市魚市場で開催されました。同時に7回目となる「市場で朝めし。」も併催されています。

市の記者発表資料や三陸新報の記事に、「市場で朝めし。」に関する記述はありませんでしたがこれもなしということでしょう。


市がおこなった意向調査では、2年前に出店した85程度の業者のうち、出店希望は3割にとどまったと三陸新報の記事にありました。

新型コロナへの不安というのはもちろんあるのでしょうが、11月6日と7日に内湾で「スローフェスタ」が開催されるとなれば、その3週間後の魚市場への出店を迷う店舗も多かったのではないかと。

一昨年の「産業まつり」と「市場で朝めし。」についてはつぎのブログで紹介しております。

2019年10月23日ブログ「10/27産業まつり」

1983/昭和58年に第1回目が開催された産業まつりの沿革についてはつぎのブログにて。本吉地区の参加などの関係で回の数え方がちょっとややこしいのです。

2018年10月26日ブログ「産業まつりの沿革」

2年連続しての両イベントの開催見送りを残念に思う人も多いことでしょうが、〈満を持しての〉来年開催をどうぞお待ちください。
 

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ジャンル : 地域情報

スローなフェスタ

気仙沼スローフェスタ2021が、11月6日と7日の2日間にわたって内湾エリアにて開催されます。この催事は当初、10月2日と3日に予定されていました。しかし、新型コロナの関係などで延期となり、約1か月遅れての開催となりました。関係者は気をもんでいたことと思いますが、こうして開催が実現できて本当によかったです。

まずはポスターから紹介しましょう。いい感じのイラストレーションですね。



  sfポスター1015-2-1



10月24日の三陸新報に掲載された同フェスタの広告には、2日間の催事概要が紹介されていました。随時、公式サイトでも紹介されていますが、あんなこともこんなこともということで画像紹介します。クリックで拡大します。なお、PIER7(気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ)会場で「□SHIP」とあるのは「スクエアシップ」です。念のため。

まずは11月6日(土)。内湾ステージエリアでは、「KESENNUMA SONGS」のライブや、渡辺謙さんや尾崎亜美さんが出演するライブも。またPIER7(気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ)では、「スローシティとまちづくり」をテーマにしたシンポジウムも開催されます。これは、スローフェスタの肝ともいうべきものですね。


11:6


11月7日(日)のステージエリアでは、各地域の保存会などによる民俗芸能の披露があります。これもいいね。それと、スウィング・ドルフィンズも出演。「アメリカン・パトロール」もどうぞよろしく。

11:7


なお、上記プログラム中の点線で囲まれているプログラムは事前申込となります。また定員を設けていたり、参加費が有料のものもあるので、気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」で詳細をご覧ください。

気仙沼さ来てけらいん
気仙沼スローフェスタ2021

10月25日の三陸新報に、スローフェスタの開催概要決まるとの記事が掲載されていました。これによれば、気仙沼スローフェスタ2021は、気仙沼市の東日本大震災10年復興記念行事のひとつとして開催されます。

実行委員会は、市と商工会議所、気仙沼漁協、青年会議所、スローフード気仙沼など16団体で構成されています。

なお、開催にあたっては入場ゲートを設けて来場者の検温をおこなうなど、新型コロナ感染防止策を徹底します。また、緊急事態宣言の発令など、感染急拡大の場合は中止とするそうです。

2015年当時に2018年春完成予定とされていた新設商業エリアは「(仮称)内湾スロー村」とされていました。これがいろいろと形を変えて、現在の商業観光施設「ないわん」を構成する「迎(ムカエル)」「結(ユワエル)」「拓(ヒラケル)」「創(ウマレル)」となっています。グランドオープンは2020年7月18日でした。

つまり、この内湾エリアのまちづくり、地域開発にあたっては「スローフード」がコンセプトのひとつとなっていました。そうした意味からも、今回催事は大きな意味をもっていると思います。

多くの人が参加して、スローフェスタ2021が成功することを願っています。

2003年3月の「気仙沼スローフード」都市宣言や、2013年にイタリアのトリノで受けた「スローシティ」認証などについてはつぎのブログにまとめております。

6月17日ブログ「スローフェスタ '21」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼スローフェスタ

一木さんの「note」

NHK朝ドラ「おかえりモネ」もいよいよ最終週を迎えましたね。10月29日(金)が最終回放送です。

最終週を迎えるにあたって、「おかえりモネ」のチーフ演出をつとめた一木正恵(いちきまさえ)さんのコラムが10月22日に公開されました。タイトルは、〈私の“人生をかけた一作” 「おかえりモネ」を振り返ってみました〉。

このコラムは本当にすばらしい。読み応えがあります。NHK「おかえりモネ」サイトでのショートバージョンでも一木さんの伝えたいメッセージがしっかりとわかりますが、できれば「note」でのロングバージョンをお読みください。このドラマがどのような意図をもって制作、演出されていたのかがよくわかります。

(このコラムのツイート配信は終了していますが、文中のロングバージョンのリンクはいきています。ぜひお読みください)


コラムのなかに、はじめて知る話がありました。〈15~25歳に届けたい、おかえりモネの世界〉という見出しのあとのつぎの文章。noteのロングバージョンから引用します。

〈 企画の原点に、気仙沼市階上中学校3年の生徒が、避難所となった体育館で、卒業式の答辞を読み上げている映像があります。

涙を流しながら、「自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました」と語り、「見守っていてください、必ずよき社会人になります」と決意と覚悟を宣言していました。深く感動すると共に、苦しくもなりました。〉

そうだったのか。2011年3月22日の卒業式での梶原裕太さんの答辞ですね。ほかの部分も含め、少し詳しく紹介させてください。

〈自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを容赦なくうばっていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、くやしくてたまりません〉〈命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからのわたくしたちの使命です〉

久しぶりにネットにあるこの答辞の映像を見ました。ひとつひとつ絞り出される言葉はもちろんのことですが、さまざまな感情がこみあげているのだろうと思わせる中学3年生梶原裕太さんの姿も企画の原点だったのでしょう。

一木さんが15~25歳に届けたい思い。それはコラム本文を読んでいただければと。

私の余計な話はここまでにします。最後に一木さんのコラムの結びの言葉を引用させていただきます。

〈 さて、「おかえりモネ」はまもなく最終回を迎えます。ここまでの応援、本当に本当にありがとうございました。

私自身も、登場人物たちが本当に生きているかのような感覚があり、彼らと別れる日が怖いとさえ思っています。欠点があり、当意即妙に話ができなかったり、明るく振舞えなかったり、失敗したり失言したり・・・。しかしだからこそ愛おしい。本当に人間くさい人たちです。

どうか、お一人でも多くの方々に、どんな思いでもいいです、何かが届くことを願ってやみません。最後までどうかよろしくお願いします。〉(引用は以上)

一木さんは、このドラマの企画時から気仙沼を訪れて取材をしています。新型コロナの関係で関係者のみでおこなわれた2020年6月の「森は海の恋人」植樹祭にも。つぎのブログで紹介しております。

2020年6月15日ブログ「NHK一木正恵さん」

「おかえりモネ」もあと1週間。一木正恵さん、このすばらしいドラマを私たちに届けてくださって、本当に本当にありがとうございました。心から御礼を申し上げます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ一木正恵

懐かしさと無念さ

三陸新報での川島秀一さんの連載記事「漁村を訪ねて」。第93回目となる10月21日記事のタイトルは、「紀州漁師の遺産㊤」でした。とりあげられている漁村は、高知県土佐清水市の戎(えびす)町・松尾です。


10:21川島さん

三陸新報10月21日記事より


この寄稿で川島さんは、紀州/和歌山の漁師と高知県土佐清水との関わりについて記しています。

ただし本日はその内容をお知らせしようということではありません。ということで低解像度での記事全体画像。

ご紹介したいのは、川島さんの結びの文章なのです。

川島さんは2002年に2人の元船頭に会うため土佐清水市を訪れました。そのうちのひとり植杉豊さん(昭和14年生まれ)はカツオ一本釣りの名船頭として知られたお方。そして2013年にも同市を再訪し、植杉さんと再会したのです。

つぎの結びの文章が強く印象に残りました。引用します。

〈 さて、この土佐清水市の清水港は、最初に足を踏み入れたときから、気仙沼の内湾に似た風景だと思っていた。内湾の五十鈴神社の森と同様の鹿島神社の森が、漁船が繋がれている入り組んだ湾に影を落としている。

東日本大震災後の2013年に、植杉さんと再会したときは、自宅で2人、酒を酌み交わした。少し酔ったのかもしれなかった。帰りの宿まで歩く道すがら、清水港の夜景は、以前の内湾の夜と勘違いするようだった。震災から2年目のこと、懐かしさと無念さで、涙が浮かんできたことを覚えている。〉(引用は以上)


学年こそひとつ下ですが、同じ年に生まれ気仙沼の同じ町の風景を見て育った秀一さんの心情。

懐かしさと無念さ。心にしみてきます。

2020年10月22日ブログ「日本民俗学会会長」
2018年7月27日ブログ「川島秀一 日経寄稿」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 川島秀一

直喜さんの「祖父」

気仙沼ロータリークラブが10月12日、気仙沼市に『定本落合直文綜合歌集』を寄贈したとのことです。10月14日の三陸新報の記事を紹介します。

ロータリークラブ

三陸新報10月14日記事の一部イメージ


『定本落合直文綜合歌集』についてはつぎのブログで紹介しました。

10月8日ブログ「落合直文綜合歌集」
10月19日ブログ「落合直文歌集紹介」

14日の三陸新報記事によれば、寄贈された綜合歌集は、市内中学校全11校に各1冊、市図書館に3冊届けられるとのことです。

気仙沼市図書館は、気仙沼図書館と本吉図書館そして唐桑分館の3館ですから、各館1冊に所蔵されるのではないでしょうか。

気仙沼ロータリークラブではこのほか、気仙沼高校、気仙沼向洋高校、本吉響高校、東陵高校の4校と、気仙沼リアス調理専門学校、仙台文学館にも寄贈することにしているそうです。

記事の写真で菅原市長の右側にうつっているのが気仙沼ロータリークラブの竹淵顯会長。気仙沼の双葉印刷さんの代表です。


◎今泉直喜さん

記事にはもう一人のお名前がありました。同クラブ新世代奉仕委員長の今泉直喜さんです。気仙沼建築設計事務所の代表で、宮城県建築士会気仙沼支部の支部長もつとめています。私たちのふたつ下、気中22回生。10月13日のブログ「『気仙沼案内』復刻」にも記しましたが、中学生のころからよく知っています。

今回の落合直文綜合歌集に関して直喜さんがこうして熱心に活動されていることを大変うれしく思いました。

そんな直喜さんから電話をもらったのは10月はじめのことでした。臼井真人君(3年2組)から番号を教えてもらったとのこと。50年ぶりの話のなかには、落合直文はもちろんのこと、気仙沼の三日町出身で大正デモクラシーを主導したひとりで〈哲人政治家〉とも呼ばれた小山鼎浦(本名:東助)の名も。

さらには、気仙沼を2度訪れて観音寺や菅野青顔宅に逗留したことのあるダダイスト辻潤のことなども。いずれも、気仙沼でその名が忘れられかけているのが残念であると。

直喜さんが辻潤の名をあげることになんの不思議もありません。なぜならば気仙沼図書館の初代専任館長である菅野青顔さんの孫なのです。青顔さんの長女である節子さんの長男が今泉直喜さん。

というようなことで、直喜さんが落合直文をはじめ気仙沼に縁(ゆかり)ある人々にもっと関心をもってほしいと思うのも自然なことなのでしょう。ある意味で〈血が騒ぐ〉のではないかと。

直喜さんは落合直文の歌碑の写真も送ってくれました。この歌碑についての話は日をあらためて紹介しようと思います。直喜さん、いろいろとありがとうございました。

2016年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 落合直文今泉直喜菅野青顔

「□ship」の読み方

10月16日に、岸田首相が気仙沼市を訪問しました。これを伝える菅原市長のツイートをまずはご覧ください。


左側の画像にうつっている〈気仙沼大島亀山山頂アクセス整備について〉の要望中に、〈新計画では中腹駐車場拡張とモノレール設置予定〉という記述がありました。また右の写真では、岸田首相の右肩後に臼井真人君(3年2組)がうつっています。市議会議員としての参加でしょう。

といったトピックもあるのですが、ここからが本題。

菅原市長の投稿文章中にある〈特にPIER7内□shipでは移住・定住支援センターMINATOの皆さんに沢山質問していました〉の〈PIER7内□ship〉を皆さんはどう読んだでしょうか。

気仙沼の人はよく知っているはずですが、答は〈ピアセブン内スクエアシップ〉です。PIERは、埠頭(ふとう)とか桟橋(さんばし)、岸壁のこと。内湾のあの場所が7番岸壁であることから、写真にうつる建物「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」には「PIER7」の表示がなされています。これについてはまたあとで。

問題は□shipです。PIER7内の会員制シェアスペースの名称が「□ship(スクエアシップ)」。正方形だからスクエア(SQUARE)ということ。

スクエアシップの公式フェイスブックを見ればわかりますが、スクエアシップのロゴマークで図形シンボルの下に示されている名称が「□ship」です。これはこれで課題ありと思うのですが、よしとしましょう。しかし、上記投稿などの市長メッセージのなかでの表記は「スクエアシップ」としたほうがよかったのではないかと。

このスクエアシップの表記については、菅原市長と話したことがあります。PIER7がオープンしたのは2019年4月のことですから、同年11月に東京で開催された「気仙沼を元気にする会」の懇親会だったと思います。ゲストは、MINATOの皆さんでした。

市長との雑談的な話のなかで私から〈□shipの表記はスクエアシップにしたほうがいいですね〉と申し上げました。私としては、市長から〈自分もそう思うのだが管轄外なので〉といった返答を予想していたのですが、その読みは見事にはずれました。

市長からは□にこめた意味の説明があったように思います。私がそれで納得したわけではありませんが、少し言葉を交わしたあとに〈この辺でやめておきましょう〉と。少なくとも市長に強いこだわりがあることはよくわかりました。

その市長の思いが市としての表記方針になっているのだと思います。「気仙沼まち大学」のサイトでは、所在地表示では「2階 □ship(スクエアシップ)」としていますが、拠点についての見出しでは「□ship」です。PCで見るとフォントの関係で□が小さくなってしまってなにがなにやら。

担当デザイナーは、ほかの見出しにそろえて大文字で「SQUARE SHIP」にしたかったと思いますよ。しかし、市の表記方針に従ったのでしょう。

以上のようなことを考えると、そろそろ表記方針を再検討してもよいのではないかと思っています。

◎PIER7

つぎは「PIER7」について。

「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」の愛称をサイトでは「創(ウマレル)」としています。これは、内湾の商業施設群「ないわん」の「迎(ムカエル)」「結(ユワエル)」「拓(ヒラケル)」との表現形式をそろえるという方針だったのでしょう。

同プラザの施設紹介では、〈愛称を「創(ウマレル)とします〉に続けて、〈併せて、震災復興計画の重点事項に掲げている「気仙沼漁港のナンバリング」として、県が定める7番岸壁が当施設前のエリアに当たることから、建物壁面に「PIER7(ピアセブン)」の表示を施しています〉と記しています。これが当時のプレスリリースなど市の公式説明なのですが、愛称がふたつというのはおかしいので〈表示〉としたのではないかと。担当者の苦労がしのばれます。

ただ、「創(ウマレル)」は、創の字に「生まれる」の意味を持たせる無理もあってか、定着しているかどうかは疑問です。ほかの3つは商業施設ですが、「創」は違いますしね。

そうした現状を前提に割り切るのならば、「創(ウマレル)」の使用は控えて、「PIER7」使用の方向に舵を切ってはどうでしょう。気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ「PIER7」と。長めに表記できるところでは「PIER7(ピアセブン)」に。実際にプレスリリースなどでの場所表記では「PIER7(気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ)」が多く見受けられます。市長の意に沿うことにもなるでしょう。「創」さんには申し訳ないのですが。

しつこくてごめんなさい。ロゴマークでの表記問題やネーミングなどブランディング関連の仕事も多いので、どうしても気になってしまうのです。あくまで中の細かな事情を知らぬ外部からのひとつの意見としてお読みいただければと。

つぎのブログで、「まち・ひと・しごと交流プラザ」のオープンを紹介しながら、RIA/山口文象、岡田新一、石山修武、伊東豊雄といった建築家4氏について記しました。そこに、〈創/ウマレル、ピアセブンといった名称に関して感じたことはまたあらためて〉と書いておりました。

本日は、ドラマでいうところの〈伏線回収〉ということでご容赦いただければと。2年半たっちゃったけど。どうぞよろしく。

2019年4月17日ブログ「気仙沼交流プラザ」

 

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tag : スクエアシップPIER7

直文綜合歌集紹介

先週、10月8日のブログで紹介した『定本落合直文綜合歌集』が手元にとどきました。まさに「定本(ていほん)」の名にふさわしい全568頁の堂々たる書籍です。

すでにご紹介したように本書の注文は編著者である伊藤文隆先生に直接おこないます。届いたレターパックには、書籍のほか本書刊行にまつわる話を記した伊藤先生の10月1日付けの文章とリーフレットが同梱されていました。

本日紹介するのは、そのリーフレット内容です。8日のブログでこの本を説明するとき、ネット上で本書の情報や画像を探したのですが、見当たりませんでした。

今回の本書刊行は、伊藤文隆先生の自費出版という形のせいか出版社からの情報発信もこれからなのでしょう。そんなこともあり、このブログでリーフレット内容を紹介することにいたします。不都合があれば取り下げるということで。

まずは4画像をご覧ください。




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付け加えることはありませんが、注文方法を再度記しておきます。

葉書に、郵便番号・住所・氏名・電話番号・冊数をご記入のうえ、下記までお申し込み願います。お届けされる本に郵便振替用紙が入っていますので、それを用いて税込み4950円をお振り込みください。振込料・荷造り送料は無料です。

〒010-1617 秋田市新屋松見が丘東町9-15-3
伊藤 文隆 様宛

10月14日の三陸新報は、気仙沼ロータリークラブがこの本を気仙沼市に寄贈したことを報じていました。これについては回をあらためて紹介させていただきます。

「定本落合直文綜合歌集」、どうぞよろしく。

10月8日ブログ「落合直文綜合歌集」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 落合直文綜合歌集伊藤文隆

インドネシアと交流

気仙沼市とつながりが深いインドネシアとの交流促進に向け、市民有志による一般社団法人「気仙沼インドネシア友好協会」が設立されました。10月8日の三陸新報が伝えてくれました。

インドネシア

三陸新報10月8日記事の一部イメージ


10月7日には、関係者7人が市役所を訪れて、菅原市長に設立を報告したとのこと。7日に菅原市長がつぎのようにツイートしています。


三陸新報の記事には、代表の熊谷英樹さん(元気仙沼図書館長)と、設立に携わった東洋大学の長津一史教授(社会学部)のお名前がありました。市長の右隣が熊谷英樹さん、そのまた右が長津教授です。

左から3人目は、鈴木敦雄さんですね。先日のブログで、「ミュージック・クラブ&真空管」店舗再建を紹介しました。以前から八日町のまちづくりのほか、イベントでのインドネシア関連催事などに関わっていたと思います。

左端は、三浦友幸さんでしょう。大谷地区の防潮堤問題をはじめ、まちづくり活動に積極的に取り組んできました。現在は市議会議員のひとりです。

友好協会は今後、インドネシア人技能実習生などと市民との親交をはかる活動を企画していくとのことです。その第1弾として、11月14日には「気仙沼インドネシア・デイ」を市まち・ひと・しごと交流プラザ(結/PIEA7)で開催するとのことです。これについてはまた詳しいお知らせがあるでしょう。

2018年4月にオープンした気仙沼図書館の建設費には、震災直後にインドネシア政府から寄付された200万ドル(約1億6000万円)も充てられています。そして同図書館には児童図書エリア「ユドヨノ友好こども館」が設置されました。

また、2003年に「バリパレード」として始まった、気仙沼みなとまつりの「インドネシアパレード」も市民におなじみの催事となっています。

三陸新報の記事には熊谷英樹代表の言葉が紹介されていました。「市内には漁船や水産加工、土木など、多くの現場で研修、働いているインドネシア人がいる。さまざまな交流の機会を通じて、市民との距離を縮めたい」。

両国関係者の努力で築き上げられてきた良好な関係が、同協会の活動によってさらに良いものになればと願っております。

2019年3月1日ブログ「外国人技能実習生」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : インドネシア

わが街10年の歩み

本日は気仙沼高校同級生の話題です。10月7日の三陸新報に藤野茂康君の姿がありました。


鼎
三陸新報10月7日記事の一部イメージ


気仙沼の写真愛好家グループである写真集団「鼎」が、〈わが街10年の歩み〜写真集「平成の大津波」〉を発行したとのこと。非売品ですが500部を作成し、関係各所に寄贈されるとのこと。

この写真集には、過去に市内で開催した写真展「昭和の街並み」の作品をはじめ、震災の数年前に撮影した作品などが収録されています。震災前と後の定点撮影写真も掲載されているそうです。

記事写真の右側が気高同級生/気高22回生の藤野茂康君です。元気そうでなにより。そして左側が同グループの代表である佐々木徳朗さんです。佐々木さんは写真愛好家というよりも写真家とお呼びしたほうがよいのではないかと。プロとかアマとかいうことではなくて。

佐々木さんは86歳と記事にありましたが、とても若々しいことにおどろきました。このブログでも何度か紹介させてもらいました。東京の表参道の写真展についてはつぎのブログで。

2015年12月7日ブログ「表参道の写真展」

佐々木徳朗さんは、気仙沼市立水梨小学校が独立する前の分教場時代の卒業生です。そうしたこともあって、佐々木さんは水梨(みずなし)地区の風景や暮らしも写真として記録し続けています。つぎのブログでその活動を記しました。佐々木さんが制作した「水梨小学校の思い出」という19分間の映像も紹介しています。

2020年9月24日ブログ「水梨小の歴史映像」

この記事をお読みいただければ、写真愛好家というよりも写真家ではと書いた私の気持ちを理解していただけるのではないかと。

おっといけない。藤野君についての話を忘れてはいけませんね。

藤野茂康君はいま、アサヤ(株)の常務をつとめています。そのアサヤさんの会社案内が2018年「日本BtoB広告賞」企業カタログ部門で最高の金賞を受賞しているのですが、その写真を撮影したのが藤野君です。

2018年6月22日ブログ「アサヤの会社案内」

2017年11月3日のブログ「写真集団鼎展」では、藤野君をつぎのように紹介しました。

〈藤野君は、鹿折中学出身でした。高校のときは魚町の我が家の前を自転車で駆け抜けていったのをおぼえています。地学部で天体観測などもやっていたはず。佐々木徹君(気中3年1組)などもメンバーだった地学部のいわば〈天体班〉です〉

アサヤの仕事をしっかりとこなしながら、趣味の写真や時には書なども。なんかうらやましいなあ。

ちょっと長くなってしまいましたが、69歳とか70歳になる同級生が元気にやっていることを知ると、なんか励まされるような気持ちになるのです。そして、86歳だという佐々木徳朗さんがこうして元気に活動をしていることを知ればなおさらのこと。

この三陸新報の記事は、〈わが街10年の歩み〉とともに、佐々木徳朗さん86年の歩みを思い起こさせてくれました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐々木徳朗藤野茂康

市橋さんの写真展

「気仙沼漁師カレンダー2022」のために、市橋織江さんが撮影した写真の展覧会が昨日10月13日から東京の青山ブックセンター本店で開催されています。

◎気仙沼漁師カレンダー2022写真展

・会場
青山ブックセンター本店・ギャラリースペース
東京都渋谷区神宮前5-53-6
コスモス青山ガーデンフロア (B2F)
・開催日
10月13日(水)~10月26日(火)
・時間
平日 10:30~21:00 土日 10:00~21:00  
最終日は17:00まで
・料金 無料

漁師カレンダーの企画や制作を毎年担当してくださっているバンブーカット代表の竹内順平さんが、準備作業完了時の会場映像を投稿してくれました。


なんかとてもいい感じですね。2022年版カレンダーでは、各月にイラストレーションも配されているのですが、担当した外山夏緒さんの原画7点も展示されています。

上のツイートにもありましたが、10月16日(土)には市橋織江さんと竹内順平さんのトークイベントも開催されます。青山ブックセンターのツイートでご紹介します。


◎市橋織江トークイベント

・開催日
10月16日(土)18:00~19:30
・会場
青山ブックセンター本店・大教室
・定員 60名
・料金 無料

残席数は不明ですが参加申し込みは、こちらから。

私はトークイベントの参加を申し込み済みです。漁師カレンダーもそこで購入予定。

新型コロナも一応の落ち着きをみせて、こうしたイベントにも気軽に参加できるようになりましたね。なによりのこと。私は9月19日に終了間際の「イラストレーター安西水丸展」(世田谷文学館)に、9月29日には「GENKYO 横尾忠則」展(東京都現代美術館)にでかけました。どちらもとてもよかった。

今度の土日など、青山で市橋織江さんの漁師カレンダー写真などはいかがでしょうか。どうぞお出かけください。

9月28日ブログ「市橋織江さんの音」

 

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tag : 漁師カレンダー市橋織江

「気仙沼案内」復刻

10月5日の三陸新報に、110年前に発行された「気仙沼案内」の復刻版が刊行されたという記事が掲載されていました。


10:5気仙沼案内
三陸新報l10月5日記事の一部イメージ


この「気仙沼案内」は、1911(明治44)年に気仙沼町魚町「富田本店」が発行したもの。発行者は、「富田百之助本店」や「富田本店」の富田百之助さんです。

私が気仙沼に住んでいたときには、魚町通りの大藤屋さんの向かいにカバンの「富田本店」、そして海岸通り側の田中砂糖店とヨネキの間に紙の「とみた」がありました。いずれも百之助さん創業の老舗です。

今回の復刻版を発行したのは、富田百之助さんの玄孫(やしゃご)である冨田隆平さんです。私たちの6コ下の気中26回生。現在は仙台在住とのこと。

隆平さんは、東日本大震災で被災した家業を再建できなかったことから、先祖や古里への謝意を込めて出版したと記事にありました。

この「気仙沼案内」に掲載されている気仙沼の店舗広告などは気仙沼市史でも一部が紹介されています。そんなこともあり、記事にあった冨田さんの電話番号に連絡してぜひ入手しようと思っておりましたら、別件で気仙沼の今泉直喜さんから電話がありました。直喜さんは、気小・中・高で2つ下。気中22回生です。

そして直喜さんが、この「気仙沼案内」を贈ってくださるというのです。〈こういうのは小田さんが好きだと思って〉と。もちろん大好物ですから、お言葉に甘えました。

翌日にほかの資料とともに届いた「気仙沼案内」は想像以上のものでした。私は記事の写真にもうつっている内湾風景写真と地図、それと小冊子かと思っていのですが、冊子は本文150頁もありました。

内容としては、口絵的なものが8頁、写真にうつっている気仙沼町の概要や名勝地の紹介が66頁ほど、そして気仙沼の名だたる商店などの広告が76頁となっています。

本日は、広告の最後に掲載されている2見開き/4頁分を紹介させてもらいます。


1_20211012160533d2e.jpg

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両画像とも「気仙沼案内」復刻版より


最初の画像の左側が富田百之助本店の広告。次の画像の右側が同店の別広告で左側が富田本店の外観写真です。当時の繁盛ぶりがうかがえます。

外観写真の左下にお店の方々がうつっていますが、座っていらっしゃる方が富田百之助さんではないかと。

このほか、いろいろと興味深い内容が満載です。冨田隆平さんに連絡をとって、あらためて紹介させてもらうことにいたします。

隆平さん、ありがとうございました。そして、今泉直喜さんにも御礼を。おかげさまでこれからの楽しみがまたひとつ増えました。

本書は200部を作成し、気仙沼市内「宮脇書店」で販売とのこと。1400円(税抜)。現在の在庫状況は不明です。

宮脇書店 気仙沼店
電話 0226-21-4800

それにしても110年前に発刊された「気仙沼案内」を曾孫の子/玄孫が復刊するとは。高祖父の百之助さんも喜んでいることと思います。これは、ひとつのファミリーヒストリーといってよいでしょう。
 

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tag : 気仙沼案内復刻版冨田隆平

「モネ」名前の由来

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の「モネ」は永浦百音(ももね)の愛称「モネ」であるわけですが、その由来については放送直後からいろいろと話題になっていました。

気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区と関係があるのではないかという推測もかなり多かったように思います。畠山重篤さんがこの舞根にてカキの養殖をしていることなどがその理由です。

このドラマのテーマは、重篤さんなどによる〈森は海の恋人〉活動の理念も参考とされていますし、藤竜也さんが演ずるモネの祖父の人物造形にあたって、重篤さんも参考とされていることは既にご存じのとおりです。舞根とモネを重ね合わせるのはごく自然なことでしょう。

◎NHK「日本人のおなまえ」

NHK総合テレビ「日本人のおなまえ」7月15日の放送でも「モネの由来」について取り上げていました。

この日の放送は「おかえりモネコラボSP!」。先日のブログで紹介した「気仙沼」という地名の由来に続いて、「ヒロイン“モネ”の由来を発見 !?」という話に移りました。

リモートで登場した畠山重篤さんは〈私の住んでいる舞根から取ったなってパッと思いました〉と語ります。



「日本人のおなまえ」放送画面より


しかしサブMCの赤木野々花アナは、〈プロデューサーに確認したところ、舞根から取ったわけではない〉と重篤さんの推測を否定したのです。本人もなにか言いにくそうにというか言いたくなさそうな表情で。こんな感じ。

IMG_4857.jpg

これに対して、メインMC古舘伊知郎さんは、なにもわざわざ否定しなくてもいいのにと、叱りながら笑っていました。


◎安達奈緒子さんの答

あれから3か月。10月6日にNHKサービスセンターから発行された「おかえりモネ メモリアルブック」に新たな情報がありました。このドラマの原作・脚本を担当した安達奈緒子さんが、質問に対してつぎのように答えていたのです。

Q:百音の名前の由来は

A:語感の良さ、画家のモネから連想される豊かな色彩のイメージ、気仙沼のカキの産地に舞根(もうね)という場所があるなど、由来は複合的ですね。ただ、「百音」という字には「100の音を聴く」という意味を込めました。彼女は全ての声を聞き、咀嚼(そしゃく)して出していく人なので。一方で未知は「世界をまだ知らない」「これから」という未知の意味を込めてつけています。(引用は以上)

「百音/ももね/モネ」の由来に関する決定的な情報ですね。作家自身の言葉ですから。舞根もヒントになったことは間違いないようです。

なお、このメモリアルブックには、畠山重篤さんのスペシャルインタビュー記事も掲載されています。

しかしなんというか、おかえりモネの放送もあと3週間。10月29日が最終放送日です。本日紹介したNHKのMOOK(ムック)も「メモリアルブック」と名付けられていました。

あんなこと、こんなこと。みな思い出になってしまうのか。まだ早いけど。

以上、モネの由来について。ご報告ということで。

安達奈緒子さんには、百音だけでなく未知の名に込めた意味までも教えていただきました。ありがとうございます。

7月23日ブログ「気仙沼のおなまえ」


  

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tag : おかえりモネ舞根

魚町・南町の4公園

10月6日の三陸新報に気仙沼市魚町・南町の土地区画整理事業に関する記事が掲載されていました。見出しは「年内完了目指し工事終盤」。

魚町
三陸新報10月6日記事の一部イメージ


2014年10月に着工した魚町・南町土地区画整理事業の工事は、公園など一部の工事を残すのみであるとのこと。

記事によれば、4カ所の公園のうち3カ所がおおむね完成し、残っているのは神明崎近くの「1号公園」の工事とのこと。魚町の通りから浮見堂に向かうところの公園ですね。

私がわからなかったが記事の写真、南町の「2号公園」です。ということで気仙沼市の都市計画サイトにあるまちづくりマップを見てみました。


まちづくりマップ

魚町・南町地区まちづくりマップ(2021年8月末現在)


2号公園の場所は、震災前の割烹世界とかレストランナリタなどがあった場所の裏側という感じですかね。しかし、写真がどの方向から撮ったものか見当がつきません。なにがなにやら。

3号公園は、以前でいえばエースポートの広場。港町ブルースの歌碑があったところです。4号公園は、バスの案内所があったところかな。あってますか。

記事には、市土地区画整理室による8月末現在の宅地利用状況が紹介されていました。それによれば、宅地297区画のうち、住宅や店舗、事業所などの用地として活用されているのは面積の6割156区画です。内訳は住宅49区画、事業所・店舗が76区画、駐車場・公益施設などが31区画。宅地が利用されている割合は、すでに工事が完了している鹿折、南気仙沼地区と比べて2割ほど上回っているそうです。

それでも未活用の宅地が4割あるということですかね。それが魚町・南町8月末の風景ということでしょう。


昨年末に、魚町・南町地区土地区画整理事業における全宅地の引き渡しが完了したことについてはつぎのブログで紹介しました。1号公園の場所にあった斉富商店、全漁連の冷凍庫ビル、遠間さん宅、製氷会社などのことも記しました。

2020年12月9日ブログ「魚町土地区画整理」

 

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tag : 土地区画整理事業

落合直文綜合歌集

本年11月に気仙沼で予定されていた「第34回落合直文全国短歌大会」は、新型コロナ感染拡大防止のために、誌上大会とすることを実行委員会が決定したとのことです。誌上大会ということは、気仙沼現地でのイベント開催はなしということでしょう。9月30日の三陸新報が伝えていました。

気仙沼出身の歌人、落合直文(おちあい・なおぶみ)は2021年で生誕160年。これを記念して今年は、11月21日に全国短歌大会のほか記念講演やシンポジウムを「落合直文生誕160年祭」として開催予定でした。気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業のひとつ。

記念祭の内容はつぎのブログで紹介しております。なお、煙雲館での落合直文事績の展示は予定どおり11月20日から開催されるようです。

7月7日ブログ「落合直文短歌大会」


◎「定本落合直文綜合歌集」

ここからが本題です。9月30日の三陸新報にはもうひとつ落合直文関連の記事が掲載されていました。鼎が浦高校(現在は気仙沼高校)で教諭をつとめていたことがある伊藤文隆さんによるつぎの投稿です。

伊藤先生投稿
三陸新報9月30日記事より

落合直文綜合歌集
上記記事中の書影拡大


伊藤文隆さんの編著書「定本 落合直文綜合歌集」が10月に発刊されるとの内容です。

秋田文化出版社
「定本落合直文綜合歌集」
A5判 567頁
4950円(税込)

伊藤さんは現在77歳で秋田市在住。文末に記されているように〈元鼎が浦高校教諭〉です。現代国語担当だったと思います。私は伊藤文隆さんにお会いしたことはありませんが、そのお名前は知っておりました。

30年以上前になると思いますが、三陸新報に連載された記事を読んでいたのです。気仙沼図書館初代専任館長である菅野青顔さんの研究を通じて、辻潤をはじめとする気仙沼と縁ある文学者の紹介だったように思います。私は、気仙沼の実家で読み終えた三陸新報1週間分などをまとめて送ってもらっていました。

◎本書内容

書名に「定本(ていほん)」や「綜合」とあるように、伊藤さんは投稿タイトルにもある「決定版全歌集」としてこの本を編みました。

投稿によれば、直文の総歌数は1328首とのこと。本書にはその全歌がおさめられているのはもちろん、全7章にわたって落合直文の全体像が凝縮されているとのこと。各章内容はつぎのとおりです。

各章内容

①落合直文と一族の歌
②寄稿文、詩文小品
③直文歌と詩の総合解釈
④歌の基本書・歌論・周辺を辿る
⑤鉄幹、子規、鴎外の別な顔
⑥直文歌の現在
⑦直文と近しい4人
・年譜・系図譜・あとがき・索引

投稿記事にはいろいろと興味深いことが書かれていますが、ここでの紹介は略します。

本日、この投稿記事を紹介したのは、一冊でも多くこの本をお求めいただきたいと思ったからです。特に気仙沼の皆さんに。

詳しいことはわかりませんが、本書は伊藤先生がその費用的なリスクも負って発刊されるのでしょう。投稿には、当初の発行部数を1千部と考えたものの赤字となるため2千部にしたとありました。

1991年7・10・11月に明治書院が発行した「落合直文著作集」全3冊は各1万8000円だったそうです。その700部中の500部が気仙沼で完売したとのこと。

気仙沼で「落合直文会」が発足したのは1984年12月16日のこと。初代会長は現在の臼福本店会長の臼井賢志さんです。伊藤さんはこの1991年の著作集について〈直文会の人たちも若く、市内で売り切った〉と記しています。これを当時の気仙沼の豊かさとみるか文化度の高さとみるか。あるいはその掛け合わせか。

そして今回、2021年10月の「定本落合直文綜合歌集」発刊です。

落合直文や短歌の世界にさほどの関心なしという方も多いことでしょう。私も、落合直文の人物像には関心があるものの、短歌の世界はよくわかりません。

そして、本書は税込み4950円と決して求めやすい価格ではありませんよね。それを承知のうえで落合直文の功績を後世にしっかりと伝えていくことへのご支援をいただければと。伊藤文隆先生のご努力にも報いたく。

気仙沼市内書店での委託販売など、伊藤さんの手をわずらわせることなく市内で購入できるようになればと思うのですが、今のところは伊藤さんへの直接注文となります。

葉書に郵便番号・住所・氏名・電話番号・希望冊数を記入の上で、下記まで直接お申し込みください。同書配送時に同封される郵便振込用紙を使っての料金振込ということだと思います。

〒010-1617
秋田市新屋松見が丘東町9の15の3
伊藤文隆さんまで

私ですか、もちろん葉書注文完了済みです。

一家に一冊 落合直文。どうぞよろしく。

2月5日ブログ「鮎貝家の落合直文」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 落合直文伊藤文隆

亀山に「ゴンドラ」で

震災後に撤去された気仙沼大島の亀山リフトに変わるアクセス手段について、市が動力的な乗り物の導入を検討していると9月23日のブログで紹介しました

9月23日ブログ 亀山に「乗り物」で

ブログで紹介したように、この計画は9月21日の市議会において、熊谷雅裕議員の質問にこたえる形で明らかにされました。

9月28日の市長定例記者会見でも、その構想が語られたとのことです。10月1日の三陸新報が伝えています。


ゴンドラ
三陸新報10月1日記事の一部イメージ


記事によれば、乗り物はゴンドラ型の見通しとのこと。そして、浦の浜発着ではなく、中腹駐車場と山頂を結ぶことを想定。また通年運航として星空観察などに利用できる夜間運航にも対応したいとしています。

中腹駐車場〜レストハウス〜山頂というルートということですね。以前のリフトは浦の浜からレストハウスまでで、春から秋の日中運行でした。

記事には、最大の課題は採算性だとしています。菅原市長は「運営が赤字となっては本末転倒。事業者を募集するには黒字化できる根拠を示さねばならない」などと語り、「応募事業者の意向にもよるが、第3セクター方式もあるだろう」との見解を示したそうです。

1967年に開業した以前のリフトは老朽化も進んでいましたが、その補修もままならないというのが実情でした。毎年の赤字が伝えられていましたね。

市としては年度内に方針を固めて早期着工を目指すとしています。今後、さらに詳しい計画が明らかにされることでしょう。

いろいろと課題が多いようですが、なんとか採算のとれる計画が実現するようにと思っています。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 亀山リフト

気仙沼での大相撲

昨日のブログで、日本相撲協会力士会のご支援で整備された気仙沼市総合体育館「ケー・ウエーブ」の相撲場と横綱白鵬関のことなどを紹介しました。

10月5日ブログ「横綱白鵬関の引退」

本日は、気仙沼と大相撲に関して記した2つのブログを再掲します。

一つ目は、2014年8月12日ブログ「大相撲巡業」です。明治36年からの気仙沼での大相撲巡業の年表を紹介しています。私は1957/昭和32年に、いまは内湾商店街となっている旧魚市場前でおこなわれた鏡里関らによる気仙沼巡業の記憶があるのです。

二つ目は、上記のブログ中にも記した1926/大正15年に気仙沼市三日町の少林寺境内で催された巡業風景写真についてです。

お手すきのときにでもお読みいただければと。


①2014年8月12日ブログ再掲

大相撲気仙沼巡業

きのう、明日13日の白鵬関気仙沼訪問についてのブログを書きながら、小さな頃に旧魚市場跡地で大相撲の巡業を見たことを思い出しました。あれはいつのことだったか。いつもの「気仙沼文化史年表」(荒木英夫編著)で調べてみました。すると、明治36年から平成11年までに計18回もの興行が記されていました。これを機会に、開催年と場所、主要出場力士を簡単にまとめておきましょう。

1903:明治36年 谷の川、大蛇潟
1909:明治42年 南町で、梅カ谷、駒ヶ岳
1926:大正15年 少林寺境内で、若葉山
1929:昭和 4年 横綱宮城山
1930:昭和 5年 常の花
1931:昭和 6年 横綱玉錦
1933:昭和 8年 金華山、古賀浦
1935:昭和10年 水産試験所分場跡地で、清水川
1937:昭和12年 横綱男女川
1947:昭和22年 気仙沼小学校校庭で、前田山
1949:昭和24年 増位山、千代の山
1950:昭和25年 気仙沼小学校校庭で、横綱照国、羽黒山
1951:昭和26年 千代の山
1952:昭和27年 羽黒山、照国、東富士 三横綱出場
1955:昭和30年 安念山、時津山
1956:昭和31年 栃錦
1957:昭和32年 魚市場前で、鏡里、鶴が峰、大内山
1999:平成11年 大相撲気仙沼場所をケー・ウェーブで

「気仙沼文化史年表」の記載は2000年までですので、それ以降の大相撲巡業の経緯はわかりません。また、年表の記載もれもあるかもしれませんが、少なくとも18回の巡業。戦前・戦後にわたって、気仙沼でこれほどの多くの相撲興行が行われていたとは知りませんでした。初期の記述は、河北新報や気仙沼のローカル紙だった大気新聞の記事などを基にしたもので、それらの多くは「東京大相撲」興行として記してありました。調べてみると1927年には、大阪相撲協会が解散して東京大相撲をベースとする大日本相撲協会に合流しています。しかしそれ以降も地方巡業などでは「東京大相撲」という呼称が使われていたのかもしれません。

4歳上の兄に聞いてみたところ、自分が小さかった頃の横綱は、千代の山、鏡里、吉葉山、その後に、栃錦、初代若乃花の〈栃若時代〉が続いたといいます。気仙沼での相撲興行のこともよくおぼえていて、〈誰だか忘れたが、横綱が望洋館(ホテル望洋の前身)に泊まったときには見に行った〉といいます。そして、巡業時の多くの力士は、旅館のほかに気仙沼の魚問屋など贔屓(ひいき)筋の地元有力者宅に泊まり、それらの玄関には部屋名の提灯がかかげられたと。

私が記憶していたのはたぶん1957(昭和32)年8月4日の巡業でしょう。5歳のとき。年表には〈魚市場前〉でとありますが、1956年3月には旧市場を閉鎖し、現在地に新魚市場を開設していますから、やはり〈旧魚市場〉跡地(旧エースポート)での開催です。鏡里(かがみさと)は、1953年3月に横綱に昇進していますので、気仙沼にも横綱として登場したのです。

鏡里
1955年9月場所優勝時の鏡里(wikipediaより)

この旧魚市場跡地での相撲巡業を覚えているといっても、相撲の取組などの具体的な記憶はまったくありません。ただ、土俵を囲む人達が持っていた、黒地に金で太陽と月が描かれた軍配(ぐんばい)が欲しかったものの、買ってもらえなかったことだけは思い出しました(笑)。連れていってくれたのは、9歳の兄だったのかもしれません。

巡業の夜、南町あたりの料亭で横綱を囲んで谷町(たにまち)らとの宴がもたれたはず。そとには宿にともる提灯のあかり。なんとも贅沢な気仙沼の夜が更けていきます。


② 2014年8月19日ブログ再掲

少林寺での大相撲

8月12日のブログで、気仙沼における相撲巡業の変遷を紹介しました。その中に、1926(大正15)年の少林寺境内での巡業がありました。大正時代だったこと、少林寺で行われたことが印象に残りました。

その時のものと思われる写真が、「目で見る気仙沼の歴史」(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていましたので紹介します。

少林寺相撲

「目で見る気仙沼の歴史」掲載写真(クリックで拡大)

キャプションには〈少林寺境内での大相撲地方巡業 大正末〉とありますので、上記巡業と考えて間違いないでしょう。「気仙沼文化史年表」には、大気新聞記事からとして〈大正15年9月27日 少林寺境内で東京大相撲興行 若葉山ら出場〉との記述。右上方にある「ユニオンビール」の脇の文字は不鮮明ですが、たぶん「東京大相撲協会」だと思います。

少林寺は、気仙沼市三日町にあります。八日町から行くと、沢田の入口を過ぎて次の小道を左に入った先。寺に向かう道か入口近辺は〈テラミチ(寺道)〉と呼ばれていたように思う。少林寺のお祭りのときに、その細い道に提灯がかざられていたかすかな記憶があります。入口にある店では団子かなんかを売っていました。

大正15年9月の相撲巡業のときには、あの道を大勢の人がのぼっていったのでしょう。とにかくすごい人出です。若葉山という力士は実力がありながらも大関になれず関脇どまりだったようですが、それでもこれだけの人を集めています。当時の大相撲人気の証かもしれません。

この写真をながめていると、当時の気仙沼の繁栄ぶりも感じられるのですが、この3年後、昭和4年2月23日には八日町の民家裏から出火した大火によって、町の中心地だった南町や魚町の約900戸を焼失することになるのです。大正4年の大火からわずか14年後のことでした。

(再掲内容は以上)

以上、ふたつのブログをお読みいただければ、明治・大正、そして昭和前期に漁業の繁栄を背景にした、気仙沼の豊かな文化や風俗が浮かび上がってくるのではないかと思い紹介いたしました。
 

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tag : 大相撲

横綱白鵬関の引退

9月30日、横綱白鵬の現役引退が正式に決まりました。本日は白鵬関と気仙沼都の関わりについて。気仙沼市総合体育館「ケー・ウエーブ」にある相撲場は、白鵬関が会長をつとめていた大相撲力士会の支援でつくられたものです。菅原市長は、引退の報を受けてつぎのようにツイートしていました。



市長のツイートにもある相撲場の落成式は2014年8月13日のことでした。翌日の三陸新報はつぎのように伝えてくれました。


白鵬関

三陸新報2014年8月14日記事の一部イメージ


落成式に出席してくださったのは、力士会会長の横綱白鵬関、横綱鶴竜関、そして大関琴奨菊、幕内の勢、遠藤、豊ノ島、隠岐、臥牙丸の8力士です。

記事によれば、両横綱ら力士会の皆さんは落成式の前に岩井崎を訪れ、第9代横綱・秀ノ山雷五郎像などを視察しています。

相撲場は、震災で稽古場を失った子供たちのためにと、力士会の支援で設置されました。整備費用は1200万円。土俵には両国国技館と同じ土が使われているそうです。

◎元横綱白鵬、間垣親方

白鵬関は、9月30日に現役を引退していまは元横綱白鵬、間垣親方です。宮城野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたります。

横綱審議委員会からの「注意」決議など、いろいろと物議をかもすことも多かった横綱ですが、大相撲史上最多の45回優勝はまさに偉業です。

そのことを含め、菅原市長が白鵬関への感謝を述べてくれたことをうれしく思いました。

初土俵は2001年春場所だったとのこと。白鵬関、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。どうぞまた、気仙沼へお出かけ下さい。

2014年8月11日ブログ「白鵬関、気仙沼へ」

 

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tag : 白鵬大相撲

気仙沼ロケシーン

東日本大震災から10年目におこった連続殺人事件をテーマとする映画「護られなかった者たちへ」が10月1日に公開となりました。

先週はじめの朝にこの映画のTVCMを目にしました。おっいよいよ公開かと思いながら見ていたら、漁船を背景にして佐藤健さんが自転車のうしろにモネ/じゃなくて清原果耶さんを乗せて走るシーンが。これは気仙沼だよね。

まずは本予告映像(60秒)をご覧ください。





0:47からが佐藤さんと清原さんの自転車シーン。同映画の公式サイトのロケーション情報を参考にすると、これは気仙沼市港町の出港岸壁ですね。

予告映像の冒頭にうつる避難所の小学校は2017年に閉校した市立馬籠(まごめ)小学校です。映画では、校舎玄関の上部に「杜浦(とうら)市立開湊小学校」とありました。

主題歌スペシャルトレーナーでは、旧馬籠小学校で撮影された様々なシーンが紹介されています。





この映像で佐藤健さんが、家族を失った子供(カンちゃん)と一緒にまだ瓦礫が残る坂をのぼっていくシーン(1:14〜)は気仙沼市太田(おおた)の坂だと思いますね。魚町から安波山方向にのぼっていったところ。

昨年の7月ごろ、気仙沼で佐藤健さんを見たとか、映画を撮っていたという情報が流れてきました。調べてみたら、この「護られなかった者たちへ」のロケだったという話や佐藤健さん、阿部寛さんに加え、「おかえりモネ」の清原果耶さんも出演しているということをつぎのブログで紹介しました。

2020年7月10日ブログ「清原果耶 出演映画」

このブログを書いた時点では2020年内公開予定ということでしたが、ずいぶん遅れましたね。新型コロナの影響でしょう。緊急事態宣言を受けてクランクインそのものが遅れたようです。仙台や気仙沼など宮城県内での撮影は6月20日から7月23日まで約1カ月間だったそうです。

公式サイトの特別映像などを見ると、新型コロナの影響は非常に大きく、キャストやスタッフの皆さんは完成できるのだろうかという不安をかかえていたようです。多くの人の努力や協力でこの公開の日を迎えることができたのでしょう。

現在、気仙沼の「海の市」2階では、「おかえりモネ展」が開催されていますが、9月21日からは、「護られなかった者たちへ」パネル展も併催されています。

「おかえりモネ」に加え、「護られなかった者たちへ」も、よろしくお願いいたします。

「護られなかった者たちへ」公式サイト

ロケ地情報は次のサイトにて。

せんだい・宮城フィルムコミッション特集サイト

 

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tag : 護られなかった者たちへ清原果耶

気仙沼「マラソン」

きょうは台風の影響で東京も結構強い雨が降っています。今後は北東方向へ移動するとのことですが、暴風雨などがまだあるようです。どうぞご注意ください。

本日は10月1日。本当に月日の経つのが早いですね。東京オリンピックの開会式はいつだったろう。なんか記憶があやふや。調べてみたら7月23日でした。あれからもう2か月以上も経ったのか。

閉会式は8月8日。男子マラソンもこの日でした。前置きが長くなりましたが、本日はマラソンの話です。

まずは、みなと倶楽部発行の「昭和の気仙沼風情(ふぜい)カレンダー」本年版5・6月の写真をご覧ください。


マラソン大会

「昭和の気仙沼風情」カレンダー令和3年版より


写真説明として、〈「気仙沼マラソン大会」(昭和28年)八日町旧藤崎前〉と記されています。昭和28年/1953年ということは私の生まれた年の翌年ですね。

当時は気仙沼でマラソン大会が開かれたんだなあとというのがその時の感想。そして洋服店〈コガネ〉や〈白萩書房〉の名がなつかしいなと。

しかし、調べてみるとどうもこれはマラソン大会ではなくて駅伝競争であったようです。「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)につぎの記載がありました。

昭和28年/1953年3月18日
宮城タイムス社主催三陸鉄道着工記念駅伝競走に新月チーム優勝

同年表によれば前日3月17日には、三陸鉄道気仙沼線起工式がおこなわれています。これを記念して、当時の地元新聞「宮城タイムス」社が主催しての駅伝競走が開催されたということですね。

「気仙沼市史」補遺編「スポーツ・芸術」に、新月(にいつき)地区の陸上競技に関するつぎの記述がありました。

「津谷までの気仙沼線開通記念 宮城タイムス社主催 第1回気仙沼〜津谷駅伝競走大会に参加。新月チームが見事に優勝」(引用は以上)

ほかにはマラソン関係の記述が見当たりませんから、カレンダーの写真は1953年3月18日の駅伝ということでしょうね。


◎気仙沼市誕生は昭和28年6月1日

駅伝がおこなわれた昭和28年/1953年3月の時点では、まだ気仙沼市ではなくて気仙沼町です。新月は新月村。

この年、昭和28年/1953年6月1日に、気仙沼町・鹿折村・松岩村の1町2村が合併し、気仙沼市が誕生したのです。そして2年後の昭和30年/1955年4月1日にはさらに新月・階上・大島3村が加わり、新・気仙沼市となりました。

唐桑町との合併は平成18年/2006年3月31日、本吉町の編入は平成21年/2009年9月1日のことです。

駅伝選手の背に「鹿青」の文字が見えます。これは「青鹿」ではなくて、「鹿折(ししおり)青年団」などの略称ではないかと。「ししせい」。


◎丸藤(藤崎)デパートは昭和37年開店

カレンダー説明文にある「八日町旧藤崎前」についてもちょっと説明が必要かもしれません。この写真が撮影された当時はまだ藤崎はありません。

その場所に「丸藤」デパートが開店したのは昭和37年5月。私が10歳のとき。顧客用エレベーター設置は市内初のことだったと思います。同店はその後に百貨店「藤崎」気仙沼店となりました。

2016年7月8日ブログ「気仙沼デパート史」

なんか話がマラソンから駅伝へ、そして市町村合併からデパートへと変わってしまいました。この辺にしておきます。

以上のことをふまえてカレンダーの写真をながめてみましょう。気仙沼町から気仙沼市となるちょっと前の風景。68年前の〈風情〉がただよってきます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 駅伝競走風情カレンダー

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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