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2021年 徳仙丈山

徳仙丈山(とくせんじょうさん)のツツジは先週あたりが見頃だったようですね。昨年は新型コロナ感染拡大防止のために入山が規制されたので、今年はどうなるかと思っておりましたが、市からは登山中のマスク着用などのお願いですみました。

駐車場も開放されたとのことで、多くの人が山にのぼりツツジの景観を楽しんだようです。

SNS上でも写真や動画たくさん投稿されていますが、5月29日の三陸新報でもシリーズ企画「ふるさと 空から散歩」ですばらしい景色を紹介してくれました。

徳仙丈山

三陸新報5月29日記事の一部イメージ


このシリーズの初回「岩井崎」をブログ紹介したときにお伝えしたように、このシリーズ企画のうれしいところは動画も楽しめることです。この徳仙丈山編もYouTubeで公開されています。





撮影日がわかりませんが、満開一歩手前という感じでしょうかね。土日曜日は多くの人がヤマツツジの景観を楽しんだことでしょう。

私はこの徳仙丈山のツツジを一度も見たことがありません。一度でいいからこの目で徳仙丈山の絶景を見てみたいと思っております。海だけでなく山も楽しめる気仙沼の人が本当にうらやましい。気仙沼で暮らしていたときに、そんなことを思ったことはなかったのですが(笑)。

毎年、徳仙丈のツツジの季節になると、故 佐々木梅吉さんの功績について記したブログを再掲しております。今年も同様に。どうぞよろしく。

2016年5月18日ブログ「慰霊のヤマツツジ」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 徳仙丈山

「Swifty」菅原さん

本日もNHK朝ドラ「おかえりモネ」の話です。5月26日(水)放送の冒頭で、登米から気仙沼に戻ろうとしていた(内野聖陽さん演じる)モネの父は、旧知のジャズ喫茶「Swifty」のマスター〈トムさん〉と久しぶりに再会します。

ジャズ喫茶、そして〈Swifty〉と店名を聞いた私は、岩手県一関市のジャズ喫茶「BASIE(ベイシー)」のマスター菅原正二さんをすぐに連想しました。

トムさんのモデルが菅原さんだと言いたいのではなく、あくまで人物造形の参考にしているだろうという推測話です。念のため。なお、トムさんを演じているのは映画監督でもある塚本晋也さんです。

ドラマでジャズ喫茶の店名としている「Swifty(スウィフティー)」は、ベイシー菅原正二さんのニックネーム。名付け親は菅原さんと親交があった故カウント・ベイシーです。すばしっこいといった意味かと。

ながながと文章で紹介するよりも、つぎの映画予告編をご覧いただいたほうが早いでしょう。タイトルは、「ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)」です。譚詩の本来の読みは〈たんし〉ですが、ここは英文がカッコ書きで示されているので、バラードあるいはバラッドと読むのでしょう。




同映画公式サイト

私は残念ながらベイシーにいまだ訪問できていないのですが、ジャズとオーディオが好きな人にとっては〈聖地〉のひとつです。

紹介したドキュメンタリー映画は、昨年9月に東京・渋谷などのアップリンクで上映開始されました。これはやはり映画館の音響で味わいたいなと思いつつ、新型コロナのことなどもあって私は結局見ないままになっております。

モネの母親を演じている鈴木京香さんも登場するのがとてもおかしいですね。頭がちょっと混乱します。3月9日に急逝した村上“ポンタ”秀一さんがドラムをたたく姿も。


◎銀座TSビル2階のBOSE

私が知る菅原さんと気仙沼のちょっとしたご縁を記しておきましょう。

東日本大震災後の2011年10月から2012年8月まで、東京・銀座数寄屋橋のTSビル(旧・東芝ビル)に気仙沼産品のショップとして東日本復興応援プラザ「銀座いきなり市場」が開設されました。東急不動産さんなどのご厚意によるものです。

2011年10月8日ブログ「銀座店オープン」

その2階はイベント会場としても使えるスペースだったのですが、そこにBOSE(ボーズ)のコンパクトオーディオが置いてありました。私の記憶によれば、それはベイシー菅原さんから寄贈されたもの。

菅原さんの友人である臼福本店の臼井賢志さんか建築家の石山修武(おさむ)さんを介して届けられたのではなかったかと。念のため記しておけば、石山修武さんは古くから気仙沼とのつながりが深く、1995年にはリアス・アーク美術館の設計で日本建築学会賞作品賞を受賞しています。

話を戻しましょう。

モネの父親とトムさんの(たぶん)ジャズを通じての交友がどのようなものであったのか、今後のドラマ展開で明らかになることでしょう。店のなかにあった写真によれば、モネパパはトランペットを吹いていたようです。(追記:5月25日放送回で、間伐した木の端材を使ってパパがつくった笛を吹いて上手に音を出すシーンがありました。これがトランペット経験を示唆する伏線だったのですね)

気仙沼でのジャズの体験ということでいえば南町のジャズ喫茶「ヴァンガード」がすぐに連想されます。マスターの川原さんを思い出す人も多いのではないかと。

モネの父親とジャズ。そのあたりの話は来週以降でしょうね。

おかえりモネ。気仙沼の人にとっていろんな意味で面白すぎるドラマです。


 

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ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネベイシー菅原正二

アンサリーさんの歌

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の音楽担当は高木正勝さんです。ときおり流れてくるそのメロディはとても美しい。ピアノは高木さんご自身が弾いているのかもしれません。

それと歌唱のからみもいいですよね。たとえば5月17日(月)の第1回放送冒頭の嵐のシーン。産気づいたモネの母親を気仙沼本土に連れていくための騒ぎの背景には静かなハミングが(というかスキャット)が流れていました。(追記:ハミングとかスキャットではなくて、ヴォカリーズと呼ぶらしいですね。知りませんでした)

5月24日放送回では、お父さんがモネを島に連れ戻そうと登米にやってきます。そのバックグラウンドにも同じような音楽が。そして翌日25日放送回の、モネがお父さんに対して登米(とめ)にとどまりたいと伝えるシーン。メロディはそれまでとはちがうのですが同じ歌声のように感じられるハミングが。モネはつぎのように語ります。

〈お父さん。あのね…………。お父さんが、俺はこっちだって自分で決めたように、私もこっちだって自分で決めたい。そういうものを見つけたい。だから……。  ごめんなさい。〉

17日そして25日の両場面は、このドラマの重要なシーンでしょう。人の助けを得て〈誕生〉したモネがいろいろ迷いつつ〈自立〉するという、連続しつつも対照的なふたつのテーマを感じます。

「おかえりモネ」の音楽には、坂本美雨さんとアン・サリーさんが歌唱担当として参加しています。17日そして24日、25日のハミングはどなたの歌声だったのか。

私はどちらもアン・サリーさんではないかと思っています。美雨さんだともう少し音域が高いのではないかな。とはいうものの、美雨さんが担当したという18日の声を聞くと、二人の声の違いがよくわかりませんでした。

◎気仙沼とのご縁

坂本美雨さんのご両親はあらためて言うまでもなく矢野顕子さんと坂本龍一さん。2012年12月16日のほぼ日さんによるイベント「矢野顕子の音楽の稽古場」のときには、お母さま顕子さんに同行して気仙沼を訪れています。そんなご縁もあるのです。

そしてアン・サリーさんにも間接的な気仙沼とのご縁がありました。それは気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんと親友同士であるということ。

生年月日が1日違いでデビューも同期だといいます。そのふたりがそれぞれのルーツとなる音楽を歌い、語るジョイントコンサート「ふたりのルーツ・ショー」は、2011年にはじまり2020年12月で8回目とか。私はこのコンサート情報でアンさんを知ったのです。

アンさんの歌唱は実に繊細です。何曲か聞いてもらえればすぐにその魅力がわかってもらえるでしょう。YouTubeにある「I Wish You Love」にするか「Smile」にするかと迷いましたが、うたの診療所「桃源の宴」の公式ツイートがありましたので、これを紹介します。


配信名に「うたの診療所」とありますが、アン・サリーさんは医師でもあるのです。プロフィールにも〈シンガー・ソングライター・ドクター〉と記してありました。

彼女の過去のアルバム情報を見ていてびっくりしました。2013年に「森の診療所」を、そして2019年には「森の診療所 Chapter 2」をリリースしています。

森の診療所。ドラマ「おかえりモネ」の誕生を予感していたのでしょう。さすがとしかいいようがありません。

高木正勝さんの音楽をつむぐアン・サリーさん、そして坂本美雨さんの歌声。これからをとても楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。

なお、アンさんについては畠山美由紀さんだけでなく、「ほぼ日」さんを介してのつながりもありました。2006年に「ほぼ日」さんで、7回にわたる連載「アン・サリーさんと、ニューオーリンズ」が掲載されています。ゲートページがないので第1回目のリンクをはっておきます。15年前の記事ですが、アン・サリーさんのプロフィールがよくわかると思います。

ほぼ日「アン・サリーさんと、ニューオーリンズ」(2006年)
 
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : アン・サリー坂本美雨おかえりモネ

ワクチン接種送迎

きのう5月25日、気仙沼市の本吉保健福祉センター「いこい」で高齢者への新型コロナワクチン集団接種が始まったそうです。今朝のテレビ番組で「いこい」会場でワクチン接種を受ける女性の映像が紹介されていました。

明日5月27日には市民健康管理センター「すこやか」と市役所ワン・テン庁舎で、29日には市総合体育館「ケー・ウェーブ」、6月5日から唐桑保健福祉センター「燦さん館(さんさんかん)」でそれぞれ接種がスタートします。

こうしたことは気仙沼の皆さんは既にご存じのこと。私が驚いたのは5月23日の三陸新報に掲載された市からの広告です。


送迎サービス

三陸新報5月23日掲載広告


この広告は、すでに発表されていた乗合タクシーでの送迎に加え、車いす利用者などの接種のために介護タクシーでの送迎をおこなうことの告知です。

利用できる会場や曜日に制限があるものの、行き帰りそれぞれ100円で乗車できるそうです。接種前日の午後5時までにタクシー会社に申し込む必要があります。

乗合タクシーや介護タクシー利用の詳細については市のつぎのサイトをご覧ください。

乗合タクシー(送迎支援)について
介護タクシーの運行について

私が気仙沼で暮らしていたころは、2軒となりに五十鈴タクシーがありました。広告にあるタクシー会社で当時からあるのは、観光タクシーと五十番ぐらいでしょうか。汽帆船(きはんせん)もあったかな。この広告をながめているだけで時代の変化を感じます。

総合体育館「ケー・ウェーブ」など、集団接種会場が遠くの場合には車でなければなかなか大変だなと思っておりましたが、こうした送迎サービスを低料金で受けられることを知ってホッとしました。そのことをお伝えしたく。

市の新型コロナウイルスワクチン接種対策室の皆さまもご苦労さまです。いろいろと状況が変化するなかで大変な毎日かと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 新型コロナ

真海さんの「想い」

パラリンピックとオリンピックの開催の是非や可否について、様々な人がその考えを語っています。それを聴いていると、それぞれになるほどなと。しかし正直なところ私は、どうあるべきかという問いに明確に答えることができません。よくわからない。こうなるのではないかという〈予想〉を語ることはできるのですが、それは〈意見〉ではないでしょう。

一昨日、気仙沼出身のアスリート谷(佐藤)真海(まみ)さんのツイートで、産経新聞5月23日のインタビュー記事を知りました。



産経新聞5月23日配信記事

真海さんはこれまで、2004年アテネ大会、2008年北京大会、2012年ロンドン大会と3大会連続でパラリンピックに出場してきました。種目は女子走り幅跳びです。

その後2014年に結婚し2015年に出産。そして2017年にはトライアスロンに競技転向して現役に復帰しています。

記事によれば真海さんは、今春に国内で実施された2つの国際大会で、6月末に決まる出場権に必要な獲得ポイントを積み重ね、選考基準の「ランキング9位以内」を満たす8位を維持しているそうです。「やるべきことはほぼ全てやり切った。代表権を獲得し、開催を信じて本番を迎えたい」と語っています。

このほか、家族のことも含めての現況と心境が紹介されています。是非、記事をお読みください。

記事の末尾を紹介しておきましょう。いま伝えたいことはとの問いに、真海さんはつぎのようにこたえています。

「東京大会の招致実現後、パラリンピックを目指すアスリートの環境は劇的に変わり、いい方向に向かっている。ここから次のステップへ進むための『最後の大事なピース』が大会本番なのかなという思いはある。大会の開催は短期目線ではなく、パラアスリートの躍動する姿が社会にインパクトを残し、変革していくところに理念があると思っている。コロナ禍で開催ができなれば仕方ないけれど、開催されることが間違いなく理想。満員の観客とはならなくても、一人でも多くの人にパラリンピックの魅力が伝わってほしい」

この記事は産経新聞の田中充さんによるものです。田中さんはこれまでも真海さんの取材記事をいろいろと書いてくれています。つぎのブログで紹介した記事もそのひとつ。いつもありがとうございます。

2016年1月13日ブログ記事「人知れず流した涙」

東京2020パラリンピック開催の行方を静かに見守りたいと思います。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : パラリンピック谷真海

モネのOP映像背景

NHK朝ドラ「おかえりモネ」は先週月曜5月17日に放送開始され、今日からは第2週目。先週は登米(とめ)のシーンが多かったように思いますが、今週は気仙沼がメインの週となりそうですね。すでに気仙沼はかなり盛り上がっているようですが、今週はさらにヒートアップすることでしょう。

本日紹介するのは、「おかえりモネ」のオープニング(OP)タイトルバックのメイキング動画です。5月22日(土)、ツイッターのNHK「おかえりモネ」公式アカウントで投稿されました。


大きな布を使っての撮影は気仙沼市魚町でおこなわれたのですね。いやちがうか、いまは魚浜町(うおはまちょう)というのか。コの字岸壁と鹿折地区との中間地帯。

私が小さなころはまだなかった場所です。埋め立てによって整備されました。今は営業をやめたホテル望洋の下にあたります。私の家は魚町坂口からホテル望洋に向かう坂の途中にありました。

今回のオープニング映像の撮影を推測してみると、臼井弘君(3年4組)の福寿水産の前あたりから五十鈴神社/お神明さん方向に走るという感じでしょうか。

その方向の道路沿いには、このブログでもたびたび紹介する民俗学者、川島秀一さんの実家がありました。秀一さんは1学年下の気中21回生。現在は日本民俗学会の会長もつとめています。

秀一さんは、鼎が浦高校の教師をつとめたお母様とその家で暮らしていました。しかし、東日本大震災の津波でお母様を失ったのです。

岸壁の撮影現場から、ホテル望洋の建物がはっきりと見えたはず。そしてその背景の陣山には気仙沼市復興祈念公園が今年3月11日に開園しました。

「おかえりモネ」の今後のドラマ展開の背景に震災がどのように描かれるのか。それが「おかえりモネ」の大きなテーマのひとつであることはまちがいないでしょう。

2018年4月9日ブログ「川島さんの再出発」
 
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ川島秀一

仲町郵便局の開局

5月19日、南気仙沼地区に「気仙沼仲町郵便局」が開局し、営業を開始しました。〈仲町(なかまち)〉の名がついていますが、東日本大震災で被災した「気仙沼魚市場前郵便局」を移転新築した局という位置づけです。日本郵便のニュースリリースには、〈気仙沼魚市場前郵便局が移転および改称の上、窓口を再開〉とありました。

三陸新報5月20日の記事はこんな感じ。

郵便局
三陸新報5月20日記事の一部イメージ。


記事によれば、開局セレモニーには関係者40人が出席したそうです。その中には、日本郵便東北支社の小野木喜惠子支社長のほか、南気仙沼商店会の千田満穂会長や南気仙沼復興の会の吉田久雄会長も。

吉田久雄君は気中20の同級生。3年6組です。三陸新報の記事写真では久雄君がどこにいるかよくわかりませんね。菅原市長の5月19日のツイートを紹介しましょう。


三陸新報の記事には、南気仙沼地区での開局に向けて、南気仙沼復興の会が中心となって、2018年11月に日本郵便東北支社への早期再開を求める要望書を提出したことが記されていました。

この要望については、2018年11月29日のブログで紹介しましたので、以下に再掲します。臼井真人君(3年2組)も登場します。


・2018年11月29日のブログ再掲

「南気仙沼に郵便局」

気仙沼市の南気仙沼復興の会が日本郵便に要望してきた南気仙沼地区内での郵便局再建が実現する見込みとなりました。同会は今年6、7月に再建を求める署名活動をおこない、2737人分の署名が集まりました。その署名簿を11月20日に日本郵便東北支社を訪れて提出し、よい回答が得られたとのニュースを11月23日の三陸新報が伝えていました。


11月23日郵便局

三陸新報11月23日記事の一部イメージ


南気仙沼復興の会の会長は、吉田久雄君(3年6組)です。日本郵便に署名簿を提出した吉田会長は、「地区内に人や事業所が戻ってきて、気仙沼の経済を支える魚市場にも近い。市全体の問題であり、多くの市民や漁船員が待っている」と要望を伝えました。これに対して日本郵便東北支社の二階堂明浩経営管理本部長は、「ぜひとも再建させてほしい。土地が確保できれば、早急に取りかかりたい」と即答。同社が関連する物産展への出展など、気仙沼の産業復興を支援することなども申し出てくださったそうです。ありがとうございます。

以前の郵便局は魚市場前にありましたが、新たな郵便局建設場所の検討については、復興の会と市が協力するとのことです。

記事中写真の右から3人目が吉田久雄君。4人目が菅原茂市長、5人目は三菱自動車販売(株)の会長をつとめる千田満穂さんです。南気仙沼復興の会の事務局は同社のなかにおかれています。そして 6人目/左端が臼井真人君(3年2組)。市議会議員としてお手伝いしているのでしょう。久雄君も元市議です。

記事によれば、昨年4月に設立された「南気仙沼復興の会」は、内の脇や市営幸町住宅、河原田、南が丘、港町の6自治会と南気仙沼まちづくり振興協議会、南気仙沼商店会などの25人で構成されています。様々な立場の人が協力しての郵便局再建活動が、こうして実を結びそうであるとの記事をうれしく読みました。皆さん、ご苦労様です。ありがとうございます。

2018年11月29日ブログ再掲内容は以上です。

この記事の末尾にはつぎのブログのリンクをはっておりました。そこには、「南気仙沼復興の会」が郵便局再建を求めて署名活動を始めたという記事を紹介しております。お手すきのときにでもお読みいただければと。

2018年6月5日ブログ「南気仙沼の郵便局」

吉田久雄君や千田満穂さんをはじめ南気仙沼復興の会の皆さま、念願の地元郵便局復活おめでとうございます。

また、地元の要望を実現するためにご努力いただいた日本郵便東北支社の皆さまにも心からの御礼を申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 仲町郵便局魚市場前郵便局

ワクチン接種予約

気仙沼市での65歳以上の高齢者への新型コロナワクチン集団接種予約受付が5月13日から開始されたそうです。5月18日の三陸新報によれば、17日正午現在で全対象者の約6割が予約を終了したそうです。受付開始当初は混乱もあったようですが、まあ御の字といったところでしょう。


ワクチン

三陸新報5月18日記事の一部イメージ


きのう5月19日には、朝日新聞デジタルが、気仙沼市でワクチン予約を役所が代行するサービスを始めたとのニュースを配信していました。初期の予約混乱も伝えられましたが、市役所でもいろいろと工夫して対応しているようですね。よろしくお願いいたします。

朝日新聞デジタル5月19日配信記事

私たち気中20回生は69〜70歳。つまり高齢者。同級生たちの予約状況はどんなかな。本日は私の接種予約事例を紹介してみました。あくまでも、東京都世田谷区在住69歳男性の一例ということで。

私に区から接種券が届いたのは5月10日。その日にネット予約をおこないましたが、1回目の接種日は7月中旬でした。会場は歩いていける近所の区民ホールです。予約日が決まってまずは安心。

そして5月17日には国による大手町会場での大規模接種の予約受付も始まりました。私は区の予約を済ませていますし、相当なアクセス数で混乱もあるだろうということでこれについては静観しておりました。

しかしこの日の夜、妻の友人から案外簡単に早期の予約がとれたとの話がはいってきました。ありゃま、それならばということで、試しにログインしてみると5月中の空き枠がまだあったのです。即予約。接種日は5月下旬。区の1回目2回目の予約はキャンセルしました。

そして翌日5月19日。世田谷区の5月の空き枠があるという話を聞いて調べてみました。すると、区民ホールの各時間帯に1名とか2名の空き枠が。大手町よりも近所で接種できればそのほうが便利。何度かエラーがありましたが、5月下旬と3週間後の6月中旬で予約を完了しました。

エラーが生じるのはアクセス数が多かったからでしょうか。入力し直すたびに、3人枠が2人になり、またそれが1人にと減っていきます。なんとか予約をおえたときにはホッとしました。そして大手町の予約はキャンセル。

繰り返しになりますが、これらはあくまでも私の場合はこうでしたという一例。そして、クリニックなどでの個別接種ではなく集団接種についてです。

きのう5月19日の三陸新報によれば、気仙沼市では個別接種病院の公表を当面見合わせることにしたそうです。問い合わせの殺到によって通常診療に支障をきたす恐れがあるためとのこと。冒頭に紹介した集団接種とはまた別の話になります。

お伝えしたかったのは、テレビのワイドショーなどで予約の混乱やシステムの不具合が伝えられるなか、こうして案外すんなりと予約をとれてホッとしている人もおりますよということです。

とはいうものの、65歳未満の妻にはまだ接種券が届かない。早くこないかなと待ちわびる毎日です(笑)。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 新型コロナワクチン

岩井崎の空撮映像

先週末5月14日のブログで、三陸新報の新シリーズ記事「空から ふるさと散歩」を紹介しました。この記事はありがたいことに、4Kの鮮明な動画映像がYouTubeにて配信されています。新聞記事の末尾にはQRコードが表示されていますので、すでにご覧になっている方も多いことでしょう。

本日はその「4K ふるさと 空から散歩」1回目「岩井崎」編を紹介します。約2分間の映像です。





1分14秒あたりからは、お伊勢浜海水浴場の風景。防潮堤整備後のお伊勢浜全体を空からとらえた映像をはじめて見ることができました。私の記憶にあるお伊勢浜とはちょっと違う風景ですが、それはそれとして楽しい海の思い出がたくさん生まれる浜辺になってほしいですね。

1分20秒あたりからお伊勢浜の被災水門がうつっていました。この水門は、2009年に整備された用水路の出口なのですが、震災時の引き波で海側に動いたそうです。

県としてはこの被災水門を防潮堤整備に合わせて撤去する方針でしたが、階上まちづくり協議会が震災伝承に生かしたいと市に要望しました。そして市と県との協議の結果、県は被災水門の撤去を取りやめて気仙沼市に移管することになったのです。ただし、市としては保存のための処置は行わずに朽ちるままにするとのこと。つぎのブログで経緯などを紹介しました。

2018年2月13日ブログ「被災水門保存異論」

私が感心したのは、映像のエンディングです。お伊勢浜の波打ち際をなめていたカメラが上向きにすっとズームアウトします。すると、お伊勢浜の周辺には、震災の津波で大きな被害を受けた階上(はしかみ)地区の風景が広がっているのです。

それは、空からながめる新しいふるさとの風景です。

5月14日ブログ 空からの「岩井崎」
 

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tag : 岩井崎お伊勢浜

重篤さん 竜也さん

5月4日の三陸新報によれば、今年も「森は海の恋人 植樹祭」の開催はありません。中止は新型コロナへの対応のため。


5:4森恋植樹祭中止
三陸新報5月4日記事より


この植樹祭は、畠山重篤さんが理事長をつとめるNPO法人「森は海の恋人」などが1989年から開催しているものです。毎年6月第1日曜日におこなってきたそうです。

植樹祭の中止は2年連続です。しかし、昨年は大勢が集まっての催事はおこないませんでしたが、関係者のみで梓(あずさ)など10本ほどの苗木を植樹しています。つぎのブログで紹介しております。

2020年6月12日「梓の木を植える」

この昨年の関係者植樹に同行した一人がNHKの一木正恵(いちきまさえ)さんです。NHK「おかえりモネ」ではチーフ演出をつとめています。私は昨年、一木さんの植樹同行を知り、これからつくられようとしているドラマの背景というか根っこに、「森は海の恋人」の思想があるのではないかと感じました。

2020年6月15日ブログ「NHK一木正恵さん」

◎「循環」という言葉

森と海が水の流れによって生態学的にもつながっていることと同様に、そして気象も水や大気の循環によって生じる現象です。「おかえりモネ」がこうしたことを強く意識したドラマであることは間違いありません。

制作統括の吉永証(あかし)チーフプロデューサーは、5月3日のヤフー配信記事のなかで「このドラマは『循環』という言葉を意識して描いている」と語っています。

「このドラマは『循環』という言葉を意識して描いているのですが、山に降った雨が、川を通じて海に注がれ、それが太陽の光を浴び、雲という形で空に戻り、また雨になって陸や海に降り注ぐ。世の中は循環している、ぐるっとつながっているということを描くために、海と山を舞台にしました」(引用は以上)

この〈循環〉ということを意識すると、5月17日のドラマ初回の冒頭が1995年9月、モネの〈誕生〉にまつわる話であったことは象徴的です。そして誕生には元気だった竹下景子さん演ずるモネの祖母は2014年にはすでになくなっていますが、海中の牡蠣に生まれ変わり、ドラマで〈語り〉を担当しています。海と強く関わりをもった生と死。それがこれまでも、そしてこれからも連鎖していくイメージを感じます。

◎仙人のような老牡蠣漁師

本ドラマは安達奈緒子(あだちなおこ)さんによるオリジナル脚本です。書店で立ち読みしたNHKドラマ・ガイド「おかえりモネ Part1 (1) 」に安達さんのインタビュー記事が掲載されていました。

そのなかに、気仙沼の老牡蠣漁師の方の話を聞いたことが記されています。その方は〈仙人〉のようだったと。

この仙人のような方は、上記の一木さんと森は海の恋人との関わりから考えると、畠山重篤さんでしょう。安達さんはすでに事前知識としては知っている〈森は海の恋人〉の考え方を、重篤さん本人から聴いたはず。

安達さんは、藤竜也さん演じるモネの祖父のイメージづくりに、この仙人のような方を参考にしたといいます。私は、藤竜也さんがだいぶ若く、はたして参考になるのだろうかと思ってWikipediaでお二人の年齢を調べてみました。

その結果は、藤竜也さん79歳、重篤さん77歳。いやはや驚いた。藤竜也さんは来年80歳なのですね。ということで、モネ祖父の参考キャラクターは、森は海の恋人/畠山重篤さんということで決定!

なお、主人公の名〈百音(ももね)〉や愛称の〈モネ〉が、重篤さんの水山養殖場などがある地域名〈唐桑町舞根(もうね)〉がヒントになっているかどうかは今のところわかりません(笑)。


 

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tag : おかえりモネ畠山重篤

8/22みなとまつり

今朝の午前8時は、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の初回放送でした。冒頭の大時化(おおしけ)のなか船を出す浅野忠信さん(が演ずるカリスマ的漁師)がさすがというか、とてもいい感じ。今週は登米(とめ)のシーンが多くなるようですが、今後の展開が楽しみです。

ここからが本題。今年の気仙沼みなとまつりは、 8月22日の1日のみに縮小して開催することになりました。5月13日の三陸新報が伝えています。


みなとまつり
三陸新報5月13日記事の一部イメージ


記事によれば、みなとまつりは例年、「8月第1日曜日とその前日」開催を慣例にしているとのこと。しかし、今年は、東京五輪の期間であることや、本吉マンボウ・サンバ大会が8月15日に予定されていることなどから8月21・22日を予定していたそうです。

そして5月12日に開かれた主催団体長会議で、新型コロナの感染リスクを回避するために港町を会場として8月22日のみの開催とすることを決定しました。「はまらいんや踊り」は実施が見送られました。

今後は、港町でのパレード、うちばやし大競演、海上うんづら、花火などをベースに内容を詰めていくそうです。県内に緊急事態宣言が出された場合などは中止とすることなども確認。開催の可否判断は6月末におこなうことも申し合わせたそうです。

昨年のみなとまつりは、新型コロナウイルスの感染リスクを避けることなどから中止となりました。それだけに、今年こそは〈はまらいんや踊り〉をと思っていた人も多いことでしょう。

〈しかたなし〉という言葉をあまり使いたくはないのですが、なんというか、ほかの言葉が見当たりません。

2020年4月21日ブログ「みなとまつり中止」

 

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tag : みなとまつり

空からの「岩井崎」

三陸新報で4月27日からうれしいシリーズ記事が始まりました。「ふるさと 空から散歩」。その第1回目は〈岩井崎〉でした。


4:27ふるさと散歩

三陸新報4月27日記事の一部イメージ


このアングルでの岩井崎の風景ははじめて目にしました。ドローンで撮影したのでしょうね。すばらしい。なつかしい。

私が岩井崎を最後に訪ねたのはいつのころだろう。20年ぐらい前に息子がまだ小さいときの帰省時に、お伊勢浜での海水浴の帰りにでも寄ったかな。

〈潮吹き岩〉のしおふき具合がイマイチかな。小学生のころは10回に1回ぐらいは大きなのがきて、その海水を浴びて喜んだものです。

2015年7月7日のブログ「岩井崎の潮吹き高」で、震災の地盤沈下の影響を受け、潮吹きの高さが低くなっていることを紹介しました。地元の階上地区はじめ気仙沼の観光関係者からは、豪快な潮吹き復活を望む声があがっているとのことでした。

第9代秀ノ山雷五郎像はそのままですね。それとちょっとわかりにくいのですが、〈龍の松〉もうつっています。

よくわからなかったのが、「小野寺清雄君をたたえる碑」です。写真の松林の中間あたりにあったように記憶しているのですが。

小野寺清雄さんは1962年11月、岩井崎沖で座礁した漁船の乗組員を救助しようとして亡くなりました。当時、気仙沼水産高校1年生でした。16歳。つぎのブログで紹介しております。

2020年12月3日ブログ「悼 小野寺清雄さん」

写真上部の左右方向にうつっているのは震災後にできた防潮堤ですよね。

空からの岩井崎は今も変わらず美しい。けれど、その周辺風景の変化を想像するとちょっと複雑な気持ちにもなるのです。

なお、この連載記事は、YouTubeにて「4K ふるさと 空から散歩」として動画も配信されています。この岩井崎編の動画も非常に興味深いものでした。週明けにでも紹介いたします。

今週はこれにて。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 岩井崎

熊谷晃さんのこと

紹介しようと思いながらも、ほかの話題をとりあげているうちに日が経ってしまう話がたくさんあります。本日のブログもそのひとつです。

昨年10月から三陸新報に掲載された中国文学者守屋洋さんの投稿はこれまで4回紹介してきました。全5回の記事でしたので最終回の紹介が遅れておりました。

5回目の守屋さんの投稿で紹介されていた方は、熊谷晃(あきら)さんです。


11:1熊谷晃さん
三陸新報2020年11月1日記事より


熊谷さんは日本大学工学部を卒業後にサンケン電気に入社。守屋さんによれば、同社の中国での事業展開などでは相当にその力を発揮したとのこと。

守屋さんと同じく階上(はしかみ)地区の出身で、気仙沼高校では2年先輩だったそうです。気仙沼高校1回生。私たちは22回生ですので21年先輩です。

サンケン電気は(財)東邦産業研究所の技術者と設備を継承し、1946年に東邦産研電気株式会社として設立されています。〈産研〉から〈サンケン〉なのですね。東証・大証ともに一部上場。熊谷晃さんは専務取締役もつとめました。

守屋さんは熊谷さんを〈一貫して良き先輩であった〉と記しています。そして、〈亡くなったとき、弔辞を読ませてもらったことが、せめてもの慰めとなっている〉と結んでいます。

5回にわたる守屋さんの寄稿文で紹介されたのは、気仙沼高校で同級生だった畠山保雄さん、田中仙吉さん、尾形英夫さんの3人と2年先輩の熊谷晃さんです。

4 人ともすでに他界しています。守屋さんはもうすぐ89歳。気仙沼高校時代を懐かしむなかで思い出した4人ということでしょう。

その心境は、〈残目録〉ではなく、やはり〈残日録〉がふさわしいとあらためて感じます。全5回をしみじみとした気持ちとともに読みました。守屋さん、ありがとうございました。


2020年11月30日ブログ「守屋洋さんの投稿」
2020年12月25日ブログ「畠山保雄さんの話」
2021年1月12日ブログ「田中仙吉さんの話」
2021年2月12日ブログ「尾形英夫さんの話」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 守屋洋熊谷晃

長久丸の岡本船頭

きのう5月11日、今季初の生鮮カツオが気仙沼港に水揚げされました。本日の三陸新報1面のトップ記事の見出しは「待ってましたカツオ」。

カツオ
三陸新報5月12日記事の一部イメージ


気仙沼魚市場に水揚げしてくださったのは、三重県尾鷲(おわせ)市の一本釣り船「第23長久丸」さんです。ありがとうございます。

記事には、岡本漁労長の話が紹介されていましたが、私が驚いたのは、岡本船頭さんの住所が気仙沼市松崎外ヶ沢と記してあったこと。三重県のカツオ船なので船頭さんも三重の人かと思っていたのですが、出身地はわからないものの気仙沼にお住まいなのですね。66歳とのこと。

きのうのブログでは、カツオ漁を通じての気仙沼と宮崎県の結びつきを紹介しましたが、三重県との関係も長く深いですよね。2017年2月1日のブログでは「カツオがつなぐ縁」と題し、そのことを記しました。

2017年2月1日「カツオがつなぐ縁」

三重県に実家のある方が、漁業を営んでいた自宅にある日本画の作者を調べていたら私のブログにたどりつき、本田鼎雪(ていせつ)さんの絵であることがわかったという話です。

そしてブログには、私が小学生だったころの〈三重県の餌買いさん〉の話を記しています。きのうのカツオ一本釣り船が三重県の船だと聞いたときにも、このエサ買いさんのことを思い出しました。

第23長久丸の岡本船頭と気仙沼とはどんなご縁でしょうか。岡本さんが気仙沼の人なのか。あるいは岡本さんは三重の人で、気仙沼の女性と恋愛結婚して当地に暮らしているのか。とかとか。妄想が止まりません(笑)。

三重県の長久丸さん、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 三重県長久丸

宮崎からの不死鳥

5月6日の河北新報オンラインが、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザの窓ガラスに掲出されたウオールアート「不死鳥(フェニックス)」を紹介していました。



この作品は元々、宮崎県で昨年の開催が予定されていた国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の関連事業として制作されたものとのこと。両催事は、新型コロナの影響で今年7~10月に延期されたそうです。

描かれている不死鳥は、全国各地や台湾から寄せられた計1万2337点の羽根の絵の一部を組み合わせて構成されているそうです。その画像をプリントしたフィルムが交流プラザの窓に貼られたのですね。10月中旬まで掲出されます。

余談になりますが、内湾に面する気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザには、「PIER7(ピアセブン)」「創(ウマレル)」の呼称もあり、ホントややこしい。河北新報の用語方針としては「まち・ひと・しごと交流プラザ」採用のようですね。


◎気仙沼と宮崎県のご縁

記事に〈気仙沼市と宮崎県は以前からカツオ一本釣りなど水産業を通じた結び付きが強い〉とありました。本日は、このブログで紹介した気仙沼と宮崎県のつながりを紹介してみましょう。

・ 2019年7月31日ブログ「漁船員子弟の招待」

2019年7月に宮崎県のカツオ一本釣り船で働く漁船員の子どもたち25人と引率者5名の総勢30名が「かつお一本釣漁船乗組員子弟招致事業」で気仙沼を訪問しました。3泊4日の滞在でした。

・ 2019年7月2日ブログ「一本釣り初水揚げ」

2019年はカツオ漁が不振でしたね。5月半ばから生鮮カツオの水揚げゼロが続いていた気仙沼港でしたが、7月1日に宮崎県日南市のカツオ船が水揚げしてくれたというニュース。当季初の一本釣り船入港でした。

ブログでは、三陸新報に紹介されていた第15事大丸の酒井俊一漁労長の話を紹介しています。

「小さいながら北上している群れはある。気仙沼のためにもなんとか頑張って取り、水揚げしたい」と話してくれたそうです。

船頭さんの力強く、ありがたい言葉です。内湾で、〈不死鳥アート〉を目にしたら、このメッセージを思い出していただければと。

宮崎県の皆さま、ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 宮崎

気仙沼においでよ

5月8日の三陸新報に、気仙沼市のNHK朝ドラ「おかえりモネ」PR用ポスターが完成したとの記事が掲載されていました。ポスターは、市や商工会議所など関係機関・団体による気仙沼プロジェクト実行委員会が製作しました。

記事のポスター画像は少し小さいので、三陸新報ウェブサイトの5月8日記事写真を拝借して紹介させてもらいます。


モネポスター


私が驚いたのは、「気仙沼においでよ」の歌詞がポスターのメッセージとして使われていたこと。

矢野顕子さんが歌うこの曲の歌詞は、矢野さんと糸井重里さんの共作です。


気仙沼に おいでよ
気仙沼で 待ってるよ
晴れても 曇っても 雨でも
みんな おいでよ
いつでもいいよ

〈晴れても 曇っても 雨でも〉。まるで「おかえりモネ」のテーマソングといってもよいぐらいの歌詞ですね。

この曲が誕生したのは2012年11月のことでした。同年12月16日には、気仙沼市民会館で「矢野顕子の音楽の稽古場」というワークショップが、矢野さんと糸井さんによって開かれています。

そうした経緯については、糸井重里さんが「気仙沼のほぼ日」サイトのなかにある「『気仙沼においでよ』のこと。〉」に、矢野さんの歌唱、全歌詞とともに詳しく記しています。

「気仙沼においでよ」については、2017年11月のブログでも紹介したことがありますので以下に再掲します。


2017年11月22日ブログ再掲

気仙沼においでよ

11月1日、〈気仙沼のほぼ日〉さんが6周年を迎えました。この日の前後3日間は、〈ともだちになれてありがとう〉をテーマに、糸井重里さんをはじめ、〈ほぼ日〉の皆さんが気仙沼のともだちをたずね、その様子がテキスト中継されました。

その中継の最後は、様々な場所で気仙沼の人たちが歌う「気仙沼においでよ」でした。〈ほぼ日〉のスガノさんによるウクレレ伴奏で歌われるこの曲がちょっとなつかしく感じられ、YouTubeでも公開されている矢野顕子さんご本人が歌う「気仙沼においでよ」を久しぶりに聴いたのです。これです。



とてもいい。2011年11月1日の〈気仙沼のほぼ日〉スタートにあたって、矢野顕子さんがこの曲をつくってくれたことをあらためてありがたく思いました。そして矢野さんが今も気仙沼のことをなにくれとなく気にかけ、応援してくれていることは皆さんご存知のとおりです。

矢野さんと気仙沼のご縁は、34年前1983年4月2日にさかのぼります。この日、気仙沼で矢野顕子さんのコンサートが開かれたのです。つぎの写真は、実行委員会メンバーとの記念写真。前列中央が矢野さん、その右側が私たちの同級生〈ぶっちゃん〉こと吉田惠子さん(3年8組)です。

矢野さん

この写真も、惠子さんが三陸新報の記事〈とっておき この一枚〉で紹介したものです。以前も紹介したこの記事はまた明日にでも。

話を戻します〈気仙沼のほぼ日〉サイに掲載されている「気仙沼においでよ」の歌詞を読んでみると、あらためて心にしみるものがあります。作詞 矢野顕子+糸井重里。そして最後はつぎのフレーズ。

みんな おいでよ ともだちだもの
みんな おいでよ いつでもおいで

これが、6周年のテーマ〈ともだちになれてありがとう〉につながっているのですね。気仙沼のほぼ日6周年で歌われた「気仙沼においでよ」はつぎの特設サイトにて。とてもいい感じのウクレレ伴奏や動画編集は〈ほぼ日〉のスガノさんです。ありがとうございました。

気仙沼のほぼ日6周年サイト


2017年ブログ再掲内容は以上です。

矢野顕子さんが震災前の気仙沼でコンサートを開催したのは、1983年4月2日。上のブログでは34年前と記しましたが、今では38年前のことなのですね。

今回の「おかえりモネ」ポスターでの「気仙沼においでよ」歌詞の利用については、矢野顕子さん、糸井重里さん、そしてほぼ日さんのご厚意があったことでしょう。いつも本当にありがとうございます。おかげさまで、素晴らしいポスターができあがりました。

「おかえりモネ」放送開始は、いよいよ1週間後。5月17日(月)です。

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼においでよ矢野顕子

謝謝台湾 台湾加油

中国は3月1日から台湾産パイナップルの輸入を停止しています。害虫が見つかったということをその理由としていますが、台湾に対する政治的な圧力とみるのが自然でしょう。これに対して、台湾産パイナップルの輸入、購入によって台湾を支援しようという動きが全国で広がりました。

本日紹介するのは気仙沼での支援活動です。4月30日の三陸新報が、気仙沼の市民有志による「ありがとう台湾!パイナップル支援プロジェクト」を紹介しています。


パイナップル

三陸新報4月30日記事の一部イメージ


記事によれば、同プロジェクトでは現地農家から672ケース(4700個)を一括購入して、気仙沼市や陸前高田市、女川町のスーパー、商業・観光施設などの協力で4月30日から販売するとのこと。

記事では、支援プロジェクト気仙沼実行委員会の小野寺紀子さんの言葉を紹介しています。「台湾の支援のおかげで、気仙沼も震災から立ち上がることができた。助け合いの気持ちを寄せていただければ」と。

販売開始直後から、SNS上には〈完売〉との投稿が多くありました。現在はすでに売り切れ状態かもしれませんが、記事にあった販売店を紹介しておきましょう。気仙沼市では、道の駅「大谷海岸」、デイリーポート新鮮館、さかなの駅、みしおね横丁。南三陸町では、さんさん商店街です。仙台の百貨店「藤崎」でも取り扱うとのこと。

東日本大震災で被災した気仙沼市や南三陸町は、台湾の皆さまからは多大なご支援をいただきました。私が知っている範囲でそのご支援内容をまとめておきます。

◎南三陸病院再建への支援

東日本大震災で被災した南三陸病院・総合ケアセンター南三陸の再建にあたっては、建築費用の約4割にあたる22億2000万円が台湾の皆さんからの義援金でした。台湾赤十字(台湾紅十字)を経由して南三陸町にとどけられたのです。南三陸病院は2015年12月に再開、開業することができました。

2015年12月14日ブログ「台湾の皆さまに感謝」

◎台湾仏教慈濟基金会

気仙沼の人たちにとって忘れられないご支援は、なんといっても台湾仏教慈濟(ツーチー)基金会によるご支援でしょう。同会は、宮城、岩手、福島の3県で被災した約10万世帯に総額50億円を超える見舞金を配布し、気仙沼市での配布額は4億円にものぼりました。2011年10月に市役所・ワンテンビルで見舞金支給にあたる慈濟の皆さんの心配りの素晴らしさは多くの人から聞きました。

この慈濟基金会からのご支援に対して、斎藤恒四郎君(3年3組)からお礼を伝えに行こうと提案があり、同年10月18日に同基金会の日本分会(日本支部)をたずねました。つぎのブログで報告しております。

2011年11月19日ブログ「慈済基金会訪問」

日本分会には、2016年2月19日にもたずねています。この年2月6日の台湾南部地震災害へのお見舞いを申し上げるためでした。その報告はつぎのブログにて。

2016年2月19日ブログ「再び慈済基金会へ」

◎気仙沼漁協超低温冷蔵庫

2012年2月に再稼働した気仙沼漁協の超低温冷蔵庫の再建にあたっては、NPO法人「ワールド・ビジョン・ジャパン」から約8000万円が寄付されました。同法人への最多の寄付は台湾住民からのものです。同年7月3日には、台湾の王金平・立法院長ら議員13人が気仙沼市を訪れ、再稼働した超低温冷蔵庫などを視察しています。

2012年7月10日ブログ「台湾からの支援2」

◎気仙沼/市民福祉センター「やすらぎ」

気仙沼市鹿折地区の市民福祉センター「やすらぎ」は東日本大震災で被災しましたが、その再建にあたっての総事業費約7億9千万円のうち、6億円が台湾赤十字(台湾紅十字)の寄付によるものでした。朝日新聞デジタル2017年4月19日配信記事によれば、同年4月14日の開所式には台湾赤十字の王清峰会長も出席されました。

◎お世話役の紀子さん

2016年2月の台湾南部地震のとき、気仙沼では市からのお見舞金だけでなく、市民による募金活動もおこなわれました。そのお世話役も今回と同じく小野寺紀子さんだったように記憶しています。小野寺さんというよりもアンカーコーヒー/小野寺コーポレーションの紀子さんといったほうがわかりやすいかもしれません。

紀子さんは、2015年6月のほぼ日17周年記念企画記事で、台湾への留学経験があると紹介されていました。そうしたことで台湾には知己も多いことと思います。それだけに、こんなときにこそということかもしれません。紀子さん、いつもいろいろとありがとうございます。

台湾の皆さんに機会があれば恩返しをと思う気仙沼の人が沢山いることでしょう。そんななか、台湾事情に詳しい紀子さんがいたことは気仙沼にとっても幸いなことでした。多くの人が台湾産パイナップルを手にしながら、お世話になった台湾の人々のことを思っていたことでしょう。

謝謝(ありがとう)台湾 台湾加油(がんばれ)。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 台湾パイナップル

一心のテークアウト

5月5日のブログでは4月29日の三陸新報記事に登場していた武山櫻子さん(3年9組)を紹介しました。本日紹介するのも同日の三陸新報記事。「お薦めのテークアウト」の37回目です。


一心
三陸新報4月29日記事より


このシリーズ記事は、新型コロナ感染拡大予防のために営業を自粛する飲食店を支援するためのもの。昨年春から随時掲載されています。

そして今回紹介されているのは、気中同級生の小野寺実木枝さん(3年4組)がご主人の登さんと営む「寿司処一心」さんです。

美味しそうなお寿司です。記事には〈創業から40年以上〉とありました。2016年11月25日のブログ「祝!一心の37年」で紹介しましたが、小野寺登さんは1970年に気仙沼市南町の寿司舗「丸松」に入店し、1980年に市内河原田に「一心」を開業しましたから創業41年ですね。

写真は特上にぎり/2808円(税込)です。さすがに気軽にとはいきませんが、「特別な日に」ということで。このほか、予算に応じていかようにも。

「一心」さんは、昨年6月20日に以前の河原田のお店にほど近い南が丘に移転開店しました。もう少しで1年。新型コロナの関係でいろいろ大変な日が続いているでしょうが、もう少しの辛抱ということで。どうぞよろしく。

2020年6月22日ブログ「一心の新店舗開店」

昨年5月の「お薦めのテークアウト」で紹介された「エスポアール」についてはつぎのブログにて。

2020年5月6日ブログ「テークアウト 希望」

◎テレビ番組情報

本日5月6日(木)午後4:15〜4:20 NHK総合で「いよいよ!おかえりモネ」が放送されます。5月17日放送開始に向けてのPR番組5分間バージョンです。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 一心

マリーゴールドの心

4月29日の三陸新報の記事に気中同級生の姿がありました。

4:29武山さん

三陸新報4月29日記事より


左から2番目が武山櫻子さん。つまり美加(みゆき)さん(3年9組)です。書家としての活動をこのブログで何度も紹介しておりますが、今回は気仙沼商工会議所女性会の会長としての活動です。

記事は、商議所女性会が4月27日に気仙沼市医師会にマリーゴールドを植栽したプランターを寄贈したことを紹介しています。市内32の医療機関にひとつずつ届けられるそうです。

武山会長の話が紹介されていました。「コロナ禍の最前線で奮闘する医療従事者の皆さんに感謝します。ささやかでも心の安らぎになれば」と。

マリーゴールドに込めたメッセージがあるのではないかと思い、花言葉を調べてみましたら、色によって花言葉が違うのですね。そして黄色のマリーゴールドは「健康」。そのものずばり。

医療従事者の皆さまをはじめ、市民みんなの健康を願う心が込められているのでしょう。気仙沼商工会議所女性会の皆さま、ありがとうございました。

気仙沼商工会議所女性会は、1979年に商議所の女性会として創立されました。2019年10月におこなわれた女性会40周年の記念式典をつぎのブログで紹介しております。

2019年10月7日ブログ「商工会議所女性会」
 
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 気仙沼商工会議所女性会

「モネ」の方言指導

NHK朝ドラ「おかえりモネ」はいよいよ5月17日(月)に放送開始。ということで、あした5月5日朝に事前PR番組が放送されます。タイトルは「もうすぐ!おかえりモネ」。



ツイートにも記しましたが、この30分番組のナレーションを担当するのは気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんです。

千晶さんとモネはどんな関係があるのかと思われる方もいるかもしれませんが、千晶さんは「おかえりモネ」の方言指導に携わっているのです。昨年9月のブログでもお伝えしました。方言指導のチーフの方についての補佐的役割ということですが、〈気仙沼弁〉に関してはなんというかNHKでいうところの〈プロフェッショナル〉です。まさに、余人をもってかえがたし。

清原果耶さんに、〈そうではなくてここはこんな感じで〉とモネを演じてみせる千晶さんを想像するととても楽しい。気分はモネ。モネマネか。

いま思い出したのですが、千晶さんはたしか気仙沼の演劇塾「うを座」に属していたことがあったはず。その経験が東日本放送そして名古屋テレビ放送でのアナウンサー職につながっているのかもしれません。

◎ダイバーシティニュース

千晶さんは、文化放送「走れ!歌謡曲」の木曜日担当を4年間続けてきましたが、52年間続いた同番組も今年3月で終了。この番組で千晶さんは、気仙沼弁はもちろんのこと故郷の様々なことを紹介してくれました。ありがとうございます。文字通りの〈みなと気仙沼大使〉です。

そして4月からはLucky FMの「ダイバーシティニュース」(毎週月〜木曜日21:00~21:55)火曜日のパーソナリティとして活躍しています。火曜日のテーマは「政治(リベラル&保守)」 。

Lucky FM は茨城放送の本年4月からの新しい愛称です。同局は自主制作番組中心の放送にするなど大幅な番組改編をおこないました。その目玉のひとつが、「ダイバーシティニュース」です。東京ではradikoプレミアムを利用して聴くことができます。

毎回、リベラルから保守までの幅広いゲスト、論客をお迎えしてのこの番組が、千晶さんの新境地となることを期待しています。

◎千晶さんの新婚生活

千晶さんは4月30日の「ラヂオ気仙沼」17時からの「夕やけぎょっと倶楽部」に電話出演していました。

そのなかで「もうすぐ!おかえりモネ」のナレーションを担当したことなども紹介していましたが、同番組担当の一色法人さんに新婚生活についての感想を聞かれました。千晶さんは昨年10月に結婚してまだ半年ほどしかたっていません。まさに〈新婚〉。そして千晶さんの答は〈とても幸せです〉。

まいったというかよかった。本日はこれまで。

2020年10月12日ブログ「千晶&順平の結婚」

 

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tag : 佐藤千晶おかえりモネ

魚町の防潮堤完成

4月28日の三陸新報。見出しは「魚町の防潮堤完成」です。

魚町防潮堤

三陸新報4月28日記事の一部イメージ


宮城県が進めていた魚町の防潮堤工事が4月28日で終了するという記事です。南町海岸側の工事は、「迎/ムカエル」や「創/ウマレル」など復興施設との一体型デザインとしてすでに完了していました。

その後、魚町の工事がどのようになっているのかと気になっておりました。あまり報道もなかったのです。三陸新報の記事から、魚町防潮堤の概要をまとめておきましょう。

魚町の防潮堤は延長312m。このうち220mが海抜5.1mで、平時は海抜4.1mとなっています。津波時には高さ1mのフラップゲートが自動的に起き上がり5.1mとなる仕組みです。

神明崎側の90mは海抜4.88m。この海岸部で転落防止柵や車止めの工事が4月28日に終了することによって魚町防潮堤の完成となりました。

◎魚町防潮堤工事の経緯

魚町の防潮堤については2012年に県から計画が示されましたが、地元民からは高すぎて海が見えなくなるとの反対の声もあがりました。そして魚町・南町の住民による「内湾地区復興まちづくり協議会」と県との協議が進められたのです。

2014年には協議会と県が高さや構造などに合意し、2015年に着工したものの問題がおこりました。地盤隆起した22cm分を差し引いて造る計画が反映されていないことが2018年に判明したのです。当時、地元の人からは相当な反発があり、造り直しを求める声などもあがりました。それまでの防潮堤を低くして欲しいという声に応じようとしなかった県の強硬姿勢が背景にあったように思います。

2018年12月21日ブログ「魚町防潮堤その後」

村井県知事はそのミスを謝罪しましたが、工事は22cm高いまま進められました。背後地のかさ上げによって見た目の高さを抑えることにしたのです。その追加費用など約9千万は関わった県、設計業者、施工業者との3者が同額負担する方針が示されました。

こうした処分や対応方針に対して、地元住民からは〈釈然としない〉といった声もあがりました。つぎのブログで紹介しています。

2019年3月28日ブログ「施工ミス」の処分

このブログで私はつぎのように書きました。〈もともとは設計段階の表記ミスから始まったことで、初期において知事が高飛車な態度をとらずにお詫びをしていればここまでこじれることはなかったのにと、あらためて残念に思います〉と。

この後の経過はあまり伝わってきませんでした。工事は進んでいくなかで反発の声も沈静化していったのでしょう。まちづくり協議会の皆さんの努力などもあったかと。

2020年になると、区画整理事業によって引き渡された土地への店舗建設や営業再開が増えていきます。つぎのブログでは、三陸新報記事の3枚の写真で復興経過を紹介しています。

2020年7月14日ブログ「魚町復興途上写真」

そして、魚町で宅地の引き渡しが終わったのは2020年11月27日のことです。南町の宅地引き渡しはすでに終了していましたので、これにより魚町・南町地区土地区画整理事業の全宅地引き渡しが完了しました。

2020年12月9日ブログ「魚町土地区画整理」

こうした流れのなかで迎えた4月28日の魚町防潮堤の完成です。

なお、三陸新報記事の防潮堤写真で、遠近法でいう消失点あたりに見える3階建て住宅の右隣に我が家がありました。そんな関係で、魚町の話となるとちょっとしつこい。

そんなことで、ブログのリンクが多くなってしまいましたが、連休中ということでご容赦いただければ幸いです。
 

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tag : 防潮堤

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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