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安達さんに感謝を

9月23日に気仙沼市民会館で開催された「おかえりモネ ファン感謝祭」は無事に収録を終了。東北地区では今週末10月2日(土)午前8:15から放送されるそうです。NHK仙台放送局のツイートを紹介します。


参加応募の倍率は15倍だったそうです。新型コロナ対応で参加者をかなり絞ったための競争率の高さかと思いましたが、会場の写真を見ると結構いれてますね。応募者の多さがうかがわれます。当選した人は本当にラッキーでした。

菅原市長は抽選に当たったようです(笑)。イベント当日につぎのツイートがありました。


全国放送は10月17日(日)午前1:29 (土曜深夜)なのですね。この放送を楽しみにすることにいたしましょう。

しかしなんというか、モネが気仙沼に帰ってきてくれたのはうれしいのですが、ドラマの終幕が近づいているのを感じてちょっとさびしく感じているのは私だけではないでしょう。

とはいえ、9月27日から始まった最終章/第3部「気仙沼編」でも、なんというかいろんな波がたち、風が吹きという感じです。みんな笑顔でしゃんしゃんと終わるわけではありません。さすがは安達奈緒子さんが紡ぎあげるドラマです。

最終回の放送は10月29日。あと1か月。どんなドラマが私たちを待っているのでしょうか。実に楽しみです。

本日は、ここまで私たちを楽しませてくれた安達奈緒子さんに感謝を。中締めとして。どうぞよろしく。

9月7日ブログ「モネ ファン感謝祭」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ安達奈緒子

永瀬廉さんがゲスト

本日のテレビ番組紹介です。9月29日(水)NHK総合の新番組「ロコだけが知っている」にNHK朝ドラ「おかえりモネ」で及川亮/りょーちんを演じている永瀬廉さんがゲスト出演し、〈「おかえりモネ」気仙沼秘話〉を披露してくれるそうです。


9月29日(水)午後8:15〜8:42(27分)
NHK総合テレビ
「ロコだけが知っている」

番組サイトに、この新番組のテーマについて記してありました。

日本の本当の魅力は、地元を愛する人たちが知っている!ローカルへの愛にあふれる人たちを私たちは「ロコ」と名づけました。観光、食、歴史、人…全国各地のNHKの地域放送局がつながって、“ロコだけが知っている”地元の魅力に迫ります。

MCは、サンドウィッチマンの伊達さんと富澤さんです。気仙沼をよく知るお二人との話も楽しみですね。

どうぞご覧ください。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネロコだけが知っている

市橋織江さんの音

「気仙沼つばき会」さんが企画する「気仙沼漁師カレンダー2022」が、9月10日に発売されました。8作目となる2022年版の写真を担当されたのは、写真家の市橋織江(いちはしおりえ)さんです。


   main_20210927152942a9e.jpg


気仙沼漁師カレンダー2022公式サイト

同カレンダー公式サイトでは、女性写真家の起用についてつぎのように記しています。

〈女性が乗船すると神様が嫉妬して不漁になるという古い慣わしから、過去7作品は男性の写真家が担当しています。しかし、漁師さんたちのご理解と多大なるご協力により気仙沼漁師カレンダー史上初となる女性写真家による撮影が実現しました。〉

この神様の〈嫉妬〉は、船にまつる「船霊(ふなだま)」さまが女神であるということからきているのだと思います。不漁をきらうということもあるでしょうが、まずは安全な航海を願っての女性禁忌でしょう。

そのために、こうしたならわしは軽んずることができません。つまり市橋織江さんの撮影は説明にあるとおり、まさに関係者の皆さまのご協力と制作側の努力によって実現したのです。

私は公式サイトで紹介されていた画像のなかで、特に1月の写真が気に入りました。


   

   画像はすべて(株)バンブーカット2021年9月10日プレスリリースより


この写真に私は〈音〉を感じます。船外機からの軽快なエンジン音を響かせながら、岸に向かって面舵(おもかじ)を。その後にはきれいな航跡が。

あるいは、さっきまで聞こえてきたエンジンの音が消えて、惰性で岸へ。聞こえるのはザーッという水切り音。海面には舳先(へさき)がうつっています。

いずれにしても、静かな風景のなかにひびく音。

1月の文章のなかに、船を操るのはカキの養殖業を営む小松政行さんとありました。気仙沼大島のヤマヨ水産の小松さんでしょう。政行さんの息子さんが小松武さんだと思います。

話が細かくなりますが、NHK「おかえりモネ」の9月20・21日の制作クレジットに〈カキむき指導〉としてその小松武さんのお名前がありました。ヤマヨ水産の小松武さんだと思います。

気仙沼大島での牡蠣養殖を営むモネ/永浦家の設定は、大島瀬戸付近というのがいわば〈定説〉ですから、モネの一家とヤマヨ一家を重ねあわせている方も多いことでしょう。

話を戻します。

1月の写真に付された文章のタイトルは〈笑顔の引力〉です。それを読んだせいか、はっきりと小松政行さんのいい笑顔が目に浮かびます。

市橋織江さんの捉えた〈音〉と〈笑顔〉。ホントいい写真です。


「気仙沼漁師カレンダー2022」は、公式サイトにある市内各所にて販売中です。東京では青山ブックセンター(ABC)、銀座 蔦屋書店でも。価格は1870円(税込)。上記公式サイトから通信販売もご利用いただけます。どうぞよろしく。

過去7作に関する本ブログでの関連記事はつぎの記事にまとめております。お時間のゆるすときにでも。

2020年7月28日ブログ「7人の漁師写真家」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 漁師カレンダー一橋織江

途上の街 魚町地区

9月25日の三陸新報シリーズ記事「今を見る『途上の街』」が紹介してくれたのは、気仙沼市魚町地区です。


途上の街

三陸新報9月25日記事の一部イメージ


私が生まれ育った魚町ですが、この記事写真を見て〈あれっどこかな〉と。しかし3秒後には、「ブリアン」さんがうつっていることに気づいて、方向感がよみがえってきました。海岸通りのひとつ内側の通りです。右側が安波山方向です。

記事の下部には2014年に閉校した気仙沼女子高の旧校舎がうつる写真も紹介されていました。いまはその跡地に災害公営住宅として建設された市営魚町入沢住宅があります。

道路のとりつけなどは以前と変わっていとは思うのですが、以前とは違う風景。真ん中にうつる駐車場になっている角は、果物などを扱っていた細谷さんでしたね。

そう思いながら右下の2011年3月撮影の写真を見ると「谷」の文字が見えます。細谷さんの看板のなかにあった「谷」でしょう。ネットで調べると、細谷青果さんは田中前で営業されているようですね。

記事の一部を引用させてもらいます。

〈 市が2014年10月に魚町・南町地区で着工した土地区画整理事業は、今年3月に換地処分が公告され、事業がようやく完了。市都市計画課によると、宅地や事業所用地を含めて、造成した土地の約5割で土地利用が行われている。

魚町地区では今後、神明崎に整備する1号公園が工事着手し、年度内の完成を目指す。さらに道路照明や防犯灯、案内看板も設置して住民や観光客の利便性向上を図る。

県の防潮堤も整備されるなど、地区の景観は震災前と大きく変わった。しかし、風光明媚(めいび)な内湾なでは今も変わらない。〉

(引用は以上)

この記事にある〈1号公園〉の全体像がよくわからないのですが、震災前は全漁連の冷凍ビルや遠間邸があったところ。角には海産物問屋の斉富商店がありました。浮見堂などにつづくよい公園になるといいですね。

無事に工事が進行するようにと願っています。

以前の「今を見る『途上の街』」で紹介された魚町風景はつぎのブログでまとめております。

2020年7月14日ブログ「魚町復興経過写真」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

長峯教授の森川海

9月22日のブログで、慶應義塾大学教授である松井孝治さんの「おかえりモネ」に関するツイートを紹介しました。その記事を書きながら、以前に気仙沼出身の関西学院(かんせいがくいん)大学教授の長峯純一さんと、松井さんや〈新しい公共〉について話したことがあったことを思い出しました。長峯さんは、同大学の副学長のひとりでもあります。

いつだったろうと調べてみたら、2017年10月1日の気仙沼高校関東同窓会による文化講演会後の懇親会のことでした。この日、明治大学 駿河台キャンパス内で、長峯さんが講演してくださったのです。テーマは、「気仙沼で育まれた経済学者への道-公共財としての森川海そして流域」です。



長峯さんの話は2回にわけてブログで紹介しました。1回目は長峯さんの〈実家〉である気仙沼市三日町の日本バプテスト気仙沼教会/愛耕幼稚園のことなど。長峯さんのお父さんが牧師をつとめていました。

2017年10月11日ブログ「長峯教授の話〜1」

そして、2017年10月12日ブログ「長峯教授の話〜2」では、長峯さんの研究テーマと気仙沼との関わりについて紹介しました。

本日はそのブログを再掲いたします。長峯教授の研究テーマのひとつが〈流域マネジメント〉です。その話の内容はNHK朝ドラ「おかえりモネ」のテーマとも重なりますし、畠山重篤さんとバプテスト気仙沼教会の関わりなどについても記しております。ちょっと長いのですが、お手すきのときにでもお読みいただければと。


2017年10月12日ブログ再掲

長峯教授の話〜2

きのうに続き、10月1日の気仙沼高校関東同窓会による文化講演会についてです。講師は関西学院大学副学長の長峯純一さん。本日は、長峯さんの研究テーマと気仙沼との関わりについて紹介します。

まずはじめに、話の中に出てきた経済学者のお名前を記しておきます。ポール・サミュエルソン、ジェームズ・ブキャナン、マンサー・オルソン、デニス・ミュラー、ウォーレス・オーツなど。私にはよくわかりませんが、経済学に詳しい方が見れば、小さなころから地理が好きだった若者が経済学の面白さにひかれ、〈公共財〉や〈公共選択〉といった専門分野に入り込み、〈地方分権〉を論ずるに至る道筋がわかるのでしょう。

公共財に関する話のなかでは、〈流域〉という言葉がキーワードになっていました。長峯さんは10年前の約2年間、アメリカのメリーランド大学に留学しました。同大学には上にも掲げたミュラーやオーツなど、公共選択論や地方分権の先達もおりましたから、絶好の研究環境だったことでしょう。

長峯さんは、この留学時にワシントンDC東部にあるチェサピーク湾の汚染とその復元計画〈チェサピーク・プログラム〉を詳しく知ることとなります。アメリカとカナダにまたがる五大湖がひとつの河でつながっており、その汚染が問題になっていた/いるといった話もあったように思います。

そして長峯さんはこのアメリカで、気仙沼と自らの研究テーマとの関係、重なりというものに気付くのです。気高関東同窓会の案内に記された長峯さんの講演テーマを引用します。

◎気仙沼で育まれた経済学者への道
-公共財としての森川海そして流域

私は、高校まで気仙沼で育ち、その後、経済学(財政学・公共選択論)の研究者を志すことになった。当初、気仙沼と自分の専門・研究とは関係ないことと思っていたが、ある時、それが大いに関係することに気が付いた。気仙沼では「森は海の恋人」運動に始まる森・川・海をつなぐ活動が注目されるようになっていたが、それが研究テーマとしてきた「公共財」や公共選択の格好の対象になりうるということである。そもそも私が経済学の中で公共財に関心を抱いたのは、むしろ気仙沼で育ったからではないかとさえ感じるようになった。私の中で、経済学と気仙沼をつなぐキーワードは「流域」、つまり森川海である。今回、私の現在までの生い立ちを振り返りながら、なぜ気仙沼と経済学、そして流域というテーマがつながったのかを説明してみたい。さらに東日本大震災からの復興を考える上で、流域という視点の重要性にも言及を試みたい。(引用は以上)

長峯さんは話のなかで、畠山重篤さんを古くから知り、その植樹活動にも参加していたと語っています。それを聞いて私はなるほどと思いました。畠山重篤さんはクリスチャンです。日本バプテスト気仙沼教会に属す教会員のひとりとして、昨年2016年の愛耕幼稚園創立100 周年にあたっての記念講演もおこなっています。重篤さんの入信時期はわかりません。しかし、唐桑の地へのキリスト教伝道を積極的におこなったのは、純一さんのお父様である長峯英雄牧師なのです。気仙沼市史第7巻「民俗 宗教」の日本バプテスト気仙沼教会における長峯牧師の業績が列挙されるなかに「年間主題の設定および唐桑伝道再開(昭和38年)」との記述がありました。このあたりの経緯は、昨年の畠山重篤さんの記念講演で話されたかもしれません。

長峯純一さんは、自らの研究テーマのひとつである〈流域マネジメント〉の話のなかで兵庫県の武庫川をはじめとしていくつかの事例を紹介してくれました。2004年には宮城県に対して大川流域計画を提案したものの、行政の壁は厚かったようです。防災や水資源そして環境といった問題を〈流域〉全体として最適化しようという考え方は、複数の自治体を横断するテーマとなります。それだけに、自治体の縦割り行政の弊害を感じることも多いのでしょう。長峯さんは気仙沼市震災復興会議の委員もつとめていますが、そこでも同様の経験をしていると思います。

話が長くなりましたね。この辺にしておきます。本日のテーマは、長峯さんの講演内容をお伝えすることではありません。昭和35年(1960年)4月に長野県の松本バプテスト教会から長峯英雄牧師が気仙沼教会に着任することがなければ、〈森は海の恋人〉の活動をはじめとする気仙沼における環境保護活動は、その様相を変えていたのではないか。そうした私の勝手な想像をお伝えできればと思ったのです。

森の片隅に植えられる一本の苗木とその成長。さらに、森に始まる源流が流域を潤しつつ周囲の流れを集めて海に至り、さらに多くの生命を育むイメージ。そして、プロテスタントの牧師 長峯英雄の思いが息子純一に受け継がれていくイメージ。そのふたつが私の頭のなかで重なり合ったのです。

講演会には気仙沼高校の在校生3名が招かれていました。参加を希望した鹿折と大谷からの女子2名と古町からの男子1名です。日帰りとのことでしたが、上京に伴う費用は関東同窓会が母校に毎年おくっている寄付金でまかなわれたとのことです。同窓生の母校を思う気持ちのこもったお金がこうして生かされたことを大変うれしく思いました。その多くの人の献金が、山に植えられた一本の苗木と同じように感じられたのです。

最後に写真を一枚紹介します。上述した気仙沼市史のなかにあった日本バプテスト気仙沼教会の〈三日町時代の礼拝堂〉です。

礼拝堂
気仙沼市史第7巻「民俗 宗教」p622 掲載写真


うつっているのは長峯英雄牧師でしょう。この写真を見ていると、先日の講演会での長峯純一さんの姿が重なってくるのは私だけではないでしょう。というか、私だけかもしれません(笑)。

(再掲内容は以上)

どうでしょうか。私が「おかえりモネ」のテーマと重なると申し上げた意味がご理解いただけたのではないかと。

ちょっと固くなったので、最後に「長峯教授の話〜1」で紹介した懇親会のスナップ写真を一枚。長峯さんは、気中26回生で私の妻とも同級生です。菅原茂市長も同じく。そんなことで、懇親会で同級生に囲まれる長峯教授、というか〈長峯クン〉の笑顔を。前列中央が長峯さん。私の撮影です。

2695.jpg


長峯さんは、震災後の大島復興を支援する「気仙沼大島未来チーム」にも参加していました。そうした大島との深い関わりをもつ長峯さんが、「おかえりモネ」をどのような気持ちで見ているか。そんな話をお互い遠慮することなく話す日がくればなによりと思っております。

よい週末をお過ごしください。
 

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tag : おかえりモネ長峯純一畠山重篤

亀山に「乗り物」で

気仙沼大島の亀山リフトは、1967/昭和42年5月5日に開業。しかし、東日本大震災で被災し撤去されました。稼働は44年間ということになります。

その後、市に対して再建を望む声も多くあがってはいるのですが、市は財政的に難しいとして、先が見通せない状況となっていました。

しかしここにきて動きがあるようです。9月22日の三陸新報に市議会定例会9月21日の一般質問内容が紹介されていました。


三陸記事

三陸新報9月22日記事の一部イメージ


見出しは「亀山アクセス乗り物で 年度内に方針 早期着工目指す」。本文にはつぎのように。〈菅原市長は答弁の中で、亀山のアクセス手段として動力的な乗り物を導入する考えを明らかにした。すでに詳細な調査を進めており、年度内に方針を決めて早期着工を目指すという〉。

この答弁は、熊谷雅裕議員の「亀山山頂アクセスへの対策は」という質問に対してのものです。熊谷議員は、気高同級生である大島〈宮古屋〉の雅裕君です。

菅原市長の答弁内容記事を引用します。

〈亀山へのアクセス手段として、何らかの動力的な乗り物が必要と考える。いくつかの先進事例を参考にして、すでに候補を一つに絞り込んでおり、概算など細部まで調査している。

年配者などに配慮すると、レストハウス付近を終点にするのは適切でない。なるべく山頂近くまで乗り物でアクセスできるようにしたい。採算性などを精査する必要があるが、年度内に方針を決めて財源問題を克服し、早期着工を目指したい。〉(引用は以上)

すでに候補を一つに絞り込んでいるのですね。どのような方式なのだろう。

〈動力的な乗り物〉というのは独特の言い方ですね。ラクダなどの生物的なのりものでないことはよくわかります。リフトにこだわらず、モノレールやケーブルカーあるいはロープウェイといったアクセス方法を検討しているということなのでしょう。

なお、記事にある質問も答弁もあくまで三陸新聞としての要約です。今後、もう少し詳しい情報が伝わってくることでしょう。

◎前澤友作さんへの要望ツイート

「ZOZO」の創業者で前社長、前澤友作さんが、昨年11月にふるさと納税8億円の寄付先を募集したことを覚えているでしょうか。これに対して菅原市長が、亀山のペアリフトや展望施設、カフェ等の建設を要望しました。そのツイートがこれです。


前澤さんへの要望実現はかないませんでしたが、市長としてのリフト再建への思いが伝わってきました。

このあたりのことについては、つぎのブログで紹介しました。記事のなかに、気仙沼中学2年生のときにクラスの10人で遊びに行ったときの記念写真を再掲しております。

2020年11月23日ブログ「亀山リフトの再建」

今回の亀山リフトの後継アクセス計画は、NHK朝ドラ「おかえりモネ」が追い風になっているのでしょうね。その風をうまくいかして計画が実現するようにと願っております。
 

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松井孝治さん投稿

気仙沼に暮らしている人や、私など出身者がNHK朝ドラ「おかえりモネ」のすばらしさについて語るのは、とても自然なことで珍しくもありません。しかし、意外な方がこのドラマについて好意的な感想を述べているのを知ると、本当にうれしいですよね。

きのう9月21日に目にしたツイートもそのひとつでした。


投稿者は松井孝治さんです。1983年に通商産業省(現:経済産業省)に入省して官僚として活躍した後、2001年には参議院選挙では民主党公認で初当選し、政治家の道へ。しかし2012年には政界を引退しています。現在は、慶應義塾大学(SFC)総合政策学部教授です。

松井さんは以前、民主党に属していましたが、いまの立憲民主党執行部に対しては厳しい目を向けているように感じます。念のため記しておきます。

私が松井さんの話を聴いたことが一度だけあります。2011年11月23日に東京・六本木の東京ミッドタウンで開催された慶応義塾大学SFCオープンリサーチフォーラムというイベントでのトークセッションでした。テーマは「『新しい公共』の可能性」。スピーカーは6名でその一人が松井さん、気仙沼市の菅原茂市長も参加していました。当時の松井さんは参議院議員という立場。

細かなことは思い出せないのですが、東日本大震災から8か月しかたっていない時期ですから、被災地の復旧や復興における「新しい公共」という考え方の可能性について各氏が語ってくれたのだと思います。

つまり、松井さんは菅原市長とも面識がありますし、気仙沼の被災状況やその復興についてさまざまな議論があることをご存じのはずなのです。そんなことから、9月21日の「おかえりモネ」をどんな気持ちで見たのだろうかと。

松井さんは、クラシック音楽のほか落語などもこよなく愛するお方です。〈粋人〉。ドラマなどについても、いわゆる見巧者(みごうしゃ)ではないかと。その松井さんが〈神回〉だったと。そして〈清原果耶さん、素晴らしかった〉とも。

ここまでほめられると、照れてしまうというか、思わず〈ありがとうございます!〉と御礼を申し上げたくなります。気分はなんというか〈モネの関係者〉です。

松井さん、ありがとうございました。今後とも、私たちのモネをよろしくお願いいたします。
 

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tag : おかえりモネ松井孝治

高橋阿子受賞作品

9月18日の三陸新報記事で、気仙沼出身の工芸家である高橋阿子さんが、第68回日本伝統工芸展で東京都知事賞を受賞したことを知りました。


高橋阿子

三陸新報9月18日記事より


髙橋阿子(あこ)(本名:範子)さんは、髙橋正彦君(3年3組)のお姉さんです。つまり実家は、震災前は魚町、いまは内ノ脇の髙橋板金さん。私たちより3つ上の気中17回生だと思います。(9/22追記:正彦君に確認したら4つ上の気中16回生でした)

記事には、9月19日(日)朝のNHK「日曜美術館」で作品が紹介されるとのこと。そして放送でみた高橋さんの紹介映像はこんな感じでした。




IMG_5008.jpg

IMG_5009.jpg

IMG_5023.jpg

以上4点とも9月19日「日曜美術館」放送画面より


見逃した方にはつぎの日曜日の再放送をぜひご覧ください。

◎NHK日曜美術館/再放送
「伝統は冒険のために」
NHK Eテレ
9月26日(日)午後8時〜

番組で紹介されたのは、応募総数1200点あまりからの入賞作16点です。そのうち、高橋さんが受賞した東京都知事賞について三陸新報の記事では〈4番目の賞〉と記していました。

主催団体である日本工芸会のサイトをみると、16点の内訳は日本工芸会総裁賞・高松宮記念賞・文部科学大臣賞・東京都知事賞・NHK会長賞・朝日新聞社賞と続きます。その後は、日本工芸会の会長賞・保持者賞・奨励賞5点・新人賞3点です。

日本伝統工芸展公式サイト

このなかでの東京都知事賞です。素晴らしい。

高橋さんの花器は「蝋型鋳銅」(ろうがたちゅうどう)という技法で制作されたものです。蜜蝋(みつろう)や木蝋(もくろう)を練り合わせた蝋材で鋳物(いもの)の原型をつくる技法なので「蝋型」。上記の画面映像は、蝋を溶かしているとことろです。

その原型の外側に鋳型(いがた)をつくり、銅合金を流し込むのでしょう。その際に蝋の原型はそのままにしておいて、熱で溶けるにまかせるのではないかと。

日曜美術館の映像を見ると、蝋材を練ったり延ばしたりする様子はまるで飴細工のようです。

髙橋さんは、3年前の第65回同展で奨励賞を受賞しています。今回の受賞作品と同じ技法「蝋型鋳銅」での花器。そのことをつぎのブログで紹介しました。2000年ごろの気仙沼高校関東同窓会での鼎が浦高校同窓会と合同懇親会とでお会いしたことなども記しております。

2019年2月13日ブログ 髙橋阿子の「早瀬」

高橋阿子さん、このたびの受賞、本当におめでとうございます。益々のご活躍を期待しております。

東京展は、9月27日まで日本橋三越本店にて開催中です。その後に各地を巡回し、来年1月20日〜25日、仙台三越にて。
 

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菅原雅さんの訃報

9月15日の三陸新報に、菅原雅(まさし)さんが9月9日に死去との訃報記事が掲載されていました。90歳。菅原雅さんは、1973年から1993年までの5期20年にわたって気仙沼市長をつとめました。


訃報

三陸新報9月15日記事より


菅原雅さんが市長をつとめたのは、唐桑町とまだ合併していない、いわゆる旧気仙沼市の時代です。初代/宮井誠三郎さん、2代/廣野善兵衛さんの後を受けての3代目市長でした。4代は小野寺信雄さん、5代は鈴木昇さん。唐桑町との合併は2006年3月です。

菅原さんは長く「男山本店」の代表でもありましたが、社長就任が市長に初当選した年と同じであることをこの記事で知りました。当時41歳です。全国で最も若い市長誕生であったとのこと。

三陸新報5面にも関連記事が。


関連記事
三陸新報9月15日記事の一部イメージ


記事中の〈お悔やみの言葉〉では、臼福本店の臼井賢志さん(気仙沼商工会議所名誉会頭)が、〈気仙沼青年会議所の立ち上げに携わり、初代理事長として〜〉と述べていました。青年会議所の初代・2代の理事長でした。

また、気仙沼商会の会長高橋脩さん(元気仙沼市体育協会会長)は、〈早稲田大学時代からの先輩として、青年会議所やライオンズクラブ、体協などでもずっと一緒〉だったと。

菅原さんは早稲田大学出身で、そのOB会である気仙沼稲門会の会長もつとめていました。大の野球好きとしても知られていましたね。みる野球でなく、する野球。いわゆる草野球です。気仙沼市体育協会の会長をつとめたのもそんなことが背景にあったのではないかと。

若いころには気仙沼の青年たちのまとめ役として、そして20年のながきにわたり市長として、気仙沼のまちづくりや市勢発展のためにその力を尽くされました。

菅原雅さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
 

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インカ少年隊 小史

9月9日のブログで、吉越宏一君(3年5組)の三陸新報「リレー随想」に記された気仙沼市本町(もとまち)「インカ少年隊」についての話を紹介しました。

9月9日ブログ「吉越宏一君の随想」

本日は吉越君の情報をベースにして、「インカ少年隊」の歴史を追ってみようと思います。


①インカ少年隊 沿革

吉越君の記述から、「インカ少年帝国」に始まる「インカ少年隊」結成当時のことを年表形式で整理します。それは1949年/昭和24年8月15日に始まります。


・昭和24年8月15日
 12人で「インカ少年帝国」結成
・昭和29年
 「インカ少年隊」に改称
 志津川愛鳥会と交流開始
・昭和33年
 日本野鳥の会に入会
・昭和34年
 宮城県野鳥保護部門で第1位獲得
 (授賞団体が不明ですが日本野鳥の会関連でしょうか)


この後については、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)の記述を整理します。

・昭和34年3月1日
 愛鳥グループのインカ少年隊が「小さな天使」刊
・昭和34年5月10日
 インカ少年隊(吉越進平)日本野鳥保護連盟と文部大臣より表彰
・昭和34年9月4日
 愛鳥運動のインカ少年隊、ポーランド放送に紹介される
・昭和35年4月11日
 インカ少年隊の愛鳥活動がNHKから放送
・昭和43年5月15日
 野鳥保護活動のインカ少年隊に県知事賞

この昭和43年のことについては吉越君のつぎの記述がありました。

・昭和43年
 日本鳥類保護連盟から野鳥鳥獣保護功労者賞を受賞

記事では、「野鳥鳥獣保護功労者賞」となっていましたが、これは「野生鳥獣保護功労者賞」かもしれません。現在では 日本鳥類保護連盟と環境庁による「野生生物保護功労賞」となっているようです。この頃に吉越宏一君が入隊しています。

・昭和44年5月10日
 インカ少年隊が発足20周年記念野鳥会を開く

昭和34年5月の項目に、この時期の隊長としてだと思うのですが、吉越進平さんのお名前がありました。進平さんは、宏一君の叔父さんです。お父さんの弟さん。菊田裕美君(3年1組)に確認したところ、在京気仙沼高校同窓会の会長をつとめていたことがあるとのこと。宏一君は小さなころから進平さんのインカ少年隊活動を身近に見ていたのでしょう。


②ニュース映画「毎日世界ニュース」

ネットでの検索で、1959年/昭和34年に「毎日世界ニュース」がインカ少年隊のことを報じていることがわかりました。

当時のニュース映画「毎日世界ニュース」は、毎日新聞社提供で大映が配給していたようです。インカ少年隊のニュース映像はいま、横浜にある放送番組アーカイブ施設「放送ライブラリー」に保存され、視聴もできるとのことです。放送ライブラリーのサイトから、ニュース映像内容を引用します。

◎毎日世界ニュース405 「みちのくの愛鳥少年隊」

上映日:1959年5月13日
秒数:140秒
放送ライブラリーサイト

東北の港町、宮城県気仙沼市の山頂にある、ぼくたちの「インカ少年連合国」は、夢と希望にあふれた子供たちだけの集まりである。今日は新入隊員の歓迎式。先輩の激励の拍手を浴びたあと、インカ国の守り神、聖なる太陽に向かって誓いを新たにする。ぼくたちで建設したお城は「むくどり図書館」。中では首脳会議が開かれて、隊長たちの胸に花をかたどった階級章がついている。ぼくたちの大事業の一つは、野鳥の保護観察。野鳥講座はいつも熱心な隊員で一杯だ。5月10日のバードデーには小鳥のお墓参りのあと、舟で橋の下の「いわつばめ」の数調べ。毎朝顔を合わすぼくたちの友だちだ。それぞれ有り合わせの板切れで作った手製の巣箱を持って、山では「むくどり」の家造りと観察。もう今では巣箱が600戸になった。また新しい「むくどり」が1羽住み着いたようだ。傷ついた小鳥も、ぼくたちインカ少年隊の愛情によって大空に帰って行く。(引用は以上)


「インカ少年帝国」が、ここでは「インカ少年連合国」となっています。面白いですね。毎日新聞側が「帝国」の名をきらって「連合国」としたのでしょうか。


③菅野青顔さんの「インカ少年隊」

以上の情報のなかには、インカ少年帝国/インカ少年隊の創始者情報がありません。その名は、菅野青顔さんによる『三陸新報』コラム「萬有流転」のなかにありました。初代隊長は朝田信治さんです。


萬有流転

『菅野青顔の萬有流転(上)』より



『菅野青顔の萬有流転(上)』(三陸新報社刊)から引用します。


◎インカ少年隊

『三陸新報』昭和35年(1960)年5月11日掲載

地方の紹介記事で、近来とくに気持ちよく感じたのは、毎日新聞に掲載された「気仙沼インカ少年隊」の活躍ぶりだ。これは単にインカ少年隊の誇りだけでなく、気仙沼全市の誇りとしてもいいものだ。インカ少年隊の生みの親である初代隊長朝田信治君の語る「ジャッキーの死」を読んで、涙ぐましくなったのは筆者だけのことであろうか。恐らくそうではあるまい。野鳥楽園の建設を悲願として、たゆまぬ努力を続けている少年たちに頭がさがるばかりだ。

(中略)

「ものいはぬ よものけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子をおもふ」という実朝の歌の意を汲めば、おろそかには、トリケダモノの生命は絶たれぬものだ。とまれ、気仙沼インカ少年隊の輝かしき業績。全市全国の少年たちにマネて貰いたいものだと念願する。

引用は以上です。

朝田信治さんは、気仙沼高校同窓会名簿によれば気高9回生。吉越進平さんが同14回生ですから5コ違い。吉越宏一君をはじめ私たちは気高22回生です。

文中にある源実朝(さねとも)の和歌は、「もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ」。

ネット情報を総合すれば、〈ものを言わず、あちこちにいる獣でさえも、その親が子を思うさまは、しみじみと胸に迫る〉というようなことらしい。

青顔さんの語る鳥に託した親子の愛情。私はそこにも、しみじみとしたものを感じます。


④隊歌「希望の仲間」

今年8月15日で結成から72年となった気仙沼「インカ少年隊」。吉越宏一君は、三陸新報「リレー随想」でつぎのように語っています。

〈時が過ぎ、子供達も忙しくなってインカ少年隊も存続できなくなり、寂しい限りです。今ではOBが年に1度、創立日に会うだけになってしまいました。〉

宏一君、しかたがないよ。かつての少年隊員吉越君もすでに古希だもの。どうぞ、忘れないうちにみんなで歌う隊歌を録音しておいてください。とりあえず三陸新報「リレー随想」で宏一君が紹介していた隊歌「希望の仲間」の一節を記しておきます。

みんな仲良く 手を組めば
歌声高くこだまして
明るい希望の仲間が出来る
みんなみんな 手を組んで
朝かぜ 夕焼け 探鳥の
思いを語らうこの集い

以上、ネット上に気仙沼「インカ少年隊」の名を刻んでおければと。

2011年8月19日ブログ「謎のインカ少年隊」

 

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気仙沼の「72時間」

NHKテレビ「ドキュメント72時間」の9月17日(金)放送回で、気仙沼「サイシン」さんの72時間が紹介されます。タイトルは「宮城・気仙沼 漁師たちの“コンビニ”」。まずは私のTwitter投稿から。


◎ドキュメント72時間
NHK総合テレビ
9月17日(金)午後10:45〜11:15
再放送
9月25日(土)午前11:24〜

これは、「おかえりモネ」のサイドストーリーというか、スピンオフ企画ですよね。設定的には〈りょーちんもよく来るらしい〉みたいな。

番組サイトから紹介文を引用します。

〈 カツオ漁がピークを迎える夏。宮城・気仙沼港のそばにある1軒の酒屋。食料品はもちろん、手袋や長靴などもそろい、全国からきた漁師たちがコンビニがわりに訪れる。これから1年の航海に出るという遠洋マグロ船の漁師。漁船用の細長い布団を選ぶのは、20代のサンマ漁師たち。乗組員23名を束ねる船頭は、若い衆のためにと大量のお菓子を購入していく。海に生きる男たちのさまざまな人生ドラマが、小さな酒屋で交差する。 〉(引用は以上)

「72時間」は大好きな番組です。Wikipediaによれば、この番組が毎週金曜日の枠でレギュラー放送されるようになったのは2013年4月からとのこと。

たぶんレギュラー化されてからは全部の回を見ていると思います。たまにセレクション企画などで以前の番組が放送されることがありますが、まるではじめて見たかのような感動をおぼえることも。当方のすぐれた認知機能のせいでしょう。

番組テーマソングは、松崎ナオさんが歌う「川べりの家」。「大人になってゆくほど 涙がよく出てしまうのは」と、番組のエンディングに流れるといつもジーンときます。私も大人度が増してきたのか。サイシンさんの72時間のおわりにもこれが。最高ですね。


YouTubeに「川べりの家」公式ミュージックビデオがありました。



いいよね。今、ジーンときています。

歌は水に溶けてゆき そこだけ水色
幸せを守るのではなく 分けてあげる

9月17日(金)午後10時45分。どうぞよろしく。
 

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齋藤 由希子さん

東京2020パラリンピックは、9月5日に全競技を終了しました。気仙沼出身のアスリート谷真海さんはその後、家族3人でのゆっくりとした時間を過ごすことができたでしょうか。

真海さんのパラリンピック出場が決まったとき、もうひとりの選手のことが気になりました。同じく東京パラ出場を目指していた気仙沼出身のアスリート、齋藤由希子さんのことです。旧姓は加藤。気仙沼市幸町出身で、南気仙沼小、気仙沼中、気仙沼女子高を経て仙台大学に進みました。

結論から申し上げれば、パラリンピック出場はかなわなかったようです。由希子さんとパラリンピックとの関わりについては、このブログで2度紹介しています。

2014年のブログでは、アジアパラ競技大会女子F46(片腕切断・機能障害区分)の砲丸投げで世界新記録を出したという話題。この中で由希子さんはリオ2016パラリンピック出場に向けての意欲を語っていましたが出場できませんでした。

2014年10月27日ブログ「加藤さんの世界新」

そして2019年1月のブログは、谷真海さんとともに、東京2020パラリンピックへの出場を目指す気仙沼出身選手として紹介された三陸新報のつぎの記事についてです。

2選手

三陸新報2019年1月1日記事より


2019年1月8日ブログ「東京パラを目指す」

リオのパラリンピックも東京パラリンピックも、F46クラスでの砲丸投げは競技として採用されず、やり投での出場を目指していました。真海さんも今大会では本来のクラスとは異なるクラスで不利な競技で戦わなければいけないことになったことは以前もお伝えしました。

このあたりは当事者にしか分からない苦悩があると思います。それだけに気中の先輩である真海さんの努力する姿は励みになったことでしょう。

パラリンピックに向けての由希子さんの活動については、東京2020公式サイトのなかでも紹介されていました。本年3月5日の記事ですから私にとっては最新情報です。そのなかに由希子さんは真海さんについても語っています。

「中学(気仙沼中)の10個上の先輩に、佐藤(谷)真海さんがいるんです。陸上でパラリンピックに出られて、トライアスロンで東京2020大会を目指しながらパラ競技の発信を続けている。自分もそういう存在になりたい。少しでも近づけるように、頑張っていきたいと思っています」

東京2020公式サイト2021年3月5日記事

由希子さんにとって東京パラリンピックへの出場を果たせなかったのは残念だったでしょう。しかし、パラリンピックは大きな大会とはいえ長い競技人生のなかでは道標のひとつ。

これからの生活も、ご主人の恭一さんと一緒に、スポーツと共にあることを願っております。

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若き者たちの言葉

NHK朝ドラ「おかえりモネ」は、このところ展開がめまぐるしい。先々週「第16週:若き者たち」でのUFO話など、ずいぶん前のことのように感じられます。

8月31日と9月1日放送回に出てきたUFOの話。私は作者の安達奈緒子さんが、なぜ亀山にUFOを飛来させたのだろうと思いました。そしてNHKプラスで番組を見直して、登場者の言葉を書き起こしてみたのです。しかし、それを紹介する前に、中学のころに地球付近航行中のUFOに呼びかけたことを思い出し、9月10日のブログ「亀山に来たUFO」となりました。

9月10日ブログ「亀山に来たUFO」

本日こそ本番。「若き者たち」の言葉を紹介します。
まずは、番組公式インスタグラムから、UFO話が展開する汐見湯の場面イメージから。




UFO話の流れを紹介します。

①8月31日放送回

話の発端はつぎのようなことです。

汐見湯でモネの幼なじみ5人とモネの妹/未知(みーちゃん)が、UFOの話でもりあがっています。

モネらが小学校2年ごろの話。本人は忘れていたようですが、未知が言うには、亀山の展望台でUFOを見たと言ったのは、亮(りょーちん)でした。自分で〈改造人間にされた〉とか言っていたらしい。

そして改造された体を元に戻してもらうため、みんなでUFOを呼ぼうということになり、夜に亀山に行ったそうです。みんなで円になって、手をつないで〈心をひとつに祈りましょう〉とか。

そして三生(みつお)は〈UFO来たあ〜〉と言って、〈帰ろうよ、逃げようよと、ギャン泣きした〉そうです(本人は泣いたことを否定)。

②9月1日放送回

そしてUFO話は翌日に続きました。

前段はちょっと省略しますが、みんなの話を受けて亮は、〈重い話〉とか〈話しても地獄、話さなくても地獄なんだよね〉とか、あきらめというかちょっとなげやりな感じ。

〈俺が話したら、みんな話せるようになんのなんのかな〉と。そして〈でもさ〉と言いながら、明日美(あすみ)の右手と三生(みつお)の左手を手にとりながらつぎのように語ります。

〈もうできないじゃん。むかしUFO呼んだときみたいに。こうして、みんなで丸くなって手つないでさけぶみたいなの。もう大人だし。心をひとつにとか……そんなの無理だし……。結局だれもなんも言えないし。祈ってもUFOは来ない。俺ももう改造されない。一生、ずうっとこのまんま。でもそれ、しょうがない〉

そして、亮が三生の手を離そうとすると、三男は亮の両手を両手でつかんで次のように語ります。

〈UFOは来たよ。だって俺、見だもん。だがら泣いたんだよ。そうだよ、来たよ、あんとき。みんなで、祈れば、叶うんだよ。そんでな、お前なんかちょろいから、すぐもっといい感じに改造されるしな、俺だってちゃちゃっと坊さんになれんだよ〉

明日美が、〈三生……、ずっとなりたくてもなれないって感じだったの〉と問うと。

〈わかんないよ。でも、あの人たちのためになにかできんなら、そりゃやりたいと思うじゃんよ。俺、見たし。あんとき、寺に何人も運ばれてくるのを……〉

〈ごめんな。亮。ごめん。俺、こわいって思ったんだよ。でも今は。お前もさ、みんなばらばらのところにいたって、これからだってUFOは呼べるんだよ。信じてるよ〉

〈手なんかつながなくてもいい。心をひとつになんかしなくたっていい。俺らはUFOだってなんだって呼べるんだよ〉

震災時の寺で見た風景。その三生の泣きながらの言葉に皆も。三生が続けます。

〈泣くな!〉 〈ねえ、俺ら、もう普通に笑おうよ〉

この三生の言葉で、亮の気持ちが落ちつきます。そして、〈やっぱ食えばよかったな。オムライス。腹へった〉と。

2日間にわたったUFO話はこれでおわりました。

③UFOに込められた意味とは

話はもどって、作者の安達奈緒子さんがなぜ、亀山にUFOを飛来させたのだろうということ。正直、これはよくわかりません。

「未来」に関することではあるのでしょう。〈祈ったり願ったりすれば実現すると信じることのできたときの未来像〉みたいな。

しかしそうだとしても、みんなでUFOを呼んだときに、たしかにそれを見たのはなぜ三生だけだったのかがよくわからないのです。亮は見ておらず、元の体を返してもらうこともしていませんから。

そんなことを考えながら思ったのは、私は亮の悩みに気をとられていたけれど、このUFO話の主人公は三生ではないかということです。

震災でみたいたましい風景を背景として、自分は寺を継げるのか、継いでいいのか迷っていた三生の物語。

想像をふくらませれば、「三生(みつお)」というちょっと変わった名前も気になってきます。これは、寺の子だけに過去・現在・未来のことではないかとも。三世。前世・現世・来世。

なんかそうとしか思えなくなってきます。輪廻そして転生。循環。まさに「おかえりモネ」の大テーマです。

そうか、UFOは「仏(ほとけ)」だったのか。「若き者たち」というこの週のテーマタイトルを踏まえれば、モネたち幼なじみは、悟り、解脱(げだつ)を求める菩薩(ぼさつ)かもしれません。

親と子。漁師や住職といった生や職業の継承、輪廻はある種の苦しみでもあるでしょう。故郷を離れずに親の仕事を継ぐことの呪縛的なイメージもわいてきます。

そう考えると、三生の泣きながらの言葉は、亮の心理的な呪縛を断ち切ってくれましたね。〈泣くな!〉は、禅僧の「喝(かつ)」のようなものかも。三生にはすでに僧の素養があるようです。

また長くなりました。いろいろと苦労しましたが、結びの言葉が見えてきました。

モネは「観音菩薩」だったのです。

なお、9月10日放送回で、モネが気象予報士の神野さんを〈観音さまをみているような〉と評する場面がありました。そのために、私の話のキレがどうしても悪くなってしまいますが、それは、これはこれ。神野さんも菩薩の仲間ということで。どうぞよろしく。
 

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tag : おかえりモネUFO

鈴木敦雄さんの店

9月4日の三陸新報にうれしい開店記事が掲載されていました。店舗名は「ミュージック・クラブ&真空管」です。

開店記事

三陸新報9月4日記事より


店主は鈴木敦雄さん(61)です。私たちより8つ下の気中28回生。年配の方々には、市内八日町にあった老舗「鈴木金物店」の息子さん、あるいはお孫さんといったほうがわかりやすいかもしれません。

20年以上前のことになると思うのですが、夏の帰省時に鈴木金物店2階でオーディオ機器を扱っているのをみかけてのぞいてみました。驚きました。アンプやスピーカーなど、世界の名器がまさにところせましと並んでいたのです。

オーディオマニアの方には、専門誌「Stereo Sound」にも広告を出していたといえば、その高級度というかマニア度がご理解いただけるかもしれません。

そのあたりの話を2011年6月のブログにまとめておりますので再掲します。私は東日本大震災の2か月後の2011年5月に気仙沼を訪れたとき、以前の鈴木さんの店の前に瓦礫が山積みになっているのを目にしたのです。


◎気仙沼の真空管

2011年6月9日ブログ再掲

昨日はツイッターのことを書きました。オーディオマニアだったら「ツイター」と呼びますね。つぶやきやさえずり用ではなく高音域用のスピーカーです。低音がウーハー、中音はスコーカー。

昨年はじめ、雑誌「Stereo Sound」を立ち読みしていたら、気仙沼にある店の広告が掲載されていました。そしてその在庫リストになんと「50CA10」の名が。

これはオーディオメーカーのラックスとNECが共同開発した真空管で、大学生のときに自作し、今も事務所に置いてあるアンプに使っています。とっくの昔に製造中止になり秋葉原でもなかなか手に入りません。まあ、ビンテージ真空管ってことでしょうね。

そして昨年夏、そのお店に行ってきました。八日町の「ミュージック・クラブ&真空管」。昔でいうと村伝と金馬車のうしろあたり。店主の鈴木敦雄さんは、我々より8学年下。以前、実家の鈴木金物店の2階で中古の高級オーディオを扱っていたこともありました。

鈴木さんは、お祖父さんなどの撮った気仙沼の昔の写真を紹介したり、駄菓子屋のイベントなど、町おこし的な活動にも熱心です。当日も、これからエースポートでの盆おどりイベントの準備に出かけるんでといって、お弁当を食べていました。

私が50CA10を使った自作アンプのことを話すと、鈴木さん「そいづはあんまりつかわねほうがいいがもね」。実際、いつもは別のアンプを使っています。なんたっていまは1本1万とか2万円。それが4本ですから。

それと棚の上にちらった見えたのは、10ぐらいならんだラジコン用の模型エンジン。いやあ、いいとこついてくるねえ鈴木君。私もENYAの09RCをまだもってるんだよ。

そのときは、鈴木さんも忙しいようなんで話をきりあげ早々に引き上げました。「また寄らせてもらいます」と。

5月の帰省時、その店の前には瓦礫が積み上げてありました。店もすっかりやられてしまったようです。鈴木さん、元気だといいのですが。

それと、わが愛しの真空管「50CA10」の在庫。ガラスが割れてなければなんとか使えると思うんだけど。
 
再掲内容は以上です。


敦雄さんに開店を祝すメールを送りました。返信メールには、〈予算の関係で、お店のサイズが震災前の10分の1ととても小さく、模型飛行機が持ってこれません〉とありました。

模型飛行機の話は、私が模型エンジンの木製プロペラがあるかどうかをたずねたからなのですが、倉庫にパーツ類がたくさんあるそうです。キットだけでも100機以上だとか。敦雄さんのブログにはよく、ライトプレーン(いわゆるゴム飛行機)の話が写真とともに紹介されるのですが、なんというか、その趣味の良さにいつも感心します。

真空管、模型飛行機、ジャズ、オーディオ、そしてあれやこれや。そんな話をお酒でものみながらゆっくり話せたらどんなにか楽しいだろうと。

今度のお店は、南町の内湾商店街「拓(ヒラケル)」に近接しています。レコードが主な商品かと思いますが、ジャズやロック、そして歌謡曲まで、1980年代の名スピーカー「JBL4344」での視聴も楽しめるでしょう。

鈴木敦雄さん、被災後10年半をかけて実現した新店舗のオープンですね。心からお祝いを申し上げます。開店おめでとうございました。

「ミュージック・クラブ&真空管」
気仙沼市南町3丁目2-8
事前連絡のうえでの訪問が確実かと。
直通携帯:090-1602-2836(鈴木さん)
FAX:0226-29-6839
店舗WEBサイト
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鈴木敦雄

「亀山」に来たUFO

「おかえりモネ」の8月30日から9月3日までの第16週のテーマタイトルは「若き者たち」。各回とも、このドラマのテーマが凝縮されているように感じたのは私だけではないでしょう。

8月31日放送回でUFO話が登場したことに驚きました。亮(りょーちん)が小学2年生のころ、亀山の展望台でUFOを見たというのです。なんで急にUFOの話なのだろうと。

もしかすると、放送日が「国際円盤デー」なのかもしれないとも。このドラマでは、台風接近の話やパラリンピックと車いすマラソンなど、過去と現在、物語と事実を交錯させるような仕掛けがこれまでもありましたから。

しかし違いました。1947年に実業家ケネス・アーノルドがUFOを発見した日を記念する国際円盤デーは6月24日でした。ずれてます。

なにか、大島にはUFOにまつわる話があるのだろうか。そう思ってまずは「UFO 気仙沼」でGoogle検索した結果におどろきました。


検索結果


検索結果1位と2位が、私のこのブログ記事になっていたのです。検索条件やPC環境によって違うかもしれませんが、少なくとも私の場合にはこの結果。

一つ目は、三陸新報2020年5月27日「いそ風」記事の紹介です。工事中の気仙沼湾横断橋の近くで、不思議な物体がビデオに収められたという記事。これを見て、「国際円盤デー」のことを思い出したという、ただそれだけの話。

2020年6月11日ブログ 横断橋と「UFO」

そして二つ目が、中学生の頃の思い出話です。これが本日のメインイベント。検索結果には2021/06/24とありますが、これは誤字の修正かなにかの日付でしょう。初投稿日は2011/07/14です。

2011年7月14日ブログ「6月24日のUFO」

おかえりモネで、亮ちんがUFOを見たり、みんなでUFOを呼ぼうとしたのは小学校2年生頃とのことでした。しかし、私がブログに記したのは気仙沼中学2年生のころの記憶。気中校庭で10人ぐらいが円陣を組んでUFOを呼ぼうとした話をまとめました。

そのブログ内容を再掲します。


◎6月24日のUFO

2011年7月14日ブログ再掲

昨日のブログで気仙沼中学校の体育館にちょっと触れました。5月にその体育館の避難所をたずねたとき、昔と変わってないなと感じた一方、気中のグラウンドは仮設住宅がならび、風景が一変していました。

今日は、その気中グラウンドにまつわるお話です。

中学2年生のときだと思いますが、空飛ぶ円盤がちょっとしたブームでした。何人も「見たことがある」というのです。「そんなばかな」という私に、UFO体験者の一人が「実は空飛ぶ円盤を研究する会があるんだ」と。オダも いぐが ?

半信半疑でしたが、4~5人でその研究会に行ってみました。第2校舎を河原田方向に抜ける道の途中にその家はありました。そして20代なかごろの若い人(松下さんっていったかな)がいろいろとスライドや機関誌を見せてくれたのです。

そして研究会に2回くらい行った後の6月24日の夜、気仙沼中学校のグラウンドに研究会メンバー10人ぐらいが集まりました。その日は、「国際円盤デー」。1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が自家用機で飛行中に空飛ぶ円盤を発見したとされています。

私たちはグラウンドの中央で手をつなぎ円陣を組みます。そして、みんなが心のなかで、こうつぶやくのです。

「地球付近を航行中の空飛ぶ円盤がいましたら、地球人にそれとわかるようにコンタクトしてください」

これを1時間くらいやってたかな。一時は、雲のうしろでぼーっと光った月を「来たっ!」といって喜んだときもあったんだけど。結局、円盤は来てくれませんでした。

研究会の団体名は「CBA」。いまネットで調べてみるとCosmic Brotherhood Association(宇宙友好協会)の略称なんですね。まあ、なんというかある種伝説的な団体だったみたい。

ここまで書いて、大震災のときにこそ宇宙人が円盤にのって飛来していたのではないかと思い、検索してみました。

やっぱりね。結構たくさん来てるようですよ(笑)。
 

再掲内容は以上です。

このブログを読んだ同級生からコメントが届きました。彼もその円陣のなかにいて、「ベントラベントラ、地球周辺航行中の〜」などの言葉をとなえたというのです。「ベントラ」はすっかり忘れていたのですが、すぐに思い出しました。なつかしい。


◎「若き者たち」のドラマ

話を「おかえりモネ」に戻しましょう。

「若き者たち」は、このドラマのなかでも重要なテーマを扱っているように感じました。言葉をかえて言えば、難しい。

この週、東京の汐見湯に集まることができたモネら幼なじみ5人。自らの未来の姿を自由に描けた少年/少女時代とは違って、今は皆それぞれに重たいものを背負っています。

亮ちんは、背負っているものの重さを〈話しても地獄、話さなくても地獄なんだよね〉と。

その後のこまかなやりとりは後日紹介することにして、三生(みつお)の泣きながらの言葉のみ紹介しておきましょう。

〈手なんかつながなくてもいい。心をひとつになんかしなくたっていい。俺らはUFOだってなんだって呼べるんだよ〉。そして、〈ねえ、俺ら、もう普通に笑おうよ〉と。

この言葉で、亮ちんは背負っていた重い荷物をおろすことができたようでした。

亀山に来たUFO。これはなにを象徴しているのか。作者の安達奈緒子さんはなぜ、亀山にUFOを飛来させたのか。いろんな見方ができるでしょうし、そうした重層的なドラマの展開や多義性がこのドラマの魅力のひとつですね。


◎迎え火のイメージ

私の考えというか解釈は別にして、みんなで手をつなぎUFOを呼ぶイメージから連想したシーンのことを記しておきます。それは、6月1日放送回での「迎え火」の場面 です。つぎのブログで紹介しております。

6月18日ブログ モネの「ラッツォク」

なにかを迎えるイメージ。祈りや願い。人による円環。人には見えないなにかとか。

でも、UFOと迎え火は意味的な関係はなさそうですね。

UFOの話は、あとで回収されるように仕組まれた伏線という可能性はないだろうか。

最終回で、モネはUFOにのってお月様に帰っていく。手をつなぎながらそれを見送る幼なじみ。足下には送り火が。モネは現代のかぐや姫だったのです。はい、伏線回収。みたいな。

長くなりすぎました。ここまでにしておきます。良い週末をお迎えください。
 

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tag : おかえりモネUFO

吉越宏一君の随想

三陸新報「リレー随想」シリーズの第1268回目、9月8日の寄稿者は気中同級生の吉越宏一君(3年5組)でした。


上
下
三陸新報9月8日記事より


筆者紹介にも記されているように、吉越君は吉越組の取締役会長です。42代気仙沼南ロータリークラブ会長もつとめました。

現住所は市内四反田(したんだ)とのことですが、私の知る吉越家/吉越組は本町(もとまち)2丁目。本町橋から大川の北側沿道を上流方向に少しはいったところでした。随想に記された思い出が大川にまつわるものであるのはごく自然なことでしょう。アユやオゲコ、ウナギなどの魚釣り。大川をせきとめてのプール。そして、田んぼでのスケートのことなど。

文中、母親の実家がある鹿折まで歩いていく途中、金物店の店先につるしてあったスケート靴をねだったものの、買ってもらえなかった記憶が記してありました。

途中の金物店というのは、八日町の鈴木金物店か、魚町の佐々木金物店か。あるいは昆野さとりさん(3年4組)の実家でもある昆慶かな。

私がうれしかったのは、インカ少年隊について詳しく書かれていたことです。2011年8月のブログにも記しましたが、このインカ少年隊についての情報が案外すくないのです。

この2011年のブログでは、吉越君と同じくインカ少年隊の隊員であった藤村俊範君(3年7組)のことにも触れています。

2011年8月19日ブログ「謎のインカ少年隊」

今回あらたに、この吉越君の情報を得ましたので、「インカ少年隊」については回をあらためて紹介することにいたします。

吉越君の随想は、〈四反田から見る大川対岸、本町も遠い昔となりました〉と結ばれています。

思えば遠くに来たもんだ。吉越君は、このリレー随想を書きながら、少年時代の大川や本町の風景とともに、亡くなった俊範君をはじめ昔の仲間たちのことをなつかしく思い出していたことでしょう。

高校のとき、吉越君が自作した送信機のテスト受信をしたときの話はつぎのブログにて。

2011年8月18日ブログ「われら電波少年」

 

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tag : 吉越宏一リレー随想

モネの全撮影終了

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の撮影が9月4日の気仙沼ロケですべて終了したそうです。いわゆるクランクアップ。スタジオ収録は8月31日夜に終了しているとのこと。

「おかえりモネ」のクランクアップは、ネットでもたくさん報じられていました。そのなかからスポニチアネックスの配信記事を紹介しておきましょう。(追記:ツイッターでの記事リンクがきれているようです。こちらをご覧ください)


9月3日には、〈信次〉浅野忠信さんがTwitterにつぎの投稿を。


浅野さんの写真は「コの字岸壁」ですよね。清原果耶さんの写真も同様でしょう。9月3日には、漁船を接岸させての撮影情報がネットにあがっていました。

昨年9月28日に登米市でクランクインした同ドラマは、本年5月17日に放送を開始。そして来月10月29日が最終回(120話)放送となります。

清原さんや浅野さんをはじめ、出演者や撮影関係者の皆さま、ほんとうにおつかれさまでした。モネがどのようなかたちで気仙沼に〈おかえり〉するのかなど、これからのドラマ展開を楽しみにしております。

そして9月23日のファン感謝祭も。どうぞよろしく。
  

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tag : おかえりモネ

モネ ファン感謝祭

NHK朝ドラ「おかえりモネ」のファン感謝祭が気仙沼で開催されます。9月23日(木・祝)午後1:30から気仙沼市民会館にて。9月1日に発表になりました。


ファン感謝祭

NHK「おかえりモネ ファン感謝祭」サイトより


この「おかえりモネ ファン感謝祭in気仙沼」の主催はNHK仙台放送局で、気仙沼市が協力しますます。

ゲストとして〈「おかえりモネ」出演者・関係者〉とありますね。誰が来てくれるのか。具体的なお名前はまだ発表されていませんが、〈公開収録〉ということですから放送番組になるわけですよね。それならば、モネ/清原果耶さんはもちろんのこと、亮ちん/永瀬廉さんも、そしてあの人も、それならあの方もと想像が止まりません。

詳細内容や申し込みはつぎのNHK「おかえりモネ ファン感謝祭」サイトから。

PC版  スマホ版

応募の締め切りは9月13日午後11時59分。抽選の結果、当選した人には入場整理券を15日ごろに、落選した人には落選通知メールを16日午後3時以降に送る予定とのこと。

なお、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、参加者の間隔をとった座席を入場整理券で事前に指定するとのことです。

「おかえりモネ」は、9月3日に気仙沼でのロケで撮影終了/クランクアップしました。最終回の放送は、10月29日。あと7週間とちょっとか。

今回のファン感謝祭は、NHKの同ドラマ関係者が気仙沼の皆さんに感謝する会ということかとは思います。しかし、気仙沼のみんなの気持ちは逆ですよね。出演者やNHKの皆さんをはじめとする関係者にぜひ感謝の気持ちを伝えたいと。

気仙沼の9月23日。おかえりモネに感謝したりされたり、まさに〈感謝の祭〉になることでしょう。
 

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tag : おかえりモネ感謝祭

ふたつの「テラス」

気仙沼大島の亀山山頂に「展望テラス」が完成したそうです。以前の「あずまや」跡地に整備されたもので、9月末の全体完成に先立ち、まずはテラスを先行開放したとのこと。


展望テラス

三陸新報8月22日記事一部イメージ



展望テラスからは、以前のあずまやと同様に、田中浜や小田の浜などが一望できるそうです。市が約6300万円を投じて5月末に着工し、このたびの完成となりました。

以前のあずまやはどのようなものだったのでしょうか。調べてみると、4月30日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。記事によれば、このあずまやは築38年を経過していたとのこと。


4:30あずまや
三陸新報4月30日記事の一部イメージ


この記事には工事についての記述がありました。現場には車両が乗り入れできないため、資材や機材の搬出入するための仮設モノレールを設置しての工事になるとのこと。この記事には7月末完成とありましたが、1か月ほど遅れての完成となりました。いろいろと大変だったのでしょう。


◎安波山「ほしのてらす」

もうひとつの〈テラス〉を紹介しておきましょう。安波山(あんばさん)公園「ほしのてらす」の全面改修が完了しました。


8:11ほしのてらす

三陸新報8月11日記事より


この記事によれば「ほしのてらす」は、1991年に中腹駐車場から徒歩10分ほどの安波山8合目に設けられましたが、床板や手すりの腐食が激しく立ち入りを制限するなどしていたそうです。

気仙沼市は、国の地方創生臨時交付金1860万円を事業費に充て、全面的に作り直したとのこと。

亀山そして安波山。私をはじめ多くの気仙沼出身者が、その名を聞くだけでそこからの素晴らしい展望を思い出すことができるでしょう。

このふたつの「テラス」から、さらに多くの人が気仙沼の眺望を楽しんでくれることを願っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 展望テラス亀山

大島の大津波伝説

平安時代前期869年に起こったとされる貞観(じょうがん)津波は、気仙沼大島を3つに分けたと伝えられています。

8月23日のブログ〈10年間の「負い目」〉では、気仙沼市震災遺構・伝承館/佐藤館長の「週刊新潮」でのおたずねに応えるかたちで、参考文献情報などをまとめました。本日は、貞観津波について大島に言い伝えられている話を紹介することにいたします。


◎気仙沼大島の民話・伝説

私の手元に、気仙沼・大島〝きずな〟情報センター協議会・編『気仙沼大島の民話・伝説』という116頁からなる冊子があります。奥付をみると、初版は平成14年(2002年)1月20日発行、第4版は平成24年(2012年)9月末日となっています。

地元大島の堺健(まさる)さんらが中心となって2002年に発刊した同書を、埼玉県三郷市のNPO法人「緑の真珠・アスナロウ会」が2012年に復刊させたという話は、つぎのブログで紹介しました。私は、この復刊の話を知って同書を入手したのです。

2012年10月26日ブログ「大島の民話・伝説」

IMG_4951.jpg


◎大津波伝説

本日紹介するのは、この本のp90〜93に収録されている内容です。熊谷すん子さんによる「大津波伝説雑感」については、のちほど引用させてもらいますが、まずは各頁画像を以下に。






p90の本文に続いて、p91には〈資料〉『宮城県海嘯誌』よりとして、つぎの記述がありました。

「往古、海嘯の際、本吉郡大島村字外畑と裡の浜との間、および中山と浅根との間、潮浪の越したるため一個の大島分かれて三個の島となれりという。(同書p45)」(引用は以上)

この『宮城県海嘯誌』の記述は、貞観津波によって気仙沼大島が3つに分断されたという言い伝えそのものですね。なお、『宮城県海嘯誌』は、『気仙沼大島の民話・伝説』の参考文献欄に、明治36年6月5日 宮城県発行とありました。

この『宮城県海嘯誌』の記述に続き、「付記」として、熊谷すん子さんの次の文章が掲載されています。全文を引用させてもらいます。改行後1行あけの処理は当方によるものです。


◎熊谷すん子「大津波伝説雑感」

宮城県気仙沼市の離島大島には、千百年前の貞観年間に大津波が襲来して島を三つに分断したという言う言い伝えが有り、その時に名付けられたという言う合柄(がつがら)(貝殻)や、竹の下(鯛の下)、境等の地名は現在も生き続けています。

それは、東の田中浜から浦の浜に、また震災後宮城県下で唯一海水浴場として許可された、小田の浜から西に面した浅根浜に越えたと伝わっている大津波についてです。

其の三つに分けられた場所の中心の高台には、北から経壇・境・壇の平の地名と共に、方言で「くに石さま」と呼ばれる供養石が数本ずつ立っています。

千百年前の供養石は判別出来ませんが、その後の江戸時代から明治となるまでの長い歳月の間の津波を含む天災異変、海難事故等に依って命を落とした人が極楽浄土に往生する事を祈り供養する場としての聖地であったと伝えられています。

そして出羽三山信仰や龍神信仰を伝える石碑も、年代や講中の名前等が刻まれて其の場所に建てられています。

大津波には急坂を駆け上がれば、即そこが安全安心の避難の場となり、大海原を含む四囲の状況の判断も容易に出来る絶好の場所になります。

縄文の時代から人の住んでいた遺跡も確認されている、島の祖先の生活の知恵も見えてきます。

陸地にも近く、対岸まで七キロ程の内湾も、豊かな生活を助ける距離でもあったようにも思われ、磯草という地名も集落も現存しています。

また、島の中央部の大島小中学校から南へ百メートルの処、大島医院脇から三百メートルの小田の浜から浅根浜に大津波が越した処と伝わる場所の高台にも、数本の供養塔が立っております。朽ちた大木周囲のモクゲンジの花木や孟宗竹等々から供養の場としての面影が確かな形で残されているように見て取れます。

島の中心であり比較的高台でもある東側の太平洋にも、西側の渺陸地にも展望が開けているので住民の集合や災害の避難の場としても適所だったのでしょう。

島の一番南の供養の聖地「壇の平」は四十年前、道路拡幅改修のため、下方直線百五十メートル程の県道田尻駒形線の上方に、縄文時代の住居跡の貝塚等の発見された処に、その後に建てられた供養碑と合祀との事です。

従って、「壇の平」と言う地名は住民の記憶に残るとは思いますが、渺渺(びょうびょう)たる大海原を眼下に四方を見渡した景勝の聖地は忘れ去られる事になるでしょう。

それにつけても、何時の頃から伝わったか定かではありませんが、「大地震どんと沖鳴りゃそれ津波」とか「大地震津波が来るぞそれ逃げろ」「命あっての物種 命はそれぞれてんでんこ」などの島に伝わる津波に関しての教訓は子々孫々に伝えられ、人的な被害の減少を切に願うものであります。

(引用は以上)

熊谷すん子さんについては、このブログで何度も紹介しています。気高同級生〈宮古屋〉熊谷雅裕君のお母様です。最近では、NHK朝ドラ「おかえりモネ」でモネの祖母役を演じている竹下景子さんが〈母のような人〉と呼んでいることについて紹介しました。

6月7日ブログ 「母のような人」とは

今回のブログへの文章引用については、雅裕君を通じて、すん子さんに伝えてもらうつもりです。寄稿の文末に記されていた〈島に伝わる津波に関しての教訓を子々孫々に伝える〉ことの一助になればと。

8月23日ブログ 10年間の「負い目」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 貞観津波大島熊谷すん子

カキと森と長靴と

2018年1月に初回放送されたETV特集「カキと森と長靴と」が9月4日(土)に再放送されます。このドキュメンタリーは、「森は海の恋人」の活動で知られる畠山重篤さんに密着取材した番組です。何度も再放送/アンコール放送されていますので、ご覧になった方も多いことでしょう。

今回の再放送は、NHK朝ドラ「おかえりモネ」が背景にあると思います。同ドラマで藤竜也さん演じるモネ祖父の人物造形にあたっては、畠山重篤さんも参考とされていることは皆さんご存じのとおりです。

まずはETV特集の8月28日ツイートでの予告映像をご覧ください。


番組サイトのつぎの写真のキャプションは、「小さな浦で生きる17人の大家族」。

ファミリー

「ETV特集」番組サイトより


◎NHK Eテレ
ETV特集「カキと森と長靴と」
9月4日(土)午後11:00〜(60分)
9月9日(木)午前0:00(8日の深夜12時)〜


冒頭のツイートでは、〈おかえりモネでも注目された森と海のハーモニー〉と表現していますが、番組サイトの放送予定一覧に記された、番組説明ではつぎのように記しています。

〈朝ドラ「おかえりモネ」の世界から飛び出してきたような魅力的なカキ養殖家・畠山重篤。漁師でありながら森に木を植えて海を再生させてきた。長靴を履いた哲学者の半世紀。〉(引用は以上)

そして番組サイト予告映像の下にはつぎの解説文が。

〈連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台でもある宮城県気仙沼。震災で母を失った畠山重篤は、死に絶えたように見えた海に船を繰り出し、カキ養殖の再開に挑んだ。「森は海の恋人」。昭和40年代から半世紀にわたり森を育ててきた畠山。豊かな森がある限り海は再生すると確信していた。NHKは海と森が融合しながら浄化されていく様に密着。畠山のモノローグと4K撮影で独自の映像美を追求した。2018年の作品をアンコールで。〉(引用は以上)

ついでに、2018年1月初回放送の番組紹介文も。この時点ではモネのモの字も見当たりません。当然のことですが。

「東日本大震災で高さ20mの津波が気仙沼を襲う。海の生き物は全滅したかに見えた。絶望の海でカキ養殖を再開させたのが畠山重篤。「森は海の恋人」という名言を生んだカキ養殖家だ。震災で海は死に絶えたかのように見えたが畠山は確信していた。海は自らの力で必ず回復する、と。NHKは震災直後から養殖再開に挑む畠山に密着。海と山が融合しながら浄化していく様を、畠山のモノローグと4K撮影で映像美を追求した番組〉(引用は以上)

6月27日の読売新聞オンラインで、ETV特集担当の矢吹寿秀統括プロデューサーのインタビュー記事が配信されていました。これによれば、「カキと森と長靴と」は完全ノーナレーションで制作し、米国の2019年度ジャクソン・ワイルド・メディア・アワーズで審査員特別賞(外国語作品)を獲得したほか、各国への売り込みにも成功し、面目躍如を果たしたとのことです。国際的にも高い評価を得たということ。

2018年1月放送ということは、そこにうつる気仙沼市唐桑町舞根(もうね)などの映像は4年前2017年の風景ということになると思います。畠山重篤さんの三男、信(まこと)さんがかかえている赤ちゃんも今は大きくなったことでしょうね。

この番組/作品の難点をあえてあげるとすれば、美しすぎること。その独自の映像美をふたたび。どうぞご覧ください。

6月25日ブログ「藤竜也ニッティング」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山重篤おかえりモネ

工場立地協定締結

インプレックス(株)が、気仙沼市本吉町の旧・馬籠(まごめ)小学校校舎を工場として利活用する意向を示しているとの新聞記事を6月15日のブログで紹介しました。

市議会の議決が必要とのことでしたから、その後どうなったかなと思っていましたが、無事に承認されたようです。

そして8月27日には、インプレックス社と気仙沼市との工場立地に関する協定が締結されたとのことです。

まずは、菅原市長8月28日のツイートから。


8月29日の三陸新報もつぎのように伝えてくれました。

立地協定

三陸新報8月29日記事の一部イメージ


記事にもあるように、馬籠小学校は2017年に津谷小との統合で閉校し、市が跡地の利活用を公募していました。これに応じた、インプレックス社の代表は気仙沼市魚町出身の稲葉斡也さんです。斡也さんは6つ下の気中26回生で小さな頃から知っていることは6月のブログでお伝えしました。

1994年に東京で設立された同社は、2008年に気仙沼の内ノ脇地区に工場を設けたものの2011年の東日本大震災で被災しました。三陸新報の記事には、稲葉社長の言葉が紹介されていました。「内の脇工場時代から働いている社員、新たに雇い入れた気仙沼在住者とともに、新工場の準備を進めている。気仙沼の若者に力を発揮してもらえるような場にしていきたい」。

稲葉社長にとっては、10年かけてやっとという思いでしょう。新工場は、9月末ごろに着工し年内の完成、年明けからの稼働を予定しているとのことです。

稲葉さん、立地協定締結、おめでとうございます。無事に新工場の稼働開始をむかえられますよう願っております。

6月15日ブログ「馬籠小旧校舎活用」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : インプレックス馬籠小学校

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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