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漁船員のサポート

新型コロナワクチンに関して、漁船員への接種の難しさについてブログで紹介したのは7月5日のことでした。外国人船員となるとさらに複雑な事情もあるようだと。

8月28日の三陸新報にも、新型コロナと漁船員に関する記事が掲載されていました。気仙沼市は、入港中の漁船で感染が発生した場合のサポートの充実を図るための事業予算案を市議会に提出するとのこと。事業名称は「漁船乗組員宿泊待機施設確保協力金」です。


漁船員サポート
三陸新報8月28日記事の一部イメージ


記事によればこの計画は、入港中の漁船で感染が発生し、市外の乗組員が濃厚接触者や接触者と判定された場合を想定して、個室隔離を受け入れる宿泊施設を支援する制度とのこと。

個室隔離が必要になると、一般客と動線を分けるためにフロアを占用化することになります。市は、その際に発生する空き室の費用を市が補い、ホテル側の負担を軽減します。乗組員本人の宿泊費などは船主負担になるとのことです。

1室当たり1日2500円を交付する予定とのことで、予算案では650万円が措置されています。この予算額が多いのか少ないのか私にはわかりません。どれだけの事案が発生するかの予測はなかなか難しいでしょう。しかし、こうしたことを想定してあらかじめ予算措置をおこなっておくことの重要性はよくわかります。

上記記事には、飲食店メニューのタクシーデリバリー補助事業「ホヤデリ!」を年度末/2022年3月末まで延長する案も記されていました。8月24日ブログで、タクシー協会関係者の「タクシー会社は体力を奪われている。協力金が出る飲食店との差はあまりにも大きい」とのコメントを紹介しましたが、そうした事情を踏まえての事業延長でしょう。

なお、気仙沼市議会の9月定例会は、9月3日から24日までの22日間です。いろんな案件が山積みでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします。

7月5日ブログ「漁船員のワクチン」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 新型コロナ

8年間のジャーニー

8月29日の東京パラリンピック/女子トライアスロン(PTS5)に気仙沼出身の谷真海さんが出場しました。気仙沼でも多くの人がNHK-BSの中継を見ながら応援していたことと思います。

結果は10人中の10位でしたが、ゴールを間近にしての真海さんの笑顔を見て、多くの人がホッとしたことでしょう。

パラトライアスロンにおける真海さんの運動機能障害クラスは本来PTS4ですが、今回の東京パラリンピックではこのクラスでの競技はおこなわれませんでした。そのため、真海さんは障害の軽いPTS5クラスへの参加となりました。つまり、不利な条件での競技です。しかし、参加があやぶまれたこともあったようですから、まずはよかったと。

真海さんは、8月27日につぎのツイートを投稿しています。


真海さんの隣は、米国のケリー・パトリック選手です。同じPTS4クラスのアスリートとして、ライバルであると同時に親しい関係なのでしょう。

ケリー選手のゴールシーンを覚えているでしょうか。7位でフィニッシュしたのですが、その喜びが全身にあふれていました。今回のクラス4で競いあうことの厳しさを背景にしたものでしょう。

ほかの陸上競技のテレビ中継では、クラス4の選手がクラス5で戦うことを〈小学生が高校生と戦うようなもの〉という参加選手の言葉を解説者が紹介していました。競技種目の違いはあるでしょうが、トライアスロンでも同様の事情があると思います。

◎8年間のジャーニー

競技終了後のテレビニュースで紹介された真海さんのインタビュー映像のなかにあった〈8年間の長いジャーニー〉という言葉が強く印象に残りました。長い旅。真海さんの8年間の旅はどこから始まっていたのか。

8年前、つまり2013年の9月7日。アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、オリンピック東京招致委員会の最終プレゼンがおこなわれました。そのプレゼンテーションのトップをつとめたのが佐藤真海さん、現在の谷真海さんです。そのスピーチ内容は8月26日のブログでも紹介しました。

ブエノスアイレスに旅立ったのが2013年8月だったのか9月だったのか。詳しいことはわかりません。しかし、真海さんのいう〈8年間の長いジャーニー〉がそこから始まったのでしょう。そして昨日8月29日、お台場海浜公園で見事に完走しゴールすることができたのです。

谷真海さん、長旅、本当におつかれさまでした。まずは疲れをいやして、またつぎの新しい旅へと。

完走とゴール、おめでとうございます。ありがとうございました。

8月26日ブログ「真海さんのスピーチ」
 

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tag : 谷真海パラリンピック

仁義なきたたかい

8月24日の東京パラリンピック開会式。気仙沼出身の谷真海さんが日本選手団の旗手をつとめたことは皆さんすでにご存じのとおりですが、ほかにも気仙沼と関わりのある方が参加していました。

まずは坂本美雨さん。気仙沼がなにかとお世話になっている矢野顕子さんと坂本龍一さんの娘さんです。

美雨さんは、パラリンピック旗入場曲「いきる」を歌ってくれました。透明感のある歌声は、NHK朝ドラ「おかえりモネ」のサウンドトラックでもおなじみです。

美雨さんは2012年12月16日のほぼ日さんによるイベント「矢野顕子の音楽の稽古場」のとき、お母さま顕子さんに同行して気仙沼を訪れてくれました。つまり、気仙沼の風景を知っています。

◎布袋寅泰さん登場

そして気仙沼と関わりあるもうひとりの方はギタリスト布袋寅泰(ほていともやす)さんです。なんか聞いたことのあるメロディだなと思ったら、布袋さんがデコトラに乗って登場。驚いた。とてもよかった。

布袋さんは、吉川晃司(きっかわこうじ)さんとともにライブをおこない、その関連売上の中から、気仙沼市の産業支援のために、7500万円が寄付してくださいました。

2020年11月26日のブログ「布袋さんに感謝を」では、布袋さんの最新アルバム「Soul to Soul」を紹介しながら、布袋さんと吉川晃司さんによる気仙沼の産業支援を紹介していますので再掲します。再掲内容のなかにさらに再掲があってちょっとわかりづらいかもしれませがご容赦ください。


◎布袋さんに感謝を

2020年11月26日ブログ再掲

(前略)

本日紹介するのは、布袋寅泰さんと吉川晃司(きっかわこうじ)さんが、東北の被災地に寄付してくださった総額6億5千万円もの義援金についてです。そのなかから気仙沼市の産業支援のために、7500万円が贈られました。2012年6月のブログでそのご支援内容を紹介しておりますので再掲します。

◎布袋さん吉川さん
2012年6月5日ブログ再掲

6月2日の河北新報が、〈吉川晃司さんらの寄付金活用 ベンチャー企業支援 気仙沼市〉と伝えていました。

吉川晃司さんと布袋寅泰さんは、昨年7月に音楽ユニット「COMPLEX(コンプレックス)」を21年ぶりに一度だけ復活させ、東京ドームで震災復興支援ライブ「日本一心」を開催しました。




復活ライブ1曲目「BE MY BABY」(約8分)


昨年末には、公演やグッズ、関連DVDの売り上げから、総額6億5千万円を義援金として寄付すると発表されました。そして今年2月、つぎの寄付先がまずは発表され、そのなかに気仙沼市も含まれていたのです。

岩手県「いわての学び希望基金」:1億円
宮城県「東日本大震災宮城こども育英基金」:1億円
宮城県石巻市 :7500万円(中心市街地復興支援)
宮城県気仙沼市:7500万円(産業支援)
福島県いわき市:7500万円(震災孤児遺児支援)

河北新報によれば、気仙沼市はこの寄付金7500万円を活用し、金融機関から融資を受けにくいベンチャー企業を支援します。「創造的産業復興支援事業」として、起業や地域資源などを活用した新事業展開をめざす中小企業に1000万円を上限に経費の一部を助成するということです。7、8月にも募集をおこない、専門家による審査委員会で審査したうえで年度末にも交付するとしています。これらの関連予算は8日に開会する気仙沼市議会6月定例会に提出されます。

布袋さん、吉川さん、そしておふたりのファンや関係者の皆様、ありがとうございました。

2012年6月5日ブログ再掲内容は以上。

◎創造的産業復興支援事業

上のブログのなかで紹介した気仙沼市の「創造的産業復興支援事業」については、2019年3月29日ブログ「鶴亀の湯クラウド」でも紹介したことがあります。

ブログでは、「AbemaTV」紹介記事のなかにあった次の記述を引用しました。〈銭湯の開業には資金が3000万円必要。1000万円は市から助成金を受け、1400万円は気仙沼の企業から集める予定だが、残りの600万円はネットを使ったクラウドファンディングで集める〉。

この市からの助成金1000万円は、気仙沼市の2018年度創造的産業復興支援事業によるものだったのです。ブログではつぎのように文章を続けました。

「 話がちょっと横にずれますが、この気仙沼市の創造的産業復興支援事業は、吉川晃司さんと布袋寅泰さんの音楽ユニット「COMPLEX」からの寄付金7500万円を受けて2012年度に創設されました。同年度に41件の申請から選考された10事業者に対して交付されています。その後の2015、17、そして今回の18年度は別の予算措置がなされていますが、吉川さんと布袋さんの復興支援の意思が今回の銭湯復活企画にもつながっていると言ってもよいでしょう。お二人にあらためてお礼を申し上げます。」(引用は以上)

気仙沼の魚市場前みしおね横丁の「鶴亀の湯」をはじめ、さまざまなアイデアで気仙沼を元気にしようという試みを、布袋さんや吉川さんが応援してくれたことをあらためてお伝えしたく。

布袋寅泰さんと吉川晃司さんに心からの御礼を。ありがとうございました。
 
(再掲内容は以上)

パラリンピック開会式で演奏された、布袋さん作曲の映画「キル・ビル」テーマ曲のタイトルは、「Battle Without Honor or Humanity」。つまり「仁義なき戦いのテーマ」です。

パラリンピックにおける「仁義なき戦い」。ロックですね。

素晴らしかった。布袋さん、ありがとうございました。
 

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tag : 布袋寅泰パラリンピック

真海さんのスピーチ

気仙沼出身のアスリート谷真海さんが8月24日、東京パラリンピック開会式で日本選手団の旗手をつとめました。25日午前9時に真海さんはつぎのようにツイートしています。



真海さんのパラリンピック出場は4回目のこととなりますが、今大会はまさに特別の感慨をおぼえたことでしょう。旗手としての参加はもちろんのこと、今回の東京オリンピック・パラリンピック招致活動にも関わってきたからです。

2013年9月10日のブログ「東京プレゼン全文」で、真海さんの東京招致委員会プレゼンターとしてのスピーチの内容を紹介しました。

本日は、その内容を再掲します。スポーツの力や価値について語ったこのスピーチを、8年後の今に読むことも意味のあることではないかと感じたからです。

文中にも記しておりますが、スピーチ内容はハフィントンポスト記事からの引用となります。スピーチは英語でおこなわれましたので、以下の内容は和文への翻訳です。


◎東京プレゼン全文

2013年9月10日ブログ再掲


2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催についての熱をおびた報道は、まだ続いています。昨夜から今朝にかけてのニュース番組では、気仙沼出身の佐藤真海さんがクローズアップされている印象を受けました。

インターネット新聞「ハフィントンポスト」がIOC総会での東京プレゼンの全文を配信していました。本日はその中から佐藤真海さんのスピーチ内容を紹介します。

ハフィントンポスト9月10日配信内容

「会長そしてIOCの委員の皆様 佐藤 真海です。

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020 年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。

(メンバー紹介/略)

私自身の話に戻らせていただきたいと思います。
19 歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉種により足を失ってしまいました。

もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。

私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。そして何より、私にとって大切なのは... 私が持っているものであって、 私が失ったものではないということを学びました。 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。

2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。

私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り... 私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達はいっしょになってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。

そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。

新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。
人々を結びつける力。

200 人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1,000回も足を運びながら50,000人以上の子どもたちをインスパイアしています。

私達が目にしたものは、かつて日本ではみられなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値...卓越、友情、尊敬...が、言葉以上の大きな力をもつということです。」

引用は以上です。
スピーチ内容を読んでみて、私はつぎのところにあらためて感銘を受けました。

〈私にとって大切なのは... 私が持っているものであって、 私が失ったものではないということを学びました〉

私がIOC委員だったら真海さんに1票! 気仙沼小学校・気仙沼中学校の後輩だし(笑)。

(2013年)9月9日ブログ「真海さんプレゼン」

ブログ再掲内容は以上です。

真海さんは気仙沼中学校を卒業後、高校は仙台育英学園に進みました。そして早稲田大学へ。スピーチで「19歳の時に私の人生は一変しました」というのは2001年。同校在学中のことです。

そして20年後の8月24日。東京パラリンピックに選手として、また開会式の旗手のひとりとして参加することができたのです。

〈本当に貴重で一生忘れられない経験〉。その言葉には、万感の思いが込められていることでしょう。

(8/28追記:谷真海さんが出場する女子トライアスロン運動機能障害クラス(PTS5)は、お台場海浜公園で8月29日(日)午前8:31スタートです。NHK-BS1でも中継を予定しています)

7月12日ブログ「真海さん代表内定」

 

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tag : 谷真海パラリンピック

コロナ感染の現況

気仙沼市内での新型コロナ感染者の発表は、8月23日(月)はゼロでした。よき兆候と思いましたが、きのう8月24日(火)は1名との発表がありました。


発表資料

8月24日付け記者発表資料一部イメージ



4月21日を最後に発表ゼロが続いていた気仙沼市でしたが、93日ぶりで感染者が発表されたのは、7月23日のことでした。

そんなこともあり、8月6日のブログ「コロナ感染の現況」では、7月23日から8月5日までの気仙沼市内の感染者発表をまとめました。

そしてその後、感染者発表がゼロ人だったのは8月8日と23日のみと、なかなか落ちつきません。

気仙沼を離れている人には気仙沼市内感染者の状況や経過がなかなかわからないでしょう。ということで、新型コロナ感染者について、前回のブログでのまとめに続けて、8月6日から8月24日までの状況をまとめてみました。県発表に基づく気仙沼市記者発表内容です。

なお、感染者属性で2名が「10代男性学生」とされています。「学生」というと大学生を連想しますが、以前の県の発表では中学生徒も「学生」としておりましたので、中高生である可能性もあります。小学生児童の扱いは不明です。念のため。


◎気仙沼市内新型コロナ感染者発表経過
(2021年8月6日〜24日)

8月6日(3名)

 30代男性会社員
 60代男性無職
 30代男性会社員

8月7日(2名)

 50代男性会社員
 10代男性学生

8月8日(0名)

8月9日(3名)

 70代女性無職
 90代女性無職
 50代男性公務員(市民生活部循環型社会推進課)

8月10日(5名)

 20代女性公務員
 (市立病院看護部)コロナ関係病棟担当ではありません
 50代女性自営業
 80代女性無職
 30代男性会社員
 50代女性パート

8月11日(2名)

 30代男性会社員
 40代男性会社員

8月12日(5名)

 30代男性会社員
 30代女性会社員(*)
 20代女性会社員(*)
 40代女性公務員
 (市保健福祉部子ども家庭課 唐桑幼稚園)
 50代女性会社員

(*)市内の同一酒類提供飲食店滞在者でクラスターと認定されました

8月13日(10名)

 50代女性会社員(*)
 30代男性会社員(*)
 20代男性会社員(*)
 50代女性自営業(*)
 40代男性会社員(*)
 50代女性無職(*)
 40代男性会社員
 50代女性無職
 30代女性団体職員
 70代女性無職

(*)8/12公表の飲食店滞在者

8月14日(3名)
 20代女性団体職員
 20代男性会社員
 20代男性会社員

8月15日(3名)
 10代男性生徒
 50代男性公務員
(市民生活部循環型社会推進課)
 40代男性自営業

8月16日(1名)
 50代男性会社役員

8月17日(4名)
70代男性無職
50代女性会社員
50代女性団体職員
40代男性会社員

8月18日(4名)
 20代女性アルバイト
 40代男性会社員
 70代女性無職
 40代女性公務員
 (気仙沼市 牧沢きぼう保育所職員)

8月19日(1名)
 20代女性会社員

8月20日(1名)
 50代男性公務員
 (気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課)

8月21日(1名)
 20代女性会社員

8月22日(1名)
 10代男性学生

8月23日(0名)
発表ゼロ

8月24日(1名)
 40代男性公務員
 (震災復興・企画部地域づくり推進課)


気仙沼市内の状況まとめは以上。

東京の状況はご存じのとおりです。デルタ株てごわし。

繰り返しになりますが、マスク、手洗い、3密の回避など、基本的な感染対策をどうぞ今まで以上にお忘れなく。お互いに。
 

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営業時間短縮要請

8月20日(金)から、宮城県に新型コロナのまん延防止等重点措置が再適用されました。これによる営業時間短縮要請を受けて、気仙沼市内の飲食店も午後8時に合わせての閉店や、休業するなどの対応をとる店が相次いだとのことです。8月22日の三陸新報が伝えています。


時短

三陸新報8月22日記事の一部イメージ


8月20日の三陸新報には、休業や時短営業に関する広告が多数掲載されました。2面と3面の下部はびっしりとこんな感じ。


広告
三陸新報8月20日掲載広告より


22日の記事によれば、今回の時短要請は酒類を提供しない飲食店も対象のため、市内での協力金の申請件数は「前回(316店舗)」より増える見通し(市産業戦略課)とのこと。

期限の9月12日まで時短に全面的に協力した店は、前年度までの売上高に基づき、1店舗当たり1日2万5千円〜7万5千円が支払われるそうです。市内の飲食店は、1日2万5千円に該当する店が多いとみられるとしています。

この記事では、飲食店の関連業者への大きな影響についてもふれていました。酒店、タクシー、運転代行などの業種です。

気仙沼市と南三陸町のタクシー会社10社が加盟する県タクシー協会気仙沼支部によれば、今回の時短要請を受け、ほとんどの会社で午後9時以降の営業を取りやめるそうです。同協会支部長のコメントが紹介されていました。「タクシー会社は体力を奪われている。協力金が出る飲食店との差はあまりにも大きい」と。

たしかになあ。飲食店の皆さんからは、これくらいの協力金ではとてもとてもという声が聞こえてきそうですが。

時間短縮営業の要請期間は、8月20日午後8時から9月13日(月)午前5時まで。9月13日の夜からは平常時の営業が再開できるようにと。心から願うというか祈るというか。そんな感じです。
 

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10年間の「負い目」

雑誌「週刊新潮」に「掲示板」という連載記事があります。いわば、読者へのおたずねコーナーです。〈〜を探しています。ご存じの方はお知らせください〉などと、毎週4人からのお願いが掲示されています。

その「掲示板」に気仙沼の方が登場していましたので紹介します。「週刊新潮」7月29日号。


掲示板


歌手の五代夏子さん、映画監督ジョン・スーさん、ピアニスト山元香那子さんに続いて登場しているのは、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館館長の佐藤健一さんです。

佐藤さんのお願いを拡大してみます。


佐藤健一


文中にもあるように、佐藤さんは本年4月に気仙沼市震災遺構・伝承館の館長に就任しました。佐藤さんのお願いはつぎのようなこと。

「気仙沼には大島という島があり、ここが昔、津波で水没して三つに分かれたと言い伝えられています。それがいつなのか分かりません。文献などお持ちの方がいればご連絡ください。」

このお願いについては後述することにして、まずは佐藤健一さんに関することから。


◎10年間抱いてきた負い目

佐藤さんは、元・気仙沼市危機管理監です。危機管理に関する実務責任者だったといってよいでしょう。

河北新報5月23日配信記事によれば、佐藤さんは市職員として長年、地域の防災力向上に取り組んできました。2011年の大震災時には市の危機管理課長だったそうです。しかし、震災で多くが犠牲になったことに自責の念を抱いてきたとも。

河北新報5月23日配信記事

記事の一部を引用します。

〈 「やってきたことは無意味だった」。12年7月、定年まで1年半を残して市役所を去った。

10年間、負い目を抱いてきた。伝承館の館長就任依頼にも戸惑った。伝承館は杉の下地区の目の前にあり、自分は避難場所を認めた責任者だ。「申し訳が立たない」と断っても、市幹部に熱心に説得された。

 「あんたのおかげで、うちの地区は多くの人が助かったんだよ」。震災の数日後、行政区長に言われた言葉を思い出した。防災マップ作りの際、時に激しく議論を交わした相手だ。「悔やんでも何の役にも立たない。引き受けることが自分の責任かもしれない」。そう思えるようになった。 〉(引用は以上)

なんというか、この東日本大震災にまつわる〈負い目〉の感情は、まさにNHK朝ドラ「おかえりモネ」で扱われているテーマのひとつでもあると思います。なかなかに重い。

記事の末尾、〈もう迷いはない〉という言葉にホッとしました。

◎貞観津波

ここからが本題。佐藤館長のおたずねにある気仙沼大島を3つに分けた津波についてですが、これは貞観(じょうがん)津波ですよね。

Wikipediaの記述によれば、貞観津波が起こったのは、平安時代前期の貞観11年(869年)5月26日のことです。

震源は陸奥国東方沖と推定され、この地域に周期的に発生する三陸沖地震のひとつとして、「貞観三陸地震」と呼称されることがあるそうです。

Wikipedia「貞観地震」

大島を3つに分けた貞観津波については、大島の人をはじめ気仙沼ではよく知られていることかと思います。佐藤さんは、その詳しい文献を探しているのでしょう。そういうことでいえば、史書『日本三代実録』が参考文献ということになるかもしれません。

ネットには、こちらのレファレンス情報もありました。

私の手元にある、『気仙沼大島の民話・伝説』(平成14年1月20日初版発行)にも、大島に言い伝えられている貞観の大津波についての話が収録されています。長くなりますので、これについては日をあらためて。

話を戻します。河北新報の記事の末尾に佐藤さんのつぎの言葉が紹介されていました。

気仙沼市震災遺構・伝承館を〈自然災害の最新の知見を学び、国内外に発信する人材育成の拠点に〉できればと。

〈負い目〉を乗り越えたからこその、佐藤健一館長の願いでしょう。

気仙沼市震災遺構・伝承館サイト

  

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tag : 貞観津波佐藤健一

佐藤幸則君の訃報

きのう8月19日に菊田裕美君からメール。津谷中学出身で気仙沼高校同年生の佐藤幸則君の訃報でした。東京近辺の気仙沼出身同年生の「けせもい会」メンバーでもありました。同会会長の鈴木徳一君から裕美君に連絡があったとのこと。8月14日に逝去。

裕美君によれば、幸則君は昨年はじめに胃ガンが確認され闘病中でした。

千葉健二君(唐桑中学)からも同様の連絡があったそうです。時節柄、葬儀等は18日に家族のみで執り行われたと。

気高の卒業アルバムをのぞいてみると、幸則君と健二君は同じ3年1組だったのですね。卒業後もずっと親しくしていたのでしょう。

佐藤幸則君は千葉県市川市の市議会議員でもありました。2011年4月選挙で初当選、2015年にも再当選。人口50万人をかかえる市川市の議員として2期8年間つとめたことになります。

このブログで以前紹介した幸則君がうつる写真を紹介しましょう。2018年7月14日に東京・平河町で開催された気仙沼高校関東同窓会の懇親会で撮影したものです。




2018年7月14日撮影


後列右から3人目が幸則君、その右には気仙沼から参加してくれた熊谷雅裕君(大島中)がうつっています。前列には熊谷育美さんも。この懇親会では、育美さんのミニコンサートがありました。育美さんの左側に6月9日に亡くなった村上教行君がうつっているのもなんというか。

2018年7月16日「関東同窓会の報告」

昨年4月、抗がん剤治療中の幸則君から裕美君へのメールにつぎの言葉があったそうです。

〈 皆さんに、くれぐれも健康に注意するようにお伝えくださいね。けせもい会に、また参加できる日を楽しみにしています 〉

健康に注意するように。あらためて肝に銘じたく。

佐藤幸則さんのご冥福を、心からお祈りいたします。
 

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tag : 佐藤幸則訃報

古稀祝いは中止に

本年10月30日(土)に予定されていた気仙沼中学20回生の「古稀を祝う会」は中止となりました。新型コロナ感染拡大防止のため。きのう8月17日の実行委員会で決定したと、臼井真人君(3年2組)が知らせてくれました。

この古稀祝いは当初、2020年10月24日に開催予定でしたが、新型コロナ感染拡大防止のために1年延期されました。

今回の決定は延期ではなく中止です。ただし、来年3月頃には各クラスの実行委員が再度集まり、全クラスでの催しの可能性について話し合うとのこと。古稀/70歳にこだわる必要もないしね。とはいえ、喜寿/77歳までにはまだ間があります。

昨年の段階で私は、2021年10月には新型コロナもさすがにおさまっているだろうと考えていたのですが。甘かった。約4年ぶりに気仙沼に行くのを楽しみにしていましたが、これも〈仕方なし〉。来年のなにかしらの催事を楽しみにすることにいたします。

最後に2019年11月21日ブログ「気中20回生古稀祝」でも紹介した、10年前の「還暦を祝う会」記念写真を再度掲載しておきます。


◎2011年2月12日「還暦を祝う会」記念写真


3年1組〜 5組

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3年6組~11組


還暦祝いのときも地元気仙沼のクラス担当/実行委員の皆さんには大変お世話になりました。そして今回もいろいろとありがとうございます。まだもう少しお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2019年11月21日ブログ「気中20回生古稀祝」

 

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tag : 古稀祝い新型コロナ

感染拡大の「余波」

新型コロナの感染拡大に対応して、宮城県は8月12日付けで独自の緊急事態宣言を発令しました。これに伴い、気仙沼市と南三陸町の4つの海水浴場は8月13日をもって閉鎖となりました。

8月15日の三陸新報はつぎのように伝えています。

815海水浴場閉鎖
三陸新報8月15日記事の一部イメージ


気仙沼市内で閉鎖となった海水浴場は、大谷、小泉、小田の浜です。

大谷海水浴場は、震災後11年ぶりの海開きがおこなわれただけに、この閉鎖は残念なことでしょう。大谷と小泉の海開き広告はつぎのブログで紹介しました。

7月19日ブログ「海水浴場の海開き」

上記の記事の見出しにもなっていますが、気仙沼みなとまつりも8月22日の全行事がとりやめとなりました。15日の三陸新報にはつぎの広告も掲載されていますした。


みなとまつり中止
三陸新報8月15日掲載広告


みなとまつりについて8月11日の時点では、新型コロナ感染状況を踏まえ、陸上行事をすべて中止し、夜の海上行事に限定して開催されることにしました。しかし、その後の感染拡大などによって、全行事とりやめとなったのです。

なお、広告にあるように、海上打ち上げ花火や「魚町・内湾地区の装飾、五十鈴神社・浮見堂のライトアップについては、状況をみながら、延期開催について検討していくとのことです。

中止、中止の連続で、〈仕方なし〉という言葉も何度使ったことか。たまには、〈やむなし〉を使ってみましょうか。止む無し。

感染拡大、止む見込み無しみたいでなんか感じ悪し。やはりここは〈仕方なし〉ということで。

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tag : みなとまつり新型コロナ

20年前の優子さん

三陸新報さんのシリーズ記事「タイムトラベル〜20年前のあの日あの時」をいつも興味深く見ております。20年前の同紙同日紙面を紹介する企画。7月31日の記事はこんな感じ。

タイムトラベル
三陸新報7月31日記事より


私が注目したのは左下の記事。見出しは「エレクトーン県大会で金賞 気仙沼の岡本さん」。記事では「気仙沼の岡本優子さんが、ヤマハエレクトーンフェスティバルで金賞を獲得。東北大会出場を決める」と。

説明の必要もないくらいですが、記事に登場しているのは、このブログでも何度か紹介しているジャズピアニストの岡本優子さんです。

記事中には紙面の画像がありますが、そのなかに「高校生部門で金賞」との見出し。写真も掲載されていました。


拡大


岡本優子さんは気仙沼小・中学校のあとはたしか仙台の高校に進んだと聞いたことがあります。その後はボストンの名門バークレーへ。

しかしなんというか、優子さんの記事などを見ると、どうしても気仙沼小・中・高の1年先輩である〈岡本製氷〉岡本寛さんの娘さんという目でながめてしまいますね。親世代の目線というのかな。

2017年10月に仙台近辺の同年会「KSS42」が懇親会のゲストとして優子さんをお招きしてミニコンサートを催したのも同じような気持ちからでしょう。つぎのブログで紹介しました。

2017年10月24日ブログ「KSS42&岡本優子」

このブログで紹介した岡本優子さんの当時のインスタグラムを再掲します。

2017年10月15日のインスタ投稿です。4年近く前の写真。左のほうの一番前にうつっているのがイオンの村上教行君です。東京からのゲスト参加だったのでしょう。



村上教行君が亡くなったのは本年6月24日。肝臓ガンを患ってはいましたが4年前はこうして元気な姿をみんなに見せていたのです。

すでに四十九日も過ぎ、お盆もあけました。思い出すことがひとつの供養になればと。

6月24日ブログ「村上教行君の訃報」

 

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tag : 岡本優子村上教行

気仙沼空襲の記録

「かねふと(気仙沼舘山)」さんが8月10日につぎのようにツイートしていました。



「かねふと」さんは、6年前に仙台から気仙沼に戻っています。8月10日のNHKテレビ番組は宮城ローカルの放送だと思います。

私たちより1学年下の気中21回生です。同世代ですから、私と同じように気小第二校舎の機銃掃射の跡のことを覚えているのですね。

「かねふと」さんの投稿にあるグラマンF6Fによる気仙沼空襲による死者16名のことは、2017年6月のブログで紹介しました。

まずは要点のみ記しておくと、気仙沼市史では「宮城県消防史」のつぎの記述を引用しています。

「昭和20年8月9日午後1時30分ごろ、太平洋戦争中アメリカ空母より発進したグラマン艦載機の攻撃は鹿折地区一帯と港町一帯におよび焼夷弾により火災発生。全焼129戸、半焼2戸、全壊14戸、半壊38戸となり、死者16名、傷者21名で、このうち警報団員1名が消火作業中直撃を受け殉職した。」(引用は以上)

本日は、上記内容を含むブログ記事を再掲することにいたします。


◎気仙沼空襲の記録

2017年6月21日ブログ再掲


きのう6月20日のブログでは、戦時期の気仙沼からの戦闘機献納について紹介しましたが、気仙沼市史を調べているなかで、終戦の年の〈気仙沼空襲〉に関する記述が眼に入りましたので紹介します。

気仙沼空襲

「気仙沼市史」第4巻 近代 現代編より


第15節「気仙沼空襲」のなかに、「東北各地を攻撃」という見出しで次の記述がありました。昭和20年/1945年7月14日のことです。

〈 気仙沼が初めて米軍機の空襲を受けたのは前述のとおり7月14日だが、当時国民学校の気仙沼小学校学校日誌には同日「午後1時ごろ敵機来襲し、西校舎の一部を機銃掃射せしも被害なし」とある。大島方面から飛来の1機が安波山上空で旋回して急降下するように同校わきの図書館や校舎へ約百発の機銃を撃ち込み、校庭から一直線に土けむりがあがったという。
 初め「町民献納号」が来た、と飛び出した児童たちは「敵機だ」の声に教室に逃げ込んだ。シイーンと静まり返ったところへ、反転したグラマン機の無差別掃射。校庭での体操授業がなく、一人の傷者もなかった。
 平成元年、同校の改築で旧校舎から数発の機銃弾が出てきた……。〉(引用は以上)

前年1月に気仙沼から献納された陸軍戦闘機「町民献納号」だと思ったら、アメリカ軍のグラマンだったというのです。市史によれば、空母「レキシントン」搭載の艦上戦闘機グラマンF6F(ヘルキャット)か、F4Fであったらしい。

このあと、同年8月9日と10日に、当時の鹿折村を中心に、気仙沼町一帯が本格的な空襲を受けるのです。

市史では、昭和59年1月に戦争体験を記録する会がまとめた戦争体験記「雲はかえらず」を引用して空襲被害を述べています。それによれば、8月9日、グラマン機は鹿折村営の松根油工場を目がけて機銃および小型爆弾で攻撃し、工場の工員5名、工場そばの民家で一家5名が死亡しました。当時、松根油は航空機燃料とされていました。そして同日、内湾に係留または上架中の監視船、漁船、油送船、貨物船10数隻が沈没または大破しました。翌10日には、グラマン6機が来襲し、気仙沼駅が爆弾や機銃での攻撃を受けます。大島の浦の浜では漁船1隻が撃沈されました。

「気仙沼図書館日誌」に当時の菅野青顔館長が空襲のことを記した内容も紹介されていました。この8月9・10日両日については、「気仙沼大爆撃。内の脇、駅前、鹿折村浜区に被害。町内大混乱におちいる。図書館にも機銃弾10発当り被害」と記述しています。

被害の詳細について市史は、「宮城県消防史」の記述を引用しています。〈昭和20年8月9日午後1時30分ごろ、太平洋戦争中アメリカ空母より発進したグラマン艦載機の攻撃は鹿折地区一帯と港町一帯におよび焼夷弾により火災発生。全焼129戸、半焼2戸、全壊14戸、半壊38戸となり、死者16名、傷者21名で、このうち警報団員1名が消火作業中直撃を受け殉職した。〉(引用は以上)

この空襲被害者数は、資料によって相違があるのですが、市史の空襲関係記述末尾に、〈気仙沼市調べ〉として、鹿折地区17名、気仙沼町2名の犠牲者氏名を掲載していました。鹿折八幡神社の〈招魂碑〉に刻まれた空襲殉没者名を資料としているようで、その一部写真も紹介されていました。市史内容の引用は以上です。少し長くなりましたが、資料的な意味もあるかと思いまして。

私たち気仙沼中学20回生が気仙沼小学校3年生のときは、現在の市民会館がある場所に建っていた第2校舎を使っていました。そしてその階段の踊り場に小さな穴があいており、それは〈戦争のときにグラマンから機銃掃射を受けたときの穴〉であると。気仙沼空襲については、それくらいの記憶、知識しかなかったのです。しかし今回、気仙沼空襲のことを調べてみると、鹿折地区の被害が大きく、それも焼夷弾による火災が激しかったことをあらためて知ることができました。

7月14日に飛来した飛行機。それを1年前に献納された「気仙沼町民」号と思い校庭に飛び出した気仙沼国民学校の児童たち。献納機どころか敵機と知り校舎に走ってもどるとき、いったいどんな気持ちだったのでしょう。その一カ月後8月15日は終戦の日/敗戦の日となるのです。

再掲内容は以上です。

終戦から76年。さきの大戦でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
 

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tag : 気仙沼空襲

一木さんへの御礼

気仙沼市公式観光サイトのTwitterアカウント「気仙沼さ来てけらいんWEB」にこんな動画が投稿されていました。


気仙沼「海の市」2階で開催中の「おかえりモネ」展。オープニング映像で使われた〈なないろ〉の布の中を走るのは同ドラマ演出担当のおひとり一木正恵さんです。

(8月14日13:45追記:上記映像にうつっているのは、一木さんではなく、「おかえりモネ展のスタッフさんのようです」とブログ内メールで連絡をいただきました。一木さんは撮影してくださったのですね。そう言われてみればたしかにそうです。大変失礼いたしました。また、ご連絡ありがとうございました。タイトルおよび記事の一部を修正いたしました)

一木正恵さんについては、昨年6月15日のブログで「NHK一木正恵さん」というタイトルで紹介したことがあります。

本日は、その記事を再掲することにいたします。内容に変更などありませんが、月日部3カ所に「2020年」記述を加えました。


◎NHK一木正恵さん

2020年6月15日ブログ再掲

(2020年)6月12日のブログ「梓の木を植える」で、「森は海の恋人 植樹祭」についての河北新報記事を紹介しました。

12日のブログでは話が長くなるので触れませんでしたが、私は記事の末尾にとても興味を引かれました。本日はその話。


河北

河北新報6月9日配信記事より


その記事を引用します。

〈(前略) 来春から放送予定のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」のスタッフも視察に訪れた。気仙沼市も舞台となる。ドラマ部チーフディレクターの一木正恵さん(50)は「森から川を通じ海へとつながる水のネットワークは、現代では失われたものの一つ。ドラマの中でも感じてもらえるようにしたい」と語った。〉(引用は以上)

一木正恵(いちきまさえ)さんは、「おかえりモネ」の演出陣のひとりです。今回の「森は海の恋人 植樹祭」は新型コロナ感染防止のために関係者30人でおこなわれましたが、そのなかに一木さんがいらっしゃったということですね。

◎川、いつか海へ

一木正恵さんについて存じあげなかったのですが、ネットのテレビドラマ人名録で調べてみると、NHKのドラマで多くの優れた仕事をされている方でした。

この人名録の一木さんの情報は、2003年放送の「川、いつか海へ 6つの愛の物語」から始まります。取材スタッフとして、一木さんのお名前がありました。テレビ放送50周年記念として製作されたこの全6話のドラマは、倉本聰さん、野沢尚さん、三谷幸喜さんがリレー形式で脚本を担当しています。その紹介文のなかには、「最初のひとしずくが、大河となって海に注ぐまでの一本の川。川を流れる浮き玉が、6つの物語をつなぐ」とありました。

◎大河ドラマ、連ドラ

大河ドラマでは「義経」や「天地人」「八重の桜」、そして「いだてん 東京オリムピック噺」の演出陣のひとりです。

「いだてん」は毎週たのしみにしておりました。面白かった。すばらしかった。脚本は「あまちゃん」でも楽しませてくれた宮藤官九郎さん。細かなことはわかりませんが、一木さんは少なくとも、菅原小春さん演じる人見絹枝が登場する回や、第24回/第1部金栗四三(かなくりしそう)編最終回の演出などを担当したようです。

この第24回は、第2部田畑政治篇にきりかわる重要な回。関東大震災で甚大な被害を受けた東京で、金栗四三は神宮外苑競技場での復興運動会の開催を決意するのです。

そして連ドラ/朝のテレビ小説では、「どんど晴れ(2007)」「ゲゲゲの女房(2010)」「まれ(2015)」などの演出を担当しています。

このほか2016年には、NHK東日本大震災プロジェクト『明日へ』キャンペーン協賛の特集ドラマ「恋の三陸 列車コンで行こう」全3回をすべて演出。私は見逃しましたが、松下奈緒さんの主演で岩手県大船渡市を舞台にしたドラマです。

◎種まく人

オリコンのドラマ・映画サイトに、「サブタイトルで読み直す『いだてん~東京オリムピック噺』」というインタビュー記事がありました。その中で、第24回の演出を担当した一木さんがつぎのように語っています。

【一木】 撮影しながら「一粒の麦」という言葉が頭に浮かびました。大河ドラマ『八重の桜』に登場する新島襄も触れた、「一粒の麦は、もし地に落ちて死ななければ、それは一つのまま。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」という聖書のことば。劇中ではシマが一粒の麦となったから、そこから多くの実が、実る。自分だけではなし得なくても、一粒の麦として身を捧げれば、次の世代を養うことになる。次々とバトンを託しながら少しずつ進歩していくことが伝わる回になればいいなと思っていました。(引用は以上)

「いだてん」のサブタイトルは、宮藤官九郎さんもまじえた打ち合わせのなかで、古今東西の文学・映画・音楽の作品タイトルしばりでいこうという案が出たそうです。主に各回の担当演出がネタを出して決めていったとのことですが、この第24回のサブタイトルは、なんとミレーやゴッホの絵画から「種まく人」。

6月12日のブログの結びで、「どうも私は〈種をまく〉とか〈木を植える〉といった言葉に弱いようです」と書いたばかりだったので、このサブタイトルを知ったときには本当に驚きました。

◎そして植樹祭

ドラマであればここで場面はかわって、6月7日の植樹祭当日。一木正恵さんは矢越山ひこばえの森で、梓の木を植える畠山重篤さんの姿をながめています。その脇には、「たとえ明日、地球が滅びようとも私は梓の木を植える」と記された標柱。

一木さんの脳裏には、「川、いつか海へ」そして「種まく人」など、それまで関わってきたドラマのタイトルなどがまるで川の流れのように次々と流れていきます。(勝手な想像は以上)

一木正恵さん、来春の「おかえりモネ」の放送をとても楽しみにしております。いろいろと大変なこの時期、忙しい毎日がつづくことと思いますが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

2020年6月12日ブログ「梓の木を植える」
2020年5月28日ブログ「気仙沼が朝ドラに」
 

再掲内容は以上です。

文中でNHK大河ドラマ「いだてん」で、ダンサーでもある菅原小春さん演じる人見絹枝が登場する回の話を紹介しました。その菅原小春さんはいま、「おかえりモネ」で車いすマラソンの選手「鮫島祐希」を演じています。

人見絹枝は、1928年アムステルダム・オリンピックの女子800m走で銀メダルを獲得しています。日本人女性初の五輪メダリストです。

そして「おかえりモネ」で鮫島選手が目指しているのは、2020年の東京パラリンピック出場でしょう。前回(リオ大会)の代表選考会では天候を読み違えて出場を逃したのです。それだけに今回は。

モネらのサポートを受けて鮫島選手が臨んだのは、2016年9月25日(日)の「車いすマラソン強化指定選手選考記録会」です。

私は、鮫島祐希の「私は絶対まけられへんねん」という言葉の裏側に人見絹枝の姿を感じました。

このドラマは安達奈緒子さんのオリジナル作品です。安達さんは、今回のオリンピックやパラリンピック開催時期に合わせて、こうしたバックストーリーを仕込んでいるのではないかと。つまりこれは、〈もうひとつのオリムピック噺〉でしょう。

話が2重にも3重にも重なって。というか、ここは2周も3周も回ってというほうがいいのか。なんか話がぐるぐる回ってきました。この辺にしておきましょう。

一木さん、本当にいろいろとありがとうございます。皆さんのおかげで、このドラマは飽きることがありません。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

7月22日ブログ 「おかえりモネ」展
5月24日ブログ「モネのOP映像背景」

 

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海上行事限定開催

一昨日8月10日のブログでお伝えしたとおり、今年のみなとまつりは、規模を縮小し8月22日の開催が検討されてきましたが。しかし、新型コロナ感染状況を踏まえ、陸上行事をすべて中止し、夜の海上行事に限定して開催されることになりました。

(8月13日午後5時追記:第69回気仙沼みなとまつりは、宮城県・仙台市緊急事態宣言の発令や気仙沼市における感染状況から、すべての行事開催を取りやめることになりました)

8月11日に気仙沼みなとまつり委員会が記者発表し、本日12日の三陸新報もつぎのように伝えています。


みなとまつり
三陸新報8月12日記事の一部イメージ


◎実施行事の概要

8月22日(日)
18:00〜19:50 海上うんづら
19:30〜19:50 海上打ち上げ花火

陸上行事の中止に伴い、まつり会場も設けられず、周辺の交通規制もなしとなりました。

なお、上記の行事の様子は地元ケーブルテレビ(K-NET)の生放送や、みなとまつり委員会のYouTubeライブ配信がおこなわれるそうです。

気仙沼みなとまつり委員会の記者発表資料の最後にはつぎのように記されていました。

〈まつり開催に向け、街頭募金にご協力いただきました市民の皆さま、協賛金をお寄せいただきました事業所の皆さまに心より感謝と御礼を申し上げます。〉

昨年のみなとまつりは中止となりました。それだけにコロナ禍のなかにあっても、今年こそはとの思いで規模を縮小しつつ、いろいろと準備が進められていたことと思います。

そしてさらに規模を縮小、限定しての開催となりました。とはいえ、海上うんづらや打ち上げ花火を楽しみにしている人も多いことと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

昨年のみなとまつり中止についてはつぎのブログにて。2020年4月17日に中止が決定されました。

2020年4月21日ブログ「みなとまつり中止」

 

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オレのモネ座談会

「ほぼ日」さんの「オレのモネ座談会from気仙沼」を大変たのしく読みました。8月5日から毎日更新され全5回。今ならまとめて全部よむことができます。下の画面クリックでサイトにジャンプします。


座談会

「ほぼ日」同記事目次ページ画面より



この座談会は、NHK朝ドラ「おかえりモネ」について、〈気仙沼のモネ好き5人〉に思う存分かたってもらおうという趣向。

座談会出席者はつぎの方々です。記事中の自己紹介内容を抜粋させてもらいます。なお、武山健自さんはリモート参加です。


◎小松武さん
気仙沼大島で牡蠣養殖業を営む「ヤマヨ水産」4代目。
◎鈴木麻莉夏(まりか)さん
気仙沼市観光課所属。ご当地アイドルグループ「SCKガールズ」3代目リーダー。
◎千葉可奈子さん
2017年に気仙沼へUターン。ふだんは一般社団法人まるオフィスが運営している気仙沼市移住支援センター「MINATO」で勤務。
◎サユミさん
2年前まで気仙沼のほぼ日に。「沼のハナヨメ。」のサユミさんです。
◎武山健自(けんじ)さん
実家は気仙沼市魚町「武山米店」。東京在住。


くわしい話は、記事を読んでいただくことにしますが、私が驚いたのは、武山健自さんが、おかえりモネをしっかりと見るために65インチの8Kテレビを購入したということ。

〈ドラマは4K放送だったので意味なかったんだけど(笑)、ものすごく鮮明な画質でモネちゃんの表情を見ています〉とのこと。〈朝に見て、昼の再放送を会社で見て、夜に録画を見ています〉って、これはマニアを通りこしてほとんどビョーキでしょう(笑)。

健自さんには、東京での気仙沼高校関東同窓会や「気仙沼を元気にする会」など、お目にかかる機会がたくさんありました。しかし昨年からは新型コロナの関係でなかなか。

今度お会いする機会があれば、この座談会記事で文字になっていない、さらにマニアックな話を聞かせてもらいたいなと。楽しみです。

なお、この座談会は第8週目放送時期におこなわれたとのことですから、7月5日〜9日ですね。ほぼ1か月前のこと。

現在のモネは東京で頑張っています。今後ドラマがどのように展開するのかわかりませんが、〈おかえり〉モードになるなど、気仙沼の場面が多くなることを期待しています。

そのときには是非2回目の座談会をお願いしたく。どうぞよろしくお願いいたします。「ほぼ日」さん、ありがとうございました。
 

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みなとまつり日程

今年の「気仙沼みなとまつり」は、8月22日に港町臨港道路を会場にしての開催が予定されています。第69回目。ただし、新型コロナの感染拡大状況によっては、中止または規模の縮小もありうるとのことです。昨年は中止となった気仙沼みなとまつりですが、今年はどうなるか。

まずは今年のみなとまつりポスターを紹介しましょう。


みなとまつり

気仙沼みなとまつり実行委員会サイトより


8月8日の三陸新報1面「ニュースを追って」では、みなとまつり開催に対する市民からの賛否の声を紹介していました。見出しは〈コロナで黄信号〉。

今年のみなとまつりは「はまらいんや踊り」はなく、2日ではなく半日と規模を縮小して開催予定です。ポスターにもつかわれている「打ちばやし大競演」も、参加団体は大幅に減っているそうです。

会場の収容人数は、県が示す屋外イベントの上限である5000人に設定し、専用アプリで会場人数を常時把握し、入場ゲートで来場者に名前や連絡先の提出、検温、消毒徹底を呼びかけるとのこと。

主催団体長会議がみなとまつりの開催案を決めたのは7月1日のこと。感染状況によって「協議」や「中止」などの判断基準も申し合わせています。開催1週間前(8月15日)を基準に開催可否を最終判断する方針。

まつり委員会会長の菅原市長は、「実行委員長、企画部会など関係者と相談し、15日を待たずに判断を出したい」としています。記事では「まつり委員会会長」としていますが、これは主催団体長会議の長という意味あいでしょうか。実行委員長は、気仙沼商工会議所会頭の菅原昭彦さんです。(追記:みなとまつり委員会は「気仙沼みなとまつり委員会」で、会長が菅原市長)

開催可否判断の最大のポイントは、気仙沼市内の新型コロナ感染拡大の状況です。8月6日のブログで最近2週間ほどの感染者数などをまとめておりますが、ざっといえば1日1人。その後の8月7日は2人、8日はゼロ、9日は3人でした。

菅原市長の9日Twitter投稿によれば、9日3人のうちの1人は市職員で、既感染職員の関係者として検査したなかで陽性が判明したとのことです。本日10日の三陸新報によれば、職場は市のゴミ処理センター「クリーン・ヒル・センター」とのことです。

開催判断が微妙というか、なかなかに難しい状況で、関係者にとってはまだまだ落ち着かない日が続きそうです。

8月8日ブログ「コロナ感染の現況」

 

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幻の400mリレー

東京2020オリンピックが終了しました。7月23日の開会式から数えると昨日8月8日の閉会式までは17日間。新型コロナ感染拡大のニュースをながめながら、なんかあっという間のことだったようにも思います。

映像を見ていて、競技に勝利した人たちの喜びの表情はスポーツの素晴らしさを十分に感じさせてくれました。そして惜しくも敗れた者たちの姿にも、なんというか、とてもしみじみしたものを感じる瞬間がありました。70歳近くなったせいか、どうも私は敗者への共感傾向が強まっているのかもしれません。

8月6日の陸上男子400mリレー決勝。多田修平選手からのバトンが山縣亮太選手にわたることはありませんでした。まさか。こんなことも起こるのか。

私たち家族は、山縣選手を応援しており、そのすばらしい走りを見ることを楽しみにしておりました。

というのも、私たちはこの男子400mリレー決勝の観戦チケットをもっていたのです。ホントかよとの声もあると思いますので、チケット販売サイトの画像を紹介しましょう。本日の画面なので「無観客」との表示がありますが、しっかり「当選」と記されています。

チケット


息子から〈めったなことでは当選しないから〉と、家族3人でいろんな競技に応募して、当たったのは私が申し込んだこのチケットのみ。まさにプラチナチケットだったと思います。3枚で足りるのですが、たしか申し込み単位が4枚ということでした。

結構な金額ですが、それは息子からのプレゼント。それをありがたく受け取って家族で観戦するはずでした。しかし結局は無観客に。

そして迎えた8月6日当日。あのようなドラマを見ることになるとは。私たちのオリンピックスタジアムチケットは、まさに、幻の400mリレーチケットとなったのです。

話を戻しましょう。いろんなことがありましたが、選手の皆さまはもちろんのこと、すべての関係者の皆さま、お疲れさまでした。ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。

………………………………

2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定したのは2013年9月8日のことでした。招致活動に参加した谷(当時の姓は佐藤)真海さんや千田健太さんのことなどを下記のブログで記しております。

2013年9月9日ブログ「真海さんプレゼン」

 

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コロナ感染の現況

東京ではデルタ株の出現などもあってか、連日、多数の新型コロナ感染が報じられています。きのう8月5日は過去最多の5042人。なにか落ち着かない毎日が続いています。

そして気仙沼。4月21日から93日ぶりで感染者が発表されたのは7月23日のことでした。


ヘッダ

7月23日付け記者発表資料の一部


7月23日からきのう8月5日まで2週間での感染確認は13人となります。参考までに、7月23日からの感染者発表経過をまとめました。

・7月23日
 40代男性会社員2人
 (このうち1人は、県内漁港に停泊中の漁船(県外船籍)内での感染確認。県外在住者5人とともにクラスターとされました)
・7月24日
 10代女性会社員
・7月25日
 40代女性パート従業員
・7月26日
 条南中学男子生徒
・7月27日
 70代男性アルバイト
 (7/23公表の漁船内クラスター15人目)
・7月28日
 条南中学女子生徒
・7月30日
 50代無職女性
・7月31日
 30代男性会社員
・8月2日
 20代男性公務員
  (市産業部水産課所属)
・8月3日
  30代男性会社員
・8月4日
 50代女性会社員
・8月5日
 50代男性公務員
(市民生活部循環型社会推進課所属)

(8月6日午後6時追記:本日8月6日夕方に宮城県より気仙沼市内の30代男性会社員、60代男性無職、30代男性会社員、計3人の感染が発表されました)

気仙沼ではじめての感染者が確認されたのは昨年4月5日でした。それから8月5日までの市内感染確認累計は143人です。

東京に比べれば幸いなことにまだまだというのが率直な印象ですが、気仙沼で暮らしていての実感はまた違ったものがあるでしょう。

どうぞ、マスクの着用、手洗いの徹底、「密」の回避など、基本的な感染対策を今まで以上にお忘れなく。お互いに。

どうぞよろしく。

2020年4月6日ブログ「気仙沼でも感染者」

 

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tag : 新型コロナ

「目黒のさんま祭」

東京・目黒区での「目黒のさんま祭」の開催は昨年に続き今年も中止となりました。このさんま祭は、目黒区民まつりの中の催事としておこなわれていますが、区民まつりそのものの開催が新型コロナ対応で取りやめとなったことによるものです。8月5日の三陸新報が伝えています。


さんま祭

三陸新報8月5日記事の一部イメージ


記事によれば、毎年9月に開催されてきましたが、今年はサンマの漁模様などを踏まえて1か月ほどずらして10月10日に開催する予定だったとのこと。

ただし、さんま祭の25周年記念事業として企画していた「『目黒のさんま』新作落語コンテスト」は、10月3日に目黒区「めぐろパーシモンホール」で予定どおり開催するそうです。

なお、冒頭であえて目黒区での「目黒のさんま祭」と書きましたが、これは品川区側の目黒駅前商店街も毎年「目黒のさんま祭」を開催しているからです。そしてこちらも2年連続で中止することが6月に発表されています。9月12日に開催予定でした。

一昨年の目黒のさんま祭の様子はつぎのブログにて。気仙沼から〈あさひ鮨〉佐々木徹君(3年1組)を迎えて、三日町〈中井茶舗〉中井殖君(3年8組)、南町〈熊長〉熊谷武敏君(3年4組)なども参集し楽しい時間を過ごしました。「密」の写真多し(笑)。どうぞご覧ください。

2019年9月17日ブログ「目黒さんま祭報告」

 

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tag : 目黒のさんま祭

大谷海岸嵩上終了

8月3日の三陸新報1面トップ記事の見出しは「砂浜 眺望を維持」。気仙沼市本吉町の大谷(おおや)海岸における防潮堤と国道かさ上げなど一連の整備が7月30日で完了したとのことです。


大谷海岸かさ上げ
三陸新報8月3日記事の一部イメージ


記事では、〈当初示された防潮堤の計画では砂浜がなくなる形だったが、住民が“大谷の象徴”として残すことを強く要望。官民が知恵を出し合って国道45号線との一体的な整備などで防災と砂浜、眺望を全て成り立たせた〉と。

宮城県気仙沼土木事務所によれば、大谷海岸防潮堤と、国道45号沿いの「はまなす海洋館」前から気仙沼方面への980m区間を同じ高さにかさ上げする改良工事、大谷海岸の砂浜造成などの総事業費は約54億円です。

記事では、同事務所のコメントが紹介されていました。「住民の皆さんの積極的な関わりと意見を反映できたおかげで、使い勝手の良い形で整備できた」。

〈官民が知恵を出し合って〉防潮堤や背後の国道45号線と同じ高さで一体的に整備する計画がまとまって防潮堤工事が始まったのは2018年1月のことでした。

すでに防潮堤が完成、道の駅「大谷海岸」も今年3月28日にオープン。7月17日には、11年ぶりとなる大谷海水浴場の海開きもおこなわれました。

東日本大震災から10年を経て、大谷海岸周辺の大規模な整備は一段落ということでしょう。長期におよぶ関係者の皆さまのご努力にあたらめての敬意を表します。ありがとうございました。

4月1日ブログ「大谷海岸の道の駅」
7月19日ブログ「海水浴場の海開き」

 

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tag : 大谷海岸

千田健太さんの今

気仙沼出身で、ロンドンオリンピック男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した千田健太さんが昨日8月2日で36歳になったそうです。太田雄貴さんがつぎのようにツイートしてくれました。


〈健太の凄さは、決めた役割へのコミットの強さと、研究熱心さ。僕もよく対策を手伝ってもらってました。凄い男です。〉

なんかこんなにほめてもらって、私までうれしい(笑)。

健太さんは今どうしているのだろう。そう思って久しぶりに公式サイトをのぞいてみました。その近況を紹介します。

千田さんは2016年のリオデジャネイロ五輪出場を果たすことはできませんでした。そして公式サイトのプロフィールによれば、同年10月の岩手国体で現役を引退しました。その後、2017年には筑波大学社会人大学院人間総合科学研究科でのスポーツ健康システム・マネジメント専攻修士課程を修了しています。

その後は、日本フェンシング協会理事、JOCアスリート委員、JOC女性スポーツ専門部会員なども経験し、2020年4月には慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科後期博士課程に入学していました。

サイト中のニュース記事「2020年を振り返って」では、博士課程に進んだことについて〈次の目標に向けて一歩を踏み出した年でもありました〉と語っています。

そして次のように続けています。

「研究という側面から競技現場のニーズに合致した課題を解決することで、フェンシングをはじめとしたスポーツ界を更に発展させていきたいと思っています。自分自身の今までの「経験」を「形」として、次の世代に残せるように。まだまだ挑戦は始まったばかりですが、一歩一歩進んで行きたいと思います。」(引用は以上)

博士後期課程は3年間とのことですから2023年3月までですかね。これもなかなか簡単なことではないでしょうが、是非これまでの経験を次世代のスポーツ界で活かしてくれることを願っております。2016年リオ五輪の出場を逃したことさえ、今では得がたい経験といえるのではないでしょうか。

◎太田雄貴さんの今

健太さんのお誕生日を祝ってくださった日本フェンシング協会の前会長 太田雄貴さんはいま、日本オリンピック委員会(JOC)の擁立を受け国際オリンピック委員会(IOC)アスリート委員(選手委員)の選挙活動を展開中です。4名の枠に30名の候補者がいるとのこと。

過去のアスリート委員としては小谷実可子さんがいるものの、2000年以降は松岡修造さん、荻原健司さん、室伏広治さんが候補となったものの当選を果たせず。相当な難関なのですね。

IOCの今後のあり方がいろいろと問われるなかでのアスリート委員選挙ですが、太田雄貴さんがその変革を担うひとりとなってくれればなによりのことと思います。

(8月4日午後6時追記:本日8月4日、IOCアスリート委員選挙で太田雄貴さんが当選しました。おめでとうございます。ご活躍を期待しております)

なお、健太さんのお父様、千田健一さんは気仙沼地区での東京五輪聖火リレー走者をつとめました。また、気仙沼でフェンシングが盛んなのはなぜなのかなど、つぎのブログで紹介しております。

6月21日ブログ「気仙沼 聖火リレー」
2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 千田健太

はまぐりもなか推し

メルカリさんの「インディーズ土産全国デビューへの道」の投票が7月29日から始まっています。これはメルカリ「ローカルミツケテ」PROJECTのキャンペーン企画で、皆さんの投票で選ばれた土産品の全国デビューを応援するというもの。投票数1位の土産には、ミュージックビデオ風のウェブCMを制作してくれるそうです。

全国47都道府県からの代表土産が事前アンケートで選出されているのですが、宮城県代表がなんと気仙沼「コヤマ菓子店」の「はまぐりもなかくっきー」なのです。本日8/2お昼現在で全国4位と健闘しています。

投票は、この投票サイトをクリックして、No.4 はまぐりもなかくっきーを選んで投票するだけ。1日1回の投票が可能です。ついでにTwitterで「推しを広める」投稿するとなおよし。下の画面は私の「推しを広める」投稿画面です。

コヤマ菓子店は、故小山(おやま)隆市君(3年6組)のお店。隆ちゃんが震災後の2013年1月14日に亡くなった後は長男の裕隆さんが店主を継ぎ頑張っています。

コヤマ菓子店/裕隆さんの本日のツイートがこちら。自身のブログを紹介しているのですが、8月1日のブログでは、今回のメルカリ企画へのエントリーにあわせてつくった20秒の初CMのことなども紹介しています。


参考までに記しておくと、週刊文春の連載頁「おいしい!私の取り寄せ便」で、矢野顕子さんが「はまぐりもなかくっきー」を推奨してくれたのは2013年5月のことでした。つぎのブログで紹介しております。お手すきのときにでもご覧いただければと。

2013年5月20日ブログ「顕子さんご推薦」

「インディーズ土産全国デビューへの道」の投票締め切りは8月11日。結果発表は8月12日です。是非みなさまの清き一票を「はまぐりもなかくっきー」に。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : はまぐりもなかくっきー

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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